コンテンツにスキップ

学生動揺事件経過

提供: Wikisource

本文

[編集]

学生動揺事件経過

客年十一月三十日端を啓きたる本学々生動揺の真相並に之れが解決の経過は客年十二月発行明治大学々報に其大要を記載したり。然るに該動揺は本年五月に至りて再興し共結果遂に木下学長以下理事の総辞職を見るに至りたり。世間本件の真相に関し種々の揣摩臆測を逞ふせるを以て茲に本件の真相を略述して本学関係者に報告することゝせり。

客年十二月八日校友評議員会より選任せられたる十名の特別委員は学校及学生の間に立ちて数次の交渉を重ねたる結果学校が執りたる二教授解職、学生八名の放校処分を全部取消すことゝなり、学校理事に於て之に同意を与へたるを以て、放校せられたる八名の学生に全部復校を許すと共に解職したる笹川植原両教授を再び教員に採用することに決し、本年一月二十九日を以て文部大臣に認可を申請したり。爾来学生は平静に帰し引続き学業に従事したりしが突如本年五月十三日に至り一部学生の首唱によりて学生大会を記念館に開会し文部省が両教授復職の申請に対して速かに認可を与へざるは私学の権臧を傷け学問の独立を妨ぐるものなる旨を主張し一種の決議文なるものを作り之を携へて約五百名の学生文部省に出頭し、文部次官に面会を強要する等穏ならざる行動に出たるを以て、学校理事者は篤く学生に訓誡を加へ此の如く政治的色彩を帯ぶる運動を中止すべしと諭したり。然るに一部学生は学校当局者の説諭に対し却て反抗の態度に出で、更らに都下各私立大学及専門学校の弁論部に檄を伝へて弁士の応援を求め十六日更に記念館に学生大会を開き交々起て文部当局の処置を非難すると同時に学校理事者の態度を攻撃し形勢益穏ならず爾後連日記念館に集合して演説会を開き遂に転じて学校理事に対する不信任決議を為し、殆んど学業を荒廃するに至れり。茲に於て学校は止むを得ず首謀者と認めたる学生十三名に対し退学処分を行びたり。

是より先き笹川、植原両教授より学校理事者に対し文部省の認可久しきに渉りて決せざるを以て、一旦学校と絶縁したく且つ相当の考慮を得たき旨の申出ありたる処四月二十八日に至り笹川氏に対して認可の指令ありしを以て早速復職方申入れたるに都合有之辞退致度旨回答あり、依て学校に於ても詮議の末氏の申出を容れ同時に永年の労に酬ゆるため、相当の謝意を表したり。次に植原氏復職に関しては文部省に対し本学より数次認可指令を受けたき旨催告したるも調査中なりとのことにて指令を与へられず、新学年も既に近づき講座の補欠を為さゞれば学生の不利益少なからざるを以て、己むを得す植原氏に対し一先づ講座と絶縁せられたきことを申入れたるに氏も快く之を諒承し本学とは絶縁するも文部省に差出したる復職申請書は之を撤回することなく共儘にし置かれ度とのことなりし故、学校に於て之を承諾し単に氏と学校との間に絶縁を為すことゝなし是れ亦従来の労に対する謝意を表し置たり。

然るに其後学生の文部省に対する認可強要及学校理事者攻撃の態度依然として緩和せざるや、文部省より本学に対し本学と植原氏との間に於ける交渉の現状を照会し来りたるに付五月十九日学校より之が回答を発したるところ同省より本件に対しては別に指令に及ばざる旨達せられたるを以て(明治大学々報六月号所載)此顚末を学生に発表するや学生の態度一層穏かならざるに至り殊に二十三日笹川植原両氏より神田美土代町青年会館に於て立会演説を開くべき旨本学理事に申込み来り。本学に於ては之に応ぜざりしも、両氏は当日予定の如く演説会を開き本学理事の態度を攻撃したるより学生の意気益高りて、動揺は遂に全校に波及し同月二十四日学生の一部は早朝登校して擅まに正門を閉鎖し教職員の入門を拒みて同盟休校の挙に出たり。依て止むを得ず学校に於ては同日より二十九日迄臨時休業することゝなし、此間に於て学生の鎮撫に努めんとし教授会を開きて諮るところあり、一方協議員会も亦学校に集合して種々対策を講じ先づ同会より二十五名の特別委員を選任し学校理事者と協力して鎮撫に努めんことを決議したり。

臨時休業の期尽き三十日定刻授業を開始す曩に放校処分を受けたる学生数名密かに門内に入りて各処に不穏の貼紙を為し以て学生を煽動するの状あり、学校理事者教授及協議員(特別委員)諸氏は力を尽して之れが鎮撫に努めたるも衆寡の勢支ふること能はず、騷擾に加担せる学生は擅まに教室に侵入して授業を妨げ教授の退席を迫る等形勢甚不穏に陥り遂に学生間に衝突を起して負傷者を生ずるに至れり此に於て木下学長以下各理事は責を一身に引き孰れも辞表を認めて監事に提出することゝなれり。

之を要するに今回の事件は客年明治中学校舎の一部焼失の結果教場不足の為め延て大学専門部講座に不十分の点ありしことより、其端を発して学生間に動揺を来し続いて教授の解職学生の放校に至りて形勢不穏を惹起し更らに今回教授復職の遅延及学生の放校に因りて再度の紛擾を繰返し此間種々の流言浮説行はれ漸次学生の感情を悪化し遂に此の如き結果を見るに至りたるものにして、学会の為め寔に遺憾に堪へざるところなり。

この作品は1931年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。