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皇典講究所古道概要直毘霊 |
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かかれば、此くまで論ふも、道の意にはあらねども、禍津日神のみしわざ見つつ、{{r|默止|ナホ}}えもあらず、神直日<sup><small>ノ</small></sup>神、大直毘<sup><small>ノ</small></sup>神の御靈たばりて、このまがを、もて直さむぞよと。{{resize|50%|本居宣長大人箸、直毘靈の本文}} |
かかれば、此くまで論ふも、道の意にはあらねども、禍津日神のみしわざ見つつ、{{r|默止|ナホ}}えもあらず、神直日<sup><small>ノ</small></sup>神、大直毘<sup><small>ノ</small></sup>神の御靈たばりて、このまがを、もて直さむぞよと。{{resize|50%|本居宣長大人箸、直毘靈の本文}} |
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2020年1月20日 (月) 13:34時点における版
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1038472/66
第二十一章 直昆靈
皇大御國は、掛まくも畏き、
然るを、やや降りて、書籍といふ物渡り參る來て、其を學びよむこと始りて、後、其の國の手ぶりをならひて、やや、萬のうへにまじへ用ひらるる、御代になりてぞ、大御國の古の大御手ぶりをば、取り分けて、神道とは名づけられたりける。そは、かの外つ國の道道にまがふがゆゑに、神といひ、又、かの名を借りて、ここにも、道とはいふなりけり。しかありて、御代御代を經るままに、いやますますに、その漢國のてぶりをしたひまねぶこと、盛りになりもてゆきつつ、ついに、天の下所知看す大御政も、もはら漢樣になりはてて、靑人草の心までぞ、其の意にうつりにける。さてこそ、安けく平らけくて有り來し御國の、みだりがはしきこといできつつ、異國にやや似たることも、後にはまじりきにけれ。そもそも天地のあひだに有りとあることは、
◆
然れども、天照大御神、高天原に大ましまして、大御光は、聊かも曇りまさず、此の世を御照しましまし、天津
さて、其の道の意は、古事記をはじめ、もろもろの古書どもを、よく味ひ見れば、今もいとよく知らるるを、世世の物しり人どもの心も、みな、禍津日神にまじこりて、ただ、からぶみにのみ惑ひて、思ひとおもひ、いひといふことは、みな、佛と漢との意にして、まことの道のこころをば、えさとらずなもある。故、おのが身身に受け行ふべき、神の道の敎へなどいひて、くさぐさものすなるも、みな、かの道道のをしへどとをうらやみて、近き世にかまへ出でたるわたくしどとなり。あなかしこ、天皇の、天下しろしめす道を、下が下として、己がわたくしの物とせむことよ。
人はみな、產巢日神の御靈によりて、生れつるまにまに、身にあるべきかぎりの行は、おのづから知りて、よく爲る物にしあれば、いにしへの大御代には、しもがしもまで、ただ、天皇の大御心を心としてひたぶるに、大命をかしこみゐやまひまつろひて、おほみうつくしみの御蔭にかくろひて、おのもおのも、祖神を齋き祭りつつ、ほどほどに、あるべきかぎりのわざをして、
◆
祓ひきよめて、淸淸しき御國心もて、古典をよく學びてよ。然せば、受け行ふべき道なきことは、おのづから知りてむ。其をしるぞ、すなはち、神の道をうけおこなふにはありける。
かかれば、此くまで論ふも、道の意にはあらねども、禍津日神のみしわざ見つつ、