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直毘霊岩波文庫
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<big>かくいふは、明和の{{r|八年|ヤトセ}}といふとしの、かみな月の九日の日、伊勢<sup><small>ノ</small></sup>國<sup><small>ノ</small></sup>&#xfa2a;高<sup><small>ノ</small></sup>郡<sup><small>ノ</small></sup>{{r|御民|ミタミ}}、平<sup><small>ノ</small></sup>阿曾美宣長、かしこみかしこみもしるす。</big>
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2020年1月21日 (火) 09:47時点における版

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直毘靈ナホビノミタマ此篇コノクダリは、道といふことの論ひなり。】

皇大御國スメラオホミクニは、カケまくも可畏カシコ神御祖カムミオヤ天照大御神アマテラスオホミカミの、生坐アレマセ大御國オホミクニにして、

國にスグれたる所由ユヱは、先こゝにいちじるし。國といふ國に、此大御神の大御德オホミメグミかゞふらぬ國なし。

大御神、オホ御手ミテアマシルシ捧持ササゲモチして、

御代御代にしるしとツタはりつる、三種ミクサ神寶カムダカラは是ぞ。

萬千秋ヨロヅチアキ長秋ナガアキに、アガ御子ミコのしろしめさむ國なりと、ことよさしタマへりしまに

天津日嗣アマツヒツギ高御座タカミクラの、天地の共動ムタウゴかぬことは、はやくこゝに定まりつ。

天雲アマグモのむかぶすかぎり、谷蟆タニグヽのさわたるきはみ、皇御孫すめみまの命のオホ食國ヲスクニとさだまりて、天下アメノシタにはあらぶる神もなく、まつろはぬ人もなく、

いく萬代をとも、タレしのヤツコか、大皇オホキミソムマツラむ。あなかしこ、御代御代のアヒダに、たま不伏マツロハヌ惡穢キタナキヤツコもあれば、神代の古事フルコトのまにオホ御稜威ミイツをかゞやかして、たちまちにうちホロボし給ふ物ぞ。

千萬チヨロヅ御世ミヨ御末ミスヱの御代まで、天皇命スメラミコトはしも、大御神の御子ミコとまして、

御世御世の天皇スメラギは、すなはち天照大御神の御子になも大坐オホマシます。カレアマつ神の御子とも、日の御子ともまをせり。

アマつ神の御心を大御心として、

ナニわざも、己命オノレミコトの御心もてさかしだち賜はずて、たゞ神代の古事フルコトのまゝに、おこなひたまひヲサめ賜ひて、ウタガひおもほす事しあるをりは、卜事ウラゴトもて、天神の御心をトハして物し給ふ。

神代も今もへだてなく、

たゞ天津日嗣アマツヒツギシカましますのみならず、臣連オミムラジ八十ヤソ伴緖トモノヲにいたるまで、ウヂかばねをオモみして、子孫ウミノコ八十ヤソツヾキ、その家〻イヘ職業ワザをうけつがひつゝ、祖神オヤガミたちにコトならず、タヾ一世ヒトヨの如くにして、神代のまに奉仕ツカエマツれり。

カムながら安國ヤスクニと、タヒラけく所知シロシしける大御國になもありければ、

書紀の難波ナニハノ長柄ナガラノ朝廷ミカドノ御卷ミマキに、惟神カムナガラトハイフ隨神道亦カミノミチニシタガヒタマヒテオノヅカラ有神道カミノミチアルヲ也とあるを、よく思ふべし。神道にシタガふとは、天ヲサめ賜ふしわざは、たゞ神代より有こしまに物し賜ひて、いさゝかもさかしらをクハへ給ふことなきをいふ。さてしか神代のまにオホらかに所知シロシせば、おのづから神の道はたらひて、ホカにもとむべきことなきを、オノヅカラとはいふなりけり。かれ現御神アキツミカミ大八洲國オホヤシマグニしろしめすと申すも、其御世〻〻の天皇の御政ミヲサメ、やがて神の御政ミヲサメなる意なり。萬葉集の哥などに、神隨カムナガラ云〻シカとあるも、同じこゝろぞ。神國カミグニ韓人カラビトの申せりしも、ウベにぞ有りける。

オホ御世ミヨには、ミチといふ言擧コトアゲもさらになかりき。

古語フルコトに、あしはらの水穗ミヅホの國は、カムながら言擧コトアゲせぬ國といへり。

はたゞ物にゆく道こそ有けれ、

美知ミチとは、此記にウマシ御路ミチと書る如く、山路ヤマヂ野路ヌヂなどのに、てふ言をソヘたるにて、たゞ物にゆく路ぞ。これをおきては、上代に、道といふものはなかりしぞかし。

物のことわりあるべきすべ、ヨロヅヲシへごとをしも、ナニの道くれの道といふことは、異國アダシクニのさだなり。

異國アダシクニは、天照大御神の御國にあらざるが故に、サダまれるキミなくして、狹蠅サバヘなす神ところを得て、あらぶるによりて、人心あしく、ならはしみだりがはしくして、國をしトリつれば、賤しきヤツコも、たちまちに君ともなれば、カミとある人は、下なる人にウバはれじとかまへ、下なるは、カミのひまをうかゞひて、うばゝむとはかりて、かたみにアタみつゝ、古より國ヲサまりがたくなも有ける。が中に、威力イキホヒありサトり深くて、人をなつけ、人の國をウバひ取て、又人にうばゝるまじきコトバカリをよくして、しばし國をよく治めて、後のノリともなしたる人を、もろこしには、聖人とぞ云なる。たとへば、ミダれたる世には、タヽカヒにならふゆゑに、おのづから名將ヨキイクサノキミおほくいでくるが如く、國の風俗ナラハシあしくして、治まりがたきを、あながちに治めむとするから、世〻にそのすべをさま思ひめぐらし、ならひたるゆゑに、しかかしこき人どもゝいいできつるなりけり。然るをこの聖人といふものは、神のごとよにすぐれて、おのづからにクスしきイキホヒあるものと思ふは、ひがことなり。さて其聖人どもの作りかまへて、定めおきつることをなも、道とはいふなる。かゝれば、からくにゝして道といふ物も、其ムネをきはむれば、たゞ人の國をうばゝむがためと、人にウバはるまじきかまへとの、二にはすぎずなもある。そも人の國を奪ひ取むとはかるには、よろづに心をくだき、身をくるしめつゝ、ヨキことのかぎりをして、諸人モロビトをなつけたる故に、聖人はまことに善人ヨキヒトめきて聞え、又そのつくりおきつる道のさまも、うるはしくよろづにたらひて、めでたくは見ゆめれども、まづオノレからその道にソムきて、君をほろぼし、國をうばへるものにしあれば、みないつはりにて、まことはよき人にあらず。いともいともあしき人なりけり。もとよりしか穢惡キタナき心もて作りて、人をあざむく道なるけにや、後人も、うはべこそたふとみしたがひがほにもてなすめれど、まことには一人もマモりつとむる人なければ、國のたすけとなることもなく、其名名のみひろごりて、つひに世にオコナはるゝことなくて、聖人の道は、たゞいたづらに、人をそしる世〻の儒者ズサどもの、さへづりぐさとぞなれりける。然るに儒者の、たゞ六經などいふ書をのみとらへて、彼國をしも、道タヾしき國ぞと、いひのゝしるは、いたくたがへることなり。かく道といふことを作りてタヾすは、もと道の正しからぬが故のわざなるを、かへりてたけきことに思ひいふこそをこなれ。そも後人、此道のまゝに行なはゞこそあらめ、さる人は、よゝに一人だに有がたきことは、かの國の世〻のフミどもを見てもしるき物をや。さて其道といふ物のさまは、いかなるぞといへば、仁義禮讓孝悌忠信などいふ、こちたき名どもを、くさ作りマケて、人をきびしく敎へおもむけむとぞすなる。さるは後世の法律を、先王の道にそむけりとて、儒者はそしれども、先王の道も、古の法律なるものをや。またヤクなどいふ物をさへ作りて、いとおこゝろふかげにいひなして、天地のコトワリをきはめつくしたりと思ふよ。これはた世人をなつけ治めむための、たばかり事ぞ。そもく天地のことわりはしも、すべて神の御所爲ミシワザにして、いともタヘクスしく、アヤしき物にしあれば、さらに人のかぎりあるサトりもては、ハカりがたきわざなるを、いかでかよくきはめつくして知ることのあらむ。然るに聖人のいへる言をば、ナニごともたゞコトワリ至極キハミと、ウケたふとみをろこそいとオロカなれ。かくてその聖人どものしわざにならひて、後〻ノチの人どもゝ、よろづのことを、オノがさとりもておしはかりごとするぞ、彼國のくせなる。大御國の物學びせむ人、コヽをよく心得をりて、ゆめから人のコトになまどはされそ。すべて彼國は、事ゴトにあまりこまかに心をツケて、かにかくにアゲツラひさだむる故に、なべて人の心さかしだちワロくなりて、中〻に事をしゝこらかしつゝ、いよゝ國は治まりがたくのみなりゆくめり。されば聖人の道は、國を治めむために作りて、かへりて國をミダすたねともなる物ぞ。すべてナニわざも、オイらかにして事タリぬることは、さてあるこそよけれ。カレ皇國の古は、さる言痛コチタき敎ナニもなかりしかど、下が下までみだるゝことなく、天下はオダヒに治まりて、天津日嗣いや遠長トホナガに傳はりマセり。さればかの異國の名にならひていはゞ、是ウヘなきスグレたるオホき道にして、マコトは道あるが故に道てふコトなく、道てふことなけれど、道ありしなりけり。そをことしくいひあぐると、然らぬとのけぢめを思へ。言擧コトアゲせずとは、あだし國のごと、こちたくイヒたつることなきを云なり。タトヘザエナニも、すぐれたる人は、いひたてぬを、なまのわろものぞ、返りていさゝかの事をも、ことしくいひあげつゝほこるめる如く、漢國カラクニなどは、道ともしきゆゑに、かへりて道〻ミチしきことをのみ云あへるなり。儒者ズサはこゝをえしらで、皇國をしも、道なしとかろしむるよ。儒者のえしらぬは、萬カラタフトき物に思へる心は、なほさも有なむを、此方コヽの物知人さへに、是をえさとらずて、かの道てふことある漢國をうらやみて、シヒてこゝにも道ありと、あらぬことゞもをいひつゝアラソふは、たとへば、サルどもの人を見て、なきぞとわらふを、人のハヂて、おのれもはある物をといひて、こまかなるをしひて求出モトメイデて見せて、あらそふが如し。きが貴きをえしらぬ、癡人シレモノのしわざにあらずや。

然るをやゝクダりて、書籍フミといふ物渡參來ワタリマヰキて、マナびよむ事ハジまりて後、其國のてぶりをならひて、やゝ萬のうへにまじへ用ひらるゝ御代になりてぞ、大御國の古大御オホミてぶりをば、トリワケ神道カミノミチとはなづけられたりける。そはかの外國トツクニ道〻ミチにまがふがゆゑに、カミといひ、又かの名をりて、こゝにもミチとはいふなりけり。

神の道としもいふ所由ユヱは、下につばらかにとく。

しかありて御代〻〻をるまゝに、いやますに、そのカラ國のてぶりをしたひまねぶこと、サカリになりもてゆきつゝ、つひに天の下所知シロシ大御政オホミワザも、もはら漢樣カラザマナリはてゝ、

難波の長柄ナガラ宮、淡海アフミの大津宮のほどに至りて、天の下の御制度ミサダメも、みなカラになりき。かくて後は、古てぶりは、たゞ神事カムワザにのみ用ひ賜へり。故代まで、神事カムワザにのみは、皇國のてぶりの、なほのこれることおほきぞかし。

靑人草アヲヒトクサの心までぞ、其意にうつりにける。

天皇尊スメラミコトの大御心を心とせずして、己〻オノオノさがさかしらごゝろを心とするは、漢意カラゴゝロウツれるなり。

さてこそヤスけくタヒラけくて有來アリコし御國の、みだりがはしきこといできつゝ、異國アダシクニにやゝたることも、後にはまじりきにけれ。

いとめでたき大御國の道をおきながら、他國ヒトグニのさかしく言痛コチタ意行コヽロシワザを、よきことゝして、ならひまねべるから、ナホキヨかりし心もオコナひも、みな穢惡キタナくまがりゆきて、後つひには、かの他國ヒトグニのきびしき道ならずては、治まりがたきが如くなれるぞかし。さる後のありさまを見て、聖人の道ならずては、國は治まりがたき物だと思ふめるは、しか治まりがたくなりぬるは、もと聖人の道のツミなることを、えさとらぬなり。古の大御代に、其道をからずて、いとよく治まりしを思へ。

いとめでたき大御國の道をおきながら、他國ヒトグニのさかしく言痛コチタ意行コヽロシワザを、よきことゝして、ならひまねべるから、ナホキヨかりし心もオコナひも、みな穢惡キタナくまがりゆきて、後つひには、かの他國ヒトグニのきびしき道ならずては、治まりがたきが如くなれるぞかし。さる後のありさまを見て、聖人の道ならずては、國は治まりがたき物だと思ふめるは、しか治まりがたくなりぬるは、ゆと聖人の道のツミなることを、えさとらぬなり。古の大御代に、其道をからずて、いとよく治まりしを思へ。

しかありて御代〻〻をるまゝに、いやますに、そのカラ國のてぶりをしたひまねぶこと、サカリになりもてゆきつゝ、つひに天の下所知シロシ大御政オホミワザも、もはら漢樣カラザマナリはてゝ、

難波の長柄ナガラ宮、淡海アフミの大津宮のほどに至りて、天の下の御制度ミサダメも、みなカラになりき。かくて後は、古てぶりは、たゞ神事カムワザにのみ用ひ賜へり。故代まで、神事カムワザにのみは、皇國のてぶりの、なほのこれることおほきぞかし。

そも天地アメツチのあひだに、有とある事は、悉皆コトに神の御心なる中に、

凡て此中の事は、春秋のゆきかはり、雨ふり風ふくたぐひ、又國のうへ人のうへの、ヨキアシき萬事、みなことに神の御所爲ミシワザなり。さて神には、ヨキもありアシきも有て、所行シワザもそれにしたがふなれば、大かた尋常ヨノツネのことわりを以ては、ハカりがたきわざなりかし。然るを世人、かしこきもおろかなるもおしなべて、外國トツクニの道〻のコトにのみマドひはてゝ、此意をえしらず。皇國の學問モノマナビする人などは、古書イニシヘノフミを見て、必べきわざなるを、さる人どもだに、えわきまへ知ざるは、いかにぞや。抑ヨキアシき萬の事を、あだし國にて、佛の道には因果とし、カラの道〻には天命といひて、天のなすわざと思へり。これらみなひがことなり。そが中に佛コトは、多く世の學者モノマナブヒトの、よくワキマへつることなれば、今いはず。漢國カラクニの天命のコトは、かしこき人もみなマドひて、いまだひがことなることをさとれる人なければ、今これをアゲツラひさとさむ。抑天命といふことは、彼國にて古に、君をホロボし國をウバひし聖人の、オノが罪をのがれむために、かまへイデたる託言コトツケゴトなり。まことには、天地は心ある物にあらざれば、メイあるべくもあらず。もしまことに天に心あり、コトワリもありて、善人ヨキヒトに國をアタへて、よく治めしめむとならば、周の代のはてかたにも、必又聖人は出ぬべきを、さあらざりしはいかにぞ。もし周公孔子にして、スデに道はソナハれる故に、其後は聖人を出さずといはむも、又心得ず。かの孔丘が後、其道あまねく世に行はれて、國よく治まりたらむにこそ、さもいはめ、其後しもいよゝ其道すたれはてゝ、徒言イタヅラゴトとなり、國もますみだれつる物を、今はたれりとして、聖人を出さず、國のマガをもかへりみず、つひに秦始皇がごとアラぶる人にしもアタへて、人草ヒトクサクルしめしは、いかなる天のひがごゝろぞ、いといぶかし。始皇などは、天のあたへしに非る故に、久しくはえたもたず、ともいひマグべけれど、そもシバラクにても、さる惡人アシキヒトにあたふべき理あらめやも。又國をしる君のうへに、天命のあらば、下なる諸人モロビトのうへにも、善惡ヨキアシきしるしを見せて、ヨキ人はながくサカえ、アシキ人はスミヤけくマガるべき理なるを、さはあらずて、よき人もアシく、あしき人もきたぐひ、ムカシも今も多かるはいかに。もしまことに天のしわざならましかば、さるひがことはあらましや。さて後世になりては、やうやく人心さかしきゆゑに、國を奪ひて天命ぞといふをば、世人のウベなはねば、うはべはユヅらせてトルこともあるをば、よからぬことにいふめれど、かの古の聖人どもゝ、マコトは是にコトならぬ物をや。後世の王の天命ぞといふをば、ウケぬものゝ、古人の天命をば、まことゝ心得をるは、いかなるまどひぞも。古は天命ありて、後にはなきこそをかしけれ。或人、舜は堯が國をうばひ、禹も又舜が國を奪へりしなりといへるも、さも有べきことぞ。後世の王莽曹操がたぐひも、うはべはゆづりをウケツギつれども、マコトウバへるを以て思へば、舜禹などもさぞありけむを、上代はスナホにして、ユズれりと云なせるを、まことゝ心得て、國內クヌチの人ども、みなあざむかれにけらし。かの莽操がころは、世人さかしくて、あざむかれざりし故に、アシきしわざのあらはれけむ。かれらが如くなるトモガラも、上代ならましかば、あはれ聖人とアフがれなましのを。

禍津マガツビノ神の心のあらびはしも、せむすべなく、いともカナしきわざにぞありける。

世間ヨノナカに、物あしくそこなひなど、凡て何事ナニゴトも、正しき理のまゝにはえあらずで、ヨコサマなることも多かるは、皆此神の御心にして、イタアラマス時は、天照大御神高木大神の大御力にも、トヾみかね賜ふをりもあれば、まして人の力には、いかにともせむすべなし。かのヨキ人もマガり、アシキ人もサカゆるたぐひ、尋常ヨノツネの理にさかへる事の多かるも、皆此神の所爲シワザなるを、外國には、神代の正しき傳說ツタヘゴトなくして、此所由ヨシをえしらざるが故に、たゞ天命の說を立て、何事ナニゴトもみな、當然シカルベキコトワリを以て定めむとするこそ、いとをこなれ。

シカれども、天照大御神高天原タカマノハラ大坐〻オホマシて、大御光オホミヒカリはいさゝかもクモりまさず、此世を御照ミテラしましまし、アマ御璽ミシルシはた、はふれまさずツタはりマシて、事依コトヨサし賜ひしまに天の下は御孫命ミマノミコト所知食シロシメシて、

異國アダシクニは、本より主の定まれるがなければ、たゞ人もたちまち王になり、王もたちまちたゞ人にもなり、ホロびうせもする、古よりの風俗ナラハシなり。さて國を取むとハカりて、えとらざるモノをば、賊といひてイヤしめにくみ、取得たる者をば、聖人といひてタフトアフぐめり。さればいはゆる聖人も、たゞ賊のとげたる者にぞ有ける。カケまくも可畏カシコきやアガ天皇尊スメラミコトはしも、るいやしき國〻の王どもと、ヒトシなみには坐まさず。此御國を生成ウミナシたまへりし神祖カムロギノ命の、みづからサヅケ賜へる皇統アマツヒツギにまして、天地の始より、大御食國ヲスクニと定まりたる天下にして、大御神の大命オホミコトにも、天皇アシく坐まさば、まつろひそとはノリたまはずあれば、く坐むもアシく坐むも、カタハラよりうかゞさひはかり奉ることあたはず。天地のあるきはみ、月日のテラす限は、いく萬代をても、ウゴき坐ぬ大君に坐り。故古語フルコトにも、當代ソノヨの天皇をしも神と申して、マコトに神にし坐ませば、善惡ヨキアシうへのアゲツラひをすてゝ、ひたぶるにカシコウヤマ奉仕マツロフぞ、まことの道には有ける。然るを中ごろの世のみだれに、此道にソムきて、カシコくも大朝廷オホキミカド射向イムカひて、天皇尊スメラミコトをなやまし奉れりし、北條義時泰時、又足利尊氏などが如きは、あなかしこ、天照日大御神の大御蔭オホミカゲをもおひはからざる、穢惡キタナ賊奴ヤツコどもなりけるに、マガヒノ神の心はあやしき物にて、世人のなびき從ひて、子孫ウミノコの末まで、しばらくサカヲリしことよ。抑此世を御照し坐ます天津日神をば、必たふとみ奉るべきことをしれども、天皇を必カシこみ奉るべきことをば、しらぬヤツコもにありけるは、漢籍意カラブミゴゝロにまどひて、彼國のみだりなる風俗ナラハシを、かしこきことにおもひて、正しき皇國の道をえしらず、今世を照しまします天津日神、卽天照大御神にましますことをウケず、今の天皇、すなはち天照大御神の御子に坐ますことをワスれたるにこそ。

天津日嗣アマツヒツギ高御座タカミクラは、

天皇の御統ミツイデ日嗣ヒツギと申すは、日神の御心を御心として、其御業ミシワザツギが故なり。又その御座ミクラを高御座と申すは、唯に高き由のみにあらず、日神の御座なるが故なり。日には、高照タカヒカルとも高日タカヒとも日高ヒダカとも申す古語フルゴトのあるを思へ。さて日神の御座を、次〻ツギに受傳へ坐て、其御座に大坐オホマシます天皇命にませば、日神にヒトシく坐ことウツナし。かゝれば、天津日神のおほみうつくしみをカヾフらむ者は、タレしか天皇命には、可畏カシコヰヤタフトみて、奉仕ツカヘマツらざらむ。

あめつちのむた、ときはにかきはにウゴく世なきぞ、此道のアヤシクスシく、異國アダシクニの萬の道にすぐれて、タヾしきタカタフトシルシなりける。

漢國などは、道てふことはあれども、道はなきが故に、あとよりみだりなるが、世〻にますます亂れみだれて、ツヒにはカタヘの國人に、國はことくうばゝれはてぬ。其は夷狄といひてイヤシめつゝ、人のごともおもへらざりしものなれども、いきほひつよくして、うばひ取つれば、せむすべなく天子といひて、アフるなるは、いともあさましきありさまならずや。かくても儒者ズサはなほよき國とやおもふらむ。王のみならず、おほかたタフトきいやしきスヂさだまらず。周といひし代までは、封建のサダメとかいひて、此ワキありしがごとくなれど、それも王のスヂかはれば、下までも共にかはりつれば、まことはワキなし。秦よりこなたは、いよよ此道たゝず、みだりにして、イヤシヤツコムスメも、君のメデのまにタチマチキサキの位にのぼり、王のムスメをも、すぢなきヲノコにあはせて、ハヂともおもへらず。又昨日キノフまで山賤ヤマガツなりし者も、今日はにはかに、國の政とる高官タカキツカサにもなりノボるたぐひ、凡て貴賤タカキイヤシき品さだまらず、島獸トリケモノのありさまにコトならずなもありける。

そも此道は、いかなる道ぞとタヅぬるに、天地のおのづからなる道にもあらず、

をよく辨別わきまへて、かの漢國カラクニの老莊などがコヽロと、ひとつにな思ひまがへそ。

人の作れる道にあらず。此道はしも、可畏カシコきや高御タカミ產巢ムスビノ神の御靈ミタマによりて、

中にあらゆる事も物も、ミナコトに此大神のみたまより成れり。

神祖カムロギ伊邪那イザナギノ大神伊邪那イザナミノ大神の始めたまひて、

よのなかにあらゆる事も物も、此二柱大神よりはじまれり。

天照大御神のウケたまひたもちたまひ、傳へ賜ふ道なり。カレ是以ココヲモテ神の道とは申すぞかし。

道と申す名は、書紀の石村池邊イハレノイケノベノ宮の御卷に、始めて見えたり。されどは只、神をいつき祭りたまふことをさして云るなり。さて難波長柄宮の御卷に、惟神カムナガラトハシタガヒ玉ヒテオ ルヲ也とあるぞ、まさしく皇國の道を廣くさしていへる始なりける。さて其由は、上に引ていへるが如くなれば、其道といひて、ことなるオコナひのあるにあらず。さればたゞ神をいつき祭りたまふことをいはむも、いひもてゆけば一むねにあたれり。然るを、からぶみに、聖人設ケテ神道、といふ言あるを取て、此方コヽにもナヅけたりなどいふめるは、ことのこころしらぬみだりゴトなり。其故は、まづ神とさすもの、コヽカシコと始より同じからず。かの國にしては、いはゆる天地陰陽の、不測ハカリガタアヤシきをさしていふめれば、たゞムナシき理のみにして、たしかに其物あるにあらず。さて皇國の神は、今のヲツヽ御宇アメノシタシロシメス、天皇の皇祖ミオヤに坐て、さらにかのムナシき理をいふ類にはあらず。さればかの漢籍カラブミなる神道は、不測ハカリガタクくあやしき道といふこゝろ、皇國の神道は、皇祖ミオヤノ神の、始め賜ひたもち賜ふ道といふことにて、其意いたくコトなるをや。

さて其道の意は、此フミをはじめ、もろ古書イニシヘブミどもをよくアヂハひみれば、今もいとよくしらるゝを、世〻のものしりびとどもの心も、みな禍津日神にまじこりて、たゞからぶみにのみマドひて、思ひとおもひいひといふことは、みなホトケカラとのコヽロにして、まことの道のこゝろをば、えさとらずなもある。

は道といふ言擧コトアゲなかりし故に、古書どもに、つゆばかりも道〻ミチしきコヽロコトバも見えず。カレ舍人親王トネノミコを始め奉て、世〻の識者モノシリビトども、道の意をえとらへず、たゞかの道〻ミチしきことこちたく云る、からブミコトのみ、心のソコにしみツキて、を天地のおのづからなる理と思る故に、すがるとは思はねども、おのづからそれにまつはれて、彼方カナタへのみ流れゆくめり。されば異國アダシクニの道を、道の羽翼タスクとなるべき物と思ふも、卽心のかしこへウバはれつるなりけり。大かた漢國のコトは、かの陰陽乾坤などをはじめ、モロ皆、もと聖人どものオノサトリをもて、おしはかりに作りかまへたる物なれば、うち聞には、ことわりフカげにきこゆめれども、カレ垣內カキツハナれて、外よりよく見れば、ナニばかりのこともなく、中〻にアサはかなることゞもなりかし。されどムカシも今も世人の、此垣內カキツ迷入マヨヒイリて、出離イデハナれぬこそくちをしけれ。大御國のコトは、神代より傳へしまゝにして、いさゝかも人のさかしらをクハへざる故に、うはベはたゞ淺〻アサと聞ゆれども、マコトにはそこひもなく、人のサトリ測度ハカラぬ、深きタヘなる理のこもれるを、其意をえしらぬは、かの漢國書カラクノブミ垣內カキツにまよひる故なり。をいではなれざらむほどは、たとひ百年モヽトセ千年チトセチカラをつくして物學モノマナぶとも、道のためには、何のシルシなきいたづらわざならむかし。但し古書は、みな漢文カラブミにうつして書たれば、彼國のことも、一わたりは知てあるべく、文字モジのことなどしらむためには、漢籍カラブミをも、いとまあらば學びつべし。皇國魂ミクニダマシヒの定まりて、たゞよはぬうへにては、サマタゲはなきものぞ。

カレおのが身〻ミヽ受行ウケオコナふべき神道の敎などいひて、くさものすなるも、みなかの道のをしへごとをうらやみて、近き世にかまへ出たるわたくしごとなり。

ことしく祕說ヒメゴトなど云て、人えりしてヒソカに傳ふるタグヒなど、皆後世に僞造イツハリツクれることぞ。凡てよきことは、いかにも世に廣まるこそよけれ。ひめかくして、あまねく人に知せず、オノ私物ワタクシモノにせむとするは、いとこゝろぎたなきわざなりかし。

あなかしこ、天皇オホキミの天下しろしめす道を、シモシモとして、オノがわたくしの物とせむことよ。

下なるモノは、かにもかくにもたゞ上の御おもむけにシタガるこそ、道にはかなへれ。たとへ神の道のオコナひの、コトにあらむにても、を敎へ學びて、コトに行ひたらむは、上にしたがはぬ私事ならずや。

人はみな、產巢ムスビノ神の御靈ミタマによりて、ウマれつるまに、身にあるべきかぎりのワザは、おのづから知てよくる物にしあれば、

世中ヨノナカイキとしいける物、鳥蟲に至るまでも、オノが身のほどに、必あるべきかぎりのわざは、產巢ムスビノ神のみたまにヨリて、おのづからよく知てなすものなる中にも、人は殊にすぐれたる物とうまれつれば、又しかスグれたるほどにかなひて、知べきかぎりはしり、すべきかぎりはする物なるに、いかでか其をなほシヒることのあらむ。敎によらずては、えしらずえせぬものといはゞ、人は鳥蟲におとれりとやせむ。いはゆる仁義禮讓孝悌忠信のたぐひ、皆人の必あるべきわざなれば、あるべき限は、敎をからざれども、おのづからよく知てなすことなるに、かの聖人の道は、もと治まりがたき國を、しひてをさめむとして作れる物にて、人の必べきかぎりをスギて、なほきびしく敎へたてむとせる强事シヒゴトなれば、まことの道にかなはず。カレクチには人みなことしくイヒながら、まことにシカオコナふ人は、世〻にいと有がたきを、天理のまゝなる道と思ふは、いたくたがへり。又其道にそむける心を、人慾といひてにくむも、こゝろえず。そもその人慾といふ物は、いづくよりいかなる故にていできつるぞ。それも然るべき理にてこそは、出來イデキたるべければ、人慾も卽天理ならずや。又百世モヽツギても、同ウヂどちマグハヒすることゆるさずといふサダメなど、かの國にしても、上代より然るにはあらず。周の代のさだめなり。かくきびしく定めたる故は、國のナラハシあしくして、オヤ同母兄弟ハラカラなどのアヒダにも、みだりなる事のみツネ多くて、ワキなく治まりがたかりし故なれば、かゝるサダメのきびしきは、かへりて國のハヂなるをや。すべてナニの上にも、サダメキビシきは、オカすもゝの多きがゆゑぞかし。さて其サダメサダメと立しかども、まことの道にあらず。人のコヽロにかなはぬことなる故に、したがふ人いとまれなり。後〻のちはさらにもいはず、はやく周の代のほどにすら、諸侯といふきはの者も、これを破れるが多ければ、ましてつぎつぎはしられたり。姉妹などにさへタハけしアトもある物をや。然るを儒者ズサどもの、昔よりかく世人の守りあへぬことをば忘れて、いたづらなるさだめのみをとらへて、たけきことにいひ思ひ、又皇國をしひてイヤしめむとして、ともすれば、古兄弟まぐはひせしことをいひ出て、鳥獸トリケモノのふるまひぞとそしるを、此方コヽ物知人モノシリヒトたちも、是をばこゝろよからず、御國のあかぬことに思ひて、かにかくにいひまぎらはしつゝ、いまださだかにコトワトケることもなきは、かの聖人のさかしらを、かならず當然サルベキコトワリと思ひなづみて、なほ彼にへつらふ心あるがゆゑなり。もしへつらふこゝろしなくば、彼と同じからぬは、なにごとかあらむ。抑皇國の古は、たヾ同母兄弟ハラカラをのみキラひて、異母コトハラ兄弟イモセなど御合坐ミアヒマシしことは、天皇を始め奉て、おほかたよのつねにして、今京イマノミヤコになりてのこなたまでも、すべてイムことなかりき。但しタフトイヤシきへだては、うるはしく有て、おのづからみだりならざりけり。これぞこの神祖カムロギの定め賜へる、正しきマコトの道なりける。然るを後世には、かのから國のさだめを、いさゝかばかり守るげにて、異母コトハラなるをも兄弟イモセと云て、マグハヒせぬことになも定まりぬる。されば今世にして、オカさむこそアシからめ、古は古の定まりにしあれば、異國アダシクニサダメノリとして、アゲツラふべきことにあらず。

いにしへの大御代には、しもがしもまで、たゞ天皇の大御心を心として、

天皇の所思看オモホシメス御心のまに奉仕ツカヘマツリて、オノが私心はつゆなかりき。

ひたぶるに大命オホミコトをかしこみゐやびまつろひて、おほみうつくしみの御蔭ミカゲにかくろひて、おのもおのも祖神オヤガミ齋祭イツキマツリつゝ、

天皇の、オホ皇祖オヤガミ御前ミマヘ拜祭イツキマツリがごとく、臣連おみむらじ八十ヤソ伴緖トモノヲ、天のノ下の百姓オホミタカラに至るまで、オノ祖神を祭るは常にて、又天皇の、朝廷ミカドのため天下のために、天神アマツカミ國神クニツカミモロをも祭が如く、下なる人どもゝ、事にふれては、サチを求むと、ヨキ神にこひねぎ、マガをのがれむと、アシキ神をもナゴめ祭り、又たま罪穢ツミケガレもあれば、祓淸ハラヒキヨむるなど、みな人のコヽロにして、かならず有べきわざなり。然るを、心だにまことの道にかなひなば、など云めるすぢは、佛の敎へ儒のコヽロにこそ、さることもあらめ、神の道には、イタくそむけり。又異國アダシクニには、神を祭るにも、たゞ理をサキにして、さま議論アゲツラヒあり。淫祀など云て、いましむることもある、みなさかしらなり。凡て神は、ホトケなどいふなる物のオモムキとはコトにして、ヨキ神のみにはあらず、アシきも有て、心も所行シワザも、然ある物なれば、アシきわざする人もさかえ、善事ヨキワザする人も、マガることある、よのつねなり。されば神は、理アタリアタラズをもて、思ひはかるべきものにあらず。たゞその御怒ミイカリカシコみて、ひたぶるにいつきまつるべきなり。されば祭るにも、そのこゝろばへ有て、いかにも其神の歡喜ヨロコび坐べきわざをなもべき。そはまづ萬齋忌イミキヨまはりて、穢惡ケガレあらせず、タヘたる限美好うまきモノサワタテマツり、アルコトひきフエふき歌儛ウタヒマひなど、おもしろきわざをして祭る。これみな神代のアトにして、古の道なり。然るをたゞ心のイタり至らぬをのみいひて、タテマツる物になすわざにもかゝはらぬは、漢意カラゴヽロのひがことなり。さて又神を祭るには、ナニわざよりも先づ火をオモ忌淸イミキヨむべきこと、神代書の黃泉段ヨミノクダリを見て知べし。神事カムワザのみにもあらず、大かた常につゝしむべく、かならずみだりにすまじきわざなり。もし火ケガるゝときは、禍津日神ところをえて、アラび坐ゆゑに、世中に萬禍事マガゴトはおこるぞかし。かゝれば世のため民のためにも、なべて天下に、火のケガレイマまほしきわざなり。今の代には、タヾ神事カムワザのをり、又神の坐トコロなどにこそ、かつも此イミは物すめれ。なべては然る事さらになきは、火のケガレなどいふをば、オロカなることゝおもふ、なまさかしらなる漢意カラゴゝロのひろごれるなり。かくて神御典カミノミフニ釋誨トキヲシふる世〻の識者モノシリビトたちすら、たゞ漢意カラゴゝロの理をのみ、うるさきまで物して、此イミコトをしも、なほざりにすめるは、いかにぞや。

ほどにあるべきかぎりのわざをして、オダヒしくタヌシく世をわたらふほかなかりしかば、

かくあるほかに、ナニオシヘごとをかもまたむ。抑みどりに物敎へ、又諸匠テビトヾモ物造モノツクるすべ、其外よろづの伎藝コトナルワザなどを敎ふることは、上代に、有けむを、かの儒佛などの敎事ヲシエゴトも、いひもてゆけば、これらとコトなることなきにたれども、ワキマふれば、同じからざることぞかし。

今はた其道といひて、コトに敎ウケて、おこなふべきわざはありなむや。

然らば神の道は、からくにの老莊が意にひとしきかと、或人の疑ひへるに、答けらく、かの老莊がともは儒者のさかしらをうるさみて、自然オノヅカラなるをたふとめば、おのづからたることあり。されどかれらも、大御神の御國ならぬ、惡國キタナキクニに生れて、たゞ代〻の聖人のコトをのみキヽなれたるものなれば、自然オノヅカラなりと思ふも、なほ聖人の意のおのづからなるにこそあれ、よろづの事は、神の御心より出て、その所爲シワザなることをしも、えしらねば、大旨オホムネイタくたがへる物をや。

もししひてモトむとならば、きたなきからぶみごゝろをハラひきよめて淸〻スガしき御國ミクニごゝろもて、フルキフミどもをよくマナびてよ。シカせば、受行ウケオコナフべき道なきことは、おのづから知てむ。しるぞ、すなはち神の道をうけおこなふにはありける。かゝれば如此カクまでアゲツラふも、道の意にはあらねども、マガビノ神のみしわざ、つゝ默止ナホえあらず、神直毘カムナホビノ大直毘オホナホビノ神の御靈ミタマたばりて、このまがをもてナホさむとぞよ。

カミクダリ、すべてオノが私のころゝもていふにあらず。ことフルキフミに、よるところあることにしあれば、よくむ人は疑はじ。

かくいふは、明和の八年ヤトセといふとしの、かみな月の九日の日、伊勢飯高御民ミタミ、平阿曾美宣長、かしこみかしこみもしるす。