夢幻抱影

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浅黄色の色硝子(ガラス)を張つたやうな空の色だつた。散り雲一つない。ほとんど濃淡さへもない。青一色の透明さで、かへつて何か信じられないやうな美しさである。例へば、ちよつと石を投げる、といふやうな些細(ささい)な出来事で、一瞬どんな変化が起きるかも知れない、と危ぶまれるやうな美しさだつた。そのとき、私には大空を落下する無数の青い破片を想像することもできた。
しかも、そんな美しさは、時も、空間も、失なはれてしまつたやうな静かさの中にあつた。それがかへつて私を、不意に激しい不安に陥(おとしい)れたのかもしれない。
妻は隣室で眠り続けてゐる。さう思つたとき、やつと時計の音が、私の耳に返つて来た。
時計の音といふものは奇妙なものである。小忙(こぜは)しく、いかにも、刻刻と、時の経つて行くのを告げ知らせるかのやうである。「そらそら」とね。しかも私達はその音をどんなに聞くまいと思つてみても無駄である。聞くまいとすればするほど、その連続音は執拗(しつえう)に耳もとに鳴り響く。しかし、いつかその音は消えてしまふ。といふよりは、ふと、再びその音に気づいたとき、今までのその音の無い数刻を何か空しく思ひ返すのである。不思議なことには、さういふとき聞く、時計の音といふものは、一種の安心感にも似た、懐(なつか)しさを持つてゐるものだ。
妻はまだ眠り続けてゐるやうだ。静かである。
昨、夜中のことだつた。私は深い眠りの中で、妻の呼び声を聞いたやうだ。が、より深い眠りが襲つてきて、私はその中に沈んで行く。が、暗い靄(もや)のやうな眠りの中にまた妻の呼ぶ声が聞こえる。
「誰か、誰か、起きてほしい」
眠りを振りきるやうにして、目を開いた。
「どうかしたか」
「痛い、痛い、按摩(あんま)さん、呼んで来てほしい」
時計の音がはつきり耳に響いて来る。時計は十二時に近かつた。
「按摩さん、それは無理だよ。もう十二時だものな」
「そんなら、ちよつとでいいから、揉(も)んでもらへないかな」
「やれやれ。ぢや、ほんのちよつとだよ」
私は妻の骨ばつた、皮だらけのやうな肩を揉み始める。妻は黙つて揉ませてゐる。今夜のは、それほどの痛みとは思はれなかつた。
この頃、夜眠れない妻は、昼うつうつと眠る癖がつき、そのため余計眠れず、長い夜の不安と、片時も鎮まることのない神経痛の痛みとが、黒闇から湧(わ)き起る、一種の強迫観念となつて、狂ほしく人の名を呼び叫ぶのではなからうか。しかし私には明日の仕事もあつた。
「ぢや、これぐらゐで、止すよ。あんたのは限りがないのだからな」
「そんなら、按摩さん、呼んでもらへないかな」
睡眠の関係からか、妻はよく時間を錯倒するらしく、この間も、夕方私が酒を買ひに出ると、妻はうふふうふふと笑ひながら、
「こんな朝つぱらから、お酒売つてゐる所なんてないのにね」と言つた由で、酒を提げて帰つて来た私を、いかにも怪訝(けげん)さうに眺めてゐたこともあつた。
「また、時間間違へてゐるんだね。按摩さんて、もう、そら十二時半だよ。真夜中なんだよ」
「痛いなあ。どうしよう。眠れんなあ」
「あんたなんか、いつ眠つたつていいんだ。夜眠れなかつたら、昼眠つたらいいんだからね。無理に眠らうなどと思はずに。そら、いつかいいことを言つたぢやないか。呻(うめ)くのは、痛いのを訴へてゐるのではない。痛さに調子を合はせてゐるんだつてね。さういふ風に、痛さにも眠りにも、抵抗せずに、隙(すき)を見て、すうつと眠つてしまふんだね。とにかく、僕は眠るよ」
私は蒲団の中に入つた。軈(やが)てうとうとと浅い眠りが纏(まとわ)りついてきた。
「いいなあ。直ぐに眠れて」
「あああ、痛いなあ」
確かに、私はこの快い眠りとの戯れの中に、妻の声を聞いた。闇の中に、ただひとり目を開いてゐる。妻の姿を思はぬでもなかつた。しかし、もしもこの眠りとの戯れをちよつとでも中断すれば、眠りは忽(たちま)ちどこかへ消え去つてしまふことも私はよく知つてゐた。私は狡(ずる)く聞えぬふうを装つて、眠りとの戯れの中に、身を委(ゆだ)ねてゐた。
変な音に、はつと目を覚ました。妻は畳の上に嘔吐(おうと)してゐた。
「えつ、どうしたんだ」
私は飛び起きて、妻の背を撫でた。しかしそのときには妻の嘔吐はもう収つてゐた。
「何がいけなかつたんだらう。小野さん、呼んでこようか」
「もういいの。小野さんなんかいい」
枕もとの汚物を、始末しながら、私は妻に言ふのだつた。
「ねえ、こんな時には、起こしてくれるんだよ」
「だつて、あんまり度度、すまないもの」
「すむも、すまないも、場合によるよ」
「そんなら、ついでにおしつこしようかな」
「よしきた」
私は妻の蒲団を撥(は)ねのけた。途端に、蒲団の中から白い煙が捲き上り、きな臭い匂が鼻を突いた。その夜、初めて子供が作つた電気炬燵(こたつ)が引つくりかへり、櫓(やぐら)を焦がしてゐるのだつた。火は蒲団にも移つてゐた。
「電気炬燵が大へんなんだ。ちよつとここへ避難してね」
私は妻を畳の上に寝かせておき、流(ながし)もとにあつた鍋の水を蒲団の上にぶつかけた。ジュッと短い音をたてて、火は直ぐ消えた。真黒に焦げ固つた綿の中へ、私はもう一杯水を流し込んだ。
「さあ、もう大丈夫、寒かつたらう」
私は妻を抱き上げた。妻は私の手の上で、泣き顔して、子供のやうな声を上げた。
「怖(こは)いよう、電気炬燵怖いよう」
「うん、僕もあんなものは好かんね。子供のやることは、ほんとに油断出来ないよ」
妻が用を足してゐる間に、私は私の蒲団を敷きかへたり、押入から破れ蒲団を引きずり出したりして、妻の床を敷き、やうやくその上に妻の体を抱き下した。
「さあ、やれやれだつたね。どうかな、これで寒くないつもりだが」
妻の蒲団を掛けてやると、私は子供の蒲団の間に潜り込んだ。十二歳の少年の体と、十五歳の少女の体が温(ぬく)もつてゐた。が、どちらの蒲団も丈が短く、私は足の置き場にも困り、今度はなかなか眠れさうにもなかつた。不意に、妻の泣き声が聞こえてきた。
「寒い、寒い、寒いなあ」
「さうか、炬燵をうつかりしてゐたわい」
「怖いなあ、電気炬燵は怖いなあ」
「そんな電気炬燵ぢやない。父さん式、粉炭こつぽり入れて、ほこほこしたの入れたげようね」
紙屑を集め、マッチを擦(す)つて、火を移した。ばたばたと軽く団扇(うちは)で煽(あふ)ぎながら、炭かけもその上に乗せた。深夜の台所の電燈といふものは侘(わび)しいものだ。蜘蛛(くも)の巣、大根の干葉(ほしば)、蜜柑の皮、汚れた折板、空瓶。板の間の隙間洩れる風が、裾の間から入つてくる。睾丸(かうぐわん)が縮むやうだ。またばたばたと団扇を動かす、ピンピンと炭がはぜる。隣家の時計が二時を打つた。と思つた途端、自家の時計も、五分前の時を刻んだ。
「さあ、おこつたよ。暖いの、入れてあげるからね」
私は妻の床の中に炬燵を入れ、痩(や)せ細つた脚二本、はだけてゐるのを直してから、蒲団を伏せ、その裾の上を二つ三つ軽く叩いた。さうして、私は再び子供の蒲団の間に潜り込んで、いつか眠つてしまつたのであつた。
四囲、深い夜陰に包まれた中で、いかにもぽつんと五燭の電燈一つ点(とも)つてゐるやうな出来ごとであつた。まるで夢のやうでもあつた。今朝、起きてみると、妻はすやすやと眠つてゐるではないか。珍しく、頭の痛みも鎮(しづ)まつたのか、穏やかな顔して、いかにも安らかに眠つてゐた。しかもこれはまた何といふ素晴らしい空の色であらう。雲もなく風もなく、光さへも吸ひ取つてしまつたやうな、ただ青一色の空の色だつた。
しかし、それにしても、この空の色はあんまりに美し過ぎた。騙(だま)し舟。折紙の、帆先をどんなに一生懸命持つてゐても、目をつむれば忽(たちま)ち舳先(へさき)と変つてゐる。それは少年の頃の幼い哀しみ。これにはもつと恐しい仕掛からくりがあるかも知れない。それに白昼、あんまりに静か過ぎた。何かに吸ひ込まれて行くやうな静かさだつた。
私は思はず立ち上り、隣室の妻の所へ行つてみた。妻は相変らず眠つてゐる。私は妻の枕許(まくらもと)に跼(かが)み、暫く腕組んで、その様子を眺めてゐた。吐く息、吸ふ息、いかにも安らかな呼吸だつた。が、私は妻のいつにないそんな平静な状態が、かへつてある不安を呼び起した。
「母さん。母さんよ」
私は妻の肩を揺つてみた。しかし妻な何の応(こた)へもなく眠つてゐる。初めて、それかと気づいた私は、泣き声を殺して駆けて行く子供のやうな顔をして、医者の所へ走つて行つた。


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果して脳軟化症の再発による意識不明なのだつた。しかし遅くとも二三日もすれば、意識は回復するだらうとの診断であつた。
この三月、妻がこの病気で倒れたとき、この脳軟化症といふ病気は、脳溢血よりも軽く、回復も早いが、再度起る心配がある由を、医者から私は告げられてゐた。しかし軽いといふことばかりを、後生大事に覚えてゐて、再発し易いといふことは、いつともなく忘れてしまつてゐた人の好さに、やつと私は気づくのだつた。
私は妻の枕許に腕組んだまま坐つてゐる。
「とく、とくよ」
思はず、妻の名を呼んでみる。が、もとより何答へるはずもなかつた。呼吸だげが、安らかに通つてゐる。いかにも昏昏(こんこん)と眠つてゐるやうで、少しも重大さは感じられず、さうと決まれば、かへつて医者の言葉がそのまま信じられた。
ふと不浄のことに気づき、蒲団の裾を捲(まく)つてみると、炬燵の火に温められた尿の臭が、むつと鼻を覆つた。不意に、懐かしい襁褓(むつき)の臭のやうな愛情が、胸を鳴らして湧き起つた。
盥(たらひ)の中にも、美しい空の色だつた。ポンプの水が跳(おど)り入ると、青空は青い破片となつて、乱れ散つた。しかし私がポンプの手を休めると直ぐまたぐるりと丸い青空になつた。その中に、冬木の枝が綺麗な線を描いてゐた。しかし妻の汚れ物洗ふ私には、もう先刻のやうな不安の翳(かげ)は消えてゐた。これだけは子供達にもさせられぬ、私の今日からの仕事だと、染み染みと思はれた。
翌日も、妻は意識不明のまま、やはり眠り続けてゐる。
リンゲルの注射。しかしその太い針も、妻の皺(しわ)の垂れた脚には、何の感覚も起こさないやうだつた。
今日も不思議なやうな好日である。南に向かつて机を据ゑてゐる、その障子には、冬木の枝が濃い形を映してゐる。少しの風もないのか枝影はくつきりと染みついたまま、徐徐に東に移つて行く。静かだつた。その中に、今日も時計は鳴つてゐた。
「ただいまあ、母さん、まだ眠つてるの」
学校から末子の和夫が帰つて来たのである。
「母さん、母さんたら。ちえつ、つまんないの」
やがてまた、私達の唯一の女の子である、郁子が帰つて来た。
「ただいま、母さん、まだ気がつかないの。母さん、母さん。どうしたんでせう」
しかし、妻は依然すやすやと眠り続けてゐるのであらう。もちろん妻の答へる声はなかつた。
陽はよほど西に廻つたらしく、枝影はいつか消え、さすがに色薄らいだ陽差しが、障子の小間を斜めに染めてゐた。私はそろそろ妻の洗濯物を取り入れなければならなかつた。
長男も、二男も、三男も勉強室に去り、郁子も、和夫も、食卓の上で復習を始めるらしかつた。私は妻の病中よくしたやうに、晩酌のコップを持つて、妻の枕許へ坐つた。しかし今は何語ることのできる妻ではなかつた。私は暫くぼんやり妻の顔を眺めてゐたが、せめてこの安らかな息遣ひだけを、相手として、コップの酒を傾けた。急に淋しさが差し込んできた。
「母さん、母さんよ」
そのとき、私は妻の低く呻(うめ)くやうな声を聞いたのだ。瞬間、激しく、私の胸はときめいた。嬉しかつた。まるで二人きりの秘密を持つたやうに嬉しかつた。
しかし、私は直ぐ思ひ返さねばならなかつた。いつたい意識回復した時、妻はどんな顔をするだらう。最初に発する言葉は、どんなことだらう。何により、神経痛の痛みは癒(なほ)つてゐるのだらうか。
「痛い、痛い、痛いよう」
ふと、妻のあの声が耳に蘇(よみがへ)つた。折角、気づいてみても、妻を待つてゐるものは、苦しみだけではないか。妻の神経痛は、脳軟化症同様心臓弁膜症に因(よ)るもので、治癒の方法はないといふ。左手は利かず、足も不自由な、この妻が何のために生きなければならないのであらう。私の心は苦しかつた。が、妻はどうしても生きなければならないのだ。私の身勝手な願ひであらうが、なからうが、理窟なく、妻はどうしても生きなければならないのだ。
しかし、その翌日も妻の意識は回復しなかつた。午後、私は外出をした。どんな天気であつたか、どんな風景が眼に映つたか、何も覚えてゐない。ただ帰つてみて、妻の意識が回復してゐるか、ゐないか、を始めて行き違つた人が男か女かとか、電車の番号が奇数か偶数かとか、最後に追ひ抜いた人が大人か子供かとか、そんないろんなことに賭(か)けてみたりするのだつた。
しかし、妻はやはり昏昏と眠つてゐた。留守中に小野医師の来診があつた由を長男が告げた。
「父さんが外出などしては、いけませんて」
「へえ、そんなに悪いのかな」
「さうらしいです。いつ、どんなことが起こるかも知れないさうです」
「さうか」
「明日、滋養物を口から注入されるさうです。卵と牛乳を用意しておくやうに、言はれました」
「卵と牛乳とね。味など判らんだらうね」
「そんなもの、判りませんよ」
「さうか」
私は妻の枕許に腕を組んで、坐り込んでしまつた。いかにも腕を拱(こまね)く、とはこのことと思はれた。
夕方近く、妻は夥(おびただ)しく発汗した。私は小野医師の許しを得て、長男に手伝はせて、妻の着物を換へた。
妻の様子が幾分変つたと気づいたのは、私が例の晩酌のコップを持つて、妻の枕許に坐つたときであつた。妻の顔には少しも苦痛の色がなかつたが、呼吸が幾分早く、喉が低く鳴つてゐた。私は直ぐ長男を小野医師の所へ走らせた。
下駄履いて来た小野医師は、直ぐ妻の顔を覗き込むやうにして、坐つた。
「ああ、いけませんね」
「さうですか」
「電報をお打ちになる所があれば、直ぐ打つて下さい」
小野医師は最早診察もせず、私と同じやうに手を組んで、枕許に坐つてゐた。
「江州と、保木と、荏田(えだ)だね。どうしよう。江州へは、お出で願はずともよし、と打つといてもらはうか。何しろお祖母さんはあのお年だからね」と、私は子供に電報を打つ指図をした。
真実、母の老体を思つてのことではあつたが、母は私達の結婚に永い間反対の人だつたので、かへつて妻の実家の人達の手前もあり、私はちよつとこだはるのだつた。
「さうだ。無理に、と入れといてもらはう。無理にお出で願はずともよし、とね」
「それぢや」と、小野医師は腰を上げた。
「こんどはたうとういけませんでしたね。臨終は十二時頃になるでせう。また来ます」
「いよいよきたか」
私は自分自身にさう思ひ知らせようとした。しかしこの安らかな妻の顔を見てゐると、なかなか死といふものの実感は迫らなかつた。私は立ち上つて、一升瓶を提げてきて、コップに注いで飲んだ。続けて二杯三杯と飲んだ。
不意に、思ひも寄らぬ、ある想念が湧き起つた。思ひも寄らぬ――とは、それも嘘かも知れない。それはその時から潜在意識となつて、頭の中に潜んでゐたのだ。ただ、あの時の睡魔が、それを意識の外に深く包んでゐたのかも知れない。
それは、妻は自殺を図つたのではなからうか、といふことである。私はそれを知つてゐて、知らぬふりを裝つてゐるのではないか。
あのとき、私は妻の床に炬燵を入れ、再び子供の蒲団の中に潜り込んだ。妻はどうやら静かになつたやうであつた。やがて浅い眠りがやつて来る。私と眠りとの、あの快い戯れは、次第に深間に落ちて行く。妻の低い呻き声が聞こえてゐるやうであつた。睡魔――しかも私はいかにもそのやうなものに魅せられて行くやうな快さの中にゐた。どれほどの時間が経つたか。
「痛い、痛い、痛いよう」
突然、泣き叫ぶやうな妻の声を聞いたやうに思つた。続いて、激しく額を叩く音。いけないつと思つた。しかしそのまま私が眠つてしまつたのか、それとも、そのとき妻の意識が失はれてしまつたのか、その後には、なんの物音も覚えなかつたのである。
悪夢のやうでもあつた。が、あのとき、いけないと思ひながら、眠りの甘美さに身を任せたやうな一瞬の、あまりはつきりした罪の意識を私はどうひようもないのである。
私は妻の肩揉むことも厭(いと)ふたではないか。妻の眠られぬ苦しみにもさしての労(いたわ)りも示さなかつたのではないか。まして、蒲団の火に驚いた私は、妻を畳の上に捨ておいて、真先に火を消したではなかつたか。最早、なんのために妻はこの苦しみに堪へねばならないのか。
「死んでしまひたい。こんな中風なんかになつて、皆にすまない」
三月、病気で倒れた当座、妻はさう言つて泣きもした。
「そんなこと言ふものぢやない。少しでも、僕の気持、通じたら、辛いだらうが、我慢してね」
その頃は、さうとも強く言ひ切れるほど、またひねくれぬ妻への激しい愛情が、胸一杯に溢れてゐたものだつた。
恐怖にも近い悔恨が、体中を駆け巡る。
しかし、最早十二時に近いといふのに、妻はなに知らぬげに、静かな呼吸を続けてゐる。息する力が弱まつたとは心附かず、喉の鳴る音もあるかないか、ずつと楽になつたやうにも思はれた。私はこんな安らかさの中に、死が迫つてゐようとは、どうしても信じられなかつた。
私は立ち上つた。一散に駆けてゐた。夜霧の中の小野医院の、赤い門燈が遠い所に浮かんでゐるやうに思はれた。
私は妻の様子を告げ、強心剤の注射でもと言つてみた。が、小野医師は首傾けたままだつた。
「さあ、しかしそれは無駄でせうな。直ぐに行きますがね」
小野医師はやはり妻の顔を覗き込むやうにして、その枕許に坐つたきりだつた。
「少し遅れるやうですね」
妻は静かに呼吸を続けてゐる。その枕頭には五人の子供達も集まつてゐた。そのとき、私の頭には時間の感覚はなかつたやうだ。十二時の鳴るのも、一時の鳴るのも、私は知らなかつた。
「御臨終のやうですね」
しかし妻の様子には、なんの変化も起らなかつた。それを見守つてゐる子供達の顔にも、少しも苦痛の色は浮かんでゐなかつた。
「こんなにも楽に、人間て死ねるものでせうか」
私は思はず小野医師を見上げた。小野医師は妻の瞼(まぶた)を開いてみた。
「御臨終です」
私はぼんやり妻の顔を眺めてゐた。そのときになつても、私にはどうしても妻が死んだといふ実感は迫らなかつた。それほど穏やかな死顔だつた。が、私の握つてゐた妻の手が、見る見る冷くなつて行つた。私は急いで柱時計を見上げた。時計の針は、ちやうど二時を指してゐた。その私の耳に、急に時計の音が鳴り響いてきた。
享年四十六であつた。


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妻が亡くなつたといふ電報を見て、駆けつけて来た荏田(えだ)の栄子(妻の異父妹)が、いきなりこんな話をした。
妻の実母が、夜半、私と妻が訪ねて来た夢を見たのである。その夢の中で、私は普通に挨拶してゐるのに、妻はつくねんと立つたまま挨拶一つしようともしないのである。
「変な、おとくさんだよ」
実母は夢の中でさう思ひながら、目が覚めた。が、あたりはまだ真暗く、実母は妙に心にかかりながら、うつうつと浅い眠りに落ちてゐた。
「おとくさんに、なにか変つたことがなければいいが、夜が明けて、ほんとにほつとしたよね」
実母は家人の一人一人に、その夢の話を繰り返して、さう言ひ足してゐたといふ。そこへ同時に妻の危篤と死亡の電報が届いたのである。
「道理で、おとくさんが挨拶しなさらなかつたはずだよ」
妻の息絶えたのは午前二時、すると、実母の夢枕に立つたのは、ちやうどその頃のことかと思はれた。
「しかしおとくさんは幸せ者だつたよ、死んでからも、夫婦一緒なんだものね」
「お祖母さんたら、そんなこと言つて、目ばかりぱちぱちやつてんのよ。でも、不思議ですわね」と、栄子はその話を結んだ。
不意に、悲しみが込み上げてきた。それにしても、妻は、妻の霊はこんな私の姿をも宿して行つてくれたのか。
「許してくれよ」
しかし私は泣きはしなかつた。愚かな私は以前から、この期(ご)に臨んでの、しどろもどろの振舞を恐れてゐたのだが、不思議なほど涙は出なかつた。しかしこのとき以来、瞼(まぶた)の奥に、譬(たと)へば涙ぶくろとでもいつた、鈍い重みをもつた袋のやうなものが出来た感じで、もし一度この袋が破れでもしたら、最早涙は際限ないのではないかとも思はれた。
が、葬式といふものは、どこか白白しいところのあるものだ。妻の遺骸は、紙花や、電気蠟燭(らふそく)に飾られた祭壇の上に乗せられ、なんだか私の手の届かない所にゐるやうだ。保木から八木下夫妻(妻は幼いとき養女に行つた。その養家の相続者)が来、翌朝には郷里から私の老母も到着した。
私は別になんといふこともなく、朝から酒ばかり飲んでゐた。ほつ、ほつと、まるでラジオ時報の前ぶれのやうな、いかにも痛みに堪へかねた、妻の泣き声が、ふと耳の底に聞こえたり、思はずそれを胸の中で繰り返したり、ひどく時間を間違へたりした。
麻布六本木のカッフェで、白いエプロンこそ着けてゐたが、いかにもゐなか娘らしい、初めて会つた妻の姿、妙義山の山上で、深い山霧に包まれながら、初めて口づけした妻の姿、麻布宮村町の、あの崖下(がけした)の妻の下宿で、褥(しとね)をともにした妻の姿。
保木で生れた長男を負つて、私は襁褓(むつき)提げて、初めて移り住んだ長崎町の家、二男の生れた西荻窪の家、三男の生れた深川の家、長女と四男の生れた阿佐ケ谷の家。
防空演習の、警報のバケツを叩いてゐた妻の姿、針の目に、縫糸通しかねてゐた妻の姿、破れ財布を、インフレ札で脹(ふく)らませて、走り廻つてゐた妻の姿。どんな妻の姿も、私はありありと思ひ浮かべることができた。しかしどんな妻の姿も、忽(たちま)ち消え失せる。
通夜(つや)には、生前から「雨女」と笑はれてゐた妻の通夜らしく、雨になつた。しかし、当日は、冬には珍しい、うららかな小春(こはる)日和(びより)であつた。
告別式には、大勢の友人達が焼香してくれた。殊に中谷君は信州松本から、浅見君は千葉の御宿(おんじゆく)から、わざわざ上京し、また福井の三好君はたまたま上京中で、それぞれ厚い焼香を受けた。麻布時代からの旧い友人達にも見送られ、妻も満足のことだらうと思はれた。
私は葬儀屋の若い人と、妻の棺を抱へて、玄関の方へ出て行つた。そのとき、子供達は先きに火葬場の方へ行き、友人達は庭に立つて、出棺を待つてゐてくれた。ただ三四人の人だけが、部屋に上つて話してゐた。
「どなたか、ちよつて手貸して下さい」
玄関を下りようとして、葬儀屋の若い人が声をかけた。一人が直ぐ立ち上つた。それが滝井さんだつたのだ。私は滝井さんと、妻の棺を抱へ、例の涙ぶくろが今にも音たてて脹(ふく)れ上るやうだつた。
滝井さんは私の作家としての目を開いて下つた先輩であつた。私は妻を知つた頃、滝井さんの「無限抱擁」の一聯の作品を知つたのだ。私は「夢幻抱擁」から文学の養分を汲み取ると同時に、なにより生きる自信を与へられたとも言ひ得よう。生来頑(かたくな)な私の、妻への愛情が私は私なりに、こんなにも精一杯に開花出来たといふのも、その自身のゆゑではなかつたらうか。若い日のことが思はれた。
が、妻の棺は生前に妻が買物籠を提げ、古びた下駄を引きずつて、日に何度行ききしたかと思はれる横町を運ばれて、八百屋の角で霊柩車(れいきうしや)に乗せられた。
自動車は直ぐに動き出した。友人達や、近所の人達に見送られ、霊柩車はやがて次第に速力を増しながら、大きく二三回バウンドして、私の視野から消えてしまつた。
友人達も帰つてしまつた後、私は母と向かひ合つた。
「これからが、淋しいものやが、どうか力を落さぬやうにな」
私はこの母の老先を見護るべき妻の、先立つて行つた不孝を、妻に代つて母に詫(わ)びた。そんな日本の妻といふものが哀れだつた。
「どうして、こんなに大勢の子供達を、こんなに立派に育ててくれたんですもん。主婦の務(つとめ)は十分につくしてくれられたのです。よい人でした」
母は健気(けなげ)な面持で、さう言つた。そんな母の姿も哀れだつた。
数時間後、白骨になつた妻は、長男に抱かれて帰つて来た。私と母は子供の体に塩まいてから、それを迎へ入れるのだつた。


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初七日もすみ、田舎(ゐなか)の歳末の気にかかる母も帰つて行つてしまつた。
私はひとり台所の火鉢によりかかつてゐた。別に、なにもすることもないのである。静かだつた。今日も、縁側には暖かさうな陽が当り、冬とは思はれない空の色が、障子のガラスを真青に染め、それが部屋隅の鏡に映つてゐる。しかし鏡に映る色といふものは、どんな色も冷い。
さう言へば、鏡といふものは冷いものだ。どんなものの影も映すけれど、どんなものの影も止めはしない。そんなものを、昔の母は娘に遺したといふ。哀れだつた。
妻が亡くなつて以来、私は何に対してもあまり抵抗を感じなくなつてしまつたやうだ。胸の中にぽかんと穴が開いてゐるやうな感じである。亡くなつた当座は、茫然(ぼうぜん)として、却つて朝から酒など飲み、いかにも夢うつつのやうであつたけれど、かうしてひとりになつてみると、急に空洞の大きさが感じられる。不意に得体の知れぬ感情が湧き起つてきた。思はず、私は立ち上る。ぐるぐると部屋の中を歩いてみる。子供達の破れた靴下や、汚れたものが脱ぎ捨てたままである。
「春も過ぎ、夏もくるのに、冬の仕度をどうしよう」
病床の妻はよくさういつたものだつた。が、その妻も死んでしまつたではないか。なにごともなるやうにしかなりやしない。今年の冬は、そらこんなに暖いではないか。それよりこの自分をどうしよう。
書斎の床の間には、妻の遺骨に花花が飾られて置かれてある。私はそつとその横の机の前に坐つてみた。何日ぶりかのことだつた。
不意に、雲のやうな哀しみが湧いて来て、ああと思ふうちに、哀しみな涙となつて溢れ出た。哀しみは胸を慄(ふる)はせ、涙は溢れ、溢れて来た。私はたうとう机の上に泣き伏した。
純粋に、哀しみだけの涙だつた。少しの悔恨を、失念も、その中には混つてはゐなかつた。妻が危篤に陥(おちい)つたとき、妻は自殺を図つたのではなかつたかと、私は妄想にかられたこともあつた。しかしその思ひは、今は毛頭もない。妻はそのやうな女ではなかつた。あれほどなにごとにも怺(こら)へ忍んで、生き耐へてきた妻の最後を、そのやうな妄想で穢(けが)してはならない。それは私の人の好い気やすめではないのだ。妻のために、愚なまでにつつましい、妻の心を、私は素直に受けねばならないのだ。
実母の夢枕にまで、こんな私の姿を宿して行くやうな妻ではなかつたか、少しの悔恨もあつてはならない。またあらうはずもないではないか。
ただ青みだつやうな哀しみだつた。そんな哀しみが、次ぎから次ぎへ、涙となつて溢れて来る。例へばエレベーターなどの急下降するとき、三半規管の中を内琳巴(りんぱ)が急に揺れ動く、あの感覚にも似て、不意にきゆつと胸を絞るやうな、哀しみの湧き方である。私自身どうすることも出来ない。私はあわてて、やつと目の上を押へることができるだけである。
最早、善も悪もない、むしろ非情にも近い哀しみである。しかし人の涙となれば生温い。まして、五十近い男の頰を流れる涙などといふものは、だらしない極(きはみ)である。しかし私にはそれを怺へる力は、今はない。私もまたも机の上に泣き伏してしまふ。幸にも涙といふものはさういつまでも流れ出るものではない。いつか目の縁を引き吊るやうにして、自然に涙の干(かわ)くのを待つより他はない。
外には、冬の日とは思はれない、うららかな日日が続いてゐるのに私は自分ながら愛想のつきるやうな日日を送つてゐる。ひとり、机に向かつてゐると、必ずあいつがやつて来る。来るぞ、と思ふ。が、もうそのときには、涙はだらしなく頰を流れてゐるのだ。あいつは、日に何度ともなくやつて来る。私はその度に他愛なく、机の上に泣き伏せねばならなかつた。
たしかに、夢を見てゐるのだと思つてはゐた。しかし妻は死んだのではなかつたとも思つてゐた。表には、酔払ひらしい大声と、足音が聞こえてゐる。なにか玄関の戸に突き当つたやうな音がした。途端に、隣に寝てゐた妻が上体を擡(もた)げ、じつと聞き耳立ててゐるふうであつた。私はそんな妻の姿を、夜具の中から首を縮めて眺めてゐた。が、妻はいかにも安心したやうに、直ぐ体を落し、蒲団の中に入つてしまつた。
私は机の上に俯伏(うつぷ)したまま、うたた寝をしてゐたやである。今のは夢であらうか。それとも、妻の生前、そんなことがあつたのを思ひ浮かべてゐたのであらうか。定かでない。最早夕方近く、ふと気づくと、学校から帰つた子供が掛けてくれたのか、私の肩先には、妻の羽織が掛つてゐた。すると、私はやはり眠つてゐたのであらうか。
涙といふものは、まして中年の鰥男(やもを)の涙などといふものは、薄穢(うすぎたな)いものだ。甘つたるい感情の自慰のやうなものであらう。しかしいかに愚かな私でも、既に五十近く、私の涙袋もいつか干からびてしまふであらう。若しも涙のないこの哀しみといふものは、どんなものであらうか。
一体、こんな哀しみは、どこから来るのであらう。あるひは私の胸の中に開いた空洞から湧いてくるのかも知れない。
妻が死んだといふ、その哀しみだけではないやうである。それは私自身にも、なにか関(かかは)りがあるやうだ。たしかにその空洞は、少し曖昧(あいまい)な言葉ではあるが、私の生命力とでも言つたものの中に、口開いてゐるかとも思はれる。この腑抜(ふぬ)けたやうな無気力さも、あるひはそのためであるかも知れない。妻を知つた頃の私の日記には、毎日気負ひ立つた、若々しい言葉が書き連ねてある。その頃の、某日の一句である。
「二人は最早、別別の二個ではない。一個である、生けるものに、0.5といふものの存在はない」
さうであつた。私は若い日の時分に教へられた。契(ちぎ)りとは、私とだけのものではない。妻だけのものではない。すると、私の命の中に開いた空洞は、言つて見れば、今は亡い二人の契りの痕(あと)かとも思はれる。最早、それは0.5ではない。0である。
その空洞に未来はない。あるものは過去である。過ぎ去つた日日の黒闇の中に、思ひ出だけが、儚(はかな)い色に灯点(とも)つてゐるばかりだ。すると、この哀しみは、その空洞の未来のない未来を、私の生の終りに日まで、既に涙もなく、荒涼と駆け巡るのであらうか。
さう言へば、子供達は思ひの他に元気である。和夫でさへも、骨持つての火葬場の帰途、凧(たこ)上げてゐる友達に、大声で呼びかけたといふ。
「直ぐ行くから、待つとつてね」
案じてゐた、ひとり娘の郁子も、それほど力落した気配(けはひ)もない。
皆、過ぎ去つてしまつた母の死に、いつまでもかかづらつてゐられないほど、彼等の未来は遥かなのであらう。却つていかにも爺むさく、目の縁など張(は)らしてゐるやうな私を、急に劬(いたは)つてくれるやうにもなつた。
私もそんな子供達に、いつか父らしい抵抗を感じなくなつてゐた。父あつての母であり、母あつての父であつてみれば、妻ない今日、私の中の父性まで消えて行くのも、あるひは当然のことかも知れない。
子供達の生命は、それを本能的に知つてゐて、最早ひとり勝手に潑剌(はつらつ)と成長を始めたのであらうか。さうして父の殻ともなつた私は、そんな子供達の日日を、ただ徒(いたづら)にはらはらと案じながら、眺めてゐるばかりなのでもあらうか。
しかし不思議なことだ。妻の命は、その子供の中には生きてゐる。私の命と一緒になつて生きてゐる。
あの夜以来、私は二人の子供の蒲団の間に入つて眠つてゐる。暖い丸いお尻のあたりを抱いてゐると、ふと亡い妻の命のほとぼりのやうなものが感じられ、恥しくも、私は妻への儚(はかな)い色情をさへ覚えるのだ。
喝(かつ)とも、私は愚かな自分を一喝したい。所詮(しよせん)、感傷ではないか。ひは今更の無常感に過ぎないではないか。腑甲斐(ふがひ)ない極(きはみ)である。酔ひ痴(し)れて、先夜も子供達と愚かな遊びをしたものだ。
「鉱物です」
「加工品ですか」
「違ひます」
「土の中にあるものですか」
「いいえ、今はありません」
「加工品ぢやないんだな。この家の中にありますか」
「あります」
「さてと。台所にありますか」
「ありません」
「十畳にありますか」
「りません」
「お座敷にありますか」
「あります」
「ようし、しめた」と、和夫は座敷へ駆けて行つた。しかし直ぐ顔を捻つて帰つて来た。
「加工品ぢやないでせう。そんなものありませんよ。数珠(じゆず)の玉かな」
「カーン、御苦労さまでした。数珠の玉なんか、もちろん、加工品だよ」
「違ひます」
「空気」
「違ひます」
「空気は鉱物ぢやないよ」
「だつて、動物でも、植物でもないだらう」
「頭悪いな。空気なら、十畳にだつて、台所にだつてあるぢやないか」
「灰、お座敷の火鉢の灰」
「違ひます」
「あつ、解つた」
「何だい。お兄さん、何だい」
「さあ、御明答ですよ。これから土の中へ入るものですか」
「さうです」
「どうだい。それみろ。この間まで、動物でしたか」
「さうです」
「父さんの最愛の動物でしたか」
「やられたな、まあ、さうです」
「まあ、なんて、御遠慮なく。若(も)しも中風でなかつたら、足で背骨掻けると、言ひましたか」
「始終、ぼろぼろの財布持つて、お使ひに走つて行きましたか」
「よいとまけみたいな、襦袢(じゆばん)着てゐましたか」
口口に言つては、わつといふ笑声だつた。
いかにも最早壺中(こちゅう)の骨に過ぎないではないか。
が、私もあはあはと笑ひながら、またしても電燈の灯が、しどろもどろに乱れてくるのを、私はどうすることもできなかつた。

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