櫻ノ碑

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櫻の碑
櫻の碑-本文部分を拡大撮影

櫻ノ碑(さくらのひ)

  • 本文は小西 和(こにし かなう)(1873年(明治6年) - 1947年(昭和22年))が亀鶴公園と命名した際の碑文である。
  • 碑文は一風変わった親近感をもったものと解釈されている。
  • 旧長尾町観光百年の大計の元となった貴重な資料である。

原文[編集]

コノ櫻ハ明治三十七八年ノ戰役ニ従軍シタ私ガソノ
記念トシテ明治四十年カラ四年間ニ苗木二千五百本
ヲ埼玉縣カラ取ヨセテ奉納イタシタモノデアリマス
追々育ツテ花ガ咲キ森ヤ水ト調和シテ美シウナツテ
來マシタソレデココガ亀鶴公園ト名ヅケラレ一ツノ
名勝ニナリマシタ神様ハ御喜ビナサル多勢ガ見物ニ
集ル花ノ下ニハ色々店ガ出ル池ニハ遊ビ舟ガ絶ヱズ
夜ハ電燈ガ光リ渡ツテ賑フ有様デ歌ヒ踊ツテ樂ンデ
クレマス長イ年月ノ後ニハ木ガ自然ニ枯レテ來ルデ
セウカラソノ時々苗木ヲ植エテ補ハネバナリマセン
仍テココニ石ヲ建テ之ヲ記シテ置キマス
昭和四年四月七日 衆議院議員勲三等小西 和

読み下し文[編集]

この桜は明治三十七八年[1]の戦役に従軍[2]した私が、その 記念として明治四十年[3]から四年間に苗木二千五百本 を埼玉県から取り寄せて奉納いたしたものであります。 追々育って花が咲き森や水と調和して美しくなって 来ました。それでここが亀鶴公園と名づけられ一つの 名勝になりました。神様はお喜びなさる。大勢が見物に 来る。花の下には色々店が出る。池には遊び舟が絶えず 夜は電灯が光り渡って賑わう有様で、歌い踊って楽しんで くれます。長い年月の後には木が自然に枯れて来るで しょうからその時々苗木を植えて補わねばなりません。[4] よってここに石を建てそれを記しておきます。 昭和四年[5]四月七日 衆議院議員勲三等 小西 和

脚注[編集]

  1. 明治37年-明治38年。1904年-1905年。
  2. 日露戦争
  3. 1907年
  4. 現在の桜は植え替えられた二代目のものである。
  5. 1929年

関連項目[編集]

Wikipedia
ウィキペディア香川県立亀鶴公園のページがあります。

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