「土佐日記 (國文大觀)」の版間の差分

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いとをかしかし。この池といふは所の名なり。よき人の男につきて下りて住みけるなり。この長櫃の物は皆人童までにくれたれば、飽き満ちて舟子どもは腹鼓をうちて海をさへおどろかして浪たてつべし。かくてこの間に事おほかり。けふわりごもたせてきたる人、その名などぞや、今思ひ出でむ。この人歌よまむと思ふ心ありてなりけり。とかくいひいひて浪の立つなることゝ憂へいひて詠める歌、
 
:「ゆくさきにたつ白浪のよりもおくれて泣かむわれやまさらむ」
 
とぞ詠める。いと大なるべし。持てきたる物よりは歌はいかゞあらむ。この歌を此彼あはれがれども一人りも返しせず。しつべき人も交れゝどこれをのみいたがり物をのみくひて夜更けぬ。この歌ぬしなむ「またまからず」といひてたちぬ。ある人の子の童なる密にいふ「まろこの歌の返しせむ」といふ。驚きて「いとをかしきことかな。よみてむやは。詠みつべくばはやいへかし」といふ。「まからずとて立ちぬる人を待ちてよまむ」とて求めけるを、夜更けぬとにやありけむ、やがていにけり。「そもそもいかゞ詠んだる」といぶくしがりて問ふ。この童さすがに恥ぢていはず。強ひて問へばいへるうた、
 
:「ゆく人もとまるも袖のなみだ川みぎはのみこそぬれまさりけれ」
とや。
 
九日、つとめて大湊より那波の泊をおはむとてこぎ出でにけり。これかれ互に國の堺の内はとて見おくりにくる人数多が中に藤原のときざね、橘の季衡、長谷部の行政等なむみたちより出でたうびし日より此所彼所におひくる。この人々ぞ志ある人なりける。この人々の深き志はこの海には劣らざるべし。これより今は漕ぎ離れて往く。これを見送らむとてぞこの人どもは追ひきける。かくて漕ぎ行くまにまに海の辺にとまれる人も遠くなりぬ。船の人も見えずなりぬ。岸にもいふ事あるべし、船にも思ふことあれどかひなし。かゝれどこの歌を言にしてやみぬ。
 
:「おもひやる心は海を渡れどもふみしなければ知らずやあるらむ」。
 
かくて宇多の松原を行き過ぐ。その松の幾そばく、幾千歳へたりと知らず。もとごとに浪うちよせ枝ごとに鶴ぞ飛びかふ。おもしろしと見るに堪へずして船人のよめる歌、
 
:「見渡せば松のうれごとにすむ鶴は千代のどちとぞ思ふべらなる」
:「あをうなばらふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」
 
とぞよめりける。かの國の人聞き知るまじくおもほえたれども、ことの心を男文字にさまを書き出して、こゝの詞伝へたる人にいひ知らせければ、心をや聞き得たりけむ、いと思ひの外になむめでける。もろこしとこのとはことことなるものなれど、月の影は同じことなるべければ人の心も同じことにやあらむ。さて今そのかみを思ひやりて或人のよめる歌、
 
:「都にてやまのはにみし月なれどなみより出でゝなみにこそ入れ」。
:「年ごろをすみし所の名にしおへばきよる浪をもあはれとぞ見る」。
 
三十日、雨風ふかず。海賊は夜あるきせざなりと聞きて、夜中ばかりに船を出して阿波のみとを渡る。夜中なれば西ひんがしも見えず、男女辛く神を祈りてこのみとを渡りぬ。寅卯の時ばかりに、ぬ島といふ所を過ぎてたな川といふ所を渡る。からく急ぎて和泉の灘といふ所に至りぬ。今日海に浪に似たる物なし。神の恵蒙ぶれるに似たり。けふ船に乗りし日よりふればみそかあまり九日になりにけり。今は和泉のに來ぬれば海賊ものならず。
 
二月朔日、あしたのま雨降る。午の時ばかりにやみぬれば、和泉の灘といふ所より出でゝ漕ぎ行く。海のうへ昨日の如く風浪見えず。黒崎の松原を経て行く。所のなは黒く、松の色は青く、磯の浪は雪の如くに、貝のいろは蘇枋に五色に今ひといろぞ足らぬ。この間に今日は箱の浦といふ所より綱手ひきて行く。かく行くあひだにある人の詠める歌、
九日、心もとなさに明けぬから船をひきつゝのぼれども川の水なければゐざりにのみゐざる。この間に和田の泊りのあかれのところといふ所あり。よねいをなどこへばおこなひつ。かくて船ひきのぼるに渚の院といふ所を見つゝ行く。その院むかしを思ひやりて見れば、おもしろかりける所なり。しりへなる岡には松の木どもあり。中の庭には梅の花さけり。こゝに人々のいはく「これむかし名高く聞えたる所なり。故惟喬のみこのおほん供に故在原の業平の中将の「世の中に絶えて櫻のさかざらは春のこゝろはのどけからまし」といふ歌よめる所なりけり。今興ある人所に似たる歌よめり、
 
:「千代へたる松にはあれどいにしへのの寒さはかはらざりけり」。
 
又ある人のよめる、
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