希望
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- 希望
- これまで
目 こぼしになつてゐた社會主義 の出版物 が、新舊 を問 はずどし〱檢擧 されつゝある。見馴 れ聞 き馴 れた風俗壊亂 が秩序紊亂 と云 ふ文字 に代 へられて、基督敎 の家庭新聞 までが此 の名目 の下 に發賣 を禁示 されるなぞ、世間 は何 となく不穏 である。自分 は「理想 の」花野 を吹 き荒 す野分 の風 の騒 しさに、一際今年 の秋 の落寞 を感 ずるが、それと同時 に、明治 の世 の中 は忽 ち天草騒動 の昔 に立 ち返 つたやう、或 は佐久間象山高野長英等 が禁 を犯 して蘭學 を學 んだ鎖國時代 に舞 ひ戻 つたやうで、恐 しい中 にも夢 の様 な懐 しい心持 がする。
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敢 て政治的意味 に於 ける社會主義 一味 の黨類 のみには止 るまい。日本歴史 には少 しも關係 のないVenus Bacchus Pan の神々 なぞを、胸 の奥底深 く祭 つてゐる吾々藝術 の邪宗徒 を召捕 るべく、やがては、鶯 の啼 く詩人 の庭 の藪 だゝみから、黑四天 に白鉢卷 の扮装 で、十手 を閃 した捕手 が大勢 、ヤアヤアと掛 け聲 しながら立廻 りに出 るやうな、ドラマチックの時代 が現出 されぬとも限 るまい。
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果 して、文藝及 び凡 ての新 しい思想 に對 する其筋 の干渉 が其 れ位 までに激 しく進 んで行 つたとしたならば、吾々 は如何 にするであらう。日本 の藝術 の前途 は如何 になり行 くであらう。
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自分 は實際夜 も眠 られぬ程 の憂悶 に陷 つたが、忽 ち暗中 に一道 の光明 を認 め得 て、大 に安堵 の胸 を撫 でた。何故 かと云 ふに、吾々 は發賣禁止 の命令 の下 に如何 にするとも己 れが本國 の言語 によつては全然 、新 しき事 、眞實 なる事 の一言半句 をも云現 はす事 が出來 ぬものとすつかり斷念 してさへ仕舞 へば、其 の曉 は少 し位文法 や綴字法 の間違 があつてもそんな事 は意 とせずに、英語佛語獨語等 によつて、己 れの信 ずる意志 を發表 せんと企 るに至 るであらう。新 しき何物 かを、眞實 なる何物 かを要求 して止 まぬ靑年 は、學期試驗 の爲 めには怠 りがちな英語 をも、己 れが精神的要求 の爲 には、字引 と首引 する苦痛 を厭 はずこれに親 しまうとするに違 ひない。されば、凡 ての新 しき、凡 ての眞實 なる思想 の交通 は、全然日本語 によらずして外國語 による事 になつて、てにをは や漢字 や羅馬字 なぞ此 れまで多年論 じられた國字改良 の問題 も、期 せずして解決 せらるゝのみならず、新 しき日本 、眞實 なる日本 は直 ちに世界的 になり得 るのだ。
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自分 はかゝる妄想 に眩惑 せらるゝが故 に、時 としては出版物 の取締 りが寧 ろ極度 に暴惡猛烈 ならん事 を希 ふやうな事 もある。希望 よ。希望 よ。あの酔 つぱらひの詩人 ヴェルレーヌは、「希望 は藁 の芽 の如 く輝 きて…‥‥。」と云 つた。希望 は美 しいものである。
四十三年九月
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この著作物は、1931年1月1日より前に発行された(もしくはアメリカ合衆国著作権局に登録された)ため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。