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東洋大学紛擾事件顚末

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本学紛擾事件の顚末

約二ヶ月に亘つて解けなかつた本校此度の紛擾は教育界に於ける不祥事であつたばかりでなく、また実に本校が社会に対し、殊に生徒の父兄保証人諸君に対して慚傀する所であります。

事件の発端は、三月末境野学長が本学財団維持員田辺善知氏より幹事郷白巌氏を解職せよといふ勧告を受けたので、教授中の十氏を私邸に招いて、此の事を諮つた所、全員一致して反対の意見を述べたので、その処置に迷うた事にあるのであります。境野学長の優柔不断の態度を見て、教授中には個人的に種々忠告を試みた人達もありましたが、境野学長はこれを容れず、五月九日に至つて遂に郷幹事を解職しました。此の間約二ヶ月かゝつてをります。こゝに於て教授中の二三氏が或は本事件に関与して来た立場の上から、或は郷氏との情誼の上から辞意を表明して、授業を休止されるに至りました。この事が生徒中に知られたので、漸く動揺の色が現れました。或は学長に就き或は幹事に就いて此の間の事情を質しても、其の言ふ所互に齟齬して適従する所を知らなかつたといふので、生徒の多数は十二日講堂に集つて境野学長、郷幹事及び田辺維持員を同席させて、本事件に関する三人の主張を聴取しました。これから生徒は著しく境野学長に対する不信を加へ、田辺維持員の人格を疑つて、遂に五月十七日から引続き境野学長に辞職を勧告するに至りました。教授団に於ても事態漸く重大なりと見て、同日委員三名を挙げて、事件の真相を調査し、教授団として解決方法を講ずることとしました。その結果として教授団は四十八名の連名を以て、境野学長に対して、貴下は今回の事件の中心に立つてゐる人で、事佇解決の衝に当るには不適当であると認めるから、本大学財団唯一の決議機関である維持員会(参考「東洋大学財団規約」第十三条維持員会に於て本財団法人に関する重要なる事項を審議決定す)に解決の事を一任せられたいといふ意味の勧告書を送りました。この事を知つて生徒中には教授団信任の決議をした級もありました。

五月二十日境野学長は遂に専断を以て動揺せる生徒団の中心人物と認定したもの三十余名に対する除名又は停学の処分と、十二日間に亘る全校(但し社会事業科を除く)の臨時休業とを命じ、又多く事実に反した「東洋大学紛擾事件の真相」と題した声明書を発表しました。さうして教授団の勧告に対しては、自分に考があるから今暫く待つてくれといふ返事を与へましたが、事態は日々険悪を増すの徴を見ましたので、教授団は再び、事件の解決を維持員会に一任せよといふ勧告を繰返し、同時に生徒の除名停学処分及び全校の臨時休業の処置に就いて境野学長の再考を促しました。同月三十日境野学長の懇請を受けて本大学顧問岡田良平石黒忠悳井上哲次郎村上専精高楠順次郎内田周平の六氏は岡田良平氏を代表として、教授団に対して、境野学長から事件解決に就いて一任されたから、教授団に於ても、同様一任されたいといふ申出をなされました。教授団は従来の主張に随つて、本学財団の重大事項は維持員会で決議すべき筈であるから、御申出の件は維持員中へなされたいといふ返事をしました。岡田顧問代表は此の意を諒として右の申出を維持員中へなされ、維持員六名(稲垣末松氏、杉敏介氏、島地大等氏、古城貞吉氏、冨田斅純氏、祥雲晩成氏)協議の上、顧問一任のことに決して、此の旨を岡田顧問代表に通じました。教授団も亦維持員の処置を適当と認めることになりました。

こゝに於て岡田顧問代表は顧問会を開いて、解決案の覚書を作製して、境野学長をしてこれに署名せしめて、先づ六月一日の授業開始と同時に、処分生徒の復校のことを取計らはせられました。所が些の手違ひの為に実行が出来なかつたので、岡田顧問代表は更に四日を以てそれを実行させられましたが、境野学長の不誠意から、又々行悩みとなつてしまひました。これが為生徒の激昻は再燃して、顧問の解決も甚だ困難を感ぜらるゝに至つたが、岡田顧問は誠意を傾けてなほ熱心に解決のことに尽カせられました。此の間維持員及び諸教授はこの激昻せる生徒を鎮静せしむる為に、随分苦を重ねました。併し追々と生徒も顧問の誠意に信頼して静粛に帰しましたので、岡田顧間代表は二十一日に至つて、顧問会を開き、その席上に境野学長を招いて、翌二十二日を以て維持員会開会の召集状を発し、二十七日を以て維持員会を開会し、予て内示して置かれた件々を協議すべきことを命ぜられ、境野学長も快諾して帰りました。所が意外にも、境野学長は二十三日、二十四日、二十五日の三日間屢々岡田顧問代表の督促を受けて、其の都度実行を約しながら、言を一二校友の反対等に託して、維持員会開会の手続をなさず、二十五日に至つても遂に通知状を発しませんでした。(参考、財団の規定によれば、維持員会は開会三日前に通知状を発送しなければ無効となる筈であります。)

二十六日朝に至つて、境野学長は、岡田顧問代表に対して、不信義にも書面を以て、予て自ら進んで一任して置いた事件解決の委任を取消す旨を通じ、午後に至つては突然維持員たる三教授並びに其の他の三教授[1]を解職してしまひました。これは維持員会出席の法定数に不足を生ぜしめて、同会をして不成立に終らしめる目的を以てしたことに相違ないのであります。境野学長は終始一貰して維持員会の開会を拒否して止まなかつたのであります。

境野学長が重ね重ねなした是等の不信義の行為と不穏当の処置とは、過去一ヶ月間隠忍に隠忍してゐた生徒をして憤激の極に達せしめ二十七日の不祥事を惹起して、粗暴の挙動があつたと認められた生徒三十余名の檢束を見るに至らしめました。

由つて教授団は二十八日を以て已むを得ず境野学長の不信任決議をいたすやうになりました。二十九日には遂に文部大臣から境野学長認可の取消があり、七月二日に本学財団理事湯本武比古氏に臨時学長事務取扱認可の指令があつて、茲に事件の落着を見ることが出来ました。文部省から発表になりました境野学長認可取消の理由書は頗る明快に学長の不当を述べたものでありますから、こゝに掲げて御覧に供します。

理由書
本日文部大臣は境野哲氏に東洋大学長たるの認可を取消した。これは私立学校令第七条に依り境野氏を以て校長たるに不適任であると認めたからである。抑も同大学今回の紛擾に関しては文部省は最初から大学自治の精神を尊重し、殊に同大学には維持員会といふ、重要事件の審議を職責とする機関が存在するのだから、何れ自治的に相当の解決を告げるであらうと考へたので、督学官等をして実情を視察せしめ、且相当の警告を加へたことはあつたけれども、解決の方法条件等に就いては全然同大学当局の手に委して、専ら傍観の態度を執つたのである。其後同大学では紛擾の解決を顧問である岡田良平氏等教育界の長老に一任し、授業は平常の如く復したることを聞き、同大学の為め又教育界の為め窃かに慶賀して居つたのである。然るに突如として六月二十六日に至り調停を一任せられたる岡田顧問が学校より仲裁を拒絶せられたることを聞知したので、直に関係方面の調査を遂げた処、調停案は顧問諸氏と学長との間に再度まで成立し、維持員会を招集することに決して居たに拘はらず、境野氏が辞を左右に託し遷延日を送り、終にこれを拒絶したること、並に維持員諸氏から維持員会開会の要求ありし後境野氏は右の要求者たる教授者三名を免職した事を承知して、衷心非常に遺憾に思つたのである。惟ふに東洋大学財団寄附行為中に規定する維持員会は同大学に取り重要なる使命を帯ぶるもので、重大且緊急なる事件発生したる時は請求の如何に拘はらず、当然開催するを至当とするものである。然るに啻に境野氏は此の方法を執らざるのみならず、維持員開会〔ママ〕の要求あるを知るや、要求者たる教授の免職を以て、之に酬いたのは、学長の立場として相当の議論があるかも知れないけれども、維持員会開会間際になつて、維持員を馘首する事は如何に考へても不穏当の処置である。之れを要するに従来の経過及び現在の状態に鑑み、境野氏を以て校長の適任者と認むることを得ないので、已むを得ず認可の取消をなした次第である。猶茲に痛恨事とすべきは生徒の一部が二十七日朝学校内で暴行を演じた事である。惟ふに近時社会の悪風潮に伴ひ、学生生徒の間に於ても、青年血気の余、動もすれば常軌を逸せる行動に出でんとするものあるを観るは実に寒心に堪へざる事であつて、殊に苟も恩師に対し腕力を行使するガ如きは、如何なる理由あるを問はず到底寛恕するを許さない。即ち今回の紛擾に於ても校規に違反したる者に対しては、学校に於て相当の処分を為すのが至当であり、暴行脅迫其の情状重かりし者に対しては司法及び警察官憲の適当なる処置を俟つの外なし。文部省は唯学校当局が将来一層校規の振粛を期し、再び此の不祥事無からしめん事を冀ふものである。

上に述べ来つた所を要約すれば次ぎの通りになります。教授団対境野学長の関係は、境野学長が何故か本学財団の決議機関たる維持員会と学長の諮問機関たる協議員会を憚り、正当なる手続を経て事を処置せず、却て左右二三者にのみ謀つて専断し、不当の行為の多かつたことと、教授個人や教授団に対して不信義の行為の多かつたこととの為に、当初は好意的に尽力し勧告をなし来つた教授個人や教授団が、漸次に同氏に対する不信を深めるやうになり、六月二十六日の不当解職や二十七日の不祥事を見るに至つて遂に不信任決議をなしてこれを排斥するに至つたのであります。

境野学長対生徒の関係は次ぎの通りであります。生徒間に動揺を起したのは数教授の辞意表明を知つてからのことでありますが、五月十二日境野学長郷幹事田辺維持員三人の主張を聴取してから、弥境野学長不信任の態度を示すに至りました。爾後境野学長の誠意なき不信義の言動は次第に生徒の不信を深め憤懣を激成して、遂に彼等をして六月二十七日午前の甚だ粗暴なる挙動に出づるに至らしめたものであります。

湯本臨時学長事務取扱就任後の事は七月九日生徒一同に与へた訓辞にその要を述べてありますから、こゝにこれを掲げます。どうかこれで御承知を願ひます。

訓辞
約二ヶ月に亘つた此の度の紛擾は本学に取つて最も遺憾なる事件でありました。殊に六月二十七日の出来事に至つては本校の為にも亦教育の為にも此の上なき悲しむべき事件でありました。事のこゝに至つた事情を考へて見れば、これに関与して目下刑務所に在る生徒諸子にも大いに無理からぬ点があるのでありますが、事柄そのものに至つては不祥事たることを否み難いのであります。今や当日の事件は国法の公明なる批判を待たねばならぬことになつてをります。我々教職員は諸子と共に、此の前途多望なる学友諸子の為に法の容す限りに於て涙ある処置に出でられんことを司法当局に対して懇願するの他はありません。どうか一同真の友誼の情を以て出来るだけ尽くしたいと希望いたします。

今や本学は中心たるべき学長を失ひましたが、私は取敢へず臨時学長事務取扱の認可を得まして、教授諸君の協力を得て当面の善後の経営に従事してをります。既に協議員会を開くこと二回、教授会を開くこと一回、著々として当面の処置と新しい発展の準備とに進んでをります。教授諸君は已むを得ざる事情のある一二の人の他は皆従前通り本学の為に御尽力下さる筈で、既に日々教鞭を執つてをられます。生徒諸子の多数も安心して従学してをられるやうでありますが、若し万一多少危惧の念を抱いてをる人があつたら、諸子からよりより安心して登校されるやうに御話を願ひたい。

諸子の中には事件進行中所謂反学長派と称せられた人もありませう。又所調学長擁護派と称せられた人もありませう。又厳正中立を標榜した人もありませう。併しながら文部当局の境野学長の学長認可取消しの処置に由つて紛争の原因がなくなりました以上、最早従来の行掛りに拘泥する何の必要もありません。諸子は今日に於ては一様に新しい発展の道に第一歩を著けた新しい東洋大学の学生であります。此の神聖なる学園の中に住める友人であります。どうか一切の行掛りを忘れて、互に相親しみて一意専心、美しい学園の新学風を作ることに努力せられんことを希望します。

本学最高の協議機関は維持員会でありますが、目下多数の欠員がありまして、法律的にその機能を発揮することの出来ない事情の下に立つてをります。それが力を発揮させる為にはその補欠選挙を行はねばなりません。それにはなほ二十日ばかりの日数を要します。此の維持員会が成立して弥〻建設的なる百般の施設に著手することとなります。思ふに九月新学期の初に於て、諸子が新しい元気に充ちて出校せらるゝ頃には、本校も亦新しい面目を以て諸子を迎へるに至るでありませう。私共教職員一同は大なる抱負を以て我が大学の新建設の任に当り、大なる期待を以て九月の新学期に臨むものであることを明らかに申して置きます。諸子もこの意を体して本学々生たる本分を尽くすことに努力せられんことを希望します。

なほ夏期休暇も近づきましたが、諸子が帰省せられた日には右の事情をよく父兄に話して安心させて上げて下さることを依頼して置きます。

大正十二年七月

東洋大学々長臨時事務扱取〔取扱〕

湯本武比古

脚注

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  1. (島地大等、杉敏介、稲垣末松、中島徳蔵、広井辰太郎、和辻哲郎

この作品は1931年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。