福岡地方裁判所平成21年 (た) 第11号

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主文[編集]

本件再審請求を棄却する。

理由[編集]

第1 確定判決の存在等[編集]

1 裁判等の経緯[編集]

 亡久間三千年(以下「事件本人」という)は、平成11年9月29日、福岡地方裁判所において、死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件(福岡地方裁判所平成6年(わ)第1050号、同第1157号)について、死刑に処する旨の有罪判決の言渡しを受けた。事件本人はこれを不服として控訴したが、平成13年10月10日、福岡高等裁判所はこれを棄却し(福岡高等裁判所平成11年(う)第429号)、さらに、事件本人は上告したが、平成18年9月8日、最高裁判所第二小法廷はこれを棄却し(最高裁判所平成13年(あ)第2010号)、平成18年10月8日、上記第1審判決が確定した(以下、同判決を「確定判決」という。なお、事件本人については、平成20年10月28日、その刑が執行された。)。

2 確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨[編集]

 確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨は、次のとおりである。すなわち、事件本人は、平成4年2月20日午前8時30分頃から午前8時50分頃までの間、福岡県飯塚市(以下略)付近路上において、潤野小学校に登校中のA田A子(当時7歳、以下「被害者A田」という)及びB山B子(当時7歳、以下「被害者B山」といい、被害者A田と併せて「被害者両名」という)を認め、被害者両名が未成年者であることを知りながら、自己の運転する普通乗用自動車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト、登録番号「筑豊55つ6112」)に乗車させ、同小学校への通学路外に連れ出して、未成年者である被害者両名を略取又は誘拐し、同日午前8時30分頃から午前9時頃までの間、同市内又はその近郊において、殺意をもって、被害者両名の頸部を手で絞め付け圧迫し、被害者両名をいずれも窒息により死亡させて殺害し、同日午前11時頃、福岡県甘木市(以下略)から国道322号線を嘉穂町方向に約1.4キロメートル進行した地点(通称八丁峠第5カーブ付近)において、その南方山中に、被害者両名の死体を投げ捨てて遺棄した、というものである(なお、確定控訴審判決は、その理由中において、拐取の犯行時刻は午前8時30分過ぎ頃であり、各殺害の犯行時刻はその後午前9時30分前後頃までの間と認定するのが相当である旨判示している。)。

3 確定判決の証拠構造等[編集]

 確定判決の有罪認定の証拠構造及び認定根拠の概要は、次のとおりである。
 すなわち、確定判決は、本件において、事件本人と犯行との結び付きについて、これを証明する直接証拠は存在せず、情況証拠によって証明された個々の情況事実は、そのどれを検討してみても、単独では事件本人を犯人と断定することができないものであるが、情況証拠によって証明された個々の情況事実は、すべて照合して総合評価する必要があり、諸情況を総合すれば、事件本人が犯人であることについて、合理的な疑いを超えて認定することができるとした(確定判決194頁ないし198頁)。
 確定判決は、その根拠として多数の情況事実を列挙し検討しているが、判文全体及び証拠関係に照らすと、主として、以下のような情況事実ないし情況証拠群を有罪認定の根拠としているものと理解することができる。
(1) ①T田T男(以下「T田」という)らの目撃供述によれば、本件犯行に犯人が使用したと疑われる車両は、マツダ製の後輪ダブルタイヤの紺色のワゴンタイプの車両で、リアウインドーにフィルムが貼ってあるなどの特徴を有しており、また、②被害者両名の失踪場所の状況や時間帯並びに同場所と被害者両名の遺体及び遺留品の発見現場との位置関係や遺留品の発見現場で目撃された不審車両の発見時間からして、犯人は被害者両名の失踪場所等についての土地鑑を有する者であると推測されるところ、③事件本人は、上記①の車両と特徴を同じくする車両(以下「事件本人車」という)を所有し、かつ、上記失踪場所等に土地鑑を有すること(他方で、福岡県飯塚警察署管内に居住又は所在し、上記失踪場所等を通行する可能性があって、上記特徴をほぼ満たす車両を使用していた者のうち、事件本人以外の者には、いずれもアリバイが成立すること)
(2) 被害者両名の着衣から発見された、被害者両名が犯人が使用した車両に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片は、事件本人車と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いこと
(3) 事件本人車の後部座席シートから被害者A田と同じ血液型であるO型の血痕と人尿の尿痕が検出されているところ、被害者両名ともに殺害されたときに生じたと認められる失禁と出血があり、事件本人が犯人であるとすれば、上記の血痕及び尿痕の付着を合理的に説明できること(なお、事件本人が事件本人車を入手して自己の管理下に置く以前に、上記の血痕及び尿痕が付着した可能性はないこと)
(4) 警察庁科学警察研究所(以下「科警研」という)が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定によれば、被害者B山の遺体付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在しており、仮に犯人が1人であるとした場合には、その犯人の血液型はB型、MCT118型は16-26型であり、いずれも事件本人の型と一致していること
(5) 事件本人は、本件当時、亀頭包皮炎に罹患しており、外部からの刺激により亀頭から容易に出血する状態にあったから、事件本人が犯人であるとすれば、被害者両名の膣内容等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していたことを合理的に説明できること
(6) 被害者両名が失踪した時間帯及び失踪現場は、事件本人が妻を勤務先に事件本人車で送った後、事件本人方に帰る途中の時間帯及び通路にあたっていた可能性があること、他方で、事件本人にはアリバイが成立しないこと(事件本人に犯行の機会があったこと)

第2 再審請求の趣旨及び理由等[編集]

1[編集]

 本件再審請求の趣旨及び理由は、弁護人作成の再審請求書(平成21年10月28日付け)、再審理由補充書(平成22年11月10日付け)、反論書(同年12月28日付け)、再審理由補充書(平成23年8月2日付け)、意見書(平成24年10月25日付け)、再審理由補充書(同年11月16日付け)、再審理由補充書(同年12月27日付け)、意見書(平成25年1月15日付け)、意見書(同年2月6日付け)、意見書(その2)(同月7日付け)、意見書(同月28日付け)、再審理由総括書面(同年4月15日付け)、反論書(同年6月3日付け)、検察官の意見書9に対する反論書(同年7月10日付け)に、それぞれ記載されたとおりである。
 弁護人は、本件再審請求において、別紙記載の証拠を提出し、これらによれば、確定判決が有罪認定の根拠として挙げる情況証拠のうち、柱となるものの証拠能力ないし信用性が否定され、その余のいかなる情況証拠を総合しても、事件本人を犯人と認めることはできないから、これらの証拠は、事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠に該当するので、速やかに再審を開始すべきである旨主張している。
 弁護人が提出した証拠は多数に上るが、その主要な証拠及び立証命題は、次の3点に集約することができる(平成25年4月15日付け再審理由総括書面4頁以下)。
(1) 筑波大学社会医学系法医学教室本田克也教授(以下「本田教授」という)作成の平成21年10月13日付け「最新の方法によるDNA鑑定結果報告書(久間三千年のDNA型)」(当審弁第1号証、以下「本田第1次鑑定書」という)、平成22年12月20日付け「菊池和史(福岡地方検察庁検察官検事)作成の意見書への反論書」(当審弁第14号証、以下「本田反論書」という)及び平成24年10月15日付け「鑑定書」(当審弁第17号証、以下「本田第2次鑑定書」という)並びに当審における本田教授の証言(以上の鑑定書等及び証言を総称して「本田鑑定書等」という)は、確定判決がその有罪認定の根拠とした、前記第1の3(4)の科警研が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定(確定第1審甲第68号証、同第76号証)の各証拠能力ないし信用性が否定されること、そのため、確定判決が認定した「被害者両名の遺体付近や膣内容及び膣周辺から採取した血痕や血液に混在していた、犯人に由来すると認められる血痕ないし血液の血液型及びDNA型が、犯人が1人である場合には、B型、MCT118型は16-26型であり、事件本人の型と一致している」との事実が認められないことになること、そして、犯人は事件本人とは全く異なる人物であることを立証しようとするものである。
(2) いわゆる足利事件の再審判決(宇都宮地方裁判所平成14年(た)第4号、同裁判所平成22年3月26日判決)並びに最高検察庁作成の「いわゆる足利事件における捜査・公判活動の問題点等について」(当審弁第11号証、以下「最高検報告書」という)、東京歯科大学法歯学講座水口清教授作成の意見書(当審弁第12号証、以下「水口意見書」という)及び京都大学大学院医学研究科法医学講座玉木敬二教授作成の意見書(当審弁第13号証、以下「玉木意見書」という)は、いわゆる足利事件における科警研のDNA型鑑定と、確定判決がその有罪認定の根拠とした前記第1の3(4)の科警研のDNA型鑑定が証拠として同質であること、よって、前記第1の3(4)の科警研のDNA型鑑定の証拠能力が否定されることを立証しようとするものである。
(3) 日本大学文理学部心理学研究室嚴島行雄教授(以下「嚴島教授」という)作成の平成23年7月8日付け「いわゆる飯塚事件におけるT氏供述の正確さに関する第2次鑑定書」[当審弁第15号証、以下「嚴島第2次鑑定書」といい、同鑑定書の基礎資料とされたフィールド実験(再現実験)を「第2次実験」という]、司法警察員巡査部長K1(以下「K1」という)、同K2作成の「殺人事件報告書」(当審弁第23号証、以下「K1報告書」という)、司法警察員警部補K3作成の「遺留品発見現場におけるボンゴ車目撃情報の入手経路、並びにボンゴ車のボディライン、センターキャップに関する捜査報告書」(当審弁第24号証、以下「K3報告書」という)は、確定判決がその有罪認定の根拠とした、前記第1の3(1)①のT田の目撃供述の信用性が否定されることを立証しようとするものである。

2[編集]

 これに対する検察官の主張は、意見書(平成22年8月31日付け)、意見書2(平成24年2月27日付け)、意見書3(同年3月30日付け)、意見書4(同年12月28日付け)、意見書5(平成25年1月21日付け)、意見書6(同年2月8日付け)、意見書7(同月12日付け)、意見書8(同年4月15日付け)、意見書9(同年7月5日付け)に記載されたとおりである。
 検察官は、要旨、弁護人が提出した前記各証拠は、いずれも、事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠に該当しないので、本件再審請求の棄却を求める旨主張し、同主張を裏付ける資料を提出している。

第3 当裁判所の判断[編集]

1 序言[編集]

 当裁判所は、弁護人及び検察官の主張並びに確定審及び当審における証拠を検討した結果、弁護人が提出した証拠を確定記録中の関係証拠と併せて検討しても、事件本人と各犯行との結び付きを認めた確定判決の事実認定は正当なものとしてこれを肯認することができ、再審の理由があるとは認められないとの結論に至ったものである。以下に、その理由を説明する。

2 証拠の新規性について[編集]

 まず、本件再審請求において弁護人が提出した各証拠が、刑事訴訟法435条6号にいう「あらたに」発見された証拠といえるか(証拠の新規性)が問題となる。
 証拠の新規性は、当該証拠が未だ裁判所によって実質的な証拠価値の判断を経ていない証拠であれば、これが認められると解され、鑑定についても、その基礎資料に従前の鑑定と同様のものが用いられたとしても、新たな鑑定人の知見に基づき検討が加えられたときには、新規性を認めてよいと解される。
 そこで検討すると、当審弁第7号証は、確定第1審甲第725号証と同一のものであり、また、当審弁第8号証ないし同第10号証は、確定判決、確定控訴審判決及び確定上告審判決の各写しであって、いずれも再審事由となる新規性のある証拠には当たらないが、これらのものを除くと、本件再審請求において弁護人が提出した証拠は、いずれも新規性は認められるといえる。

3 証拠の明白性について[編集]

 次に、弁護人が提出した証拠のうち、前記のとおり新規性が認められる証拠(以下「新証拠」という)が、刑事訴訟法435条6号にいう有罪の言渡しを受けた者に対して無罪を言い渡すべき「明らかな」証拠といえるか(証拠の明白性)について検討する。
 証拠の明白性については、当審に提出された新証拠と、その立証命題に関連する他の全証拠とを総合的に評価し、新証拠が確定判決における事実認定について合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠であるか否かを判断すべきものであり、その総合的評価をするに当たっては、その判決の当否を審査する過程において確定記録中の全証拠をも検討の対象にすることができると解される。
 そこで、本件再審請求についても、新証拠の証拠価値を検討するに当たっては、確定第1審で取り調べられた証拠のみならず、確定控訴審で取り調べられた証拠も適宜検討対象に加えながら、弁護人が提出した新証拠が事件本人に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠といえるかについて検討することとなる。
 なお、弁護人は、前記第2の1(1)ないし(3)で挙示した証拠以外にも、多数の文献類を新証拠として提出しているが、これらの証拠のうち、前記第2の1(1)ないし(3)で挙示した証拠等を補充するにすぎないものと位置づけられる(前記再審理由総括書面4頁)当審弁第6号証、同第16号証、同第18号証ないし同第22号証、同第25号証及び同第26号証については、前記第2の1(1)ないし(3)で挙示した証拠等と別個に検討を加えることはしない[PM法によるDNA型鑑定に関する証拠(当審弁第2号証ないし同第5号証)については、後記(4)イ(イ)cで検討する。]。
(1) T田の目撃供述について
ア T田の供述要旨と確定審の判断
(ア) T田の供述要旨
 T田は、平成4年当時、福岡県甘木市森林組合に勤務し、甘木市内の山林所有者から委託を受けた作業に関する現場監督等の業務に従事していた者であるが、同年2月20日午前11時頃、甘木市(以下略)の現場から軽四輪貨物自動車を運転して国道322号線を通って八丁峠を下りながら組合事務所に戻る途中、八丁苑キャンプ場事務所の手前[尋問時に提示された実況見分調書(確定第1審甲第502号証)によれば、約200メートル付近]の反対車線の道路上に停車しているのを目撃した車両について、確定第1審において、要旨、次のとおり供述している。
 目撃した車両は、紺色のワンボックスタイプのワゴン車で、後輪は、前輪よりも小さいので、ダブルタイヤだと覚えている。後輪の車軸の部分に黒い輪があった。車両の横から後ろの窓に色の付いたフィルムが貼ってあった。車体の横に黄色や赤色のラインはなかった。サイドモールはあったと思う。型式の古い車だと思った。ダブルタイヤであったから、マツダの車だと思っていた。一目見てマツダのボンゴだと分かった。
(イ) T田供述の信用性についての確定審の判断内容
a 確定判決は、目撃車両の特徴に関するT田の公判供述について、公判で供述するよりも前に捜査機関から事件本人車を見せられたことによって変容した記憶に基づくものであるという可能性があることを踏まえながらも、T田が、目撃後19日目で事件本人車を見せられていない時期である平成4年3月9日の時点で、警察官に対し、公判供述とほぼ同様の供述をしていること(T田の警察官調書、確定第1審甲第724号証)を指摘して、T田の公判供述のうち、上記警察官調書における供述(すなわち、「この車の車両番号はわかりませんが、普通の標準タイプのワゴン車で、メーカーはトヨタやニッサンでないやや古い型の車体の色は紺色、車体にはラインが入ってなかったと思いますし、確か後部タイヤがダブルタイヤであった。更にタイヤのホイルキャップの中に黒いラインがあったと思います。このダブルタイヤとは、後部タイヤが左右2本ずつの計4本ついているタイヤのことです。車の窓ガラスは黒く、車内は見えなかったように思いますので、ガラスにフィルムをはっていたのではないかと思います」)と合致する部分については、T田が当初から一貫して供述しているという点からも十分に信用することができるが、他方で、T田の公判供述のうち、サイドモールがあったとする点及びダブルタイヤだったのでマツダの車だと思っていたとする点は、事件本人車を見せられたことによって記憶が変容した可能性を否定し去ることはできないと判断している(確定判決28頁ないし31頁)。
b なお、確定控訴審判決は、確定判決における目撃車両に関するT田供述の信用性についての判断部分につき、確定控訴審における事実取調べの結果も踏まえつつ、確定判決がT田の公判供述にその認める限度で信用性を認めていることに少なくとも誤りがあるとは考えられず、確定判決は抑制的かつ慎重に判断を示しているものであって、その結論は大筋において是認することができると判示している(確定控訴審判決書8頁ないし11頁)。
 その上で、確定控訴審判決は、T田がマツダのボンゴ車であると供述するのも、当時製造され使用されていた各種ワンボックスカーの色や仕様に関する証拠に照らせば、T田が目撃した車両がマツダのボンゴ車に限られることが認められ、そのことは、車に多少とも関心のある者が調べればすぐ明らかになる程度の事項でもあるから、T田が目撃した車両について他社のワンボックスカーとは異なるマツダのボンゴ車であると供述するのも、その趣旨で理解できると判示している(確定控訴審判決書13頁)。
イ 嚴島第2次鑑定書等の内容の要旨
(ア) 嚴島第2次鑑定書の内容の要旨
 嚴島第2次鑑定書は、嚴島教授による「いわゆる飯塚事件におけるT氏の目撃供述の信用性に関する心理学鑑定書」[確定控訴審弁第70号証、以下「嚴島第1次鑑定書」といい、同鑑定書の基礎資料とされたフィールド実験(再現実験)を「第1次実験」という]について確定控訴審判決で指摘された問題点、すなわち、①嚴島第1次鑑定は、厳冬期と異なり、車の往来の激しい4月の桜開花期に行われており、停車車両に不審を抱かせるような厳冬期の目撃状況とは、そもそも全く条件が異なること、②目撃された車両が、後輪がダブルタイヤであり、前輪と後輪の大きさが異なるとされているにもかかわらず、通常の車両の後輪にもう1個同じ大きさの車輪を重ね合わせたに過ぎなかったため、タイヤの違いに気付くことが困難な状態で実験をしていること、③特に、実験時には、対向してきてすれ違う通行車両が、平均して約30秒に1台の割合で存在していたことが認められる以上、対向車との安全に注意を向けることが必要になり、途中で停車している車両についての注意、関心が弱まるばかりか、他の車両についての類似の記憶が入り込むことになって、道路脇にたまたま停止している車両の細部についての記憶を保持しにくくなることを考慮して、条件変更を行った上で、T田の目撃状況の再現実験を行ったものである。
 その実験結果について、嚴島第2次鑑定書は、被験者について、目撃した車両及び人物のいずれについても、T田のような詳細な記憶は喚起されなかったことに加え、被験者のうち15名には、T田より記憶遂行が優れるように「対象車両やその前後に注目する」旨の教示を与えたが、そのような被験者ですら、T田のような詳細な車の説明ができなかったとしている。そして、同鑑定書は、T田の記憶は、同人の直接体験したことの記憶を超えて、他に情報源があるとしか考えようがなく、捜査側の意図されていない情報提供や、T田が目撃現場以外の場所で得た情報などが誤って目撃の記憶となったと推察されるとし、T田の目撃供述は誤った記憶であると断言せざるを得ない旨を結論としている(同鑑定書4頁)。
(イ) K1報告書及びK3報告書の各内容の要旨
 K1報告書は、K1らが、平成4年3月2日、福岡県甘木市森林組合に対して聞き込みを実施したところ、同組合職員のT田が、同年2月20日の午前9時から9時30分の間に、職務のため八丁峠を通行し、午前11時30分頃、頂上付近のカーブにて駐車していた紺色ワゴン車1台を目撃したとのことであった、ということなどを内容とするものである。
 K3報告書は、T田の目撃情報の入手状況並びに同人が供述した車両のタイヤのホイルキャップ及びボディラインに関して、事件本人車について捜査した結果等を記載したものである。同報告書には、事件本人車に関する捜査結果として、T田の平成4年3月9日付け警察官調書(確定第1審甲第724号証)を作成したK1が、同月7日に事件本人車を現認し、同車両にはボディラインはなかったことが記載されている。
ウ 検討
(ア) 嚴島第2次鑑定書について
a まず、嚴島第2次鑑定書についてみるに、たしかに、第2次実験は、第1次実験について確定控訴審から指摘された諸々の問題点を是正し、T田が不審車両を目撃した条件にできるだけ近付ける形で再現実験を実施しており、このような措置は、再現実験に基づく鑑定意見の証拠価値を高めるものとはいえる。
 しかし、第2次実験の条件においても、以下に述べるように、いまだ重要な点で、T田が実際に不審車両を目撃した条件とは異なっており、第2次実験の結果をもってT田供述の正確性に疑問が生じるということはできない。
 すなわち、T田は、不審車両を目撃した当時、その従事する仕事の関係で、八丁峠に向かう国道322号線を運転することがあり(確定控訴審第2回公判におけるT田供述203項)、実際、平成4年2月には、20日以外に12日にも目撃現場付近を通行したことがあったものである(確定第1審第18回公判におけるT田供述277項)。また、T田が不審車両を目撃した際に運転していた車両は、T田の勤務先が保有する車両であり(確定第1審第18回公判におけるT田供述27項ないし30項)、T田にとって乗り慣れていると考えられるものであった。これらの事情は、T田が不審車両を目撃した現場付近の道路において安全に車両を運転するために用いる注意力の程度が、この道路を初めて運転する者よりも低いもので足り、反面で、T田が、運転とはかかわりのない周囲の状況に、より注意を向けることが可能であることを示す事情といえる。また、T田が目撃現場付近の道路を運転することがあったとの事実は、道路やその付近の状況が普段と異なるときに、普段とは異なるものとして注意を向け易いということにも結び付くものである。そして、T田は、不審車両を目撃した翌日の夕方に、ラジオのニュースによって、小学校1年生の女子が殺害され、その遺体が野鳥の山中に遺棄されていたことや、その遺体発見現場は、T田が前日に付近を通行して不審車両等を目撃した場所であることを聞き知り、目撃した車両等について同僚と会話をしているが[確定第1審第18回公判におけるT田供述215項ないし250項、同公判におけるG1(以下「G1」という)供述10項ないし78項、93項ないし123項、142項ないし173項、178項ないし179項]、このような会話等により、T田は、その目撃した車両等が女児殺害事件と関係する可能性があるものと強く印象付けられ、不審車両を目撃した記憶を喚起、定着させたと考えられる。さらに、T田は、ダブルタイヤ仕様の車両が存在することやその車両の特徴について、不審車両を目撃する以前から知識を有していた(確定第1審第18回公判におけるT田供述303項、357項ないし358項、570項ないし571項、574項ないし575項)。人の記憶の程度は、各々の属性やその時々の諸条件によって異なるところ、上記のような重要な点で、第2次実験の被験者は、知覚し記憶する条件がT田よりも不利なものとなっていると考えられる。
 これに対し、嚴島第2次鑑定書は、目撃者をT田に似せることはできないので、能力も性格も異なる多くの被験者を用意して、その記憶の成績の分布によりT田供述の確からしさを検証するとの方法を用いたとするが(同鑑定書58頁ないし59頁)、上記のような重要な条件の相違をかかる方法によって補うことができるかは疑問である。
 また、嚴島第2次鑑定書は、T田は目撃現場付近の道路を通行することがあったが、被験者はこの道路を通行した経験を有しないことに関して、「被験者はT氏の経験する干渉効果からは免れることになる。よって、本実験結果は実際の日常での経験によって得られる結果よりも優れることが予想される」(同鑑定書62頁)と説くが、十分に納得できる合理的根拠が提示されているとはいえない。
 そうすると、嚴島教授が、第2次実験の被験者が走行する距離をT田が不審車両を目撃した際に走行した距離よりも短いものとしたこと、被験者が運転する車両を操作の簡単なオートマティック車としたこと、被験者の半数の者に対し、「走行途中に、対向車線に車が必ず駐車していますので、その車とその前後を注意深く見てください」旨の教示を行うなど、被験者らが駐車車両を知覚し記憶し易くなると考えられる方向での措置を講じていることを十分考慮しても、第2次実験の実験条件は、重要な点においてなおT田の目撃条件と異なっており、T田と同等以上に知覚、記憶を促進するようなものになっていたとは認め難い。したがって、そのような第2次実験の実験条件のもとで被験者らがT田と同様の記憶を保有することができなかったとしても、このことから、T田がその目撃条件からしてあり得ない詳細な供述をしているとみることはできない。
b また、嚴島第2次鑑定書では、T田供述について、心理学の知見を踏まえた分析がなされているところ、その中で、嚴島教授は、T田の目撃供述は、記憶の符号化段階、貯蔵段階、検索段階のそれぞれに、記憶を形成するのに障害となる要因が多く関与していたにもかかわらず、その供述内容は、現実にはあり得ないような際立った詳細さを有したものであり、このことは、T田の記憶の起源がT田の体験以外からもたらされていることを示している旨の指摘をしている(同鑑定書120頁ないし141頁)。
 ところで、確定控訴審判決は、目撃車両に関するT田供述の信用性を肯定する事情として、T田は、森林組合に勤務し、目撃現場付近を季節を問わず仕事で通行していて、詳細な知識、経験を有している者であり、本件犯行時の冬期に、目撃現場付近の八丁峠に向かう国道を通行する車両は珍しい上、目撃車両が通行の安全に支障となるようなカーブ付近に停車していたため、不審の念を抱き、強い関心と注意をもって同車の状態を目撃したこと、T田は、日頃から、雑誌等を通じて自動車の仕様等について関心を抱き、大まかな知識を得ていたため、車種や形状、仕様などについても、ある程度詳細に知覚し、これを記憶にとどめることができたこと、停車車両のそばに立っていた者の行動に不審の念を更に強めていることから、その状況を記憶にとどめやすい状況が生じていること、翌日の夕方に、遺体発見をラジオ報道で知り、同僚のG1らにその際の様子を話したり、その翌日にも再び話題にしたりしたことにより、当時の状況を思い返し、記憶を新たにしていること、累次の供述にもかかわらず、その内容は当初から基本的に変わらないこと、T田が目撃した車両の車種や形状、色、紺色のダブルタイヤのワンボックスカーという基本的な要素については、T田の車に対する日頃からのある程度の関心や知識経験からして間違えようのないところと考えられることなどの指摘をしている(確定控訴審判決書10頁ないし11頁)。
 この点に関し、嚴島第2次鑑定書では、確定控訴審判決が指摘している上記各事項のうち、T田が仕事で大休の現場に行く機会が多く、たびたび目撃現場付近を通行していたことに関しては、類似する出来事を経験することによる忘却の可能性を指摘しているが(同鑑定書122頁ないし123頁)、その余の事情については、それらがT田の知覚や記憶に及ぼした影響の有無、程度について、心理学の知見を踏まえた十分な検討がなされていない。また、嚴島教授は、上記の忘却の可能性に関し、T田には、類似する出来事を経験することにより、目撃時に経験した出来事の忘却が起こりやすかったと強く推察されるのに対し、第2次実験の被験者らは、現場を何回も訪れるという類似した出来事を経験していないにもかかわらず、同人らからT田のような詳細な報告が得られなかったということは、T田には、目撃時に経験した出来事以外の情報がもたらされたと考えるほかない旨指摘するが(同鑑定書123頁)、後記のようなT田の供述経過に照らすと、そのような忘却が起きたとは考え難いし、上記被験者らが干渉による忘却以外の原因によってT田より詳細な記憶を喚起できなかったということも十分に考えられるのであるから、嚴島教授の上記指摘は採り得ないものといわざるを得ない。
 そうすると、嚴島第2次鑑定書における心理学の知見を踏まえたT田供述の検討は、確定控訴審が指摘しているT田供述の信用性を肯定する事情について十分な検討がなされているものとも認め難い。
 さらに、嚴島教授は、T田供述は捜査機関の誘導によって形成された可能性がある旨を示唆している(嚴島第2次鑑定書147頁ないし149頁)。
 この点について、T田は、不審車両を目撃した場所について、「警察官と一緒に現場に赴いた際、不審車両が止まっていた地点は最初から大体分かっており、そのことは警察官にも多分言っているが、何日か経っているから、確認のために3回くらい往復して、最終的にそこだということを話した」旨の供述をし(確定第1審第18回公判におけるT田供述288項ないし289項、424項ないし427項)、また、T田に同行したK1も、「最初、この位置と案内してもらったが、同じような場所があるので、もう一度確認したいということで、その場所を3往復した。そして、最初の場所にやはり間違いないということで、場所を確認した」旨の供述をしている(確定第1審第16回公判におけるK1供述62項)。このように、T田に同行して現場に赴いていたK1の態度は、被害者両名の遺留品発見現場であることが警察官らに既に判明していた場所とT田が不審車両を目撃したと説明した場所とが符合することが判明した後でも、なおT田に現場付近の往復を繰り返させて、その場所を確認させるというものであった。
 以上のようなT田が不審車両を目撃した現場に警察官を案内した際の状況に加えて、T田の供述内容が、その目撃した人物について、年齢等の点で事件本人と一致するものではないこと(確定第1審第18回公判におけるT田供述429項ないし431項)、また、事件本人を面通しされた際に、目撃した者が事件本人であるかについて、同一性を識別できない旨供述していること(確定控訴審検第12号証)を踏まえると、T田に、警察官に迎合的な傾向があるとはいえず、T田の目撃供述のうち、少なくとも、確定判決が信用性を肯定している、紺色、ダブルタイヤのワンボックス車を目撃したという点については、警察官による誘導によって供述したとは考えられない。
 その他、嚴島第2次鑑定書が、T田供述の正確さについて疑問を抱かせる理由として種々指摘するところを検討しても、T田供述の信用性は揺るがない。
c 以上のとおりであって、嚴島第2次鑑定は、心理学の知見からの1つの見解としては傾聴に値するものがあるとはいい得ても、本件再審請求における証拠価値としては相当に限定的なものであって、嚴島第2次鑑定書において、嚴島教授が第2次実験の結果や心理学の知見を踏まえて述べている諸見解によって、目撃車両についてのT田供述の信用性が否定されるということはできず、したがって、同鑑定書に明白性は認められない。
(イ) K3報告書及びK1報告書について
 次に、K3報告書及びK1報告書についてみるに、弁護人は、これらの報告書に依拠して、平成4年3月2日の時点では、目撃車両の特徴を紺色ワゴン車としか述べていなかったT田が、同月9日付け警察官調書(確定第1審甲724号証)において、「トヨタやニッサンでない」、「車体にラインは入っていなかったと思う」、「フィルムを貼っていたのではないかと思う」等と供述するに至った理由は、同月7日に事件本人車を見分して車種や特徴を把握したK1がT田の供述を誘導したことにあることが明らかとなっており、これらの報告書により、嚴島第2次鑑定書における、T田供述は事後情報効果によりもたらされたものであるとする指摘が裏付けられていると主張する。
 たしかに、K1報告書には、同月2日の聞き込みの際に、T田が紺色ワゴン車を目撃した旨の記載が存在し、また、K3報告書には、同月7日にK1らが事件本人車を現認し、同車にボディラインはなかった旨の記載が存在するのであり、警察官が車両を確認する際、ボディラインの有無のみを確認し、車種等を確認しないことは考え難いから、T田の同月9日付け警察官調書(確定第1審甲第724号証)を作成したK1が、それに先立つ同月7日の時点で事件本人車の車種や特徴を把握していた可能性は相当高い。
 しかしながら、K3報告書には、T田が、同月4日の午前に、「車両は、普通車の紺色ワゴン車、後輪がダブルタイヤ、やや古い」旨述べたこと、同日の午後に、「駐車車両は、紺色、ボンゴ車、後輪ダブルタイヤ、車内は見えなかったように思うので、ガラスに何か貼っていたと思う」旨述べたことがそれぞれ記載されており、そうであれば、T田は、K1が事件本人車を目撃する以前であり、K1からの誘導を受ける可能性のない時期から、その目撃した車両の特徴について、紺色、後輪ダブルタイヤで、ガラスに何かを貼付していたことを述べていたと認められる。また、T田は、不審車両を目撃した翌日(平成4年2月21日)及び翌々日(同月22日)に、そのことを同僚のG1らと話題にした際、G1に対し、目撃した車両の特徴について、紺色のダブルタイヤのワゴン車である旨述べているが(確定第1審第18回公判におけるG1供述35項、48項ないし51項、70項ないし71項、94項、102項、104項ないし106項)、T田とG1がそのような会話をする以前に、T田がK1その他の警察官によって何らかの誘導を受けた可能性は全く存在しない。
 そうすると、K1報告書及びK3報告書によって、K1がT田に対して供述を誘導したことが明らかになったということはできず、したがって、これらの報告書にも明白性は認められない。
(ウ) 小括
 以上の理由から、嚴島第2次鑑定書、K3報告書及びK1報告書には、いずれも、明白性は認められない。
(2) 科警研が実施した鑑定について  (以下、本件で実施されている血液型鑑定はABO式のみであることからその旨の記載を省略し、また、MCT118型の型を記載する際には、単に「16-26型」などと記載することがある)
 科警研の鑑定結果と確定判決の判断
(ア) 科警研は、被害者両名の遺体やその付近から採取した血痕及び血液について、血液型鑑定及びDNA型鑑定[確定第1審甲第68号証、酒井活子技官(以下「酒井技官」という)及び笠井賢太郎技官(以下「笠井技官」という)担当、以下「酒井・笠井鑑定」という]を実施し、また、事件本人の毛髪についても、血液型鑑定及びDNA型鑑定(確定第1審甲第76号証、酒井技官、笠井技官及び佐藤元技官担当、以下「酒井・笠井・佐藤鑑定」といい、前記「酒井・笠井鑑定」と併せて「酒井・笠井鑑定等」という)を実施した。
(イ) 酒井・笠井鑑定の鑑定資料は、(1)木の枝に付着の血痕ようのもの(以下「資料(1)」といい、また、資料(1)のうちPBS抽出遠心沈渣を「資料(1)①」、枝に残存していたものを「資料(1)②」という)、(2)被害者A田の膣内容物(以下「資料(2)」という)、(3)被害者A田の膣周辺付着物(以下「資料(3)」という)、(4)被害者B山の膣内容物(以下「資料(4)」という)、(5)被害者B山の膣周辺付着物(以下「資料(5)」という)、(6)被害者A田の心臓血(以下「資料(6)」という)及び(7)被害者B山の心臓血(以下「資料(7)」という)である。
 確定判決が、その証拠能力を肯定した酒井・笠井鑑定の内容を踏まえて、上記資料(1)ないし資料(7)について示した判断は、以下のとおりである。
a 資料(1)ないし資料(5)の血痕由来部分について解離試験法により血液型検査をしたところ、資料(1)、資料(4)及び資料(5)はB型とA型の混合あるいはB型とAB型の混合、資料(2)及び資料(3)はO型とB型の混合にA型がわずかに混合したものと考えられ、また、資料(6)はO型、資料(7)はA型であった(確定判決120頁ないし122頁)。
b 資料(1)①及び資料(5)は16型及び18型の濃いバンドと25型及び26型の薄いバンドが、資料(1)②及び資料(4)は18型の濃いバンドと16型、25型及び26型の薄いバンドが、資料(2)は23型及び27型の濃いバンドと16型の薄いバンドが、資料(3)は16型の濃いバンドと23型、26型及び27型の薄いバンドが観察された。これらは、いずれも3種類以上のバンドが検出されたので、いずれも2種類以上のDNAが混合しているものと考えられた。資料(6)は23-27型、資料(7)は18-25型であった(確定判決122頁ないし123頁)。
c 被害者B山の遺体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、被害者両名に由来しない血痕ないし血液が混在していたと認められるが、これは犯人のものであるとしか考えられない。被害者B山に由来する資料(4)及び資料(5)の血液部分は抗B抗体に強い反応、抗A抗体に弱い反応を示したこと、被害者B山は陰部から出血しており、この血液の中には被害者B山由来のA型の血液が当然含まれていると考えられること、前記bのMCT118型検査によると、被害者B山の膣内容物及び膣周辺物のいずれからも4本のバンドが検出され、そのうち2本のバンドは被害者B山のものと一致していることからすると、出血した犯人が1人だけで、資料には被害者B山と犯人の2人分の血液が混合していると仮定した場合には、この血液は被害者B山由来のA型の血液と犯人由来のB型の血液の混合したものであると認めるのが相当である(確定判決137頁ないし139頁)。
d 被害者A田に由来する資料(2)及び資料(3)の血液部分は抗B抗体及び抗H抗体に強い反応、抗A抗体に弱い反応を示したことが認められ、被害者A田も陰部から出血しており、この血液の中には被害者A田由来のO型の血液が当然含まれていると考えられることからすると、被害者A田に由来しない血液は、抗B抗体と抗A抗体の反応の違いからみて、B型の血液とA型ないしAB型の血液の混合したものであると考えられる。ここでも被害者両名に由来しないB型の血液の存在が認められ、これは犯人由来のものとしか考えられない(確定判決140頁)。
e 被害者B山に由来する資料(4)及び資料(5)並びに被害者B山の腹部付近の木の枝に付着の資料(1)からは、いずれも16型、18型、25型及び26型のバンドが検出されたこと、被害者B山は18-25型であることが認められるところ、これらの資料には、いずれも被害者B山由来の血液と犯人由来の血液が存在するのであるから、検出された4本のバンドのうち、被害者B山に由来しない16型及び26型は犯人由来のものとしか考えられない。また、被害者A田に由来する資料(3)からは、16型、23型、26型及び27型のバンドが検出されたこと、被害者A田は23-27型であることが認められるところ、この資料には被害者両名及び犯人の血液が存在するのであるから、被害者両名に由来しない16型及び26型は犯人由来のものとしか考えられない。さらに、被害者A田に由来する資料(2)からは、16型、23型及び27型のバンドが検出されたことが認められるところ、この資料には被害者両名及び犯人の血液が存在するのであるから、検出された3本のバンドのうち、被害者両名に由来しない16型は犯人由来のものとしか考えられない。これらのことからすると、出血した犯人が1人しかいないのであれば、その犯人の型は16-26型であると認められる(確定判決147頁ないし148頁)。
(ウ) 確定判決がその証拠能力を肯定した酒井・笠井・佐藤鑑定の内容は、鑑定資料(事件本人の毛髪)の血液型はB型であり、MCT118型は16-26型であるというものである(確定判決125頁ないし127頁)。
 血液型鑑定について
(ア) 本田鑑定書等の内容
 弁護人が新証拠として提出した本田鑑定書等は、酒井・笠井鑑定の血液型鑑定について、種々の指摘をしてその信用性に疑問を呈しているが、その主な内容は、次のとおりである。
a 血液凝集反応はあくまで定性試験であって定量試験ではないから、酒井・笠井鑑定が血液凝集反応の強弱を血液型判定に持ち込んだことは完全に誤っている。
b 酒井・笠井鑑定には、血液型判定の判断の根拠となる写真が添付されておらず、検査結果に客観性が保証されていない。
c 資料(2)及び資料(3)には被害者B山のMCT118型のいずれのバンドも増幅されていないから、被害者B山の血液が資料(2)及び資料(3)に混合していた可能性は完全に否定される。また、資料(1)ないし(5)が混合資料であるとしても、資料(2)ないし資料(5)に共通している第三者の型はAB型しかない。したがって、すべての血液型検査の結果を矛盾なく説明できる犯人の血液型は、犯人が1人であるとすれば、AB型である(ただし、本田教授は、当審における証人尋問においては、後記eのように、資料(2)ないし(5)についての検査結果は採用できないとした上で、資料(1)からは、犯人の血液型はAB型だと思うと述べている。)。
d 被害者両名と犯人との血液の混合比については、複数の資料で血液型検査とDNA型検査の結果に大きな矛盾がある。すなわち、資料(1)について、抗B抗体に強い反応を示していたことが正しいとすると、被害者B山にないB抗原を有する血液が被害者B山の血液を凌駕するレベルで多量に混合していたことになるが、MCT118型に関しては、被害者B山の型以上に被害者両名以外の型が濃いバンドとして増幅されているという結果は得られておらず、また、資料(3)についても、同様に、血液型検査とDNA型検査の間に明らかな矛盾がある。
 なお、血液型検査に比べて、DNA型検査の方が資料を多く必要とするとか、検査の鋭敏さにおいて劣るなどということはあり得ず、むしろ、後者の方が資料は微量で済み、かつ鋭敏である。したがって、血液型が検出された混合資料についてDNA型が検出されないことはあり得ない。
e 資料(2)ないし資料(5)については、木綿糸ではなく、非特異的に抗体を吸収してしまう脱脂綿が使用されているが、コントロールが置かれていないから、資料(2)ないし資料(5)についての血液型検査の結果は信頼できない。
(イ) 検討
 そこで、本田教授が本田鑑定書等で指摘する上記事項について、以下、検討する。
a 前記(ア)aの点、すなわち、血液凝集反応の強弱を考慮することには誤りがあるとする点については、本田教授の上記指摘は、酒井・笠井鑑定の基礎資料を再鑑定した結果に基づくものでないことはもとより、血液凝集反応の強弱を考慮する手法の問題点を明らかにした実験結果等に依拠するものでもなく、血液型鑑定の一般的な性質のみに基づいて酒井・笠井鑑定を論難するに過ぎないものである。
 酒井技官は、科警研において、長年、血液型判別に関する研究及び実務に携わっている者であるところ、酒井技官によれば、酒井技官は、体液と血液の混合資料から、通常の検査法を用いて、血液及び体液の混合した血液型を検出し、さらに、クロロホルム・メタノール抽出法を用いて、体液と血液の混合資料から、赤血球の血液型物質の主成分である糖脂質を抽出して血液型を検出し、両者の比較を行い、反応の有無・強弱を5段階に分けて、それぞれ凝集反応を確認し、通常の生来的なAB型の凝集反応の現れ方との違いの観点から検討したというのであって(確定第1審第5回公判における酒井技官供述71項ないし101項)、現実に観察された血液凝集反応に、豊富な自らの経験を当てはめて判断したものといえるから、その判断結果は合理性を有するといえる[なお、被害者両名の血液型等を検査した福岡県警察科学捜査研究所(以下「科捜研」という)の林葉康彦技術吏員(以下「林葉技術吏員」という)も、「木の枝付着の人血につき、A型とB型で強弱があったことをはっきり覚えている。A型の凝集反応の強さを1とすると、B型の凝集反応は3くらいの凝集だった」旨供述している(確定第1審第8回公判における林葉技術吏員供述309項ないし312項、353項ないし366項)。]。
 また、資料(1)ないし(5)のいずれにも、抗A抗体と抗B抗体への凝集反応に差が認められたというのであるから、検査ごとの偶然の偏りとは考え難い。
 解離試験法は、血痕資料に抗A、抗Bなどの抗体を加えて血痕に吸着させ、吸着していない抗体を洗い流した後、血痕に付着させた抗体を解離させて、そこに型の分かっている赤血球を加えて型判定をするものであるから(確定第1審第5回公判における酒井技官供述72項)、血痕資料に含まれている元の抗原の量によって、凝集反応の強さに差異が生じることは不合理でなく、酒井技官が長年の血液型判別に関する研究及び実務に基づいて凝集反応の強弱から行った判断に誤りがあるとして採用しないとするのは相当でない。
b 前記(ア)bの点、すなわち、血液凝集反応についての写真が添付されていないことを問題とする点については、たしかに、酒井・笠井鑑定等の鑑定書には血液凝集反応を撮影した写真が添付されていないことが認められ、爾後の検証の観点からすれば、写真が添付されていることが望ましいことは本田教授が指摘するとおりであるが、鑑定の信用性は、鑑定書の体裁のみならず、鑑定した者の供述等を含めて総合的に判断するべきものであるから、写真が添付されていないことの一事をもって、酒井・笠井鑑定の信用性を否定することは相当でない。
c 前記(ア)cの点は、要するに、酒井・笠井鑑定の血液型鑑定及びこれに基づき犯人の血液型はB型であるとした確定判決の認定は誤っており、犯人の血液型はAB型であるとの趣旨の指摘であると解される。
 そこで、まず、資料(2)及び資料(3)から被害者B山のMCT118型が検出されておらず、これらの資料に含まれるA型物質が被害者B山由来のものとはいえないから、これらの資料に含まれる犯人の血液型について、犯人が1人であるとすれば、B型であると認めることはできず、AB型と考えられるとする点について検討する。
 この点について、酒井・笠井鑑定は、資料(2)及び資料(3)(被害者A田の膣内容物及び膣周辺物)について、血液凝集反応の強弱を考慮して、O型(被害者A田に由来する)とB型の混合に微量のA型又はAB型が混合しているものと鑑定し、確定判決は、これを踏まえて、これらの資料に含まれるB型は犯人由来のものとみるほかないと認定しているのであって、A型物質が被害者B山由来のものであることは、犯人の血液型をB型と特定する理由とはされていない。
 また、ABO式血液型鑑定の可否は血液に含まれている血液型物質の量で決まり、MCT118型鑑定の可否はそれに含まれているMCT118部位のDNAの量で決まるといえるが、確定第1審における酒井技官及び笠井技官の各供述によれば、ABO式血液型鑑定では赤血球を使用し、他方で、MCT118型鑑定では白血球を使用しており、両鑑定では血液中の全く異なる部位を使用しているものと認められ(確定第1審第9回公判における酒井技官供述58項、確定第1審第35回公判における笠井技官供述92項ないし96項、123項)、そうすると、ABO式血液型鑑定が可能となる程度の赤血球を含む血液は存在するが、MCT118型鑑定が可能となる程度の白血球は存在しなかった場合には、資料(2)及び資料(3)には、被害者B山由来のA型の血液型物質が混合しているとの鑑定結果が得られたが、被害者B山由来のMCT118型は検出されないという事態もあり得るところ、資料(2)及び資料(3)が採取された状況等に照らせば、実際にそのような事態が生じることも十分に考えられるから、資料(2)及び資料(3)から被害者B山のMCT118型が検出されていないからといって、資料(2)及び資料(3)に被害者B山の血液が混合していないなどということはできない。むしろ、資料(3)については、帝京大学医学部法医学教室石山昱夫教授によってミトコンドリアDNA型鑑定が実施され、被害者B山由来のものと考えて矛盾しないDNA型が検出されていること(確定第1審甲第625号証)も併せ考えると、本田教授の上記指摘は当たらないというべきである。
 次に、資料(2)ないし資料(5)に共通している第三者の型はAB型しかなく、犯人が1人であるとすれば、その血液型はAB型であるとする点についてみると、この指摘は、酒井・笠井鑑定の血液型検査の結果をもとに抽象的な推論をしたに過ぎないものであるから、酒井・笠井鑑定の信用性を低下させるということはできない。なお、本田教授は、当審における証人尋問において、資料(1)によれば犯人の血液型はAB型であるとも証言しているが(第2回36項)、その根拠は、通常は、血液型判定は単独資料を前提にして行うものであり、資料(1)については混合資料であるという前提もないので、AB型と読むのが一番合理的であるというに過ぎないものであって(第2回514項)、当該資料の採取状況などの客観的な事実を考慮に入れていない点で、説得的なものとはいい難く(資料(1)のMCT118型鑑定において4本のDNAバンドが検出されていることからすれば、資料(1)は混合資料であると認められる。)、上記証言も採用できない。
d 前記(ア)dの点、すなわち、被害者両名と犯人との血液の混合比について、複数の資料で血液型検査とDNA型検査の結果に矛盾があるとする点については、前記cで述べたとおり、ABO式血液型鑑定とMCT118型鑑定とでは、血液中の別個の部位を使用することなどに照らせば、血液型鑑定における血液凝集反応の強弱と、MCT118型鑑定におけるバンドの濃さが完全に一致していなかったからといって、酒井・笠井鑑定の信用性が損なわれるということはできない。
e 前記(ア)eの点、すなわち、資料(2)ないし資料(5)には脱脂綿が使用されていることなどから、資料(2)ないし資料(5)についての血液型鑑定は信頼できないとする点については、本田教授自身、当審における証人尋問の1回目の期日以前には言及しておらず、証人尋問の2回目の期日に至って初めて指摘した事項である上、脱脂綿の使用により問題が生じる可能性を抽象的に指摘するのみで、酒井・笠井鑑定の信頼性を疑わせる論拠となるような実験結果や文献資料等は何ら提出されていないのであって、本鑑定を担当した酒井技官が、科警研において、長年、血液型判別に関する研究及び実務に携わっている者であることに照らしても、本田教授のかかる指摘を直ちに採用することはできない。
f 以上のとおりであって、酒井・笠井鑑定の血液型鑑定に関する本田鑑定書等における指摘は、いずれも採用することができない。
ウ MCT118型鑑定について
(ア) 本田鑑定書等の内容
 弁護人が新証拠として提出した本田鑑定書等は、酒井・笠井鑑定等で実施されたMCT118型鑑定について、種々の指摘をして、その信用性に疑問を呈しているが、その主な内容は、以下のとおりである。
a 本田第1次鑑定書の内容
 本田第1次鑑定書は、事件本人の遺留物件に付着した細胞等を資料として事件本人のDNA型(MCT118型等)を判定すること、並びに、酒井・笠井鑑定等の鑑定結果及びその解釈に対する意見を述べることを鑑定事項とするものであり、その主な内容は、次のとおりである。
 事件本人の遺留物件に付着した細胞等についてDNA型検査をしたところ、事件本人のMCT118型は18-30型であると判定される。したがって、事件本人のMCT118型を16-26型とした酒井・笠井・佐藤鑑定の鑑定内容は、型判定において誤りがあるのが明白である。
 酒井・笠井鑑定等は、資料(1)ないし資料(5)から検出された被害者両名以外の型と事件本人の型が同一であると判定しているが、資料(1)ないし資料(5)と事件本人由来の資料が同時泳動された写真がないから、客観的正当性がなく、証拠価値に疑問がある。
 また、酒井・笠井鑑定添付の電気泳動写真と酒井・笠井・佐藤鑑定添付の電気泳動写真を比較検討したところでは、泳動位置に違いがあり、資料(1)ないし資料(5)から検出された被害者両名以外の型が16-26型であるとすれば、事件本人の型は16-27型と判定され、明確に異なった型と判定される。
 酒井・笠井鑑定の結果からは、被害者両名以外の混合が1人なのか、2人なのか、3人なのか、あるいはそれ以上なのかによって、被害者両名以外の型として解釈できる型は幾通りにも存在するから、犯人の型が16-26型であると解釈することができたとしても、決して確定することはできない。
 ポリアクリルアミドゲル電気泳動法では、DNAは必ずしも分子量に従った流れ方をしないので、ポリアクリルアミドゲルで123塩基ラダーマーカーを使ってMCT118型を判定すると型判定を誤ってしまう。
 いわゆる足利事件において、科警研により、被告人とされていた菅家利和氏(以下「菅家氏」という)のMCT118型についても、酒井・笠井鑑定等と同じポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーで型判定がされているが、本田教授が菅家氏のMCT118型を再鑑定したところ、18-29型であることが判明した。
 そして、酒井・笠井鑑定の資料(1)等から検出された犯人と推定される型と、菅家氏の型はいずれも16-26型と判定されており、鑑定書添付の電気泳動写真上も両者のバンド位置はほぼ一致しているから、犯人の型も18-29型であるということになる。前記のとおり、事件本人の型は18-30型であることが判明したから、事件本人が犯人である可能性は否定される。
 なお、123塩基ラダーマーカーによる鑑定法では、本来の18-29型、18-30型、18-31型が16-26型と判定されるという反論がされるかもしれないが、このような方法は信頼性があるとは到底いえない。
b 本田第2次鑑定書の内容
 本田第2次鑑定書は、酒井・笠井鑑定等に添付された電気泳動写真のネガフィルムを可視光及び近赤外光で撮影したデジタル画像データについて精査した上、そこから読み取れる事実を明らかにすることを鑑定事項とするものであり、鑑定結果の主たる内容は、次のとおりである。
 酒井・笠井鑑定の鑑定書添付写真13のネガフィルム(確定第1審甲第593号証、以下「酒井・笠井鑑定のネガフィルム」という)のデジタル画像データ(本田第2次鑑定書添付写真3及び4)では、被害者両名の心臓血(資料(6)、資料(7))を含むすべての資料において、16型のバンドが検出されているから、16型のバンドは非特異増幅バンドないし外来汚染によるもので、犯人の型とは無関係のバンドであるといえる。
 前記デジタル画像データの資料(1)、資料(4)及び資料(5)には、41型、46型と見られるバンド(以下「X-Yバンド」という)が存在するところ、このX-Yバンドは被害者両名のみの血液資料からは検出されていないことから、犯人はこのX-Yバンドの型を有する人物の可能性が高い。なお、この画像だけからはX-Yバンドがエキストラバンドであるとする根拠がない。
 前記デジタル画像データの分析結果によれば、26型とされたものは、資料(1)ないし資料(5)のうち3つで辛うじて認められるが、これらですら、濃度が非常に薄いのみならず、被害者両名のバンドと明瞭にピークの分離がされておらず、意味のあるバンドであるか否かの認定が困難で、ゲルの固まりムラによる泳動中の増幅産物の解離によるアーチファクトバンドの可能性を否定できない。
(イ) 検討
 そこで、本田教授が本田鑑定書等で指摘する上記事項について、以下、検討する。
a 本田第1次鑑定書について
 前記(ア)a①の鑑定結果自体については、特に信頼性を疑わせるような事情はない(検察官も特に信頼性を争っていない。)。その意義については、後記④において更に検討を加えることとする。
 前記(ア)a②では、酒井・笠井鑑定と酒井・笠井・佐藤鑑定の各電気泳動が別々の機会に実施されたものであることが問題にされているが、123塩基ラダーマーカーとポリアクリルアミドゲル電気泳動法の組合せでMCT118型を判定する方法は、再現性が高く、検査者及び検査時の違いにより型判定が異なることはないものとされているから[確定第1審第5回公判における酒井技官供述212項ないし213項、笠井技官ら「MCT118座位PCR増幅産物のゲル電気泳動による分離とDNAマーカーによる型判定に関する技術的検討-123塩基ラダーとシータス・アレリックラダーとの比較-」(確定第1審弁第7号証21頁)]、鑑定資料と対照資料を同時に泳動しなければ型の同一性を判定できないとはいえない。
 また、MCT118型鑑定における型判定は、電気泳動写真をDNA解析装置に取り込み、デンシトメトリーを用いてデンシトグラムのピークの有無、高さ等を読むなどして行うものとされているところ、本件では、事件本人の毛髪のバンドをデンシトメトリーで読み取ると、その上位バンドの数値は563.7ないし564.9(確定第1審甲第605号証、同第606号証)などと、26型と判定するのが相当といえる数値であったのであるから、酒井・笠井・佐藤鑑定が行った型判定には、その当時の判断としては、疑問の余地はない。
 本田教授は、酒井・笠井鑑定の鑑定書添付写真13と酒井・笠井・佐藤鑑定の鑑定書添付写真8を対比する手法によって、酒井・笠井鑑定等の型判定に誤りがあるとするが、その判定手法は、一般的な手法とは異なり、デンシトメトリーを用いることなく電気泳動写真の目視によってバンドの位置を確定しようとするものであり、そのような手法が当を得ないものであることは明らかであって、このことのみからして、本田教授の上記見解は採用し難いものがある。
 また、本田教授の採った前記手法、すなわち、酒井・笠井鑑定の鑑定書添付写真13と酒井・笠井・佐藤鑑定の鑑定書添付写真8を対比するという手法を前提としても、本田第1次鑑定書に添付された写真(「写真:123ラダーマーカーによる泳動写真の比較」)を子細に検討すると、事件本人の上位バンドは、本田教授が引いた27型を示すとされる黄色線と重なる位置ではなく、黄色線の右側の位置、すなわち、27型より下位の型と思料される位置に検出されており、同鑑定書に添付された写真によっても、事件本人の上位バンドが27型であるとは認められない。
 さらに、平成24年12月14日付け科警研法科学第一部生物第四研究室室長関口和正作成の意見書(以下「関口意見書」という)において指摘されているとおり、同鑑定書添付の写真においてなされているラダーマーカーの位置の比較は適切になされていない。すなわち、本田教授は、同鑑定書添付の写真において、複数の電気泳動写真における615塩基の位置を揃えるために左側の黒色線を引いたとしているが、同写真を子細に検討すると、酒井・笠井鑑定における615塩基のマーカーも、酒井・笠井・佐藤鑑定における615塩基のマーカーも、同黒色線と重なる位置には存在しておらず、しかも、同黒色線の右側の位置に酒井・笠井鑑定の615塩基のマーカーが、同黒色線の左側の位置に酒井・笠井・佐藤鑑定の615塩基のマーカーがそれぞれ検出されていることに照らせば、本田第1次鑑定書に添付された前記写真では、酒井・笠井・佐藤鑑定で検出されたバンドが高分子側に誤って判定される可能性が高い。
 以上のとおり、本田教授の行った写真の比較は、上記のような種々の問題点を含むものであり、本田教授の前記指摘は、それに基づいて述べられたものであるから、採用し難い。
 したがって、本田教授の前記(ア)a②の指摘は、採用できない。
 前記(ア)a③について検討すると、酒井・笠井鑑定の結果から犯人の型として解釈できる型は、犯人の人数によって異なり、酒井・笠井鑑定の結果のみからは、犯人の型を16-26型であると確定できないことは、本田教授が指摘するとおりである。
 しかしながら、酒井・笠井鑑定は、被害者両名以外の血液について、「おそらく、MCT118型は16-26型であると考えられる」と考察しているのであって(鑑定書14頁ないし15頁)、犯人のMCT118型を16-26型と断定しているわけではなく、確定判決も、これを前提として、「出血した犯人が1人しかいないのであれば、その犯人のMCT118型は16-26型であると認めるのが相当である」と判示しているのである(確定判決148頁)。
 したがって、本田教授の上記指摘は、確定判決の事実認定を左右するものではない。
 前記(ア)a④について検討すると、本田鑑定書等によれば、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーによりMCT118型の判定を行うと、得られた型が本来の塩基配列の繰り返し数を正しく反映せず、型判定を誤ってしまうこと、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーでMCT118型が16-26型と判定された資料について、正しく型判定する手法とされているアレリックラダーマーカーにより判定を行うと、18-29型、18-30型及び18-31型のいずれかと判定される可能性があることが認められる(なお、この点に関し、本田教授は、いわゆる足利事件において、アレリックラダーマーカーを用いた型判定では18-29型と判定される菅家氏の型が、123塩基ラダーマーカーを用いた型判定では16-26型とされており、本件の資料(1)等について123塩基ラダーマーカーにより判定された型と同一であることを根拠に、本件の犯人の型も18-29型であるとも指摘しているが、上記のとおり、123塩基ラダーマーカーにより16-26型と判定された資料は、アレリックラダーマーカーで判定した場合に18-29型のみに結び付くものではないから、この点に関する本田教授の指摘は採用することができない。)。
 ところで、確定第1審及び確定控訴審においては、確定審弁護人の123塩基ラダーマーカーで判定された特定の型とアレリックラダーマーカーで判定された型は1対1では対応していない旨の主張に対して、確定判決は、「123塩基ラダーマーカーで測定した場合、犯人と同一の型を有しているということは、右マーカーによる測定上は、犯人と同一の型を示したということであり、意味がないことにはならない」と判示した上で(144頁)、「犯人が1人であるとした場合には、MCT118型は16-26型であり、事件本人の型と一致していること」を有罪認定の根拠の1つとして挙げ、また、確定控訴審判決も、「被告人及び本件資料(犯人)のDNA型(MCT118型)は、同じ型であり、アレリックラダーマーカーを用いて判別した場合には、18-29型か18-30型か18-31型のいずれかの型に一致するといえる以上、そのどれに当たるかが明確になっていないとしても、塩基列の繰り返し数を基準とするDNA型としては同一である」と判示した上で、最も出現頻度が高いと認められる18-30型について出現頻度を計算した結果に他の事実と併せると、事件本人が犯人である蓋然性が極めて高いと判示した(23頁ないし24頁)。
 このように、123塩基ラダーマーカーによる型判定では16-26型と判定された資料は、アレリックラダーマーカーによる正確な型判定では18-29型、18-30型及び18-31型の3つの型のいずれかに当たり得るところ、確定審もこれを前提に判断していたということができるが、前記(ア)a①のとおり、本田第1次鑑定書によれば、事件本人の正確なMCT118型は18-30型であることが明らかになっているから、酒井・笠井鑑定が現場遺留資料をもとにして123塩基ラダーマーカーにより判定した犯人の16-26型が、アレリックラダーマーカーによる型判定によって18-30型に当たる場合には、事件本人の型と一致しており、事件本人についての有罪認定の根拠とすることが可能であるが、上記16-26型が18-29型又は18-31型に当たる場合には、事件本人の型と矛盾することになるから、事件本人が犯人であることが否定されるか、少なくとも、事件本人についての有罪認定の根拠とすることができない。そして、本田教授が関与したいわゆる足利事件においては、捜査段階で科警研が実施した鑑定では、菅家氏に由来する資料(精液)及び被害者が着用していた下着に付着した精液のMCT118型はいずれも16-26型で同型であったとされていたが、再審段階において、上記下着に付着した精液及び菅家氏の血液のDNA型について再鑑定を実施したところ、両者は一致しなかったとされたのに対し、本件においては、被害者両名以外の者(犯人)由来の血液が付着した資料は残されておらず、その再鑑定を行うことはできないから(なお、再鑑定のための資料を残しておくことが望ましいことはいうまでもないが、資料が残されていないからといって、それにより直ちに証拠能力が否定されることにはならない。)、アレリックラダーマーカーによる犯人の正確な型が事件本人の正確な型(18-30型)と一致するか否かを確定することはできないといわざるを得ない[いわゆる足利事件の再審判決を受けて科警研が検証した結果では、123塩基ラダーマーカーで26型と分類された資料は、アレリックラダーマーカーでは29型又は30型と判定され、69例のうち、25例が29型、44例が30型に対応したとされているが(警察庁「足利事件における警察捜査の問題点等について」添付の科警研「水口清教授及び玉木敬二教授の意見書に対する補足説明」2頁、8頁)、この結果から、本件における犯人のアレリックラダーマーカーによる型は30型と断定することはできない。他方、本田教授は、いわゆる足利事件の再審における再鑑定の結果をもとに本件の犯人の型は18-29型であると述べるが、これが採用できないことは前記のとおりである。]。
 以上、要するに、確定判決後のいわゆる足利事件の再審にも関与した本田教授の前記指摘等を踏まえると、現段階においては、酒井・笠井鑑定等が、123塩基ラダーマーカーを指標として判定した事件本人のMCT118型及び資料(1)ないし資料(5)に含まれる被害者両名以外の者(犯人)に由来すると思われる血液のMCT118型が16-26型で一致しているとしたことをもって、単純に事件本人に対する有罪認定の根拠とすることはできない状況が生じているということができる。
 そこで、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定の証明力についてこのように理解した場合に、本田鑑定書等に明白性が認められるか、すなわち、新旧全証拠を総合的に評価した結果として、確定判決の有罪認定に合理的な疑いが生じるかについて、後記(4)において詳述することとする。
b 本田第2次鑑定書について
 前記(ア)b①の点について検討すると、本田教授の指摘は、本田第2次鑑定書添付の写真(酒井・笠井鑑定のネガフィルムを撮影した画像データ)を精査すると、被害者両名のみに由来する資料である資料(6)及び資料(7)を含め、すべての増幅泳動レーンに16型が認められるから(資料(6)及び資料(7)の同位置のバンドの濃度は資料(1)②のそれと同程度又はそれより濃いことから、資料(6)及び資料(7)の同位置のものをバンドでないということはできない。)、すべての資料に認められる16型は、非特異増幅バンド、PCRでの外来汚染、泳動時の汚染又はその他の実験エラーに由来するエキストラバンドであると考えられ、犯人とは全く無関係のバンドであるというものと解される。
 たしかに、本田第2次鑑定書添付の写真1ないし7を見ると、資料(6)及び資料(7)の16型付近の位置に、鮮明ではないものの、バンド様のものを見て取ることができる。しかしながら、本田教授が、すべての資料に共通する16型は非特異増幅バンド、PCRでの外来汚染、泳動時の汚染又はその他の実験エラーに由来するエキストラバンドと考えられるとする点については、にわかに首肯することができない。
 すなわち、関口意見書に記載されているとおり、MCT118型検査は、16型の非特異増幅を生じるような検査法であるとは認められないし、16型が各資料に含まれるDNAに由来せず、各資料のPCR増幅の過程における外来汚染によるものであるとすれば、各レーンに同程度の濃度で汚染由来のバンドが検出されるのが自然であるが、本田第2次鑑定書の画像解析によれば、16型のバンド濃度(相対値)が最も高いのは資料(5)(Lane3)で、184507であるのに対し、資料(7)(Lane1)のバンド濃度は6744と最も低いし、資料(1)ないし資料(5)のバンド濃度についてみると、資料(1)②(Lane7)こそ6854と低いものの、その他のバンド濃度は、いずれも、資料(6)及び資料(7)のバンド濃度をはるかに上回っている。また、16型が泳動時の汚染によるものであるとすれば、123塩基ラダーマーカーの3つのレーンにはいずれも16型が検出されていないことの説明が困難である。「その他の実験エラー」についても、酒井・笠井鑑定等の実施過程に即した具体的な根拠に基づく指摘ではなく、上記写真及びその解析結果をもとに、抽象的な可能性を述べる以上のものではない。
 そして、資料(6)及び資料(7)に16型のバンド様のものが見られることについて、確定第1審の証人尋問において、酒井技官は、デンシトグラムの波形及び酒井・笠井鑑定のネガフィルムを見て、上記のバンド様のものは、いずれも、16型のDNAが混入したものではなく、よごれであると判断した旨述べ(確定第1審第9回公判における酒井技官供述113項ないし129項)、笠井技官も、同様に、現像ムラか染色ムラと思われる旨述べているところ(確定第1審第35回公判における笠井技官供述71項ないし76項)、関口意見書(4頁)が述べるように、検査時に使用したエチジウムブロマイド溶液中に濃度ムラが存在している場合には、染色ムラによるバックグラウンドの発色が観察される可能性があることに加え、資料(6)及び資料(7)の16型付近のバンド様のものの形状等をも考えると、酒井技官及び笠井技官の上記判断にはそれなりに合理性があるということができる。
 また、仮に、本田教授が述べるように、資料(6)及び資料(7)の16型のバンド様のものがエキストラバンドであると考えるとしても、そこから直ちに資料(1)ないし資料(5)の16型もすべてエキストラバンドであるとすることには、たやすく与することはできない。すなわち、酒井・笠井鑑定は、それぞれ別の資料である資料(1)ないし資料(7)を泳動させてその型を判定しているのであるから、資料(6)及び資料(7)から16型のエキストラバンドが検出されたからといって、その他の資料から検出された同型のバンドもすべてエキストラバンドであることが論理必然的に導かれるわけではない。また、本田第2次鑑定書によっても、資料(6)及び資料(7)から検出された16型がエキストラバンドであったとしても、その生成機序が具体的に特定されていない以上、資料(1)ないし資料(5)の検査過程に強く疑問を抱かせるということはできず、資料(1)ないし資料(5)の16型のバンドが、アレルバンドではなく、エキストラバンドである現実的な可能性が存在するとは認め難い。
 そうすると、酒井・笠井鑑定において、資料(1)ないし資料(5)から検出された16型はエキストラバンドであり、犯人の型が16型であるとは認められないとする本田教授の見解は採り得ない。
 本田教授の前記(ア)b②の指摘は、X-Yバンドが被害者両名のみの血液資料からは検出されていないことから、犯人はこのX-Yバンドの型を有する人物の可能性が高いというものである。
 たしかに、本田教授が本田第2次鑑定書及び当審における証人尋問において指摘するとおり、酒井・笠井鑑定のネガフィルムを見ると、その資料(1)①、資料(1)②、資料(4)及び資料(5)のレーン上に、X-Yバンドの位置にバンド様のものが存在することは認められる。
 このバンド様のものが非特異増幅バンドではなく、犯人由来のアレルバンドである可能性を否定できない根拠として本田教授が挙げる点は、概ね、(Ⅰ)自験例において、MCT118型に37-47型が実在することを確認していること、(Ⅱ)このような高いバンドサイズ位置にMCT118型のエキストラバンドがあることは考えにくいこと、(Ⅲ)特定の意味のあるサンプルのみにしかX-Yバンドが認められていないこと、(Ⅳ)高塩基バンドにもかかわらず、同一部位に明瞭にバンドが見られることである。
 まず、前記Ⅱ(Ⅰ)についてみると、高分子領域においてもMCT118型が実在することは、X-Yバンドがアレルバンドであることを否定しない理由の1つにはなるが、このことのみからX-Yバンドがアレルバンドである、あるいは、アレルバンドの可能性が高いと積極的に認める根拠になるものではない。
 次に、前記Ⅱ(Ⅱ)の点について検討すると、関口意見書、渡辺剛太郎らによる「MCT118型にみられるエキストラバンドの成因」(以下「渡辺論文」という)及び三谷友亮らによる「MCT118型検査におけるエキストラバンドの形成機序及びエンドヌクレアーゼを用いた識別」(以下「三谷論文」という)によれば、MCT118型検査においては、エキストラバンドは、しばしば、本来のバンドより高分子領域に観察され、42以上の型においても出現することが認められる。実際、資料(2)及び資料(6)には、X-Yバンドよりもさらに高分子側である、理論上75型以上の位置にエキストラバンドと認められるバンドが存在している(本田教授も、これらのバンドについて、余りにも高すぎるので、本田第2次鑑定書作成時には、アレルバンドとは見ていなかったとの趣旨の証言をしている。)。本田教授の前記Ⅱ(Ⅱ)の指摘は、根拠となる実験結果等を示すことなく、X-Yバンドのバンドサイズ位置にエキストラバンドは生じるとは考えにくいとするものであって、採用することができない。
 また、本田教授が前記Ⅱ(Ⅲ)で指摘する「特定の意味のあるサンプル」とは、被害者両名の心臓血以外の資料を指すものと解されるが、被害者両名の心臓血以外の資料から検出されていることは、X-Yバンドがアレルバンドである可能性を示す理由の1つにはなるとしても、そのことから直ちにX-Yバンドがアレルバンドである、あるいは、アレルバンドの可能性が高いと認めることはできない。関口意見書、渡辺論文及び三谷論文によれば、MCT118型検査におけるエキストラバンドは、DNAのPCR増幅の際に、非相補的にヘテロデュプレックスが生成されることにより生じるものであり、2つのアレルが近い分子量を持っている際に生じやすいと認められるところ、X-Yバンドが見られる資料(1)①、資料(1)②、資料(4)及び資料(5)については、16型と18型の双方が検出されているのに対し、X-Yバンドが見られない資料(2)及び資料(3)では、16型は検出されているが18型ないしこれに近接したバンドは検出されていないなど、バンドの出現状況が異なっていることに照らすと、X-Yバンドをエキストラバンドであると考えることにも相応の理由があるといえる。なお、弁護人は、渡辺論文はアレリックラダーマーカーを用いて16型と18型と判定されたものに関しての考察結果であることを指摘するが、上記のようなエキストラバンドの生成機序に照らせば、マーカーの相違がその本質的な点に影響するとは考え難い。そうすると、本田教授の前記Ⅱ(Ⅲ)の指摘は、抽象的な可能性を述べたものにとどまると評価せざるを得ない。
 さらに、前記Ⅱ(Ⅳ)についても、同一部位に出現が認められるからといって、直ちにそれがアレルバンドであることを示す事情とはいえないことは明らかである。渡辺論文には、16型及び18型を含む複数の資料を同一のゲルで電気泳動した場合、16型及び18型をもとに生じたエキストラバンドが同一の位置で生じるという実験結果が示されており、同じ生成機序により生じた場合には、エキストラバンドは同一部位に見られるものと考えられる。そうすると、本田教授の前記Ⅱ(Ⅳ)の指摘についても、X-Yバンドがアレルバンドである根拠になるとは認め難い。
 したがって、本田教授が、X-Yバンドがアレルバンドであることを否定できないとする根拠として示している前記Ⅱ(Ⅰ)ないし(Ⅳ)は、X-Yバンドがアレルバンドであると認める根拠とはならないか、あるいは、根拠として抽象的な可能性を示すにとどまるものであり、これらを総合しても、X-Yバンドがアレルバンドである可能性が高いと認めることはできない。
 さらに、酒井技官及び笠井技官は、鑑定時に複数回電気泳動を行っていることを、確定第1審において一致して述べているところであり(確定第1審第6回公判における酒井技官供述231項、同第7回公判における酒井技官供述160項ないし161項、同第35回公判における笠井技官供述80項、304項)、かつ、笠井技官は、MCT118型としては大きいサイズであるバンドが2本あったため、アレルバンドかどうか判断するために、少なくとも2回実施した電気泳動において移動度を確認したところ、再現性がなかったため、エキストラバンドと判断したとしているところ(平成24年12月26日付け笠井技官作成の報告書)、渡辺論文及び三谷論文によれば、エキストラバンドは、ゲル組成の違いによってバンドの移動度が大きく変化する非相補的配列の高次構造をとるものであり、MCT118型検査では、異なる電気泳動条件によりエキストラバンドの移動度の差を確認する方法が採られており、ほとんどの場合、エキストラバンドとアレルバンドを容易に識別することが可能であるとされていることに照らしても、酒井技官らの上記説明は合理的なものということができる。
 以上によれば、X-Yバンドはエキストラバンドであると認めるのが相当である。
 なお、弁護人は、酒井・笠井鑑定の鑑定書添付の写真13は、X-Yバンドが出現している部分をカットすることによって、X-Yバンドの存在を隠ぺいしており、この隠ぺいは看過することが到底許されない重大な改ざんであるから、酒井・笠井鑑定の証拠能力は否定されなければならない旨主張する。しかしながら、上記写真のもととなった酒井・笠井鑑定のネガフィルム自体は保存されており、確定第1審においても、証拠として提出され、笠井技官に対する尋問でも使用されているなど、酒井技官らに改ざんの意図があったとは窺えないことに加え、上記のとおり、X-Yバンドはエキストラバンドとする酒井技官らの判断に合理性が認められることなどからすれば、酒井・笠井鑑定がX-Yバンドが写った写真を添付した上で上記内容の説明を付さなかったことの当否はともかくとして、そのことによって酒井・笠井鑑定の証拠能力が否定されることとはなり得ない。
 以上のとおり、X-Yバンドが犯人の型である可能性が高いとする本田教授の指摘は採用できない。
 本田教授の(ア)b③の指摘は、資料(1)①、資料(1)②、資料(3)、資料(4)及び資料(5)から26型が検出されたとする酒井・笠井鑑定は誤りであり、したがって、犯人の型が26型であると認めることはできないというものと解される。
 すなわち、本田教授は、本田第2次鑑定書において、資料(1)②及び資料(4)については、酒井・笠井鑑定では25型バンドと26型バンドの複合バンドとされているが、同鑑定書添付の画像データのデンシトグラム解析においては、両者は分離されていないことから、26型バンドを認めることはできず、また、資料(1)①、資料(3)及び資料(5)についても、バンドの濃度が非常に薄いのみならず、25型バンドあるいは27型バンドと明確にピークが分離されておらず、デンシトグラム上もノッチ形成のレベルにとどまっていることから、もともと1つであったバンドが、ゲルの固まりムラにより、電気泳動中の増幅産物の解離によって生じたアーチファクトバンドである可能性が否定できないと指摘している。
 まず、資料(1)②及び資料(4)から検出された26型について、本田教授が問題とする点につき検討する。
 確定第1審において、酒井技官及び笠井技官は、電気泳動の結果検出されたバンド様のものがアレルバンドであるか否かは、デンシトグラムのピークの有無、高さ等のみにとらわれることなく、ネガフィルムの現物を実際に観察し、当該バンド様のものの形状、濃さ、位置等を考慮して、総合的に判断する旨を述べている(確定第1審第9回公判における酒井技官供述107項ないし112項、128項ないし153項、291項ないし292項、同第35回公判における笠井技官供述79項ないし80項、124項ないし128項、298項、308項)。その上で、酒井技官は、資料(1)②から26型が検出されたと判定したことにつき、ネガフィルム上の25型のバンドが太めのものであり、その上にもバンドがあると判断されるものであったこと、デンシトグラム(確定第1審甲第598号証)の25型のピークの落ち方は普通のものとは異なっており、すそ野の中に隠れる形でもう1つバンドがあると判断されるものであったことなど、具体的な判定根拠を述べている(確定第1審第9回公判における酒井技官供述131項ないし145項)。酒井技官の述べる内容は合理的なものであり、上記デンシトグラムもそのような解釈が十分可能な形状といえる(なお、本田教授は、酒井・笠井鑑定のネガフィルムを当審における証人尋問の2回目で示されるまで見たことがなかった。)。
 そうすると、資料(1)②及び資料(4)から26型が検出されたとする鑑定結果は、本田教授の前記指摘を踏まえても、揺らぐものではない。
 次に、資料(1)①、資料(3)及び資料(5)から検出された26型について、本田教授が問題とする点につき検討する。
 この点について、関口意見書は、ゲルの固まりムラがあり、そこで増幅産物の解離が起こったのであれば、その位置を通過した増幅産物はすべて二重になるはずであるが、資料(1)①、資料(3)及び資料(5)の16型及び18型のバンドは二重になっていないことを指摘して、固まりムラによって特定のレーンの特定の場所だけが二重になりノッチが形成されるというのは、非常に不自然である旨述べているところ(5頁)、この意見は、電気泳動の科学的原理に合致する合理的な内容であるといえる。
 また、前記のとおり、酒井・笠井鑑定に従事した科警研の技官らは、確定審の公判において、いずれも、複数回の電気泳動を実施して、26型のバンドを確認した旨を述べており、ゲルの固まりムラによるアーチファクトバンドが同じ場所に複数回生じることは考え難いことなどに照らせば、本田教授が指摘する資料(1)①、資料(3)及び資料(5)の26型がアーチファクトバンドである可能性はないというべきであり、資料(1)①、資料(3)及び資料(5)から26型が検出されたとする鑑定結果は、本田教授の前記指摘を踏まえても、揺らぐものではない。
 そうすると、資料(1)①、資料(1)②、資料(3)、資料(4)及び資料(5)から26型が検出されたとする酒井・笠井鑑定は誤りであり犯人の型が26型であるとは認められないとする本田教授の見解は採り得ない。
エ 弁護人が提出したその他の証拠について
 弁護人は、いわゆる足利事件の再審判決が、同事件におけるDNA型鑑定について、中核をなす異同識別の判定の過程に相当程度の疑問を抱かせ、具体的な実施方法も、その技術を習得した者により科学的に信頼される方法で行われたと認めるには疑問が残るとして証拠能力を否定したことは、同事件とほぼ同時期に、同じ部位について同じ手法で実施された酒井・笠井鑑定等にもそのまま妥当する旨主張する。
 そして、弁護人は、本田鑑定書等に加え、酒井・笠井鑑定等が実施された当時におけるMCT118型の鑑定手法はいまだ未成熟なものであったことは玉木意見書でも指摘されており、ポリアクリルアミドゲル電気泳動と123塩基ラダーマーカーによる鑑定手法は型判定自体の正確性に疑問があることは水口意見書が指摘しているから、酒井・笠井鑑定等は、異同識別の判定過程に相当の疑問が生じており、証拠能力が認められない旨主張する。
 しかしながら、いわゆる足利事件の再審判決は、被害者が着用していた下着の付着物にかかるDNA型の再鑑定(検出された型は菅家氏の型と一致しなかった)等、再審において新たに取り調べられた各証拠を踏まえると、同事件におけるDNA型鑑定には、現段階においては証拠能力を認めることができないと判断したものであり、同事件当時の科警研によるDNA型鑑定の信頼性について一般的に判示したものでないことは明らかである。
 また、最高検報告書、玉木意見書及び水口意見書は、いずれも、いわゆる足利事件の科警研による鑑定書等について検討した結果を論じたものであって、本件における酒井・笠井鑑定等を検討した上での意見を述べるものではないから、これらの書面によって酒井・笠井鑑定等の証拠能力が否定されることにはならない。
(3) 小括
 これまで検討してきたところによれば、弁護人が新証拠として提出した証拠によっても、確定判決の有罪認定の根拠となったT田供述及び酒井・笠井鑑定等の血液型鑑定の信用性は揺らぐものではないが、他方で、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定については、本田鑑定書等によって、その証明力を確定判決の当時よりも慎重に検討すべき状況に至っているということができる。
 そこで、次項において、酒井・笠井鑑定等、当審における新証拠である本田鑑定書等及び確定審において取り調べられたその余の全証拠を総合的に評価した結果として、確定判決の有罪認定につき合理的な疑いが生じるか否かを検討することとする。
(4) 新旧全証拠による総合評価について
ア 序論
 確定判決の証拠構造及び認定根拠の概要は、前記第1の3のとおりであり、確定判決は、主として、前記第1の3記載の6つの情況事実群を総合評価して事件本人に対して有罪認定をしたものと解されるが、これらの情況事実は、各々独立した証拠によって認められるものである。他方、当審において弁護人が提出した新証拠は、上記の情況事実群のうち、第1の3(1)①のT田の目撃供述及び同3(4)の科警研による鑑定の信用性等が否定されることのみを立証命題とするものであり、その余の情況事実を証明する証拠の信用性等に関する新証拠は提出されていない(なお、PM法によるDNA型鑑定に関する当審弁第2号証ないし同第5号証については、後記イ(イ)cで検討する。)。そうすると、前記(3)のように、本田鑑定書等によって、科警研による鑑定のうち、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定の証明力については、より慎重な評価をすべき状況に至っているが、だからといって、それだけで直ちに、確定判決における有罪認定について合理的な疑いが生じるということはできない。
 この点について、弁護人は、確定判決が情況事実を証明する証拠として挙げるもののうち、柱となる証拠はT田の目撃供述及び科警研による鑑定であり、これらの信用性等が否定される結果、その余のいかなる情況証拠を総合したところで、事件本人を犯人と認めることはできない旨主張するが、これは、上記のような確定判決の有罪認定の証拠構造を正解したものとはいい難いし、弁護人が提出する新証拠によっても、T田の目撃供述及び上記MCT118型鑑定を除く科警研による鑑定の信用性等が否定されないことは前記のとおりであるから、弁護人の上記主張は採用することができない(なお、弁護人は、確定判決は事件本人以外の者が犯人である可能性に論及しているところ、本田鑑定書等によれば、犯人は事件本人とは全く異なる人物であることが立証されるとも主張するが、そのような合理的な疑いは生じない。)。
 以上によれば、上記MCT118型鑑定以外の情況事実のみの総合評価によって、確定判決と同様に、事件本人が犯人であることが十分に認められる場合はもとより、上記MCT118型鑑定以外の情況事実に加えて、本田鑑定書等により証明力の評価に変化が生じた上記MCT118型鑑定を総合的に評価した結果として、確定判決の有罪認定につき合理的な疑いが生じない場合にも、本田鑑定書等に明白性は認められないといえる。
 そこで、以下では、上記MCT118型鑑定以外の情況事実ないし情況証拠群を総合評価して認められる事実について検討した上で、上記のようにMCT118型鑑定の証明力の評価に変化が生じたことがその認定にどのような影響を与えるか等について検討を加えることとする。
イ 酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定以外の情況事実等
(ア) 犯人使用車両等
a 本件犯行は、福岡県飯塚市内の小学校に登校中の被害者両名を自動車に乗車させて略取又は誘拐し、殺害した上、その遺体を山中に遺棄したというものである。
 T田は、犯人が被害者両名の遺体及び遺留品を遺棄することが可能であった時間帯に、遺留品発見現場の直近において、紺色、ワンボックスタイプ、後輪ダブルタイヤで、リアウインドーにフィルムが貼付されている不審車両を目撃したことを供述している(弁護人が当審で提出した嚴島第2次鑑定書によってもT田の上記供述の信用性が揺らがないことは、前記(1)のとおりである。)。また、被害者両名が略取又は誘拐された時刻、場所と極めて接着した時刻、場所において、複数の者が、T田が目撃したものとほぼ同じ特徴を有する不審車両を目撃したことを証言している(確定第1審第23回公判におけるW田W男供述、同第25回公判におけるX田X男供述等)。
 これらの事実に、関係証拠によれば、その当時、紺色、ワンボックスタイプで、後輪ダブルタイヤという特徴を満たす車両を製造していたのはマツダのみであること、被害者両名の着衣に繊維片が付着していたところ、その繊維片は、その原糸、染色に使用された染料及びその配合比等によれば、昭和57年3月26日から昭和58年9月28日までの間に製造、販売されたマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いことが認められること(確定第1審第90号証、同第99号証、同第120号証、同第133号証等)を併せ考えると、犯人が犯行に使用した車両(以下「犯人使用車」という)は、上記期間に製造、販売された紺色のマツダステーションワゴン・ウエストコーストであって、リアウインドーにフィルムが貼付されていたことが認められる。
 他方、関係証拠によれば、事件本人が事件当時使用していた車両(事件本人車)は、これと製造時期を同じくする同車種、同グレード、同車色のものであり、事件当時、リアウインドーにはフィルムが貼られていたことが認められる(確定第1審甲第476号証、同第506号証、同第720号証等)。
b また、関係証拠によれば、犯人が被害者両名を略取又は誘拐した現場は、飯塚市の郊外で、県道から脇道ないし裏道ともいうべき細い道路を入っていった場所であって、周囲の状況からしても、付近で居住ないし稼働する者以外の者が通行することは多くないと考えられる場所であり、同所において午前8時30分過ぎ頃という比較的早い生活時間帯に被害者両名の略取又は誘拐が行われていること、犯人は、その後、T田が不審車両を目撃するまでの約2時間30分の間に、被害者両名を殺害し、被害者両名の遺体及び遺留品を遺棄したと認められるところ、これらの遺棄現場は、山道の国道沿いの山中にあって、被害者両名が通学していた小学校から遺体遺棄現場までの距離は、経路によって異なるが、28ないし36.1キロメートルであり、自動車で35分ないし53分を要することが認められ(確定第1審甲第504号証、確定第1審の検証調書等)、このような事情にかんがみると、犯人は、上記各現場付近に居住するなどして、土地鑑を有している人物である可能性が高いと考えられる。
 他方、関係証拠によれば、事件本人は、被害者両名が通学していた小学校の付近に居住しており、上記各現場に土地鑑を有している(確定第1審乙第12号証、確定第1審第19回公判におけるG7供述等)。
c そして、前記aの犯人使用車と同車種、同グレードの車両の保有状況に関する捜査結果によれば、この条件に該当する車両は、前記期間に全国で5198台が製造、販売されたこと、平成3年12月末時点では全国で2854台、福岡県内では149台が保有されていたこと、本件犯行当時運行可能な上記条件に合致する車両は福岡県内で127台存在し、その使用者は合計130名であったところ、そのうち血液型がB型の者は事件本人を含めて21名であったことが認められる(確定第1審甲第111号証ないし同第117号証、同第134号証ないし同第456号証)。
 また、紺色のワンボックスカー、後輪ダブルタイヤ仕様、使用者の住居地が福岡県内の条件に合致する車両は299台であり、そのうち飯塚警察署管内の使用者は28名(事件本人の妻である久間C子を除く)であり、そのうち被害者両名の通学路を通行し、あるいは、通学先の小学校近辺に車両を駐車する可能性がある者は13名であるところ、修理、解体等で運行していなかった4名を除いた9名については、事件当時に略取又は誘拐や遺体遺棄の現場にいなかったこと、これらの者が使用していた車両の窓ガラスには色付きのフィルムが貼られていなかったことが認められる[確定第1審甲第526号証ないし同第535号証、同第728号証(不同意部分を除く)]。
 犯人が使用したマツダステーションワゴン・ウエストコーストが、福岡県内において登録されたものであると認められ、かつ、後記(エ)のとおり、犯人の血液型がB型であれば、犯人は、事件本人を含む21名にほぼ限定されることとなる。また、犯人が使用した後輪ダブルタイヤ仕様の紺色ワンボックスカーが飯塚警察署管内で使用されているものと認められ、かつ、後記(オ)のとおり、事件本人にアリバイが成立しないのであれば、犯人は、事件本人にほぼ限定されることとなる。
 そうすると、犯人使用車に関する上記の情況事実が、事件本人が犯人であることを推認させる力は相当に強いといえる。
(イ) 事件本人車の車内から検出された血痕及び尿痕
a 次に、関係証拠によれば、事件本人車の後部座席シートから血痕及び尿痕が検出されたこと、血痕については、血液型はO型、DNA型のGc型はC型であって、いずれも被害者A田と同型であり、尿痕については人尿であることが認められ(確定第1審甲第478号証、同第482号証、同第490号証)、また、事件本人は、事件本人車に血痕及び尿痕が付着した原因について明確な説明ができていないことが認められる。
 他方、関係証拠によれば、被害者両名は、いずれも頸部を絞められて殺害されたもので、遺体発見当時、いずれにも尿失禁及び出血があり、とりわけ、被害者A田は鼻孔からかなりの量の出血をしていたことが認められる(確定第1審甲第6号証、同第469号証、同第471号証等)。
b 前記(ア)の事実から犯人であることが強く疑われる事件本人が使用していた事件本人車から、被害者A田らを事件本人車内で殺害した際か、あるいは、被害者A田らを殺害した後、その遺体を遺体発見現場まで事件本人車で運んだ際に付着したものとして、合理的に説明することができる血痕及び尿痕が検出されたことは、事件本人が犯人である可能性をより高める事情といえる。
c なお、弁護人は、科警研が実施したPM法によるDNA型鑑定(確定第1審甲第490号証)について、当審弁第2号証ないし同第5号証に依拠して、①PM法は、一時的かつ未整備な検査法である、②科警研のデータ解析手法は、検査キットの使用説明書に反している、③PM法は、多型に乏しいため、一座位のDNA型だけで個人を分類すると大雑把になるなどとして、その証拠能力及び信用性を争っている(再審請求書72頁ないし75頁等)。
 しかしながら、上記PM法によるDNA型鑑定が信頼できる方法により行われたことは、確定審で取り調べられた証拠により十分に認められる。すなわち、まず、当審弁第3号証、同第5号証を踏まえても、本件で用いられたPM法の検査キットの信頼性は確保されていたといえる。また、たしかに、当審弁第2号証、同第4号証には、PM法において、Sドットが発色していない場合には型判定をしないように勧める旨や、DNA量が少ない場合には検出されるべきアレルが検出されない可能性がある旨が記載されている。しかし、Sドットに発色が見られないとの事実が示しているのは、HLADQα部位のDNAが十分な質と量で存在していないということであり、酒井技官らは、それと比較すると塩基数が少ないGc部位のDNAの存在を電気泳動により確認した上で型判定を行っているのであって、DNAの分解は塩基数の多いものほど早く進むのであるから、上記PM法によるDNA型鑑定の鑑定書の記載当時の使用説明書の記載をも併せみれば、その鑑定手法は合理的な手法であると認められる。また、たしかに、当審弁第3号証によれば、PM法のGc型のアレルは3種類であることが認められるが、その程度の個人識別力しかもたない証拠であっても、他の証拠との総合考慮により要証事実を推認することができるかを検討する情況証拠の一つとして扱うことは何ら差し支えないといえる。
 したがって、上記PM法によるDNA型鑑定の証拠能力ないし信用性は、弁護人が依拠する上記各証拠によっても否定されないというべきである。
(ウ) 事件本人による犯行の機会
 また、関係証拠によれば、事件本人は、事件当時、日常的に、午前8時前後に自宅を出て、事件本人車を運転して妻を職場まで送り届けており、被害者両名が略取又は誘拐された時刻頃にその現場付近を同車で通行していたこと、事件本人は、妻を職場に送り届けた後は、長男が帰宅する午後3時頃まで1人で自由に行動することが可能であったことなどが認められる[確定第1審第31回公判における事件本人供述、確定第1審乙第5号証(不同意部分を除く)]。これらの事実によれば、事件本人は、本件犯行を実行することが可能であり、かつ、その機会が十分にあったということができる。
(エ) 被害者両名の遺体等に付着していた血液の血液型等
 そして、本田鑑定書等によっても信用性が否定されない酒井・笠井鑑定等の血液型鑑定によれば、被害者B山の遺体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びに被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に被害者両名以外の犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在しており、その出血した犯人の血液型がB型であって、事件本人と一致していることが認められ、かかる事情は、前記(ア)の事情と相まって事件本人が犯人である可能性を高める事情といえる。
 さらに、関係証拠によれば、事件本人の亀頭は、当時罹患していた亀頭包皮炎のため、外部からの刺激により容易に出血する状態にあったことが認められるから(確定第1審甲第549号証、確定第1審証人Y田Y男尋問調書等)、事件本人が犯人であった場合には、被害者両名の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に犯人に由来する血液等が存在したという特異な事実の理由を合理的に説明することが可能となる。
(オ) アリバイの不存在
 事件本人は、確定審の公判廷において、事件当日は、妻C子を職場まで送った後、まっすぐ福岡県山田市内の実母方まで米を届けに行き、その後ぱちんこをして、午後1時ころ自宅に戻ったことなどを述べており(確定第1審第31回公判における事件本人供述)、そのような行動をしていたとする事件本人の供述が排斥できないのであれば、事件本人にはアリバイが成立し、犯行の機会がなかったことになる。
 しかしながら、全証拠をみても、事件本人の上記供述を直接に裏付ける証拠はなく、これを間接的に裏付ける妻C子の公判供述[確定第1審第28回公判(平成9年5月23日)におけるC子供述420項以下]も、捜査段階において事情聴取された際には、はっきりとは分からないと述べていた[確定第1審甲第720号証(平成6年10月8日付警察官調書)]日付を特定するなどの変遷が存在し、その理由が明らかではないことなどに照らしても、たやすく信用することはできない。また、事件本人の供述には、実母方に米を届けに行った日時を特定した理由等の重要部分において、捜査段階と公判段階とで理由が明らかではない変遷が存在するほか、事件当日の行動を思い出した時期や契機に関する供述も、その内容自体不自然さを拭えない上、捜査段階から公判段階にかけて合理的に理解し難い変遷がみられることなどの事情に照らせば、アリバイに関する事件本人の供述は信用し難い。そして、当審において事件本人のアリバイに関する新証拠は提出されていないから、事件本人にはアリバイは成立しない旨の確定判決の判断は、そのとおりに是認することができる。
(カ) 検討
 上記の情況事実(ア)ないし(エ)は、各々、独立した証拠によって認められるものであり、かつ、犯人を一定の者に限定し得るものであって、それぞれが、事件本人が犯人であることを推認させるものといえるところ、これらの情況事実を総合すれば、事件本人が犯人であることについて、合理的な疑いを超えた高度の蓋然性があるということができる。
 すなわち、本件犯行は、紺色、後輪ダブルタイヤ仕様のワンボックスタイプであるマツダステーションワゴン・ウエストコーストを使用して行われたものと認められ、この事実に、被害者両名の略取又は誘拐の現場の状況、遺体及び遺留品の遺棄の現場の状況、犯行の時間帯等を併せ考えると、犯人は、上記各現場の付近、福岡県飯塚市内又はその周辺において、上記と同車種、同グレードの車両を保有ないし使用する者であると考えられるところ、その当時、この条件を満たしていたのは、事件本人を含む極めて少数の者に限られることは、事件本人が犯人であることを強く推認させる。出血した犯人の血液型がB型であると認められることは、上記の犯人使用車に関する事実と相まって、犯人となり得る者を更に絞り込む事情ということができる。そして、これらの条件を満たすと考えられる車両の使用者のうち、事件本人以外の者にはアリバイが成立し、また、同人らの使用車両のリアウインドーにはフィルムが貼られていなかったのに対し、事件本人車のリアウインドーにはフィルムが貼られており、事件本人は、日常的に、犯行時間帯に被害者両名の略取又は誘拐の現場付近を事件本人車で走行していた上、上記の情況事実(オ)のとおり事件本人にアリバイは成立せず、犯行の機会があったと認められることからすれば、事件本人が犯人であることが極めて強く推認される。事件本人車から血痕及び尿痕が検出され、血痕については被害者A田と血液型及びDNA型のGc型を同じくすることも、この推認を補強するものということができる。
 もとより、これらの情況事実は、いずれも単独では事件本人を犯人と断定することができないものであり、その意味で、抽象的には、事件本人と犯人との結び付きに疑いを差し挟む余地が全くないわけではない。しかしながら、本件の犯人については、前記のように独立した多くの情況事実によって重層的に絞り込まれているのであり、事件本人以外に、こうした事実関係のすべてを説明できる者が存在する現実的な可能性は非常に乏しく、抽象的な可能性にとどまるものと考えられ、全証拠を精査しても、かかる人物が存在するのではないかという合理的な疑いを抱かせるような事情はうかがわれない(弁護人は、本田鑑定書等によれば、犯人の血液型はAB型、MCT118型は18-29型である、あるいは、犯人はX-Yバンドの型を有する者であり、事件本人とは全く別の人物である旨主張するが、これらが採用できないことは、前記(2)のとおりである。)。
 そうすると、確定判決が認定した情況事実から、犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはないといえる。
ウ 酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定の証明力の変化による影響
 前記イで述べたとおり、確定判決が認定した情況事実から犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはないといえるところ、本件では、前記(3)で述べたとおり、犯人と事件本人のMCT118型が一致したとする酒井・笠井鑑定等の証明力について、確定判決の段階より慎重に評価すべき状況が生じているといえるので、このことが、上記立証の程度に及ぼす影響について検討する。
 DNA型鑑定においては、現場資料から検出された型と対照資料から検出された型が矛盾する場合には、両資料が同一人に由来するものとはいえないことになるから、仮に、本田鑑定書等によって犯人由来の血液から検出されたMCT118型と事件本人のMCT118型が異なることが明らかになったといえるのであれば、事件本人は犯人でないこととなる。
 しかし、本件においては、本田鑑定書等のうち信用性を肯定できる内容は、MCT118型判定にポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーで型判定を行うと、サイズどおりに泳動がなされない結果、型判定を誤ることとなること、MCT118型判定にポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて、123塩基ラダーマーカーで16-26型と判定された資料を、サイズどおりに正しく型判定する手法とされているアレリックラダーマーカーで判定を行うと、18-29型、18-30型及び18-31型の複数の型のいずれかと判定される可能性があること、酒井・笠井鑑定等により16-26型と判定されていた事件本人のMCT118型について、本田教授が事件本人に由来する資料を改めて鑑定したところ、18-30型であったことである。
 そうすると、本田鑑定書等の内容を前提としても、現場資料の再鑑定が実施されておらず、MCT118部位の繰り返し数を正しく判定する方法による犯人のMCT118型が判明していない本件においては、犯人のMCT118型と事件本人のMCT118型が一致しないことが明らかになったということはできない。換言すれば、本田鑑定書等の前記内容を考慮しても、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定によって、犯人と事件本人のMCT118型が一致したと認めることはできないが、他方で、これが一致しないと認めることもできないのであり、両者の可能性があるということにとどまるのである。
 したがって、酒井・笠井鑑定等のMCT118型鑑定は、18-29型、18-30型及び18-31型の3つの型のうち、18-30型で犯人と事件本人の型が一致する可能性があるという点においては、事件本人が犯人であることを推認させるにつき積極方向の情況事実となり得るようにもみえるが、犯人の型が18-29型又は18-31型であり、事件本人の型と一致しない可能性もあるのであるから、犯人の型を18-30型と断定できる場合と比較すれば、その推認力は相対的に相当程度弱いものとなる。他方で、本田鑑定書等によっても、犯人の型と事件本人の型が異なることが立証されたわけではなく、両者が一致する可能性も十分に残されている以上、本田鑑定書等が、事件本人が犯人であることを推認するにつき消極の情況事実になると評価することも合理的ではなく、事件本人以外の者が犯人である可能性に関する前記イ(カ)の評価に影響を及ぼすこともないというべきである。
エ 小括
 確定判決が認定した情況事実から犯人と事件本人のMCT118型が一致したことを除いたその余の情況事実を総合した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされていることに変わりはないことは明らかである。
 また、本田鑑定書等のうち信用性が肯定できる部分を前提とすれば、確定判決が有罪認定の根拠とした酒井・笠井鑑定等のうち、MCT118型において犯人の型と事件本人の型が一致したとの点は、そのまま有罪認定の根拠として供することはできないとしても、MCT118型において犯人の型と事件本人の型が一致しないことが明らかになったものではなく、両者が一致する可能性も十分にあるのであるから、MCT118型の点以外の情況事実にこれを併せ考慮した場合であっても、事件本人が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされているといえる。
 したがって、本田鑑定書等のうち信用性が肯定できる部分によっても、確定判決の有罪認定について合理的な疑いは生じないことになるから、結局、本田鑑定書等に明白性を認めることはできない。

4 結論[編集]

 以上のとおり、弁護人が提出した証拠を確定記録中の全証拠と併せて総合評価した結果、事件本人が犯人であると認めた確定判決における事実認定について合理的な疑いは生じず、弁護人が提出した証拠はいずれも明白性が認められないから、本件再審請求には刑事訴訟法435条6号の再審事由があるとはいえない。
 よって、本件再審請求は理由がないから、刑事訴訟法447条1項により、これを棄却することとして、主文のとおり決定する。
 平成26年3月31日
 福岡地方裁判所第2刑事部
 裁判長裁判官 平塚浩司
 裁判官 吉戒純一
 裁判官 岡本康博

別紙
1 最新の方法によるDNA鑑定結果報告書(久間三千年のDNA型)(本田作成、平成21年10月13日)
2 PM法検査試薬(PMDNA型キット)使用説明書(訳文含む)(パーキン・エルマー社作成、平成7年以降ころ)
3 続犯罪と科学捜査-DNA型鑑定の歩み-(抜粋)(瀬田季茂作成、平成17年10月18日)
4 DNA分析試験・科学者でない人のための図解入り説明(ドナルド・E・リリー作成、平成10年)
5 DNA型鑑定の運用に関する指針の改正について~フラグメントアナライザーを用いた新短鎖DNA型検査法の導入~(抜粋)(木下外晴作成、平成15年9月10日)
6 表・血液型及びDNA型による個人識別の精度(「日本の科学警察」)(科学警察研究所編、平成6年12月15日)
7 T田の検察官調書(写し)(平成4年12月7日)
8 判決書(写し)(陶山博生外2名作成、平成11年9月29日)
9 判決書(写し)(小出錞一外2名作成、平成13年10月24日)
10 判決書(写し)(滝井繁男外4名作成、平成18年9月8日)
11 いわゆる足利事件における捜査・公判活動の問題点等について(最高検察庁作成、平成22年4月)
12 意見書作成依頼について(水口清作成、平成21年10月2日)
13 意見書(玉木敬二作成、平成21年10月21日)
14 菊池和史氏(福岡地方検察庁検察官検事)作成の意見書への反論書(本田克也作成、平成22年12月20日)
15 いわゆる飯塚事件におけるT氏供述の正確さに関する第2次鑑定書(嚴島行雄作成、平成23年7月8日)
16 MCT118座位のPCR増幅による血痕および体液斑からのDNA型検出法(笠井外3名作成、平成4年2月)
17 鑑定書(本田克也作成、平成24年10月15日)
18 D1S80にみられた42以上型の解析(小林了外3名作成、平成10年7月31日)
19 D1S80にみられた42以上型バンドの増幅効率について(田村明敬外6名作成、平成12年6月30日)
20 MCT118(D1S80)型にみられる42以上型の解析と型判定(大河原均外1名作成、平成12年6月30日)
21 D1S80にみられる42以上型の型判定(渡邉剛太郎外1名作成、平成14年6月15日)
22 MCT118型における42以上型の型判定法について(桐原俊二外4名作成、平成11年3月)
23 殺人事件報告書(写し)(K1外1名、平成4年3月2日)
24 遺留品発見現場におけるボンゴ車目撃情報の入手経路、並びにボンゴ車のボディライン、センターキャップに関する捜査報告書(写し)(K3作成、平成4年10月15日)
25 捜査と鑑識のためのDNA型分析-解説編-(瀬田季茂監修、科学警察研究所発行、平成3年10月)
26 バイオ研究者が知っておきたい化学の必須知識(抜粋)(齋藤勝裕作成、平成21年1月1日)

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