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| notes = 『増基法師集』(ぞうきほうししゅう)は平安時代の歌集。『いほぬし』『庵主日記』とも。平安期の私家集であるが、巻頭に30首の熊野紀行、巻末に50首の遠江日記を据えていることから、紀行文としての趣も持つ。正式な成立年代は未詳であるが、永延~寛徳年間(987年~1048年)に成立した『玄々集』(能因撰・私撰集)に『増基法師集』中の歌が2首収められ、また応徳3年(1086年)撰進の『後拾遺和歌集』には同じく10首入集していることなどから、遅くとも11世紀中頃には成立していたのではないかと考えられる。比較的長い詞書を持つ和歌30首からなる「熊野紀行」、和歌50首に短い詞書を付した「遠江紀行」、そしてその2つにはさまれた43首の雑纂歌集の3部に分かれている。歌風は平明で、殊に熊野紀行は散文作品としても注目される内容を持つ。{{wikipediaref|いほぬし}}
| notes = 『増基法師集』(ぞうきほうししゅう)は平安時代の歌集。『いほぬし』『庵主日記』とも。平安期の私家集であるが、巻頭に30首の熊野紀行、巻末に50首の遠江日記を据えていることから、紀行文としての趣も持つ。正式な成立年代は未詳であるが、永延~寛徳年間(987年~1048年)に成立した『玄々集』(能因撰・私撰集)に『増基法師集』中の歌が2首収められ、また応徳3年(1086年)撰進の『後拾遺和歌集』には同じく10首入集していることなどから、遅くとも11世紀中頃には成立していたのではないかと考えられる。比較的長い詞書を持つ和歌30首からなる「熊野紀行」、和歌50首に短い詞書を付した「遠江紀行」、そしてその2つにはさまれた43首の雑纂歌集の3部に分かれている。歌風は平明で、殊に熊野紀行は散文作品としても注目される内容を持つ。{{wikipediaref|いほぬし}}

2016年2月7日 (日) 06:33時点における版

いほぬし

增基法師

いつばかりのことにかありけん。世をのがれて。こゝろのまゝにあらむとおもひて。世のなかにきゝときく所々。おかしきをたづねて心をやり。かつはたうときところおがみたてまつり。我身のつみをもほろぼさむとすイる人有けり。いほぬしとぞいひける。神無月の十日ばかり熊野へまうでけるに。人々もろともになどいふもの有けれど。我心ににたるもなかりければ。たゞ忍びてとうしひとりしてぞまうでける。京より出るやはたにまうでてとまりぬ。その夜月面白うて。松の稍に風すゞしくて。むしの聲もしのびやかに。鹿の音はるかにきこゆ。つねのすみかならぬ心地も。よのふけ行にあはれなり。げにかゝれば。神もすみ袷ふなめりと思ひて。

こゝにしもわきて出ける石淸水神の心をくみて知はや

それより二日といふ日の夕ぐれにすみよしにまうでつきぬ。みればはるかなる海にていとおもしろし。南には江ながれて。水鳥の樣々なるあそぶ。あまの家にやあらん。あし垣のやのいとちいさきともあり。秋の名殘夕ぐれのそらのけしきもたゞならずいとあはれなり。みやしろには庭も見えず。色々さまざまなるもみぢちりて冬ごもりたり。經などよみ聲して人しれずかくおもふ。

ときかけつ衣の玉は住のえの神さひにける松の梢に

かくてやしろにさぶらひていのり申やう。この世はいくばくにもあらず。水のあは草の露よりもはかなし。さきの世のつみをほろぼして。行末のぼだいをとらんとおもひ侍る心ふかうて。世をいとふこと。おもひをこたらずあらんによりてなり。ねがはくはわれ。春は花を見。秋はもみぢを見るとも。にほひにふれ色にめでつる心なく。朝の露夕の月をみるとも。せけんのはかなきことををしへ給へ。

世中をいとひ捨てんのちはたゝ住のえにある松とたのまむ

いづみなる信太のもりにてあるやう有べし。

我思ふことのしけきイに比ふれは信太の杜の千えはものかは

きの國の吹上のはまにとまれる月いとおもしろし。此濱は天人常にくだりてあそぶといひ傳へたる所なり。げにそもいとおもしろし。今宵のそらも心ぼそうあはれなり。夜のふけゆくまゝに。かものうはげの霜うちはらふ風も空さびしうて。たづはるかにて友をよぶ聲もさらにいふべきかたもなう哀なり。それならぬさまの鳥ども。あまた洲崎にもむらがれてなくも。心なき身にもあはれなることかぎりなし。

をとめこか天の羽衣ひきつれてむへもふけ井の浦におる覽

月の海のおもにやどれるを。浪のしきりあらふを見て。

月に浪かゝるおり又ありきやとふけゐの浦の蜑にとはゝや

波いとあはれなるよしを。また。

浪にもあれかゝるよの又有はこそ昔をしれる海士も答へめ

ふき上の濱にとまれる。夜ふかくそこをたつに。なみのたかう見ゆれば。

あまのとを吹上の濱に立浪はよるさへみゆる物にそ有ける

しゝのせ山にねたる夜。しかの鳴をきゝて。

うかれけむ妻のゆかりにせの山の名を尋ねてや鹿もなく覽

いはしろの野にねたる夜。あるやうあるべし。

石代のもり尋てといはせはやいくよか松はむすひはしめし

ちかの浦イにこいしひろふとて。

うつ浪にまかぜてをみん我拾ふはまゝの數に人もまさらし

みなへの濱にしりたる人のみやまより歸るにあひぬ。同じうはもろともにまて給へかしといへば。かへる人。忍びて申給ふこともこそあれといへば。いほぬし。なにごとにかあらん。ものうたがひはつみうなりとて。ひろひたる貝を手まさぐりになげやりたれば。ものあらがひぞまさるなる。かうなあらがひ給そとて。かうなのからをなげをこせたり。また浪にもうかびてうちよせらるゝを。かれ見給へ入ぬるいそのといへば。かへる人。こふる日はと心ありがほにいへば。いほぬし。くまのおのづからといへば。浦のはまゆふといらふるいほぬし。かさねてだになしとこそといへばかへる人。中々にとて。

もしほ草浪はうつむとうつめともいや現れに現れぬかり

いほぬし返し。

みくまのゝ浦にきよする濡衣のなき名をすゝく程と知なむ

などいひてたちぬ。さらば京にてといへば。いほぬし。おさふる袖のといらふれば。あなゆゝしや。後瀨の山になどいひてたちぬ。その夜むろのみなとにとまりぬ。きのもとに柞のもみぢして。いほりつくりて入ふしぬるに。夜のふくるまゝに時雨いそがしうふるに。

いとゝしくなけかしきよを神無月旅の空にもふる時雨哉

御山につくほどに。木のもとごとに手向の神おほかれば。水のみにとまる夜。

萬代の神てふかみにたむけしつ思ひと思ふことはなりなん

それより三日といふ日御山につきぬ。こゝかしこめぐりて見れば。あむじち庵室ども二三百ばかりをのがおもひにしたるさまもいとおかし。したしうしりたる人のもとにいきたれば。みのをこしにふすまのやうにひきかけて。ほだくひといふものを枕にして。まろねにねたり。やゝといへば。おどろきて。とくいり給へといひていれつ。おほんあるじせんとて。ごいしけ碁石笥のおほきさなるいものかしらをとり出てやかす。これぞいものはゝといへば。さはのあまさやあらんといへば。人の子にこそくはせめといひて。けいめいすれば。さてかねうてば御堂へまいりぬ。かしらひきつゝみて。みのうちきつゝ。こゝかしこにかずしらずまうであつまりて。れいしはてゝまかり出るに。あるはそ上の御まへにとゞまるもあり。らい堂のなかのはしらイのもとに。みのうちきつゝ忍びやかにかほ引いれつゝあるもあり。ぬかづきだらによむもあり。さまにきゝにくくあらはにそと聞もあり。かくてさぶらふほとに。霜月の御はかうになりぬ。そのありさまつねならずあはれにたふとし。はかうはてゝのあしたに。ある人かういひをこせたり。

をろかなる心の暗にまとひつゝ浮世にめくる我身つらしな

いほぬしもこの事をまごゝろにたう心を佛のごとしとおもふ。

白妙の月また出ててらさなむかさなる山のおくイにいるとも

また年ごろ家につくせることをくいて。

玉のをもむすふ心のうらもなく打とけてのみ過しつイるかな

さてさぶらふほどに。霜月廿日のほどのあすまかでなむとて。をとなし川のつらにあそべば。人しばしさぶらひ給へかし。神もゆるし聞え給はじなどいふほどに。かしらしろきからすありて。

後拾からすかしらも白く成にけり我かへるへき時やきぬ覽

さて人のむろにいきたれば。ひのきを人のたくか。はしりはためくをとりて見イれば。むろのあるじ。この山はほだくひけんありて。はたとぞ申すといへば。たきごゑならむといひてたちぬ。さてみふねじまといふ所にて。

そこおイに誰さほさしてみふね嶋神の泊りにことよさせけむ

たゞの山のたきのもとにて。

名にたかく早くよりきし瀧の糸に世々の契りを結ひつる哉

この山のありさま。人にいふべきにあらず。あはれにたうとし。かへるとて。そこにかひひろふとて袖のぬれければ。

藤衣なきさによするうつせ貝ひらふたもとはかつそ濡ける

この濱の人。はなのいはやのもとまでつきぬ。見ればやがて岩屋の山なる中をうがちて經をこめ奉たるなりけり。これはみろくぼとけの出給はんよにとり出たてまつらんとする經なり。天人つねにくだりてくやうし奉るといふ。げに見奉れば。この世ににたる所にもあらず。そとばのこけにうづもれたるなどあり。かたはらにわうじのいはやといふあり。たゞ松のかぎりある山也。その中にいとこきもみぢどもあり。むげに神の山と見ゆ。

法こめてたつの朝をまつ程は秋の名こりそ久しかりける

夕日に色まさりていみじうおかし。

心あるありまの浦のうら風はわきて木の葉も殘す有けり

天人のおりてくやうし奉るを思ひて。

天津人いはほをなつる袂にや法のちりをはうちはらふ覽

四十九院のいはやのもとにいたる夜。雪のいみじうふり。風わりなくふけば。

うら風に我こけ衣ほしわひて身にふりつもる夜半の雪かな

たてが崎といふ所あり。かみイのたゝかひしたる所とて。たてをついたるやうなるいはほどもあり。

打浪に滿くる汐のたゝかふをたてか崎とはいふにそ有ける

伊勢の國にてしほのひたる程に。見わたりといふはまをすぎむとて。夜なかにおきてくるに。道も見えねば。松ばらの中にとまりぬ。さて夜のあけにければ。

よをこめていそきつれ共松の根に枕をしてもあかしつる哉

あふ坂ごえしてやすむほどに。雪うちふりなどす。ものゝ心ぼそければ。なちの山にとまりなましものを。いづちとていそぎつらんなどおもふほどに。きあひたる人。いかで關はこえさせ給ひつるぞなどいふにつけてかうおぼゆ。

雪とみる身のうきからにあふ坂の關もあへぬは泪なりけり

とてたちぬ。つゝみのもとにて。京極の院のついぢくづれ。むまうしいりたち。女どもなどかさをきて。こむく金鼓うちありくをみるに。ことのおはせし時思ひあはせられて。なを世中かなしやなどおもふ。

けにそ世は鴨の川浪たちまちに淵もせになる物には有けり

など。見ることの木艸につけていはれける。かもに葉月ばかり。すゞむしのいみじうなき侍りしかば。

聞からにすこさそまさるはるかなる人を忍ふる宿の鈴虫

おぎおほかる家にて。風のふき侍に。よの中のはかなきことなど思たまへられて。

いかにせむ風にみたるゝ荻の葉の末はの露に異ならぬみを

秋のゝに鹿のしからむ荻のはのすゑはの露の有かたのよや

おなじ月の十日ごろに月いづるまで侍しに。たゞ入にいり侍しかば。これを思ふやう侍りて。

さもあらはあれ月いてゝさも入ぬれはみるへき人のある都かは

おなじころ。つれにねられで侍しにのいで侍ければ。

新古原はるかにひとりなかむれは袂に月のいてにけるかな

そのころのことにや侍りけん。いつとも侍らねども。

つれなくてをさふる袖のくれなゐにまはゆき迄に成にける哉

かものふだ不斷經にあひ侍しに。しかのなき侍しかば。

鹿の音にいとゝわりなさまさりけり山里に社秋はすませめ

すゞか山に。

をとにきく神の心をとるとすゝかの山をならしつる哉

かはのまゝにかんだち神館にまかりしに。かはなみのいみじうたちしかば。

わりなくも心一つをくたくかなよをへて岸にたつ浪はたゝ

つのくになるてらにまかりけるに。神なびのほどにしかのなきければ。

我ならぬ神なひ山のまさきへてつのまく鹿もねこそ鳴けれ

よのこゝろうきこゝろひとつに思わびて。

君たにもみやこなりせは思ふ事まつかたらひて慰めてまし

十月かもにこもりて。あかつきがたに。

みつかきにふる初雪を白妙のゆふしてかくと思ひけるかな

二三日侍てきぶねのもとの宮に侍しに。むらぎえたる雪ののこりて侍しかば。うちとけぬことや思いでけん。

白雪のふるかひもなき我身こそきえつゝ思へ人はとはぬを

もみぢのえもいはず見え侍しかば。みくらし侍て。夜になしていで侍とて。

紅葉はの色のあかさにめをつけてくらまの山に夜たとる哉

ある人のはつ雪のふり侍しつとめて。きくにさしていひて侍し。

ませの中に移ろふ菊のけさいかに初雪といはぬ君を恨みん

かへし。

初雪のふるにも身こそ哀なれとふへき菊のそのしなけれは

あけぼのにながめたちて侍しに。きりのいみじうみるまゝにたちわたりて。そらに見ゆらんとまことにいひ侍ぬべかりしかば。

からにしき染る山には立田姬きりのまくをそ引まはしたる

かたらふそうのまうでこで。かはもにさして。

こゝにとてくるをは神もいさめしを御手洗川の川藻成とも

かへし。

みな人のくるにならひて御手洗のかはも尋ねす也にける哉

みたらし川のつらに侍しに。もみぢのかたへはきくにあをばなみはへしを。人々みたまへてかへり侍てみえず侍しに。ちり侍しかば。

御手洗のもみちの色は川のせに淺きも深くなりはてにけり

京よりまうできたりける人の侍らざりけるほどにまうできて。かういひをきてまかりにける。しものみやしろなりしほどに。

みたらしのかさりならては色のみえつゝかゝらましやは[マヽ]

とてまかりにければ。こと人をかくなんといひていざなひて。はし殿にもろともに侍しに。日のくれ侍しかば。

ひとの落る御手洗川の紅葉はをよにいるまても折てみる哉

夜ねられ侍ぬまゝにきゝ侍れば。まことに夜中うちすぐるほどに。ちどりのなき侍しかば。

曉やちかくなるらんもろともにかならすもなく川千鳥かな

神のおまへによゐあかつきとさぶらひて佛の御事をいのり申に。

いひいつれは淚さし出る人の上を神もあはれや思すくらし

しものをきて侍しつとめて。もみぢはいかにと人のいひて侍しに。

をく霜のあさふす程やあらはあらん今一日たにみぬはもみち葉

紅葉のちりはてがたに風のいたうふき侍しかば。

後拾ちつもる庭をたにとてみるものをうたて嵐の吹はらふ覽はきにはくかな

十月一日かんし庚申に人々うたよみしに。

もみち葉のこのもとゝしにみもわかす心をのみも廻らかす哉

つきを。

山のはを出かてにする有明の月は光そほのかなりける

しぐれを。

ことそとて思ふともなき衣手に時雨のいたく降にけるかな

あるそうのみやしろに一夜さぶらひてまかでけるに。しものみやしろにまうでて侍しほどに。かくかきてすだれにさしはさみてまかりにける。

たひのいもねて心みつ草枕霜のおきつるあかつきそうき

返いひにつかはしゝ。

さてをしれしもの社もよをへてはおきつゝかよふ我衣手を

神に申侍し。よにはべるかひ侍らぬをこゝろにかなふなどおぼえ侍しかば。ながれむのちの名も。しらでやはべりなましなどおもひ給へられ侍しかば。身をやなげてましとおぼえ侍て。

ひたふるに賴むかひなき浮身をは神もいかにか思なりなん

まかりいでしに。きぶねに。

うきことのつゐにたえすは神にさへ恨を殘す身とや成なん

かたをかのすぎにむすびつけし。

片岡のいかきのすきししるしあらは夕暮每にかけて忍はん

いひちぎる事ありける人に。

契をきし大和なてしこ忘るなよみぬまに露の玉きえぬとも

こまかなる文を尋えてうれしき事の侍に。

うきこともきみかゝたまつみつるより露殘さすそ思捨つる

のぼらん事。はるかに人ののたまへるに。くらうなるほど。しとみおろす人のなどかさてはといふに。おもふたまへし。

思やるかたしなけれはつれ

よろづに思ひやりきこゆるに。しだりをのとのみ思ひしられ侍。みによろづしられ侍て。

かくしあらは冬のさむしろ打拂ふよはの衣手今やぬるらん

風にはかにおこり侍て。宮しろよりまかりいで侍て。

かつらきのくめの岩橋しるまてはと思ふ命の絕ぬへきかな

きくやうある人に。

した紐は結ひをきけん人ならてまた打とけむ事やものうき

返し。

濡衣につけゝん紐はきなからも結ひもしらすときも習はす

すのりとりにとて。人々あまたまうできて。かりたてゝゐてまうできたるに。これをと思ふ人や侍けん。よ半のけしきぞいとあはれに恃や。

すのりとるぬまかは水におり立て取にもまつそ袖は濡ける

さき見る人のねごろになりて。うとうもてなして侍に。月のあはれなりし夜。

ほのかにもほのみしものを遙かにも雲かくれ行空の月かな

これはとをたあふみの日記。


三月十日。あづまへまかるに。つゝみてあひみぬ人をおもふ。

都いつるけふ計りたにはつかにも逢みて人に別れにしかは

あはたでらにて京をかへり見て。

都のみかへりみられしあつま路に駒の心にまかぜてそゆく

せきやまの水のほとりにて。

せき水に又衣手はぬれにけりふたむすひたにのまぬ心に

人のとうくだりねといひしをせきいづるほどに思いでて。

うかりける身は東路の關守も思かほしてはえこそイとゝめさりけ

をかだ岡田のはらといふ所をめぐるに。

うきなのみおひ出る物を雲雀あかる岡田の原をみすてゝそ行

かゞみ山のみねに雲ののぼるを。

鏡山いるとてみつるわか身にはうきより外の事なかりけり

あかつきにきじのなくを。

すみなれののへにをのれは妻とねて旅ゆきイかほに鳴雉子哉

はるかにひえの山をみて。あすよりはかくれぬべしと思て。

けふ計りかすまさらなんあかて行都の山をあれとたにみん

むかしこもりてをこなひ侍し山寺イの火にやけて。ありしにもあらずなりて。あむし歟 つイちのまへにありしやまぶきの草のなかにまじりて所々あるを。

あたなりとみる植し山吹の花の色しもくたらさりけり

また。

山吹のしるしはかりもなかりせはいつこを住し里としらまし

そこよりくだるに日くれぬ。かたらひしひじりのある所にまかりたれば。その人はしにけり。もろともにはじめはべりしに。ふけかう普賢講をこなふとて。人々あまた侍れど。みもしらぬ人なり。ひとをよびいだしていふ。

われをとふ人こそなけれ昔みし都の月はおもひいつらん

又こと人々のさるべきもなくなりにけりときゝて。

なそもかくみとみし人は消にしをかひなき身しも何留り劍

すのまた洲股のわたりにてあめにあひて。そのよやがてそこにとまりて侍に。こまどもあまたみゆ。

澤にすむこまほしからぬ道にいてゝ日暮し袖を濡しつる哉

おはりなるみのうら蓑浦にて。

かひなきは猶人しれすあふことの遙なるみのうらみ成けり

ふたこ二村山にて。つゝじのはると咲て侍に。

からくにのにしなりとてもくらへみむ二村山の錦にはにし

その夜こふ國府にとまる。このをりしのをかに人々とまりて。きたなどいふべきにもあらず。かしは木のしたにまくひきてやどり侍て。人しれずおもふことおほう侍に。曉がたに。

ねらるやとふしみつれとも草枕有明の月も西袖イにみえけり

しかすがのわたりにて。わたしもりのいみじうぬれたるに。

旅人のとしも見えねとしかすかにみなれてみゆる渡守哉

みやぢ宮路山の藤のはなを。

紫のくもとみつるはみや地山名高き藤のさける也けり

たかし高師山にてすへつきつくるところときゝて。

たつならぬ高師の山のすへつくり物思ひをそやくとすと聞

はまな濱名はしのもとにて。

人しれすはまなの橋のうちわたし歎そ渡るいくよなきよを

はしのこぼれたるを。

中絕て渡しもはてぬ物ゆへになにゝはまなの橋をみせけん

まかりつきてのち雨のふり侍にければ。かくおぼえ侍。

誰に言むひまなき比のなかめふイる物思ふ人の宿りからかと

ほとゝぎすのこゑをきゝて。

此比はねてのみそまつ時雨 [鳥歟]しはし都のものかたりせよ

はこ鳥のなくをきゝ侍て。

故鄕のことつてかとてはこ鳥のなくをうれしと思ひける哉

ぬなはのながきを人のもてまうできたるをみて。

我ならはいけといひても浮ぬなは遙にくるはまつ留てまし

夜ぶかくほとゝぎすをきゝて。

身をつめは哀れとそきく時鳥よをへていかゝ思へはかなし

五月五日。あめのふり侍に。

世の中のうきのみまさるなかめには菖蒲のね社先流れけれ

たちばなの木に郭公のなき侍に。

郭公花たちはなのかはかりになくはむかしや戀しかるらん

寺イよりむめをもてまうできたるをみて。

都にはしつえの梅も散はてゝたゝ香はかりの露のイをくらん

ほとゝぎすのなくを。

我はかりわりなく物や思ふらん夜ひるもなくほとゝきす哉

六月七日。またつとめて。

夏山のこのしたかけに置露のあるかなきかのうき世成けり

よもすがら月をながむる曉に。

つれと慰まねともよもすからみらるゝものは大空の月

つごもりにねられず侍まゝに。夜ふくるまで侍て。

そらはると闇のよる眺むれは哀れに物そ見え渡りける

おなじ月の六日。つゆのほたるにかゝりて侍りければ。

戀わひてなくさめにする玉つさにいとしイもまさる我淚かな

七日のつとめて。かはらへ人のいざと申に。

たなはたのあまの羽衣すきたらはかくてや我を人の思はん

おなじ日。うらやまれぬるなど思ひ侍て。

七夕をもとかしとみし我身しもはてはあひみぬ例とそなる

又。

逢ことをけふとたのめて待たにもいか計りかはあるな七夕

ある僧のもとよりをみなへしををこせて。

白露のをくに咲けるをみなへしよ半にやいりて君をみる覽

おとこのこと所よりかよふ人のもとより。つくろふ人侍らねば。いとことやうになんとて。うりををこせて侍に。

秋ことにたゝみるよりはうりふ山我そのにやはなり試みぬ

あか月にむしのなくを。

きゝしかなわかこと秋のよもすからねられぬ儘に虫も鳴也

あるそうののぼり侍らん事とひて侍しに。

君はおもふ宮古はこひし人しれすふたみちかけて歎比哉

きくをいとおほううへて侍に。のぼり侍なんとてむすびつけ侍し。

みつきなはふる鄕もこそ忘らるれこの花さかぬまつ歸り南

をちゝうるこどものはゝの。ことおとこにつきてはべれば。いみじうなげくよしをきゝ侍て。

その原の梢をみれは箒木のうきをほののみイきく袖もぬれけり

かひのすけといふもののをいみじうこのみ侍しにつかはす時。しかのなき侍しに。

よりこをそしかも誠に思ひけるかひよとこと草にして

京よりねんごろなる人々の御ふみどもあるに。なくなり給にし人おはせましかばと。みればおぼえ侍て。

今一人そへてやみましたまつさを昔の人のあるよなりせは

きくにむすびつけしふみをある人のみたまひて。九日。

みつきなく留れと迄は思ねとけふはすくまてイといふ花とイ社みれ

返し。

眞心によはひしとまる物ならはちゝの秋迄すきもしなまし

なをいでて十一日はまなのはしのもとにとまり侍イて。月のいとおもしろきを見侍て。

うつしもて心靜かにみるへきをうたても浪のたイち騷くかな

夜ふけてしかのなくに。

たかしやま松の木すゑに吹風のみにしむ時そ鹿もなきけくなイ

うつろひする所にいはひのこゝろを。

君か代はなるをの浦になみたてる松の千歲そ數にあつめん

このまへになるをのはまといふ所の侍なり。さてそのまつは見え侍しなりとぞ。


右いほぬし一卷以亞相爲氏卿眞蹟書寫以扶桑拾葉集及一本挍合畢