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常憲院殿御実紀/卷十六

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常憲院殿御實紀卷十六 〈貞享四年七月に始り 十二月に終る〉

七月

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七月朔日月次拜賀例のごとし。〈日記〉

○二日伊勢國磯邊伊雜宮造替の事を。土井周防守利益。山田奉行岡部駿河守勝重に命ぜらる。〈日記〉

○四日不時朝會あり。

寄合青山藤右衞門幸豐。小姓組伊澤權右衞門正次。ともに書院番組頭命ぜられ。小姓組柘植五大夫正信徒頭になる。

堀飛驒守直良坂城加番のいとま給ふ。

大番頭植村土佐守忠朝次男彦三郞正朝幷大番の子十人初見し奉る。〈日記〉

○六日例の家々より。七夕をほぎて鯖料を奉る。

新番頭村越伊豫守直成日光山盂蘭盆使命ぜらる。

此日大番小田切加兵衞昌近を土岐伊豫守賴殷に。代官竹内三郞兵衞信就は六郷莊之助政晴に。加兵衞昌近が子新右衞門昌雄は山内大膳亮豐明に。三郞兵衞信就が子平右衞門信澄。次郞兵衞某ともに戸澤能登守正誠にあづけらる。又代官岡上次郞兵衞某は八丈島に遠流せられ。子三四郞某は秋月佐渡守種信。甚四郞某は久留島信濃守通清にあづけらる。これは上總國山邊郡萱野村。砂田村境界を論爭するにより。加兵衞昌近。三郞兵衞信就して撿使につかはされしに。撿點のさまよからざりしをもてかく罪せられしなり。次郞兵衞某は。さきに其地を柳澤出羽守保明が采邑に賜はりし時。引渡のさまよろしからざりしによてなり。このことにより勘定の奉行等もいましめらる。〈日記〉

○七日星夕例のごとし。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉

○九日水邸より新鮭を獻らる。よて驛送して大内に進らせ給ふ。〈日記〉

○十日寄合木下民部利三が子左門利値。織田藤十郞一之が子平十郞信門。小出宮内英本が養子八十郞英道はじめ。父仕をかへして。その子家つぐ者十一人。薩十郞一之は二千六十石の内。次男七平高元に五百石を分つ。〈日記〉

○十一日小姓組番頭小出和泉守宗礥。紀伊中納言光貞郷存問の御使にさゝれ。和歌山へのいとまたまふ。

この日大番頭安藤丹波守重廣養子作十郞信富。書院番頭秋元隼人正時朝子千之助貞朝。小姓組番頭大草主膳正高盛が養子彌五郞高忠。交代寄合松平久馬介政武が子犬千代政森。鑓奉行森川金右衞門氏知が子庄九郞氏房。中奧小姓能勢出羽守賴澄子重次郞賴質。中川番花房大膳職重子五郞左衞門職攻。寄合安部治兵衞重年が子喜三郞信寄はじめ。父死してその子家つぐもの四十七人。

又沒前の願により。久馬介政武は七千石の内。次男池田龜之丞政親に千石。金右衞門氏知は三千石の内。次男金次郞光房に五百石。大膳職重は七千二百石の内。次男伊織職豐に千石を分つ。〈日記〉

○十二日處士川村瑞軒義通。大坂淀の河功告竣せしをもて銀を褒賜せらる。

奧にて猿樂の御遊あり。

日蓮宗不受不施の僧日庭。日弘。佐渡に遠流せらる。これ借屋に佛壇を搆へ。法事を取行ひ。箕輪宗源寺の地をかり。ほしいまゝに人を葬る事露顯せしをもてなり。よて宗源寺幷にこれに座して追放たるゝもの數人あり。〈日記〉

○十三日留守居内藤出羽守正方病免し寄合になる。

寄合戸田孫十郞光正中川の番命ぜらる。〈日記〉

○十四日兩山へ盆料を給ふ。御使。上野は高家大澤右京大夫基恒。芝は奏者番大久保安藝守忠增なり。〈日記〉

○十五日紅葉山靈廟に詣給ふ。先導保科肥後守正容。御刀喜多見若狹守重政。御沓は例の小納戸役し。大久保加賀守忠朝。阿部豐後守正武。牧野備後守成貞。稻垣安藝守重定豫參し。尾張中納言光友卿。紀伊中將綱教卿。水戸少將綱條朝臣陪拜せらる。

此日御生身魂をほがせ給ひ。桂昌尼公にもの進らせらるゝ事例の如し。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に大久保加賀守忠朝代參す。

日光山目付代を使番柴田七左衞門康能に仰付らる。〈日記、年錄〉

○十八日驛送して。本院。仙洞に鮭を進らせらる。〈日記〉

○十九日新番頭村越伊豫守直成日光山より歸謁す。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に阿部豐後守正武代參す。

けふ令せられしは。市井各所。大八車幷牛車にて。しば〳〵犬等を毀傷するよし聞ゆ。これ心用ひざる擧動。いとひがごとなれば。車夫等それ〴〵罪科に處せらる。今より後宰領をさしそへて。車引懸ざらんやうなさしむべし。勿論土人ならびに辻番人心いれ。あやまちあらしむべからず。先にも令せられしかど。今にをいて。主なき犬來れば食物もあたへず。又は犬其他生類とも授受せざるよし聞ゆ。生類愛憐すべき令をおもひたがへたりと聞ゆれば。何事につきても。生類愛憐のこゝろをむねとすべしとなり。〈日記、年錄、令條記〉

○廿一日醫員竹田法印定快。大膳亮好庵道彝奧醫となる。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に戸田山城守忠昌代參す。

勘定の徒二人甲州につかはされ。山材を伐らしめらる。〈日記〉

○廿七日下總國國府臺總寧寺國呑さきに住職を謝すとてまうのぼりし時。制を犯し中門まで乘輿せしをもて糺されし所。答詞辨明ならざるにより。法衣をうばひ追放たる。

この日薩摩國鹿兒島城主松平大隅守光久致仕の願をゆるされ。嫡孫薩摩守綱貴に原封薩摩。日向。大隅六十五万六千石。幷に琉球十二万三千七百石を領せしめらる。この光久は故中納言家久卿第二の子なり。兄兵庫某早世しければ嗣子となり。はじめ又三郞忠元と稱す。寬永元年の冬父と共に府にまいり。二年四月廿三日初見の禮をとり。八年四月朔日元服し。從四位下侍從に叙任し。御家號御諱の一字を給はり。薩摩守光久と改む。光久が先祖忠久は鎌倉右大將家の庶子なれば。まさしく清和源氏なれど。近衞攝政基通公に養はれしより。代々藤原を稱し來りしかば。父家久が時より。本姓に復さんことをおもひしに。光久が任官の宣旨に。はからずも源氏としるされしかば。これより源氏と稱す。十五年五月八日襲封し。慶安四年十二月廿五日左少將にのぼり大隅守と改め。延寶元年十二月廿八日從四位の上中將にうつり。けふ致仕して。元祿七年十一月廿九日七十九歳にて卒せり。〈日記、藩翰譜續編〉

○廿八日月次例のごとし。

遠藤右衞門佐常春參覲す。

東叡山慈雲院院家を謝し奉る。

使番大田善大夫好敬。書院番岡部久太郞某坂城目付にさゝれ暇給ふ。久太郞某子熊之助元貞幷代官子一人初見の禮をとる。〈日記〉

○廿九日兩番。小普請より桐間に入番するもの五人。

けふ万石以上に八朔太刀奉るの日。病臥又は喪制にてまうのぼらざる輩。病者は當日使もて獻ずべし。喪制は忌はてゝ獻ずべしと令せらる。三千石以上の輩も是に同じとふれらる。〈日記、憲教類典〉

◎この月市人會集して戲舞し。あるは相撲などなす事。先々より制禁たれば。彌なすべからざるむねふれらる。〈大成令〉


八月

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○八月朔日當賀例のごとし。〈日記〉

○二日長崎奉行大澤左兵衞基哲死しければ。其子源三郞基躬に家つがせられ。次男佐野權右衞門基珍は。桂昌尼公の御願によて別に召出され。廩米三百俵をたまひ。小姓組に入らる。〈日記、佐野家譜〉

○三日端午に服獻りし人々に御内書頒布せらる。

尾張中納言光友卿病のよし聞召。少老秋元但馬守喬知してとはせ給ふ。

此夜鎭星月と軫宿に合せり。〈日記、憲廟實錄〉

○四日驛送して禁廷に新鴻を進らせ給ふ。〈日記〉

○五日東叡山高巖院殿靈牌所に大久保加賀守忠朝代參す。〈日記〉

○七日不時朝會あり。

松平薩摩守綱貴襲封を謝して。青江恒次の太刀。銀千枚。時服五十さゝげ奉る。父大隅守光久致仕により。貞宗の太刀。來國光の脇差を獻じ。御臺所に世尊寺中納言伊房卿筆の和漢朗詠集をさゝぐ。

西尾隱岐守忠成はじめ參覲六人。松平伊豆守信輝はじめ就封七人。

故安藤丹波守重廣が遺物法成寺の脇差を。其子作十郞信富より奉る。

本院附岡部土佐守久綱病免して寄合になる。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉

○十日勘定頭差添兼代官國領半兵衞重次代官をゆるさる。

奧に馬買にまかる廐のともがらいとま給ふ。〈日記〉

○十一日小姓組番頭小出和泉守宗礥紀伊國よりかへり謁す。

大番頭遠山主殿頭頭政亮三千石加秩給はり。一万五千石になされ。坂城定番とせらる。

大目付水野伊豆守守政は留守居となり。酒井右京亮忠稠大番頭となり。鑓奉行河野權右衞門通定。持筒頭田中孫十郞友明ともに大目付となり。目付宮城主殿和澄長崎奉行となり。小十人頭市岡左大夫正房三百石加秩給はりて。本院附とせられ。小姓頭内藤十兵衞正興小十人頭になる。〈日記〉

○十二日二丸にて。桂昌尼公を饗せられ猿樂あり。

此日驛傳して内に初鶴を進らせ給ふ。〈日記〉

○十五日月次なり。

龜井能登守茲親參覲し。酒井靱負佐忠囿就封の暇給ふ。渡邊主殿基綱坂城加番のいとまたまふ。さきにまかりし三宅土佐守康勝うせたるによりてなり。

使番青木新五兵衞義武駿城目付にさゝれ暇たまふ。

御家人の子初見するもの一人。〈日記〉

○十六日大目付河野權右衞門通定は鳥銃。田中孫十郞友明は天主教考察奉はる。所屬の與力。同心は。孫十郞友明。作事奉行戸田又兵衞直武に屬せしめらる。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に阿部豐後守正武代參す。

使番石丸數馬定勝日光山目付代仰付らる。〈日記、年錄〉

○十八日交代寄合山名主殿矩豐が養子右衞門恭豐小姓を命ぜらる。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。

こたび關西の代官に金二百兩。關東の代官に百兩づゝ恩貸せしめらる。〈日記〉

○廿一日驛傳して本院。仙洞へ鴻を進らせ給ふ。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉

○廿五日臨時朝會あり。

松平越中守定重就封のいとま給ふ。

寄合町野酒之丞幸重。坂部三十郞廣象駿城加番の暇を給ふ。

書院番頭前田相摸守孝矩子又五郞孝始。幷書院番の子四人初見し奉る。

この日大和國高取城主植村右衞門佐家貞致仕の請をゆるされ。その子出羽守家言に二万五百石。次男外記政明に千石。三男次郞三郞政澄に五百石わかち給ふ。この家貞は故出羽守家政が三男なり。兄共早世せしかば世つぎとなり。寬永七年二月〈日詳ならず〉初見し。十三年十二月廿九日叙爵して右衞門佐と稱し。慶安三年十一月十一日父が家つぎ。万治元年弟志摩守政春に三千石分ち。けふ致仕して。元祿三年四月十四日七十三歳にて卒したり。

又下野國烏山城主那須遠江守資彌が遺領二万石を。養子與市資德につがしめらる。この資彌實は青木三太郞利長が二男增山友之助といふ。寶樹院殿には御弟にて。嚴有院殿の御外舅なりければ。正保四年十二月五日御所にめし。廩米二千俵給はり昵近の列に加はり。慶安四年八月十六日叙爵して右衞門佐と稱す。これよりさき那須左京大夫資景致仕し。其子美濃守資重家つぎてありしが。寬永十九年七月廿五日死して子なかりしかば。所領一万二千石は收公せられ。父資景に五千石たまはりき。然るに資景なげく旨やありけむ。承應元年二月十八日資彌を養子とすべき仰を蒙り。資彌をのが家祿二千俵に。養父の祿を合せて七千石を領す。其月廿五日家督を謝しける日。改て初見の禮をとり。寬文四年十二月八日地加へられ一万二千石となり。天和元年二月廿五日今の城給はりしとき。八千石まして二万石とせられ。この六月廿五日卒す。とし六十〈また六十二ともいふ〉

又越後國新發田支封溝口帶刀政親酒狂のよし。一族等うたふるにより。封地一万石收公せられ。生涯扶助米五百俵たまひ。加藤佐渡守明英がもとに逼塞せしめらる。この政親はもとの伊豫守政良が養子にて。實は加藤内藏助明友が次男なり。政良天和三年六月朔日うせしかば。八月廿三日遺領たまはり。去年より就封してありしが。酒にくるひ。あらぬふるまひどもせしかば。家人等たへかね。兄明英に此事うたへければ。明英。公の指揮をこひ。府によびよせ其さまを見るに。家人等が申所たがひなかりしかば。一族はかりてかくは請奉りしなり。

この日廊下番中條加兵衞直景廩米百俵加秩せられ。桐間番となる。桐間番三人兩番に歸番せしめらる。〈日記、藩翰譜續編〉

○廿六日驛送して本院。仙洞へ鶴を進らせ給ふ。

この日大風雨。〈日記〉

○廿七日前夜の風雨により。家門使奉り御けしきうかゞはる。〈日記〉

○廿八日月次なり。

谷出羽守衞廣駿城加番のいとま給ふ。

瓜連常福寺入院を謝し奉る。

御家人の子初見一人。

坂城定番遠山主殿頭政亮住所に赴くにより。費用の金三千兩恩貸せしめらる。〈日記〉


九月

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○九月朔日月次なり。

松平志摩守重榮參覲す。

御家人の子初見するもの一人。〈日記〉

○二日小姓井上千之助正強奉職無狀とて小普請に入らる。〈日記〉

○三日例の家々より。菊節を賀して時服奉る。〈日記〉

○五日御側松平隼人正忠冬先に淨德院殿に附られし時。家祿二千石は長子吉之助忠成に給はり。其身は別に三千石給ひしが。こたびともに合して家祿五千石になしたまふ。

桐間番鹽入次郞兵衞重良。小普請村越三十郞正弘ともに小納戸になる。〈日記〉

○六日臨時朝會あり。

酒井勝之助忠胤。松平左京大夫賴純二男大之助賴雄。松平出羽守綱近弟賴母近憲。大田原備前守典清子主膳純清。前田宮内利廣子右京利慶。松前志摩守矩廣弟甚五郞忠廣。御側松平隼人正忠冬子吉之助忠成。書院番頭三枝能登守守輝子右近守英。寄合酒井大和守忠國次男新次郞忠成。新番頭松平右近將監利正子傳左衞門正辰。村越伊豫守直成子清次郞勝成。持弓頭松平與次右衞門則釆子三之助忠隣。火消役太田式部資良子監物資興。先手頭井戸三十郞良弘子伊織典弘。目付小幡三郞左衞門重厚子左京直昌。德永十左衞門昌清子十之助昌英。使番赤井五郞作忠廣子小五郞忠閭。小姓組與頭松平左大夫定證子小十郞定員。池田修理友政子兵藏政應。書院番組頭伊澤權右衞門正次子兵吉某。大岡忠右衞門忠眞子求馬忠相。徒頭稻生七郞右衞門正盛子賴母正房。中川勘三郞忠雄子五郞八敷忠。小十人頭小笠原七左衞門信直子源次郞長晃。中根宇右衞門正章子内匠正包。船手頭向井將監正盛子伊織正員。岡田左太郞善紀子喜太郞善房。中川番近藤織部重信子辰之助政德。小納戸小澤宇右衞門忠房子主税忠順。鹽入次郞兵衞重良子彌三郞正勝。寄合永井宮内直澄子内匠尚村。久保和泉守勝周子平三郞政周。酒井權兵衞重知子式部重英。大友内藏助義孝孫權三郞義閭はじめ。初見するもの八十人。

又大番の子初見する者二人。植村外記政明。百助政澄分地を謝し奉る。松平遠江守忠俱。大關信濃守增榮。内田出羽守正衆。堀長門守直佑大坂加番はてゝかへり謁す。植村右衞門佐家貞致仕得ものとて。備前元重の刀を獻じ。御臺所に二條大納言爲定卿筆の古今集をさゝぐ。

又那須遠江守資彌の遺物城州信國の刀。一休和尚の墨蹟を。其子與市資德より獻ず。臺のうへには二條中納言爲重卿の筆朗詠集なり。

この日日光門跡天眞法親王登山により。高家由良信濃守賴繁もて菓子をつかはさる。

奏者番久世出雲守重之。青山播磨守幸督。永井伊賀守直敬。松平對馬守近陣。三浦壹岐守明敬。目付稻生五郞左衞門正照。伊東九郞左衞門祐信ともに失儀ありて御前をとゞめらる。〈日記、年錄〉

○八日紅葉山嚴有院殿靈廟に御詣あり。保科肥後守正容御先を導き。喜多見若狹守重政御刀。曾我七兵衞祐忠御沓。戸田金次郞直久御傘の役す。その他例のごとし。〈日記〉

○九日菊節例のごとし。〈日記〉

○十日勘定頭大岡備前守清重。彦坂伯耆守重治。仙石和泉守政勝ともに奉職無狀とて職うばひ。逼塞せしめられ。小普請奉行組頭小菅猪右衞門正武。勘定奉行差添役佐野六右衞門正周これにかはり。各加祿千石たまひ頭となる。差添役國領半兵衞重次も職免さる。勘定組頭荻原彦次郞重秀直實なればとて。半兵衞重次にかはらしめられ。加秩ありて五百五十石になさる。

昨夜大風雨により。家門使奉り御けしきうかゞはる。〈日記〉

○十二日高家日野伊豫守資榮は日光山御宮の代參。保科兵部少輔正賢は祭祀奉行命ぜられ暇給ふ。〈日記〉

○十三日令せらるゝは。各所の辻番所にて。往來のもの生類に毀傷の事あらば。番人出て其ものゝ居里聞糺し。人をそへつかはし。かさねて目付より尋問あらば申つかはすべければ。其もの他出せざるやうに申し。其もの辻番にとゞめをくに及ばず。後に目付へうたへ出べし。喧嘩。騷鬪等は申迄もなく。是迄のごとく双方とゞめをき。目付にうたへ出べきとなり。〈年錄、令條記〉

○十五日月次なり。

けふ崇源院殿忌辰なれば。三緣山靈牌所に大久保加賀守忠朝代參す。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮御參あり。先導は保科肥後守正容。御刀は喜多見若狹守重政。御沓は戸田金次郞直久役す。其他例のごとし。

使番大岡忠四郞忠方日光山目付代仰付らる。

この九日京。南都大風雨にて。加茂。貴布禰。稻荷山。祗園。鞍馬寺等大木顚倒し。春日社崩頽せしよし各所の注進あり。〈日記〉

○十八日大坂定番遠山主殿頭政亮赴任のいとま給ひ。新番頭大久保伊豫守忠直おなじ引渡命ぜられいとま下さる。

南部遠江守直政鴈間詰仰付られ。井上相摸守正任この後表向より拜謁すべしと仰下さる。

大番より桐間に入番一人。〈日記〉

○廿日紅葉山大猷院殿廟廷に詣させ給ふ。先導保科肥後守正容。御刀喜多見若狹守重政。御沓曾我七兵衞祐忠役す。其他例にかはらず。

今朝高家日野伊豫守資榮。祭禮奉行保科兵部少輔正賢日光山より歸謁す。

また日光山守護梶左兵衞佐定良に驛傳して八丈紬を賜ふ。〈日記〉

○廿一日京の大風雨により。目付宮崎善兵衞重清をにはかにつかはされ。巡視せしめらる。又府にありし奈良。山田の奉行等もいそぎつかはさる。〈日記〉

○廿二日納戸頭進喜太郞成之。關八郞右衞門正玄御前をとゞめられ。所屬の番士四人閉門せしめらる。穢を犯したるによてなり。〈日記〉

○廿三日目付に仰下されしは。朝會の日又は朝參の人多き時は。こと更しば〳〵殿中を監察して禮法を正すべし。下馬のあたり群集の時は。徒目付常制の外にしば〳〵見めぐり。作法を改むべし。こたび徒目付二人不良の擧動ありて刑に處せられき。善惡を正すべき職をもて。いとひが事なり。いまより後。諸事心の及ばんほどつゝしみつとむべしとなり。〈日記〉

○二十四日三緣山台德院殿廟廷に詣給ふ。保科肥後守正容御先を導き。喜多見若狹守重政御刀もち。戸田金次郞直久御沓の役す。其他例のまゝなり。

この日日光山門主天眞法親王歸寺ありければ。高家織田隼人正長迢もて慰勞せらる。〈日記〉

○廿五日少老稻垣安藝守重定紀伊國の御使命ぜられいとま給ふ。

瘍醫杉本忠惠元眞奧醫とせらる。

この日大に地震す。〈日記〉

○廿六日前夜の地震により。徒士して紅葉山幷東叡。三緣兩山につかはされ。そのさまをみせらる。同じ事により。家門使もて御けしき伺はる。

御側牧野伊豫守忠貴水戸への御使奉はりいとまたまふ。

この日尾邸より口切茶獻ぜらる。〈日記〉

○廿七日御側用人牧野備後守成貞が養子美濃守成時病死せるにより。小納戸曾我七兵衞祐忠をして成貞を吊せらる。

三河國奧殿領主松平縫殿頭乘次遺領一万六千石を。其子玄蕃頭乘成につがせらる。この乘次は故の縫殿助眞次が子にて。寬永十五年八月朔日初見し。正保三年十一月十二日父眞次がうせし時。沒前の請により釆邑七千石を分ち。乘次に四千石。養子右近大夫乘眞に三千石を給ひしが。乘次寬文二年三月七日小姓組番頭になり。その十二月廿七日爵たまはつて縫殿頭と稱し。九年七月八日書院番頭にうつり。十二年十二月二日大番頭に轉じ。天和元年九月十四日留守居になり。二年四月廿一日官料二千石を采邑にくはへられ。貞享元年二月十六日大坂城の定番となり。又加祿ありて一万六千石となり。この八月朔日五十六歳にて任所に卒せり。

また大和國柳本領主織田信濃守秀一が遺領一万石を其子源七郞秀親につがしめらる。この秀一は故修理亮長種が子にて。寬永廿年十二月七日家つぎ。寬文元年十二月廿八日叙爵して信濃守と稱し。この八月三日四十九歳にてうせぬるなり。〈日記、藩翰譜續編〉

○廿八日風の御心ちにより朝會なし。〈日記〉

○晦日水邸より口切茶獻ぜらる。〈日記〉


十月

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○十月朔日月次拜賀例のごとし。

松平因幡守信興參覲し。大關信濃守增榮就封の暇給ふ。

使番齋藤左源太利長。書院番大道寺權内直富大坂目付はてゝ歸謁す。〈日記〉

○二日臺のうへ。鶴姫君花圃御遊覧あり。よて留守居彦坂壹岐守重紹もて檜重。鮮魚をつかはさる。〈日記〉

○三日御側牧野伊豫守忠貴水戸より歸謁す。

甲邸より口切茶獻ぜらる。〈日記〉

○四日御座所にて猿樂あり。臺のうへ。姫君わたらせ給ひ。傳局もまかる。

この日小納戸鹽入次郞兵衞重良加秩給ひ三百俵になさる。〈年錄、日記〉

○六日亥日の嘉儀例に同じ。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。

此日兩山靈廟に茶を進薦せられ。日門へもをくらせ給ふ。例は茶道坊主持參せしが。今年より數寄屋頭をつかはさる。〈日記〉

○十一日秋月佐渡守種信に聖護院門跡道祐法親王館伴を仰付らる。

三河國田原城主三宅土佐守康勝遺領一万二千石餘を。其子出羽守康雄につがしめらる。この康勝は故大膳亮康盛が子にて。明曆四年二月廿七日家つぎ。三州加茂郡擧母。常州新治郡にて一万石餘を領し。寬文二年十二月廿七日叙爵して能登守と稱し。後に土佐守と改め。同じき四年五月九日今の城給はりてうつり。ことし大坂城の守りにありて卒しぬ。とし六十。〈日記、藩翰譜續編〉

○十二日二丸にて桂昌院殿を饗し給ひ。猿樂あり。〈日記〉

○十三日臨時朝會あり。

京所司代土屋相摸守政直宿老となり。大坂城代内藤大和守重賴所司代となり。奏者番松平因幡守信興城代となり。一万石加へられ三万二千石になさる。禁裏附佐野修理大夫正行鎗奉行となり。土方市正雄豐。内藤主膳信清。松平甚九郞康寬駿城加番はてゝかへり謁す。

松平彦四郞忠之が弟次郞四郞信通初見し奉る。

書院番の子初見の禮とる者二人。

三宅出羽守康雄より。亡父土佐守康勝が遺物雲次の刀をさゝげ。松平玄蕃頭乘成より。亡父縫殿頭乘次が遺物延壽の刀を奉り。織田源七郞秀親より。亡父信濃守秀一が遺物雲次の刀を獻ず。〈日記〉

○十四日下野國烏山城主那須與市資德が所領沒入せられ。本生父津輕越中守信政がもとにあづけらる。これは故遠江守資彌は。圖書〈福原と稱す〉資豐といへる庶子ありしをかくし置。資德を養ひ家つがせしかば。資豐愁訴せしによてなり。信政もこの事によて。門とざし家にこもらしめられ。資豐は生母と共に。更代寄合平野丹波守長政にあづけらる。

この日小普請より桐間に入番する者一人。〈日記〉

○十五日月次なり。

松平大炊頭賴雄が子靱負賴道初見し奉り。松平遠江守忠俱就封の暇たまふ。〈日記〉

○十六日奧平美作守昌章に。烏山城を收むべき旨命ぜらる。〈憲廟實錄〉

○十七日紅葉山御宮に大久保加賀守忠朝代參す。

使番永見甲斐守重直日光山目付代仰付らる。〈日記〉

○十八日桂昌院殿を饗し給ふ。老臣幷に牧野備後守成貞陪宴す。

この日紀伊國高野山金剛峯寺學侶方。行人方訴訟の事により僉議あり。評定所にをいて。双方に御黑印の條約を下され。大猷院殿御黑印の旨彌守るべき旨仰出さるゝよし傳へ。寬文中下されし下知狀七通は收公せらる。さて衆徒方へなし下さるゝ令にいふ。撿挍職の事。今より後碩擧の者。古來のごとく三年住職たるべし。但し學衆は一年住職たるべし。其他老若の修學。衣鉢の威儀先規を守るべし。仁和。高雄。東寺。醍醐幷に高野。此五寺相互に交衆して。事教の修學をつとむべし。此旨は弘法の遺戒にも。門徒の間。修學㝡初に成出を長者とすべし。﨟次を亂すべからずといへり。然るに仁和。高雄。東寺。醍醐本寺たるのよし申つのるといへども。遺戒既に分明の上は。法會出仕のとき。門跡。僧正の外は。戒﨟にまかせ列座あるべし。寺號。院號。先規たやすく許さゞることなり。しかるをほしいまゝに寺院と稱する事。甚いわれなければこれを停禁すべし。灌頂授職の作法。あるは由緖の末寺といひ。あるは貧僧結緣ととなへ。たやすく客坊。奧院等に執り行ふ。非衆。非學の宿所にて。灌頂曼供の執行先規なきよしなれば。かたく停止せしむ。天野明神は高野鎭護の神なれば。神事祭祀。惣巫祝。供僧等先規をまもり。新儀を企つべからず。この旨元和元年七月。同三年九月。慶安二年九月御判書の旨。いよ〳〵かたく守るべしとなり。又一通にいふ。衆徒中の諸沙汰前々のごとくたるべし。兩門徒中。諸事門首の異見に從ふべし。但し門首のはからひ非理たらば。府にうたふべし。古跡の院家を繼ぐ事は。兩門首會議して學者を選び。師弟の契約をなし血脉を續ぎ。寺中の緇素諸雜具ともに讓るべし。碩學のもの古法にそむき。新儀を企つべからず。學侶の領地偏頗なく。院家相應に配當し。兩門徒中疎意なく交り。万事はかりあふべし。右の條條慶長十五年四月。元和三年九月。慶安二年九月前制の旨彌かたく守るべしとなり。また學侶方へ下されし令は。万事法度勤行先規を守り。黨をむすび私論すべからず。依怙なく正しく沙汰すべし。碩學の輩不良の擧動あらば。兩門首より府に聞えあぐべし。もし兩門首の内非理あらば。碩學より奉行へうたへ指揮をうくべし。大曼陀羅供。庭儀堂上灌頂は祕法たるの間。非學侶は競望に及ぶといへどもゆるすべからず。たとひ㝡略の灌頂たりとも。學侶の坊の外にをいて執行すべからず。勿論私の贔負をもて。戒﨟いたらず。學問未熟のともがらに法を附すべからず。學侶の中老分のともがら二人づゝ在府して交代すべし。兩門首は每年一人づゝ參府あるべし。山中にをいて武具。馬具。幷に婦女の器服等賣買すべからず。山中墓地甚廣し。無用のことなり。古來の石塔。卒都婆みだりにうしなふべからず。今より後たとひ國持大名たりといふとも。其地二間四方に過べからず。右の條。慶長六年五月。元和三年九月。慶安二年九月の前制にまかせ。衆徒中諸條約。寺領配分の法彌かたく守り。ながく違失あるべからずとなり。又衆徒方に下さるゝ一通にいふ。大德院内にをいて。東照宮の御供料百石。台德院殿の靈廟料百石。合て二百石づゝあて行はる。これをもて佛供。燈明。法會勤行以下。永く怠慢すべからざる旨。朱印を大德院に下さる。末代に及まで大德院進退たるべし。もし怠慢せば其沙汰あるべし。興山寺内にをいて。東照宮御供料百石あて行はる。佛供。燈明。法會執行等永くをこたるべからず。末代に及ぶまで興山寺進退たるべし。万一懈怠せば其沙汰に及ぶべし。天野明神祭祀。其儀式。衆徒行人前々のごとく。舊例を守り執行すべし。附たり赤衣。香衣。錦。金襴の袈裟行人着すべからず。此むね行人方の條約にものするといへども。今より後違犯なからしめんがため。衆徒中へもなし下さる。慶安二年九月の制に從ひ。彌たかく守るべしとなり。又行人方へ下さるゝ一通にいふ。興山寺内にをいて。東照宮御供料百石あて行はる。佛供。燈明。勤行等をこたるべからず。五百八十石は興山寺領。四百二十石は六人組頭領。組一人に七十石たるべし。その他三十石づゝは有來の坊領。合せて百石づゝなり。六人の組頭。在府二人づゝ交代すべし。此中住山のものは。行人領の代官をつとむべし。組六人の中闕あらば。上六十人の中にをいて。其器をゑらび奉行にうたへ。指揮にまかせ組頭申付べし。勿論前條の七十石は役人領たれば。私に讓與すべからず。萬事法度以下六人の組頭會議し。興山寺へうたへて申付べし。勿論黨をむすび私論なすべからず。偏頗の事なく正路に沙汰すべし。もし組頭非理あらば。府にうたへ出べし。万一興山寺非理あらば。六人より奉行所にうたへ。指揮にまかすべし。大曼陀羅供。庭儀堂上の灌頂は祕方たれば。競望すべからず。たとへ最略の灌頂たりといふとも。學侶の坊にて執行すべし。勿論私に傳授すべからず。天野明神の祭祀。其儀式。衆徒行人前々のごとく古例を守り違犯あるべからず。附たり赤衣。香衣。錦。金襴の袈裟行人着すべからず。山中にて器械ならびに婦女の器具等賣買すべからず。山中墓地廣し。無用の至なり。古昔の石塔。卒都婆は。みだりにうしなふべからず。たとひ國持大名たりといふとも。其地形二間四方に過すべからず。大德院内にをいて。東照宮。台德院殿御供料各百石をもて。佛供。燈明。法會勤行永くをこたるべからざる旨の御朱印。大德院に下さるれば。末代までも大德院進止すべし。もし怠慢せしむるにをいては。其沙汰に及ぶべし。慶長六年五月。元和三年九月。慶安二年九月の制を守り。違犯すべからずとなり。又衆徒行人双方へなしくださるゝ條にいふ。双方諸事古制にまかせて各別たるべし。衆徒領内の人夫。竹木は。一職の進退たるべし。但し山上山下の諸伽藍修營のときは。二万千石の人夫平均に出しめて遣ふべし。人夫着到せば。双方より奉行を出し。行人方の人夫着到の時は。衆徒方よりこれをとり。衆徒方人夫着到は行人方よりこれをとるべし。青巖寺修理の材木幷に柴薪等。今までのごとく。惣山中何の山林たりといふとも採撨すべし。青巖寺領二千石の内。千石は住持。撿挍の費用に充て。千石は衆徒中碩學九人に配分すべし。もし九人の中闕あらば。學侶の中其器をゑらび。﨟次にまかせ彼闕を補ふべし。諸伽藍破壞のときは。衆徒より行人方へ申をくり。修理せしむべし。出入の會計は衆徒とはかり合べし。諸伽藍差別なく。千石の修理免をもて造營すべし。此旨慶長六年五月。元和三年九月。慶安二年九月の先制を堅守り。佛法を紹隆し。永代緩怠なく。天下泰平の懇祈をぬきむづべきものなりとなり。〈日記〉

○二十日東叡山大猷院殿靈廟に戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉

○廿一日臨時朝會あり。

本多下野守忠平就封のいとま給ふ。

土屋相摸守政直常陸國土浦の城をたまはり。京所司代内藤大和守重賴從四位下侍從に叙任す。

奏者番永井伊賀守直敬は下野烏山の城を給ふ。

土岐伊豫守賴殷烏山城受取の暇給ひ。使番柴田三左衞門勝門。小姓組中根平十郞正冬同じ引渡奉はり。使番松前八兵衞嘉廣。書院番内藤織部重時土浦城引渡の暇給ふ。〈日記〉

○廿二日大坂に引うつるにより。城代松平因幡守信興に金五千枚。轉封により奏者番永井伊賀守直敬に三千兩恩貸せらる。〈日記〉

○廿三日少老稻葉安藝守重定紀伊國よりかり謁す。

火消役に仰下さるゝは。風なき時も大火に及ぶ事あり。こは先立てかけ集り。消防するものある時は。それにゆづり差控るによれりと聞ゆ。今より後。其はゞかりなく消防すべし。かつ來月朔日より二丸に泊番すべしとなり。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に阿部豐後守正武代參す。

この日伊豫國松山に配流せられし松平越後守光長。さきに家人等爭論の事により罪蒙りしかど。公に對し不忠の志あらざるをもて。免されて府に召寄られ。合力米三万俵賜はる。〈日記〉

○廿五日高木六左衞門某。稻津庄右衞門某追放たる。ともに虛詐の罪によてなり。〈日記〉

○廿六日小石川離第にならせ給ひ。御庭にて兩番の士十二人調馬を命ぜらる。供奉の輩に饗膳給ひ。賤吏には強飯を下さる。けふ道路をば徒士六隊にて警衞し。第中をば新番一隊。徒士二隊警固す。〈日記〉

○廿八日月次なり。

山門靈仙院一束一卷獻じ。橫川修理給ひしを謝し奉る。

この日留守居杉浦内藏允正綱病免して寄合になる。

父の勞もて不時に召出され。蔭仕命ぜらるゝ右筆。廐方の輩三人。〈日記〉

○廿九日致仕松平紀伊守光晟參府により。戸田山城守忠昌慰勞の御使奉はる。これ致仕輩參府には。奏者番御使せしに。此度改て老臣を遣はさるゝとぞ聞へし。〈憲廟實錄〉

◎此月各所葭刈場へ建られし高札にいふ。河邊の葭。たとへ税額の中にむすびありとも。一年の中四五七九の四箇月に。懈怠なく刈すつべし。且流作かたく停禁たるべし。流作幷に刈葭場の土。何方のものにても請まゝにとらしむべし。堤に水防ぐためならず。猥に竹木を植。あるは堤上に家作りなすべからず。すべて堤坊は分明に見ゆるやうにすべし。河邊洲渚の竹木。柳。其外雜木。茨等は堀すつべし。すべて洲渚に葭を植。あるはさし木せん事禁ずべし。洲渚に小堤をきづく事も。是に同じとなり。〈憲教類典〉


十一月

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○十一月朔日月次拜賀例のごとし。

京所司代内藤大和守重賴をめして。奧にて御手づから茶をたまはり。かさねて表にて。備前長光の御刀下され。赴任のいとま給ふ。大坂城代松平因幡守信興も同じく赴任の暇給ふ。

小姓組番頭大久保淡路守教福は城代引渡命ぜられ暇給ふ。

此日驛使もて内に鶴を進らせらる。〈日記、人見私記〉

○三日書院修理成功により。安鎭執行あり。よて知足院隆光に銀五十枚。伴僧二人に五枚づゝたまふ。

尾張中納言光友卿所勞により。少老秋元但馬守喬知御使して屛風を給ふ。〈日記〉

○四日土屋相摸守政直所司代引渡命ぜられいとま下され。御手づから羽織を賜ふ。

初雪ふりければ。家門使もて肴を獻ぜらる。

驛使して本院に鶴を進らせ給ふ。〈日記〉

○五日聖護院門跡道祐法親王參府ありければ。大久保加賀守忠朝して慰勞せらる。差添の高家は大澤右京大夫基恒なり。

京所司代内藤大和守重賴赴任により。臺のうへより留守居番根岸三大夫定周もて。時服。肴一種つかはさる。〈日記〉

○六日先手頭長谷川久三郞正相病免して寄合になる。〈日記〉

○七日京に驛次して仙洞へ鶴を進らせ給ふ。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。

この日小人一人。松平佐渡守忠充が家人三人追放たる。これはさりし廿六日小石川にならせ給ひし時。一橋門當番のことにより。過失ありしをもてなり。〈日記〉

○十日御直垂にて白木書院に出給ひ。聖護院門跡道祐法親王引見あり。初て入峯ありしをもて。加持まいらせらる。法親王より繻子十卷。太刀馬資金奉られ。臺のうへに繻珍五卷。薰物二器さゝげらる。勝仙院大僧正。若王子大僧都はじめ。院家。坊官。家司等各もの獻じ拜し奉る。〈日記〉

○十一日鶴姫君御齒黑めの御祝とて。御側用人牧野備後守成貞もて三種二荷。金五千兩。中將綱教卿幷に母北の方へ三種一荷つかはされ。家司。醫員。女房等にも。時服。卷物。銀たまふこと差あり。

この日道祐法親王の旅館に。高家畠山民部大輔基玄御使し。一種一荷をくらせ給ふ。〈日記〉

○十二日大久保加賀守忠朝もて。聖護院門跡道祐法親王に歸洛のいとまたまひ。銀五百枚。綿五百把つかはされ。勝仙院。若王子の僧正。僧都等。銀。時服給ふ事しなあり。御臺所より留守居番村上三右衞門正尚して。法親王に時服二十をくらせ給ふ。〈日記〉

○十三日臺のうへより御所を饗し給ふにより。老臣幷に牧野備後守成貞。御側大久保佐渡守忠高よりもの奉り賜物あり。

この日聖門兩山參詣により。上野は松平主殿頭忠房。松浦肥前守鎭信。有馬左衞門佐清純。柳生對馬守宗在。芝は阿部豐馬守正邦。南部遠江守直政して警衞せしめらる。高家。寺社奉行。目付。徒頭まかること例のごとし。〈日記〉

○十四日徒頭土屋主税達直が釆邑遠江の國周智郡森町村の農民。金を堀出したるよし注進するにより。その金をくださる。〈日記〉

○十五日月次例のごとし。

松平丹波守光永。牧野因幡守富成參覲す。

旗奉行大久保四郞左衞門忠兼は留守居となり。火消役久貝忠左衞門正方は持筒頭となり。寄合大久保彦兵衞忠庸は火消役となり。目付須田市兵衞盛輔は禁裏附となり。千石加秩せらる。小姓組堀田權右衞門一幸は先手頭となる。

土岐伊豫守賴殷は下野國烏山よりかへり。使番松前八兵衞嘉廣。書院番内藤織部重時は常陸國土浦城引渡はてゝかへり謁す。奧幷に古府にまかりし廐の輩もおなじ。

聖門この日歸洛の發駕あり。

けふ大目付もてふれられしは。生類憐愍の事により。この正月令せられしむねもあるところに。今に馬を捨るものあり。これ前令の旨をいまだ心得ざるゆへとしらる。彌々百姓等とくと心得。捨べきほどに羸たる牛馬は。あらかじめうたへ出べき旨。百姓等へ告諭すべしとなり。また市井に令せられしは。何方に限らず。生類に人疵つけしさまならば。其地にて査撿し。其さましらるべき筋あらば。申いづべし。もししれがたくば。まづうたへ出るに及ばず。漸々其筋しらるべきやう心いれて。其まゝに捨をくべからず。程過てしれしもうたへ出べし。他へかゝりしことにて。をのれかぎり査撿なしがたきはいひ出べし。生類疵付ていまだ死せざらんには。其地遠近によらず。見出せしものすみやかに引取やしなひをき。とかく撫育遲緩せざらんやうに心すべし。其ほか傷痛するか。又は病あるもおなじかるべし。放ちてもくるしからざるほどならば。よろしき地をゑらび放つべし。されど平愈すとも。步みがたからんには。其まゝにをきて撫養すべしとなり。〈日記、令條記〉

○十六日仙波御宮正遷宮により。高家由良信濃守賴繁代參命ぜられ。御宮に良守の御太刀一振。馬資金一枚。三所權現に三束三卷進薦し給ふ。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に阿部豐後守正武代參す。

使番柴田七左衞門康能日光山目付代命ぜらる。〈日記、年錄〉

○十八日高家由良信濃守賴繁仙波より歸謁す。〈日記〉

○廿日紅葉山大猷院殿靈廟に。戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉

○廿一日桐間番より小姓組に歸る者一人。〈日記〉

○廿二日鶴姫君まうのぼり給ひ。御所を饗し給ふ。〈日記〉

○廿三日御座所修理成功により安鎭執行あり。よて知足院隆光に銀五十枚給ふ。

又仙波御宮正遷宮ありしにより。凌雲院僧正へ銀五十枚。中院へ十枚。衆僧に百五十枚下さる。

水戸宰相光圀卿參府により。戸田山城守忠昌して慰勞せらる。

又古府にまかりし馬方二人時服給ふ。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉

○廿五日鶴姫君を饗せられ猿樂あり。〈年錄〉

○廿六日小姓組番頭石川市正總氏病免して寄合になる。〈日記〉

○廿七日尾張中納言光友卿病後初てまうのぼられ拜謁せらる。〈日記〉

○廿八日月次なり。

松平丹波守光永就封のいとま給ふ。

桐間より小姓組に歸番一人。〈日記〉

○廿九日寒中をとはせ給ひ。日門幷に家門に八代蜜柑をつかはさる。〈日記〉

◎此月令せられしは。代官の輩。公料の租税。去々年を皆濟にし。去年を中勘定にすべし。もとも去年皆濟になるべきは其通りすべし。なりがたきゆへあらば勘定頭へ申すべし。諸有司の惣計は。每年か又は隔年にすべし。遲帶するゆへあるは。勘定頭に申すべし。勘定帳。負帳。勘定所にをいて怠慢なくしるすべし。每年組頭一人。所屬三四人順番につとむべし。未進は今より後代官辨濟すべし。但し他へ渡せし地の前年租税。翌年五月までの未進は。その地受取しものよりとりたて渡すべし。五月已後とも。前年の未進ありて。會計とゝのひがたきは。あらかじめ勘定所へ申出すべし。所在土功の事。田畑の爲ならんには。高百石に人夫五十人まで。百姓自身の營築たるべし。それより多きは。人夫の食米下さるべし。田圃の水患を防とて寄洲せんは。多少にかぎらず人夫の食米下さるべし。費用は何の營築にも官より賜はるべし。竹木。萱。藁繩そのほかの諸色も。其地にあるはこれを用ひ。もしなきは其費を下さるべし。私領と犬牙の接界は高割たるべし。防堤。用水の營築は。年々三月を限り勘定所へまうし出べし。ゆへなく遲緩せば代官緩怠たるべし。各所街道の橋梁は。長短によらず官費たるべし。但公私領入交り。先々より割合にて仕來りしは。あり來りのまゝたるべし。郷村の橋は其地にて修理すべし。但し民力に及びがたからん橋は官費下さるべし。其領主架搆の橋は。是までのごとくたるべし。收公の田圃。宅地。あるは閑地等あらば。其村にて百姓の中を査撿し。其人をゑらみ。勘定所に告て分付すべし。其村にしかる者なくば。村中集りて稼穡なさしめ。其後しかるべきものにあたふべし。收公の田多く。村中分付すべきものなきはうかゞふべし。遠國運漕の費。每年査撿して定むべし。川船は先々のごとく其所の費を定め。私領に收公の田ある時。同じからざる所は。官廩おさむる地の並たるべし。租税搬送の駄貨。有來りのごとく。其村より行程五里のほかは駄賃錢下さるべし。私領地の收公せしも上におなじかるべし。川船にて府へ運漕の税米は。其年の冬より明年の正月まで官廩に納むべし。とゞこほらば勘定所へまうし出べし。ゆへなく遲滯せば。代官過失たるべし。關東荏大豆收納のことは。米一升に二升代。永一貫文には五石の積り。高百石に大豆二斗かゝり。荏は一斗かかりのつもり高役におさむべし。私領の收公地不同の所も上におなじかるべし。荏。大豆ともに。用多き年は割增有べし。但各別のゆへあるか。又は收納しがたき地は。あらかじめ勘定所へまうすべし。伊豆。甲斐。陸奧。出羽。京等は。有來りの如くたるべし。收公せられし私領の地。其以前租税地頭へ收納せし後收公せられしは。請取の證狀慥ならば。其むねかねて勘定所にまうし。會計の簿にしるすべし。田圃永代賣渡す事彌停禁すべし。地を質としてその者滅亡せば。年期の中は。質地とりし者に耕作せしめ。年期過ば收公すべし。年期定めず質田とせしは。すみやかに取上べし。はた質地とせんことは。かねて代官の屬吏までうかゞふべし。市人受負の新田畑。今より後停禁すべし。しかりといへどもさるべきゆへあらむ所は會議すべし。官廩に納むる税額の帳。每年十一月を限り。郷村の簿は十二月中に勘定所に出すべし。定のごとくなしがたきときは。其旨勘定所へ告をくべし。各所倉廩設をく地は高の中にくはへ。租税は除くべし。囚獄の地も是にかはらず。運米の船破壞せば。すみやかに屬吏つかはし。海中の沉米取上しめ。土人會集し。入札を以拂米とし。勘定所へ伺ふべし。敗毀せる船は各浦の高札の如くたるべし。百姓のもてる田圃少しきは。子弟に分地せざるやう命ずべし。もし分地せば。代官へつげて指揮に任すべし。代官屬吏等。百姓其ほか代官所手傳の商人より。金銀。米錢すべて何によらず。受納せざらんやう。かたく誓詞せしむべし。もし違犯のものあるよし聞えなば。罪科に處せらるべければ。代官中はいふまでもなし。勘定所にても其心して。各國の農民も。代官所屬へ音物をくるにをいては。とがめらるべしと。あらかじめ曉諭すべしとなり。〈憲教類典〉


十二月

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○十二月朔日月次拜賀例のごとし。

水戸宰相光圀卿參覲の拜謁せらる。家司も同じ。

使番柴田三左衞門勝門。小姓組中根平十郞正冬烏山城引渡はてゝかへり謁す。

此日令せられしは。武家にもてる川船。荷物つむべきは。川船奉行にて査撿烙印し。荷物つまざる船は。是迄査覈も加へず。烙印もせざりしによりまぎれやすく。商船糺察の障ともなれば。今より後川船は殘りなく其奉行へまうし。烙印せしむべしとなり。〈日記〉

○二日寶樹院殿忌辰により。東叡山靈牌所に阿部豐後守正武代參す。

大目付河野權右衞門通定。作事奉行加藤兵助泰茂二人はかりあひて。諸國の鳥銃考察すべしと命ぜらる。また關八州鳥銃考察のこと。大目付して。万石以上以下諸有司に。各考察して呈する所の書式を示さる。〈日記、大成令

○〉三日寒に入をもて。家門よりもの奉り御けしきうかゞはる。

代官岡上次郞兵衞某さきにひが事ありて。遠流に處せられしかど。贓罪多きにより切腹せしめらる。其子小姓組秋山平十郞某は。他の養子たるをもて。一等を減じて田村右京大夫建顯にあづけらる。屬吏等罪蒙るもの多し。〈日記〉

○四日御厄年により。伊勢兩宮に代參使を立らる。高家畠山民部大輔基玄これを奉りいとま給ふ。内宮に定利の御太刀。外宮に友成の御太刀。各馬資銀五十枚。内宮に大供料。外宮に太神樂料。金一枚づゝ進薦し給ふ。

又寒に入りければ。驛送して大内に鹽鮭を進らせらる。〈日記〉

○五日重陽に時服奉りたる人々に御内書を給ふ。〈日記〉

○七日河越仙波御宮の造替により。其事にあづかりし松平伊豆守信輝が家人に時服。羽織を給ふ。

旗奉行内藤外記正吉致仕し。その子甚五郞正信家つがしめらる。〈日記〉

○八日紅葉山嚴有院殿靈廟に詣給ふ。保科肥後守正容先導し。喜多見若狹守重政御刀をもち。若藤杢右衞門高豐御沓の役す。其他は例のごとし。〈日記〉

○九日大目付中山丹波守直守が子小姓組勘解由直房。寄合内藤出羽守正方子新五郞正房。細井佐次右衞門勝興孫小普請新五郞勝郷。醫官半井驢菴達時養子内匠頭成明をはじめ。父死して其子家つぐもの三十三人。又沒前の願により分地するものあり。丹波守直守は四千石の内。四男加治圖書直溫に千石。出羽守正方は三千石の内。次男甚左衞門正治に五百石。佐次右衞門勝興は千七百石の内。次男書院番源五郞勝務に五百石。書院番松平助四郞忠福は千七百石の内。次男小普請兵四郞高久に二百俵なり。

此日大目付河野權右衞門通定。田中孫十郞友明奉職無狀とて小普請に入らる。〈日記〉

○十日小姓組六人幷に書院番遠山久四郞安筭が子十助安速桐間に入番す。

小十人頭戸田喜右衞門忠重。書院番組頭伊澤權右衞門正次。各加秩三百俵たまふ。その他賤吏等。俸祿增加せらるゝもの若干なり。〈日記〉

○十二日鶴姫君の執事筒井佐次右衞門政勝病免して小普請になる。〈日記〉

○十三日煤拂例のごとし。

二丸にて猿樂の御遊あり。〈日記〉

○十四日三丸にならせ給ひ。桂昌院殿を饗し給ふ。勘定の徒を沙汰して。小普請に入らるゝもの十六人。〈日記〉

○十五日月次なり。

小姓組與頭青山内記祕成は番頭になり。作事奉行戸田又兵衞直武は大目付となり。目付稻生五郞左衞門正照は作事奉行となり。四百五十石加秩給ひ千石にせらる。

寄合内藤主膳信清は小姓組與頭となり。書院番酒井三右衞門忠晴は鶴姫君の家老にせられ。加秩千石給ふ。

番醫小島圓齋祐昌は奧醫になる。

松平伊豆守信輝はじめ。參覲拜謁するもの九人。那須衆四人も同じ。

使番青木新五兵衞義武は駿城目付はてゝ歸り謁す。

御厄年をほぎて。家門幷に松平加賀守綱紀。溜詰。宿老。御側用人。少老。御側。幷に小姓齋藤飛驛守三政。小納戸柳澤出羽守保明より魚物。酒を奉る。

けふ紅葉山御詣のとき。謁見し奉るべき輩をさだめらる。高家。寺社奉行。奏者番。詰衆。大番頭。書院番頭。小姓組番頭。簱奉行。鑓奉行なり。其他百人組頭。持筒頭。先手物頭當直のみ。番所にをいて拜謁すべし。坂下。紅葉山下。西城裏門番の頭は各番所にあるべし。小普請奉行。道奉行。寶藏番の頭。其ほか賤吏は拜謁に及ばず。殿中伺候の輩も。當直のみ拜謁し。此他は出るに及ばずとなり。〈日記、令條記〉

○十七日紅葉山御宮に御參なり。保科肥後守正容御先を導き。喜多見若狹守重政御刀。若藤杢右衞門高豐御沓の役す。其他例のごとし。

使番堀小四郞利安日光山目付代仰付らる。〈日記、年錄〉

○十八日奏者番兼寺社奉行大久保安藝守忠增少老となり隱岐守と改む。

歳暮を賀して。例の家々より時服獻じ奉る。

御厄年の祈禱つかふまつり給ふによりて。日門へ銀百枚。二種一荷をくり給ひ。知足院隆光に銀五十枚。樽肴下さる。

土屋相摸守政直京より歸謁す。

小姓黑田三五郞直邦從五位下に叙し。豐前守と改め。伊東釆女祐賢もおなじく爵給はり。志摩守に改む。

小納戸榊原左平太宗好。松平六右衞門祐義。駒井半兵衞門親澄。松前作右衞門當廣。平田三郞左衞門勝吉。次番藤本源右衞門稠賀。鵜川助大夫某布衣の侍に加へらる。〈日記〉

○十九日小納戸長谷川庄次郞親良。都筑甚五左衞門政親布衣着する事をゆるさる。〈日記〉

○二十日紅葉山大猷院殿靈廟に詣給ふ。保科肥後守正容先導し。喜多見若狹守重政御刀。戸田金次郞直久御沓の役す。其他は皆例のごとし。

この日天眞法親王まうのぼられ。御對面ありて。見臺をつかはさる。〈日記〉

○廿一日歳暮の賞賜例のごとし。

けふ水戸宰相光圀卿より。土宜とて屛風二双獻ぜられ。御臺所に几帳をさゝげらる。

作事奉行稻生五郞左衞門正照天主教考察を命ぜらる。〈日記〉

○廿二日醫官半井内匠頭成明剃髮命ぜらる。〈日記〉

○廿三日令せられしは。捨馬すべからざる旨。かねて令せられしに。違犯の者ありて。さきに遠流に處せられ。其後しば〳〵罪せらるるといへども。今に猶さるものあり。いとひが事なれど。寬宥の御沙汰をもて。こたびも前に同じく遠流せらる。公私料ともにきびしく曉諭し。生類慈愛の事を簡要とすべし。此以後馬をすつるものあらば。其地の代官。地頭の過失たるべしとなり。

また目付に仰下されしは。御所中火をいましむる事。前令のごとく彌心いれ。火の番をこたりなく巡察せしめ。目付の輩も見𢌞るべし。かつ城中の直廬幷に中の門。百人番所等も。臨時にまかり見て。おもふ旨あらば申通じ。老臣へも其旨申すべし。西城。二丸も是におなじかるべしとなり。〈日記〉

○廿四日紅葉山台德院殿靈廟に詣給ふ。保科肥後守正容先導し。喜多見若狹守重政御刀。松前作右衞門當廣御沓の役す。其他例のごとし。

けふ增上寺古岩。傳通院歳暮をほぎてもの奉る。

日光門主天眞法親王登山により菓子つかはさる。〈日記〉

○廿五日松平薩摩守綱貴左近衞少將に登り。從五位に叙せらるるもの十人。戸澤内記正庸は下野守。水野惣兵衞忠周は出羽守。本多万次郞康命は下總守。稻垣大藏重富は和泉守。留守居大久保四郞左衞門忠兼は玄蕃頭。小姓組番頭阿部兵庫正房は越中守。青山内記祕成は丹後守。大目付戸田又兵衞直武は美作守。勘定奉行佐野六右衞門正周は長門守。小管猪右衞門正武は遠江守と改稱す。

布衣ゆるさるゝ者廿三人。火消役大久保彦兵衞忠庸。先手頭日向傳右衞門正知。猪飼五郞大夫正冬。堀田權右衞門一幸。目付德永十右衞門昌清。使番桑山猪兵衞元稠。石丸數馬定勝。青木新五兵衞義武。柴田三右衞門勝門。松前八兵衞嘉廣。書院番組頭安部助九郞信厚。伊澤權右衞門正次。青山藤右衞門幸豐。小姓組與頭駒井右京親行。内藤主膳信清。徒頭角南主馬重世。柘植五大夫正信。小十人頭戸田喜右衞門忠重。高林彌一郞利之。小笠原七左衞門信直。東條平右衞門長矩。内藤十兵衞正興。勘定奉行差添荻原彦次郞重秀なり。

又尾張邸家司山添將監英重も。叙爵ゆりて淡路守と稱す。

高家畠山民部大輔基玄伊勢より歸謁し奉る。

桂昌院尼公明年厄にあたらせ給ふとて。護國寺に御祈の事仰付られ。銀百枚布施し給ふ。

加恩給はる桐の番三人。

この日松平越後守光長罪ゆるされて後。初てまうのぼり拜謁し奉る。〈日記〉

○廿六日奧にて猿樂あり。はてゝ宿老幷に牧野備後守成貞に時服五づゝ。松平伊賀守忠周。喜多見若狹守重政幷に少老に四づゝ。御側幷に齋藤飛驒守三政。柳澤出羽守保明に三づゝ給ふ。また猿樂大夫に唐織一卷づゝ。其他は𥿻五疋づゝ下さる。

今朝山王の社へ御側大久保佐渡守忠高もて。太刀馬資銀進薦したまふ。〈日記〉

○廿七日松平三河守綱國罪ゆるさる。〈日記〉

○廿八日月次拜賀例のごとし。〈日記〉

○廿九日桐間番加秩給ふ者一人。

先月廿九日の夜金庫に賊いりしをもて。庫番二人。留守居與力二人。警衞怠しをとがめられ追放たる。〈日記〉

◎この月長崎の港へ立らるゝ高札にいふ。伴天れんの徒我國へ來舶の事。本邦の武具殊域に渡すこと。我國人異國へ渡海の事。我國に住居の異國人も是におなじ。以上の三條かたく停禁せらる。もし違犯せば。すみやかに嚴科に處せらるべしとなり。又奉行して唐商等に曉諭せられしは。天主教の徒我國へ渡來りしは。先年こと〴〵く誅戮せられき。はた其族徒阿媽港より發船して來る事は先に禁ぜらる。今より後事。舶もし彼族を載せ來らば。すみやかに殺戮し。同船の者も皆誅せらるべし。たとひ同船する者といへども。かくさずうたへ出ば褒賜あるべし。邪教の文書ならびに贈寄の物。ひそかにもて來らば。かならず罪に處せらるべし。もし違犯して來るものあらば。すみやかにうたへ出べし。かくしをかば同罪たるべし。重賄をもてひそかに邪徒を舶底にのせきたらば。すみやかに訴ふべし。然るときは其科をゆるし。かの重賄に倍して褒賜あるべしとなり。

又市井火をいましめらるゝの令を下さる。去年三月に同じ。

又この頃風烈しければ。委巷までも心いれ。月行事しば〳〵巡察し。きびしくいましむべし。尤路上へ水をそゝぎ。埃塵立ざらんやうにし。辻番。中番のものども。油斷なく火をいましむべしとふれらる〈憲教類典、大成令〉