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常憲院殿御実紀/卷十三

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常憲院殿御實紀卷十三 〈貞享三年正月に始り六月 に終る御齡四十一〉

正月

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貞享三年丙寅正月元日慶會恒例のごとし。〈日記〉

○二日また同じ。朝會はてゝ三丸に渡らせ給ひ。桂昌院殿に銀三十枚。一種二荷進らせられ。初春をほがせたまふ。〈日記〉

○三日例のごとし。謠曲初またおなじ。〈日記〉

○六日寺社の拜賀。七日七種の慶宴例のまゝなり。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に詣たまふ。大久保加賀守忠朝。阿部豐後守正武。松平日向守信之。少老稻垣安藝守重定。御側金田遠江守正勝豫參し。御側用人牧野備後守成貞。松平伊賀守忠周。少老太田攝津守資直。御側曾我周防守助興供奉し。保科肥後守正容先導し。備後守成貞御簾をかゝげ。喜多見若狹守重政御太刀。齋藤飛驒守三政御刀。柳澤出羽守保明御沓の役し。尾張中納言光友卿。水戸宰相光圀卿。紀伊中將綱教卿陪拜せらる。〈日記〉

○九日御誕辰によて。群臣に餅酒給ふ事例のごとし。

千代姫御方まうのぼり新春をほがせ給ふ。よて繻子。色羽二重各廿五卷つかはさる。〈日記〉

○十一日具足の御祝例のごとし。連歌興行また同じ。發句は昌程。萬代と猶祈るかな松のはな御句は。國てふ國ものどかなる山第三は昌純。貢物はこぶ關の戸年の明てとつけ奉る。

此日御側用人喜多見若狹守重政は。一万石益封ありて二万石になさる。

少老太田攝津守資直は御側用人となり。使番村越伊豫守直成は新番頭となり。中川番井上帶刀正義は百人組頭となり。小納戸柳澤出羽守保明は千石加秩たまひ。桐間番奧山甚兵衞良和。松前作左衞門當廣。都筑甚五右衞門政親。星野小左衞門某は共に小納戸に仰付らる。

又小姓組番頭内藤釆女信有大坂より歸謁し。諸大夫命ぜられて筑後守と稱す。

小姓齋藤飛驒守三政は乘輿の御免しあり。〈日記〉

○十三日高家畠山民部大輔基玄は日光御宮の代參。石川主殿頭憲之は靈廟の代參奉はり暇給ふ。

けふ三丸にならせ給ひ。桂昌尼公に二種一荷進らせらる。〈日記〉

○十五日月次拜賀あり。

大坂舟手頭須田與左衞門爲昌職ゆるされて大坂より歸謁す。

今朝山王の社へ御側用人牧野備後守成貞代參して。御太刀一振。馬資金二枚進薦せらる。〈日記〉

○十六日水戸宰相光圀卿より鹿島祓獻ぜらる。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に御參あり。豫參は大久保加賀守忠朝。幷に牧野備後守成貞。供奉は少老秋元但馬守喬知。稻垣安藝守重定。御側松平隼人正忠冬。先導は保科肥後守正容。御簾は松平日向守信之。御太刀は喜多見若狹守重政。御刀は齋藤飛驒守三政。御沓は平岡信濃守賴恒。陪拜は尾張中納言光友卿。水戸宰相光圀卿。紀伊中將綱教卿なり。

けふ使番大岡忠四郞忠方日光山目付代命ぜらる。〈日記、年錄〉

○十九日二丸番より廊下番になるもの二人。〈年錄〉

○廿日東叡山大猷院殿廟廷に詣給ふ。先導は牧野備後守成貞。御簾は大久保加賀守忠朝。御太刀は喜多見若狹守重政。御刀は齋藤飛驒守三政。御沓は柳澤出羽守保明。御傘は戸田金次郞直久。陪拜は尾張中納言光友卿。水戸宰相光圀卿。紀伊中將綱教卿。豫參は加賀守忠朝。阿部豐後守正武。松平日向守信之。幷に太田攝津守資直。若狹守重政。及び秋元但馬守喬知。供奉は備後守成貞。幷に稻垣安藝守重定及び松平隼人正忠冬なり。

今朝高家畠山民部大輔基玄日光山より歸謁す。〈日記〉

○廿一日大久保加賀守忠朝は下總國佐倉より相摸國小田原に轉ぜられ。一万石益封ありて十万三千石となされ。阿部豐後守正武は一万石加へられ九万石になられ。戸田山城守忠昌は武藏國岩槻より佐倉に轉ぜられ。一万石加へて六万千石になされ。御側用人松平伊賀守忠周は丹波國龜山より岩槻に轉封せられ。一万石まして四万八千石になさる。

又太田攝津守資直には相州助眞の御刀をたまふ。〈日記〉

○廿三日近衞左大臣基熙公簾中出産の聞えあれば。京に急脚をはせてとはせ給ふ。〈日記〉

○廿四日石川主殿頭憲之日光山より歸謁す。

この日三緣山台德院殿靈廟に御詣あり。豫參は大久保加賀守忠朝。阿部豐後守正武。松平日向守信之幷に松平伊賀守忠周。太田攝津守資直。喜多見若狹守重政。及び稻垣安藝守重定。且金田遠江守正勝。供奉は牧野備後守成貞。幷に秋元但馬守喬知。及び曾我周防守助興つかふまつり。保科肥後守正容御先を導き。備後守成貞御簾をかゝげ。若狹守重政御太刀をさゝげ。齋藤飛驒守三政御刀もち。柳澤出羽守保明御沓を奉る。陪拜は水戸宰相光圀卿。紀伊中將綱教卿なり。

また日光門跡天眞法親王歸寺ありたれば。高家大澤右京大夫基恒して慰勞せらる。〈日記〉

○廿六日久世出雲守重之備中國廣瀨より丹波國龜山に轉封せらる。〈日記〉

○廿八日月次拜賀例のごとし。〈日記〉

○三十日使番永見甲斐守重直。小姓組鈴木兵九郞重視。日光山本坊堂社營作奉行せしにより。金十枚づゝ給ふ。所屬にも賜物差あり。

使番安藤九郞左衞門重玄布衣着することをゆるさる。〈日記〉


二月

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○二月朔日日光門主天眞法親王はじめ。台宗僧侶拜賀例のごとし。妙毘兩門も使もて卷數。薰物奉らる。

今夜熒惑太白奎宿に合し。光芒相及べりといふ。〈日記、憲庿實錄〉

○二日寄合近藤織部重信中川番命ぜらる。〈日記〉

○三日堀田對馬守正英。堀田豐前守正休ともに奏者番をゆるされ外班に着しめらる。

けふ令せらるゝは。馬の尾卷くことは。雨のときは。尾先の繩一重二重はくるしからず。馬喰馬は拵馬にまぎらはしければ。一切無用たるべしとなり。〈日記、年錄、令條記〉

○四日昨日の雪によて。家門使奉られ御けしきうかゞはる。

けふ高家吉良上野介義央は大内の御使。由良信濃守賴繁は伊勢大神宮代參命ぜられいとま給ふ。例は正月の初命ぜらるれども。後西院昇遐の御事によてのべられしなり。よて内に銀百枚。蠟燭千挺。本院に銀五十枚。蠟燭三百挺。東宮に銀五十枚進らせ給ひ。内侍に廿枚。兩傳奏に金一枚づゝつかはさる。

酒井遠江守忠隆在封して病重ければ。こふまゝに醫員森雲仙容甫をつかはされ。また靱負佐忠囿に看侍の暇給ふ。〈日記〉

○五日猿樂喜多七大夫。十大夫父子。共にひが事せりとて追放たる。〈日記〉

○六日小姓永井壹岐守尚盛職うばゝれ小普請に入らる。〈日記〉

○七日高家日野伊豫守資榮暇給はり京にまかる。後西院周闋の御法會によりてなり。よて香火料銀二百枚進薦せらる。

此日令せらるゝは。馬の尾さき燒く事は。治療のためなればくるしからず。尾ぐきを切り。烙鐵あつることはなすべからずとなり。〈日記、令條記、年錄〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。

堀田對馬守正英。堀田豐前守正休普第並仰付らる。

此五月嚴有院殿七囘の御法會行はるゝにより。戸田山城守忠昌に惣奉行を命ぜらる。〈日記〉

○十四日御座處にて猿樂の御遊あり。〈日記〉

○十五日月次拜賀あり。

使番庄田小左衞門安利。書院番美濃部八郞右衞門茂直大坂目付にさゝれ。小姓組飯河傳右衞門信順は越後高田城引渡命ぜられ暇給ひ。さきに目付にまかりし使番近藤五左衞門用章。小姓組山田市郞兵衞滿明ともに。其事奉らるべしと命ぜらる。傳右衞門信順養子賴母直大初見したてまつる。〈日記、家譜〉

○十六日少老稻垣安藝守重定紅葉山御宮修理奉行を命ぜらる。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に戸田山城守忠昌代參す。

小普請奉行二人御宮修理の下づかさ仰付らる。

又使番保科主税正靜日光山目付代仰付らる。

小納戸星野小左衞門某小普請に入らる。

二丸番より廊下番になるもの一人。〈日記年錄〉

○十八日小普請より桐間番にいるもの一人。〈日記〉

○十九日來月參向公卿館伴仰付らる。勅使は京極備中守高豐。本院使は久留島信濃守通清なり。

駿城在番士落合小平次道直父の病もて。看侍の事こふまゝに歸府をゆるさる。〈日記〉

○二十日東叡山大猷院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。

增上寺方丈靈玄隱退の事を。寺社奉行坂本内記重治よりつたへしめらる。〈日記〉

○廿一日歳星月を貫く。〈憲廟實錄〉

○廿二日京にて後西院周闋御法事あれば。音樂停廢せらるゝ事二日。評定所の會議もとゞめらる。〈日記〉

○廿三日小姓組より桐間番にうつるもの三人。

先に寄合松平久馬助政武にあづけられし富士見番津久井七右衞門某死しければ。撿屍に徒目付二人。播州粟賀へ遣はさる。

けふ大目付。目付して令せらるゝは。このごろ馬の尾筋。當座拵のやうに。尾を取て牽通る馬あり。先々も令せられしごとくかたく守るべし。もし違犯のものあらば。その馬主を糺察し。うたへ出べしとなり。〈日記、年錄〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。

飯沼弘經寺古岩增上寺住職命ぜらる。

これまで知恩院。增上寺住職の僧。玄關前にて降輿する例なりしが。今より中門にて降るべしと定らる。〈日記〉

○廿五日高家由良信濃守賴繁伊勢より歸謁す。〈日記〉

○廿六日二丸にて猿樂あり。桂昌尼公も渡らせ給ふ。〈日記〉

○廿七日二丸番より廊下番となるもの三人。〈年錄〉

○廿八日月次なり。

增上寺方丈古岩三束二卷獻じ。住職を謝し奉る。

使番大田善大夫好敬。小姓頭桑山猪兵衞元稠は相州小田原城。使番大島雲四郞義高。小姓組朝比奈勘右衞門良豐は下總の佐倉城。使番藤懸釆女永次。書院番戸川杢之助安成は武州岩槻城。使番安藤九郞左衞門重玄。小姓組向坂清三郞寬政は丹波の龜山城。をの〳〵引渡命ぜられ暇たまふ。

蘭人入貢するをもて。けふ御覧あり。貢物は珊瑚珠三顆。獨角杖一本。玻璃器三十二。金入一種。猩猩緋一種。羅紗二種。縞布四種。紗綾一種。紗綸一種。縐紗二種。海黃一種。金巾一種。酒二種なり。簾前にめして樂技を奏せしめ。また奧醫瀨尾昌琢淳範に命ぜられ。通事をもて。かの國瘍醫の治療。幷に藥名等を尋問せしめられ。きこしめさる。〈日記〉

○廿九日この五月前代七囘の御法會にあづかる人々を命ぜらる。寺社奉行大久保安藝守忠增。本多淡路守忠周。勘定頭仙石和泉守政勝なり。また山中警衞。黑門。二天門は小笠原遠江守忠雄。万部經堂前は内藤能登守義孝。裏口は青山下野守忠重。清水口は土井内記利知。屛風坂は松平因幡守信興。新清水口は增山兵部少輔正彌。津梁院前は那湏遠江守資彌なり。〈日記〉


三月

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○三月朔日朝會あり。

松平丹後守光茂はじめ。就封の暇給はるもの十二人。

京極主膳正高明子主殿高之。石川主殿頭憲之三男堀尾式部勝明。高家戸田土佐守氏高子圖書氏興。小姓組番頭仙石因幡守久信子才次郞久治。寄合近藤縫殿助用由子内匠用清。諏訪兵部賴蔭子權佐賴戡。淺野内記長賢子左兵衞長武はじめ。初見するもの廿二人。〈日記〉

○三日桃節例のごとし。〈日記〉

○四日紀伊中納言光貞卿參府ありければ。大久保加賀守忠朝して慰勞せらる。

尾張中納言光友卿病臥せらるゝにより。家司竹腰阿波守正辰めして容躰を御尋あり。

信濃國飯田城主堀周防守親貞が遺領二万石を。養子又七郞親常してつがしめらる。この親貞は故美作守親昌が子なり。万治三年十二月廿八日叙爵して周防守と稱し。延寶元年九月十一日家つぎ。去年十一月八日四十六歳にて卒せしなり。〈日記、人見私記、藩翰譜續編〉

○五日尾張中將綱誠卿參府ありければ。阿部豐後守正武して慰勞せらる。

蘭人に暇たまひ時服くだされ。條約よみ聞しむる事例のごとし。〈日記〉

○六日臨時朝會あり。

紀伊中納言光貞卿。尾張中將綱誠卿參覲の拜謁あり。兩家の執事等も同じく拜し奉る。

松平主殿頭忠房就封の暇給ふ。

けふ令せらるゝは。火災のとき門をとぢ。火消役まかりても。宅内へいれざるものあるよしなり。今よりのち火消役まからば。すみやかに門をひらきいるべしとなり。〈日記、御徒方万年記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に松平日向守信之代參す。〈日記〉

○九日千代姫の御かた奧にまうのぼられ。猿樂の饗宴あり。伽羅一木。八丈紬五十反。縮緬五十卷。狩野養朴常信筆の畫屛風一双。脇息をつかはされ。女房にも賜物差あり。よて尾張中納言光友卿。中將綱誠卿より菓子獻ぜらる。

此日芙蓉間伺公の輩幷に目付に菓子をくださる。〈日記、人見私記〉

○十日高家吉良上野介義央京よりかへり謁す。〈日記〉

○十二日紅葉山假遷宮により。戸田山城守忠昌直垂着し代參す。寺社奉行坂本内記重治は大紋。留守居番。目付長袴。歩行頭半袴着し伺公す。導師は日光門主天眞法親王つかふまつらる。〈日記〉

○十三日天眞法親王のもとに。牧野備後守成貞もて硯箱。見臺を遣はさる。

中藤茂兵衞某小姓となる。〈日記、天享東鑑〉

○十四日歳暮に時服奉りける人々に御内書を頒布せらる。

高家日野伊豫守資榮京より歸り謁す。

廊下番より次番となりて。百俵加秩給ふもの一人。〈日記〉

○十五日月次例のごとし。

永井近江守直種。秋月長門守種政參覲す。

尾州熱田社修理命ぜられし小普請奉行二人いとま給ふ。

御家人の子初見一人。

堀周防守親貞が遺物備前國宗の刀を。その子又七郞親常より獻ず。〈日記〉

○十六日廊下番より桐間番となるもの一人。加秩百俵なり。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に大久保加賀守忠朝代參す。

使番村上三右衞門正尚日光山目付代仰付らる。〈日記、年錄〉

○十八日尾張中納言光友卿病いゑてまうのぼらる。

紀伊中納言光貞卿土宜とて。狩野興益筆和哥。吹上兩浦眞景の畫屛風一双。御臺所へ文匣。桂昌院殿へ卷物臺。傳局へ番爐筥。尾張中將綱誠卿より刀架。臺のうへに櫛臺をさゝげらる。

この日寄合松平酒之丞輝貞。戸田孫十郞光正。一柳權之丞直增。大久保彦兵衞忠庸。東叡山御法會のとき火番を命ぜらる。

また公卿參着ありければ。松平日向守信之して慰勞せらる。高家大澤右京大夫基恒そひたり。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。

淺草靈山寺檀林再興によて。新に增上寺伴頭鑑了をして住職せしめらる。〈日記〉

○廿一日公卿引見あり。勅使柳原大納言資廉卿。千種中納言有維卿。院使小川坊城前大納言俊廣卿拜謁あり。東宮。女御の兩使は勅使にてかねたり。歳首の御進物例のごとし。三使の獻物また同じ。前大納言俊廣卿別に太刀銀馬代奉り。院の傳奏命ぜられしを謝し奉る。其他攝錄。竹園。門跡。内侍の使。伶人。工人。公卿の家司等もの奉り拜謁す。

けふ淨德院殿附の小姓にて小普請に入し永井下野守尚昌はじめ三人。桐間に入番す。

また火消役をめして。昨夜京橋の火災。時を移して燒ひろごれり。風もなき折から。早く消滅する事あたはず。勅使在府の間騷擾にをよびし事。心いれざるがいたす處なり。よろしく後來をいましむべしと仰付らる。

けふ令せられしは。官にて刑行はれし時。その首級。府より各國の郷村へ遣はされしとき。驛々にて持夫多く出すよし聞ゆ。首級のみなるに。驛宿さしてこゝろ用ゆべきにもあらざれば。今より首級持夫は。二三人にて驛途すべしとなり。〈日記、大成令〉

○廿二日市街に令せらるゝは。市井家持。借地。借屋のものまでも。火たき所を。其地の名主。月行事家ごとに巡り。つばらに點撿し。竈其他火たき所の屋根近きか。または火のためにたよりよからぬは。すみやかに改造せしむべし。もし心いれずして失火せば。きびしくとがめらるべしとなり。〈年錄〉

○廿三日公卿の旅館に高家畠山民部大輔基玄御使し。鶴幷に酒樽をつかはさる。

この日桐間番三人小姓組。書院。大番に復せらる。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿廟廷に。松平日向守信之代參す。

けふ公卿兩山參詣により。上野は松平對馬守近禎。永井伊賀守直敬。小笠原遠江守忠雄。芝は久世出雲守重之。永井近江守直種。内田出羽守正衆して警衞せしめられ。高家。寺社奉行。目付。徒頭もまかる。〈日記〉

○廿五日公卿饗應の猿樂あり。曲は翁。三番叟。高砂。田村。東北。鞍馬天狗。猩々。狂言二番。福神。狸なり。能始は少老稻垣安藝守重定。呉服渡は奏者番永井伊賀守直敬役す。〈日記〉

○廿六日公卿辭見あり。勅使に各銀二百枚。綿百把。院使に百枚。時服六。其已下の使番。工人。伶人の賜物例に同じ。御臺所より留守居番成瀨惣右衞門重治もて。勅使に時服十づゝ。院使に六つかはさる。また烏丸辨宣定。萩原右京權大夫兼澄。梅溪侍從通條に方料百石づゝ給ふ旨。傳奏衆に傳へらる。〈日記〉

○廿八日月次なり。

松平薩摩守綱豐はじめ。參覲の拜謁するもの四人。

飯沼弘經寺。淺草靈山寺住職を謝し奉る。

使番小出伊織有仍。書院番松平賴母信義大坂目付はてゝ歸謁す。

この日桐間番加藤源左衞門正岑小納戸となる。

今朝公卿歸洛發程あり。〈日記〉

○廿九日小姓松平主膳正决小普請に入らる。

廊下番より次番となるもの一人。〈日記、天享東鑑〉

○三十日使番小出伊織有仍布衣着する事をゆるさる。〈年錄〉

閏三月

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○閏三月朔日月次朝會例のごとし。

松浦壹岐守棟參覲す。〈日記〉

○二日三丸にならせ給ふ。老臣幷に牧野備後守成貞饗膳を賜ふ。〈日記、年錄〉

○五日使番田中作兵衞高稙病免して寄合になる。

紅葉山坊主高野道入服穢を犯したるをもて。大島へ遠流せられ。其子二人は松平丹波守光永にあづけらる。また一人は其事に座し。役はがれ閉門せしめらる。〈日記〉

○六日越前國福井城主松平越前守綱昌失心せるをもて。封地四十七万五千石收公せられ。生涯扶助米二万俵を給ふ。宗室のゆへをもて。綱昌が養父致仕兵部大輔昌親に。その城給はつて二十五万石を領せしめらる。この綱昌實は中務大輔昌勝の長子にて。幼名を仙菊丸といふ。叔父兵部大輔昌親の子となり。寬文八年四月廿三日初見し。延寳三年十一月廿三日元服して。御諱の字たまはり。從五位下侍從に叙任し。越前守綱昌と稱す。四年七月廿一日父昌親致仕しける日家つぐ。時にとし十六。父いまだ壯年なれば。よくうしろみすべしと命ぜらる。同じき八年八月十八日左近衞少將にのぼりしが。けふ領國を收公せられて。元祿十二年二月十一日三十九歳にて身まかりぬ。〈日記、藩翰譜續編〉

○八日東叡山嚴有院殿廟廷に。戸田山城守忠昌代參す。

儒員人見友元宜卿幷に右筆二人。五月御法會にあづかるべしと命ぜらる。〈日記〉

○十一日京よりこの九日驛使あり。當今の御妹大聖寺の宮永享。五日にうせたまふよし注進ありしをもて。宿老の奉書してとはせ給ふ。〈日記〉

○十二日小石川の離第にならせ給ふ。御羽織袴をめされ。諸老臣。御側用人。御側は饗膳たまひ。その外は強飯を下さる。〈日記〉

○十三日二丸にて舞樂あり。桂昌院殿も御覧ぜられ。諸老臣も見る事をゆるさる。これこたび京の伶工十五人召れ。紅葉山の伶人をまじへて催さるゝ處なり。樂曲振鉾。萬歳樂。延喜樂。甘州。林哥。安摩。古鳥蘇。太平樂。狛鉾。陵王。納曾利。退出長慶子なり。樂の間は寺社奉行。目付舞臺に伺公す。事はてゝ伶人みな饗膳をたまふ。〈日記〉

○十四日不時朝會あり。

井伊掃部頭直該參覲の拜謁す。五島佐渡守盛暢襲封の暇給ふ。

井上相摸守正往は越後高田城よりかへり。使番大田善大夫好敬。小姓組桑山猪兵衞元稠相州小田原より引渡畢りてかへり。使番近藤五左衞門用章。小姓山田市郞兵衞滿明。飯河傳右衞門信順は高田城引渡はてゝ歸り。ともに謁し奉る。

大番の子初見するもの八人。

歩行頭松平左門忠治二男造酒丞忠輝初見の禮をとる。〈日記〉

○十五日月次なり。

使番大島雲四郞義高。小姓組朝比奈勘右衞門良豐。下總佐倉城引渡はてゝ歸り謁す。〈日記〉

○十六日來月御法會により。參向公卿。門跡の館伴仰付られ。勅使花山院内大臣定誠公は稻葉右京亮景通。本院使小川坊城前大納言俊廣卿は森對馬守長俊。春宮使清閑寺大納言熙房卿は山内大膳亮豐明。中宮使樋口宰相信康卿は片桐主膳正貞房。毘沙門堂門跡公辨法親王は津輕越中守信政。竹内門跡良尚法親王は龜井隱岐守茲親なり。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に大久保加賀守忠朝代參す。

使番櫻井庄之助勝正日光山目付代仰付らる。〈日記、人見私記〉

○十八日坊主の徒を沙汰して。追放たるゝ者十三人。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿廟廷に。阿部豐後守正武代參す。

日光門主天眞法親王のもとに。少老秋元但馬守喬知もて。龍眼肉一匣つかはさる。〈日記〉

○廿一日二丸にて猿樂の御遊あり。加茂。井筒は牧野備後守成貞。賴政は阿部豐後守正武。芦刈は齋藤飛驒守三政。邯鄲。橋弁慶。猩々。亂は御所作なり。狂言は福神。いくゐ。この日三家幷に甲府宰相綱豐卿。松平加賀守綱紀。松平左京大夫賴純。松平攝津守義行。松平出雲守義昌。松平刑部大輔賴元。松平播磨守賴隆。藤堂和泉守高豐。幷に奏者番。鴈間詰。芙蓉間伺公の輩。遠國の奉行。及び新番頭川勝權佐隆尚。村越伊豫守直成見る事ゆるされ。また松平長門守吉就。井伊掃部頭直該。松平讃岐守賴常。保科肥後守正容も。こと更にめされて拜覽せしめらる。よてこの輩より菓子を獻ず。〈日記〉

○廿三日小納戸奧山甚兵衞良和小普請に入らる。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。松平日向守信之代參す。〈日記〉

○廿五日二丸にてまた舞樂あり。臺のうへわたらせ給ひ。傳の局もまかり。鶴姫君まうのぼり御覧ぜらる。曲は振鉾。春庭樂。打毬樂。長保樂。陪臚。散手。貴德。太平樂。新靺鞨。喜春樂。胡德樂。退出長慶子なり。〈御徒方万年記、年錄〉

○廿六日さきに御みづからの猿樂拜見せしを謝して。尾張中納言光友卿より香具。紀伊中納言光貞卿より唐織。甲府宰相綱豐卿より長絹。尾張中將綱誠卿。紀伊中將綱教卿より各純子を奉らる。

公卿。門跡幷に五畿寺社領の御判物。御朱印を。京職にをくり頒布せらる。〈日記〉

○廿七日水戸宰相光圀卿より硯箱。金入。少將綱條朝臣より氈莚。松平加賀守綱紀より料紙硯の箱奉る。これも猿樂の御所作拜覧を謝してなり。

此日小普請より大番に入者七人。

美濃國岩村城主丹羽長門守氏明が遺領一万九千石を。養子庄之助氏音につがしめらる。この氏明は故式部少輔氏純が子なり。延寳二年十一月廿六日八歳にて家つぎ。天和二年十二月廿七日叙爵して長門守と稻し。此日三月二日二十歳にてうせぬるなり。〈日記、藩翰譜續編〉

○廿八日月次なり。

松平兵部大輔昌親新封を謝し。信國の太刀。金五十枚。時服十獻ず。

松浦壹岐守棟が子源三郞長初見の禮をとらる。

坂城より銀宰領に下りし大番四人に時服下さる。

知足院隆光入院を謝し奉る。〈此隆光は。潜邸の御時より。桂昌院殿の御方に常に召れし護持僧にて。有驗の聞えある者なりしが。この御時次第に竉眷を蒙り。後に護持院大僧正と聞えし者これなり〉京伶工十五人に銀二百枚。紅葉山伶工九人に時服二づゝ下さる。此程舞樂仰付られしをもてなり。

けふ桐間番永井主殿頭尚昌近侍の法に違犯するをもて。斬に處せらるべしといへども。寬宥の沙汰もて八丈島に遠流せらる。〈日記〉


四月

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○四月朔日月次拜賀例のごとし。〈日記〉

○二日松平讃岐守賴常先に猿樂拜覧せしを謝して。碧紗帳。中屛風一双。料紙硯の箱を獻ず。〈日記〉

○三日家門幷に松平加賀守綱紀を二丸に召て。猿樂をなさしめられ御覽あり。羽衣は紀伊中將綱教卿。櫻川は松平加賀守綱紀。江口は尾張中納言光友卿。春日龍神は甲府宰相綱豐卿。龍田は紀伊中納言光貞卿。海士は水戸宰相光圀卿。杜若は尾張中將綱誠卿。小鍛冶は水戸少將綱條朝臣なり。日光門主天眞法親王幷に傳法院宣存。家門の執事等皆見る事をゆるされ饗給ふ。けふ猿樂仕ふまつる輩も。各檜重を獻じ菓子を賜ふ。又鶴姫君。日門よりも檜重をさゝげ給ふ。〈日記〉

○四日家門よりも肴獻ぜらる。松平出羽守綱近より純子。繻珍。魚物を獻ず。先の申樂拜覧を謝してなり。〈日記〉

○五日尾張中納言光友卿のもとに。大久保加賀守忠朝御使して就封の暇給ふ。〈日記〉

○六日不時朝會あり。

中納言光友卿辭見せられ。饗たまひ鷹馬をくださる。

松平陸奧守綱村はじめ。參覲拜謁するもの十一人。尾邸の家司も辭見し奉る。

去月廿五日龜井能登守茲親石州津和野城。雷火にて燒しよし注進あり。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉

○九日高家大澤右京大夫基恒は日光山御宮代參。阿部對馬守正邦は靈廟代參。小堀和泉守政恒。井上筑後守政蔽は祭禮奉行命ぜられ暇給ふ。〈日記〉

○十一日日光山門主天眞法親王のもとに。大久保加賀守忠朝御使し。服忌令增加の事を仰つかはされ。又登山の餞せられ。菓子を進らせ給ふ。〈日記〉

○十二日臨時朝會あり。

松平加賀守綱紀はじめ。就封の暇たまふもの十七人。〈日記〉

○十三日新番石野彦八郞廣達幷に代官一人。武三遠常信兩總。論地巡察命ぜられ暇給ふ。〈日記〉

○十四日不時朝會あり。

細川越中守綱利はじめ。參覲拜謁するもの十六人。信濃衆三人もおなじ。

使番藤懸釆女永次。書院番戸川松之助安成は武州岩槻城引渡はてゝかへり謁す。

丹羽長門守氏明が遺物筑後光世の刀を。其子廣之助氏音よりささぐ。〈日記〉

○十五日朝會あり。

伊達遠江守宗利はじめ。就封の暇たまふもの十二人。美濃衆一人參謁す。

近衞左大臣基熙公使もて。太刀銀馬代さゝげて任槐を謝せらる。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮御參あり。豫參は大久保加賀守忠朝。戸田山城守忠昌。松平日向守信之。先導は山城守忠昌。御簾は牧野備後守成貞。御太刀は喜多見若狹守重政。御刀は齋藤飛驒守三政。御沓は中山下野守直好。けふは御宮修理中なれば。三家の陪拜幷に諸大夫の行列はとゞめらる。

使番岩瀨吉左衞門氏朝日光山目付代仰付らる。

今夜東叡山大猷院殿靈廟遷座あり。

寺社奉行大久保安藝守忠增病臥によて。此五月御法會の事を。坂本内記重治にかへ命ぜらる。〈日記〉

○十八日臨時朝會あり。

今朝水戸少將綱條朝臣に。大久保加賀守忠朝して就封のいとま給ふ。朝臣まうのぼり辭見せられ。饗給ひ鷹馬を下さる。家司同じく拜し奉る。

松平紀伊守光晟はじめ三人。就封の暇下さる。

松平長門守吉就より。先に猿樂拜覧せしを謝して屛風二双獻ず。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟御詣あり。保科肥後守正容先導し。齋藤飛驒守三政御刀もち。内藤伊兵衞正峰御沓の役す。陪拜。豫參。供奉例のごとし。

今朝高家大澤右京大夫基恒。祭禮奉行井上筑後守政蔽。小堀和泉守政恒日光山より歸謁す。〈日記〉

○廿一日毘沙門堂門跡公辨法親王。竹内門跡良尚法親王參向ありければ。戸田山城守忠昌慰勞の御使し。高家吉良上野介義央そひて參る。〈日記〉

○廿二日服忌令增加のこと仰出さる。その令にいふ。こたび服忌令改正せらるゝにより。いまより後このむね守るべし。其定制は父母忌五十日。服十三月。祖父母。養父母幷に出母。夫の父母は三十日。百五十日。家督相續。あるは分地の養子は實父母のごとし。同姓異姓ともに。養方の親族のこらず。實のごとく相互に忌服うけ。本生父母は五十日。十三月の忌服うけ。其他本生方の伯叔父姑は半減をうくべし。兄弟。姉妹も是に同じ。この他の實方の親族互にうくべからず。家督相續せず。あるは分地をもあたへぬ養子は。同姓も異姓も。養父母は定の忌服うけ。養兄弟。姉妹は互に半減たるべし。この他養方親族互にうくるに及ばず。本生の親族は定限の忌服うくべし。曾祖父母。外家祖父母。伯叔父姑。妻。嫡子。兄弟。姉妹は忌廿日。服九十日。女子は初めに生るゝとも季子に准ずべし。兄弟。姉妹は異腹たりともおなじかるべし。外家曾祖父母は忌服あるべからず。夫忌三十日。服十三月。高祖父母。繼父母。嫡母。末子。養子。嫡孫。異父兄弟姉妹。外家伯叔父姑は忌十日。服三十日。外家高祖父母は忌服あるべからず。繼父も初より同居せざれば上におなじ。繼母。父死後他へ嫁さば。忌服うくべからず。嫡母は父の沒前後ともに再醮せば。妾の子忌服うくべからず。また父離別するときは。これもうくるに及ばず。養子は嗣子に定めば嫡子におなじ。その他の養子は定のごとくうくべし。本生父母の方にては。季子に同じくうくべし。女子ならば。嫡孫にても季孫に准ずべし。父死後。祖父のゆづりを受ば。祖父母たりといへども。父母の忌服受べし。曾孫。玄孫たりとも是に同じ。他の親族は相互に異事なし。末孫。外孫。曾孫。玄孫。從父兄弟姉妹。甥姪。父母の姉妹の子。兄弟姉妹の子は忌三日。服七日。外曾孫。玄孫は忌服あるべからず。九歳未滿の小兒は服なし。但死せば遠慮三日たるべし。其他の親族は遠慮一日。當歳たりといふともおなじかるべし。遠國にて死し。月をへて告來るとも。父母は聞しその日より定式の忌服うくべし。他の親族は。聞し日より。のこる日數うくべし。忌の日數過て告來らば一日遠慮。服除きしもこれにおなじかるべし。父の忌服いまだ除かざるに。母の忌服にあはゞ。母の死せし日より五十日。十三月の忌服受べし。二年の服には及ぶべからず。重忌服の中輕忌服ありて。その日數をはらば。重ねてうくるに及ぶべからず。もし日數あまりあらば。其殘る日數を受べし。輕き忌服の中重き忌服あらば。其日よりおもき方をうくべし。産穢は父七日。母三十五日。遠國より告來る時。七日過ぎば穢に及ぶべからず。血忌。父七日。母十日。流産。父五日。母十日。死穢一日。踏合は沐浴のみたるべし。又父死後母再醮して死するとも。定式の忌服受べし。出母の親族は。こと〴〵く半減たるべし。養父沒後。養母他に嫁して死するときは忌服に及ばず。繼父母の親族は忌服うくべからず。父の妾忌服受べからず。但父其妾を妻に准ずる時は。繼母の忌服うくべし。妾は忌服なしといへども。子出生するにをいては遠慮三日たるべし。出祖母は半減忌服たるべし。嫡子死後。二男季子にても繼子に定めば。嫡子に准ずべし。二男にても。繼子に定めざらば季子にかはらず。養女も幼よりやしなはれ。あるは聟をとり家繼ば。養父母の忌服も本生父母にかはらず。義絶の子も。忌服はたがふ事あるべからず。嫡子たりとも季子に准ずべし。其他親族同姓たるにをいては。定定の忌服受べし。同姓も異姓も。一人に兩やうの屬統あらば。重き方の忌服うくべし。養子たるもの。養方の親族他家に養なはれなば。忌服うくべからず。半減の日數は。三十日の忌は十五日なり。其他是に准ずべし。但し三日の忌は二日。七日は四日たるべしとなり。

また令せられしは。今より後鐵炮考察のこと各國へ命ぜられたれば。證狀の事を鎗奉行河野權右衞門通定。作事奉行加藤兵助泰茂へ尋問すべしとなり。〈日記、令條記〉

○廿三日不時朝會あり。

松平土佐守豐昌はじめ。參覲拜謁するもの十人。

日光門跡天眞法親王歸寺により。高家由良信濃守賴繁御使して慰勞す。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。

天眞法親王まうのぼり御對面あり。阿部對馬守正邦日光山より歸謁す。〈日記〉

○廿五日服忌令增加の事つかふまつりしを褒せられて。大久保加賀守忠朝に時服十。儒臣林春常信篤に二襲たまふ。〈日記〉

○廿六日兩山靈廟に京醍醐の蒸箏を進薦せらる。

今夜より東叡山にて嚴有院殿の御法會行はる。〈日記〉

○廿七日山にて萬部讀經。開白毘沙門堂門跡公辨法親王つかふまつらる。日光門主天眞法親王。竹内門跡良尚法親王出座あり。大久保加賀守忠朝代參す。けふより五月八日まで御法會。日々三門主かはるがはる導師せられ。また家門より菓子獻ぜらる。

桐間番鵜殿新三郞長政小納戸になる。

この曉太白月魄にいる。〈日記、憲庿實錄〉

○廿八日御法會により朝會を廢せられ。群臣皆宰臣に謁し退く。津輕越中守信政母の喪にこもりければ。毘門の館伴を伊東出雲守祐實にかへられ。土井内記利知祖母の喪にこもりければ。清水口勤番を土岐伊豫守賴殷にかへて仰付らる。〈日記〉

◎この月武藏國新郷川俣の關に下さるゝ令。先に同國小佛の關に令せられしがごとし。〈憲教類典〉


五月

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○五月朔日月次拜賀なし。

御法會中日によて。牧野備後守成貞東叡山に代參す。家門より菓子獻ぜらる。

けふ三山御宮。靈廟に新瓜茄を進薦し給ふ。〈日記〉

○二日少老稻垣安藝守重定東叡山に御使し。日門に檜重つかはされ。御法會にあづかる輩には勞詞をほどこさる。また毘竹兩門に高家畠山飛驒守義里御使し。各枝柿ををくらせ給ふ。〈日記〉

○三日公卿參向ありければ。大久保加賀守忠朝して勞せられ。指添の高家は大澤右京大夫基恒なり。

この日令せられしは。邸宅の中死人ある時は一日の穢たるべし。但その事聞ざるときは。當日も穢あるべからず。忌中の家。あるは喧嘩。あるは自殺。あるは病死のものゝ家にまかるは蹈合せたるべし。父子同居して父忌となり。其子忌受ざる時は。其子當日のみの蹈合せなれば。沐浴して出べし。明日よりは同居するともくるしからず。其むね心得べしとなり。〈日記、令條記〉

○五日蒲節により。家門幷に溜詰は御座所にまかり拜謁し。其他は宰臣に謁して退く。〈日記〉

○六日山の萬部結願なり。三門跡燒香せらる。〈日記〉

○七日山にて曼荼羅供行はれ被物あり。溜詰。宿老。少老衣冠して着座す。

此日感應寺門前にて。乞丐に米を施行せらる。〈日記〉

○八日御束帶にて嚴有院殿靈廟に詣給ふ。豫參は大久保加賀守忠朝。阿部豐後守正武。松平伊賀守忠周。松平隼人正忠冬。また松平左京大夫賴純。松平攝津守義行。松平陸奧守綱村。松平刑部大輔賴元。松平播磨守賴明。松平兵部大輔昌親。松平安藝守綱長。松平中務大輔昌勝。松平大藏大輔正甫。細川越中守綱利。宗對馬守義眞。佐竹右京大夫義處。上杉彈正大弼綱憲。毛利甲斐守綱元。丹羽若狹守長次。南部大膳大夫重信つかふまつり。行列は永井近江守直種。牧野因幡守富成はじめ廿四人。隨身は使番近藤五左衞門用章。小出伊織有仍はじめ六人。先導は保科肥後守正容。御簾は加賀守忠朝。御裾。堂上は牧野備後守成貞。堂下はその子美濃守成時。御太刀は喜多見若狹守重政。御刀は齋藤飛驒守三政。御沓は花房丹波守正府役し。陪拜は紀伊中納言光貞卿。水戸宰相光圀卿。尾張中將綱誠卿。紀伊中將綱教卿なり。御拜畢り御聽聞所にわたらせ給ひ御法事始る。導師は日光門主天眞法親王。證誠は毘沙門堂門跡公弁法親王。竹内門跡良尚法親王つとめられ。花山院内大臣定誠公はじめ公卿參堂し。松平讃岐守賴常。肥後守正容着座す。散花。被物あり。被物は中奧小姓幷に諸大夫の寄合役送す。内をはじめ奉り。御方々の御贈經畢り。執綱。執盖の殿上人まかんで。公卿みな退座して後。御内陣にて御燒香あり。御墓に詣たまひ。御裝束所に入らせ給ひ。事にあづかる輩拜謁して還御なる。御檀嚫天眞法親王へは銀千枚。時服廿つかはされ。凌雲院幷に別當。目代に銀廿枚づゝ。坊官。役人に時服三づゝ。衆僧に銀三千五百枚。讀經僧に青蚨三万二千貫文くださる。その他なを若干なり。繫獄の徒百七人を放たる。またこの事によりて。逼塞。閉門の輩みなゆるさる。大坂町奉行設樂肥前守貞政もさきに逼塞せしめられしが。ゆるされて職とかれ。小普請に入らる。松平越後守光長が家人本多七左衞門遠流せられしとき。其子八大夫。小膳父に從はん事をこひ出し孝行を賞せられ。淺野式部少輔長照。九鬼和泉守隆律にあづけられしをもゆるさる。〈日記、憲廟實錄〉

○九日万石以上まうのぼり。御法事はてしをもて宰臣に謁す。戸田山城守忠昌惣統の勞を褒せられて。備前守家の御刀をたまふ。山には例の家々より香資を奉る。〈日記〉

○十一日門跡。公卿饗應の散樂あり。翁。三番叟。老松。實盛。東北。舟弁慶。祝言。狂言は福神。しびれ二番なり。少老秋元但馬守喬知は能始。奏者番永井伊賀守直敬は呉服渡の役す。〈日記〉

○十二日三山御宮。靈廟に楊梅を進薦せらる。

この日公卿旅舘へは。高家由良播磨守賴繁もて樽。肴。毘竹兩門へは日野伊豫守資榮御使し。樽。昆布をつかはさる。〈日記〉

○十三日日光門跡天眞法親王を饗せられ。二丸にて猿樂あり。知足院隆光もみることゆるさる。御みづから高砂。安宅。鶴龜をまはせ給ふ。忠度。鞍馬天狗は牧野美濃守成時。小督は齋藤飛驒守三政。釆女は長濱源八郞祐長なり。凌雲院宋順はじめ役僧。衆徒。家司。坊官等まで饗給ふ。知足院隆光も同じ。はてゝ法親王に獅子大香爐。螺鈿香臺をつかはさる。

けふ公卿兩山參詣により。上野は本多中務大輔忠國。牧野因幡守富成。板倉賴母重高。内田出羽守正衆。芝は永井近江守直種。加藤佐渡守明英して警衞せしめられ。をの〳〵高家。寺社奉行。目付。歩行頭もまかる。〈日記〉

○十四日公卿。門跡引見あり。御直垂にて白木書院に出まし。内はじめ御方々御贈經の御謝答仰進らせらる。毘沙門堂門跡公弁法親王。竹内門跡良尚法親王は金馬代。縮緬十卷づゝ。納經の勅使花山院内府定誠公は銀馬代。紗綾十卷。東宮使清閑寺大納言熙房卿。中宮使樋口宰相信康卿。本院使小川坊城前大納言俊廣卿は各銀馬代。紗綾五卷。執綱。執蓋の殿上人四條中將隆安朝臣。花園中將公晴朝臣。幷に倉橋安藏人泰貞は各銀馬代。京大佛養源院大僧正始め。家司。佛師。繪所等皆もの獻り拜し奉る。賜物は大納言熙房卿に銀三百枚。時服六。宰相信康卿に二百枚。前大納言俊廣卿に銀三百枚。時服六。隆安。公晴兩朝臣に百枚。五。泰貞に百枚。四。大僧正に二十枚。五。家司。佛師。繪所に十枚給ふ。御臺所へは内府より練𥿻五端。兩大納言。宰相より各三端。兩中將。藏人より匂袋十づゝ。又兩法親王より縮緬五卷。匂袋五づゝ奉らる。こなたよりは清閑寺。小川坊城に時服六づゝ。樋口に五。四條。花園に各四。倉橋に三給ふ。兩門へは大久保加賀守忠朝御使し各銀千枚。院家へ銀十枚。時服五。家司にも賜物差あり。指添高家は畠山飛驒守義里なり。御臺所よりは留守居番奧山藤十郞重正もて時服十つかはさる。また内府のもとには。高家吉良上野介義央もて銀五百枚。時服十給はり。臺のうへよりも同じく時服十つかはさる。其他攝家。清華の使者ものさゝげ拜し奉り。賜物また例の如し。〈日記〉

○十五日月次のごとし。

使番安藤九郞左衞門重玄。小姓組向坂清三郞寬政丹波國龜山城引渡はてゝ歸り謁す。

儒役人見友元宜卿はじめ。御法會にあづかりし輩。時服。金銀を賜事差あり。

小納戸駒井半左衞門親澄。春日左大夫貞顯前に閉門命ぜられしが。ゆるされて小普請に入らる。〈日記〉

○十六日紅葉山正遷宮により。大久保加賀守忠朝直垂着し代參す。

公卿歸洛の發程あり。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮御參あり。御直垂めさる。先導は保科肥後守正容。御簾は戸田山城守忠昌。御太刀は喜多見若狹守重政。御刀は齋藤飛驛守三政。御沓は中山下野守直好役す。その他陪拜。豫參。供奉例のごとし。

使番柴田七左衞門康能日光山目付代命ぜらる。〈日記〉

○十八日臨時朝會あり。

松平伊豫守綱政はじめ。參覲拜謁するもの四人。

紅葉山正遷宮ありしにより。日光門跡天眞法親王のもとに。高家大澤右京大夫基恒もて。親王に銀百枚。二種一荷。凌雲院に卅枚。圓覺院。傳法院に廿枚づゝたまふ。少老稻垣安藝守重定には御宮修理惣統の勞を褒せられ時服十給ひ。又小普請奉行組頭小菅猪右衞門正武に金三枚くださる。〈日記〉

○十九日紅葉山修理畢り。正遷宮ありしにより。その事にあづかりし輩。小普請奉行はじめ。金銀たまふこと差あり。〈日記〉

○廿日紅葉山大猷院殿廟廷に御詣あり。先導は牧野備後守成貞。御刀は喜多見若狹守重政。御沓は加藤源太左衞門正岑役す。その他例のごとし。

來月八日本理院殿〈大猷院殿御臺所〉十三年周囘の御法事あれば。寺社奉行本多淡路守忠周。留守居彦坂壹岐守重紹。勘定頭大岡備前守清重そのことにあづかるべしと命ぜられ。永井近江守直種勤番命ぜらる〈日記〉

○廿一日書院番島角左衞門正長腰物奉行となる。

小姓組番頭水野越前守重矩は尾州。高力伊豫守忠弘は水戸。各存問の御使奉はり暇たまふ。〈日記〉

○廿二日小姓中山下野守直好小普請に入らる。

甲府宰相綱豐卿より巢鷹二据奉らる。〈日記〉

○廿三日大番より桐間番に入もの一人。〈日記〉

○廿四日紅葉山台德院殿廟廷に詣給ふ。先導は牧野備後守成貞。御刀は喜多見若狹守重政。御沓は戸田金次郞直久役す。其他例にかはらず。

この日大に地震するをもて。家門使して御けしきうかゞはる。〈日記〉

○廿六日三山御宮。諸廟に新米進薦あり。〈日記〉

○廿七日美作國津山城主森伯耆守長武こふまゝに甥万右衞門長成に所領十八万六千五百石をつがしめらる。この長武は故大内記長繼が三男なり。兄美作守忠繼は。父より先に死しければ長武嗣子となり。明曆二年二月廿一日初見し。万治三年十二月廿八日叙爵して伯耆守と稱す。延寶二年四月廿六日父致仕の日家つぎ。十二月廿七日從四位下にのぼり。けふ兄忠繼が長子万右衞門長成に家ゆづり。をのれは廩米二万俵を分ち領し。これより別に一家をなし。元祿九年五月十八日五十二歳にて卒せり。

また若狹國小濱城主酒井遠江守忠隆が遺領十万石を。其子靱負佐忠囿につがせらる。この忠隆は故修理大夫忠直の子にて。明曆二年正月廿二日初見し。寬文五年十二月廿七日叙爵して靱負佐と稱し。天和元年八月十六日奏者番となり。二年九月廿九日家つぎ。弟右京亮忠稠に一万石。數馬忠垠に私墾田三千石をわかち。貞享元年十二月廿五日從四位下にのぼり。遠江守と稱し。この時に奏者の職ゆるされて。この閏三月廿一日三十六歳にて卒せり。

また高家畠山飛驒守義里病もて職ゆるさる。〈日記、藩翰譜續編〉

○廿八日月次なり。

仙石越前守政明參覲す。

御家人の子初見するもの二人。

大坂目付にさゝれし書院番美濃部八郞右衞門茂直病によて。書院番角南主馬重秀かへ命ぜられ暇給ふ。

小姓祖番頭高力伊勢守忠弘水戸より歸謁す。〈日記〉

◎此月市井に令せられしは。生椎茸は正月節より。防風は二月節より。土筆。蕨。蓼。葉生姜。根芋は三月節より。筍は四月節より。茄子。白瓜。枇杷は五月節より。甜瓜。角豆は六月節より。林檎は七月節より。獨活芽。松茸。葡萄。梨子は八月節より。御所柿。蜜柑は九月節より。九年母は五月節より。此品々商賣せん事は先々月限りに定められしが。今よりはこのごとく。節にいりし日よりうりひさぐべし。魚鳥のたぐひは。時節にかゝはらず。漁獵せしまゝに商賣すべし。然といへども新物うり出す時も。過分に價たとくすべからず。先にも令せられしごとく。獻物の魚物はいふまでもなし。その他の魚物も。價騰貴せしむべからずとなり。〈大成令〉


六月

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○六月朔日月次拜賀例のごとし。

戸澤能登守正誠が養子内記正庸初見の禮をとる。

酒井靱負佐忠國より。亡父遠江守忠隆が遺物左文字の刀。茶壼〈中山〉を獻ず。御臺所には二條中納言爲秀卿筆後撰集なり。〈日記〉

○三日紀甲水三邸に巢鷹をつかはさる。〈日記〉

○四日尾邸に巢鷹をつかはさる。〈日記〉

○六日小石川傳通院にて。本理院殿の御法事始あり。

松平日向守信久病臥により。小納戸柳澤出羽守保明御使し肴を賜ふ。

小姓伊東淡路守基祐奉職無狀にて。南部遠江守直政にあづけらる。〈日記〉

○七日臨時朝會あり。

松平遠江守忠俱はじめ。參覲拜謁するもの十七人。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿廟廷に戸田山城守忠昌代參す。

また傳通院の御法會はてければ布施給ふ。傳通院に銀百枚。靈巖寺。幡隨院に十枚づゝ。誓願寺以下七僧に銀五枚づゝ。月行事十一人。役者二人も同じ。讀經の僧金七百五十兩なり。〈日記〉

○九日高家畠山民部大輔基玄もて。日光門跡天眞法親王に瓜をつかはさる。〈日記〉

○十日堺奉行稻垣淡路守重氏。三州刈屋にて母病臥せるをもて。こふまゝに看侍の暇給ふ。〈日記〉

○十一日桐間番松平藤兵衞正房は小姓となり。千村平藏義道。小川新九郞保顧はともに小納戸になる。

また小姓組一人。小普請一人。桐間に入番す。〈日記〉

○十二日小姓組番頭水野越前守重矩尾州より歸謁す。〈日記〉

○十三日不時朝會あり。

松平下總守忠弘はじめ。參覲拜謁するもの十七人。堀田下總守正仲。堀田伊豆守正虎。堀田兵部正高。みな今よりのち。表向より出て拜謁すべしと命ぜらる。

松平日向守信之病にふしければ。醫員喜多村安齋直明治療を命ぜらる。〈日記〉

○十四日三山御宮。諸廟に新茗を進薦せらる。

西城裏門番間宮忠左衞門重近。大久保助左衞門忠重病免して寄合になる。〈日記〉

○十六日嘉定例のごとし。

○十七日紅葉山御宮に大久保加賀守忠朝代參す。

使番堀小四郞利安日光山目付代仰付らる。〈日記、年錄〉

○十八日二丸張番四人と定らる。

園儀同三司基福公從一位准大臣を謝し使奉りしをもて。其使にものたまふ。

この日戸田山城守忠昌が宅にて。寺社領の御朱印を頒布せらる。惣計四千六百四十九通なり。

けふ令せらるゝは。婦女衣服の繡は停禁たりといへども。有來りしは。此後美麗にせずして。代銀二百五十目をかぎりて商賣すべし。尤すぬひの類。華飾なすべからずとなり。〈憲廟實錄、日記、大成令〉

○十九日寄合醫久志本左京常勝奧醫となる。今大路延壽院親俊弟子依田玄春某。橘隆庵元常召し出され。是も奧醫とせらる。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉

○廿一日諸老臣。御側に帷子を賜ふ。

南部大膳大夫重信より新鮭を奉る。〈日記〉

○廿二日驛傳して大内に鮭を進らせらる。

また京坂兩職に帷子をたまふ。〈日記〉

○廿三日御側金田遠江守正勝病免して寄合になる。

小普請千村長兵衞義年八丈島へ遠流せられ。その子小納戸平藏義道は遠山和泉守友春にあづけられ。二男半彌義形は新庄主殿直詮にあづけらる。これ平藏義道は養子なるを。實子なりといつはりたるをもてなり。

林奉行して各處官林を巡察せしめらる。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿廟廷に。戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉

○廿六日こたび嚴有院殿御法會により。先に丹羽若狹守長次にめしあづけられたる荒川出羽守定昭。幷に子右近定恒。左門定由。新五郞正容。酒井靱負佐忠囿に預られし稻垣數馬昭友。幷に子平八郞周爲。内記昭爲。松平加賀守綱紀に預られし一柳監物直興。松平日向守信之に預られし松平修理亮忠勝が子團之助勝秀。小三郞信方。木下右衞門大夫俊長に預られし大久保源次郞忠宣。内藤能登守義興に預られし伊奈彦右衞門忠嗣。幷に彦大夫某。彦三郞忠朋。小笠原修理大夫長胤に預られし一色吉之丞某。幷に彦三郞某。松平伯耆守綱清にあづけられし佐久間源兵衞勝尚。幷に四郞五郞中豫。六之助勝元。龜井能登守茲親に預られし四郞次郞勝春みな赦を蒙る。秋田信濃守輝季に預られし近山五郞右衞門安高子三右衞門安道。三宅内藏助康俊子數馬康紀。小澤次郞右衞門忠秋子四兵衞某は召出され御家人となる。〈日記〉

○廿七日万石以上父子。幷に高家。三番頭はじめ。布衣以上以下の諸有司をめして。散樂を見せしめられ饗をたまふ。御みづから邯鄲。舟辨慶。猩々。亂をまはせたまひ。阿部豐後守正武は櫻川。善知鳥。牧野美濃守成時は高砂。賴政をつかふまつる。この日五万石以上は菓子。魚物を獻ず。〈日記、憲庿實錄〉

○廿八日月次拜賀例のごとし。〈日記〉

○廿九日御側用人太田攝津守資直病もて職ゆるさる。

次番より小普請に入る者一人。〈日記〉

○三十日不時朝會あり。

松平讃岐守賴常はじめ。就封の暇給はるもの廿六人。〈日記〉