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常憲院殿御実紀/卷廿四

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常憲院殿御實紀卷二十四 〈元祿四年七月に始り 十二月に終る〉

七月

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七月朔日拜賀例のごとし。

岡部美濃守長泰。土井周防守利益就封の暇給ふ。

金地院普濟禪師は三束二卷。護國寺權僧正賢廣は二束一卷。根生院榮專は一束一卷奉り。今度の特恩を謝し奉る。

老臣以下に時服給ふ事例のごとし。

この日智積院僧正信盛。小池坊僧正卓玄。護國寺權僧正賢廣めして法問を聞召る。知足院僧正隆光。眞福寺宥鑁。圓福寺專戒。彌勒寺俊與着座す。〈日記、別本万年記〉

○二日彌勒寺俊與に色衣を恩許あり。

小姓山川彌一郞忠盈病免して小普請に入る。

京坂兩職幷に日光の梶左兵衞佐重良に時服を驛送して給ふ。〈日記〉

○三日桐間番一人致仕命ぜられ。其子廊下番とせらる。

また廊下番より次番にうつる者一人。

此日御宮。諸廟に新茗を供し給ふ。〈日記〉

○五日この程臺のうへ瘧をなやませられしに。快ならせたまひしをもて。家門使して賀せらる。〈日記〉

○六日鯖料奉る輩恒例のごとし。〈日記〉

○七日佳儀例に同じ。

水戸中將綱條朝臣北方より。生御魂を賀せられ。二種一荷奉らる。〈日記〉

○八日この六日。日光山本地堂前に雷震せる注進ありしをもて。阿部豐後守正武に巡察命ぜられ。御手づから羽織を給ひ。家にまからず營中より直に發程す。

新番頭大久保伊豫守忠直は盆使仰付らる。

この日東叡山嚴有院殿靈廟に。戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉

○九日家門使して。日光山雷震すといへども。御宮。靈廟つゝがなきを賀せらる。〈日記〉

○十一日三丸にならせ給ひ桂昌尼公生御魂をほがせ給ひ饗せらる。

日光驛路に奉書を下されて。阿部豐後守正武を慰勞したまふ。〈日記〉

○十二日日蓮宗悲田派の輩廿六人は八丈島。廿三人は大島。八人は三宅島。五人は新島。七人は神津島に遠流せらる。

この日鳥醫の員を增る。〈日記、湯原日記〉

○十四日阿部豐後守正武日光山より歸り謁す。

上野へ高家品川豐前守伊氏。芝へ奏者番永井伊賀守直敬御使し。例の檀嚫をつかはさる。〈日記〉

○十五日紅葉山諸廟に詣給ふ。豫參は大久保加賀守忠朝。阿部豐後守正武。土屋相摸守政直。昵近牧野備後守成貞。少老秋元但馬守喬知。先導は保科肥後守正容。御刀は黑田豐前守直邦。御沓は筒井内藏忠清。供奉は少老内藤丹波守政賴。御側松平隼人正忠冬。酒井甲斐守忠良なり。

此日隼人正忠冬もて。桂昌尼公生御魂を賀せられ。金五枚。樽肴進らせ給ふ。

又御座所にて噺子の御遊あり。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に。大久保加賀守忠朝代參す。

使番下條長兵衞信隆日光山目付代仰付らる。〈日記、天享吾妻鏡〉

○十八日臨時朝會あり。

松平陸奧守綱村。井伊掃部頭直該はじめ。參覲拜謁するもの六人。

小姓組番頭太田隱岐守資良は紀州よりかへり。村越伊豫守直成は尾州より歸り。使番戸川平左衞門安廣は肥前國唐津よりかへり。ともに謁し奉る。

新に廩米三百俵づつ給はる桐間番士五人。〈日記〉

○十九日醫員舟橋長菴玄晧。武田道安信廣。余語守三某奧醫になる。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉

○廿一日伊豫國吉田の領主伊達宮内少輔宗純致仕の願を御ゆるしあり。長子主計宗保に原封三万石を襲しめらる。この宗純は故遠江守秀宗が五男なり。承應二年十月十九日初見し。明曆元年十二月廿九日從五位下に叙し宮内少輔と稱し。三年七月廿一日父秀宗が所領をわかちあたへられ。けふ致仕して。寶永五年十月廿一日年七十三にてうせしなり。

また寄合近藤作左衞門用弘が子十兵衞用張はじめ。父致仕し其子家つぐもの七人。

表高家蒔田左兵衞義成子式部義俊。町奉行甲斐庄飛驒守正親子喜右衞正永。先手頭向坂六郞五郞政國養子彌四郞政以。寄合溝口豐前守信勝子源右衞門勝興。成瀨惣右衞門重治子小姓組瀧右衞門重章。三浦八兵衞重良子書院番甚五兵衞政重。山内式部之豐養子主膳豐清。小普請設樂肥前守貞政子小姓組市左衞門貞興をはじめ。父死して子家つぐもの四十六人。

惣右衞門重治は千五百石の内。次男寄合高木惣十郞重刻に三百俵。八兵衞重良は千二百石の内。次男大番平十郞重旨に二百俵。肥前守貞政は千七百石の内。次男助右衞門貞親に三百石。小普請筧三郞左衞門重次は七百石の内。次男新番小左衞門正道に二百五十俵。三男三郞兵衞正守に百俵。荒川長兵衞重成は八百五十三石餘の内。三男八右衞門重政に三百石を分つ。

此日鳥醫二人精勤を褒せられて金子を下さる。〈日記、藩翰譜續編〉

○廿二日御座所にて猿樂あり。例の釋徒拜覽す。〈湯原日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。土屋相摸守政直代參す。〈日記〉

○廿六日板倉周防守重冬奧詰を免さる。

奧醫半井卜養瑞之罪ありて三宅島に流され。その子は小出大隅守有重にあづけらる。〈日記〉

○廿八日月次なり。織田内記信久はじめ就封三人。

結城弘經寺は入院。彌勒寺俊與は色衣を謝し奉る。

伊達宮内少輔宗純致仕得物とて。青江次吉の刀。彩繪の掛幅。弓尻籠を獻ず。

新番頭大久保伊豫守忠直日光山よりかへり謁す。〈日記〉

○廿九日松平陸奧守綱村より新鮭を獻ず。よて驛送して禁裏に進らせらる。〈日記〉

八月

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○八月朔日當日賀例歳のごとし。〈日記〉

○二日驛傳して本院へ鮭を進らせらる。〈日記〉

○三日儒員大河内新助良資。和田傳藏長重に役料百俵。奧醫余語守三某に二百俵。舟橋長菴玄晧に百俵給ふ。

廊下番並畫工住吉具慶廣澄奧醫並になる。小姓夏目吉之助成直幷に桐間番三人小普請に入られ。小納戸万年彌一右衞門賴佐。幷に桐間番一人は小普請に入られ逼塞命ぜらる。〈日記〉

○五日奧能あり。

高家六角越前守廣治三丸の事ども承るべしと命ぜらる。これ母も妻も本庄氏なる故なるべし。〈日記、湯原日記〉

○八日東叡山嚴有院殿廟廷に。戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉

○十一日前に佐渡に遠流ありし阿部小左衞門某。水野孫平某。窪田平助某幷に賤吏二人。かしこにて有司の指揮を用ひず。不良の擧動するによて。斬に處せしめらる。〈日記〉

○十四日御みづから經書を講じたまふ。〈湯原日記〉

○十五日月次なり。

保科肥後守正容就封のいとま下さる。青山播磨守幸督はじめ七人參覲す。

本多飛驒守重益養子主計重條。山口修理亮重貞養子左門重治初見の禮をとる。

使番妻木彦右衞門賴保。小姓組藤堂勝兵衞良明坂城目付にさされいとまたまふ。

彦右衞門賴保次子平四郞賴隆。勝兵衞良明子勝五郞良秀初見し奉る。

東叡山の泉龍院役者を謝し奉る。

小普請奉行に淺草寺觀世音堂の修理を命じたまふ。

走水。三崎。下田の奉行に屬せし田圃を。こののち代官に屬せらる。

又驛傳して仙洞に鮭を進らせ給ふ。〈日記〉

○十六日尾甲兩卿病臥せらるゝによて。其家司どもをめし病體をとはせたまふ。こは御使もてとはせらるべけれど。兩卿勞せらるゝ事もやと。思召やらせ給ひての盛慮とぞ聞えし。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に。土屋相摸守政直代參す。

使番永見甲斐守重直日光山目付代仰付らる。〈日記、湯原日記〉

○十九日松平飛驒守利明子内記利直。松平助十郞信治奧詰に加へらる。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。

けふ令せられしは。心いれて火をいましむべし。冬は各怠惰なくいましむといへども。頃日は油斷すべければ。彌心いるべしとなり。此旨市井にもふれらる。〈日記〉

○廿一日目付能勢惣十郞元之。小姓組與頭松平五郞右衞門正方は先手頭となり。使番中川伊勢守成慶。柴田越前守勝門。戸川平右衞門安廣。徒頭仁木甚五兵衞守興。小十人頭東條平右衞門長矩はともに目付になり。書院番井上伊織政明はその組頭になる。

この日驛送して大内に鶴を進らせたまふ。〈日記〉

○廿二日瞽者杉山撿挍和一弟子杉岡撿挍某。三島撿挍安一ともに月俸廿口給ひ。近習の輩を治療せしめらる。

桐間より次番になるもの二人。

伏見。堺。奈良奉行所屬の田畝。この後代官の隷下たるべしと仰出さる。

此ごろ眞言僧覺彦は有驗の聞えありしかば。これより先柳澤出羽守保明が薦擧にて見參し。府に駐錫の地を給はるべしとて。本鄕湯島の閑地三千五百餘坪を給ひ新寺を建立せしめらる。又保明が邸にめし金三百兩たまひ。搆造の費にあてられ。今より永く天下泰平の御祈丹精を抽べき旨を命ず。〈日記、寺傳〉

○廿三日北山岩倉の實相院門跡義延法親王は。後西院第二の皇子なりしが。身の行ひ正しからず。こたび京職にもうたへず住吉に詣で。有馬に湯あみなどせられしをもて隱退せしめ。清閑寺大納言熈定卿にあづけられ籠居せしめらる。坊官岸坊法印。宇多内藏助は門主に迎合して。不良の擧動せしめしによて。その罪斬に當れども。寬宥せられ追放たしむ。其他これに座するもの多し。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉

○廿六日御みづから經書を講ぜらる。〈日記〉

○廿七日柳澤出羽守保明が儒者安見文平元道。林大學頭信篤の門人たるをもてめし出され。儒員にせられ月俸三十口給ふ。同家臣寺内團之助忠厚も召出され次番とせられ。廩米三百俵給ふ。〈日記〉

○廿八日月次なり。

龜井能登守茲親。松平對馬守近陣參覲し。永井伊賀守直敬はじめ就封六人。

松平遠江守忠俱。西尾隱岐守忠成。堀長門守直佑。井上筑後守政蔽坂城加番はてゝかへり謁す。

使番水谷彌之助勝阜駿城目付の暇給ふ。

大番の子初見三人。

この日本院より歌書一匣。薰物二盒進らせらる。〈日記〉

○廿九日御座所にて。淨土門の僧侶めして饗せられ。法問をきこし召る。增上寺古岩。傳通院了也。靈山寺意哲。靈巖寺詮察。幡隨院寂仙は聽衆として着座す。嚴益。龍含。林涯。岸了。卓禪。秀圓。法山。澤秀。圓量。是春。湛榮。南忠。圓及。通尖。龍繁。辨意。龍岳。圓碩。可弁。了秀等問答す。論題は察得眞如如名義而廣大商量來。はてゝ幡隨院寂仙に仰ごとありて。其義を講ぜしめらる。けふ古岩に時服十。了也に七。意哲。詮察。寂仙に五づゝ。その他の緇侶に銀百枚たまふ。〈日記〉

◎此月六鄕。玉川もと橋梁ありしが。今よりのち渡船場に定られ高札を建らる。役船定員のごとく。晝夜懈怠なくつとむべし。往來多き時は寄船出し。人馬。荷物遲滯なく力をつくし渡すべし。奉公人のほか。船賃出すべきものよりは。一人に三文。荷物一駄は二文。乘懸荷も上におなじかるべし。此他定外の賃錢とるべからずとなり。

また令せられしは。古蹟拜領地の寺社等。借り添の地に屋舍造作幷に造足す事かたくなすべからず。寺社門前。肆店新造の事はいふまでもなし。造足す事これも上に同じかるべし。もし違犯せば。門前の市店毀去せらるべしとなり。〈大成令〉

閏八月

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○閏八月朔日拜賀例のごとし。

松平右近將監近禎いとま給ふ。

此日驛傳して大内へ新鴻。本院へ鶴を進らせらる。〈日記〉

○二日次番より。祿を削られ二丸番に貶さるゝ者壹人。〈日記〉

○三日本院。仙洞へ鴻を驛送せらる。〈日記〉

○五日桐間番木原兵三郞重弘。石原勘左衞門安種ともに小納戸にせらる。

儒員林春益信如。伊庭春貞豐祥束髮せしめられ。信如は又右衞門と稱し。豐祥は五左衞門と改む。

奧醫依田玄春某に役料二百俵。杉本忠惠元眞に百俵をたまふ。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。土屋相摸守政直代參す。〈日記〉

○九日先手頭伏見勘七郞爲智病免して寄合となる。

けふ驛傳して仙洞へ鶴を進らせらる。〈日記〉

○十日小姓組二人。書院番一人桐間に入番す。

小十人頭内藤十兵衞正興次男權六郞正尤。小納戸木原兵三郞重弘が子七郞兵衞清白召出され同じく入番す。

京職松平因幡守信興大病により。請まゝに醫員奧山立菴玄起をつかはさる。〈日記〉

○十一日次番より小普請に入もの一人。〈日記〉

○十二日使番大田善大夫好敬。下條長兵衞信隆ともに先手頭になり。小姓組淺野伊左衞門正氏。岡野孫一郞宗明。書院番安藤與十郞次行。戸田權兵衞忠辰ともに使番となり。小姓組彦坂九兵衞重敬その與頭になり。寄合甲斐庄喜右衞門正永步行頭になり。書院番諏訪五郞左衞門盛條は小十人頭になる。〈日記〉

○十三日桂昌院殿護國寺に詣たまひ。高田八幡宮へも御參あり。土屋相摸守政直。牧野備後守成貞はじめ。留守居。目付。徒頭。小十人頭等供奉し。御先にも留守居。目付まかり。先手組與力同心。徒士等警衞例のごとし。御側曾我周防守助興御使して檜重進らせたまふ。〈日記、湯原日記〉

○十四日御みづから御講説あり。奧詰の輩拜聽をゆるさる。〈湯原日記〉

○十五日月次なり。

松平主殿頭忠房參覲し。松平遠江守忠俱はじめ就封四人。

松平播磨守賴隆子外記賴如初見の禮をとる。

東叡の大佛頂院義天役者を謝し奉る。

けふ尾張大納言光友卿の病をとはせ給ひ。御側瀧川越前守利錦もて鯛をつかはさる。

西國。中國。奧の國國巡察にまかりたる勘定等かへり謁し奉る。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に。戸田山城守忠昌代參す。

使番竹中彦八郞重之日光山目付代命ぜらる。〈日記、湯原日記〉

○十九日桐間番より小普請にいるもの五人。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉

○廿一日端午に服奉りし輩に御内書を給ふ。〈日記〉

○廿二日知足院は御祈願所たるをもて。無本寺たるべき旨仰出さる。

醍醐報恩院寬順は密法こと〴〵く傳來する聞えあれば。御旨をもて其法を隆光に相傳せしめらる。よて報恩院寬順に。其褒として領地百石まし下さる。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿廟廷に。土屋相摸守政直代參す。〈日記〉

○廿六日奏者番兼寺社奉行小笠原佐渡守長重京所司代命ぜられ。從四位下侍從に叙任す。〈日記〉

○廿七日柳澤出羽守保明病もてまうのぼらざるにより。小納戸曾我七兵衞祐忠御使して魚物をたまふ。〈日記〉

○廿八日月次なり。

醍醐報恩院前大僧正二束一卷さゝげ。新恩を謝し奉る。

こたび覺彦建立の新寺寶林山靈雲寺と稱せんむね。こふまゝにゆるさる。〈日記、湯原日記〉


九月

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○九月朔日拜賀例のごとし。

松平主殿頭忠房養子甚之丞忠雄。書院番組頭松平仁右衞門近良子六之助昭仲。幷に番士の子六人初見の禮をとる。

織田内匠長清。寄合戸田十郞右衞門重澄。橫山左門元知は駿城加番にさゝれ暇給ふ。

龜井能登守茲親。山名伊豆守矩豐は奧詰を命ぜらる。〈日記〉

○二日書院番一人。大番二人桐間に入番す。〈日記〉

○三日例の家々より。重陽をほぎて時服を奉る。〈日記〉

○五日紅葉山御參のとき。齋戒の制をかさねて定めらる。前日申時より。御膳の庖厨幷に數寄屋の火を改むべし。惣厨。惣數寄屋の火は改むるに及ばず。喪服のものは十六日卯の時より退き。十七日還御以後まうのぼるべし。血忌。死穢免許のものは十五日酉時より退き。十七日かへらせ給ひし後まうのぼるべし。四月。九月は日光にて祭祀行はるれば。喪制。血忌。死穢のものは。十七日申時よりまうのぼるべし。拜殿より中へ。供奉あるは役つとむる輩は。喪制。血忌。死穢。産穢。經事のものとは。前日酉より同室同火すべからず。沐浴してまうのぼるべし。拜殿中へ供奉又役勤る輩。齋戒せし後。私宅幷に他所にて。喪服。血忌。死穢。産穢。月事のものにはからず逢ふ時は。改めて沐浴して出べし。たゞし道にて逢ふは其事に及ばず。喪忌。血喪になりしこと。私宅よりも申送らしむべからず。忌。血忌になりし者と。拜殿中へまかり同座せば穢たるべければ。もし差誤して宿より申送るとも。殿中へ申出べからずとかねて命じをき。その者のみ外へ呼出し告しらしむべし。其事聞ばすみやかに退くべし。拜殿より中へまかる輩同座せば。拜殿中に參る事はゞかるべし。其人に逢ふのみは沐浴して苦しからず。同座とは忌服。死穢。産穢。月事のものと。同席にて對座する時は同座たるべし。閾へだてば同席にあらず。同間にても。立ながらはからず遇ふは。交語すとも同座の限りにあらず。拜殿より中へ供奉又役勤る輩のほか。外樣の輩は忌服。血忌。死穢。産穢。月事のものと。同座同火すとも改るに及ばず。房事は御宮のほとり供奉又役勤る輩は十二時愼むべし。遺精は沐浴すべし。拜殿中へ供奉あるは役勤る事も苦しからず。脱肛。痔。痳疾。腫物膿血出て。衣服に少し付たらむにては供奉苦しからず。拜殿中へははゞかるべし。膿血等出ざるは。供奉幷に勤役する事苦しからず。衂血。痰血など出るか。あるは下血するとも。血とゞまらば。拜殿中に供奉又役勤る事くるしからず但血三滴に過ば浴すべし。傷損して血出るとも。其血とゞまらば。拜殿中供奉又勤役くるしからず。但三滴に過ば浴すべし。灸治せし輩。たとへ灸痕幾所ありとも浴せばくるしからず。當座にても拜殿中供奉又勤役せしむべし。針治は遠慮に及ぶべからず。御調度は忌服。血忌。死穢のもの見及ぶとも苦しからず。道にて從者のうち。死人有を見るともくるしからず。浴するにも及ばず。其まゝまうのぼり。供奉又勤役すべし。試したる刀劒三十日過なば。拜殿に帶る共くるしからず。臨月の婦人有とも。催生せざらんには供奉苦しからず。拜殿中へははゞかるべし。たとへ出産するとも。其事申こさゞれば。城中へ家人參る事くるしからず。家内に篤疾のものある輩も。拜殿中へまかる事くるしからず。宅中死者あるとき。その席にても長屋にても。同閾にあらば一日の穢たるべし。閾へだてば穢なし。長屋同閾たりとも。其事しらざれば穢なし。樓上にても入口閾の外ならば穢なし。家主死するとも。死穢の事差別あるべからず。宅中家なき地に死者ある時は。其死骸ある地のみ當日の穢たるべし。宅中はいふまでもなし。其他は穢あるべからず。死後その席にまからば。蹈合の穢たるべし。浴して拜殿中へまかる事くるしからず。但一日の穢は。其夜の子時より明夜の子時までなるべし。當日暮に及び。又は夜にいらば。子時は一日とすべし。乘馬死せば直にまうのぼらず。浴して後まかり。拜殿の供奉又勤役すべし。牽馬死せば其主穢なし。直にまうのぼるべし。浴するに及ばず。牛馬豕犬羊宅地にて子生ぜば。其所は晝は酉時迄。夜は明の卯時まで穢たるべし。其地に有合ふもの。まかりしもの。其穢中はまうのぼるべからず。たとへ半時にても晝夜をへだてなば穢なし。拜殿中供奉又勤役すべし。もし子生みし日知れずして後に見ば穢なし。此類の家畜死する時も。これに同じ。その他の鳥獸生死ともに穢なし。食穢は牛馬百五十日。豕犬羊鹿猿猪七十日。鷄羚羊狼兎狸五日。二足は五辛におなじ。たゞし卵は鱗介にかはる事なし。五辛とは大蒜。茗葱。韮葱。蘭葱。興渠。前日の卯時より食すべからず。興渠は紫大根に形狀似たるよし。よて我國にては紫大根を五辛の中に加ふるなり。興渠古より何といふ事をしらずといへり。二月朔日御鏡いたゞかせ給ふ日。万事御宮に詣給ふにかはる事なしとなり。

また每月十六日御宮代參命ぜらるゝとき。十七日代參使歸謁の制は。十六日卯時より服あるものは退き。代參使命ぜられし後。其事聞てまうのぼり。同日酉時より退き。十七日代參はてゝ後まうのぼるべし。忌。血忌。死穢免許のもの。十五日酉時よりまうのぼらず。十六日代參命ぜられしのちは。その事聞て出。同日薄暮退き。十七日代參はてゝ後登るべし。代參使は忌服。血忌。産穢。死穢。月事婦人と。前日酉より同室同火すべからず。沐浴してまうのぼるべし。代參にまかる日もこれに同じかるべし。代參使齋戒せし後。邸宅あるは他家にて忌服。血忌。死穢。産穢。經行の婦人にはからず遇ふときは。沐沿して出べし。但し道にて遇ふときは。浴するにも及ぶべからず忌。血忌になりしときは。宿よりまうし越さるべし。この輩と代參使同席せば穢たるべければ。もし思ひたがへて私宿よりまうし越とも。殿中へはまうし出ざるべきむね。あらかじめ命じをき。呼出して告しらしむべし。其事きかばすみやかに退くべし。代參使はからず同伴せば。代參勤る事はゞかるべし。逢ふのみにては沐浴してくるしからず。同座は御參宮のときと同じ。代參使のほか。外樣は忌服。血忌。死穢。産屋の婦人等と。同座同火あらたむるに及ばず。代參使のほかもし内陣へ參らば。御參のごとく齋戒すべし。房事代參使廿四時愼むべし。遺精は浴せば代參勤べし。脱肛。痔。痳疾。腫物膿血出て衣服にそまば。代參はゞかるべし。衣服をけがさずばくるしからず。衂血。痰血出るか。または下血するとも。血とどまらば代參つとむべし。但し血三滴に過ば沐浴してつとむべし。傷損して出血するとも。血とゞまらばくるしからず。三滴に過ば上に同じかるべし。灸治せしもの。たとへ灸痕幾所にても浴して勤むべし。針治は遠慮に及ばず。代參の調度。忌服のもの見及ぶともくるしからず。道にて召連るゝ從者の中に。死者ありとも浴に及ばず代參つとむべし。試し刀劒の穢。御參宮のときのごとし。臨月の婦人ありとも。催生に及ばずばくるしからず。但し代參使は憚るべし。たとへ出産するとも。其事申し送らずば。城中へ家人まかるともくるしからず。私宅急病人ありとも。まうのぼる事くるしからず。代參使は前日仰蒙り。翌日その事勤れば。はからざるに忌の事聞かば。さしかゝり他にゆづりがたければ。其事きかしむべからず。たとへ死するとも。忌の事告來らずば。城中へ死穢なき從者まかるはくるしからず。宅地に死者あるとき。座敷にても長屋にても。同閾中に有合なば一日の穢たるべし。閾へだてば穢なし。長屋にて閾中にすま居するとも。しらざるは其日も穢なし。樓上にても入口閾外たらば穢なし。家主死するともこれに同じ。宅地屋舍なき所に死者あらば。其尸ある所のみ其日の穢たるべし。屋舍中はいふまでもなし。其他穢あるべからず。死後其地にまからば。たとへ骸ありとも蹈合の穢なれば。浴して代參つとむべし。但し一日の穢は。其夜子時より明夜の子までたるべし。其日酉時に及び。または夜に入とも。子の前ならんには一日の穢たるべし。乘馬。牽馬死するときと。牛馬豕犬羊宅地にて死するか。又は生るゝことあらば。御參宮の時とかはる事なし。食穢。五辛も同じ。但し五辛は代參使のみ改め。その他は改むるに及ぶべからず。されどその事により。御宮へまかる輩は改むべし。正月。四月。九月。幷に正遷宮。外遷宮代參の時も上に同じ。四九月十七日。もし御參のべられて。代參使命ぜらるゝとも。忌服。血忌のもの。死穢のもの。十七日申牌よりまうのぼるべし。こは日光にて祭祀行はるゝによればなり。

また靈廟代參のとき齋戒の制は。服の者つとめてくるしからず。忌幷に死穢ゆるされなば。まうのぼるともくるしからず。但し代參は憚るべし。血忌ゆるされし輩。前日酉時よりまうのぼらず。明朝代參仰を蒙りし後まうのぼり。同日酉より退き。翌日代參はてゝまうのぼるべし。代參使忌。死穢のものと同席同火くるしからず。代參使月事の婦人とは。其日の卯時より同席同火すべからず。沐浴してまうのぼり。代參の命を奉るべし。代參つとむる時もこれにおなじ。房事は代參のもの十二時愼むべしとなり。其他は御宮代參の制に同じ。〈憲教類典〉

○六日日光門跡公弁法親王登山を餞せられ。高家大友近江守義高御使し。菓子をくらせたまふ。

尾張大納言光友卿病をとはせ給ひ。御側松平隼人正忠冬御使して。これも菓子をつかはさる。

けふ土屋相摸守政直して令せられしは。先に令せられし服忌令追加の中。邸宅中の死穢。家主の死穢。喪制の家。あるは死者の席の三條は除くべし。死穢一日は。宅地中死者ある時は。座敷にても長屋にても。同閾中にても。あり合せば一日の穢たるべし。閾へだてば穢なし。長屋の中居住すとも。しらざるは其日も穢なし。樓上も入口閾外ならば穢なし。家主死とも死穢かはる事なし。邸宅中屋舍なき地に死者あるときは。その地のみ當日の穢たるべし。屋中はいふまでもなし。其地のほかは穢に及ばず。死後其地にまかるものは。たとへ骸ありとも蹈合の穢たるべし。一日の穢は。その夜子時より明夜子時までたるべし。その暮に及び。あるは夜に入とも。子より前たらば一日たるべし。蹈合は沐浴すべしとなり。〈日記、令條記〉

○七日兩山靈廟へ稻荷山松茸を進めたまふ。〈日記〉

○八日紅葉山嚴有院殿廟廷に詣給ふ。井伊掃部頭直該先導し。黑田豐前守直邦御刀。酒依清左衞門昌隆御沓の役す。其他例のごとし。

日門疹をなやみたまふよし聞えあれば。御側瀧川越前守利錦してとはせたまふ。〈日記、湯原日記〉

○九日重陽慶會例の如し。

明日御みづから經書を講じ給ふべければ。かねて拜聞を願ふ輩まうのぼるべき旨老臣もて傳へしめらる。〈日記〉

○十日御上下をめされ。御座所にて論語學而篇を講じ給ふ。黑田豐前守直邦御書挌を奉る。拜聞の輩は奏者番。留守居。三番頭。三奉行。旗。鑓。作事。普請の奉行。大目付。目付。新番頭。百人組の頭。火消役。持弓。持筒。先手の頭。留守居番。西城二丸の留守居。使番。兩番。新番の組頭。徒。小十人。納戸。船手の頭。腰物奉行頭。小普請奉行組頭。中奧の輩。勘定吟味。切手。天守番の頭。右筆組頭。右筆。幷に千代姫。鶴姫御方々の執事なり。〈日記〉

○十一日柳澤出羽守保明が邸に臨駕あり。諸老臣。御側皆まかる。保明に二種一荷。妻に檜重を給ふ。兵部安貞。主税長暢にも賜物あり。猿樂。囃子等例のごとし。又御みづから中庸を講じ給ひ。保明も論語を講ず。家臣五人も進講し。時服一襲づゝかづけ給ふ。〈日記、家譜〉

○十三日高家品川豐前守伊氏は日光山御宮代參。小堀和泉守政恒は祭禮奉行命ぜられいとま給ふ。〈日記〉

○十四日日光門跡公弁法親王の病をとはせ給ひ。御側松平美作守直丘して菓子ををくらせたまふ。

又京職小笠原佐渡守長重に官料一万俵たまふ。

肥前國五島領主五島佐渡守盛暢遺領一万二千五百三十石を。その子万吉盛住につがしめらる。この盛暢は故淡路守盛勝が子なり。延寶二年二月廿八日初見し。五年十二月十四日家をつぎ。閏十二月廿六日叙爵し飛驒守と稱し。後佐渡守にあらたむ。この六月廿二日卅歳にてうせき。

また甲斐國外組の領主伊丹大隅守勝政が遣領一万石を。その子左京勝守につがしめらる。この勝政は故播磨守勝長が子なり。寬永十一年十二月〈日詳ならず〉初見し。寬文二年六月廿一日家をつぎ。十二月廿七日叙爵し。この七月十五日六十七歳にてうせぬ。〈日記、寬政重脩譜、藩翰譜續編〉

○十五日月次なり。

小笠原遠江守忠雄が子織部忠基初見し奉る。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮御參あり。井伊掃部頭直該先導し。黑田豐前守直邦御刀。神保新五左衞門長治御沓の役す。其他は例のごとし。

使番石丸數馬定勝日光山目付代を命ぜらる。〈日記、湯原日記〉

○十八日八重姫君こたび御養子の契約さだまり給ひて。けふ府内につかせらる。これは鷹司有憐軒輔信の女にて。御臺所の御姪なり。〈湯原日記〉

○廿日紅葉山大猷院殿廟廷に詣たまふ。先導は牧野備後守成貞。御刀は黑田豐前守直邦。御沓は筒井内藏忠清役す。其他は例に同じ。

今朝高家品川豐前守伊氏。祭禮奉行小堀和泉守政恒日光山よりかへり謁す。〈日記〉

○廿一日牧野備後守成貞がもとにならせたまふ。諸老臣みなまかる。成貞に二種一荷たまふ。桂昌院殿にもわたらせたまふ。〈日記〉

○廿四日紅葉山台德院殿靈廟に詣給ふ。先導は井伊掃部頭直該。御刀は黑田豐前守直邦。御沓は戸田權九郞直壽役す。其他例のごとし。〈日記〉

○廿五日京所司代松平因幡守信興死て。子なかりしが。いかなる心にや。死に臨み申文もさゝげざりしかど。御側松平右京亮輝貞は其甥なればとて。その遺領三万二千石を給はり。信興が家をつがしめらる。この時輝貞が采邑七千石はかへし奉る。この信興は故伊豆守信綱が五男なり。はじめ釆女と稱し。寬永十八年八月嚴有院殿降誕のときよりつかへ奉り。慶安四年六月十三日小姓となり。八月十六日叙爵して美濃守と稱し。後に因幡守と改む。承應元年十一月七日廩米千俵たまふ。万治三年十一月廿五日小姓組番頭命ぜられて。猶小姓も故のごとく。かねて加秩千俵下さる。寬文二年四月十八日父信綱が所領のうち。私懇田五千石分ち給はり。今まで賜ひし廩米二千俵をも采邑にかへ。合て七千石になされ。七年正月廿五日御側となり。延寶七年七月十日少老にうつり。所領を益たまひて一万二千石になり。天和二年二月十九日奏者番にうつり。この時常陸國土浦の城給はり。益封せられ二万二千石になさる。貞享四年十月十三日大坂城代に補せられ。また一万石加へられ。元祿三年十二月廿六日京所司代にうつり。從四位下して侍從に任じ。この閏八月十二日六十二歳にてうせぬ。

この日御膳奉行安藤五郞兵衞重國。酒依權右衞門昌方。小普請奉行小笠原彦兵衞長泰。服部半右衞門正弘。桐間番士天方次郞大夫幸友。渡邊助三郞久昐ともに小納戸に命ぜらる。

また桐間番二人新に廩米三百俵づゝ給ふ。

井伊掃部頭直該浴泉のいとまたまふ。〈日記、藩翰譜續編〉

○廿六日尾水兩邸より口切茶獻らる。〈日記〉

○廿八日月次拜賀例のごとし。

使番岡部久太郞某。書院番島津八郞右衞門順久大坂目付はてゝかへり謁す。

伊丹左京勝守より。亡父大隅守勝政が遺物延壽の刀獻じ。五島万吉盛住より。亡父佐渡守盛暢が遺物信國の刀をさゝぐ。

明日より火消役。持筒先手頭。大番納戸の組頭等。儒役林大學頭信篤が講席にまかり。聽聞すべしと仰出さる。

奧醫余語守三某。岡道溪壽益不敬の罪により追放たる。道溪壽益が廩米は其父致仕靜隱壽元。守三某が廩米は父古庵堅壽へ給ふ。後日養子して家つがすべき旨命ぜらる。〈日記〉

○廿九日老臣して。いよ〳〵火をいましむべきむねつたへらる。〈日記〉

○卅日奧醫舟橋長庵玄皓尚藥を命ぜらる。竹田治部卿法印定快二百俵加へられ。五百俵になさる。〈日記、湯原日記〉


十月

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○十月朔日拜賀例のごとし。

柳澤出羽守保明が家臣宇野千之進某召出され次番命ぜられ。新に廩米三百俵給ふ。

奧醫舟橋長菴玄晧役料を增加ありて二百俵給ふ。

醫員喜多村慶菴某奧醫となる。

けふ火消役の輩へ令せらるゝは。失火の時其地へまかる輩。前後をあらそふ故。後にまかりしものは。火を防がずひかへ居るよし聞ゆ。今より後前後のわかちなく。すみやかに撲滅すべきむね。こゝろ得べしとなり。〈日記、湯原日記〉

○三日小姓毛利周防守高慶舊班に復せらる。

奧詰水野中務少輔忠直。龜井能登守茲親小姓を命ぜられ。茲親は隱岐守と改む。

小姓酒依喜左衞門昌純。間宮伊織信武書院番に入番し。小納戸安藤傳右衞門定久小姓組に歸番せしめらる。〈日記〉

○四日廊下番頭松田六郞左衞門貞長は病免して寄合になり。小納戸川窪傳左衞門某は小普請に入らる。

此日驛送して大内へ鶴を進らせらる。

甲府邸より口切茶進らせらる。〈日記〉

○五日御膳奉行增加ありて八員に定らる。〈日記〉

○六日亥日の儀例の如し。

今夜より奧詰輩は。中大名の上に列るべき旨仰出さる。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。〈日記〉

○九日駿府町奉行秋田平大夫季重病免して寄合になる。〈日記〉

○十日京所司代小笠原佐渡守長重赴任のいとまたまひ。備前兼長の御刀。金廿枚。時服五。羽織を下さる。

この日使番大島雲四郞義高駿府町奉行となる。

また本院。仙洞へ鶴を驛進し給ふ。〈日記〉

○十三日柳澤出羽守保明の亭にまたならせ給ふ。諸老臣。御側みな陪し奉る。保明に鮮鯛。妻に檜重。兵部安貞。主税長暢にも賜物差あり。御みづから中庸を講じ給ひ。保明も論語を講じ。家臣十一人進講し。各時服一襲づゝかづけ給ふ。又家司曾根權大夫貞尅は。邸内新造の御座所經營の事つかさどりしを賞し給ひ。少老秋元但馬守喬知仰をつたへ。御紋の時服三かづけらる。陪臣にて御紋の服をたまはる事。例なき事とぞ聞えける。其他五人は縮緬二卷づゝ下さる。〈日記、家譜〉

○十五日月次なり。

片桐主膳正貞房。松前志摩守矩廣參覲す。

一柳土佐守末禮。松平半右衞門忠明。高木長大夫正長駿城加番はてゝかへり謁す。〈日記〉

○十六日兩山諸廟へ茶を進薦し給ふ。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に。阿部豐後守正武代參す。

使番安藤與十郞次行は日光山目付代命ぜらる。〈日記、湯原日記〉

○十八日宮館權八郞某召出され。次番命ぜられ。廩米三百俵たまふ。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。土屋相摸守政直代參す。〈日記〉

○廿一日新島へ鳶烏九百五十隻を放たる。これにつきそひてまかる鳥醫。徒目付以下の賤吏に銀をたまふ。

この日三丸にて桂昌尼公を饗せられ。本庄因幡守宗資めして時服三たまひ。女房等には卷物をたまふ。〈日記、湯原日記、年錄〉

○廿二日有馬左衞門佐清純所領の民騷擾の事に座して。日向國延岡の城收公せられ。轉換の地はやがて給はるべしと命ぜらる。

桐間番頭奧山藤十郞重正こふまゝに職ゆるさる。〈日記、湯原日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。戸田山城守忠眞代參す。

けふ令せられしは。頃日市中賣藥のもの。蛇をつかふものあり繫獄せられき。よて蛇にかぎらず。たとひ犬猫鼠に至るまでも。此類に技藝ををしへ。觀物になす事あるべからず。生類をくるしむるはいとひがごとなり。もし違犯のものあらば。曲事たるべしとなり。〈日記、令條記〉

○廿五日小石川離第にならせたまふ。陪從の輩例のごとし。諸老臣以下近習等に饗膳給ひ。其外は強飯下さる。儒臣林大學頭信篤召れて進講し。はてゝ皷吹の御遊あり。〈日記、湯原日記〉

○廿六日廊下番頭湏田與左衞門爲昌奉職無狀とて職免さる。〈日記〉

○廿七日尾張大納言光友卿の病をとはせたまひ。書院番頭高力伊豫守忠弘御使し鶴を給ふ。〈日記〉

○廿八日月次例のごとし。

松浦壹岐守棟參覲す。〈日記〉

○三十日けふ高野山學侶行人諍論のことにより。評定所にをいて。老臣及び寺社奉行。大目付。目付。町奉行。勘定頭幷に吟味出座し。學侶方門首は無量壽院傳昌。釋迦文院。慈眼院隆寬。親王院信龍。持明院。北室院傳昌。行人方興山寺量與。蓮明院堯永。明王院政盤。上生院をめし。條約讀聞しめ。一通づゝ双方に授く。其文にいふ。壇上は弘法行法の伽藍たれば。法事行法のこと行人には免されざる事なれば。前に令せられし條約のごとく。學侶のみつとむべし。青巖寺にて用ゆる薪。其他材木等。何れの山にて伐採といふとも。奧院の山はのぞくべき旨撿挍に命じたれば。双方より進退する事にあらず。天野にをいて學侶修正勤るとき。行人がた同音に讀經すべからずと令したれば。二八十一月三度の祭祀にも。行人同音讀經すべからず。浴室は伽藍に付たれば。諸寺院の湯屋やしき幷に湯屋山等までも。撿挍所管たるべし。承仕は各別に定めをき。學侶法會のときは。行人より出すべしと令したれば。何方へも滯らず出すべし。行人方法衣の事は。興山寺錦。金襴。紋白の袈裟に。縐紗。羽二重。直綴を着すべし。六人の組頭は。錦。金襴の袈裟に。𥿻の直綴たるべし。尋常の行人は。緞子七條の袈裟に綟子の直綴たるべし。但し法會のときは。緞子七條の袈裟に袍服用ふべし。此他の衣服一切着すべからずとなり。

又學侶方へ令せらるゝは。谷の者は違背すべからず。いづかたにても火をこらば。すみやかにまかり撲滅すべし。壇上諸伽藍の道心。あるは六時の鐘撞僧の事も。是迄のごとくたるべし。金堂穀屋敷明地の事。是までのごとくなしをくべし。燈籠堂建立のときは撿挍に斷るべし。燈籠堂の中に行人僧各張紙なすべからず。御供前薪は撿挍の指揮に任すべし。御廟橋の中に石塔を建る事。幷に水向の場に地藏。不動など建る事。撿挍の指揮によるべし。奧院の山にあらたに墓所ひらくときは。その事撿挍にうたへ指揮うくべし。每山にをいて。あるは土石をとり。あるは庭木をほりとるものは撿挍へ訴ふべし。行人方修理奉行の事。行人前々より勤來りし由聞ゆ。これも今迄のごとくすべし。衆外のもの出す事は禁ずべし。此むね學侶方より上裁をこふによて。かく命ぜらるゝとなり。

又行人方灌頂の事。學侶の坊にをいて執行せざるものは。そのむねをごそかに奉行の廳にうつたふべし。官より建らるゝ高札に。學侶方副札の事は。行人方より申すといへども。官にては上裁に及ばず。燈籠堂御供前に參籠の事。條約明白なれば。異議に及ばずをごそかに渡すべしとなり。〈日記、武家嚴制錄〉


十一月

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○十一月朔日拜賀例におなじ。

松平紀伊守光晟參覲す。

世良田長樂寺權僧正を謝し奉る。

この日新番頭池田修理友政は桐間番頭になり。目付川井彌右衞門久文。書院番組頭安部助九郞信厚はともに廊下番頭になる。〈日記〉

○三日次番宮館權八郞某小姓にのぼり。七百俵加秩たまひ千俵になさる。〈日記〉

○四日牧野備後守成貞の邸に臨駕あり。小谷の方にもわたらせられ。鶴姫君もおはしぬ。諸老臣幷に御側みなまかる。成貞に鯛。妻に紗綾。肴。戸田彈正氏成妻。牧野大藏康重にも紗綾を給ふ。成貞よりは小谷の方へ鯛を獻じ。姫君に硯箱。純子。肴。妻より香合。繻子。肴奉る。けふも御講經ならびに囃子。亂舞の興あり。傳法院宣存。彌勒寺俊與。善勝寺も召れてまかり。各佛經を進講せしめらる。〈日記、湯原日記〉

○五日高野山蓮明院堯永は酒井勝之助忠胤に。興山寺量與は板倉百助重同に預けらる。こたびの法令を違背するによてなり。

有馬左衞門佐清純は。もとの如く鴈の間詰仰付らる。〈日記、湯原日記〉

○六日五万石以上にても。城主ならぬ輩の家人は。乘輿すべからざる旨令せらる。

納戸久留伊大夫正元は逼塞。その子主税正之は追放たる。家人を殺害せしによてなり。〈湯原日記〉

○七日次番丹羽小左衞門正道は小姓となる。

また桐間番より次番にうつるもの三人。

蓮明院堯永悔悟して罪を謝するによりてゆるされ。明王院政盤。上生院閉門せしめらる。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿廟廷に。大久保加賀守忠朝代參す。〈日記〉

○九日尾張亞相の病をとはせたまひ。御側瀧川越前守利錦して菓子をつかはさる。〈日記〉

○十日小姓青木覺大夫兼明罪あり。廩米收公せられ閉門せしめらる。

荒川金左衞門某は小普請に入られ。本多金五郞重矩は逼塞せしめらる。

けふ上生院は酒井勝之助忠胤。明王院政盤は大關大助增恒に預けらる。〈日記〉

○十二日心いれ火をいましむべき事を。所屬の輩へ告諭すべしと。諸官長。大目付もて觸しめらる。〈日記〉

○十三日けふ令せらるゝは。玄關前。中門。百人番所三所。夜中老臣幷に牧野備後守成貞同伴して出入のときは。片扉ひらくべし。玄關前冠木門幷に百人組の冠木門も上におなじかるべし。又一人の時もかはる事なかるべしとなり。〈令條記〉

○十四日戸田山城守忠昌の病をとはせ給ひ。廊下番頭安藤傳十郞定行をつかはさる。〈日記〉

○十五日月次なり。

松平丹後守光茂參覲す。

井伊掃部頭直該浴湯より歸謁す。

持筒頭蜂屋半之丞可英病免して寄合になる。

けふ令せらるゝは。府の近郊五里ほどの中に采邑ある輩。鳶烏巢くはゞ。卵生ざる中すみやかにとらしむべし。もし卵又雛あらば。其まゝになしをくべし。牛車。地車ひく時宰領つけて。生類に觸る事あらしむべからずとなり。〈日記、令條記〉

○十六日初雪により。家門使して魚物獻ぜらる。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に土屋相摸守政直代參す。

使番戸田權兵衞忠辰日光山目付代仰付らる。〈日記、湯原日記〉

○十八日日光門主公弁法親王まうのぼられ。願はるゝより。經書の御講談を拜聽せらる。はてゝ饗せられ囃子あり。書挌ををくらせらる。陪從の僧侶。坊官も饗賜ふ。〈日記〉

○十九日小納戸渡邊助三郞久昐。次番岡田忠三郞善武小姓となる。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉

○廿一日大内へ鮭を驛送せられ。寒中の御尋問あり。〈日記〉

○廿三日故松平因幡守信興の遺物備前盛景の刀を。養子右京亮輝貞より奉る。御臺所には藤谷中納言爲相卿筆の長秋詠草をさゝぐ。

此日次番㝡上内膳義賢小姓にのぼせらる。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。〈日記〉

○廿五日奧詰松浦壹岐守棟奏者番命ぜられ。寺社奉行を兼しめらる。

小姓水野中務少輔忠直ゆるされて舊班にかへさる。

又書院番二人。小普請二人桐間に入番す。

市醫岸井芳庵某。長谷川玄通道可。峯岸春庵瑞澄召出され。醫員に加へられ。各廩米二百俵づゝ給ふ。〈日記〉

○廿六日東叡山諸靈廟牌所の別當。常色衣着する事をゆるさる。〈湯原日記、日記〉

○廿七日重陽に時服奉りし輩に御内書を給ふ。〈日記〉

○廿八日月次なり。松平信濃守綱茂就封の暇給ふ。

駿府町奉行大嶋雲四郞義高赴任の暇給ふ。

醫員岸井芳庵某。峯岸春庵瑞澄初見し奉る。〈日記〉

○廿九日日門幷に尾甲水三邸へ八代密柑つかはさる。〈日記〉


十二月

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○十二月朔日拜賀例の如し。

儒役林大學頭信篤此後は白木書院にて拜賀すべしと命ぜらる。〈日記〉

○二日御家人の長子等召出さる。町奉行北條安房守氏平子新藏氏英。能勢出雲守賴寬養子市十郞賴恒。京町奉行前田安藝守直勝子金三郞勝識。奈良奉行大岡美濃守忠高子孫三郞忠品。仙洞附北條播磨守元氏子新左衞門氏如。本院附市岡對馬守正房子喜太郞正次。作事奉行小幡三郞左衞門重厚養子右京直昌。百人組の頭松平内藏助正勝子數馬正道。新番頭川勝權之助隆尚子新五右衞門隆明。鎗奉行夏目杢左衞門吉成子大膳直重。留守居番戸田喜右衞門忠重子長三郞忠位。杉原四郞左衞門正勝子七兵衞某。廊下番頭永見權七郞重隆子新助重忠。持筒頭稻葉庄右衞門通任子主膳通久。先手頭能勢半左衞門賴平子外記賴氏。中根宇右衞門正章子權兵衞正包。日向傳右衞門正知子傳次郞正方。脇坂甚兵衞安通子主計安秋。水野甚五左衞門守要子藤十郞守房。梶四郞兵衞重正子五郞左衞門正容。中山平左衞門勝阜子十兵衞勝貞。松平五郞左衞門正方子傳十郞賴勝。鈴木三郞九郞重祐子忠兵衞重一。堀八郞右衞門直依子惣兵衞直持。山川角之丞忠光子安左衞門忠義。鐵炮方田付四郞兵衞直平養子彦次郞直久。書院番組頭井上伊織政明子内藏丞正武。小姓組與頭阿部刑部左衞門正弘子作右衞門正親。三崎奉行山岡傳五郞景忠子新五郞景顯。清水舟手役渡邊孫介久永子孫左衞門永倫。目付戸川平左衞門安廣子主膳安勝。角南主馬重秀子忠右衞門國道。使番竹中彦八郞重之養子杢之助重紀。戸田權兵衞忠辰の子權四郞忠位。步行頭松浦市左衞門信正子酒之丞信英。稻生七郞右衞門正盛子賴母正房。中川勘三郞忠雄子五郞八敷忠。前田孫八郞定相子數馬定忠。石卷七郞左衞門康宗子數馬康朝。堀田善右衞門勝清子善太郞某。小十人頭雨宮權左衞門正長子隼人正峯。蜂屋傳左衞門定高孫孫十郞定尚。山本七兵衞正勝子源右衞門正武。朝倉藤十郞景行養子主水景孝。西城裏門番頭川田吉兵衞貞恒子新五郞貞增。船手頭小倉半左衞門正仲子十兵衞正矩。二丸留守居植村半助泰義子又八郞泰信。野々山彦右衞門兼孝養子源八郞兼貞。千代姫御方附中山茂兵衞勝之子賴母勝與。鶴姫御方附酒井三右衞門忠晴子小笠原三右衞門信重。納戸頭山岡助右衞門景安子孫四郞景寬。朝比奈次左衞門昌勝子惣左衞門昌豐。小普請奉行組頭建部十郞左衞門昌孝子傳右衞門昌信。勘定吟味諸星傳左衞門忠直子庄五郞直義。小納戸中山勘右衞門信定子市右衞門信興。和田五助維春子傳右衞門維祥。安藤五郞兵衞重國子百助國遠。もと桐間番頭つとめし奧山藤十郞重正養子藤左衞門重行はじめ。新に召出され。小姓組。書院番に加へらるゝもの七十九人。新番に入もの一人。大番に入もの五十一人。小十人組に入もの八人。右筆に四人。勘定に一人。

また寄合大久保甚兵衞忠景子小姓組甚四郞忠香。榊原八兵衞政盛子書院番十郞兵衞忠知。鵜殿十郞左衞門長賴養子右衞門長幸。三島清左衞門政識子喜右衞門政興。三好備前守長富子勘之丞長廣はじめ。父致仕しその子家つぐもの十三人。

八兵衞政盛は千五百石の内。二子藤七郞忠賢に三百石分つ。

この日松浦壹岐守棟子肥前守篤信奧詰となり。廊下番頭永見權七郞重隆。安藤傳十郞定行。小納戸服部庄三郞貞世ともに爵たまはりて。重隆は伊豫守。定行は伊勢守。貞世は大膳亮と改む。

本多平六郞重路。小笠原五左衞門長泰。小泉兵庫養正は共に布衣の侍に加へられ。奧醫依田玄春某。船橋長庵玄晧。画工住吉具慶廣澄。狩野洞雲益信。歌學者北村季吟は共に法眼に叙す。

小姓最上内膳義賢。小納戸牛込忠左衞門重義。天方藤七郞幸友。勝部半右衞門正弘。次番一人小普請に入らる。

又桐間番三人は加祿。また武藤庄十郞安庸は新に三百俵給ひ。廊下番命ぜらる。

瞽者杉山撿挍和一は二百俵加祿をたまふ。

備後國三次城主淺野式部少輔長照致仕の請をゆるされ。其子土佐守長澄所領五万石をつがせらる。この長照は紀伊守光晟が三男なりしを。因幡守長治養子とす。これよりさきに長照が實母は。大猷院殿の御養女たるをもて。光晟がもとにて初見し奉り。寬文六年十二月廿八日叙爵し。延寶三年三月廿三日襲封し。けふ致仕してのち。寶永二年十一月十五日五十四歳にて卒す。

この夜本町より失火し所々やけぬ。中川佐渡守久恒。京極備中守高豐增火消命ぜらる。〈日記、藩翰譜續編〉

○三日片桐主膳正貞房は大番頭になり。小姓組與頭仙石伯耆守久尚は新番頭になり。火消役沼間新五郞清芳は持筒頭になり。寄合板倉主税重行は火消役になり。書院番大久保左京教方は其組頭になる。

醫員細川桃菴元通。長谷川玄通道可。吉田自菴昌全奧醫になる。〈日記〉

○四日高家日野伊豫守資榮老衰して職ゆるさる。

此二日の火災。烈風ならざるに數町延燒しければ。いよ〳〵消防に心いるべきむね。火消役に令せらる。〈日記〉

○五日松平左兵衞督信正が遺領七千石を。其子仁十郞信清につがしめらる。此信正はもとの左兵衞督信平朝臣の子にて。鷹司大閤のためには孫なり。寬文十二年閏六月九日初見し。延寶四年十二月廿六日從四位下侍從に叙任し。近江守と稱し。元祿二年十一月二日家つぎて左兵衞督と稱す。この十一月廿五日卅一歳にてうせぬるなり。

また高家大澤播磨守基明が子友次郞基實。大番頭菅沼攝津守定實子織部定易。先手頭松平新九郞正直子天守番頭新藏正棖。榊原釆女政喬子主計政殊。中川番關左門永盛子伊織久盛。寄合久永源兵衞重之子小姓組半之丞勝晴。太田帶刀資方子長十郞資福。小普請水野伊豫守元重子小姓組七郞右衞門重路。宮城監物和充子大學武和。奧醫小島圓齋祐昌子春菴某はじめ。父死してその子家つぐもの四十五人。〈日記、藩翰譜續編〉

○七日召出され。大番に入もの一人。〈日記〉

○八日雪により紅葉山御詣なし。よて嚴有院殿靈朝に。土屋相摸守政直代參す。〈日記〉

○九日牧野備後守成貞が邸にならせたまふ。桂昌院殿もわたらせらる。成貞に三種二荷。妻に羽二重廿疋。肴。戸田彈正氏成が妻幷に牧野大藏康重に各羽二重十疋づゝたまふ。この日知足院權僧正隆光が弟子秀壽丸を引つれてかしこにまかり。内々にてみえ奉らしむ。秀壽丸のち式部成春となのり。成貞が養子となる。〈日記、湯原日記〉

○十日日光門跡公弁法親王まうのぼり。登山の辭見せられ饗たまふ。伽羅一木つかはさる。

留守居彦坂壹岐守重紹。大目付高木伊勢守守養。町奉行北條安房守氏平各加秩五百石づゝ給ふ。〈日記〉

○十一日柳澤出羽守保明が邸にならせらる。保明に三種二荷。妻へ羽二重廿疋。箱肴。母へ縮緬十卷。兵部安貞。二男主税長暢幷に女子三人。安貞が生母にも各羽二重廿疋づゝ給ふ。御盃下さるゝとき。保明に佩せ給ひし三池の御さしぞへを脱て給はる。又中庸を講じ給ひ。保明家臣四人各進講畢りて。猿樂の御遊あり。家臣等に銀百枚給ふ。この日保明が養女一人を。松平右京亮輝貞にめやはすべきむね面命せらる。

靈雲寺覺彦に初て所禱料銀十枚布施せらる。〈日記、家譜、寺傳〉

○十二日尾張大納言光友卿病より起てまうのぼり拜謁せらる。

また番士病後とて。長髮にてまうのぼる事を制禁せらる。〈日記、湯原日記〉

○十三日煤拂例のごとし。〈日記〉

○十四日歳暮をほぎて。時服奉る輩例のごとし。

新に召出され。小十人組に入もの二人。五丸方にて加秩給ふもの一人。〈日記〉

○十五日月次なり。

酒井下野守忠寬はじめ。參覲の拜謁するもの七人。那須衆三人も拜謁す。

使番水谷彌之助勝阜駿城目付はてゝかへり謁す。

淺野式部少輔長照致仕の謝とて。信國のさしぞへと青磁香爐を奉る。御臺所へは飛鳥井大納言榮雅卿筆の古今集なり。

けふ大雪。翌朝に及んでやまず。〈日記、湯原日記〉

○十七日紅葉山御宮御參あり。井伊掃部頭直該先導し。黑田豐前守直邦御刀。小泉兵庫養正御沓の役す。その他例のごとし。

使番岡野孫一郞宗明日光山目付代命ぜらる。〈日記、湯原日記〉

○十八日追儺の式行はる。

小普請より桐間に入番八人。〈日記〉

○十九日立春なり。

不時朝會あり。

松平左兵衞督信正が遺物國光の刀。臺の上へ飛鳥井二樂軒宋世筆の後撰集を。その子仁十郞信清より奉る。〈日記、湯原日記〉

○廿日紅葉山大猷院殿靈廟御詣あり。牧野備後守成貞先導し。黑田豐前守直邦御刀さゝげ。神保新五左衞門長治御沓奉る。嚴有院殿にも詣給ふ。

この日相馬彈正少弼昌胤病により。請まゝに醫員菅谷長順玄鳳をつかはさる。〈日記〉

○廿一日桐間番新に三百俵給はるもの一人。百俵加へらるゝもの一人。〈日記〉

○廿二日小姓組與頭彦坂九兵衞重敬。小十人頭諏訪五郞左衞門盛條。幷に布衣以下賤吏まで。役料。加秩給はるもの廿八人。

御側酒井甲斐守忠良うせければ。子主膳忠平して家つがせらる。〈日記〉

○廿三日歳暮褒賞賜はるもの例のごとし。

日門を餞せられ。寒氣はげしければとて小袖。綿子。枝柿ををくらせ給ふ。御使は高家大友近江守義高なり。〈日記〉

○廿四日紅葉山台德院殿靈廟御詣あり。先導井伊掃部頭直該。御刀黑田豐前守直邦。御沓戸田權九郞直壽役す。其他例のごとし。

增上寺古岩。傳通院了也もの奉り。歳暮を賀し奉る。〈日記〉

○廿五日駿府富士淺間社頭修理成功により。奉行せし書院番松平新五左衞門直由。山口孫次郞直重に金を給ふ。屬吏にも賜物差あり。

細川玄蕃興榮遠慮せしめらる。所領の農民犬をもて鹿をとりし事に坐してなり。〈日記〉

○廿六日松平兵部大輔昌親養子長吉元重。松平播磨守賴隆が子外記賴如從四位下に叙せられ。元重は大監物。賴如は能登守と稱す。

從五位下に叙せらるゝ者六人。伊達主計宗保は能登守。毛利甲斐守綱元が子又四郞吉元は右京大夫。松平越中守定重子豐五郞定逵は因幡守。松平主殿頭忠房養子甚之丞忠雄は阿波守。相良遠江守賴喬養子右京賴福は志摩守。長崎奉行山岡十兵衞景助は對馬守と改む。

又布衣の侍に加へらるゝ者九人。火消役板倉主税重行。書院番組頭井上伊織政明。大久保左京教方。小姓組與頭彦坂九兵衞重敬。使番安藤與十郞次行。戸田權兵衞忠辰。淺野伊左衞門正氏。步行頭甲斐庄喜右衞門正永。小十人頭諏訪五郞右衞門盛條なり。また水邸の老鈴木式部重賢も。叙爵ゆるされて石見守と稱す。松平加賀守綱紀が家司二人も爵叙の御ゆるしあり。〈日記〉

○廿八日歳暮拜賀例のごとし。

本庄太郞兵衞資俊諸大夫命ぜられ安藝守と稱す。

諸老臣。御側に時服たまふ事例におなじ。〈日記〉

○廿九日高家大澤播磨守基明が遺物とて。その子友次郞基實より備前義景の刀を奉る。

松平陸奧守綱村。南部大膳大夫重信が家人。御馬の事にあづかりしものに銀をたまふ。〈日記〉

◎此月令せられしは。市中にて火災のとき。水の便りよからぬ地あらば。往來はいふまでもなし。裏々迄も里正見𢌞り。水桶貯蓄し。水の便よからしむべし。防火のともがらまからば。井幷に水桶ある所すみやかに告しむべし。前令のごとく。河岸に薪つむ事。四尺より高くすべからずとなり。〈大成令〉