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常憲院殿御実紀/卷三十

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常憲院殿御實紀卷三十 〈元祿七年七月に始り 十二月に終る〉

七月

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七月朔日月次拜賀例のごとし。

石川主殿頭憲之。本多能登守忠常參覲す。松平大和守直矩就封の暇給ふ。

前田釆女利昌初見の禮をとる。

使番妻木彦右衞門賴保。書院番山中五郞左衞門東俊。長門周防の目付仰付られ暇給ふ。

けふ三崎奉行山岡傳五郞景忠先手頭となり。二丸留守居小泉兵庫養正。書院番水野權十郞忠順共に步行頭となり。拂方納戸頭杉田五左衞門勝行小十人頭となり。書院番根來五左衞門長清三崎奉行となる。

神津島へ鳥を放たしめらる。〈日記〉

○二日易の御講筵あり。

○三日松平加賀守綱紀。保科肥後守正容かねて願ひ奉るにより易の御講義あり。御筆の大字を給ふ。はてゝ饗せられ御舞を見せしめらる。綱紀。正容も論語を進講す。〈日記〉

○五日日光門跡公辨法親王星夕の賀とて二種一荷奉らる。

此日驛送して大内に新鮭を進らせ給ふ。〈日記〉

○六日例の家々より。七夕の賀とて鯖料を獻る。〈日記〉

○七日當賀例のごとし。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。

けふ高家由良信濃守賴繁京より歸謁す。

新番頭伊澤吉兵衞正久日光山盆使にさゝれ暇給ふ。〈日記〉

○九日御筆の謝物とて。松平加賀守綱紀より𥿻縮百端。干鯛一匣。保科肥後守正容より硯箱。文臺を獻ず。

けふ驛傳して本院。仙洞へ鮭を進らせ給ふ。

使番堀小四郞利安。書院番駒井内匠政春備中松山の目付にまかり。心とゞかぬ事ありとて閉門せしめられ。走水奉行青山藤藏幸隆は水谷出羽守勝美が家領除かれし事により。ひがふるまひありとて逼塞せしめらる。〈日記〉

○十日易御講筵あり。

淺草大護院に八幡宮創建せしにより。社領百石よせらる。別當は在府して。御祈の事丹精を抽べし。京八幡豐藏坊には。徒弟もて住職せしむべき旨命ぜらる。

この日寄合秋田平大夫季重が養子八郞右衞門季治。眞田勘解由信就が子主膳信方はじめ。父致仕してその子家つぐもの十三人。

平大夫季重は千三百石の内。二子平三郞季孝に五百石わかつ。〈憲廟實錄、日記〉

○十一日伏見奉行岡田豐前守善次子左京善諧。先手頭堀八郞右衞門直依養子書院番平右衞門直治。小十人頭向坂清三郞寬政子主水宅政。三丸用人青木小左衞門政之子小十人組勘右衞門政央。寄合花房五郞左衞門職攻養子豐之助職勝。高力左兵衞長氏養子圖書定重。小普請久永飛驒守重章子七十郞信豐はじめ。父死して其子家つぐもの五十八人。

豐前守善次は六千石の内。二子書院番忠三郞善武に七百石。清三郞寬政は二千三百石の内。次子万三郞政庸に千石。小普請立花與兵衞種成は七百石の内。次子小四郞種治に貳百石分つ。勘右衞門政央は小姓組にうつさる。〈日記〉

○十二日令せらるゝは。市井にて鞠ひさゝぐ者。其業をやめ。他の商賣すべし。ことさら犬皮用ふべからずとなり。〈令條記〉

○十四日紅葉山諸廟に詣給ふ。大久保加賀守忠朝。戸田山城守忠昌。土屋相摸守政直。少老秋元但馬守喬知豫參し。少老松平彈正忠正久。御側曾我播磨守助興。仙石壹岐守久信。安藤伊勢守定行供奉し。保科肥後守正容先導し。黑田豐前守直邦御刀。神保新五左衞門長治御沓の役す。この日東叡は高家大友近江守義孝御使し。三緣は奏者番朽木伊豫守稙昌御使し。例の盆料を給ふ。〈日記〉

○十五日桂昌尼公へ生御魂を賀せられ。御側米倉丹後守昌尹もて金五枚。三種二荷を進らせ給ふ。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に戸田山城守忠昌代參す。

使番竹中彦八郞重之日光山目付代命ぜらる。〈日記〉

○十八日次番一人小普請に入らる。

けふ諸隊の番士に令せらるゝは。番士等常に文學に心いれしむべし。又射藝仰付らるべければ其心すべし。弓具に華餝加ふる事はあるべからず。射法あたり等專らたるべし。こはこたびに限らず。常に嗜むべき旨。所屬へ告諭すべし。すべてかけものして射る事は。なさしむべからずとなり。

又番士の輩高田馬場にて乘馬せしめ。番頭鑒閲すべき旨仰出さる。馬つくろふ事はかたくなすべからず。馬具等華餝すべからず。其技の達者なるを專要とすべし。高田馬場へまかるとき。往來あるは其地にても。作法よきやうなさしむべし。こたびに限らず。騎馬の事常に心入しむべしとなり。〈日記〉

○二十日東叡山大猷院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉

○廿二日小姓近藤宮内政德寄合になり。近習番一人は新番にかへさる。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。土屋相摸守政直代參す。〈日記〉

○廿五日大島へ鳥を放しめらる。〈日記〉

○廿六日易の御講筵あり。

去る閏五月大風雨により。松平淡路守綱矩が領邑。三万五千石傷損のよし注進あり。〈憲廟實錄〉

○廿七日令せらるゝは。前令のごとく。戲場の俳優。あるは游浪の少年。あるは俳優ならずとも。前髮あるもの幷に舞妓等。婦女のもとへ出入せしむべからず。もし違犯せば見及ままにとらへ。その主はいふまでもなし。町役人迄も曲事たるべしとなり。〈年錄〉

○廿八日月次拜賀例の如し。

土井周防守利盆はじめ參覲三人。松平筑後守忠繼就封のいとま給ふ。

新番頭伊澤吉兵衞正久日光山より歸謁す。

湯島靈雲寺覺彦關東眞言律本寺命ぜられしを謝し。淺草大護院は社領給はりしを謝し奉る。

使番淺野隼人長恒。書院番岡部庄左衞門重矩は。大坂目付にさゝれいとま給ふ。〈日記〉

○廿九日豐後國臼杵城主稻葉右京亮景通遺領五万六十石を。弟能登守知通につがしめらる。この景通は故の能登守信通が子なり。正保三年五月十日初見し。承應三年十二月廿八日叙爵して右京亮と稱し。延寳元年八月廿一日家つぎ。この閏五月廿日五十六歳にて死したり。

この程兩番頭高田馬場にて番士の乘馬鑒閲すべきむね仰出れしによて。今より後は近地馬場にて追々に乘馬を閲すべき旨傳へらる。〈日記、藩翰譜續編、年錄〉

◎此月令せらるゝは。犬鬪て傷損せば。すみやかにその毛色幷に疵のさまつばらにしるし。切通しの犬醫五郞兵衞に調藥せしめ。心いれてやしなふべし。尤犬醫へは。分に應ぜる謝儀あるべしとなり。

又此ごろ所在の廣路にて。夜ごとに會集し。相撲なすよし聞ゆ。前々より停禁したれば。違犯のものは嚴にとがめらるべしとなり。〈令條記〉


八月

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○八月朔日當賀例のごとし。〈日記〉

○二日驛傳して内に新鴻進らせ給ふ。

この日市谷月桂院關東十刹の列に加へられ月桂寺と改む。山號も今までは平安山といひしを。正覺山とあらたむ。これ柳澤出羽守保明が香火院たれば。保明あながちにこひ奉るによれり。山號の正覺は。保明が父の法號をもて名づけしとぞ。

三崎奉行根來五左衞門長清赴任の暇給ふ。

小納戸塙喜八郞直昌小普請に入らる。

步行頭佐野内藏丞政信釆邑の民。苛政をくるしみ。その地を迯散し。訴狀をさゝげたるにより査撿ありしに。常に不良の事ありとて。職うばはれ逼塞命ぜられ。その家人一人。主の釆邑にて。私に猪狩せしとて梟首せられ。訴狀さゝげし民も罪せらるゝもの多し。〈日記、松蔭日記〉

○三日易の御講筵あり。

瑞光尼〈桂昌院殿御姉〉にたまはりし廩米三千俵を釆邑にかへて。その子進藤伊右衞門資長に給ふ。これ桂昌尼公こはせ給ふによてなり。

宗對馬守義倫大病によて。奏者番田村右京大夫建顯してとはせらる。〈憲廟實錄、日記〉

○四日驛傳して。内へ初鶴。本院へ初鴻を進らせらる。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。

この日知足院僧正隆光浴油執行により梨子一籠給ふ。〈日記〉

○九日使番石丸數馬定勝。西城裏門番頭永井彦兵衞元孝職ゆるされ寄合になる。

小納戸門奈半十郞重安小普請に入らる。

けふ驛使もて仙洞へ鴻を進らせ給ふ。〈日記〉

○十日易の御講筵あり。日光門跡公辨法親王拜聽せらる。〈日記〉

○十一日大坂定番内藤上野介正勝病により。長子式部少輔正友看侍の暇給ひ。又請まゝに醫員井上玄徹某をつかはさる。〈日記〉

○十二日臨時朝會あり。

松平主膳就勝首服加へられ。從四位下侍從に叙任し。御名の一字給はり。大膳大夫吉廣と稱す。よて吉廣より備前眞長の太刀。時服廿。銀三百枚獻ず。御盃下され。來國光の御刀を引出物せらる。

酒井河内守忠擧始め參覲五人。安藤對馬守重博はじめ就封六人。

稻葉能登守知通より。亡父右京亮景通遺物延壽國資の刀を獻じ。御臺所に冷泉贈大納言爲之卿筆の後拾遺集をさゝぐ。

進藤伊右衞門資長は新知を謝し奉る。

この日小姓組拓植平右衞門兄正。書院番布施孫兵衞重信ともに步行頭になり。廣敷番頭貴志孫大夫忠秋西城裏門番頭になり。納戸組頭鈴木源五右衞門利雄拂方納戸頭になる。〈日記〉

○十三日驛傳して仙洞へ新鶴を進らせ給ふ。〈日記〉

○十五日月次拜賀例のごとし。

旗奉行酒井小平次忠村病免して寄合になる。

奧能あり。日門見物せしめらる。〈日記〉

○十六日新島へ鳥を放たる。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮へ阿部豐後守正武代參す。

使番山口孫次郞直重日光山目付代仰付らる。

この日知足院隆光に御染筆ものを給ふ。〈日記、天享東鑑、寺傳〉

○十九日下野國大田原城主大田原備前守典清遺領一万千四百石を。その子和泉守純清につがしめらる。此典清實は織田小十郞政晴が子なり。故山城守高清が養子となり。延寳二年十一月七日初見し。三年十二月廿六日叙爵して備前守と稱し。五年九月廿五日高清致仕せし時家つぎ。この六月廿一日三十七歳にてうせたり。

この日瞽者三島撿挍某惣撿挍を仰付らる。〈日記、藩翰譜續編〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉

○廿一日森内記長繼が季子龜之助長直に千五百俵。田村右京大夫建顯弟主殿顯寬に七百俵。永井伊賀守直敬弟刑部尚昌に五百俵新にたまはり。共にめし出さる。

又南部信濃守行信弟主税政信に五千石。主計勝信に三千石。淺野内匠頭長矩が弟大學長廣に三千石。眞田伊豆守幸道再從弟孫七郞信親。青山播磨守幸督が弟兵部幸澄に二千石づゝ。各こふままに私墾の田をわかち。御家人に加ふる事を御ゆるしあり。〈日記〉

○廿二日駿府城番松平左大夫定澄病免して寄合になる。〈日記〉

○廿三日中奧小姓三好石見守政盛。東條能登守義叔奉職無狀とて。共に小普請に入らる。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。土屋相摸守政直代參す。〈日記〉

○廿五日桂昌尼公增上寺にわたらせ給ひ。法問御聽聞あり。〈三緣山誌〉

○廿六日桂昌尼公護國寺に詣給ふ。よて御側松平美作守直丘もて。檜重を進らせらる。

鹿島へ鳥を放たしめ給ふ。〈日記〉

○廿七日紀伊大納言光貞卿。甲府中納言綱豐卿。幷に保科肥後守正容がために孟子を講じ給ふ。はてゝ申樂あり。御みづから白髭。東北。亂をかなで給ひ。百萬は阿部豐後守正武。賴政は牧野駿河守忠辰役せり。よて亞相。黃門より檜重。魚物獻られ。正容より檜重を奉る。

この日御側松平右京亮輝貞一萬石益封ありて。柳澤出羽守保明が列たらしめらる。

又藤堂和泉守高久大病により。その子大學頭高睦めして御尋あり。こふまゝに醫員長島道泉瑞得をつかはさる。〈日記〉

○廿八日月次なり。

松平大藏大輔正甫。松平周防守康官參覲す。

内藤丹後守清枚。酒井石見守忠豫。堀式部直宥。伊丹左京勝守坂城加番はてゝかへり謁す。

使番井上太左衞門正清駿城目付の暇給ふ。

大番の子初見三人。

この日松平縫殿頭乘成は大坂定番となり。鎗奉行天野彌五右衞門長重は旗奉行となり。先手頭大岡忠右衞門忠眞は五百石加へ給ひ駿府城番となり。書院番戸川内藏助安明は先手頭となり。中奧小姓酒井主膳忠平。井上内記正長。小姓組長谷川五左衞門勝知。書院番山崎四郞左衞門正周。德永平兵衞昌範。成瀨瀧右衞門重章。井上主水正式ともに使番になる。〈日記〉

○廿九日東本願寺泥洹院門跡光晴の遺物とて。門跡光海より茶壺を獻じ。御臺所に某筆の續古今集を奉る。

岡田豐前守善次遺物とて。其子左京善諧より末左の刀をさゝぐ。

この日柳澤出羽守保明奉書もて。藤堂和泉守高久が病をとはせ給ふ。〈日記〉

○三十日陸奧國福島城主堀田下總守正仲遺領十万石を。弟伊豆守正虎につがしめらる。この正仲は故筑前守正俊が子にて。寬文十一年十二月廿二日初見し。延寳四年十二月廿六日叙爵し下總守と稱し。天和二年十二月十五日四品に叙す。父筑前守正俊が大老の間は。正仲すべて先代に酒井雅樂頭忠清が子河内守忠擧がつとめしさまにて。先導以下の事をつかうまつり。朝會には溜詰の座に列る。そのうへに。記錄の事又は服忌令をも惣裁し。頗る功あり。貞享元年十月十日家つぎ。弟伊豆守正虎に二万石。兵部俊季一万石を分ち。この後は何事も貶黜のさまにて。それより二年六月廿二日下總の國古河より出羽の山形にうつされ。三年七月十三日また今の地に轉封せられ。此七月六日卅三歳にて卒しぬ。〈日記、藩翰譜續編〉

〈世に傳ふる所は。この人性質溫順にして長者の名あり。父正俊が事ありし後は。有司等迎合して。正仲が封を轉じ。いよ〳〵磽确の惡地のみをさづけられしかば。正仲家計窮迫し。家人を扶助する事を得ざるにいたれり。されどすこしも怨望の色なく。晏如として時世をそしる言をなさず。弟に膏腴の地を割あたへ。器財も精良なるをば弟に分ち。麁惡なるものをその身の用には充けるとなり〉〈國史〉

また奧詰水野周防守忠增死しければ。その子中奧小姓肥前守忠位に家つがしめらる。〈日記〉


九月

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○九月朔日拜賀例の如し。

松平右近將監近禎參覲す。

遠山和泉守友春。寄合土井左門利良。秋山十右衞門正輔。駿城加番の暇給ふ。

先に召出されし南部主税政信。淺野大學長廣。南部主計勝信。青山兵部幸澄。眞田孫七郞信親。森帶刀長直。田村主殿顯寬。永井刑部尚昌。各分地。新地を謝し奉る。

十右衞門正輔長子三四郞正億。幷に書院番の子初見するもの六人。〈日記〉

○二日易の御講筵あり。

けふ御宮。靈廟に稻荷山松茸を進め給ふ。〈憲庿實錄、日記〉

○三日柳澤出羽守保明が邸に臨駕あり。保明に鯛。妻に檜重給ふ。かしこに酒井河内守忠擧をめされて。御筆の大字を下さる。御講書。申樂等例のごとく。内々の恩賜家臣にをよぶ。〈日記、柳澤家傳〉

○五日重陽を賀して。例の家々より時服奉る。

日門登山により。高家織田能登守信門御使し。菓子つかはさる。

けふ令せらるゝは。府内にてかひをける金魚銀魚の員數。くはしく注記して出すべし。畜養せし事はくるしからざれば。有のまゝにしるし出すべしとなり。〈日記、令條記〉

○六日日門まうのぼり辭見せらる。よて香爐。香盆。銀皿を贈らせ給ふ。〈日記〉

○八日紅葉山諸廟にまうで給ふ。先導保科肥後守正容。御刀黑田豐前守直邦。御沓筒井内藏忠清役す。其他は例のごとし。〈日記〉

○九日重陽拜賀例のごとし。〈日記〉

○十日高家大友近江守義孝は日光山靈廟の代參。戸田彈正氏成は祭禮奉行命ぜられいとま給ふ。

東本願寺門跡光海より。使もて二種一荷獻じ。末寺の緇徒御講筵に召れしを謝し奉る。〈日記〉

○十一日桂昌院殿より高家六角越前守廣治に伊勢代參使命ぜられ暇給ふ。

この日知足院僧正隆光が病をとはせ給ひ。氷糖。吉野葛を給ふ。〈日記、寺傳〉

○十四日故甲府宰相綱重卿〈清揚院殿御事〉十七囘忌により。傳通院に大久保加賀守忠朝御使し。香銀百枚すゝめ給ふ。宰相綱豐卿御もとには。御側米倉丹後守昌尹もて檜重をつかはさる。〈日記〉

○十五日月次例のごとし。

松平右衞門佐光之就封のいとま給ひ。松平志摩守重榮參覲す。

堀田下總守正仲遺物正宗の刀を。弟伊豆守正虎より獻ず。御臺所には二條亞相爲世卿筆の古今和歌集なり。

又水野周防守忠增の遺物備前久次の刀を。其子肥前守忠位より獻ず。〈日記〉

○十七日紅葉山御宮に御參あり。先導以下八日の御詣にかはらず。〈日記〉

○十八日小普請より桐間に入番六人。近習番より書院番になるもの二人。大番になるもの一人。桐間より小姓組になるもの貳人。書院番になる者四人。

また近習番伏屋主馬爲貞。菅沼新之丞定尚は小納戸になる。

此日驛傳して日門へ枝柿をつかはさる。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。

けさ高家大友近江守義高。祭禮奉行戸田彈正氏成日光山よりかへり謁す。

○廿一日小姓石川四郞左衞門政常。小納戸赤井彌十郞直矩桐間に貶さる。

○廿二日昌平坂孔廟に詣給ふ。諸老臣。御側。寺社奉行等例のごとく陪從す。けふ桂昌院殿もやがてわたらせらる。其時仰高門まで出むかはせ給ひ。御みづから導かせ給ふ。この日儒臣林大學信篤に時服五。箱肴たまひ。七三郞信充に色羽二重五疋下さる。御拜はてゝ御宴あり。尼公和歌を詠じ給ひければ。御所には其跋文をかゝせ給ふ。〈日記〉〈御歌、御文ともに附錄にのせたり〉

○廿三日松平隱岐守定直西城修理の助役命ぜらる。

又公弁法親王歸寺により。高家織田能登守信門して慰勞し給ふ。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿廟廷に。阿部豐後守正武代參す。

公弁法親王まうのぼられ御對面あり。〈日記〉

○廿五日大坂定番松平縫殿頭乘成に金三千兩。駿府城番大岡忠右衞門忠眞に二百兩恩貸せらる。赴任によてなり。

桐間番松野六郞兵衞親冬は二丸留守居になる。〈日記〉

○廿六日淺草藏奉行米倉六左衞門某。幷に養父小普請半左衞門某米券を僞造し廩米を掠取。かつ六左衞門は家人を切害して。その事を誣んとせし事露顯し。大辟に處せられ。其子賴母某は切腹せしめらる。〈日記〉

○廿七日桂昌院殿知足院にわたらせ給ひ。僧正隆光に金五枚。羽二重十疋。綿貳貫目給ふ。隆光より公卿集寫の歌仙手鑑一帖。盆花二種。瓶花二種。杉重一組獻ず。よて御側曾我播磨守助興もて。尼公に檜重進らせらる。

奏者番田村右京大夫建顯御使し。宗對馬守義倫が病をとはせ給ふ。〈日記、寺傳〉

○廿八日月次なり。

使番榊原伊織勝直。小姓組德山權十郞重俊坂城目付はてゝ歸り謁す。〈日記〉

○廿九日宗對馬守義倫卒しければ。その父致仕刑部大輔義眞のもとに。奏者番土井周防守利益御使し。香銀二百枚給ふ。

又新島へ鳥を放たしめらる。〈日記〉

◎此月令せらるゝは。印章彫刻するに。他の印帋もて。そのまま彫る事かたく停禁すべし。繪本のごとくしるして。印章あつらふとも。其ごとく少しもたがはざらん樣には彫るべからず。文字の分寸もてあつらふるはくるしからず。こはもし印章を影寫して僞造するためなれば。其心して。うたがはしき事は。あつらふとも彫るべからずとなり。〈大成令〉


十月

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○十月朔日月次拜賀例のごとし。〈日記〉

○二日易御講筵あり。〈憲庿實錄〉

○三日金地院に初て臨駕あり。つとめて安長老まうのぼり迎へ奉る。少老加藤佐渡守明英。御側松平美作守直丘。其他兩番頭。目付。小十人。步行の頭等供奉し。戸田山城守忠昌は押後す。御先には阿部豐後守正武。土屋相摸守政直。昵近柳澤出羽守保明。松平右京亮輝貞。少老秋元但馬守喬知。御側米倉丹後守昌尹。藤堂伊豫守良直。寺社奉行戸田能登守忠眞。其外大目付。目付。納戸頭等まかりむかへ奉る。ならせ給ひて。安長老。云西堂。南禪寺惣代寔長老。京五山惣代靈長老。鎌倉五山惣代湛長老。市谷月桂寺秀長老。駒込龍光寺賢長老。晃首座。札首座等拜謁す。普濟禪師には銀百枚。三種二荷給ひ。寺領二百石增給ふ旨面命せらる。安長老に銀五枚。云西堂に三枚下さる。普濟禪師より二束一卷。二種一荷獻じ奉る。かくて禪師は碧巖錄を進講し。次に禪侶の法問御聽聞あり。ことはてゝ禪師に料紙硯箱を給ひ。安長老に時服をたまひ。法問つかふまつりし輩に銀三十枚下さる。禪師より重て歌書一部。檜重獻じ。安長老。云西堂より菓子を獻ず。かくて御もの進る時。禪師ことさらの仰ごとありて伴食す。次に御みづから論語爲政の篇を講じ給ひ。緇徒みな拜聽をゆるさる。次に亂舞催給ひ。僧侶拜見せしめられ。夕つげて還御なる。安長老ふたゝびまうのぼり御けしきうかがふ。〈日記〉

○五日亥日の儀例のごとし。〈日記〉

○六日武藏國松山の領主内藤上野介正勝が遺領一万六千石を。その子式部少輔正友につがせらる。此正勝は一族三郞兵衞正隆が長子なり。故御側式部少輔正次が養子となり。慶安四年九月二日初見の禮をとり。寬文元年正月十日中奧小姓になり。同じ六月六日奧小姓に轉じ。その十一月三日庇蔭料五百俵給はり。二年十二月廿九日從五位下に叙し上野介と稱し。七年十二月廿六日かさねて五百俵加秩を給ひ。十年十月廿八日家繼で五千石領し。十二年二月廿一日小姓組番頭にのぼり。天和二年四月廿一日役料を采邑に加へられ六千石になさる。貞享二年七月廿八日書院番頭に移り。元祿二年十二月廿六日留守居になり。六年十一月廿八日一万石加へられ。合て一万六千石になされ。大坂定番となり。此八月七日任所にてうせぬ。年五十三。〈日記、藩翰譜續編〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉

○九日小納戸近藤治右衞門正廣幷に近習番一人。桐間番三人は兩番に歸番し。小納戸松前九左衞門廣次幷に桐間番一人は大番にかへされ。小納戸本田助之丞正方幷に次番貳人。桐間番一人。廊下番一人は小普請に貶せられ。桐間番一人。廊下番二人は二丸張番に貶さる。

この日初て知足院僧正隆光に茶壺を給ひ。此後例賜せらる。〈日記、寺傳〉

○十日諸有司へ令せられしは。前々より仰出されし生類愛憐の事は。深き盛慮ある事にて。政法のためにも。下々まで仁心をもはらとせば。少しもひがめる事なかるべし。もし思ひたがふ者ありとも。有のまゝに聞えあぐべしとの思召なるに。生類をあはれむ事も。あるは他聞をはゞかり。あるは諂諛の心もて。内心にあらざる表のかざりをなさずして。仁心にまぎるゝことなからん樣につゝしまば。仰出さるゝ旨なしといふとも。をのづから政法もたつべし。此旨同僚へもはかりあひ。所屬へも告諭し。家人。領民等にも心得せしむべしとなり。〈年錄、令條記〉

○十一日奧詰石川美作守乘紀。六鄕伊賀守政晴。松平阿波守忠雄。松平内膳直知ゆるされて舊班にかへさる。〈日記〉

○十二日日光門主公弁法親王まうのぼられ。易の御講義を拜聽せられ。御饗ありて又拍子の御遊あり。陪從の緇徒みな是にあつかる。〈日記〉

○十五日月次なり。

九鬼大隅守隆常。松前志摩守矩廣參覲す。

三宅出羽守康雄。齋藤賴母利有。能勢治左衞門賴方駿城加番はてゝかへり謁す。

治左衞門賴方子新十郞賴安初見し奉る。

金地院普濟禪師こたびの特恩を謝し奉る。

書院番の子初見貳人。

知足院僧正隆光に精好練𥿻をたまふ。〈日記、寺傳〉

○十七日紅葉山御宮に戸田山城守忠昌代參す。

使番井上主水正式日光山目付代仰付らる。〈日記〉

○十八日護國寺へならせ給ふ。桂昌院殿にも同じくわたらせらる。豫參供奉の輩例にかはらず。寺領三百石加へ給ひ。六百石になさるゝ旨面命せられ。又銀百枚。昆布一箱給ひ。衆僧に銀五十枚下さる。この日尼公にも綿百把。昆布一箱を進らせ給ふ。知足院僧正隆光には銀百枚。時服三給ひ。尼公より銀三枚。綿十把給ふ。〈日記、寺傳〉

○二十日東叡山大猷院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。

松平肥前守綱政封地にて大病の聞えあれば。奉書もてとはせ給ふ。〈日記〉

○廿一日重陽に時服獻ぜし家々に御内書を給ふ。

また此十五日青蓮院門跡尊證法親王逝去のよし。昨日京職より注進ありければ。高家品川豐前守伊氏して日門を吊せらる。〈日門〉

○廿二日本庄因幡守宗資の邸にならせ給ふ。桂昌院殿にもわたらせらる。宗資に綿子五。三種二荷。妻に羽二重廿疋。箱肴。安藝守資俊。富田賴母知鄕。牧野大藏康重。宗資が女子二人。資俊が妻。本庄兵庫宗彌。六角越前守廣治が母。賴母知鄕が妻に各羽二重十疋づゝ。本庄豐五郞宗長。大澤友太郞基實。六角主殿廣豐。興津源太郞忠祿に五疋づゝ給ふ。

この日又尼公にも紗綾三十卷。色糸廿斤。箱肴進らせらる。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉

○廿五日小石川離第にならせ給ふ。諸老臣。番頭。近習の輩等陪從例にかはらず。知足院僧正隆光召れて。かしこにまいり詩哥を獻ず。〈日記、寺傳〉

○廿八日月次拜賀例のごとし。

山名伊豆守矩豐養子主税隆豐初見し奉る。

この日小姓組一人。書院番一人。新番二人。大番二人。小普請五人桐間に入番す。近習番より次番にうつる者一人。桐間番。廊下番より近習番にうつる者各一人。

二條右大將綱平卿の長子。明のとし首服加へらるゝにより。御名の一字請進らせらる。よて其使に祿給ふ。〈日記〉

○廿九日增上寺大僧正了也まうのぼり易の御講説あり。大僧正了也はじめ。緇徒みな拜聽す。〈日記〉

○三十日紀伊大納言光貞卿。甲府中納言綱豐卿。水戸中納言光圀卿。幷に松平攝津守義行。松平出雲守義昌。松平播磨守賴隆。松平豐前守賴路。松平大學頭賴貞。保科肥後守正容論語御講説拜聽あり。次に亞相。兩黃門に猿樂をまはしめ給ふ。光貞卿は野々宮。綱豐卿は芦刈。光圀卿は葵上なり。はてゝ御みづからも御舞あり。三卿の家司等にも拜見せしめ給ふ。畢て三卿に唐織五卷づゝ給ふ。

◎此月令せらるゝは。前々も令せられしごとく。市井肆店にて。念佛題目講と號し。鐘鼓を鳴し。佛名題目をとなへ。衆人群會する事停禁たれば。今より後もいよ〳〵禁ずべし。肆店借りて諸寺社の開扉ととなへ。あるは靈寳と稱し。募緣する事かたく禁ずべし。もしなくてかなはざるゆへあらば。寺社奉行へうたへ。指揮にまかすべし。この旨家主よく査撿し。紛れなくば。勸進の本人をめしつれ。兩廳にうたへ指揮うくべしとなり。〈大成令〉


十一月

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○十一月朔日月次なり。

寄合近藤伊右衞門資長中奧小姓となる。

三卿はじめ。昨日御講説拜聽せし輩より各肴を獻ず。〈日記〉

○三日松浦壹岐守棟病により。請まゝに奏者番。寺社奉行兩職を免さる。

小姓伊東民部長救も病により。ゆるされて舊班にかへさる。〈日記〉

○四日易御講説あり。〈憲廟實錄〉

○七日織田伊豆守信武大和の國宇田の領知にて。先月卅日自害せしにより。二條城の目付幷に大番組頭撿屍にまかるべき旨。驛使もて傳へらる。〈日記〉

○八日東叡山嚴有院殿靈廟に。土屋相摸守政直代參す。〈日記〉

○九日御臺所附桑原善兵衞昌盛。大番組頭小笠原源六郞持眞御臺所用人となり。元方納戸組頭堀又兵衞長鄕小谷方用人となり。共に貳百俵づゝ加へたまひ。小谷方用人河野善左衞門貞通は二百俵加秩たまひ。小十人組武島左平太茂雅百俵加へ給ひ。鶴姫御方用人となる。

儒臣林大學頭信篤が門人中村新兵衞房喬。松浦藤五郞成之めしいだされ儒員に加へらる。

小姓林又右衞門信如采邑八百石收公あり。廩米二百俵給はり。柳澤出羽守保明にあづけられ。川越に閑居せしめらる。

市醫木村春湖某。中村玄悦兼照。木村養運輝安。吉田一庵宗貞。小島昌怡維和。柳澤出羽守保明が醫小林西倫賴英。外科淺井休澤某。石川良順某召出され。醫員に加へらる。

こたび黃檗山開祖隱元禪師に國師號御追贈ありし謝使。万福寺の雪村にいとま給ふ。

又桂昌院殿御願により。京今宮に社領百石よせ給ふ。〈日記、憲廟實錄、湯原日記〉

○十二日遠江國掛川城主井伊伯耆守直武こふまゝに致仕し。所領三万五千石を其子兵部直朝につがせらる。この直武は故の兵部少輔直好が子にて。初め菊千代また万千代といふ。万治元年三月廿六日九歳にて初見し。寬文四年十二月廿八日爵たまはり伯耆守と稱し。十二年三月五日家つぎ。けふ家ゆづりて。元祿十年三月八日四十八歳にてうせぬ。〈日記、藩翰譜續編〉

○十四日易の御講義あり。〈憲庿實錄〉

○十五日月次なり。

上杉彈正大弼綱憲が子喜平治初見し奉る。

東叡の凌雲院義道正僧正を謝し。山王別當觀理院宥海住職を謝す。

井伊伯耆守直武の得物とて。備前助眞の刀を獻じ。御臺所に冷泉中納言爲秀卿筆拾遺集をさゝぐ。

こたび召出されし醫員等初見し奉る。

府中より歸りし馬方二人拜し奉る。

又奏者番永井伊賀守直敬寺社奉行を兼しめらる。

此日火をいましむべき旨令せらる。〈日記〉

○十六日令せられしは。こたび金魚。銀魚を藤澤清淨光寺道場の池へ放るれば。各收蓄せるもの。もしはなさんとおもはゞ。はゞかりなくかの寺に送りつかはすべし。但し放つとき其員數をしるし。目付へ出すべしとなり。〈令條記〉

○十七日紅葉山御宮に大久保加賀守忠朝代參す。

大島に鳥をはなたしめらる。〈日記〉

○十八日京西山善峯寺に寺邊の山をよせらる。桂昌院殿こはせ給ふによれり。〈日記〉

○十九日府中にまかりし馬方二人に時服をたまふ。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。戸田山城守忠昌代參す。〈日記〉

○廿一日前夜地震により。家門使もて御けしきをうかゞはる。

この日小納戸櫻井市右衞門信乘。伏屋主馬爲貞ともに小姓になり。近習番二人は次番になり。桐間番一人は大番。一人は小普請になり。近習番一人は書院番。一人は大番になる。〈日記〉

○廿二日桐間番二人は近習番となり。一人は小姓組になり。五人は大番になり。一人は新番にかへり。一人は大番にかへされ。一人は小普請に貶さる。また近習番一人は書院にかへさる。〈日記〉

○廿三日驛使して。禁裏に子籠鮭進らせ給ふ。

儒員土田孫三郞貞休次番になる。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。阿部豐後守正武代參す。〈日記〉

○廿五日評定所式日に。御側用人柳澤出羽守保明始て出座せしめらる。

この日對馬國府中城主宗對馬守義倫が遺領一万千八百三十七石を。弟治郞義方につがしめらる。義方幼稚たれば。父刑部大輔義眞しばし朝鮮國の事あつかふべしと仰付らる。この義倫は。刑部大輔義眞が子にて。延寶六年二月廿二日初見し。貞享元年十二月廿五日從四位下に叙し右京大夫と稱し。元祿五年六月廿七日父致仕のとき家つぎ。十二月十八日侍從に任じ。對馬守にあらため。この九月廿七日二十四歳にてうせぬるなり。

此日儒員松浦庄藏屓次番命ぜらる。

又次番より桐間番となるもの一人。〈日記、藩翰譜續編〉

○廿七日易の御講義あり。

西城修理成功せしかば。御座所。御休息所安鎭祈禱。知足院僧正隆光つかふまつる。よて隆光に銀百枚。二種一荷。衆僧に銀三十枚給ふ。〈憲廟實錄、日記〉

○廿八日月次拜賀例のごとし。

松平肥前守綱政參覲す。

宗治郞義方襲封を謝して。遠江正恒の太刀。金三十枚。綿百把獻ず。また故對馬守義倫遺物とて。來國光の刀。茶壺〈漣漪〉を獻じ。御臺所には飛鳥井大納言雅親筆の古今集をさゝぐ。

京今宮神主佐々木内匠社領を謝して。扇子を獻ず。

京善峰寺山をよせられしを謝して。一束一本を獻ず。

大坂町奉行松平玄蕃頭忠周次男金三郞忠敦初見し奉る。

御側松平美作守直丘。松平志摩守重榮奏者番となり。二丸留守居松野六郞兵衞親冬先手頭になる。〈日記〉

◎この月令せられしは。このごろ市井にて投火するものあるよし聞ゆ。いとひが事なり。もしさるあやしげなる者あらば。すみやかに捕へ。廳へめしつれ出べし。見あやまり捕へしはくるしからず。はた市井道途にて。童子。婢女などに。ひが事いひかくるものあるよし。是も上に同じく捕へ出べしとなり。〈大成令〉


十二月

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○十二月朔日月次拜賀例のごとし。

大坂定番松平縫殿頭乘成赴任の暇たまひ。新番頭伊澤吉兵衞正久同じ引渡命ぜられ暇給ひ。駿府城番大岡忠右衞門忠眞赴任のいとま給ふ。

この日大番三人。小十人組四人腰物奉行になる。〈日記〉

○二日門主公辨法親王まうのぼられ。易經の御講説拜聞せらる。營中ありあふ布衣以上の諸司ともに拜聽をゆるさる。

小普請より品川殿番になるもの一人。〈日記〉

○三日柳澤出羽守保明が邸にならせ給ふ。御講書。申樂等例のごとし。又家臣十人論語。書經。禮記等を進講す。また瞽者一人大學の序を諳誦し鍼書を講ず。保明に三種二荷。妻に干鯛一匣。其他の賜物。母幷男女の子ども家人に及ぶ。瞽者にも無紋の時服一襲下さる。〈日記、柳澤家傳〉

○四日水戸宰相綱條卿參府により。土屋相摸守政直御使して慰勞せらる。

大番組頭大岡治右衞門忠久大和の宇多撿使はてゝかへり謁す。〈日記〉

○五日御座所にて易の御講義あり。紀伊大納言光貞卿。甲府中納言綱豐卿。幷に保科肥後守正容拜聞す。はてゝ御舞を拜覽せしめられ。兩卿に屛風一双。正容に八丈紬十反賜ふ。〈日記〉

○六日西城白木書院にて知足院僧正隆光安鎭の執行す。よて隆光に銀五十枚。伴僧へ廿枚給ふ。

尾張大納言光友卿の封地に驛傳して。龍眼肉を給ふ。

けふ令せらるゝは。火災のとき。向寄たがひしも。諸門番の輩番所にまかるゆへ。各所騷擾すれば。城郭近きか。又は番所近邊火災の外は出べからずとなり。〈日記、令條記〉

○七日信濃衆座光寺喜兵衞爲治子勘左衞門爲勝。寄合向井兵庫助政興が子小姓組主税重興。間宮忠左衞門重近子一學重郡はじめ。父致仕して其子家つぐもの十四人。

忠左衞門重近は千貳百五十石の内。二男安右衞門重健に三百俵。三男主水信武に二百俵わかつ。

この日諏訪因幡守忠晴封地にて大病により。請まゝに醫員中村玄悦兼照をつかはさる。〈日記〉

○八日紅葉山諸廟に詣たまふ。先導保科肥後守正容。御刀黑田豐前守直邦。御沓菅谷平八郞政憲役す。其外は例に同じ。〈日記〉

○九日御座所にて柳澤出羽守保明は侍從。松平右京亮輝貞は四品。各任叙の事命ぜらる。輝貞は大夫にあらたむ。又保明には今より後長子兵部安貞二本鎗を召具すべき旨面命せらる。

小納戸石黑四兵衞易久。朝倉甚十郞景孝布衣着する事をゆるされ。奧醫森專益正慶。東宗雲良胤。曾谷長順玄鳳。佐田玉緣定之。堀本一甫重顯は法眼に叙せらる。

又品川東海寺修理成功により。小普請奉行に銀を給ふ。

松平陸奧守綱村。南部信濃守行信が家人。御馬の事つかふまつりし輩にも銀を褒賜あり。

三丸給事の輩。俸祿增加せらるゝもの百七十一人。〈日記、柳澤家傳〉

○十日少老秋元但馬守喬知西城修理總督を褒せられ。七千石加へ給ひ。助役せし松平隱岐守定直に時服十給はり。小普請奉行組頭建部十郞左衞門昌孝。竹川善兵衞明親に金五枚。時服三。羽織下さる。その以下賜物差あり。〈日記〉

○十一日松平隱岐守定直が家人に時服。羽織。銀給ふ。西城修理に人夫を出せしによてなり。

けふ御座所にて易經御講義あり。增上寺大僧正了也拜聽せしめらる。

持筒頭水野藤右衞門元政病免す。〈日記〉

○十二日交代寄合生駒右衞門尉高清養子主殿親興。先手頭猪飼五郞大夫正冬が子小姓組五郞右衞門正良。使番島彌左衞門一信養子吉三郞正方。步行頭松平又右衞門信義養子内記信連。小納戸伊庭五大夫豐祥が子長十郞清長。寄合酒井小平次忠村子主税忠隆。服部久右衞門貞治子久五郞常方。橫山藤左衞門某が子小普請三右衞門一常はじめ。父死してその子家つぐもの卅二人。

五郞大夫正冬は千百石の内。次男半十郞正久に三百俵。久右衞門貞治は千七百石の内。二男九十郞貞仲に三百石をわかつ。

この日驛次もて大内に鷹の鶴を進らせ給ふ。〈日記〉

○十三日煤拂例のごとし。〈日記〉

○十四日長崎奉行山岡對馬守景助。旗奉行鳥居久大夫忠直病もて職ゆるさる。

けふ驛傳して。本院に鶴をまいらせ給ふ。〈日記〉

○十五日水戸宰相綱條卿參覲の拜謁あり。家司同じく拜し奉る。

安藤對馬守重博はじめ參覲八人。那湏衆二人も同じ。

織田越前守信久子帶刀信就初見し奉る。

けさ初雪ふりければ。家門の方々よりもの奉り。御けしきうかゞはる。〈日記〉

○十七日紅葉山御參宮あり。保科肥後守正容先導し。黑田豐前守直邦御刀奉り。菅谷平八郞政憲御沓の役す。その他は例の如し。〈日記〉

○十八日易の御講筵あり。

けふ松平越後守光長が養子源之助長矩。從四位下に叙し左衞門督と稱す。

諸大夫命ぜらるゝ者十一人。尾張大納言光友卿四子大藏友著は但馬守。井伊兵部直朝は兵部少輔。松平齋宮信通は中務少輔。柳生帶刀俊方は備前守。織田越前守信久が子帶刀信就は美濃守。松平大藏大輔正甫が子主膳利興は長門守。溝口信濃守重雄子久三郞重元は伯耆守。大目付神尾市左衞門元清は備前守。勘定頭井戸三十郞良弘は志摩守。西城留守居梶四郞兵衞重正は和泉守。庄田小左衞門安利は下總守と稱す。

また布衣の侍にくはへらるゝ者廿一人。先手頭猪子左大夫一興。戸川内藏助安明。松野六郞兵衞親冬。目付佐久間小左衞門信房。松野八郞兵衞助義。使番酒井主膳忠平。井上内記正長。成瀨瀧右衞門重章。井上主水正式。德永平兵衞昌範。山崎四郞左衞門正周。書院番組頭佐野吉之丞直行。步行頭水野權十郞忠順。柘植平右衞門兄正。布施孫兵衞重俊。金田新太郞正則。小十人頭津田三左衞門正氏。西城裏門番頭貴志孫大夫忠秋。拂方納戸頭鈴木源五右衞門利雄。小普請奉行組頭竹川善兵衞明親。三崎奉行根來五左衞門長清なり。

この日例の家々より歳暮を賀して時服奉る。

又驛傳して。仙洞へ鶴を進らせ給ふ。〈憲廟實錄、日記〉

○十九日公弁法親王まうのぼり辭見せられ。御座所にて觀音經を講じ給ふ。よて饗せられ亂舞を催さる。はてゝ伽羅をつかはさる。

先に大和の國宇多の撿使にまかりたる大番組頭大岡治右衞門忠久。再び二條城戍役の暇下さる。〈日記〉

○廿日東叡山大猷院殿靈廟に。土屋相摸守政直代參す。〈日記〉

○廿一日追儺なり。

この日知足院僧正隆光に。はじめて八代蜜柑をたまふ。〈日記、寺傳〉

○廿二日立春なり。

明年五十の御賀なればとて。三丸にて賀筵を開かれ。桂昌院殿より饗膳進らせ給ふ。かしこに本庄因幡守宗資をめされ。侍從に任じ給ふ。〈日記〉

○廿三日京町奉行小出淡路守守里は五百石。步行頭水野權十郞忠順。金田新太郞正利。拂方納戸頭鈴木源五右衞門利雄。小普請奉行組頭竹川善兵衞明親は二百俵づつ加秩せらる。其他布衣以下賤吏にいたるまで。俸祿增加せらるゝ者百九人。

この日致仕松平大隅守光久封地にて卒せしよし聞えければ。奏者番松平志摩守重榮御使して。薩摩守綱貴のもとに香火料銀五百枚給ふ。〈日記〉

○廿四日三緣山台德院殿靈廟に。大久保加賀守忠朝代參す。〈日記〉

○廿五日歳暮褒賞例のごとし。

この日使番長谷川五左衞門勝知布衣着する事をゆるさる。〈日記〉

○廿八日歳暮拜賀例のごとし。

水戸中納言光圀卿病もあれば。封地にまかりて。心のまゝに身を養はるべき旨仰出され御馬を給ふ。

品川東海寺天倫は修理を謝し。山王別當觀理院宥海は權僧正を謝し。京稻荷山幷に南宮の社僧。社家。をのをの御修理を謝し奉る。

使番井上太左衞門正清は駿城目付はてゝ歸り謁す。

小普請中山下野守直好は中奧番に加へらる。

諸老臣。御側の輩に時服たまふ。〈日記〉

○廿九日家門まうのぼり。歳抄をほがる。〈日記〉

◎此月令せられしは。市井にて女童をとらへ。卑賤のもの等戯弄し。あるは酩酊し。ひが事まうすものあらば。市人はいふまでもなし。武家の僕從たりとも。其處に捕へをき。廳へうたへ出べしとなり。〈令條記〉