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{{header|title=直毘霊|author=本居宣長|year=1771|notes=* 底本:「[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1183290/33 直毘霊]」、三矢重松(1924年歿)編『四大人文鈔』1916年1月15日発行、55-80頁
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2020年1月26日 (日) 06:18時点における版


本居宣長大人

一二 直毘靈ナホビノミタマ


スメラ大御國オホミクニカケまくも可畏カシコ神御祖カムミオヤ天照アマテラス大御神オホミカミの、生坐アレマセ大御國オホミクニにして、

國にスグれたる所由ユヱは、先こゝにいちじるし、國といふ國に、此大御神の大御德オホミメグミかゞふらぬ國なし、

大御神、オホ御手ミテアマシルシ捧持サヽゲモタして、

御代御代にしるしとツタはりつる、三種ミクサ神寶カムダカラは是ぞ、

萬千秋ヨロヅチアキ長秋ナガアキに、アガ御子ミコのしろしめさむ國なりと、ことよさしタマへりしまにまに、

天津日嗣アマツヒツギ高御座タカミクラの、天地の共動ムタウゴかぬことは、ハヤくこゝに定まりつ、

天雲アマグモのむかぶすかぎり、谷蟆タニグヽのさわたるきはみ、皇御孫スメミマノ命のオホ食國ヲスクニとさだまりて、天下アメノシタにはあらぶる神もなく、まつろはぬ人もなく、

いく萬代をとも、タレしのヤツコか、大皇オホキミソムマツラむ、あなかしこ、御代御代のアヒダに、たま不伏マツロハヌ惡穢キタナキヤツコもあれば、神代の古事フルコトのまにオホ御稜威ミイツをかゞやかして、たちまちにうちホロボし給ふ物ぞ、

千萬チヨロヅ御世ミヨ御末ミスヱの御代まで、天皇命スメラミコトはしも、大御神の御子ミコとまして、

御世御世の天皇スメラギは、すなはち天照大御神の御子になも大坐オホマシます、カレアマつ神の御子とも、日の御子ともまをせり、

アマつ神の御心を大御心として、

ナニわざも、己命オノレミコトの御心もてさかしだち賜はずて、たゞ神代の古事フルコトのまゝに、おこなひたまひヲサめ賜ひて、ウタガひおもほす事しあるをりは、卜事ウラゴトもて、天神の御心をトハして物し給ふ、

神代も今もへだてなく、

たゞ天津日嗣アマツヒツギシカましますのみならず、臣連オミムラジ八十ヤソ伴緖トモノヲにいたるまで、ウヂかばねをオモみして、子孫ウミノコ八十ヤソツヾキ、その家々イヘ職業ワザをうけつがひつゝ、祖神オヤガミたちに異ならず、タヾ一世ヒトヨの如くにして、神代のまゝに奉仕ツカヘマツれり、
カムながら安國ヤスクニタヒラけく所知シロシしける大御國になもありければ、
書紀の難波ナニハノ長柄ナガラノ朝廷ミカドノ御卷ミマキに、惟神カムナガラトハイフ隨神道亦カミノミチニシタガヒタマヒテオノヅカラ有神道カミノミチアルヲ也とあるを、よく思ふべし、神道にシタガふとは、天ヲサめ賜ふしわざは、たゞ神代より有こしまに、物し賜ひて、いさゝかもさかしらをクハへ給ふことなきをいふ、さてしか神代のまにオホらかに所知シロシせば、おのづから神の道はたらひて、ホカにもとむべきことなきを、オノヅカラとはいふなりけり、かれ現御神アキツミカミ大八洲國オホヤシマグニしろしめすと申すも、其御世々々の天皇の御政ミヲサメ、やがて神の御政ミヲサメなる意なり、萬葉集の歌などに、神隨カムナガラ云云シカとあるも、同じこゝろぞ、神國カミグニ韓人カラビトの申せりしも、ウベにぞ有ける、

オホ御世ミヨには、ミチといふ言擧コトアゲもさらになかりき、

古語フルコトに、あしはらの水穗ミヅホの國は、カムながら言擧コトアゲせぬ國といへり、

はたゞ物にゆく道こそ有けれ、

美知ミチとは、此記にウマシ御路ミチと書る如く、山路ヤマヂ野路ヌヂなどのに、てふ言をソヘたるにて、たゞ物にゆく路ぞ、これをおきては、上代に、道といふものはなかりしぞかし、

物のことわりあるべきすべ、ヨロヅヲシへごとをしも、ナニの道くれの道といふことは、異國アダシクニのさだなり、

異國アダシクニは、天照大御神の御國にあらざるが故に、サダまれるキミなくして狹蠅サバヘなす神ところを得て、あらぶるによりて、人心あしく、ならはしみだりがはしくして、國をしトリつれば、賤しきヤツコも、たちまちに君ともなれば、カミとある人は、下なる人にウバはれじとかまへ、下なるは、上のひまうかゞひて、うばゝむとはかりて、かたみにアタみつゝ、古より國ヲサまりがたくなも有ける、が中に、威力イキホヒありサトり深くて、人をなづけ、人の國をウバひ取て、又人にうばゝるまじき事量コトバカリをよくして、しばし國をよく治めて、後のノリともなしたる人を、もろこしには聖人とぞ云なる、たとへばミダれたる世には、タヽカヒにならふ故に、おのづから名將ヨキイクサノキミおほくいでくるが如く、國の風俗ナラハシあしくして、治まりがたきを、あながちに治めむとするから、世々にそのすべをさま思ひめぐらし、ならひたるゆゑに、しかかしこき人どももいできつるなりけり、然るをこの聖人といふものは、神のごとよにすぐれて、おのづからにクスしきイキホヒあるものと思ふは、ひがことなり、さて其聖人どもの作りかまへて、定めおきつることをなも、道とはいふなる、かゝれば、漢國カラクニにして道といふ物も、其ムネをきはむれば、たゞ人の國をうばゝむがためと、人に奪はるまじきかまへとの、二にはすぎずなもある、そも人の國を奪ひ取むとはかるには、よろづに心をくだき、身をくるしめつゝ、ヨキことのかぎりをして、諸人モロビトをなづけたる故に、聖人はまことに善人ヨキヒトめきて聞え、又そのつくりおきつる道のさまも、うるはしくよろづにたらひて、めでたくは見ゆめれども、まづオノレからその道にソムきて、君をほろぼし、國をうばへるものにしあれば、みないつはりにて、まことはよき人にあらず、いともいともアシき人なりけり、もとよりしか穢惡キタナき心もて作りて、人をあざむく道なるけにや、後人も、うはべこそたふとみしたがひがほにもてなすめれど、まことには一人もマモりつとむる人なければ、國のたすけとなることもなく、其名のみひろごりて、つひに世にオコナはるゝことなくて、聖人の道は、たゞいたづらに人をそしる世々の儒者ズサどもの、さへづりぐさとぞなれりける、然るに儒者の、たゞ六經などいふ書をのみとらへて、彼國をしも、道タヾしき國ぞと、いひのゝしるは、いたくたがへることなり、かく道といふことを作りてタヾすは、もと道の正しからぬが故のわざなるを、かへりてたけきことに思ひいふこそをこなれ、そも後人、此道のまゝに行なはゞこそあらめ、さる人は、よゝに一人だに有がたきことは、かの國の世々のフミどもを見てもしるき物をや、さて其道といふ物のさまは、いかなるぞといへば、仁義禮讓孝悌忠信などいふ、こちたき名どもを、くさ作りマケて、人をきびしく敎へおもむけむとぞすなる、さるは後世の法律を、先王の道にそむけりとて、儒者はそしれども、先王の道も、古の法律なるものをや、またヤクなどいふ物をさへ作りて、いともこゝろふかげにいひなして、天地のコトワリをきはめつくしたりと思ふよ、これはた世人をなつけ治めむための、たばかり事ぞ、そも天地のことわりはしも、すべて神の御所爲ミシワザにして、いともタヘクスしく、アヤしき物にしあれば、さらに人のかぎりあるサトりもてはハカりがたきわざなるを、いかでかよくきはめつくして知ることのあらむ、然るに聖人のいへる言をばナニごともたゞコトワリ至極キハミと、ウケたふとみをるこそいとオロカなれ、かくてその聖人どものしわざにならひて、後々ノチの人どもゝ、よろづのことをオノがさとりもておしはかりごとするぞ、彼國のくせなる、大御國の物學びせむ人、コヽをよく心得をりて、ゆめから人のコトになまどはされそ、すべて彼國は、事ゴトにあまりこまかに心をツケて、かにかくにアゲツラひさだむる故に、なべて人の心さかしだちワロくなりて、中々に事をしゝこらかしつゝ、いよゝ國は治まりがたくのみなりゆくめり、されば聖人の道は、國を治めむために作りて、かへりて國を亂すたねともなる物ぞ、すべてナニわざも、オイらかにして事タリぬることは、さてあるこそよけれ、カレ皇國の古は、さる言痛コチタき敎ナニもなかりしかど、下が下までみだるゝことなく、天下はオダヒに治まりて、天津日嗣いや遠長トホナガに傳はりマセり、さればかの異國の名にならひていはゞ是ウヘなきスグレたるオホき道にして、マコトは道あるが故に道てふコトなく、道てふことなけれど、道ありしなりけり、そをことしくいひあぐると、然らぬとのけぢめを思へ、言擧コトアゲせずとは、あだし國のごと、こちたくイヒたつることなきを云なり、タトヘザエナニも、すぐれたる人はいひたてぬを、なまのわろものぞ、返りていさゝかの事をも、ことしくイヒあげつゝほこるめる如く、漢國カラクニなどは、道ともしきゆゑに、かへりて道道ミチしきことをのみ云あへるなり、儒者ズサはこゝをえしらで、皇國をしも道なしとかろしむるよ、儒者のえしらぬは、萬カラタフトき物に思へる心は、なほさも有なむを、の物知人さへに、是をえさとらずて、かの道てふことある漢國をうらやみて、シヒてこゝにも道ありと、あらぬことゞもをいひつゝアラソふは、たとへば猿どもの人を見て、なきぞとわらふを、人のハヂて、おのれもはある物をといひて、こまかなるをしひて求出モトメイデて見せて、あらそふが如し、きが貴きをえしらぬ癡人シレモノのしわざにあらずや、

然るをやゝクダりて書籍フミといふ物渡參來ワタリマヰキて、マナびよむ事ハジまりてノチ國のてぶりをならひて、やゝ萬のうへにまじへ用ひらるゝ御代になりてぞ、大御國の古オホ御てぶりをば、トリワケカミノ道とはなづけられたりける、そはかの外國トツクニ道々ミチにまがふがゆゑに、カミといひ、又かの名をりて、こゝにも道とはいふなりけり、

神の道としもいふ所由ユヱは、下につばらかにとく、
しかありて御代々々をるまゝに、いやますに、その漢國カラクニのてぶりをしたひまねぶこと、サカリになりもてゆきつゝ、つひに天の下所知シロシ大御政オホミワザもゝはら漢樣カラザマナリはてゝ、
難波の長柄ナガラノ宮、淡海アフミの大津宮のほどに至りて、天の下の御制度ミサダメも、みなカラになりき、かくて後は、古てぶりは、たゞ神事カムワザにのみ用ひ賜へり、故代までも、神事カムワザにのみは、皇國のてぶりの、なほのこれることおほきぞかし、

靑人草アヲヒトクサの心までぞ、其意にうつりにける、

天皇尊スメラミコトの大御心を心とせずして、己々オノがさかしらごゝろを心とするは、漢意カラゴゝロの移れるなり、

さてこそヤスけく平けくて有來アリコし御國の、みだりがはしきこといできつゝ、異國アダシクニにやゝたることも、後にはまじりきにけれ、

いとめでたき大御國の道をおきながら、他國ヒトグニのさかしく言痛コチタ意行コヽロシワザを、よきことゝして、ならひまねべるから、ナホキヨかりし心もオコナひも、みな穢惡キタナくまがりゆきて、後つひには、かの他國ヒトグニのきびしき道ならずては、治まりがたきが如くなれるぞかし、さる後のありさまを見て、聖人の道ならずては、國は治まりがたき物ぞと思ふめるは、しか治まりがたくなりぬるは、もと聖人の道のツミなることを、えさとらぬなり、古の大御代に、其道をからずて、いとよく治まりしを思へ、
そも天地アメツチのあひだに、有とある事は、悉皆コトに神の御心なる中に、
凡て此中の事は、春秋のゆきかはり、雨ふり風ふくたぐひ、又國のうへ人のうへの、ヨキアシき萬事、みなことに神の御所爲ミシワザなり、さて神には、ヨキもありアシきも有て、所行シワザもそれにしたがふなれば、大かた尋常ヨノツネのことわりを以ては、ハカりがたきわざなりかし、然るを世人、かしこきもおろかなるもおしなべて、外國トツクニの道々のコトにのみマドひはてゝ、此意をえしらず皇國の學問モノマナビする人などは、古書イニシヘノフミを見て、必べきわざなるを、さる人どもだに、えわきまへ知ざるは、いかにぞや、抑ヨキアシき萬の事を、あだし國にて、佛の道には因果とし、カラの道々には天命といひて、天のなすわざと思へり、これらみなひがことなり、そが中に佛コトは、多く世の學者モノマナブヒトの、よく辨へつることなれば、今いはず、漢國カラクニの天命のコトは、かしこき人もみなマドひて、いまだひがことなることをさとれる人なければ、今これをアゲツラひさとさむ、抑天命といふことは、彼國にて古に、君をホロボし國をウバひし聖人の、オノが罪をのがれむために、かまへイデたる託言コトツケゴトなり、まことには、天地は心ある物にあらざれば、メイあるべくもあらず、もしまことに天に心あり、コトワリもありて、善人ヨキヒトに國をアタて、よく治めしめむとならば、周の代のはてかたにも、必又聖人は出ぬべきを、さもあらざりしはいかにぞ、もし周公孔子にして、スデに道はソナハれる故に、其後は聖人を出さずといはむも、又心得ず、かの孔丘が後、其道あまねく世に行はれて、國よく治まりたらむにこそ、さもいはめ、其後しもいよゝ其道すたれはてゝ、徒言イタヅラゴトとなり、國もますみだれつる物を、今はたれりとして、聖人をも出さず、國のマガをもかへりみず、つひに秦始皇がごとアラぶる人にしもアタへて、人草ヒトクサクルしめしは、いかなる天のひがごゝろぞ、いといぶかし、始皇などは天のあたへしに非る故に、久しくはえたもたず、ともいひマグべけれど、そもシバラクにても、さる惡人アシキヒトにあたふべき理あらめやも、又國をしる君のうへに、天命のあらば、下なる諸人モロビトのうへにも、善惡ヨキアシきしるしを見せて、ヨキ人はながくサカえ、アシキ人はスミヤけくマガるべき理なるを、さはあらずて、よき人もアシく、あしき人もきたぐひ、ムカシも今も多かるはいかに、もしまことに天のしわざならましかば、さるひがことはあらましや、さて後世になりては、やうやく人心さかしきゆゑに、國を奪ひて天命ぞといふをば、世人のウベなはねば、うはべはユヅらせてトルこともあるをば、よからぬことにいふめれど、かの古の聖人どもゝ、マコトは是にコトならぬ物をや、後世の王の命ぞといふをば、ウケぬものゝ、古人の天命をば、まことゝ心得をるは、いかなるまどひぞも、古は、天命ありて、後にはなきこそをかしけれ、或人、舜は堯が國をうばひ、禹も亦舜が國を奪へりしなりといへるも、さも有べきことぞ、後世の王莽曹操がたぐひも、うはべはゆづりをウケツギつれども、マコトウバへるを以て思へば、舜禹などもさぞありけむを、上代はスナホにして、ユズれりと云なせるを、まことゝ心得て、國內クヌチの人ども、みなあざむかれにけらし、かの莽操がころは、世人さかしくて、あざむかれざりし故に、アシきしわざのあらはれけむ、かれらが如くなるトモガラも、上代ならましかば、あはれ聖人とアフがれなましものを、

禍津マガツ神の心のあらびはしも、せむすべなく、いともカナしきわざにぞありける、

世間ヨノナカに、物あしくそこなひなど、凡て何事ナニゴトも、正しき理のまゝにはえあらずて、ヨコサマなることも多かるは、皆此の神の御心にして、イタアラマス時は、天照大御神高木大神の大御力にも、トヾみかね賜ふをりもあれば、まして人の力には、いかにともせむすべなし、かのヨキ人もマガり、アシキ人もサカゆるたぐひ尋常ヨノツネの理にさかへる事の多かるも、皆此神の所爲シワザなるを、外國には、神代の正しき傳說ツタヘゴトなくして、此所由ヨシをえしらざるが故に、たゞ天命の說を立て、何事ナニゴトもみな、當然シカルベキコトワリを以て定めむとするこそ、いとをこなれ、

シカれども、天照大御神高天タカマノ原に大坐々オホマシて、大御光オホミヒカリはいさゝかもクモりまさず、此世を御照ミテラしましアマ御璽ミシルシはた、はふれまさずツタはりマシて、事依コトヨサし賜ひしまに、天の下は御孫命ミマノミコト所知食シロシメシて、

異國アダシクニは、本より主の定まれるがなければ、たゞビトもたちまち王になり、王もたちまちたゞ人にもなり、ホロびうせもする、古よりの風俗ナラハシなり、さて國を取むとハカりて、えとらざるモノをば賊といひてイヤしめにくみ、取得たる者をば、聖人といひてタフトアフぐめり、さればいはゆる聖人もたゞ賊のとげたる者にぞ有ける、カケまくも可畏カシコきやワガ天皇尊スメラミコトはしも、るいやしき國々の王どもと、ヒトシなみには坐まさず、此御國を生成ウミナシたまへりし神祖カムロギ命の、みづからサヅケ賜へる皇統アマツヒツギにまして、天地の始より、大御食國ヲスクニと定まりたる天下にして、大御神の大命オホミコトにも、天皇アシく坐まさば、まつろひそとはノリたまはずあれば、く坐むもアシく坐むも、カタハラよりうかゞひはかり奉ることあたはず、天地のあるきはみ、月日のテラす限は、いく萬代をても、ウゴき坐ぬ大君に坐り、故古語フルコトにも、當代ソノヨの天皇をしも神と申して、マコトに神にし坐ませば、善惡ヨキアシうへのアゲツラひをすてゝ、ひたぶるにカシコウヤマ奉仕マツロフぞ、まことの道には有ける、然るを中ごろの世のみだれに、此道にソムきてカシコくも大朝廷オホミカド射向イムカひて、天皇尊スメラミコトをなやまし奉れりし、北條義時泰時、又足利尊氏などが如きは、あなかしこ、天照日大御神の大御蔭オホミカゲをもおもひはからざる穢惡キタナ賊奴ヤツコどもなりけるに、マガビノ神の心はあやしき物にて、世人のなびき從ひて、子孫ウミノコの末まで、しばらくサカヲリしことよ、抑此世を御照し坐ます天津日神をば、必たふとみ奉るべきことをしれども、天皇を必カシこみ奉るべきことをば、しらぬヤツコもよにありけるは、漢籍意カラブミゴゝロにまどひて彼國のみだりなる風俗ナラハシを、かしこきことにおもひて、正しき皇國の道をえしらず、今世を照しまします天津日神卽天照大御神にましますことをウケず、今の天皇、すなはち天照大御神の御子に坐ますことをワスれたるにこそ、

天津日嗣アマツヒツギ高御座タカミクラは、

天皇の御統ミツイデを日嗣と申すは、日神の御心を御心として、其御業ミシワザツギが故なり、又その御座ミクラを高御座と申すは、唯に高き由のみにあらず、日神の御座なるが故なり、日には、高照タカヒカルとも高日タカヒとも日高ヒダカとも申す古語フルコトのあるを思へ、さて日神の御座を、次々ツギに受傳へ坐て、其御座に大坐オホマシます天皇命にませば、日神にヒトシく坐ことウツナし、かゝれば、天津日神のおほみうつくしみをカヾフらむ者は、タレしか天皇命には、可畏カシコヰヤタフトみて、奉仕ツカヘマツらざらむ、

あめつちのむた、ときはにかきはにウゴく世なきぞ、此道のアヤシクスシく、異國アダシクニの萬の道にすぐれて、タヾしきタカタフトシルシなりける、

漢國などは、道てふことはあれども、道はなきが故に、もとよりみだりなるが、世世にます亂れみだれてツヒにはカタヘの國人に國はことくうばはれはてぬ、は夷狄といひてイヤシめつゝ、人のごともおもへらざりしものなれども、いきほひつよくして、うばひ取つれば、せむすべなく天子といひて、アフるなるは、いともあさましきありさまならずや、かくても儒者ズサはなほよき國とやおもふらむ、王のみならず、おほかたタフトきいやしきスヂさだまらず、周といひし代までは、封建のサダメとかいひて、此ワキありしがごとくなれど、それも王のスヂかはれば、下までも共にかはりつれば、まことはワキなし、秦よりこなたは、いよゝ此道たゝず、みだりにしてイヤシヤツコムスメも、君のメデのまにタチマチキサキの位にのぼり、王のムスメをも、すぢなきヲノコにあはせて、ハヂともおもへらず、又昨日キノフまで山賤ヤマガツなりし者も、今日ケフはにはかに國の政とる高官タカキツカサにもなりノボるたぐひ、凡て貴賤タカキイヤシき品さだまらず、島獸トリケモノのありさまにコトならずなもありける、

そも此道は、いかなる道ぞとタヅぬるに、天地のおのづからなる道にもあらず、

をよく辨別わきまへて、漢國カラクニの老莊などがコヽロと、ひとつにな思ひまがへそ、

人の作れる道にもあらず、此道はしも、可畏カシコきや高御タカミ產巢ムス神の御靈ミタマによりて、

中にあらゆる事も物も、ミナコトに此大神のみたまより成れり、

神祖カムロギ伊邪那イザナギノ大神伊邪那イザナミノ大神の始めたまひて、

よのなかにあらゆる事も物も、此二柱大神よりはじまれり、
天照大御神のウケたまひたもちたまひ、傳へ賜ふ道なり、カレ是以ココヲモテ神の道とは申すぞかし、
道と申す名は、書紀の石村池邊イハレノイケノベノ宮の御卷に、始めて見えたり、されどは只、神をいつき祭りたまふことをさして云るなり、さて難波長柄宮の御卷に、惟神カムナガラトハシタガヒ 玉ヒテオ ルヲ也とあるぞ、まさしく皇國の道を廣くさしていへる始なりける、さて其由は、上に引ていへるが如くなれば、其道といひて、ことなるオコナひのあるにあらず、さればたゞ神をいつき祭りたまふことをいはむも、いひもてゆけば一むねにあたれり、然るを、からぶみに、聖人設ケテ神道、といふ言あるを取て、此方コヽにもナヅけたりなどいふめるは、ことのこゝろしらぬみだりゴトなり、其故は、まづ神とさすもの、コヽカシコと始より同じからず、かの國にしては、いはゆる天地陰陽の、不測ハカリガタく、アヤシきをさしていふめれば、たゞムナシき理のみにして、たしかに其物あるにあらず、さて皇國の神は、今のウツヽ御宇天皇アメノシタシロシメス皇祖ミオヤに坐て、さらにかのムナシき理をいふ類にはあらず、さればかの漢籍カラブミなる神道は、不測ハカリガタクくあやしき道といふこゝろ、皇國の神道は、皇祖ミオヤノ神の、始め賜ひたもち賜ふ道といふことにて、其意いたくコトなるをや、

さて其道の意は、此フミをはじめ、もろ古書イニシヘブミどもをよくアヂハひみれば、今もいとよくしらるゝを、世々のものしりびとゞもの心も、みな禍津日神にまじこりて、たゞからぶみにのみマドひて、思ひとおもひ、いひといふことは、みなホトケカラとのコヽロにして、まことの道のこゝろをば、えさとらずなもある、

は道といふ言擧コトアゲなかりし故に、古書どもにつゆばかりも道々ミチしきコヽロコトバも見えず、カレ舍人親王トネノミコを始め奉て、世々の識者モノシリビトども、道の意をえとらへず、たゞかの道々ミチしきことこちたく云る、からブミコトのみ、心のソコにしみツキて、を天地のおのづからなる理と思る故に、すがるとは思はねども、おのづからそれにまつはれて、彼方カナタへのみ流れゆくめり、されば異國アダシクニの道を道の羽翼タスケとなるべき物と思ふも、卽心のかしこへウバはれつるなりけり、大かた漢國のコトは、かの陰陽乾坤などをはじめ、諸皆モロ、もと聖人どものオノサトリをもて、おしはかりに作りかまへたる物なれば、うち聞には、ことわりフカげにきこゆめれども、カレ垣內カキツハナれて外よりよく見れば、ナニばかりのこともなく、中々にアサはかなることゞもなりかし、されどムカシも今も世人の此垣內カキツ迷入マヨヒイリて、出離イデハナれぬこそくちをしけれ、大御國のコトは、神代より傳へしまゝにして、いさゝかも人のさかしらをクハへざる故に、うはベはたゞ淺々アサと聞ゆれども、マコトにはそこひもなく、人のサトリ測度ハカラぬ、深きタヘなる理のこもれるを、其意をえしらぬは、かの漢國書カラクニブミ垣內カキツにまよひ居る故なり、をいではなれざらむほどは、たとひ百年モヽトセ千年チトセチカラをつくして、物學モノマナぶとも、道のためには、何のシルシなきいたづらわざならむかし、但し古書は、みな漢文カラブミにうつして書たれば、彼國のことも、一わたりは知てあるべく、文字モジのことなどしらむためには、漢籍カラブミをも、いとまあらば學びつべし、皇國魂ミクニダマシヒの定まりて、たゞよはぬうへにては、サマタゲはなきものぞ、

カレおのが身々ミヽ受行ウケオコナふべき神道の敎などいひて、くさものすなるも、みなかの道々のをしへごとをうらやみて、近き世にかまへ出たるわたくしごとなり、

ことしく祕說ヒメゴトなど云て、人えりしてヒソカに傳ふるタグヒなど、皆後世に僞造イツハリツクれることぞ、凡てよきことはいかにも世に廣まるこそよけれ、ひめかくして、あまねく人に知せず、オノ私物ワタクシモノにせむとするは、いと心ぎたなきわざなりかし、

あなかしこ、天皇オホキミの天下しろしめす道をシモシモとしてオノがわたくしの物とせむことよ、

下なるモノは、かにもかくにもたゞ上の御おもむけにシタガるこそ、道にはかなへれ、たとへ神の道のオコナひの、コトにあらむにても、を敎へ學びて、コトに行ひたらむは、上にしたがはぬ私事ならずや、

人はみな、產巢ムスビノ神の御靈ミタマによりて、ウマれつるまに、身にあるべきかぎりのワザは、おのづから知てよくる物にしあれば、

世中ヨノナカイキとしいける物、鳥蟲に至るまでも、オノが身のほどに必あるべきかぎりのわざは、產巢ムスビノ神のみたまにヨリて、おのづからよく知てなすものなる中にも、人は殊にすぐれたる物とうまれつれば、又しかスグれたるほどにかなひて、知べきかぎりはしり、すべきかぎりはする物なるに、いかでか其をなほ强るシヒ(マヽ)ことのあらむ、敎によらずては、えしらずえせぬものといはゞ、人は鳥蟲におとれりとやせむ、いはゆる仁義禮讓孝悌忠信のたぐひ、皆人の必あるべきわざなれば、あるべき限は、敎をからざれども、おのづからよく知てなすことなるに、かの聖人の道は、もと治まりがたき國を、しひてをさめむとして作れる物にて、人の必べきかぎりをスギて、なほきびしく敎へたてむとせる强事シヒゴトなれば、まことの道にかなはず、カレクチには人みなことしくイヒながら、まことにシカオコナふ人は、世々にいと有がたきを、天理のまゝなる道と思ふはいたくたがへり、又其道にそむける心を、人慾といひてにくむも、こゝろえず、そもその人慾といふ物は、いづくよりいかなる故にていできつるぞ、それも然るべき理にてこそは、出來イデキたるべければ、人慾も卽天理ならずや、又百世モヽツギても、同ウヂどちマグハヒすることゆるさずといふサダメなど、かの國にしても、上代より然るにはあらず、周の代のさだめなり、かくきびしく定めたる故は、國のナラハシあしくして、オヤ同母兄弟ハラカラなどのアヒダにも、みだりなる事のみツネ多くて、ワキなく治まりがたかりし故なれば、かゝるサダメのきびしきは、かへりて國のハヂなるをや、すべてナニの上にも、サダメキビシきは、オカすものゝ多きがゆゑぞかし、さて其サダメサダメと立しかども、まことの道にあらず、人のコヽロにかなはぬことなる故に、したがふ人いとまれなり、後々ノチはさらにもいはず、はやく周の代のほどにすら、諸侯といふきはの者も、これを破れるが多ければ、ましてつぎはしられたり、姉妹などにさへタハけしアトもある物をや、然るを儒者ズサどもの、昔よりかく世人の守りあへぬことをば忘れて、いたづらなるさだめのみをとらへて、たけきことにいひ思ひ、又皇國をしひてイヤしめむとして、ともすれば、古兄弟まぐはひせしことをいひ出て、鳥獸トリケモノのふるまひぞとそしるを、此方コヽ物知人モノシリビトたちも、是をばこゝろよからず、御國のあかぬことに思ひて、かにかくにいひまぎらはしつゝ、いまださだかにコトワトケることもなきは、かの聖人のさかしらを、かならず當然サルベキコトワリと思ひなづみて、なほ彼にへつらふ心あるがゆゑなり、もしへつらふこゝろしなくば、彼と同じからぬは、なにごとかあらむ、抑皇國の古は、たヾ同母兄弟ハラカラをのみキラひて、異母コトハラ兄弟イモセなど御合坐ミアヒマシしことは、天皇を始め奉て、おほかたよのつねにして、今京イマノミヤコになりてのこなたまでも、すべてイムことなかりき、但しタフトイヤシきへだては、うるはしく有て、おのづから、みだりならざりけり、これぞこの神祖カムロギの定め賜へる、正しきマコトの道なりける、然るを後世には、かのから國のさだめを、いさゝかばかり守るげにて異母コトハラなるをもイモと云てマグハヒせぬことになも定まりぬる、されば今世にして、オカさむこそアシからめ、古は古の定まりにしあれば、異國アダシクニサダメノリとして、アゲツラふべきことにあらず、

いにしへの大御代には、しもがしもまで、たゞ天皇の大御心を心として、

天皇の所思看オモホシメス御心のまに奉仕ツカヘマツリて、オノが私心はつゆなかりき、

ひたぶるに大命オホミコトをかしこみゐやひまつろひて、おほみうつくしみの御蔭ミカゲにかくろひて、おのも祖神オヤガミ齋祭イツキマツリつゝ

天皇のオホ皇祖オヤカミ御前ミマヘ拜祭イツキマツリがごとく、臣連オミムラジ八十ヤソ伴緖トモノヲ、天下の百姓オホミタカラに至るまで、オノ祖神を祭るは常にて、又天皇の朝廷ミカドのため天下のために、天神アマツカミ國神クニツカミモロをも祭が如く、下なる人どもゝ、事にふれては、サチモトむと、ヨキ神にこひねぎ、マガをのがれむと、アシキ神をもナゴめ祭り、又たま身に罪穢ツミケガレもあれば、祓淸ハラヒキヨむるなど、みな人のコヽロにして、かならず有べきわざなり、然るを心だにまことの道にかなひなば、など云めるすぢは、佛の敎へ儒のコヽロにこそ、さることもあらめ、神の道には、イタくそむけり、又異國アダシクニには、神を祭るにも、たゞ理をサキにして、さま議論アゲツラヒあり、淫祀など云て、いましむることもある、みなさかしらなり、凡て神は、ホトケなどいふなる物のオモムキとはコトにして、ヨキ神のみにはあらず、アシきも有て、心も所行シワザも、然ある物なれば、アシきわざする人もさかえ、善事ヨキワザする人も、マガることある、よのつねなり、されば神は理の、アタリアタラヌをもて、思ひはかるべきものにあらず、たゞその御怒ミイカリカシコみて、ひたぶるにいつきまつるべきなり、されば祭るにも、そのこゝろばへ有て、いかにも其神の歡喜ヨロコび坐べきわざをなもべき、そはまづ萬齋忌イミキヨまはりて、穢惡ケガレあらせず、タヘたる限美好ウマキモノサワタテマツり、アルコトひきフエふき歌儛ウタヒマひなど、おもしろきわざをして祭る、これみな神代のアトにして古の道なり、然るをたゞ心の至り至らぬをのみいひて、タテマツる物にもなすわざにもかゝはらぬは、漢意カラゴヽロのひがことなり、さて又神を祭るには、ナニわざよりも先火をオモ忌淸イミキヨむべきこと、神代書の黃泉段ヨミノクダリを見て知べし、神事カムワザのみにもあらず、大かた常にもつゝしむべく、かならずみだりにすまじきわざなり、もし火ケガるゝときは、禍津日神ところをえて、アラび坐ゆゑに、世中に萬禍事マガゴトはおこるぞかし、かゝれば世のため民のためにも、なべて天下に、火のケガレイマまほしきわざなり、今の代にはタヾ神事カムワザのをり、又神の坐トコロなどにこそ、かつも此イミは物すめれ、なべては然る事さらになきは、火のケガレなどいふをば、オロカなることゝおもふ、なまさかしらなる漢意カラゴゝロのひろごれるなり、かくて神御典カミノミフミ釋誨トキヲシふる世々の識者モノシリビトたちすら、たゞ漢意カラゴゝロの理をのみ、うるさきまで物して、此イミコトをしも、なほざりにすめるは、いかにぞや、

ほどにあるべきかぎりのわざをして、オダヒしくタヌシく世をわたらふほかなかりしかば、

かくあるほかに、ナニヲシヘごとをかもまたむ、抑みどりに物敎へ、又諸匠テビトヾモ物造モノツクるすべ、其外よろづの伎藝コトナルワザなどを敎ふることは、上代にも有けむを、かの儒佛などの敎事ヲシヘゴトも、いひもてゆけば、これらとコトなることなきにたれども、ワキマふれば同じからざることぞかし、

今はた其道といひて、コトに敎ウケて、おこなふべきわざはありなむや、

然らば神の道は、からくにの老莊が意にひとしきかと、或人の疑ひへるに、答けらく、かの莊老がともは儒者のさかしらをうるさみて、自然オノヅカラなるをたふとめば、おのづからたることあり、されどかれらも、大御神の御國ならぬ惡國キタナキクニに生れて、たゞ代々の聖人の說をのみキヽなれたるものなれば、自然オノヅカラなりと思ふも、なほ聖人の意のおのづからなるにこそあれ、よろづの事は神の御心より出て、その所爲シワザなることをしも、えしらねば、大旨オホムネイタくたがへる物をや、

もししひてモトむとならば、きたなきからぶみごゝろをハラひきよめて淸々スガしき御國ミクニごゝろもて、フルキフミどもをよくマナびてよ、シカせば、受行ウケオコナフべき道なきことは、おのづから知てむ、をしるぞ、すなはち神の道をうけおこなふにはありける、かゝれば如此カクまでアゲツラふも、道の意にはあらねども、マガビノ神のみしわざ、つゝ默止ナホえあらず、神直毘カムナホビノ大直毘オホナホビノ神の御靈ミタマたばりて、このまがをもてナホさむとぞよ、

カミクダリ、すべてオノが私のこゝろもていふにあらず、ことフルキフミに、よるところあることにしあれば、よくむ人は疑はじ、

かくいふは、明和の八年ヤトセといふとしの、かみな月の九日の日、伊勢飯高郡の御民ミタミ、平阿曾美宣長、かしこみかしこみもしるす、

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。