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  • て、六韜六巻六十篇とするものならん。然るに七署の次第、孫子・呉子・司馬法の後に序(つい)づる事は、孫呉の後に、此書を得て、唐の李靖より始めて事起れり。兵は凶器と雖も、聖人文武並び用ふ。孔子夾谷の会を思ふべし。我れ戦へば勝つと宣へり。本朝伝来の兵法多しといへども、大江家に用ふる所の訓閱集、武智麿の家記…
    3キロバイト (55,944 語) - 2024年2月3日 (土) 11:09
  • 廿町許御見送候其時美濃衆の鎗はみじかくこなたの鎗は長く扣立候て参らるゝを道三見申候て興をさましたる有様にて有無を申さす罷帰候途中あかなへと申所にて猪子兵介山城道三に申様は何と見申候ても上総介はたはけにて候と申候時道三申様にされは無念成事候山城か子共たわけか門外に馬を可繋事案の内にて候と計申候自今已後道三か前にてたわけ人と云事申人無之…
    3キロバイト (101,980 語) - 2024年4月5日 (金) 17:57
  • 町許御見送候其時美濃衆の鎗はみじかくこなたの鎗は長く扣立候て參らるゝを道三見申候て興をさましたる有樣にて有無を申さす罷歸候途中あかなへと申所にて猪︀子兵介山城道三に申樣は何と見申候ても上總介はたはけにて候と申候時道三申樣にされは無念成事候山城か子共たわけか門外に馬を可繫事案の內にて候と計申候自今已後道三か前にてたわけ人と云事申人無之…
    457キロバイト (106,867 語) - 2024年5月11日 (土) 11:54
  • 一日人馬の足を休め、廿七日に信夫郡へ働き、在々所々放火し、民百姓共、当るを幸に斬棄て、飯坂の佐藤庄司が古屋敷に、陣をぞ取りたりける。其夜、伊達実光が子兵部大輔 成実〈政宗伯父一説に従弟〉政宗に向つて、去年白石の城を攻め取ると雖も、登坂式部が回忠なれば、伊達の家の手柄にはあらず。其後、数度の戦、毎度景…
    3キロバイト (116,548 語) - 2024年2月3日 (土) 18:43