紅葉明り

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本文[編集]

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観音勢至もろともに……
不意に、さらさらと、読経の声の中に、何か衣(きぬ)ずれのやうな音を聞いて、私は時雨(しぐれ)と思ひ、そつと顔を上げて、庭の方を見た。いつか陰つた庭には、真紅や、樺や、黄な楓(かへで)の紅葉が、その艶やかな色調をひそめてゐたが、時雨に濡れた様子は見えなかつた。
慈光世界を照曜し
有縁を度してしばらくも
休息あることなかりけり……
阿弥陀経(あみだきゃう)を誦(ず)し終つた、復員の若い院主は静かに数珠(じゆず)を操つた。髪を短刈つたその項(うなじ)が、くつきりと白かつた。ぽんぽん……ぽんぽんと、幽(かす)かに、しかし確かに桶の鳴る音が聞こえて来た。私は少しあわて気味に、また庭の方へ目をやつた。しかしやはり時雨の気配は見えなかつた。私はあのほつとしたその後の、何か気の遠くなるやうな深い思ひに、次第に引き入られていつた。
……ぽんぽん、ぽんぽこ、ぽんぽんと、桶は鳴り続いてゐた。
「そりや確かに、私はお勢さんを診察しました。内診も致しまして、確かに妊娠であることを告げました。しかし、医者である、私が、それ以上、何を申す必要がありませう」
「ごもつともでございますとも」
「それを、検事は、しかもそれがいたつてなま若いのですが、まるで、私を、疑ふやうに、根堀り葉掘り訊くものですから、私も、すつかり業(ごう)が沸いてしまつたですわい」
「ほんとに、先生にはとんだおとばしりで、御迷惑なことでございましたでせう」
いつの時のことであつたか、もう二十何年昔のことであるから、私はすつかり忘れてしまつたけれど、いつものやうに鞄(かばん)を片手に提げ、もう一方の手を袖に入れ、立ち上らうとした。その膝を折つて、関野老医師が、私の母に話してゐたのである。「お勢さん」といふ名を聞いて、思はず耳を立てた私は、最早その場にゐたたまれないやうな、狂はしい衝動に襲はれた。また若かつた私の血は、まるでわがことのやうに、私の皮膚を真赤に染めて、体中をかけめぐつた。
さう言へば、田舎風の、古ぼけた関野医院の診察室には、普通の診察台の他に、一段高い、丈の短いクロス張りの寝台のやうなものがあつた。子供の頃、私はそれが何に使はれるものか、ことによると手術でもする台ではなからうかと、あの変にうら悲しい感触の診察台の上に横になる度に、何かこはごはその方を見やつたものであつた。後になつて、それが女の人達だけの診察台であることを教へられたのは、たしか兄の大病の時、京都から来てゐた看護婦であつたやうだ。その若い看護婦は、関野老先生の鈍間(のろま)さを笑つた末、独言(ひとりごと)のやうに言つたのだつた・
「それにしても、あの内診の、あんな晴がましい診察台つて、うちらほんまによう言はんわ。幕の一つ、あらしまへんのえな」
その時、私はそれがあの変な寝台であることを直感した。しかし私はそれがどういふ意味かわからず、軽い好奇心んから尋ねてみた。
「晴がましいつて、あれはどういふ時に使ふのです」
「あら」
看護婦はさう言つて、急にぱつと顔を染めた。さうしていかにもうろたへた表情の中から、ちらちらと、年上の女らしい、意地悪げな微笑を浮かべた。
「あんたつて、ほんまに知らはらへんの、嘘やわ、嘘やわ。そんなん、言へへんわ。あのね、さうやわ、女の患者さんだけの、診察台ですんやわ」
その診察台の横には、さう言へば、二段になつた踏み台が置いてあつた。お勢さんはその踏み台を上つて行つたのだ。それは、最早総てを観念して、罪の台に上つて行く。女囚の姿にも似てゐたであらうか。ああ、仮借ない浄玻璃(じやうはり)の上に、お勢さんのどんな姿が映されたことであらう。
お勢さんは小学校で私の一年下であつた。色の白い、しかし血色のよい、笑ふといつもゑくぼの出る、丸顔の少女であつた。快活な性質で、いつも廻旋棒や、鞦韆(ぶらんこ)に乗つて遊んでゐた。幽かな笑ひを含みながら、中腰になつて、さつと両手をひろげて、遊動円木の上を渡つて行く、お勢さんの姿を私はよく覚えてゐる。
美しい女生徒はよくいぢめられた。それはやはり子供達の一種の情愛の目ざめであつたかも知れないが。
「お尻まあくりはあやつた」
不意に男の生徒達が大きな声で言ひ出した。朝礼前の講堂の中の生徒達の間には、急に無邪気なざわめきが伝つて行つた。無邪気な――と私は言つたが、この変な遊びは、しかしいつもかういふ風に高高と言ひ上げてから行はれたので、この遊びには誰も否応(いやおう)なしに、少くとも防禦には女の生徒達は加はらねばならなかつたけれど、実際には女生徒達、殊に上級の女生徒達には、ほとんど被害者はなかつた。中には着物の裾を後から前の方へ持ち上げて、もう大丈夫とばかり、ぴよんぷよんと飛び上つて、喜んでゐる子供もゐた。しかし私は、私だけ袴(はかま)をはいてゐるといふ理由から、いつもこの「お尻まくり」には加はらなかつた。その時も、私は柱にもたれながら、渦のやうに走り廻つてゐる生徒達の姿を、何か大人びた感情で眺めてゐた。
そこへお勢さんが、袖脇の所に片手を当てながら、どうしたのかいかにも何知らぬげに、廊下の方から入つて来た。私は何故かはつとした。と同時であつた。私はそこに無残なお勢さんの姿を見たのであつた。お勢さんは瞬間に着物の裾を押へ、床の上に坐つたまま、きつと白い顔を上げた。その怨と羞(は)ぢらひの嬌(なまめか)しさ、それはもう十分に女の悲しみに充ちてゐた。お勢さんは不意に立ち上り、二三歩窓の方へ歩いたかと思ふと、最早どうしても堪へがたいやうに、両手で顔を押へて泣き出した。二三人の女の生徒達がその肩に手をかけ、お勢さんを慰めた。
私は生れて初めて、女といふものを感じたやうに思はれた。これが私の、あの悲しいものへの最初の目覚めであつたかも知れない。それは激しい悔恨に似た感情であつた。しかし、その心の底には、あの一瞬の不思議な感情が、今はむしろ美しい余情となつて流れてゐた。
私は小学校を卒(をへ)ると、市の中学校に入つたが、翌年お勢さんも同じ市の女学校に入るやうになつた。お勢さんはその女学校の寄宿舎に入つてゐたが、私は時折、街中でお勢さんに行き会ふやうなこともあつた。そんな時、制服の二人は顔を赤らめて会釈した。ある時、向かふの方から四五人の女学生が歩いて来るのに出会つた。私はその中にお勢さんがゐることに気づくと、なにゆえか急に胸がどきどきした。はたして、女生徒達も私に気がつくと、何かお勢さんに言つたらしく、お勢さん一人を前に押し出すやうにして、わつとばかり、後の方に肩を寄せ集めてしまつた。お勢さんは、体をくねらすやうにして、斜に、却(かへ)つて足早に歩いて来たが、私の前まで来ると、横を向いたまま、お辞儀ともつかぬお辞儀をした。私は思はず帽子を取つて、今思へば、いかにもやぼつたいお辞儀をしてしまつた。
それから、またある年の暑中休暇の帰省の時、偶然にも二人は同じ汽車に乗り合はせたことがあつた。それぞれ友達と一緒で、もちろん車室は別であつたが、私はただ汽車の走つて行くのが、何か無性に楽しかつた。幸福とは、こんな時のことのやうに思はれたりもした。
N駅で汽車を降りると、同じやうに、両手に風呂敷包を提げた二人は、どちらからともなく寄り添つて、一筋の街道を歩いて行つた。蟬が鳴いてゐた。青い稲田の上を渡つて来る風が一入(ひとしほ)に涼しかつた。路上に、長い二人の影法師が並んでゐた。
「ちよつと、お寄りになりません」
水車が、早、星の影を映したかと思はれるやうな、美しい水滴を散らしながら、ごとりごとりと廻つてゐる。別かれ路のところで、二人は足を止めて立つてゐた。隣り字(あざ)であるお勢さんとはここで別かれねばならなかつた。
「ええ、遅くあるといけませんから、今日は失敬します」
「さうですの、あたし、あの、英語教へていただきたいんですけど、寄せていたあぢてもよいかしら。宿題、たんとありますんやわ」
「いいですとも、いらつしやいね。待つてゐます。きつとですよ」
お勢さんは素直にうなづき、二人は微笑を交し合つて別れて行つた。
しかしお勢さんは、田舎(ゐなか)のやかましい風習を恐れてか、よう私を訪ねては来なかつた。私とても、やはりさういふ人目が気恥しく、自分の方からお勢さんを訪ねようとはしなかつた。さうして私はやがて高等学校に入り、お勢さんも女学校を卒業して、私は暫くお勢さんの消息を聞くことはなかつた。
その後、ある春の休暇の時、近村に奉職してゐた、中学時代の友人が、先生達の歌留多会に私を誘ひに来た。さうしてその友人は、何かを思ひ出したやうに言ひ足した。
「さうさう、それに、君に非常会ひたがつてゐる人がゐるんだよ」
「誰だらう」
「玉手箱の蓋(ふた)は、あまり急いで開けない方がいいんだよ」
それが思ひがけないお勢さんであつた。お勢さんはその同じ小学校に勤務してゐたのである。
「村木先生、待ち人来るですよ。おごりなさいよ」
私の友人は殊更剽軽(へうきん)な風にさう言つたけれど、お勢さんはちよつと微笑して、
「暫くでした」と言つたきりだつた。
その夜の帰途、私は、肩掛けで白い顔を埋めたお勢さんと、肩を並べて歩いてゐた。森の上には、朧(おぼろ)な月がぽつくりと上つてゐたし、一面野良の夜の色さへも、何か柔く、艶艶しくて、めつきり春めいたものが感じられた。
「何だか、もう蛙でも鳴き出しさうですね」
「まあ、気の早い」
お勢さんは顔を上げて、綺麗な歯並びの口許を綻(ほころ)ばせたが、その笑顔の中に、どこかもの淋しげな翳(かげ)が潜んでゐた。
「どうかしたのですか。何だか元気がないやうですね」
「あのね、あたし、お嫁に行くことになつたんですの。しかも、それが、誓願寺なんですのよ」
「さう、誓願寺へ?」
誓願寺といふのは、私の家の願ひ寺で、俗に大寺と呼ばれてゐるほど、この辺りでは権威のある、真宗東本願寺派の寺であつた。しかし私はあまりにも意外な感じで、つい忘れてゐた言葉を言ひ足した。
「それは、おめでたう」
「おめでたうなんて、いやですわ」
「だつて、僕には、さういふより他、ありませんもの」
「あたしの気持は、少しも進まないんですけど、どないしやうもありませんわ。あたし達の気持なんて、世間の人には、誰にも解つて貰へないんですものね。茂さんは、どうお考へになつて」
お勢さんは肩掛けに顔を伏せたまま、自分の影を追ふやうに黙黙と歩いて行つた。飴色(あめいろ)の川が、白い水蒸気を立てながら、鈍い月の光の中にゆるやかに流れてゐた。お勢さんはそこまで来ると、呟(つぶや)くやうに言つた。
「夢なんですわね。今まで考へてゐたことなんか、みんな夢だつたんですわね。それでは、茂さん、さやうなら」
「お送りしませう」
「いいんですの。ただ聞くだけ聞いていただきかつたんですの。けれど、ほんとにつまらんことを申しましたわ。茂さん、ごめんなさい。それでは、さやうなら」
お勢さんは笑顔を作つて、快活さうにお辞儀をすると、そのまますたすたと歩いて行つてしまつた。私は何かぼんやりと河岸に立つたまま、その後姿を見送つてゐた。


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お勢さんは、その春も過ぎて行く頃、誓願寺へ嫁して来た。
「立派なお嫁入りで、それはそれは美しいお嫁さんでした」と、その時の様子を、後になつて、私は私の母から聞かされた。私は、何にともなく口惜しいやうな感情も動いたけれど、反面、人生といふものの、平凡な美しさを見せられたやうに、何かお勢さんの健気(けなげ)さを、秘かに誇りたいやうな気持でもあつた。しかし誓願寺の新嫁は、庫裡(くり)の奥深くに隠されて、私達は最早語り合ふやうなことはもちろん、ほんの相見る機会さへも得られなかつた。
翌年、お勢さんは今の院主である、一子を儲(もう)けた。その頃は、白髪の、竜のやうな顔をした老院主も健在であり、その上お勢さんは、この有名な気難しい老院主の、不思議なほどの気に入りであつた由で、この誓願寺には、到つて平穏な、幸福な日が続いて行つたやうであつた。
ところが、ある日、不意に村中がひつくり返るやうな出来事が起つたのであつた。
それより数刻前、誓願寺の院主や、私の家の親戚に当る俊三さんの母子や、その他数人の乗客を乗せた、N駅行きの乗合自動車が、いつものやうにブーブーとのどかな警笛を鳴らしながら、村中の道を走つて行つた。そこへ善兵衛老人が、
「待つてくれ。自動車、ちよつと待つてくれ」と言ひながら、あたふたと走つて来た。運転者はちらつと善兵衛の方を振り返つて、確かに速度を緩(ゆる)めようとしたといふ。しかし、丁度その時、善兵衛老人の帯が、生憎(あいにく)ずるうると解けかかつたので、運転手は軽く舌打ちすると、そのまま再び速度を出して、
「こら待つてくれ、待つてくれといふに」と、わめき立ててゐる善兵衛老人をおき去りにして、自動車は走つて行つてしまつたのであつた。
まだぷんぷんと腹を立ててゐる善兵衛老人が、わが家に帰つてほんの間もない時のことであつたといはれる。この自動車が軽便鉄道と衝突して、三人の死者と、数人の大怪我人を出したといふ知らせがもたらされたのであつた。さうして、お勢さんの夫である、誓願寺の院主は、その即死者の中の一人であつたのである。
「流石(さすが)にそれでもお坊さんは違つたものや。お体には、疵(きず)一つ、血一滴、着いてなかつたさうなが。やつぱり有難いものよいな」
「ありやな、自動車が衝突した時、ぽんと放り出すされなすつてな、あの電信棒におぶつかりになすつたのぢやな。まるで、かういふ風に、電信棒に抱きつくやうにして、死んでゐなさつたといふからな。つまり当り所が悪かつたのであらうかい」
「それにしても、命冥加(みやうが)なのは、善兵衛さんよ。無理もないわ。あの帯を神棚にまつつて、毎日拝んでやはるといふことやが」
私が帰省して、この惨事の話を聞いたのは、かういふ村中の噂も漸(やうや)く下火になつていつた頃のことであつた。それは丁度、死んだ一匹の虫の周囲に、怪訝(けげん)さうに寄り集つて、ただ徒(いたづら)に不安な触角を打ち振つてゐる、多くの虫どものやうであつた。
「夢なんですわ」
あの時、お勢さんはさう言つた。しかし、その夢にもまさる、この現実の儚(はかな)さに、若い私は、ただ呆然と立ちすくんだ。お勢さんはどうしてゐるであらう。私は、昼でも暗いと言はれてゐる、誓願寺の庫裡奥で、この惨酷な運命の中に、そつとわが子に白い乳房を含ませてでもゐるであらう、お勢さんの姿が、しきりに思ひ浮ばされた。しかし、まだ学生の身の私は、それもやはりただ一匹の虫に過ぎなかつた。
「お勢よ、お勢よ。お勢はどこへ行つた。お勢よ、お勢よ、何、尊丸樣が泣くといふのか。その尊丸様を連れてお出で。おうおう、おしつこの臭ひはよいものぢや。お勢よ、お勢よ、何してゐるのぢや。早うというたら、お勢は早う来ておくれ」
その頃では、毎晩のやうに、いつ終るともない晩酌の酒に酔つた老院主は、ほんの暫くの間でも、その傍にお勢さんあゐないと、ふらふらと立ち上つたり、がつくりと首を垂れたりして、譫言(うはごと)のやうなことを言ひながら、お勢さんの姿を探し求めるのであつた。
この老院主は最早七十に近つた。その幼少の時分には、緋鹿(ひか)の子(こ)の狩衣(かりぎぬ)に、紫の指貫(さしぬき)を履(は)いた、絵のやうな姿で、輿(こし)に乗つて檀家廻りをしたといはれてゐるほどで、従つて到つて見識が強く、若しもこの老院主の機嫌を損じると、葬式さへも容易に出すことが出来なかつたと恐れられてゐた。今でも檀家の人達は誰かまはず呼び捨てで、この門徒宗門には珍しく気骨のある、いはば豪放無頼な風の僧であつた。朝酒、昼酒もいとはぬ、酒好きの美食家で、酒屋や魚屋や、そんな商人への払ひもともすると嵩(かさ)み勝ちであつた。しかしこの老院主は、自ら台所に突つ立つて言ふのであつた。
「近近、市左衛門の家に法要がある。何なら、市左衛門の所へ行つて、布施の中から貰つておけ。わしがさう言うたと言つてな」
しかしこの老院主が、法服を着けた末寺の僧を従へて、参堂する姿は、実に堂堂としてゐて、見るからに立派なものであつた。殊にその声量は齢にも劣らず豊かで、老院導師の声は、高く、低く、いつも一際(ひときは)堂内を圧してゐた。
その一人息子である院主の、この不幸に遇(あ)つても、流石に老院主は涙一滴落さず、却つてその葬儀に際しても、相変らず見識強いことばかり言ひ張つて、門徒総代の人達も困らせもし、驚かせもしたといふことであつた。しかしそれ以来、この老院主の晩酌は日毎にその量を増すやうになり、酔へば、何か狂はしく、子供のやうにお勢さんの名を呼び続け、お勢さんはそれがまた何か無性にもの哀しく、ほとほと途方に暮れるばかりであつた。
「お勢よ、お勢よ。かあいさうに、若い身空で、いや、もうそんなことはよい。お勢よ、さあ、一杯受けておくれ」
「あたし、もうそんなお酒なんか」
「なあに、なあに、若い女の体には、酒は何よりの薬だよ。さあお飲み、お飲みというたら。さうだ、さうだ。きゆつとお飲み。おお、さうや、さうや、かあいい、かあいいお勢。さあもう一杯お上り」
「いやですわ。御老院さま、そんなに、じつと御覧になつて」
「はつはつはつはつ……お勢、目もとが、はいぽうと赤うなつたわ。おお、かあいいぞ、お勢。かあいさうなお勢よ」
さういふ時、いつもきまつたやうに、若い役僧谷本の、ためらひ勝ちな足音が聞こえるのであつた。するとこの老院主は急に体を起こし、今にも立ち上らんばかりの勢で、罵(ののし)り立てた。
「谷本か。阿呆めが、何を、そんなところで、鼠のやうに、ことこと言はせとる。今日の、七兵衛の布施は足りんぞ。足りんというたら足りんぞ。七兵衛の奴、相変らず死慾をかいてをるか、それとも、谷本、お前が何とかごまかしたか。さあ言へ、さあ言へ、言うてみよ」
「御老院さま。そ、そんな、そんな……」
「何、構うふか、構ふか、このわしに構ふといふのか。何、お勢か?お勢か?さうかお勢か。はつはつはつは……谷本、はつはつはつは、お勢が酔うたぞ。さあ、お燗(かん)の代りを持つて来い」
「そんな御老院さま、谷本さんて、どこにもおゐやさしまへんわ。大方、風の音でも、お聞き違へなさつたんでございませう」
老院主は、酔に濁つた眼で、じつと宙を見据ゑてゐたが、不意に何か武者振りつくやうな声で言つた。
「お勢、淋しい。お勢、お勢、わしは尊丸樣と寝る」
月はなかつた。その闇の中に、桜の花が白く咲いてゐた。といふよりは、庭一面、僅かに濃い闇にくぎられて、無数の白い花花が、闇の中に浮かんでゐた。時時、裏畑の菜の花の匂ひが、甘く噎(む)せるやうに漂(ただよ)つて来るので、微かに西風の流れてゐることが解る。お勢さんは、素足のまま縁側に立つて、快い湯疲れに、うつとりと柱に体をもたらせてゐた。
花を見ると言つて、昼間からの深酒に、たうとうお勢さんの膝に酔ひ潰れてしまつた老院主は、もうさつきお勢さんの手で、床の中に寝かせてしまつた。
花一ひら、散らうともしない、何か、この自分の身の上の、不幸とか、幸福とかいふものも、どこか遠くへ去つてしまつたやうな――そんな放心の中に、血だけが勝手に熟していくやうな一刻であつた。黒い縁側の、白いお勢さんの素足には、くるぶしの辺まで、薄紅の色がさしてゐた。
ぼそぼそと、廊下から方から足音がして、ぼんやりとした影の中から、若い谷本の姿が現れ、お勢さんの後方へそつと近寄つて行つた。
「桜の花を、見ておいででしたか」
「ええ、別に、何を見てゐるといふのでもありませんけれど」
「暖い晩でございますね」
「ほんとに、急に暖くなりましたわね」
「尊丸樣は、お休みになりましたのですか」
「もうすやすやと寝てますわ。子供て、ほんとに仏さまですわ」
「奥様、お察ししてをります。いかになんでも、御老院も、あんまりです」
「どうか、谷本さん、もうそのことなら、何もおつしやらないで下さいませ。御老院さまは、あれでゐられて、それはそれはお淋しいんですもの」
「奥様、どうか、私にも、そのやうな言葉を下さいませ」
「まあ、いけません。谷本さん、そんなことをおつしやつては、いけません」
「いえ、申します。何も彼も申します。奥様、私は今日まで、じつと怺(こら)へてをりました。修業の道の障(さは)りとも存じまして、歯を喰ひしばつて、今まで怺へてをりました。しかし、あれは、風の音でもございません。鼠の音でもございません。私は、御老院のあの御無体を見るにつけ、奥様、私はどうしても、もう黙つてはをれんのです。或は地獄に落ちる業かも存じません。餓鬼、畜生道に因果を結ぶ業かも存じません。しかしそんなこと、何の後悔がございませう。この極重悪の煩悩(ぼんのう)こそ、今の私にとつては、まことに歓喜の念仏なのでございます。奥様、お察し下さい」
「いいえ、そんなこと。決して御老院さまが悪いのではありません。みんな、この私が悪いのです。どうか、谷本さん、許して下さい」
「いいえ、私こそ許して下さい」
「ああ、いけません、谷本さん、あなたもやつぱり男だつたのですか」
「男です。男ですとも」
「まだこの上。もうかんにん、もうかんにん」
お勢さんは、いやいやをするやうに、顔を左右に振つたやうであつた。しかしそのまま、二人は互に抱き合ふやうに、襖(ふすま)の蔭へ縺(もつ)れて行つた。
お勢さんが、秘かに関野医院の門を潜つたのは、それからどうれほど後のことであつたらうか。しかし、そのことについては、村の人達はもちろん、老院主さへも何も知らなかつたやうである。ただ、あれほど評判の好かつた役僧の谷本が何故(なぜ)か寺を去つて、いかにも小僧のやうな新しい役僧が来たといふことを、村人達が知つたのは、それからまだ余程後のことであつた。
それにしても、お勢さんともあらう人が、一体それは何としたことであらう。そんなある日、誓願寺の奥便所から、胎児の死体が現れたといふのである。さうしてお勢さんの自白によつて、そのまま、お勢さんは警察に連れ行かれてしまつたといふ。
関野老医師が度度検事局に呼び出されたのも、さうしてその老医師の話を立ち聞いて、私が、女といふものの、身も世もない哀しさに、囚(とらは)れたのも、思へば丁度その頃のことであつた。しかし、やがて、お勢さんは執行猶予になり、暫く隣り字(あざ)の里方に引き取られてゐたが、いつか秘かに誓願寺へ帰つてゐるといふ噂を私が聞いたのは、
「女は魔性よ。やつぱり老院とも怪しかつたに相違ないわ」
「さうぢやとも、若しさうでなかつたら、なんであの老院が、二度と寺の中に入れるものか」
そんな村の噂も、いつともなく消えてしまひ、お勢さんといふ名前も、いつか殆ど忘れられてしまつたやうな頃のことであつたと覚えてゐる……
若い院主の、私達に見送られてゐる、白い項(うなじ)が、心の故か、何となくお勢さんによく似てゐた。


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午後、私は老母と茶の間で差向かひに坐つてゐた。さう言へば、老院主も、関野老医師も、信心の深かつた私の父や、本家の伯父や、門徒総代の人達も、既に亡くなつてしまひその頃の関係のあつた人で、今も健在な人といへば、もう九十に近いであらう善兵衛老人と、この私の母とだけであつた。
時雨(しぐれ)模様の空は、いつかからりと晴れ渡り、小春日の麗(うらら)かな陽ざしが窓越しに当つてゐる。枝もたわわに実つた南天樹の総(ふさ)が、昨今漸く色づいて、ほのかに青い地色を残したその色が、艶を消した珊瑚珠(さんごじゆ)のやうに瑞瑞(みづみづ)しい。来年は生(な)り番らしく、枇杷(びは)の木が枝一面に花を着けてゐる。白い花弁と、薄茶色の蕚(がく)の、この花は私の好きな花の一つであるが、このやうな大木になると、いかにも婆娑(ばさ)とした感じで、蕪雜である。沢山の虻(あぶ)が花に集つてゐるのだが、硝子(ガラス)障子にさへぎられて羽音は聞こえない。飛んでは上り、上つては飛び、頻(しき)りに飛び交つてゐる。中には、花びらの上に止つたまま、花びらと一しよにつうつと落ちかかり、あわてて飛び上つて行くのもある。ここにも、きららかな陽を受けて、楓(かへで)の紅葉が、燃えるやうに紅い。
「しかし、お母さん、私はどう考へても、足りないやうに思ひますが。大抵の物価は十倍から百倍。しかも十倍程度のところでは、殆(ほとん)ど争議が起つたり、起りかけたりしてゐます。鉄道だつて、運賃は上つたやうでもまだ十倍にはなつてゐません。切手だつて、一銭五厘として、十五銭。一円五十銭にでもなれば、先づ問題はなくならうといふものです」
亡父の祥月命日のお布施について、私は母にさう言つた。
「そりや、さうですけれど、こちらも新円ではね、なかなかさうもならずね」
「しかし、お母さん」と、私は穏かな微笑を含んで、幾分剽軽(へうきん)な調子で言つた。
「御和讃には言つてあるではありませんか。『如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし。師主智識の恩徳も骨を砕きても謝すべし』とね。そりや、この頃のお坊さんもお坊さんですが、信心といふものも、すつかり抜け殻のやうになつてしまひましたね」
「ごもつともです。ほんとにその通りです。それにしても、そのあなたが、よくもまあ、さういふやうになつてくれました。けれどもね、お布施の方は、本家の兄さんや、親類の皆さんとも、話し合ひの上のことになつてゐますのでね」
本家を嗣(つ)いでゐる兄は、戦時中その経営してゐた紡績会社をT紡績に統合され、今は職を持つてゐなかつた。呉服木綿の大問屋であつた市左衛門家もその商品の総ては統制され、旧家の面目にかけて今更闇屋のやうなことも出来ず、門徒総代の有力者、大江家の一族も、その事業の大半を満朝に持つてゐた関係で、今では全く逼塞(ひつそく)の形であつた。所謂近江商人の出身地である私達の地方の富裕者達は、この戦後の大変動に他愛もなく翻弄され、最早手のほどこしやうもないのであつた。さうしてこの困憊(こんぱい)の仕方が、それが旧家であればあるほど、富豪であればあるほど、その哀れも更に深かつた。
まして私の家など、子供達までもうすつかり慣れ切つた、東京での貧窮な、といふよりむしろ破れかぶれ、いつそその中にあぐらをかいたやうな生活だけが、強みといへばいへるばかり、今日まで辛うじて持ちこたへて来た郷里のこの大きな家と、僅かばかりの田畑と――若しも、ではなく、当然それに財産税といふものがかかるとすれば、私は最早どうするすべもないのであつた。しかし、数十年来、さながらその家霊のやうに、この家を守り通して来、外界のことなど何知らぬ気な、この老母に、私はせめてそのやうな気配さへも知らせたくはなかつた。まして楓紅葉の、まるで総て嘘のやうな、このうらうらとした晩秋の好日であつた。
「お宮さんも大へんのやうですけれど、お寺もこれからはなかなか楽ぢやありませんね。しかしあれではあんまりですよ。お布施と、はつきりしないで、別に持つて行けばいいぢやありませんか」
「そりやさうしえtもらへればね。何しろお父さんのことでもあるしね」
「さうしませうよ。私これから持つて行つて来ます」
「まあ、さう願へればね。お寺もお喜びでせうし、私も何といふ幸せでせう」
母はいかにも満足さうに、しよぼしよぼと眼をしぱたたいた。この男勝りのやうに言はれてゐた母は、お勢さんの時にも、以ての外の出来ごとと、婦道の乱れを慨(なげ)いた人の一人であつた。
「時に、どうしてです。お勢さんは」
「ああ、お勢さんかいな。この頃ではな、村方の評判もそれはよろしくてね。何しろ、あんなことはあつたけれど、よう出来たお方ですから、皆さんにじんベんになさるので、気受けもよいし、それに御院主も、ああしてお元気で復員なさるし、この頃では、あのお方もほんとうにお幸せのやうですわ」
「役僧もゐないやうだし、ほんとの水入らずですからね」
「さうなんだよ。何といつても、それがほんとに何よりですからね。あなたは、あのお方とは同じ組でしたかな」
「一年下でしたけど、あの方もOの女学校でしたからね」
「さうさう、さうだつたね。十年、二十年、もつと昔のことだけど、まるで夢のやうだね。私も年を取つたはずですね」
渋引きの覆をかぶせた、定紋入りの丸提灯(まるぢやうぢん)や、長提燈の並んでゐる、台所の長押(なげし)には、古時計が、こつちんこつちんと、相変らず正確な音を立てて動いてゐた。


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赤や、樺や、黄や、殊に一行寺楓の大葉の真紅が、庭苔の緑と鮮かに相映じてゐる。紅葉も苔も、今朝の時雨に洗はれたのか、しつとりと湿りを含み、それが秋の陽差しを受けて、目覚めるやうな色彩である。しかしその平明な秋の色は却つてどこか儚(はかな)く、いはば寂光といつたやうな、冷ややかな静寂をさへ感じさせる。
黄に赤のさつと差したの、赤に黄の朧(おぼろ)に染つたの、その一葉一葉の異るさまもそれぞれ今更のやうに美しかつたけれど、何か稚(をさな)い感じで趣は誘はれた。そんな葉が、時時、ひらひらと青い苔の上に散り落ちた。
この派手やかな紅葉の色に奪はれて、私は急には気ふかなかつたけれど、庭には数本の桜の木が植ゑられてあつた。それも古木で、その幹は枯れたやうに朽ちてゐたけれど、その脇の方から、今は葉の落ちつくした枝を出してゐた。私は不意に、濃い闇の中に、真白く浮き上つた桜の花を思ひ出した。
そのお勢さんは、今私の前に坐つてゐた。
「こんなに白髪も多くなりました」
お勢さんはさう言ふけれど、お勢さんは年よりもずつと若く見えた。
さうして、かうしてただ顔を見合はせてゐるだけで、何か自然に思ひ出の扉が開かれていくやうに、その顔の中にも、その何気ない素振りにも、子供のころの記憶がぽくりぽくりと蘇(よみが)げつて来た。
その目許には今も小さな黒子(ほくろ)があつた。そつと笑ふと――お勢さんはどんなにつつましく笑つても、何故か華やかな感じのする、その笑ひさへ、昔のままであつたが――やはり美しいゑくぼが浮かんだ。お勢さんは、今もふつくらと膨(ふくら)んだ胸の辺を、軽く片手で押へるやうにしながら言つた。
「ほんと恥かしいばかりの半生でございましたわ。もとより女のことでございますもの、どうせ恥しいことばかりでございませうけれど、私のは、何の甲斐もない、誰のためともない、恥しい目でございましたの」
「さう言はれれば私だつて同じですよ。戦争中も、その後も、まるで恥ばかり曝(さら)してゐたやうなものでした」
「いいえ、茂さまなんか。そんなことではございませんの。私など……しかしもうそんなお話はよしませうか」
「さうですとも。よしませう、それよりもつと楽しい話をしませうよ。私はね……」
「それではお茶を代えてまゐりますわ」
お勢さんは、やはり昔のままの快活な調子で、さう言つて、いそいそと出て行つた。私はその後を見送りながら、何かまるで夢のやうでもあり、また二十何年の歳月が、この戦争まで、他愛もなく消え去つてしまつたやうな、いかにも当然のことのやうにも思はれた。
「その楽しいお話つて、何ですの。これ、こんなつまらないもの召し上つて下さいな」
私はいかにも年甲斐もなく、もちろん照臭くさへもあつた。しかし私は殊更ににこにこと笑ひながら言つた。
「今日も御院主さまが読まれたので、思はずはつとしたのですけれど、私は御和讃の『観音勢至もろともに』といふのがとても好きでして、いつもつい口癖のやうに、言つてしまふものでした。しかし、こんな話、全く滑稽ですね。年甲斐もないく、御院主でも聞かれたら、全く滑稽過ぎますね」
「それでは私も申しますわ。私はあの菩提樹(ぼだいじゆ)。覚えていらつしやる。『泉にそひて茂る菩提樹』私はいつもあの歌を歌つてゐましたの。あの警察に連れていかれた時も、留置所で、細い紐(ひも)一つでしよ。ふとあの歌を思ひ出したんですの。するとぽろぽろと涙が出て来て、それからはもう泣けて泣けて仕方がなかつたんですのよ」
「つまり、お互に、夢同志だつたんですね。しかしこんな話、やはり全くをかしいですよ。全く少しをかし過ぎますよ」
「ほんとに、こんな年をして、少し楽し過ぎますかしら。けれど、私、さう思ひますわ。夢がやはり一番幸福だつたんですと」
「私はそれでよく甘いと言はれるんですけれど、夢の方が、ずつと苦しくて、楽しくて、それにずつとほんたうなんです。現実なんて、何か全く他愛もなく、ずつと儚いものなんです」
折から夕陽がかつと照り映えて、黄や、樺や赤の紅葉が、その色彩を交錯して、庭一面、まるで金色の後光のやうに美しかつた。もう四時にもやがて近い頃でもあらうか。
「これは随分長居をしました。それでは失礼します。御院主さまによろしくお伝え下さい」
「今に帰らうかとも思ひますけれど、失礼を致しました」
お勢さんは顔を上げ、一寸(ちよつと)小首を傾けるやうにして言つた。
「またお近く、東京へお帰りですの」
「東京はやはりよろしくございませうね。お働き甲斐(がひ)があつて」
「どうして、どうして。それは大へんなんですが」
私は郷里に、この暫くの滞在中、ともすれば昔のことばかり思ひ耽り勝ちだつた。懶惰(らんだ)な自分自身を鞭打つやうにさう言つて、腰を上げた。
「お履物(はきもの)はこちらへ廻しておきました」
「母が、あなたのことを、大へん賞めてをりました」
「まあ、私どうしましよ。私、ほんとは、あなたのお母さま、怖いのですのに」
「母も大分年を取りました。もうお説教もしないでせう。時時遊びにお出で下さい。母も一人で淋しいやうですから」
私は下駄を履いて庭に下りた。お勢さんも草履を履いて、私の後から送つて来た。二人は青い苔の中を、庭石伝ひに歩いて行つた。
「お嬢さま、疎開なすつてゐた時、よくお見受けしましたの。生徒さん達が、大勢列を組んで、歩いていらつしやつたんですけれど、あんまりよく似てらつしやるんですもの、私、一ぺんで解りましたわ。後で、お話したこともありますのよ」
「さうでしたか。するとあなただつたんでせうか。何だか私のことを聞いてらつしやつた小母さんがあつたとか、言つてゐましたが」
私は話ながら、時時立ち止まり、お勢さんの方を振り返つた。するとお勢さんもぽいと庭石を渡つて、私の側に立ち止つた。二人はまた歩き出した。
冠木門の所で、私はお勢さんに別れを告げた。見返ると、樹樹の梢にはまだ斜陽が赤く当つてゐたけれど、庭の中はいつかもうすつかり翳(かげ)つてゐた。そのひつそりと静まつた日蔭の中に、一際赤い一本の楓が、まるで余光を放つてゐるやうに、辺りを明明と照り返してゐた。その艶やかな色の中に、白いお勢さんの顔を、染つてゐた。
「ではお大事に」
「お穣さんにもよろしく」
「お勢さんは微笑を浮かべて、じつと私の方を見送つてゐた。


(附記)あの時、関野老医師はお勢さんに頓服を与へ、妊娠などとは告げなかつたといふ。しかしそれはの善良な老医師の明らかな誤診であつて見れば、私達が今更何を言ふことがあらう。それ故、私はお勢さんとのそれについての会話を省いた。

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