漢字御廢止之議
國家の大本は國民の敎育にして其敎育は士民を論せす國民に
因みに米人ウヰリアム某か一話を御參考の爲めに記して御賢覧に奉供候 同人は亞米利加合衆國の基督敎の宣敎師にて亞細亞地方に同敎宣布の爲め先つ
漢字を御廢止相成候とて漢語卽ち彼國より輸入し來れる言辭をも倂せて御廢止相成儀には無御坐只彼の文字を用ひす假名字を以て其言辭を其儘に書記するは
國文を定め文典を制するに於ても必ず古文に復し「ハベル(侍ル)」「ケルカナ」を用る儀には無御坐今日普通の「ツカマツル(仕ル)」「ゴザル(御座ル)」の言語を用ひ之れに一定の法則を置くとの謂ひに御坐候 言語は時代に就て變轉するは中外皆然るかと奉存候 但口舌にすれは談話となり筆書にすれは文章となり口談筆記の兩般の趣を異にせさる樣には仕度事に奉存候 是等の如きは學術上に涉りたる事柄にて元より本議御採納さいなふの上其事業に御着手のとき學者輩の議に任すへきものに御坐候得共御賢按けんあんの御資料に迄取摘み言上仕置候
漢字を普通一般の敎育上に廢することは素讀習字卽ち文字の形畵呼音を暗記し之を書寫するの術を得る爲めに費す時間を節減仕候に付一般學年の童子には少くも三ケ年專門高上の學を脩をさむる者には五六乃至七八年の時間を節省せしむへく此節省し得へき時間を以て或は學問に或は興業殖產しよくさんに各其所望に任して用ひしめは勝て算すへからさるの利益なるは毫末疑を容れさる事と奉存侯 乍恐おそれながら此時間利用の一件に就ては殊に賢意を被爲注度奉存候 御國人の時を徒費して惜まさるは實に歎しき至に御坐候 大禹か惜寸陰せきすんいんの格言を萬般の實業に實施せしむこそ實に治國の大要件と奉存候
次に普通一般の敎育法を御改良不被遊候ては一般の知識を開達せしめす其愛國心を厚からしむることは無覺束事おぼつかなきことと奉存候 前にも申上候通り國人皆自國を以て無上至善の國と自信し自ら自尊の志を懷おもひて寸毫も他に譲らさるの氣象を保たされは真誠の愛國心を發揚仕り兼ね候 御國人の所謂大和魂は一種特有の魂氣の如く御坐候得共決して然るものには有御坐間敷取りも直ほさす愛國の一心に外ならすと奉存候(自盡決死に果敢なるか如きは大和魂の一部分なるに過きすと奉存候)
御國普通一般の敎育は上下の二等に分れ其下等なるものは只僅に姓名の記し方消息の書き方及其職業に就て要用なる字面を諳そらんするのみにして卒をはり宇宙間事物の道理の如きは分毫も之を敎示するもの無之國外國ある事をすら知る者少き状態に候得は愛國心の如きは是等の種族中には絕て影たに映出致せし事は有之間敷奉存候 其上等なるものに於ては先つ四書五經の素讀より支那の歴史に相涉り文物制度より治亂興敗の蹟を講し候にて御國の古典歴史の如き課外の業に附し去りて之を知るも知らさるも敎育上には關係無きは一般に御坐候 故に彼を尊み己を卑むの病は早く已すでに彼等の腦裏に感染し愛國心を傷け候 素より知識を開達せんには廣く宇內の事績を講明するを肝要と仕候得は支那は差措き西洋の書をも閲讀せしむるは勿論之儀に候得共普通一般の敎育に就ては尤も本邦の事物を先にし他邦の事物を容れて自國の事物の如く自國の言語を以て敎授し(卽ち學問の獨立)少年輩の心腦をして愛我尊自の礎を固めしむること甚た肝要の事と奉存候 他を學て而て后我を知るか如きは主客を轉倒し順敍を愆あやまるの本にして風習の大體に就て大妨碍だいばうがいと相成候 學者の常に道いふ我民をして堯舜の民たらしむ 英雄を論して楠正成は諸葛孔明に似たりと云ふ如きは主客順序を轉倒するものにして邦俗風習を卑屈ならしむるの一例に御坐候 西人某の談話に日本人は大和魂と云々すれとも從來漢學を以て學問敎育の基本とするゆへ一種の支那魂ありて大和魂(愛國心)に乏し 輓近ばんきんに至りて漸く西洋學を爲す者增加せるゆへ早く學問の順敍を改正して之を制せされは他日は自ら一種の西洋魂を輸入して支那魂と衝突し不可謂いふべからずの葛藤を起し其極大和魂を皆無にすへしと 這これは外人の妄評には御坐侯得共亦全く御遠慮の外に可被爲措の一話とも不奉存候故に願くは速に學問獨立の大本を被爲立御國語を以て編纂したる德育の書(孝悌忠信德誼品行上に係るもの)智育(歴史地理物理算數等に係るもの)の書下等上等の兩區に分ち彼我主客等皆其敍次を定て一般普通の敎育に御適用被遊候樣御廟議有御座度奉存候
學問の順敍を立てさる敎育は愛國心如何の一點に止らす御國人一般の智德を發達せしめさる大病源に御坐候 喩たとへは仁義とか明德とか治國平天下とか云へるは老成學者の猶明解に苦しみ老練爲政家の難しとする所のものに御坐候處童年初步の敎授本と致候に付可惜智力發揚の時間を之に費し數年の苦學は僅に素讀の一事に止とどまり隨て止やむれは從て其字面をさへ忘失し全く無價の徒勞と相成候 又學問は只道德上のものとのみ見做みなし候に付物理の學の如きは古來全く敎育上の物とせす技術上の敎育に於ては之を職工の賤業とし學校の門に入れさるより工藝陋劣ろうれつ風敎浮薄此貧弱未振の今日を致し志士をして痛歎血泣せしむるの悲況に立至り候 畢竟自尊獨立の氣象を盛にし愛國至誠の心を固からしむるは富强の二力に職由しよくいう仕候は今更申上候迄も無之其大原たる實に學問の順敍方法其宜を得さるに歸着仕候段は深く御賢慮被遊度 蓋けだし此儀は方今學者の多く力を極め言を盡て排斥する所と奉存候得共是等俗儒庸士ぞくじゆようしの能く知る所の者に無御坐候得は彼等の紛儀は御峻拒被遊何卒御廟議英明の果斷に被爲出度切至せつし奉悃願こんがん候 實に此儀は空前絕後千載の一事と乍恐奉存候
前記第三と事項を分て申上候御布令其他に漢字を用ひさる云々は廢漢字の手續まてにして別に可申上程の緊要は無御坐候 斯く御手段を不被遊候ては一般をして速に漢字を用ひす國文を用ふるの時を得難く又斯くあらは相互の私書には御立入無御坐旨を明にするの御便宜も可有と奉存候 但地名人名に漢字を用ひさるときは喩へは松平を「マツタイラ」「マツヒラ」「マツヘイ」「シヤウヘイ」其外「シヤウヒラ」「シヤウタイラ」何と讀て然るへきや其人に聞かされは其正を得さる如き實に世界上に其例を得さる奇怪不都合なる弊を除き萬人一目一定音を發する利を睹みては此御美擧びきよなるを普く贊賞仕候儀は尤速なる御事と奉存候
右は御用御多端の際御通覧の勞を憚り卑懷の幾分を言上仕候迄に御坐候間幸に御一覧の榮を賜り候上にて尙御下問の御儀も被爲有候は難有謹て詳つまびらかに言上可仕候 但微賤の分限をも不顧奉犯尊嚴候段其僭越の罪は元より