常憲院殿御実紀/卷十五
常憲院殿御實紀卷十五 〈貞享四年正月に始り六月 に終る御齡四十二〉
正月
[編集]貞享四年(1647)丁卯正月元日朝會例のごとし。
今夜大雪ふる。〈日記〉
○二日慶會例のごとし。
昨夜の雪により。一門の方方使奉り魚物獻ぜらる。〈日記〉
○三日例のごとし。
謠曲初また同じ。〈日記〉
○五日山王權現の社に御側大久保佐渡守忠高代參し。御太刀一振。馬資金五枚進薦せらる。
また方々の御使を立らる。大内は高家吉良上野介義央。伊勢兩宮は織田隼人正長迢。日光の御宮は由良信濃守賴繁。靈廟は本多下野守忠平なり。上野介義央は東宮御元服の賀使をもかねしめらる。〈日記〉
○六日寺社拜賀。
七日若菜慶會恒例にからず。〈日記〉
○八日東叡山嚴有院殿靈廟に御詣あり。大久保加賀守忠朝。阿部豐後守正武。少老秋元但馬守喬知豫參し。井伊掃部頭直該先導し。牧野備後守成貞御簾をかゝげ。喜多見若狹守重政御太刀もち。齋藤飛驒守三政御刀の役し。柳澤出羽守保明御沓奉り。水戸宰相光圀卿。尾張中將綱誠卿陪拜せらる。供奉。行列等は例にかはらず。〈日記〉
○九日御誕辰によて群臣に餅酒を賜ふ。〈日記〉
○十一日具足御祝あり。連歌興行また同じ。松の色やうたがひもなき千代の春〈昌陸〉長閑なる巢をたのむ鶴の子〈御句〉八重にたつ霞の洞はかこかにて〈昌純〉この日先手頭土岐十左衞門賴親は鎗奉行となり。書院番安部助九郞信厚はその組頭となり。小十人頭細井金五郞勝行は先手頭になる。〈日記〉
○十三日京に進らせ給ふ儀物を御使に授らる。内に銀百枚。蠟燭千挺。院に五十枚。三百挺。東宮に五十枚。中宮に三十枚。また東宮御元服により二百枚幷に樽。肴進らせらる。内侍に金廿枚。傳奏に金一枚づゝたまふ。〈日記〉
○十五日月次拜賀あり。〈日記〉
○十七日紅葉山御宮御參あり。先導は保科肥後守正容。御簾牧野備後守成貞。御太刀喜多見若狹守重政。御刀齋藤飛驒守三政。御沓は柳澤出羽守保明。豫參は大久保加賀守忠朝。陪拜は紀伊中納言光貞卿。水戸宰相光圀卿。尾張中將綱誠卿つかふまつられ。供奉。行列例のごとし。肥後守正容。松平越中守定重。戸田釆女正氏定。水野美作守勝種辻固を役す。
けふ使番安藤九郞左衞門重玄日光山目付代仰付らる。〈日記〉
○十八日歳星熒惑尾宿に合し。光芒相及べり。〈憲廟實錄〉
○二十日東叡山大猷院殿靈廟御詣あり。戸田山城守忠昌。幷に稻垣安藝守重定豫參し。井伊掃部頭直該御先を導き。山城守忠昌御簾をかゝげ。喜多見若狹守重政御太刀。齋藤飛驛守三政御刀。柳澤出羽守保明御沓の役し。紀伊中納言光貞卿。水戸宰相光圀卿。尾張中將綱誠卿陪拜せらる。行列。供奉例のごとし。
今朝高家由良信濃守賴繁日光山より歸謁し奉る。〈日記〉
○廿四日三緣山台德院殿靈廟に詣させたまふ。保科肥後守正容御先を導き。阿部豐後守正武御簾をかゝげ。喜多見若狹守重政御太刀をもち。齋藤飛驒守三政御刀をさゝげ。柳澤出羽守保明御沓の役し。御傘は戸田金次郞直久なり。豫參は豐後守正武幷に秋元但馬守喬知及び曾我周防守助興。辻固は井伊掃部守頭直該。松平下總守忠弘。松平隱岐守定直。榊原虎之助政邦役し。紀伊中納言光貞卿。水戸宰相光圀卿。尾張中將綱誠卿陪拜せらる。古岩住職して後。はじめての御詣なれば。古岩に銀二百枚たまはり。役僧に十枚づゝ下さる。
今朝本多下野守忠平日光山より歸り謁す。〈日記〉
○廿五日寄合松平甲斐守勝以小姓になる。〈日記〉
○廿七日日光門跡天眞法親王歸寺ありければ。高家土岐出羽守賴晴もて慰勞したまふ。〈日記〉
○廿八日月次拜賀例のごとし。
船手頭秋山十兵衞正勝に船庫修理料を給ふ。
けふ各所へ令せられしは。すべて人宿あるは牛馬宿その外も。生類重くなやめば。いまだ死せざる中に捨るよしほゞ聞えたり。さるひが事ふるまふ者あらば。きびしくとがめらるべし。ひそかにかゝる事なすものあらば。うたへ出べし。黨與たりともその罪をゆるし。褒賜あるべしとなり。またこたびかく令せらるれば。貧賤のものは畜養しかぬる事もあるべければ。市人は町奉行。公料は代官。諸驛は道中奉行。私領は地頭へ。其よしうたへ出べしとなり。〈日記、大成令〉
○三十日この廿三日京にて皇太子御元服ありし旨。所司代より注進あり。〈日記〉
二月
[編集]○二月朔日日光山門跡天眞法親王はじめ。台宗の僧侶拜賀恒例のごとし。妙毘兩門より卷數。符籙。薰物進らせらる。
今朝織田隼人正長迢伊勢よりかへり謁す。〈日記〉
○三日桐間番山本八右衞門邑旨。渡邊久藏廣小姓となる。
桐間より書院に歸番するもの一人。
また小納戸松平理兵衞伊行は一柳土佐守末禮にあづけられ。加藤源太左衞門正岑は本多肥後守忠英にあづけらる。錠口封印の事不敬ありしをもてなり。〈日記〉
○四日臺所頭天野五郞大夫正勝八丈島に遠流せらる。庖所の井に猫落て死せし事によてなり。其子二人は鳥居左京亮忠則にあづけらる。〈日記〉
○五日二丸にて桂昌院殿をむかへ給ひ猿樂の御饗あり。御みづから高砂。八島。是界。安宅。舟辨慶をまはせ給ふ。東北は阿部豐後守正武。藤榮は黑田三五郞直邦。鶴龜は齋藤飛驒守三政つかふまつる。〈日記〉
○六日水戸少將綱條朝臣歸着ありければ。戸田山城守忠昌して慰勞せらる。〈日記〉
○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉
○十日臨時朝會あり。
水戸少將綱條朝臣參覲の拜謁あり。家司も同じ。
松平大和守直矩子久太郞基知。高家土岐出羽守賴晴が子左京賴茂初見し奉る。
使番齋藤左源太利長。書院番大道寺權内直富坂城目付にさされ暇給ふ。〈日記〉
○十一日儒役林春常信篤繁劇に事奉はり。こと更しば〳〵進請するをもて法印に叙せられ。家例により弘文院と稱すべき旨仰を蒙る。〈日記〉
○十三日大番にいる者九人。〈日記〉
○十四日次番齋藤新八郞正高。猿樂より拔擢蒙りし恩惠を忘れ。不受不施といへる邪宗にかたむき。其宗旨を改むべからずと抗言するをもて。三宅島に遠流せらる。よて父兄弟も各遠流に處せらる。〈日記〉
○十五日月次拜賀例の如し。
高家吉良上野介義央京より歸謁す。〈日記〉
○十六日日光門跡より聞えあげられしは。高巖院殿世を早うし給ひしにより。當代御對面もなく。其上御養子の御契約もあらざりしかば。御養母と稱すべきにあらず。御嫡母と定めらるべし。しかれば桂昌院殿の方重き事勿論なり。されど潜邸の時の御生母なれば。其戚屬は半減の忌服と定らるべし。この事明悉に査覈し。京にもつげて大内の古例をも搜索し聞え上れば。かく定め給ふべき旨なり。よて群下までもこの旨を守るべしとふれらる。
また代官に令せられしは。各所放鷹の地にて。夏冬によらず。忍びて鷹つかひ。且餌差と僞る者來り殺生せば。撿察して其ものゝ踪跡を逐て預けをき。速にうたへ出べしと。放鷹地にかゝれる村々へ。きびしく告諭すべしとなり。〈大成令、日記〉
○十七日紅葉山御宮に戸田山城守忠昌代參す。
日光山目付代を使番庄田小左衞門安利に命ぜらる。〈日記、年錄〉
○十八日先手頭山岡十兵衞景助長崎奉行となり。加祿五百石たまひ。小十人頭北條新左衞門元氏。西城裏門番頭牧七左衞門長高院附となり。ともに五百石加秩せらる。小姓組與頭丹羽權兵衞信氏は先手頭となり。書院番戸田喜右衞門忠重は小十人頭となる。〈日記〉
○十九日小納戸石原太郞左衞門政勝。美濃部彌兵衞貞恒。平野甚右衞門勝重小普請に入らる。〈日記〉
○二十日東叡山大猷院殿靈廟に大久保加賀守忠朝代參す。〈日記〉
○廿一日水戸少將綱條朝臣より土宜とて。料紙硯の箱。臺のうへに純子三卷奉らる。
けふ市井に令せられしは。飼犬の毛色簿書にしるし。もし犬見えざる時は。何方よりか他の犬をつれ來り。其員數を合するよしの聞えあり。畢竟人々をして生類愛養せしめらるべきの盛意にて。しば〳〵令し下さるゝ所に。實意あらざる擧動なれば。今より後飼犬見えざる時は。成べきほど尋ね出べし。もしなをざりにするものあらば。所屬へうたふべし。他の犬まからば。これもよく畜養し。その主しれば還しやるべしとなり。〈日記、年錄〉
○廿二日臺のうへ花圃へ遊覧し給ふ。よて留守居杉浦内藏允正綱もて杉折。肴進らせらる。〈日記〉
○廿三日小姓松平甲斐守勝以ゆるされ寄合になる。〈日記〉
○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。牧野備後守成貞代參す。これは此ほど犬の令下されし時。老臣等御旨をあやまりし事をもて。御前をはゞかりしにより。御側用人代參つかふまつりしなり。この日老臣等みなゆるされて進見す。〈日記、御徒方万年記、年錄〉
○廿五日廊下番より桐間に入番一人。〈日記〉
○廿六日桐間に初て番頭二員を置る。留守居番奧山藤十郞重正。目付米倉六郞右衞門昌尹これを命ぜらる。
持弓頭中根主税正和盜賊考察を命ぜらる。
けふ諸大名へ令せられしは。封地獻物の内。鳥類は一年に一度たるべし。もとも其數少かるべし。其時諸老臣へも一度は贈るべし。獻ぜざるときは贈遺すべからず。活鱗。貝介は獻ずべからず。老臣にも贈るべからずとなり。また老臣へ贈遺は。鯛。鱸。石鰈。比目魚。あまだひ。もうを。鮎。はたしろ。この他も輕き魚物は贈るべしとなり。〈日記、令條記、憲教類典〉
○廿七日桐間番より小普請に入らるゝ者五人。
けふ令せられしは。食料とて。魚。鳥を蓄養してうりひさぐこと。今より後かたく停禁すべし。鷄。龜もこれに同じ。但し翫弄のために魚鳥飼ふことはゆるすべし。鷄。龜。貝類に至る迄。食料とては一切飼置べからずとなり。〈日記、令條記〉
○廿八日月次なり。
松浦肥前守鎭信參覲す。
蘭人御覧あり。獻物は珊瑚。瑪瑙六十一顆。猩々緋一種。羅紗三種。羅脊板一種。金入一種。純子一種。海黃一種。縐紗二種。綸子一種。紗綾一種。更紗一種。縞布四種。糸卅把。油一種。酒二壼なり。〈日記〉
三月
[編集]○三月朔日月次なり。
松平右衞門佐光之はじめ。就封の暇給ふもの九人。五島佐渡守盛暢。大村民部少輔純眞參覲す。
院附北條新左衞門元氏。牧七左衞門長高西上のいとまたまふ。新左衞門元氏養子五左衞門氏如。幷に大番の子七人初見し奉る。
この日家門より。上巳の賀とて樽。肴獻ぜらる。〈日記〉
○三日上巳恒例のごとし。〈日記〉
○五日蘭人に暇給ひ。時服下され。條約よみ聞しむること例のごとし。
こたび京の御卽位によて。進獻の制を令せらる。大内へ三十万石以上銀三十枚。十万石以上二十枚。五万石以上十枚。本院。新院へ三十万石以上二十枚。十万石以上十枚。五万石以上五枚。中宮へ三十万石以上十枚。十万石以上五枚。五万石以上三枚。但五万石以下にても。四品以上は上に同じく獻ずべしとなり。〈日記〉
○六日小普請より桐間に入番するもの三人。〈日記〉
○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉
○九日持筒頭久永源兵衞重之。先手頭金田惣八郞正親。使番櫻井庄之助勝正ともに病免して寄合になる。〈日記〉
○十日酒井河内守忠擧奏者番となり。寺社奉行を兼しめらる。
目付堀七郞右衞門利爲は先手頭となり。書院番駒井右京親行は小姓組與頭となり。高林彌一郞利之は小十人頭となり。寄合永井彦兵衞元孝は西城裏門番頭となる。〈日記〉
○十一日千代姫御方まうのぼりて猿樂の御饗あり。八丈紬五十反。緋縮緬廿卷。純子五卷。繻子十卷。色糸十斤。提重一合。狩野洞雲。柳雪兩筆の畫屛風を賜ひ。供奉の男女ともに賜物差あり。中將綱誠卿よりも使もて肴進らせらる。〈日記〉
○十三日尾張中納言光友卿參府によて。戸田山城守忠昌して慰勞せらる。〈日記〉
○十四日臨時朝會あり。中納言光友卿拜謁せらる。家司も同じ。
小堀和泉守政恒參覲し。松平和泉守乘春はじめ。就封の暇給ふ者三人。
京にて御讓位〈靈元院〉。御受禪〈東山院〉ありし賀使命ぜられ。高家畠山民部大輔基玄いとま給ふ。大内に銀三百枚。小袖三十。本院。新院に銀二百枚。綿百把。各御太刀そひたり。中宮に銀百枚。女五宮に五十枚進らせらる。一條關白兼輝公に御太刀。銀五十枚。傳奏に金一枚づゝ。内侍に銀三十枚くださる。〈日記〉
○十五日月次拜賀例のごとし。〈日記〉
○十六日兩番。小普請より桐間に入番五人。〈日記〉
○十七日紅葉山御宮に戸田山城守忠昌代參す。
使番赤井五郞作忠廣日光山目付代命ぜらる。〈日記、年錄〉
○十九日水戸宰相光圀卿に大久保加賀守忠朝。尾張中將綱誠卿に阿部豐後守正武御使し。各就封のいとま給ふ。
御側用人牧野備後守成貞。其子美濃守成時ともに溫泉のいとま下さる。
この日桐間番より小普請にいるもの三人。〈日記〉
○二十日東叡山大猷院殿廟廷に大久保加賀守忠朝代參す。〈日記〉
○廿一日不時朝會あり。
水戸宰相光圀卿。尾張中將綱誠卿辭見せられ。饗給ひ鷹馬を下さる。家司も同じ。
松平讃岐守賴常。南部信濃守行信參覲す。〈日記〉
○廿二日小石川離第にならせ給ふ。諸老臣。御側供奉す。〈日記〉
○廿三日院御料七千石を進らせらる。
この日徒頭松田六郞左衞門貞長。小十人頭板橋與五左衞門季盛ともに廊下番頭となる。これ創設の職なり。
藤堂和泉守高久母の病により。看侍のため參府の御ゆるしあり。〈日記〉
○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉
○廿五日先手頭水野藤右衞門元政持筒頭となり。目付中島孫兵衞盛忠先手頭となり。使番村瀨伊左衞門重房留守居番となり。使番佐久間宇右衞門信就。近藤五左衞門用章。徒頭島田十兵衞利由。新番組頭德永十左衞門昌清はともに目付となり。小姓組柴田三左衞門勝門。桑山伊兵衞元稠。石丸數馬定勝。青木新五兵衞茂武。書院番松前八兵衞嘉廣は使番となる。
また小普請より桐間番となるもの二人。
小納戸柳澤出羽守保明乘輿の御ゆるしあり。
牧野備後守成貞浴湯にまかるにより。御手づから羽織。伽羅を給ふ。
尾張中納言光友卿より土産とて。机。硯箱。御臺所に色紙短尺箱をさゝげらる。〈日記〉
○廿六日各處へ令せらるゝは。生鳥飼事停禁すべし。しかし鵞。鶩幷に唐鳥などの山野に住なれざるは。はなちさらば飢渴すべければ其儘にをくべし。卵を生ぜばよく畜養し。請ふものへやるべし。雞を絞殺して賣買する事あるべからず。龜飼こと一切禁ずべし。筍を設け魚貯へ置て賣るべからずとなり。〈令條記〉
○廿七日こたび京にて、御讓位御受禪ありしをほがれて。家門より使奉らる。
先手頭間宮庄五郞信政。宮崎織部重政病免して寄合となる。〈日記〉
○廿八日月次なり。
使番大岡忠四郞忠方。小姓組柘植五大夫正信大坂目付はてゝ歸り謁す。〈日記〉
○廿九日紅葉山。寬永。增上の兩寺御宮。靈廟に新笋を進薦せらる。〈日記〉
◎この月令せられしは。出替りの奴僕。ひさしく浪人となしをくべからず。この三十日以前にたゆまず奉公せしむべし。保人となりて諸邸に人出し。奉公せしむるもの。邸中の人を下請とする事あるべからず。同邸の中にて下請をなさしめしものは。たとひうたへいづる事有とも。其時上裁あるべからずとなり。〈大成令〉
四月
[編集]○四月朔日月次拜賀例のごとし。
甲府家老戸田伊勢守輝道御卽位により。京にまかるをもて暇たまふ。〈日記〉
○二日前月廿六日京にて御讓位。御受禪あり。院。女院ともに。仙洞御所にうつらせ給ひ。新院は仙洞。女院は新上西門院と稱せられ。一條關白兼輝公は攝政宣下ありし旨京職より注進あり。〈日記〉
○五日歳暮に服奉りし人人に御内書を賜ふ。〈日記〉
○六日牧野備後守成貞塔澤の湯あみにまかりたるをもて。奉書してとはせらる。
今日令せらるゝは。諸組與力。同心。闕を補ふ事。每度宿老。少老にうたへ指揮うくべしと。さき〴〵令せられしかど。今より後は官長僉議して補ふべし。但ゆかりなき者を養子とし。番代を請がごときは伺ふべし。鷹師より分配せし同心の闕を補ふ時は。ゆかりあるものなりともうかゞふべし。これは鷹師等さきに諸組に分配せられしかど。猶殘りし者あればなり。分配はてゝ。前々のごとく官長心のまゝに補すべしとなり。〈日記〉
○七日京御卽位の慶賀使を立らる。保科肥後守正容奉はり。高家大澤右京大夫基恒差添命ぜられ。ともに暇給ふ。よて今上に城州國行の御太刀。銀五百枚。綿五百把。本院〈明正院〉御太刀。銀二百枚。綿三百把。仙洞に備前延房の御太刀。銀二百枚。綿三百把。女院に銀百枚。綿二百把。女五宮に五十枚。百把進らせられ。攝政兼輝公に御太刀。銀百枚。兩傳奏に御太刀。銀五十枚づゝ。内侍に銀五十枚。大乳人に三十枚なり。
日光山この五日雹ふり大雷し。神橋の内へ雷震せるむね。かの地の目付より注進あり。〈日記〉
○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。戸田山城守忠昌代參す。
日光門跡天眞法親王を高家吉良上野介義央してとはせらる。これかの山雷震の事によてなり。〈日記〉
○九日目付稻生五郞左衞門正照日光山より歸謁す。
こたび前令にそむき。病馬を荒地に棄たるもの十人を追捕して。遠流せしめらる。〈日記〉
○十日臨時朝會あり。
松平伯耆守綱清はじめ。參覲拜謁するもの十五人。
小石川御殿番保泉市右衞門某が奴僕。犬を斬たるをもて八丈島に遠流し。市右衞門は俸祿を收公せらる。〈日記〉
○十一日高家土岐出羽守賴晴は日光山御宮代參。山口修理亮重貞。米津伊勢守政武は祭禮奉行。土井周防守利益は靈廟代參命ぜられ。ともに暇給ふ。
松平伊豆守信輝は仙波御宮修理の加役仰付らる。
けふ令せられしは。生類愛憐のこと。先々も令せられしに。こたび武州寺尾田。代塲兩村のもの。病馬をすてし事ひが事なれば。死刑にも處せらるべけれど。こたびはまづ遠流せしめらる。今より後違犯せば重く罪せらるべしとなり。
また令せらるゝは。捨子あらばすみやかにうたへ出るに及ばず。其土人等介抱して養育するか。あるはこひ出るものあらばつかはすべし。禽獸の類。人の疵付たらんあらば。これまでのごとくうたへ出べし。禽獸互に爭鬪せるか。またはみづから傷つけたらんはうたへ出るに及ばず。よく養育して。其主あらんはかへし遣はすべし。主なき犬は食物をあたへざるよし聞ゆ。必竟食物をあたふれば。其あたへしものゝ犬のごとくなり。のちまでもかゝづらふ事ありとおもひ。いたはらぬもありと聞ゆ。いとひがごとなり。今より後。かゝるふるまひあるべからず。飼犬死せば所屬へうたへ出るよし聞ゆれど。別儀なきはうたふるに及ばず。犬のみにかぎらず。すべて生類は。人々慈愛の心を本とし。あはれむ事を要とすべしとなり。
また諸國へ令せられしは。質田圃とりしもの賦税出さず。質地につかはして田圃失ひしものより。租税。徭丁をつとむるよし聞ゆ。いとひが事なり。かたく停禁すべし。
田畑永代賣買のことは。先にも令せられしごとく。いよ〳〵制禁たるべしとなり。〈日記、令條記、大成令〉
○十二日日光山御宮。靈廟の邊に七竈と梓とを植べき旨かの地に令せらる。これは雷を避るものなればとてなり。
門跡天眞法親王登山により。高家織田隼人正長迢して。龍眼肉一匣を遣はさる。〈日記〉
○十四日臨時朝會あり。
高家畠山民部大輔基玄京より歸り謁す。
松平加賀守綱紀はじめ。參覲拜謁するもの十七人。
御側用人牧野備後守成貞湯浴はてゝかへり謁す。〈日記〉
○十五日月次なり。
美濃衆三人參謁す。〈日記〉
○十七日紅葉山御宮に御參あり。井伊掃部頭直該御先を導き。牧野備後守成貞御簾をかゝげ。喜多見若狹守重政御太刀。齋藤飛驒守三政御刀。柳澤出羽守保明御沓の役し。大久保加賀守忠朝。阿部豐後守正武。秋元但馬守喬知豫參し。尾張中納言光友卿。紀伊中納言光貞卿。水戸少將綱條朝臣陪拜せられ。榊原虎之助政邦。酒井左衞門尉忠眞。水野美作守勝種。戸田釆女正氏定辻固す。供奉。行列例のごとし。
この日使番保科主税正靜日光山目付代仰付らる。〈日記、年錄〉
○十八日桐間番より小姓組に歸番するもの一人。〈日記〉
○十九日高家畠山民部大輔基玄從四位上にのぼる。大内の御使せし時。勅許の旨によらるゝ所なり。
林奉行いとま下され。豆州の山林を巡察せしめらる。〈日記〉
○廿日東叡山大猷院殿靈廟に詣給ふ。先導は井伊掃部頭直該。御刀は喜多見若狹守重政。御沓は若藤杢右衞門高豐。豫參は大久保加賀守忠朝。阿部豐後守正武。陪拜は尾紀兩卿。水戸少將綱條朝臣つかふまつらる。供奉。行列例のごとし。
この日高家土岐出羽守賴晴。祭禮奉行米澤伊勢守政武。山口修理亮重貞日光山よりかへり謁す。〈日記〉
○廿一日桐間番井上千之助正強小姓となる。〈日記〉
○廿三日不時朝會あり。
松平陸奧守綱村はじめ。就封のいとま給はるもの十八人。稻葉丹後守正往はじめ。參覲拜謁するもの七人。〈日記〉
○廿四日三緣山台德院殿廟廷に。大久保加賀守忠朝代參す。
土井周防守利益日光山よりかへり謁す。〈日記〉
○廿七日稻葉丹後守正往この後表向より出て拜謁すべし。座班は普第四品の上首たるべき旨仰下さる。〈日記〉
○廿八日月次朝會例のごとし。
信濃衆三人拜謁す。〈日記〉
○廿九日不時朝會あり。
細川越中守綱利はじめ。就封の暇たまはるもの二十二人。
來月參向公卿の館伴仰付らる。勅使は中川佐渡守久恒。本院使は津輕越中守信壽。仙洞使は秋月佐渡守種信。女院使は田村右京大夫建顯なり。
この日紅葉山御宮。東叡三緣兩山の靈廟に瓜茄を進薦せらる。〈日記〉
○三十日御座所にて猿樂あり。
この廿八日中門の番せし持筒頭水野藤右衞門元政が所屬の賤吏等。門上に集たる鳩を礫にてうちたるよし聞ゆるにより。前にしば〳〵令せられし群生愛護の旨にそむけりとて。與力。同心こと〴〵く遠慮せしめらる。〈日記、年錄〉
五月
[編集]○五月朔日月次朝會あり。
織田山城守長賴はじめ。參覲拜謁するもの三人。〈日記〉
○二日端午をほぎて。例の家々より時服を獻ず。
先月廿八日京にて御卽位有しよし。所司代より注進あり。〈日記〉
○三日二丸にて猿樂あり。家門。庶流の人々幷に松平加賀守綱紀。松平下總守忠弘。安藤對馬守重博。牧野駿河守忠辰。松平備前守正信。有馬左衞門佐清純。大久保安藝守忠增。戸田能登守忠盈。土屋相摸守政直。内藤丹波守清𢪛見る事をゆるさる。樂の御所作は白髮。道成寺。自然居士なり。田村は村越三十郞正弘。東北は牧野備後守成貞。海人は齋藤飛驒守三政。祝言は黑田三五郞直邦役す。事はてゝ。三家の願とて。また舟辨慶をまはせ給ふ。
この日家門幷に松平加賀守綱紀には奇南香を賜ふ。〈日記〉
○四日群臣みなまうのぼり。老臣に謁して。京の御卽位を賀し奉る。〈日記〉
○五日端午例のごとし。〈日記〉
○六日諸大名より樽肴獻じて御卽位を賀し奉る。
駿城戍役の書院番頭秋元隼人正時朝大病により。免職の事を。その同僚につたへらる。〈日記〉
○八日雨ふりければ東叡山御詣なし。嚴有院殿靈廟に戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉
○九日臨時朝會あり。
佐竹右京大夫義處。松平壹岐守仲澄就封のいとま給ふ。三宅土佐守康勝參覲す。
本多彈正少弼忠晴子大藏忠直。水野隼人正忠直次男刑部忠富。久能山守護榊原越中守照清子内記照親。駿府城番本多忠左衞門正之子市左衞門正芳。幷に大番子三人初見し奉る。
この日小姓組番頭瀧川長門守利錦は書院番頭となる。
また小姓渡邊久藏廣。小納戸村越三十郞正弘小普請に入らる。〈日記〉
○十日南部遠江守直政にあづけられし伊東淡路守基祐。本多長門守忠利にあづけられし設樂助右衞門貞親。小姓組新庄與惣右衞門直恒にあづけられし小澤次郞大夫重成。追放せられし伊東甚右衞門某。小林半助政重。古田久兵衞某。猿樂喜多七大夫みな赦を蒙る。主上御卽位により。非常の大赦行はるゝをもてなり。
坂城在役の大番頭安藤丹波守重廣大病により。其子作十郞信富看病の暇給ふ。
勘定頭土屋備前守朝直。作事奉行加藤兵助泰茂。仙波御宮。三芳野天神の祠修理にあづかるべしと命ぜらる。〈日記、人見私記〉
○十一日桂昌院殿を二丸にむかへ給ひ。申樂の御饗宴あり。〈人見私記〉
○十二日紅葉山。寬永。增上兩寺御宮。靈廟に楊梅を進薦し給ふ。〈日記〉
○十三日小姓組番頭戸田長門守忠利は水戸。松平下野守信周は名古屋。各存問の御使命ぜられいとま給ふ。
瘍醫奧宗印某この朔日殿中にて失心せるにより。先手頭加藤勘右衞門正元にあづけらる。〈日記〉
○十四日寺社奉行坂本内記重治。本多淡路守忠周奉職無狀とて。職うばはれ。逼塞命ぜらる。
桐間番より兩番へ歸番四人。
また桐間番駒井半左衞門親澄は小納戸命ぜらる。
小姓中山下野守直好は小普請に入らる。
二丸番となる者一人。〈日記〉
○十五日月次なり。一條右大臣兼輝公使もて太刀銀馬代。縮緬さゝげられ。攝政宣下を謝せらる。〈日記〉
○十七日紅葉山御宮御參あり。井伊掃部頭直該先導し。喜多見若狹守重政御太刀。松前作右衞門當廣御沓の役す。其他陪拜。豫參。行列は例のごとし。〈日記〉
○十八日老臣山城守忠昌子奏者番戸田能登守忠眞。米津伊勢守政武ともに寺社奉行をかねしめらる。
能登守忠眞は新に一万石をたまふ。
小普請永井壹岐守直增幷に小姓組。書院番。小普請より桐間に入番七人。桐間番。小普請より大番に入もの十四人。〈日記〉
○廿日紅葉山大猷院殿靈廟御詣あり。先導は井伊掃部頭直該。御刀は喜多見若狹守重政。御沓は曾我七兵衞祐忠なり。其他は例のごとし。〈日記〉
○廿一日家門幷に松平加賀守綱紀を二丸にめして。猿樂をなさしめ給ふ。高砂は紀伊中將綱教卿。八島は甲府宰相綱豐卿。社若は紀伊中納言光貞卿。梅枝は松平加賀守綱紀。殺生石は水戸少將綱條朝臣。猩々。亂は尾張中納言光友卿役せらる。松平刑部大輔賴元。井伊掃部頭直該も皷吹の役す。この日能つかふまつる人々より肴獻ぜらる。また鶴姫御方より菓子さゝげらる。この半に幄の屋に檜重をたまふ。
女院使の館伴秋月佐渡守種信病によて。田村右京大夫建顯にかへ命ぜらる。〈日記〉
○廿三日紀伊中納言光貞卿のもとに。大久保加賀守忠朝御使して就封のいとま給ふ。〈日記〉
○廿四日紅葉山台德院殿廟廷に詣給ふ。先導牧野備後守成貞。御刀喜多見若狹守重政。御沓は若藤杢右衞門高豐役す。其他例のごとし。
日光門跡天眞法親王歸寺ありければ。高家日野伊豫守資榮もて慰勞せらる。〈日記〉
○廿五日不時朝會あり。
紀伊中納言光貞卿辭見せられ。饗たまひ鷹馬をくださる。家司同じく拜し奉る。
井伊掃部頭直該はじめ。就封の暇給ふ者四人。松平大隅守光久參覲す。
京の御使せし保科肥後守正容。高家大澤右京大夫基恒かへり謁し。ともに少將にのぼせらる。これ勅旨によらるゝ所なり。〈日記〉
○廿六日公卿參着ありければ。大久保加賀守忠朝して慰勞せらる。高家吉良上野介義央これに添たり。〈日記〉
○廿七日書院番頭中根大隅守正延は大番頭になり。桐間番平田三郞左衞門勝吉。長谷川庄次郞親良。春日左太郞貞顯。大番長山彌三郞直利ともに小納戸になる。
御臺所より御使して。紀邸に餞せられ時服を遣はさる。
那湏衆。美濃衆暇給ふ。
この日甲邸より巢鷹二聯獻ぜらる。〈日記〉
○廿八日月次なり。
甲府老臣戸田伊勢守輝道京より歸謁す。これは御卽位の賀使とて。京にまかりたるなり。〈日記〉
◎この月令せらるゝは。大手。櫻田兩下馬所にて。食物うりひさぐべからずとなり。〈大成令〉
六月
[編集]○六月朔日拜賀例のごとし。
けふ三山御宮。靈廟に甘瓜を進薦せらる。〈日記〉
○二日公卿引見あり。勅使柳原大納言資廉卿。本院使小川坊城大納言俊廣卿。仙洞使東園中納言基量卿。女院使姉小路中納言公量卿拜謁あり。當今。兩院。女院より歳首の賀物例のごとし。また御元服により。内より御太刀金一枚。御讓位。御受禪により。禁裏より御太刀金二枚。縮緬廿卷。兩院より金二枚づゝ。女院より紗綾十卷。御卽位には主上より備前長船の御太刀。金二枚。兩院より御太刀目錄。女院より金一枚なり。女五宮よりも樽代千疋。白鳥一隻さゝげらる。其他攝家。親王。門跡の使者。諸工人。伶官もの奉り。拜謁すること例のごとし。中納言基量卿はこと更に太刀目錄さゝげて。院の傳奏命ぜられしを謝し聞え上らる。
小十人頭三島清左衞門政識病免して寄合になる。〈日記〉
○三日高家大澤右京大夫基恒もて。公卿の旅館に一種一荷つかはさる。〈日記〉
○四日公卿饗應舞樂あり。翁。三番叟。高砂。田村。東北。熊坂。祝言。狂言二番。福の神。比丘貞なり。少老稻垣安藝守重定能始。奏者番大久保安藝守忠增呉服渡の役す。こたび赦蒙りし猿樂喜多七大夫直景廊下番命ぜられ。廩米二百苞給はり。中條加兵衞と改稱す。
伊藤甚右衞門某。古田久兵衞某。小林半助政重二丸番となる。また小普請より桐間に入番一人。〈日記〉
○五日公卿辭見あり。京に御謝詞仰せ進らせ給ふ。勅使に銀三百枚。綿二百把。本院使に銀二百枚。時服十。仙洞使もおなじ。女院使に銀二百枚。時服六たまひ。その他の使臣。工人等賜物例のごとし。臺の上より留守居番岩瀨吉左衞門氏朝もて。勅使に時服十。兩院使。女院使に六づゝをくらせ給ふ。また石井侍從行康。日野西侍從國賢。愛宕侍從通晴に方領百石づゝ賜はるむね。傳奏衆に仰付らる。〈日記〉
○六日小姓組番頭大草主膳正高盛病免して寄合になる。
けふ公卿兩山參詣により。東叡は松平伊豆守信輝。土井周防守利益。永井伊賀守直敬。松平備前守正信。三緣は有馬左衞門佐清純。青山播磨守幸督に警衞せしめらる。寺社奉行。目付。徒頭まかる事例のごとし。〈日記〉
○七日公卿歸洛の發程あり。
この日三山御宮。靈廟に新米を進薦せらる。
醫員坂實庵宗眞。服部了伯清信日記のことつとめしをゆるされ。もとのごとく表醫に列せしめらる。〈日記〉
○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉
○九日不時朝會あり。
阿部對馬守正邦はじめ。參覲拜謁するもの十三人。
書院番組頭榊原釆女政喬。小姓組日向傳右衞門正知。書院番猪飼五郞大夫正冬はともに先手頭となり。書院番角南主馬重秀は徒頭となり。小姓組小笠原七左衞門信直。東條平右衞門長矩は小十人頭となる。
小姓組番頭戸田長門守忠利は水戸より歸り。松平下野守信周は尾張よりかへり。ともに謁し奉る。
この日三家。甲邸。及び松平加賀守綱紀に巢鷂をつかはさる。
また尾邸より巢鷹を獻ぜらる。〈日記〉
○十二日土用に入ければ。驛送して禁裏に氷糖。熨斗鮑をつかはさる。〈日記〉
○十三日臨時朝會あり。
松平肥前守綱政はじめ。參覲拜謁するもの九人。
この日小姓組番頭仙石因幡守久信は書院番頭となり。書院番組頭土屋甲斐守朝直。寄合大久保淡路守教福。阿部兵庫正房ともに小姓組番頭となる。また鷹匠頭清水權之助政廣。久松太左衞門定久病免して小普請にいる。
土用の御けしきうかゞひて。日門より薰衣香奉らる。
出羽國由利郡撿地つかふまつりし酒井左衞門尉忠眞が家人に。時服。羽織をくださる。〈日記、年錄〉
○十四日三河の高月院幷に六所明神修理にまかる匠作の屬吏に暇下さる。〈日記〉
○十五日山王權現の祭禮により朝會なし。跳橋多門にならせ給ひ。ねりもの御覧あり。神輿は徒頭神尾飛驒守元知。稻生七郞右衞門正盛して護送せしめらる。
けふ桂昌院殿に御側曾我周防守助興御使して瓜を進らせ給ふ。〈日記〉
○十六日嘉定例のごとし。
奧右筆二人命ぜらる。〈日記〉
○十七日紅葉山御宮に大久保加賀守忠朝代參す。
使番桑山猪兵衞元稠日光山目付代仰付らる。
天眞法親王まうのぼり御對面あり。奇南香一木遣はさる。〈日記、年錄〉
○十八日臨時朝會あり。
松平下總守忠弘はじめ。就封のいとま給ふもの十九人。
先手頭神谷與七郞清房所屬の同心七人追放たれ。與力三人遠慮せしめらる。これ五月の廿二日紅葉山下門警衞の日。松平加賀守綱紀が下部。道をたがへてその門に來りしを。をしとゞめざるが故なり。
また小普請奉行の手代を增加せしめて。總計九十人とせらる。
この日奧にて猿樂の御遊あり。〈日記、年錄〉
○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉
○廿一日交代寄合溝口久助直武が家人二名死罪に處せらる。すべて無根の浮説をいひ出す事は。あらかじめ制禁せらるゝ所なり。しかるにこの者等穢多寺の記作り。序跋など書加へ。民間に流傳せしめしをもてかく罪せられき。されど久助はいまだ幼弱にて。その事しらざれば御咎なき旨。老臣して傳へしめらる。
また勘定組頭に。總代官の會計を査撿せしめらる。〈日記〉
○廿二日臨時朝會あり。
織田内記信久はじめ。就封のいとま給ふもの十九人。伊達紀伊守宗贇は初ての暇なり。
けふ令せられしは。先々天主教を奉ぜし本人。何年以前何地にて査撿のとき轉宗し。黨類うたへ出しにより。其科をゆるされ本里に歸りあるや。其子細詳にしるし出すべし。轉宗より以前邪宗の者ありて。今に至るまで預をかるゝか。または何にても産業してあるか。其子細一人かぎりに。くはしくしるし出すべし。先に邪宗を奉じ。いまだ轉ぜざる前に設し子は。男女ともに本人に同じければ。本人の中に記し入るべし。轉宗以後設けし子は。男女とも類族の中に記すべし。先々轉宗せし已後は。各必香火院あるべければ。何宗になり。常に寺に詣で。其寺へも尋常の布施をこなふや。念珠をもち。父母の忌日に詣。または己が家にも持佛を安置し。香花をも供ふるか。其旨香火院よりたしかに査撿し。また下人。奴婢もあらば。同じく査撿すべし。邪教はいふまでもなし。宗旨うたがはしき者あらば。公料は代官。私領は地頭へうたへ出べし。勿論天主教考察の奉行へも。すみやかにうたふべし。其ことにより褒賜あるべし。たとひ黨與たりとも。其罪をゆるさるべし。類族の者忌服うくべき親族。幷に聟舅査撿ししるし出すべし。此外はしるすに及ばず。尤諸親族まで他國へ放ち遣はす事はかたく禁ずべし。但つかはさずして叶ひがたきゆへもあらば。邪教を奉ぜしものゝ子孫のよしを。其地へも告しらしむべし。此旨公私領共に代官。地頭へ達すべし。何年過るとも。そのゆへ奉行へも訴へ。簿書にも改めしるさしむべし。先々邪教のもの死する時は。其骸を鹽漬し。奉行の指揮にまかすべし。類族の者死せば。撿屍して異事なくば。香火院に收葬すべし。この旨每年七月十二月兩度に。奉行へしるし出して。前に呈せし簿書を除かしむべしとなり。〈日記、年錄、大成令〉
○廿四日三緣山台德院殿靈廟に阿部豐後守正武代參す。〈日記〉
○廿五日書院に入番五人。
この日桐間番梶金平正標しば〳〵復職命ぜられしかど。志いまだあらたまらず。かつ官長の指揮を用ひざればとて。松平伊賀守忠周にあづけらる。
また桐間より二人は小姓組に歸番し。一人は小普請に入らる。〈日記〉
○廿六日小石川御殿番。大番各一人桐間に入番す。
中奧小姓秋田淡路守季久が家人。八日の御忌辰を犯し。吹矢にて燕を射たることあらはれ。一人は大辟に處し。一人は遠流せしめらる。よて季久も咎らるべけれども。精密に査撿し。かゝる犯者速に發覺せしむるをもて。其ことに及ばれざるむね。少老稻垣安藝守重定仰を傳ふ。〈日記〉
○廿八日月次なり。
松平主殿頭忠房。松平豐前守信庸參覲し。毛利甲斐守綱元就封の暇給ふ。
けふ下總鴻臺總寧寺國呑入院の謝とてまうのぼりしが。乘輿しながら中門まで罷りたるをもて。寺格にたがへりとて追返され。朝見をとゞめらる。〈日記、年錄〉
○廿九日大坂定番松平縫殿頭乘次任處にて大病煩へば。其子玄蕃頭乘成看侍の暇給ひ。また醫員奧山立庵玄起をもつかはさる。
駿州寶臺院。三河高月院幷に六所明神。高野大德院修理の事沙汰すべしと。勘定頭彦坂伯耆守重治。作事奉行戸田又兵衞直武に命ぜらる。〈日記、年錄〉
○卅日土御門兵部少輔泰福より。名越の祓を奉る。〈日記〉
◎この月山王祭禮によて。其事にあづかる市人等。刀帶ることを禁ぜらる。其他は天和三年の令に同じ。〈日記〉