大井川御幸和歌序

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あはれわが君の御代、なが月のこゝぬかと昨日いひて、のこれる菊見たまはん、またくれぬべきあきをおしみたまはんとて、月のかつらのこなた、春の梅津より御舟よそひて、わたしもりをめして、夕月夜小倉の山のほとり、ゆく水の大井の河邊に御ゆきし給へば、久かたの空には、たなびける雲もなく、みゆきをさぶらひ、ながるゝ水ぞ、そこににごれる塵なくて、おほむ心にぞかなへる。いま御ことのりしておほせたまふことは、秋の水にうかびては、ながるゝ木葉とあやまたれ、秋の山をみれば、をりひまなき錦とおもほえ、もみぢの葉のあらしにちりて、もらぬ雨ときこえ、菊の花の岸にのこれるを、空なる星とおどろき、霜の鶴河邊にたちて雲のおるかとうたがはれ、夕の猿山のかひになきて、人のなみだをおとし、たびの雁雲ぢにまどひて玉札と見え、あそぶかもめ水にすみて人になれたり。入江の松いく世へぬらん、といふ事をぞよませたまふ。我らみじかき心の、このもかのもとまどひ、つたなきことの葉、吹風の空にみだれつゝ、草のはの露ともに涙おち、岩波とゝもによろこぼしき心ぞたちかへる。このことの葉、世のすゑまでのこり、今をむかしにくらべて、後のけふをきかん人、あまのたくなわくり返し、しのぶの草のしのばざらめや。