梶井基次郎に就いて

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本文[編集]

梶井基次郎は理想家であつた。彼はいつも最高なるもの激しい憧憬を持ち続けてゐた。時には単に権威あるものに対してさへ真面目な尊敬を表することがあつた。例へば彼は帝国大学が、大学の制帽が、さうして「キチンとした真面目な帝国大学々生」が好きであつた。さうしてそれは梶井を非常に単純な、滑稽なほど幼稚な男に思はせることさへあつた。
が、幸か不幸か梶井の身体の中には一匹の大きな虫がゐた。それは梶井の作品にしばしば書かれてゐるやうに、「一度思ひついたら最後の後悔の幕まで行つてみなければ得心の出来なくなる」彼の強い盲目的な欲望である。彼はしばしばこの盲目的な欲望に押し流され、悲鳴を挙げながら、最早どうすることも出来ない最後のどんづまりまで行つてしまふのである。これを僕は梶井の強烈な放蕩精神と言ひたい。実際此の梶井の放蕩は底抜けのものであつて、金魚を抱いて寝たり、焼芋屋の釜の中へ牛肉を投げ込んで親爺に追駈けられたりしたやうな奇抜な行や、また彼の高尚な精神とは凡そ反対な悖徳な行で一杯であつた。悖徳は更に悖徳を呼び、醜悪はより醜悪を求めて、彼は荒廃たる狂態を演じ続けた。さうして最後にはいつもきまつて、「慌て、慌てては勇猛精進、自暴自棄、後悔、祈禱、そればかりではない、自殺、超人、「人生論」「宗教論」の戸毎へまでも慌しく駈けまはる」のであつた。だから僕は此の彼の放蕩精神こそ、彼の理想を求めんとする高遇なる精神を鍛冶する水火であつたと僕は思ふのである。若し此の放蕩精神がなかつたならば、彼の高貴な精神も世の多くの宗教家達のやうに幼稚な甘つたるいものであつたらう。が梶井は彼の高貴な精神を繰返し繰返し飽くことなく勇敢にさうして辛棒強く虐待し拷問し続けたのである。かくて彼の高貴なる精神は次第にその光芒を発して来たのである。僕は此処に於いて余談ではあるが梶井の放蕩実践の先生である、或は彼の放蕩精神にいつも油を注いでゐた中谷孝雄が梶井にとつていかに欠くべからざる善き友、或は善き相手であつたかと言ふことを忘れることが出来ない。これはいつか機を得て書いてみたいと思ふ。
梶井の理想家的精神が強烈に書かれた作品は未だない。彼は生前よくそれを口にしてゐたが、機未だ到らなかつたのであらう、彼はいつも苦々しい渋面をつくつて破り棄ててゐた。が彼の残した作品の多くが、彼の暗澹たる心境を描きながら、何処か明るく健康で高貴なるものを感ずるのは、彼梶井が強烈な理想家であり、最高至純のものへ憧憬する激しい彼の精神を感ずるからである。
世人多く理想家を嘲笑する。殊に日本の文学人に於いて甚しい。が僕はむしろ此の理想精神の欠乏を慨く。此の精神なくして、何の苦悩ぞ。何の絶望ぞ。日本文学の安易性は実にここに存するのだ。が僕はまた多くの偽理想精神を知つてゐる。日本宗教の安易性はまた実に此処に存するのだ。梶井は実に強烈な理想精神と逞しい放蕩精神とを持つてゐた。彼の作品は此の両精神の激しい相剋によつて生れた。さうして彼の作品は此の激しい拷問に耐へて、益々高貴に、益々激烈になりつゝあつたのだ。僕が彼の無限の生長を信じ、いつの日か不世出の偉大なる作家として聳立するであらうことを信じてゐたのもこの所以であつたのだ。これは贔屓の言ひ過ぎと言はれるかも知れない。が僕は今も尚堅く信じて疑はない。

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