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常憲院殿御実紀/卷二十

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常憲院殿御實紀卷二十 〈元祿二年(1689)七月に始り 十二月に終る〉

七月

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七月朔日月次拜賀例のごとし。

松平主殿頭豐房參覲す。〈日記〉

○三日驛使もて大内に初鮭を進らせらる。

この日肥前國平戸の城主松浦肥前守鎭信致仕し。長子壹岐守棟に所領六万千七百石を襲しめ。次男中奧小姓織部昌に私墾田一万石を分たしめられ。今までの勤をばゆるさる。この鎭信は故壹岐守隆信が子なり。寬永六年〈月日詳ならず〉八歳にて初見し。十二年十二月三十日從五位下に叙し肥前守と稱し。寬文四年五月廿三日從弟猪右衞門信貞に千五百石を分つ。貞享二年九月三十日鴈の間詰に加はる。外樣の家にて。普第の並に召仕はれしこと。この時を初めとすとぞ聞えし。この三月二日奧詰命ぜられしが。衰老もて四月十八日辭し。けふ致仕して。十六年十月六日壽つもりて。八十二歳にて卒しぬ。

また越後國與板領主牧野遠江守康道致仕し。所領一万石をその養子大藏康重につがしめらる。この康道は故内膳正康成が子にて。萬治元年二月廿七日家つぎ。寬文四年十二月廿八日叙爵して遠江守と稱し。けふ仕をかへし覺翁と號し。享保五年五月廿六日うせぬ。享年七十一なり。

又先に柳澤出羽守保明にあづけられたる遠山十介安速をゆるさる。〈日記、湯原日記、藩翰譜續編、年錄〉

○四日御側大久保佐渡守忠高職うばゝれ。邸宅收公せられ閉門せしめらる。去年知足院搆造の惣督せしに。盛旨をそむき腐材を用ひし處ありしによてなり。されど御祈願所のことなればとて。一等を減じ。かくは命ぜらるゝとなり。これによて小普請奉行堀内甚右衞門氏成。山角權兵衞正勝は三宅島に遠流せられ。其子等は西尾隱岐守忠成。中川佐渡守久恒に分ちあづけられ。大工棟梁溝口筑後も遠流に處せられ。其子は追放たる。〈日記〉

○五日寄合松平外記忠益養子半右衞門忠明。岡野孫九郞貞明子小姓組孫一郞宗明。筧五郞大夫正令子大番三郞四郞長盛はじめ。父致仕しその子家つぐもの九人。五郞大夫正令は千百石の内。二男桐間番新五右衞門正庸に三百俵分ち。馬醫桑島新五右衞門忠久は。孫新助忠陳に月俸をくださる。〈日記〉

○六日例の家々より。星夕をほぎて鯖料を獻ず。

新番頭神尾市左衞門元清日光山盆中の御使仰付らる。

この日諸老臣。御側に帷子をたまふ。〈日記〉

○七日星夕例のごとし。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。

御側森川下野守重高三緣山台德院殿靈廟の修理の惣督を命ぜらる。〈日記、湯原日記〉

○九日二丸にて桂昌院尼公を饗せらる。生御魂をほがせ給ひてなり。牧野備後守成貞幷に少老。御側陪宴す。〈日記〉

○十日中奧小姓井上兵庫頭利朗養子本多右近利好。先手頭榊原大膳久政子太郞兵衞久勝。書院番組頭伊澤權右衞門正次子兵吉某。桂昌院殿家老鈴木甚之助重元子小大夫重持。寄合土岐十左衞門賴親子小姓組彦九郞賴定。長谷川久三郞正相子五兵衞正明。小出宮内英道養子織之助英雄。杉浦彌一郞親明嫡孫三之助定宣はじめ。父死てその子家つぐもの六十人。沒前の願ひにより。采邑廩米を分つものあり。大膳久政は千三百石の内。二男二郞右衞門久寧に三百石。久三郞正相は四千五百七十石の内。二男八右衞門德榮に五百石。小姓組荒尾平次郞久次は千石の内。二男平助久敬に二百石。大番組頭森川清十郞昌次は八百五十石の内。二男小十郞昌氏に二百俵。醫員曾谷伯安杏祐は二百石。三十口の内。二男長順玄鳳に三十口なり。〈日記〉

○十一日書院番一人。小姓組二人。小普請一人桐間に入番す。

さきに柳澤出羽守保明に預られし高木喜左衞門正照死けるにより。其子二人いまゝで戚族大番久保左兵衞勝治に預られしが。改めて織田源七郞秀親に預けらる。

この日禁廷へ八朔の馬引て參るものに銀給ふ。〈日記〉

○十四日兩山へ盆中の布施物をたまふ。上野は高家六角越前守廣治。芝は奏者番永井伊賀守直敬御使す。〈日記〉

○十五日紅葉山諸廟に詣たまふ。大久保加賀守忠朝。戸田山城守忠昌。土屋相摸守政直。幷に牧野備後守成貞。及び松平安房守信孝豫參し。秋元但馬守喬知。幷に松平美作守直丘。曾我周防守助興供奉し。保科肥後守正容先導し。柳澤出羽守保明御刀。曾我七兵衞祐忠御沓の役す。

この日桂昌院殿に周防守助興御使し。生身魂の賀物進らせられ。又おなじ御祝とて皷吹あり。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に戸田山城守忠昌代參す。

使番下條長兵衞信隆日光山目付代仰付らる。〈日記、年錄〉

○十八日儒臣林弘文院信篤の弟子大河内春龍良資召出され儒員となり。奧醫に准ぜらる。〈日記、年錄〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈年錄〉

○廿一日奏者番兼寺社奉行酒井河内守忠擧病もて。請まゝに兩職をゆるされ。鴈間班にかへさる。

この日驛次もて。仙洞へ新鮭を進らせらる。

甲府老渡邊長門守直茂病死す。罪有により采邑をのぞかる。〈年錄、湯原日記〉

○廿二日臨時朝會あり。

松浦織部昌分封を謝し奉る。

肥前守鎭信致仕得物とて。備前爲清の刀。雪舟筆の畫屛風を獻じ。牧野遠江守康道は同じ事もて。備前守家の刀を獻ず。

遠山主殿頭政亮養子求馬政德。酒井右京亮忠稠子縫殿忠菊。桐間番頭米倉六郞右衞門昌尹二男數馬昌仲。奧山藤十郞重正養子久馬之助重行。廊下番頭松田六郞左衞門貞長養子孫太郞貞喬。小納戸駒井半右衞門親澄二男一郞右衞門親乘。佐藤三左衞門信勝子吉之丞某。春日左太郞貞顯子左門顯道。桐間番和田彦右衞門重始二男源之助勝由。平野次郞左衞門正勝二男與三郞勝久初見し奉る。

新番頭神尾市左衞門元清日光山よりかへり謁す。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。土屋相摸守政直代參す。〈日記〉

○廿五日甲府家老戸田伊勢守輝道奉職無狀とて采邑收公あり。小普請に入られ月俸二十口たまふ。〈日記〉

○廿六日小姓組番頭戸田長門守忠利。目付小出伊織有仍甲府の家老とせらる。長門守忠利は五千石。伊織有仍は三千石たまひ。長門守忠利が、千六百石は。其子十郞兵衞忠囿にたまはり。有仍が千百石は其子甚左衞門尹倫にたまふ。

鳥居左京亮忠則馬場先の門警衞せしが。家人高坂權兵衞發狂し。番所を出て。小姓平岡和泉守賴恒が家の窓をのぞき居しとて。賴恒が家人あやしみこれをとらへ。奉行所にうたへしかば。其夜かの門の當番せしもの共。皆廳に召て鞫問せられ。忠則も御勘氣蒙り逼塞してありしが。この廿三日病死しければ。目付柴田七左衞門康能。川井平大夫久文撿使につかはさる。〈日記、藩翰譜續編〉

○廿七日黑田伊勢守長清御前をとゞめらる。これは家人車にて犬を引殺たる罪によてなり。

書院番三人。大番一人桐間に入番す。

この日去月甲府宰相綱豐卿封地の内十四万石餘。水損のよし注進あり。〈湯原日記、日記〉

○廿八日御不例によて朝會にのぞませ給はず。〈日記〉


八月

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○八月朔日當賀例のごとし。〈日記〉

○三日加藤佐渡守明英奏者番命ぜられ。寺社奉行を兼しめらる。

井上中務少輔正任が長子出雲守正幸身の行ひ正しからざれば廢して。二男民部正岑を嗣子とせむことをこふまゝにゆるさる。

大番一人。小普請三人桐間に入番す。

奧醫曲直瀨養安院正珍。久志本左京亮常勝。竹田治部卿法印定快。各役料二百俵たまひ。儒員大河内春龍良資は月俸三十口給ふ。

山内大膳亮豐明はもと寄合にて。三千石領しけるが。延寶五年兄豐定卒し。その子國助豐次幼かりしかば。後見すべき旨命ぜられて。兄の領地二万七千石に。をのが三千石を合せ三万石を領しける。しかるに此ほど甥豐次うせければとて。二万七千石を沒入せられ。舊領三千石たまひ。寄合並たるべしと命ぜられ。逼塞をゆるさる。〈日記、藩翰譜續編〉

○四日山内大膳亮豐明。其子九郞太郞豐成。共に青山下野守忠重に預らる。これは昨日逼塞ゆるされしに。謝詞を申さゞりしとの御咎なり。〈日記〉

○五日高巖院殿忌辰により。東叡山靈牌所に大久保加賀守忠朝代參す。

この日尾張中納言光友卿封地の内。洪水にて十二万石餘損亡せしよし注進あり。〈日記〉

○七日勘定頭して諸大名に令せられしは。恩貸金頃年上納するところ。今年は例より數多く。十一月上旬までに上納すべし。所々の修理經費許多なれば。家門を始め老臣までも其ごとくたるべし。いづれもこゝろいれて。上納の員數は老臣に尋問すべしとなり。

また先年各城儲米の數まされしが。こたび官用あれば。增數の城米はのこりなく賣拂ひ。上方の輩は百俵を金二十八兩。東國の輩は三十兩の價もて。その金上納すべしとなり。〈令條記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉

○九日松平加賀守綱紀今まで五節には。表にて拜賀すといへども。この後白木書院にて拜賀すべしと命ぜらる。

南部遠江守直政はこの後表より拜賀すべしと命ぜらる。

西城留守居與力一人。徒目付一人廊下番にのぼせらる。

驛使もて大内へ新鴻を進らせたまふ。

書院番頭戸田佐渡守氏胤水戸へ存問の御使命ぜられいとまたまふ。

この日富田大中寺遠流に處せらる。僧錄の職として。常泉寺後任の事僞り申せしによてなり。〈日記、湯原日記〉

○十日信濃國高遠城主鳥居左京亮忠則家人鞫問せらるゝ間。逼塞して死けるうへに。常々身の行ひも不良なりしとて。封地三万二百石沒入せらる。されど祖先勤功をもて。長子播磨守忠英へ新に一万石たまふ。この忠則は故主膳正忠春が子なり。萬治二年十二月廿六日初見し。寬文二年十二月廿七日叙爵して兵部少輔と稱し。後左京亮に改む。三年十月九日襲封し。この七月廿三日四十四歳にて死しけるなり。

八條宮彈正尹尚仁親王逝去により。日門へ高家由良信濃守賴繁もて吊慰せらる。〈日記、藩翰譜續編〉

○十二日伊勢遷宮により。土井周防守利益に警衞を命ぜらる。

鳥居左京亮忠則にあづけられし天野五郞大夫正勝幷に其子二人。改めて溝口信濃守重雄に預らる。

この日令せらるゝは。喪服あるもの。父母正忌日にあたらば。代參使命ぜらるゝ前日申牌に退き。翌日代參命ぜられしこと聞て後まうのぼるべし。牛馬犬豕羊子を生ときは。其屋舍の中三日の穢たるべし。但し同屋たりとも。閾をへだてば穢に及ぶべからず。庭にて生れば。其地のみ三日の穢たるべし。外は搆ひなし。父母正忌日にあたるもの。たとへば十三日代參命ぜらるゝときは。十二日正忌にあたらば。其申牌より退き。十三日は朝沐浴してまうのぼらば苦しからず。十三日正忌ならば。十二日の酉牌より退くべし。十三日朝さうじに及ばず。刀劒を試むるときは。三十日の穢たるべし。磨礪せば廿一日たるべし。其穢中代參使たらむもの帶べからずとなり。

又伊勢遷宮の代參使命ぜらるゝとき。齋戒の制は。服のもの父母正忌日にあたらば。代參命ぜらるゝ前日申牌より退き。翌日代參命ぜられし後。其事聞てまう登るべし。衂血。痰下血。脱肛。痔。麻。灸。腫物にて膿水出るもの。幷に穢あるもの。毀傷せしもの。膿血の多少によらず浴に及ぶべからず。代參命ぜられし本日。途中にて死者見及ぶとも。直にまうのぼるべし。浴するに及ばず。一家に死者ある時。其家のみ三十日の穢たるべし。別家ならば穢なし。長屋の中死者ある時。壁をへだてば同棟たりとも穢なし。其事きくとも。齋中まうのぼりて苦しからず。宅地の家なき所に死者ある時。其尸ある地のみ三十日の穢たるべし。屋中はいふまでもなし。其他は穢あるべからず。其事きくとも。まうのぼりてくるしからず。牛馬犬豕羊子生ときは。屋舍は三日の穢たるべし。同屋たりとも壁をへだてば穢あるべからず。但庭にて生れば。其地のみ三日穢たるべし。他の地は穢なし。たとへ飼をかずして。他より來り子を産とも。穢は同じかるべし。牛馬豕羊屋舍にて死せし時。同屋たらば五日穢たるべし。但し壁をへだてば穢あるべからず。尢庭にて死せしは。その地のみ五日の穢たるべし。其他穢なし。此他の鳥獸は死すとも穢なし。牛馬。猪鹿。犬豕。麞猿。羚羊の食穢は百日たるべし。同爨の物を食せば二十一日の穢たるべし。二十一日穢のものと同火を食せば沐浴すべし。但ししらざれば穢なし。父母正忌日。養父母の正忌日。家讓りうけざるは。周忌の當日も忌におよぶべからず。尤他の親族の正忌日はさらなり。實父母の忌日たりとも。正忌辰ならざれば。代參命ぜらるゝ時。殿中にさぶらふとも苦しからず。人に養はれ他家相續すとも。本生親族の忌服減少あるべからず。出母忌五十日。服十三月。嫡子他の養子となり。死する時は忌廿日。服九十日たるべし。外家伯父母は忌三十日。服九十日。七歳未滿の兒死せば。父母忌三日。服なし。但し他の親族も同じかるべし。父母の外は。年月を過てその事きかば。聞し日より半減の忌うくべし。服は殘りの日數うくべし。但し服除きし後聞かば。忌のみにて服なし。たとへば廿日の忌のとき。一日過て聞ば十九日うくべし。十九日過てきかば。半減の日數もて十日うくべし。此他の聞忌是に准ずべし。離別せし母の親族も。忌服減少あるべからず。出祖母も是におなじ。義絶の子忌服差別なし。其他は服忌令のごとくたるべし。父母正忌は十三日に代參仰付らるゝとき。十二日父母忌たらば。十二日の申時よりしぞき。十三日には。其朝沐浴しまうのぼるべし。十三日父母正忌日たらば。十二日酉より退出すべし。刀劒試むるときは。其刀劒三十日の穢たるべければ。代參のとき帶べからずとなり。〈日記〉

○十三日高家織田美作守信門伊勢遷宮により。代參使にさゝれいとま給ふ。内宮に備前近景の御刀。外宮に青江次家の御太刀。各馬資金十枚そへて進薦せらる。〈日記〉

○十四日驛使もて本院へ鴻を進らせ給ふ。水野隼人正忠直に信州高遠城うけ取の事命ぜらる。〈日記〉

○十五日月次なり。

使番保科主税正靜。小姓組淺野伊左衞門正氏は坂城目付。使番榊原伊織勝直は駿城目付にさゝれいとま給ふ。

上野見明院最純は役者。津梁院憲海は別當職を謝し奉る。

佐竹四郞三郞義都交代寄合列を命ぜらる。

けふは明月の宴とて奧能あり。御側用人幷に奧詰の輩檜重を獻ず。御側幷に知足院權僧正隆光拜覽す。根生院榮專もおなじ。〈日記、湯原日記〉

○十七日紅葉山御宮に。土屋相摸守政直代參す。

使番岡部久太郞某日光山目付代命ぜらる。〈日記、年錄〉

○十八日驛使もて大内へ新鶴を進らせ給ふ。

この日猿樂大供善左衞門某。中山喜兵衞某。川村金右衞門某召出され廊下番となり。善左衞門某は高林作左衞門。喜兵衞某は下山勘兵衞。金右衞門某は岡本源大夫とあらたむ。〈日記〉

○十九日新に奧表庖所に目付を置る。ともに徒目付より命ぜらる。

鍋島加賀守直能封地にて大病により。その子紀伊守元武看侍の暇をたまふ。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。戸田山城守忠昌代參す。

廊下番より二丸番に貶せらるゝもの一人。〈日記〉

○廿一日臨時朝會あり。

青山播磨守幸督はじめ。參覲拜謁するもの七人。安藤對馬守重博はじめ。就封のいとま給ふもの七人。

書院番頭戸田佐渡守氏胤水戸より歸謁す。

渡邊半藏宣綱遺物某の刀を。その子半藏定綱より獻ず。

勘定頭稻生五郞左衞門正照に加秩五百石役料五百俵。同吟味荻原彦次郞重秀。諸星傳左衞門忠直に加秩二百石。役料三百俵づゝたまふ。また賄頭一人加秩下さるゝものあり。

御側相馬彈正少弼昌胤多病により。ゆるされ原班に復す。

この日驛次して仙洞へ新鴻を進らせ給ふ。〈日記〉

○廿二日藤堂佐渡守高通伊勢遷宮の警衞を命ぜらる。先に奉はりし土井周防守利益。妹の病により辭し奉るによれり。

小納戸小川新九郞保顧小普請に入らる。〈日記、年錄〉

○廿三日端午に服奉りし家々に御内書をたまふ。

この日驛使もて本院へ鶴を進らせらる。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。〈日記〉

○廿七日さきに故鳥居左京亮忠則家人高坂權兵衞狂氣せしを鞫問にをよびしとき。をのれと舌喰て死けり。よて子三人遠流に處し。連座のもの五人追放たる。〈日記〉

○廿八日月次なり。堀左京亮直利。小笠原土佐守貞信。保科兵部少輔正賢。本多彈正少弼忠晴坂城よりかへり謁す。

大番の子初見二人。

狂言師脇本作左衞門某。大藏喜太郞某召出され廊下番となり。作左衞門某は渡邊源三郞。喜太郞某は稻波茂右衞門とあらたむ。〈日記〉


九月

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○九月朔日月次拜賀例のごとし。

東叡山覺王院最純は院家を謝し奉る。

寳鏡寺宮〈後水尾院皇女〉先月廿七日うせ給ひし旨。京職より注進あり。〈日記〉

○二日驛傳して仙洞へ鶴を進らせたまふ。

本多飛驒守重益に預られし岩波源三郞某訴狀を捧しにより。ことさらきびしくいましめられ。飛驒守重益も逼塞せしめらる。〈日記、湯原日記〉

○三日例の家々より重陽をほぎて時服獻る。

使番能勢惣十郞元之。小姓組妻木彦右衞門賴信信濃國高遠の城うけ取命ぜられ暇たまふ。

分部隼人正信政に預られし戸田美作直武死しければ。撿使として徒目付をつかはさる。

牧野備後守成貞が娘の忌にこもりければ。小納戸内藤伊兵衞正峯御使してとはせたまふ。〈日記〉

○五日日光門主天眞法親王登山により。高家吉良上野介義央御使して菓子をくらせたまふ。〈日記〉

○六日天眞法親王辭見せらる。〈日記〉

○八日雨により紅葉山御詣なし。嚴有院殿廟廷に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉

○九日菊節佳儀例のごとし。〈日記〉

○十日小普請奉行戸田權九郞直壽。桐間番松平新藏正棖。牧又十郞長富。筧新五右衞門正庸。門奈七右衞門末正。本多平六重路小納戸になる。〈日記〉

○十一日高家大友近江守義孝日光山御宮代參。小堀和泉守政恒は祭禮奉行命ぜられいとまたまふ。

小納戸知久七郞兵衞直次。神尾平兵衞幸道。幷に桐間番二人小普請に入らる。〈日記〉

○十三日兩山靈廟に稻荷山松茸を進薦せらる。

御休息所にて猿樂あり。よて牧野備後守成貞。柳澤出羽守保明より檜重を獻ず。〈日記、湯原日記〉

○十四日小十人組水野孫平某。阿部小左衞門某。小普請久保田平助某幷に賤吏四人博奕の科によて。佐渡へ遠流せしめらる。

奧に馬買にまかる廐方のものにいとま下さる。〈日記〉

○十五日月次例のごとし。

立花主膳種明。寄内内藤甚五郞正信。井上織部正晴駿城加番の暇給ふ。

書院番組頭安部助九郞信厚二男百助長和幷に番士の子七人初見し奉る。

今朝崇源院殿忌辰により。三緣山靈牌所に戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉

○十七日紅葉山御參宮。先導保科肥後守正容。御刀柳澤出羽守保明。御沓神保新五左衞門長治役す。其他は例のごとし。

使番水谷彌之助勝阜日光山目付代仰付らる。〈日記、年錄〉

○廿日紅葉山大猷院殿靈廟に御詣あり。先導保科肥後守正容。御刀柳澤出羽守保明。御沓和田彦右衞門重始役す。其他は例のごとし。

今朝高家大友近江守義孝。祭禮奉行小堀和泉守政恒日光山より歸謁す。〈日記〉

○廿二日桐間番河内平右衞門常英小姓となる。

平岡仁右衞門資頻小納戸になり。廊下番一人加秩たまひ次番になる。

又小普請より桐間に入番するもの八人。桐間より小普請に入もの三人。〈日記〉

○廿三日御乳母河内局が廩米千俵を采邑にかへて。その子徒頭仁木甚五兵衞守興にたまひ。守興が廩米三百五十俵を。河内局が生涯養老料に給ふ。〈日記〉

○廿四日紅葉山台德院殿靈廟に詣させ給ふ。保科肥後守正容先導し。柳澤出羽守保明御刀奉り。佐藤三左衞門信勝御沓の役す。其他例のごとし。

寄合大島出羽守義近伊勢にて大病により。その子雲八義也看侍のいとまたまふ。〈日記〉

○廿五日奧能あり。後閤の御方方幷に諸老臣。奧詰のともがら。御側。知足院權僧正隆光。根生院榮專。姫君の執事。醫員。大工頭拜覽す。よて老臣より檜重。鱗介を獻ず。

この日桐間番より大番にうつさるゝもの四人。廊下番より二丸番に貶せらるゝもの一人。小姓小笠原權八郞常春。小納戸高林與七郞利武小普請に入らる。〈日記、湯原日記〉

○廿六日奧能催され。難波。江口。橋弁慶を御所作あり。忠度は牧野駿河守忠辰。祝言は阿部豐後守正武つかふまつる。尾張中納言光友卿。甲府宰相綱豐卿。紀伊中將綱教卿。水戸少將綱條朝臣。松平加賀守綱紀。藤堂和泉守高久。松平讃岐守賴常。保科肥後守正容拜覽をゆるさる。よてこの輩より檜重を獻す。饗膳給ひ。光友。綱豐兩卿に八丈紬五十反づゝ。綱教卿。綱條朝臣。綱紀に三十反づゝたまふ。

この日奧表の坊主勤怠を沙汰して。追放せらるゝもの十九人。其他罸せらるゝもの猶若干あり。〈日記〉

○廿七日高家織田美作守信門伊勢より歸謁す。〈日記〉

○廿八日月次なり。

使番中根平十郞正冬。書院番松平新五左衞門直由大坂目付はてゝかへり謁す。

京町奉行前田安藝守直勝二男傳次郞直基初見し奉る。〈日記〉

○廿九日廊下番野村善左衞門某不良の擧動ありとて。一等を減じ三宅島に流さる。

狂言師逆水五郞兵衞父子ともに京より召れ。廊下番となされ月俸給はるべしとありしを。固辭しければ追放たる。〈日記〉

◎この月諸大名へ仰下されしは。獻物の臺は。上檜杉用ゆべからず。いづれの木にても用ひ。みがきなども略し。臺脚もなにゝても作り。二重ぐりは停廢し低くすべし。獻ずる箱肴の匣も。檜杉をとゞめ。透し畫樣禁ずべし。籃に入れ苦しからざるものは籃を用ふべし。獻物の外私の贈遺は。蕨樽。柳樽停禁たるべし。杉重。檜重もこれをとゞむべし。尋常贈遺は塗重を用ひ野蔬にも白木臺を用ふべからず。籃を用ふべし。常のとりかはし。箱肴を禁じ肴料にすべし。魚を用ひば籃を用ふべし。これまで白木の具用ひしは塗具を用ふべし。其外常にも塗膳を用ひ。すべてかけながしの三方。白木具用ふべからず。付木向後木にて作るべからず。麻がらのたぐひを用ゆべし。旅狀箱の類。上檜をとゞめ。何の木にても用ふべし。麁略にみえんは苦しからず。村里の高札建替のとき。檜杉用ふべからず。雜木用ゆべし。乘物の棒も。上檜用ふべからず。何木にても用ゆべし。かつ幅五寸に過べからずとなり。

また呉服。馬具類載べき臺は隨分麁薄にし。雜木を用ひ。脚も低く。白木にて一度かぎりに用ふべしとなり。

また上下とも桐の棒用ゆること苦しからず。私に贈遺の金馬代の臺は雜木にて作り。かけながしたるべし。銀子附臺今より後禁止し。何十枚と目錄にしるし。馬代臺にのせ用ゆべしとなり。

又市井の工人に令せらるゝは。正月三日謠曲始のとき獻ずる盃臺。なるべきだけ輕くすべし。箱肴其外獻物を入るべき匣。杉檜桐を用ひ。雜木は用ゆべからず。其他獻匣は有來りしまゝを用ゆべし。併來年正月よりは。下杉檜にてかろくすべし。杉樽あるは杉檜の曲物も上に同じかるべし。常の贈遺。魚介。柑子などいるべき曲もの桶は。竹籠。雜木の箱。塗重。壺等を用ふべし。小紬臺あるは馬具のする臺。狹少なるは塗るべし。なるべきほどかろく麁木を用ふべし。魚籃は青竹籃を一度かぎりに用ふべし。其他音物の箱は成べきほど麁箱を用ふべし。雜木の手樽はかけながしに用ふべし。塗素地は杉檜苦しからず。時服。卷物等の箱は雜木を用ふべし。獻物の杉檜臺は節ありとも苦しからず。私の音物。贈遺。塗臺幷に塗樽用ゆる事は心のまゝたるべし。さはいへ其器物。直に音物に添へつかはすべしといふにはあらず。乘物棒上檜を禁ずべし。桐あるは節多くあらむ下檜は苦しからず。但し山高さ五寸にすべし。女乘物の棒。ありきたれる棒。幅五寸にして其まゝ用ふべし。新造せば上檜用ゆべからず。檜杓も上杉檜は用ふべからず。麁木はくるしからずとなり。この旨心して。いづれよりたのみ來るとも。定外の品一切造作すべからず。もしあつらへむものあらば。町年寄に告て指揮にまかすべしとなり。〈日記、大成令〉


十月

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○十月朔日月次拜賀例のごとし。

伊勢内外宮長官。神主。年寄惣代青木大夫。山本大夫名代祓熨斗蚫奉り。御造替を謝し奉る。〈日記〉

○二日廊下番より加秩たまひ。次番となるもの一人。

三丸廣敷番頭由田傳右衞門清房灸針の異説を申出たりとて。交替寄合竹中主膳重榮にあづけられしが。ゆるされて小普請に入らる。

この日奧能あり。諸老臣はじめ例の輩拜覽す。知足院權僧正隆光。根生院榮專幷に大工頭。棋師等も同じく見る事をゆるさる。〈日記、湯原日記〉

○四日評定所目安讀坂井伯立政直閉門せしめらる。これは評定所の犬爭噬せしを。等閑になしをきしうち。其犬死したるによてなり。〈日記〉

○五日令せらるゝは。此度針灸の事異説流言するによて。査覈せられしところ。駿河國にある田口是心といへるもの。傳家の書にあるをこふものありて。寫して贈りたりと聞ゆ。もし己が心もて新に著作したらば。をごそかに罪に處せらるべけれど。其故定かなれば本人はとがめられず。されど此後かゝる新奇の事流言せしむべからず。もしさりがたき故あらば。其地の奉行に告て。指揮にまかすべしとなり。〈日記〉

○六日日光門跡天眞法親王歸寺ありければ。高家日野伊豫守資榮慰勞の御使す。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。

天眞法親王まうのぼり御對面あり。〈日記〉

○九日瞽者杉山撿挍和一新に廩米三百俵たまふ。これは針治の妙を以て。常に御治療に召るゝをもてなり。〈日記〉

○十日本所水利の奉行せし勘定二人に褒金をたまふ。

この日令せらるゝは。春夏の借米請とりし後死せば。其借米返納に及ばず。其子家つぎしも。又故ありて家除かれしもおなじ。父子廩米たまはり。春夏の借米父子ともうけとりし後其父死し。子に家繼しめらるゝとも。子の借米返納に及ばず。冬の給米より子の給米は收公せられ。父の本高のごとくたるべし。父子ともに廩米たまはり。春夏の借米うけとらざる以前に父死し。七月にいたり。其子家繼がしめられば。父の借米はたまはらず。冬より父のごとく賜ふべし。子のうけ取し夏借米は返納に及ばず。但し其子廩米給はらざるは。家繼し後。父うけ取らざる給米を賜ふべし。七月朔日より後死したるもの。其子家督せば。冬の廩米父のごとく賜ふべし。家つぐ子なく。冬の給米受取ざる中に死せば給ふべからず。給米請とりし後死せば返納に及ばず。采邑たまはりし輩の家除かれたるは。何月死すとも。租税收納せしは其まゝ賜ひ。收納せざるは下さるべからず。夏の借米給ひし後。何月にても父死し。采邑にても廩米にても。家督命ぜらるゝまでは。子の冬給米うけとらず。家督命ぜられし後。父の本高もて請とるべし。但し父子共受とりし後父死せば。子の冬給米。明年返納すべし。春夏の借米は。冬給米の中たりといへども。返納には及ぶべからず。父子共に同高か。又は父より子の高增益して跡目願ざるは。子の高は今までのごとく請取。父の高は何月死すとも收公せらるべし。月俸たまはるともがら死せば。其明月より家督命ぜらるゝまでは賜ふべからず。其子月俸賜るものは。己が月俸のみ受とり。家督たまはりし明月より父の月俸を給はり。其月より己が月俸は收公せらるべし。但し己が月俸。跡目賜らざる前にうけ取しは。返納に及ばず。月俸たまはる輩病死して。跡式下されざる中も。その子無祿ならば。父の官長より。前々のごとく。實子にたがひなき證狀もて。月俸請取べし。但し養子は御ゆるしなき中は無用たるべし。月俸前々月に請とりし後死せば。其俸は返納に及ばず。尤月俸うけとらざる中に死せば。其券を書替所へつかはし。裏書除かしむべし。右のごとく廩米月俸收公せらるゝこと。明年よりこの制たるべしとなり。〈日記、年錄〉

○十一日奧にて猿樂の御遊あり。〈湯原日記〉

○十二日玄猪の佳儀例のごとし。〈日記〉

○十三日奧能あり。日光門跡天眞法親王幷に松平越後守光長召れて拜覽す。御所作は白髭。東北。是界なり。女郞花は阿部豐後守正武。亂は牧野駿河守忠辰役す。天眞法親王の坊官。家司等まで見ることゆるされ饗膳たまふ。法親王より檜重獻ぜらる。事はてゝ法親王に唐畫の掛幅ををくらせらる。〈日記〉

○十四日小姓山名信濃守泰豐に廩米千俵賜ふ。

この日水邸より初鮟鱇を獻ぜらる。〈日記、湯原日記〉

○十五日月次なり。

青木甲斐守重正。寄合安藤作十郞信富。大久保大膳忠著駿城加番はてゝかへり謁す。

書院番の子初見二人。

この日寄合福島左兵衞正勝小姓組番頭になる。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に阿部豐後守正武代參す。

使番桑山猪兵衞元稠日光山目付代命ぜらる。

井伊掃部頭直該。松平陸奧守綱村事奉はりて日光山にあるにより。驛使もて柿一匣づゝたまふ。〈日記、年錄〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。戸田山城守忠昌代參す。

兩山靈廟に茶を進薦せらる。〈日記〉

○廿一日兩番。大番。小普請より桐間に入番するもの七人。

小姓堀三六郞直高。桑山十郞右衞門直晴。小納戸新庄源次郞直恒。門奈七右衞門末正職に應ぜずとて。小普請に入られ。桐間一人大番にかへさる。

本庄太郞兵衞資俊御前にめし。因幡守宗資の病躰をとはせ給ひ鮮魚を下さる。

京町奉行井上志摩守正貞病により。其子太左衞門正清看侍のいとまたまふ。

驛使して大内に鶴を進らせ給ふ。〈日記〉

○廿二日牧野備後守成貞が邸に臨駕あり。鶴姫君幷に小谷の御方同じくまかり給ふ。成貞に二種一荷。妻に緞子十卷。箱肴。女子に縮緬五卷。大藏康重に金入二卷たまひ。小谷の方より成貞に縮緬十卷。妻に五卷。女子に三卷。康重にもおなじくつかはさる。猿樂の御遊ありてかへらせ給ふ。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。〈日記〉

○廿五日桐間番戸張八兵衞胤森酒によひ上番せしかば。不敬をとがめられ閉門せしめらる。

この日驛傳して本院。仙洞へ鶴を進らせたまふ。〈日記〉

○廿六日奧右筆に組頭を新に置る。蜷川彦左衞門親熈これを命ぜらる。〈日記〉

○廿七日小納戸牧又十郞長富小普請に入らる。〈日記〉

○廿八日月次なり。

井上中務少輔正任子民部正岑初見し奉る。

興正寺門跡由常使もて住職を謝し奉る。

目付能勢惣十郞元之。使番妻木彦右衞門賴保信州高遠城受取はててかへり謁す。

この日小納戸矢橋五郞左衞門重信二丸留守居となる。次番より桐間へうつるもの一人。

家門のかたがた。松平加賀守綱紀。保科肥後守正容。松平讃岐守賴常。藤堂和泉守高久御座所に召れ。御舞を拜覽せしめられ。茶菓をたまふ。〈日記〉

○三十日小石川離第にならせ給ふ。御羽織袴を召さる。供奉のともがらは野裝なり。老臣。御側はじめ。奧の輩幷に目付。御膳奉行。庖所の頭。右筆。茶道頭等饗膳を給ふ。〈日記〉


十一月

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○十一月朔日月次拜賀例のごとし。〈日記〉

○二日松平左兵衞督信平の遺領七千石を。其子近江守信正にたまふ。この信平は鷹司大閤信房公の四男。本理院殿〈大猷院殿御臺所〉御弟なり。慶安三年江戸に召され。十月十六日初めて見參し。十一月十二日廩米千俵。月俸二百口たまはり。紀伊大納言賴宣卿の女にあはせられ。承應三年三月十日御家號ゆるされ。松平左兵衞督と稱し。三千俵たまひ。十二月廿五日從四位下少將に叙任し。延寶二年九月七千石にまし給はり。この七月廿八日五十四歳にて卒す。〈日記、藩翰譜續編〉

○四日御側畠山民部大輔基玄後閤の事奉はるべしと命ぜらる。へ湯原日記}}

○六日書替役建部十郞左衞門昌孝小普請奉行組頭となり。加秩たまはり千石になさる。別に小普請奉行元方二人を創置せられ。役料三十口たまはる。

又兩番。次番より桐間に入番するもの六人。

この日紀伊中納言光貞卿封地の内。二万石餘水損のよし注進あり。〈日記〉

○七日書院番組頭永井宮内直澄子内匠尚村。徒頭小笠原十右衞門廣高子新九郞廣光召出され桐間番命ぜらる。醫員瀨尾昌宅諄範は奧醫に復せらる。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿廟廷に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉

○九日久能山御宮正遷宮により。高家大澤播磨守基明代參のいとまたまひ。御宮に儀刀一口。馬資金一枚進薦せられ。學頭。社僧。燈明僧等金銀下さるゝこと差あり。〈日記〉

○十日牧野備後守成貞が邸に臨駕あり。御臺所にも初めてならせ給ふ。よて御所より成貞に鯛一折。妻に檜重一組給ひ。御臺所より成貞に銀百枚。時服十。二種一荷。妻に純子二十卷。二種一荷。女子へ純子十卷。一種。牧野大藏康重へ縮緬廿卷。一種給ひ。家司に銀たまふ事差あり。〈日記〉

○十三日桐間番坪内宇右衞門定治。三宅惣九郞長房。永井内匠尚村。小笠原新九郞廣光ともに小姓にのぼり。内匠尚村。新九郞廣光は新に廩米三百苞たまふ。

又原田小兵衞種盛。木下左兵衞長治。服部金三郞貞直。松平與十郞忠義。岡部兵部雄救はともに小納戸にすゝむ。〈日記〉

○十五日月次拜賀例のごとし。松平丹後守光茂。松平若狹守直明參覲す。

松平近江守信正より。亡父左兵衞督信平の遺物青江の刀を獻じ。臺のうへに近衞關白尚通公筆の古今集をさゝぐ。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に戸田山城守忠昌代參す。

使番竹中彦八郞重之日光山目付代仰付らる。〈日記、年錄〉

○十八日兩番。大番。小普請より桐間に入番七人。

前夜新雪ふりければ。家門より使奉り物獻ぜらる。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。土屋相摸守政直代參す。

高家大澤播磨守基明久能山より歸謁す。〈日記〉

○廿二日三丸修理落成によて。惣督秋元但馬守喬知。目付角南主馬重秀まかり。大聖護國寺亮賢安鎭修法す。よて護國寺に銀五十枚。二種一荷給ふ。保科肥後守正容は此助役を命ぜらる。

二丸にて桂昌院殿を饗し給ふ。〈日記、年錄〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。

又同廟修理成功して遷座あるより。戸田山城守忠昌直垂着し代參し。寺社奉行戸田能登守忠眞はじめ。目付。步行頭等まかりむかふ。方丈古岩に銀百枚。傳通院了也に三十枚。衆僧に百枚布施たまふ。〈日記〉

○廿五日井伊掃部頭直該日光山より歸り謁す。

增上寺の靈廟成功せしによて。人夫出したる榊原虎之助政邦に時服十。奉行森川下野守重高に時服五給ひ。小普請奉行等銀二十枚づゝくださる。また下野守重高は御座所にめして羽織を下さる。

この日小寒の節に入りければ。各御けしきうかゞふこと例のごとし。〈日記、湯原日記〉

○廿六日三丸修理告竣により。桂昌院殿二丸よりかへらせたまふをほぎて成らせ給ひ。銀千枚。綿百把。檜重一組。三種二荷進らせられ。本庄太郞兵衞資俊にも時服三。其子二人へ各一襲たまひ。御方の男女皆銀たまふこと差あり。また本庄因幡守宗資はことさらに召れ。一万石益封せられ二万石になさる。また尼公より御所に小袖十。二種一荷進らせ給ふ。〈日記〉

○廿七日桐間番本多金五郞重矩。間宮一學重郡小納戸を命ぜらる。

家門幷に松平加賀守綱紀。溜詰のともがら。きのふの御うつりを賀して獻物あり。

三丸成功の賞行はる。人夫出せし保科肥後守正容に。御手づから左吉廣の御刀。惣督秋元但馬守喬知に備前安清の御刀。これも御手づから賜ふ。小普請奉行組頭梶四郞兵衞重正。竹村九郞左衞門嘉敦金五枚。時服。羽織。星合七兵衞顯行金三枚。時服。羽織下され。七兵衞顯行は小納戸を命ぜらる。〈日記〉

○廿八日拜賀例のごとし。

松平陸奧守綱村日光山よりかへり謁す。

三緣山靈廟修理に人夫出したる榊原虎之助政邦が家人等に時服。銀たまふこと差あり。

小納戸岡部兵部雄救幷に桐間番二人小普請に入らる。〈日記〉

○廿九日日門幷に尾甲兩邸に八代蜜柑をつかはさる。〈日記〉


十二月

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○十二月朔日拜賀例のごとし。

使番安藤九郞左衞門重玄。書院番西尾藤兵衞政敏。久能山御宮修理はてゝかへり謁す。

三丸修理に人夫出したる保科肥後守正容が家人に。銀。時服下さる。〈日記〉

○二日これよりさき。崇源院殿。寳樹院殿。高巖院殿靈牌所每年忌辰に代參使を立られしが。此後停廢せらる。

小普請水野傳藏近久失心し。官長にもうたへず。采邑にまかりしかば。五百石收公ありて。生涯月俸十口をたまふ。〈日記〉

○三日日光門主天眞法親王の東叡山の本坊にはじめてわたらせ給ふ。これにより觀理院權僧正つとめて御迎にまかる。大久保加賀守忠朝。少老秋元但馬守喬知。御側松平美作守直丘。松平酒之丞輝貞供奉す。阿部豐後守正武。土屋相摸守政直。御側用人牧野備後守成貞。柳澤出羽守保明。御側松平隼人正忠冬。寺社奉行戸田能登守忠眞。本多紀伊守正永御先にまかりむかへ奉る。大目付。目付もおなじ。御輿下り給ふとき。天眞法親王書院にむかへたてまつり。導き進らせられ着御なる。かくて法親王もち出て昆布をすゝめらる。とりて法親王にたまふ。法親王より小袖十。二種一荷たてまつられ。法親王に銀三百枚。綿二百把。三種二荷。茶壺〈刷毛目〉。茶入〈松風〉をつかはされ。凌雲院權僧正宋順。觀理院權僧正舜盛。傳法院權僧正宣存に各銀三十枚。役者戒善院玄海。覺王院最純に銀廿枚づゝ。別當四人。坊官二人。家司一人銀十枚づゝ下さる。三僧正より檜重一合。兩役者より枝柿一匣さゝげ拜し奉る。法親王より饗膳獻り。宴酣にして衆僧出て。心法の法論して御聽にそなへければ。この僧どもへはことに銀を給ふ。また皷吹の御遊ありて還御なりければ。日門より傳法院宣存使して。御けしきをうかゞはる。〈日記〉

○四日日門まうのぼられ。昨日の臨駕を謝ぜらる。

和歌山に奉書をはせて。紀伊中納言光貞卿に寒候をとはせ給ふ。〈日記〉

○六日重陽に時服獻ぜし家々に御内書をたまふ。

御側畠山民部大輔基玄御側用人にせられ。松平酒之丞輝貞爵たまはり右京亮と稱し。乘輿の御ゆるしあり。又小姓四人も叙爵す。金田銀大夫正明は能登守。神尾彌右衞門守隣は佐渡守。西鄕靱負壽員は越中守。松平釆女忠勝は修理亮と改む。

また小納戸内藤織部重時。村越三十郞正弘。神保新五左衞門長治。駒井吉左衞門保恒。平岡仁右衞門資頻。松平新藏正棖。渡邊藤右衞門貞。筧五郞兵衞正庸。戸田權九郞直壽。酒依清左衞門昌隆は布衣着する事をゆるさる。

桐間番大河内善右衞門秀政小納戸になる。

又小普請方に所屬若干を置る。

松平兵部大輔昌親在封して大病なれば。醫員長島道仙瑞得をつかはさる。〈日記〉

○八日紅葉山嚴有院殿靈廟御詣あり。保科肥後守正容先導し。柳澤出羽守保明御刀。神保新五左衞門長治御沓の役す。其他は例のごとし。〈日記〉

○十日桂昌院殿家老森彦右衞門賴俊加秩給ひ。采邑四百石になさる。

依田三右衞門守安が子五右衞門守正召出され。小姓組に加へらる。その他三丸に附らるゝもの三人。〈日記〉

○十一日牧野備後守成貞が邸にならせらる。桂昌院殿。鶴姫君同じくわたらせたまふ。諸老臣。御側供奉したてまつる。成貞に三種二荷。妻に羽二重二十疋。肴一種。大藏康重幷に成貞が女に羽二重十疋づゝ給ふ。猿樂の御遊あり。御みづから高砂。江口。亂をまはせたまひ。田村。是界は康重つかふまつる。〈日記、天享東鑑〉

○十三日煤拂例のごとし。

牧野備後守成貞が家人鈴木德之進某。伴右近某。小野田金彌某召出され。各廩米二百俵給ひ。廊下番命ぜらる。〈日記〉

○十四日寄合高力左京正房子孫九郞宗長。櫻井庄之助勝正子小姓組又右衞門勝次はじめ。父致仕して其子家つぐ者六人。庄之助勝正は千八百五石の内。次子庄八郞勝凭に五百石分つ。〈日記〉

○十五日拜賀例のごとし。

松平薩摩守綱貴が子島津又三郞首服加へられ。御家號御名の一字賜ひ。從四位下侍從に叙任し。修理大夫吉貴と稱す。よて吉貴より備前國宗の刀。銀三百枚。小袖三十を獻じ拜謝し奉る。時に御盃下され。一文字の御刀をたまふ。

安藤對馬守重博はじめ參覲七人。那須衆三人も同じ。

信濃の國高遠よりかへりし代官謁し奉る。

御側用人畠山民部大輔基玄三千石加秩たまひ。五千石になさる。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮御參あり。井伊掃部頭直該先導し。柳澤出羽守保明御刀もち。中島助六郞資將御沓の役す。其他例のごとし。

使番妻木彦右衞門賴保日光山目付代仰付らる。〈日記、年錄〉

○十八日御側森川下野守重高病もて職ゆるされ。小納戸木下左兵衞長治小普請に入らる。〈日記〉

○十九日京町奉行井上志摩守正貞子太左衞門正清。小姓内藤兵庫信之養子勝之助信盛。寄合酒井牛之助忠高養子助十郞忠雄。小納戸平野次郞右衞門正勝子吉三郞勝直はじめ。父死して子家つぐもの三十四人。次郞右衞門正勝は沒前の願ひにより六百俵の内。次男與三郞郞勝久に二百俵を分つ。

さきに牧野備後守成貞が家人より召出されし廊下番三人。各加秩有て三百俵給ひ。次番にのぼせらる。〈日記〉

○廿日紅葉山大猷院殿靈廟に詣給ふ。先導は井伊掃部頭直該。御刀は黑田豐前守直邦。御沓は酒依清左衞門昌隆役す。共他例におなじ。

日光門跡天眞法親王登山によて辭見し給ふ。〈日記〉

○廿一日例の家々歳暮をほぎて時服獻る。

この日留守居酒井能登守忠良。書院番頭瀧川長門守利錦ともに御側命ぜらる。使番安藤九郞左衞門重玄。書院番西尾藤兵衞政敏久能山御宮修理奉行せしを褒せられ銀給ふ。

小十人頭蜂屋傳左衞門定高役料三百俵。納戸頭高尾源左衞門信仍は加秩百俵。役料二百俵。其他役料または加秩たまふもの。賤吏にいたるまで三十五人。桐間番も加祿給ふもの二人。

北村季吟その子湖春ともに召出され。醫員に准ぜられ。季吟に二百俵。湖春に月俸二十口賜ふ。この季吟は父を宗圓といひて。世々醫を業として京に住せり。季吟小字を久助と稱す。垂髮より刀圭のわざをこのまず。書よむことにふけりしが。十九歳のとき初めて松永貞德の門に入て和歌を學び。これより年月を重ねて怠らず。貞德は細川玄旨法印親灸の弟子にて。口授祕旨ことことく傳へたり。季吟積年貞德に從事し。遂にその祕奧を授り。貞德うせぬる後は。其遺命により飛鳥井大納言雅章卿。清水谷前大納言實業卿の兩亞相につきて。點削をうけしかど。その主張する處は舊説をあらためず。萬葉集幷に八代集等をはじめ。歌學の古書を注解すること數多く。中にも伊勢物語。土佐日記等の注解は。後水尾上皇の叡覽に備はり。徒然草の文段抄は。いかなる傳にか府にも傳へ。うち〳〵の御けしきありてさゝげ奉りしことあり。かかりし後はその名遠近に聞え。歌學のほまれ高かりき。其後は京五條新玉津島の俗別當となりて居たるに。當代道々の才をすてさせ給はず。側陋を擧用ひ給へば。かく召出され。これより常に昵近し。歌書を進講し。御垂問をかうぶり。著作せる書籍ども數多かりしとぞ。〈日記、家譜〉

○廿三日小姓小笠原新九郞廣光。永井内匠尚村。小納戸筧五郞兵衞正庸小普請に入らる。〈日記〉

○廿四日紅葉山台德院殿靈廟に詣給ふ。先導は保科肥後守正容。御刀は黑田豐前守直邦。御沓は佐藤三左右衞門信勝。其他例のごとし。

增上寺古岩。傳通院了也歳暮をほぎてもの獻る。

今夜追儺なり。〈日記〉

○廿五日立春なり。

步行頭林藤五郞忠和役料三百俵給ふ。

鼓師德永又兵衞某。佐藤權之助豐恭召出され。各百五十俵たまひ。廊下番命ぜらる。

日光山にて天眞法親王病に臥給ふよし聞ゆれば。醫員橘隆庵元常をつかはさる。〈日記〉

○廿六日書院番頭内藤上野介正勝留守居になる。諸老臣。御側に時服給ひ。その他の輩歳抄の褒行はるゝこと例のごとし。〈日記〉

○廿七日松平土佐守豐昌子民部豐房從四位下に叙せられて民部大輔と稱す。

又叙爵十六人。榊原虎之助政邦は式部大輔。石川吉十郞乘紀は美作守。松浦壹岐守棟が子源三郞長は肥前守。青山下野守忠重が子左衞門忠貴は筑後守。大村因幡守純長が子數馬純尹は筑後守。毛利駿河守高久が子助十郞高慶は周防守。大番頭高木大學正陳は主水正。菅沼主水定實は攝津守。小姓組番頭青山藤右衞門幸豐は信濃守。福島左兵衞正勝は伊豆守。勘定頭稻生五郞左衞門正照は伊賀守。堺奉行佐久間宇右衞門信就は丹後守。奈良奉行大岡彌右衞門忠高は美濃守。尾邸の老竹腰龍助友正は筑後守。甲邸の老小出伊織有仍は佐渡守。岡野外記成勝は對馬守と改む。

又大坂船手頭小濱民部廣隆。留守居番田村助大夫顯當。先手頭安藤傳十郞定行。依田源六郞信重。書院番組頭永井宮内直澄。本多源右衞門利政。小姓組與頭戸田半七郞政倚。本多市左衞門正芳。目付牧野半三郞嘉成。使番水谷彌之助勝阜。岡部久太郞某。下條長兵衞信澄。本多彌兵衞政法。步行頭堀田善右衞門勝清。前田孫八郞定相。石卷七郞左衞門康宗。小十人頭小笠原十右衞門廣高。山本七兵衞正勝。蜂屋傳左衞門定高。佐々喜三郞成澄。納戸頭高尾源左衞門信仍。小普請奉行組頭梶四郞兵衞重正。建部十郞左衞門昌孝。三丸用人森彦右衞門賴俊。甲邸用人鈴木四郞左衞門政照。建部甚右衞門賢豐は布衣着する事をゆるさる。〈日記〉

○廿八日歳暮拜賀例のごとし。

使番榊原伊織勝直駿城目付はてゝかへり謁す。

西本願寺新門跡光澄使もて二種一荷さゝげ得度を謝し奉る。

日門の病をとはぜ給ひ。日光山へ人葠ををくらせ給ふ。〈日記〉

○廿九日家門まうのぼり歳暮を賀せらる。

百人組の頭蒔田權佐定行。先手頭羽太權兵衞正久病免し寄合になる。

目付小笠原源右衞門信直奉職無狀とて職ゆるされ。遠慮せしめらる。

谷出羽守衞廣封地にて病臥したれば。その子右京照憑看侍のいとま給ふ。〈日記〉

◎この月仰出さるゝは。市人等免許なきもの。府にて駕籠に乘るべからざる旨令せらるゝこと。天和元年七月の令におなじ。〈大成令〉