富士唱歌

• 底本: 大和田建樹 著 ほか『富士唱歌』,盛陽堂,明35.3. 国立国会図書館デジタルコレクション:info:ndljp/pid/855708
• 表記を現代仮名遣い、新字体に改めた。
• 註: この文書ではルビが使用されています。ここでは「単語（ルビ）」の形で再現しています。一部の古いブラウザでは、ルビが正しく見えない場合があります。

富士唱歌

1. 群（むら）がる山（やま）を見（み）くだして 空（そら）に聳（そび）ゆる富士（ふじ）のねは 我（わが）日（ひ）の本（もと）の国体（こくたい）を 示（しめ）して立（た）てる雄々（おお）しさよ
2. 八（や）つの湖（みずうみ）八（や）つの嶽（だけ） 皆（みな）この山（やま）の内（うち）にして 峰（みね）はひらけし八葉（はちよう）の 蓮（れん）華（げ）に似（に）たるも面白（おもしろ）や
3. 朝夕（あさゆう）見（み）れど目（め）にあかぬ 山（やま）はこの山（やま）この高（たか）嶺（ね） 二度（にど）とはいわじ一（いち）度（ど）だに いざや今（こと）年（し）は登（のぼ）り見（み）ん
4. 御（ご）殿（てん）場過（ばす）ぎて音（おと）にきく 与（よ）平（へい）次（じ）茶（ぢゃ）屋（や）も早（はや）あとに 心（こころ）すずしく身（み）は軽（かろ）く 高（たか）嶺（ね）は前（まえ）に招（まね）くなり
5. 見（み）渡（わた）す限（かぎり）はてもなき 富士（ふじ）の裾（すそ）野（の）の夏（なつ）げしき しくや緑（みどり）の毛氈（もうせん）を 色（いろ）どる花（はな）も数多（かずおお）し
6. 心（こころ）は跡（あと）に返（かえ）らねど ここぞ名（な）に聞（き）く馬返（うまかえ）し 馬（うま）のり捨（す）てて勇（いさ）み行（ゆ）く 人（ひと）は前（まえ）にも後（うしろ）にも
7. 金剛杖（こんごうづえ）をつきつれて すすむ心（こころ）の楽（たの）しさを うたえば返（かえ）す山彦（やまびこ）は 関八（かんはっ）州（しゅう）の草木（そうもく）か
8. いつしか来（きた）る二（に）合（ごう）目（め）の あたりは木（こ）陰（かげ）絶（た）えはてて 只焼石（ただやけいし）の砂（すな）の原（はら） 世（せ）界（かい）は低（ひく）く空近（そらちか）し
9. 忽（たちまち）おこる雲（くも）の波（なみ） うずまく中（なか）に包（つつ）まれて 鈴（すず）の音（おと）のみ遠近（おちこち）に 聞（きこ）ゆる時（とき）の物（もの）すごさ
10. 岩（いわ）より岩（いわ）を踏（ふ）み渡（わた）る 危（あやう）き道（みち）も身（み）の教（おし）え 嬉（うれ）しや富士（ふじ）の絶（ぜっ）頂（ちょう）は 早（はや）くもここぞ夢（ゆめ）の間（ま）に
11. 太平洋（たいへいよう）の波（なみ）の上（うえ） 旭（あさひ）と共（とも）に影（かげ）うつす 富士（ふじ）の景（け）色（しき）はきのうにて いまは我（わが）踏（ふ）む足（あし）の土（つち）
12. 下（げ）界一（かいひと）目（め）に見（み）おろせば 海原青（うなばらあお）く川白（かわしろ）く 彩色（さいしき）したる日本（にっぽん）の 地図（ちず）をひろげし如（ごと）くなり
13. 北（きた）には甲斐（かい）の身（み）延山（のぶさん） 西（にし）には信（しな）濃（の）の浅（あさ）間（ま）嶽（だけ） いずれ御（み）嶽（たけ）ぞ乗鞍（のりくら）ぞ ただ平原（へいげん）に異（こと）ならず
14. 東（とう）京（きょう）湾（わん）の右（みぎ）左（ひだり） 突（つ）き出（で）し岬（みさき）は安房（あわ）相（さが）模（み） 遠（えん）州（しゅう）洋（なだ）も手（て）のひらに すくいし水（みず）の心（ここ）地（ち）して
15. かかる景（け）色（しき）を眺（なが）めつつ 蓮（れん）華（げ）の上（うえ）を伝（つた）い行（ゆ）く 我（わが）身（み）は鳥（とり）か天人（てんにん）か 風（かぜ）は下（した）より吹（ふ）きのぼる
16. 八（や）つの高（たか）嶺（ね）に囲（かこ）まれて 見（み）る目（め）も凄（すご）き大穴（おおあな）は 八（はち）十（じゅう）五（ご）間（けん）のふかさにて 是（これ）ぞ昔（むかし）の噴（ふん）火（か）口（こう）
17. 雪（ゆき）は火（ひ）を消（け）し火（ひ）は雪（ゆき）を 消（け）しつ消（け）されつ戦（たたか）いし 処（ところ）は是（これ）よいざさらは〔ママ〕 おりて内（うち）輪（わ）もめぐり見（み）ん
18. 夏（なつ）なお消（き）えぬ白雪（しらゆき）を 手（て）にとる今日（きょう）の愉（ゆ）快（かい）さは 夢（ゆめ）にうつつに忘（わす）られぬ 記（き）臆（おく）ぞ後（のち）の思（おもい）出（で）ぞ
19. いでや下（くだ）らん下（くだ）りには 走（はし）りの道（みち）を一飛（ひととび）に 雲（くも）よ高（たか）嶺（ね）よ白雪（しらゆき）よ 我影（わがかげ）おくれ麓（ふもと）まで