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夜船閑話

夜船閑話序

白隠慧鶴

寳曆丁丑の春、長安の書肆松月堂何某とかや聞こへし、 遠く草書を栽して近侍の左右に寄せて云く、伏して承る、老師の古紙堆中、夜船閑話とかや云へる草稿あり、書中多く氣を鍊り精を養ひ人の營衛をして充たしめ專ら長生久視の祕訣を聚む、謂ゆる神仙鍊丹の至要なりと。是故に世の好事の君子、是をおもふ事、荒旱の雲霓の如し。偶々雲水の徒侶纔かに傳寫し來るあるも、祕重し珍藏して人おして見せしめす、天瓢むなしく櫃におさめて匿したるが如し。願くば是を梓に壽がうして、以て其渴を慰せん。聞く、老師常に人を利するを以て老後を樂しみ給ふと、 もしそれ人に利あらば、師豈是を吝しみ給はんやと、二虎含みて師に呈示す、師微々として笑ふ。此において、諸子舊書櫃を開けば、草稿蠹魚の腹中に葬らるゝ者中葉に過ぎたり。諸子即ち訂正傳寫して、既に五十來紙を見る、即ち封裹し以て京師に寄せんとす。予が馬齒一日も諸子に長たるを以て、其の端由を書せん事を責む。予も亦辭せずして書す。云く、師鵠林に住する事大凡四十年、鉢嚢を掛けしより以來、雲水參玄の布衲子、纔かに門閫に跨れば、師の毒涎を甘ない、通棒を滋しとして、辭し去る事を怠るゝ者、或は十年、或は二十年、鵠林々下の塵となる事も、亦總に顧みざる底あり。盡く是れ叢林の頭角、四方の精英なり。各々西東五六里が間に分れて、舊舎廢宅、老院破廟、借りて以て菴居の處として淸苦す。朝艱暮辛、晝餒夜凍、口に投ずる者は菜葉麥麩、耳に觸るゝ者は熱喝垢罵、骨に徹する者は嗔拳痛棒、見る者顙を攅め、聞く者肌に汗す。鬼神もまた涙を浮べつべく、魔外もまた掌を合せつべし。其の初め來る時は、宋玉、何晏が美貌有りて、肌膚光澤凝れる膏の如くなる者も、久しからずして、恰も杜甫賈島が形容枯槁、顔色憔悴するが如く、或は屈子に澤畔に逢ふが如し。參玄軀命を顧みざる底の勇猛の上士にあらざるよりんば、何の樂み有りてか、片時も湊泊する事を得んや。是の故に、往々に參窮度に過ぎ、淸苦節を失する族は、肺金いたみかじけ、水分枯渇して、疝癖塊痛難治の重症を發せんとす。是れを憐み是れを愁ひて、師不豫の色有る者連日、乍ち忍俊不禁にして、雲頭を按下し、老婆の臭乳を絞ッて、是れに授くるに内觀の秘訣を以てす。乃ひ云く、若し是れ參禪辨道の上士、心火逆上し、身心勞疲し、五内調和せざる事あらんに、鍼灸藥の三つを以て是れを治せんと欲せば、縱ひ華陀扁倉と云へども、輙く救ひ得る事能はじ。我に仙人還丹の秘訣あり、儞が輩試に是れを修せよ、奇功を見る事、雲霧を披きて皎日を見るが如けん。若し此の秘要を修せんと欲せば、且らく工夫を抛下し、話頭を拈放して、先づ須らく熟睡一覺すべし。其の未だ睡りにつかず、眼を合せざる以前に向つて、長く兩脚を展べ、強く踏みそろへ、一身の元氣をして、臍輪氣海丹田腰脚足心の間に充たしめ、時々に此の觀を成すべし。我が此の氣海丹田腰脚足心、總に是れ我が本來の面目、面目何の鼻孔かある。我が此の氣海丹田、總に是れ我が本分の家郷、家郷何の消息かある。我が此の氣海丹田、總に是れ我が唯心の淨土、々々何の莊嚴かある。我が此の氣海丹田、總に是れ我が己心の彌陀、々々何の法をか説くと、打返し打返し常に斯の如く妄想すべし。妄想の功果積らば、一身の元氣いつしか腰脚足心の間に充足して、臍下瓠然たる事、未だ篠打せざる鞠の如けん。恁麼に單々に妄想し將ち去つて、五日七日乃至二三七日を經たらむに、從前の五積六聚氣虚勞役等の諸症、底を拂つて平癒せずんば、老僧が頭を切り將ち去れ。此に於て、諸子歡喜作禮して密々に精修す。各悉く不思議の奇功を見る。功の遲速は、進修の精麤に依るといへども、大半皆全快す。各々内觀の奇功を讃嘆して休まず。師の曰く、儞が輩、心病全快を得て以て足れりとする事勿れ。轉た治せば轉た參ぜよ。轉た悟らば轉た進め。老僧初め參學の時、難治の重病を發して、其の憂苦、諸子に十倍せり。進退惟谷まる。尋常心にひそかに思惟すらく、生きて此の憂愁に沈まんよりは、如かじ早く此の革嚢を捨てんにはと。何の幸ぞや、此の内觀の秘訣をつたへて全快を得る事、今の諸子の如し。至人の云く、此は是れ神仙長生不死の神術なり。中下は世壽三百歳なるべし。其の餘は計り定むべからず。予即ち歡喜に堪へず。精修怠らざる者大凡三年、心身次第に健康に、氣力次第に勇壯なる事を覺ゆ。此に於て、重ねて心に竊かに謂へらく、縱ひ此の眞修を修し得て、彭祖が八百の歳時を保ち得るも、唯是れ一箇頑空無智の守屍鬼ならくのみ。老狸の舊窠に睡るが如し。終に壞滅に歸せん。何が故ぞ、今既に獨りも葛洪鐡枴張華費張が輩を見ず。如かじ、四弘の大誓を憤起し、菩薩の威儀を學び、常に大法施を行じ、虚空に先ちて死せず、虚空に後れて生ぜざる底の不退堅固の眞法身を打殺し、金剛不壞の大仙身を成就せんにはと。此に於て、眞正參玄の上士兩三輩を得て、内觀と參禪と共に合せ並べ貯へて、且つ耕し且つ戰ふ者、蓋し茲に三十年。年々一員を添へ二肩を増し得て、今既に二百衆に近し。其の中間、方來の衲子、勞屈疲倦の族、或は心火逆上し將に發狂せんとする底を憐み、密かに此の内觀の至要を傳授し、立所に快癒せしめ、轉た悟れば轉た進ましむ。馬年今歳古稀に越えたりと云へども、半點の病患なく、齒牙全く搖落せず、眼耳次第に分明にして、動もすれば靉靆を忘る。毎月兩度の法施終に怠倦せず、請に佗方に應じて、三百五百の海象を聚會して、或は五旬七旬を、經に録に、雲水の所望に隨つて胡説亂道する者、大凡五六十會に及ぶといへども、終に一日も罷講齋を鎖さず。身心健康、氣力は次第に二三十歳の時には遙かに勝されり。是れ皆彼の内觀の奇功に依る事を覺ゆ。住菴の諸子、各々悲泣作禮して云く、吾が師大慈大悲、願くは内觀の大略を書せよ。書して留めて、後來禪病疲倦吾が輩の如き者を救へ。師即ち頷す。立處に草稿成る。稿中何の説く所ぞ。曰く、大凡生を養ひ長壽を保つの要は、形を錬るに如かず。形を錬るの要、神氣をして丹田氣海の間に凝らしむるにあり。神凝る則は氣聚る。氣聚る則は即ち眞丹成る。丹成る則は形固し。形固き則は神全し。神全き則は壽し。是れ仙人九轉還丹の秘訣に契へり。須らく知るべし、丹は果して外物に非ざる事を。千萬唯心火を降下し、氣海丹田の間に充たしむるに有るらくのみ。住菴の諸子、此の心要を勤めてはげみ、進んで怠らずんば、禪病を治し勞疲を救ふのみにあらず、禪門向上の事に到つて、年來疑團あらむ人々は、大きに手を拍して大笑する底の大歡喜有らん。何が故ぞ、月高くして城影盡く。

 維時寶暦丁丑孟正廿五蓂

  窮乏庵主饑凍炷香稽首題


夜船閑話

山野初め參學の日、誓つて勇猛の信々を憤發し、不退の道情を激起し、精錬刻苦する者既に兩三霜、乍ち一夜忽然として落節す、從前多少の疑惑、根に和して氷融し、曠劫生死の業根、底に徹して漚滅す。自ら謂へらく、道人を去る事寔に遠からず、古人二三十年、是れ何の捏怪ぞと、怡悦蹈舞を忘るゝ者數月。向後日用を廻顧するに、動靜の二境全く調和せず、去就の兩邊總に脱洒ならず。自ら謂へらく、猛く精彩を著け、重ねて一回捨命し去らむと、越て牙關を咬定し、雙眼睛を瞠開し、寢食ともに廢せんとす。既にして、未だ期月に亘らざるに、心火逆上し、肺金焦枯して、雙脚氷雪の底に浸すが如く、兩耳溪聲の間を行くが如し。肝膽常に怯弱にして、擧措恐怖多く、心身困倦し、寐寤種々の境界を見る。兩腋常に汗を生じ、兩眼常に涙を帶ぶ。此に於て、遍く明師に投じ、廣く名醫を探ると云へども、百藥寸功なし。或人曰く、城の白河の山裏に巖居せる者あり、世人是れを名づけて白幽先生と云ふ、靈壽三四甲子を閲し、人居三四里程を隔つ、人其の賢愚を辨ずる事なし、里人專ら稱して仙人とす、聞く、故の丈山氏の師範にして、精しく天文に通じ、深く醫道に達す、人あり禮を盡して咨叩する則は稀に微言を吐く、退きて是れを考ふるに、大に人に利ありと。此に於て寶永第七庚寅孟正中浣、竊かに行纏を著け、濃東を發し、黑谷を越え、直に白河の邑に到り、包を茶店におろして幽が巖栖の處を尋ぬ、里人遙に一枝の溪水を指す、即ち彼の水聲に隨つて、遙に山溪に入る。正に行く事里ばかりに、乍ち流水を踏斷す。樵徑もまたなし。時に一老夫あり、遙に雲煙の間を指す。黄白にして方寸餘なる者あり、山氣に隨つて或は顯はれ或は隱る。是れ幽が洞口に垂下する所の蘆簾なりと。予即ち裳を褰げて上る。巉巖を踏み、蒙茸を披けば、氷雪草鞋を咬み、雲露衲衣を壓す。辛汗を滴し、苦膏を流して、漸く彼の蘆簾の處に到れば風致淸絶實に物表に丁々たる事を覺ゆ。心魂震ひ恐れ肌膚戰慄す。且らく巖根に倚りて數息する者數百、少焉ありて、衣を振ひ襟を正して、畏づ鞠躬して簾子の中を望めば、朦朧として幽が目を收めて端坐するを見る。蒼髮垂れて膝に到り、朱顔麗くして棗の如し、大布の袍を掛け、輭草の席に坐せり。窟中纔に方五六笏にして、全く資生の具無し。机上只中庸と老子と金剛般若とを置く。予則ち禮を盡して、苦ろに病因を告げ、且つ救ひを請ふ。少焉幽眼を開いて熟々視て、徐々として告げて曰く、我は是れ山中半死の陳人、櫨栗を拾ひて食ひ麋鹿に伴つて睡る、此外更に何をか知らんや、自ら愧づ、遠く上人の來望を勞する事を。予即ち轉た咨叩して休まず。時に幽恬如として予が手を捉へて、精しく五内を窺ひ、九候を察す。爪甲長き事半寸、慘乎として顙を攅めてつげて云く、已哉、觀理度に過ぎ進修節を失して、終に此の重症を發す、實に醫治し難き者は公の禪病なり、若し鍼灸藥の三つの物を恃みて、而して後に是れを救はんと欲せば、扁倉力を盡し華陀顙を攅むるも、奇功を見る事能はじ、公今觀理の爲めに破らる、勤めて内觀の功を積まずんば終に起つ事能はじ、是れ彼の起倒は必ず地に依るの謂なり。予が曰く、願わくば内觀の要秘を聞かん、學びがてらに是れを修せん。幽肅々如として容をあらため從容として告て曰く、嗚呼公の如きは問ふ事を好むの士なり、我が昔し聞ける所を以て微しく公に告げんか、是れ養生の秘訣にして人の知る事稀なり、怠らずんば必ず奇功を見む、久視も亦期しつべし。夫れ大道分れて兩儀あり、陰陽交和して人物生る、先天の元氣中間に默運して五臟列り經脈行はる、衛氣營血互に昇降循環する者晝夜に大凡五十度、肺金は牝臟にして膈上に浮び肝木は牡臟にして膈下に沈む、心火は大陽にして上部に位し腎水は大陰にして下部を占む。五臟に七神あり、脾腎各二神を藏す。呼は心肺より出で吸は腎肝に入る。一呼に脈の行く事三寸一吸に脈の行く事三寸、晝夜に一萬三千五百の氣息あり。脈一身を巡行する事五十次、火は輕浮にしてつねに騰昇を好み水は沈重にしてつねに下流を務む。若し人察せず、觀照或は節を失し志念或は度に過ぐる時は心火熾衝して肺金焦薄す、金母苦しむ則は水子衰滅す、母子互に疲傷して、五位困倦し六屬凌奪す、四大増損して各百一の病を生ず、百藥功を立つる事能はず、衆醫總に手を束ねて終に告ぐる處なきに到る。蓋し生を養ふ事は國を守るが如し、明君聖主は常に心を下に專にし暗君庸主は常に心を上に恣にす、上に恣にする則は、九卿權に誇り、百僚寵を恃んで、曾て民間の窮困を知る事なし。野に菜色多く、國餓莩多し、賢良濳み竄れ、臣民瞋り恨む、諸侯離れ叛き、衆夷競ひ起つて、終に民庶を塗炭にし、國脈永く斷絶するに到る。心を下に專にする則は、九卿儉を守り、百僚約を勤めて、常に民間の勞疲を忘るゝ事なし。農に餘んの粟あり、婦に餘んの布ありて、群賢來り屬し、諸侯恐れ服して、民肥え國強く、令に違するの烝民なく、境を侵すの敵國なし、國刁斗の聲を聞く事なく、民戈戟の名を知らず、人身もまた然り。至人は常に心氣をして下に充たしむ、心氣下に充つる則は、七凶内に動く事無く、四邪また外より窺ふ事能はず、營衛充ち、心神健かなり、口終に藥餌の甘酸を知らず、身終に鍼灸の痛痒を受けず、庸流は常に心氣をして上に恣にす、上に恣にする則は左寸の火、右寸の金を剋して五官縮り疲れ、六親苦るしみ恨む。是の故に、漆園曰く、眞人の息は、是れを息するに踵を以てし、衆人の息は、是れを息するに喉を以てす。許俊が云く、蓋し氣下焦に在る則は、其の息遠く、氣上焦に在る則は、其の息促まる。上陽子が曰く、人に眞一の氣有り、丹田の中に降下する則は、一陽また復す、若し人始陽初復の候を知らんと欲せば、暖氣を以て是れが信とすべし、大凡生を養ふの道、上部は常に淸凉ならん事を要し、下部は常に温暖ならん事を要せよ。夫れ經脈の十二は支の十二に配し、月の十二に應じ、時の十二に合す。六爻變化再周して一歳を全ふするが如し。五陰上に居し、一陽下を占む、是れを地雷復と云ふ、冬至の候なり、眞人の息は、是れを息するに踵を以てするの謂か。三陽下に居し、三陰上に居す、是れを地天泰と云ふ、孟正の候なり。萬物發生の氣を含んで、百卉春化の澤を受く、至人元氣をして下に充たしむるの象、人是れを得る則は、營衛充實し氣力勇壯なり。五陰下に居し、一陽上に止まる、是れを山地剥といふ、九月の候なり。天是れを得る則は、林苑色を失し、百卉荒落す。是れ衆人の息は、是れを息するに喉を以てするの象、人是れを得る則は、形容枯槁し、齒牙搖落す。所以に延壽書に云く、六陽共に盡く、則ち是れ全陰の人死し易し。須らく知るべし、元氣をして常に下に充たしむ、是れ生を養ふ樞要なる事を。昔し呉契初石臺先生に見ゆ、齋戒して錬丹の術を問ふ。先生の云く、我に元玄眞丹の神秘あり、上々の器にあらざるよりんば得て傳ふべからず。古へ廣成子是れを以て黃帝に傳ふ、帝三七齋戒して是れを受く。夫れ大道の外に眞丹なく、眞丹の外に大道なし。蓋し五無漏の法あり、儞の六欲を去り、五官各々其の職を忘るゝ則は、混然たる本源の眞氣彷彿として目前に充つ、是れ彼の大白道人の謂ゆる我が天を以て事ふる所の天に合する者なり。孟軻氏の謂ゆる浩然の氣是れをひきゐて臍輪氣海丹田の間に藏めて、歳月を重ねて、是れを守つて守一にし去り是れを養ふて無適にし去つて、一朝乍ち丹竈を掀飜する則は、内外中間八紘四維總に是れ一枚の大還丹、此の時に當つて、初めて自己即ち是れ天地に先ちて生せず、虚空に後れて死せざる底の眞箇長生久視の大神仙なる事を覺得せん、是れを眞正丹竈功成る底の時節とす。豈風に御し、霞に跨り、地を縮め、水を蹈む等の鎖末たる幻事を以て懷とする者ならんや。大洋を攪いて酥酪とし、厚土を變じて黃金とす。前賢曰く、丹は丹田なり、液は肺液なり、肺液を以て丹田に還す、是の故に金液還丹といふ。予が曰く、謹んで命を聞いつ、且らく禪觀を抛下し、努め力めて治するを以て期とせん、恐るゝ所は、李士才が謂ゆる淸降に偏なる者にあらずや、心を一處に制せば、氣血或は滯碍する事なからんか。幽微々として笑つて云く、然らず、李氏いはずや、火の性は炎上なり宜しく是れを下らしむべし、水の性は下れるに就く宜しく是れをして上らしむべし。水上り火下る、是れを名けて交と云ふ、交る則は既濟とす、交らざる則は未濟とす、交は生の象不交は死の象なり。李家が謂ゆる淸降に偏なりとは、丹溪を學ぶ者の弊を救はんとなり。古人曰く、相火上り易きは身中の苦るしむ所水を補ふは火を制する所以なり。蓋し火に君相の二義あり、君火は上に居して、靜を主どり、相火は下に處して、動を主どる、君火は是れ一身の主なり、相火は宰輔たり。蓋し相火に兩般あり、謂ゆる腎と肝となり、肝は雷に比し、腎は龍に比す。是の故に云ふ、龍をして海底に歸せしめば、必ず迅發の雷なけん、但し雷をして澤中に藏れしめば、必ず飛騰の龍なけん。海か澤か、水にあらずと云ふ事なし、是れ相火上り易きを制するの語にあらずや。又曰く、心勞煩する則は、虚して心熱す、心虚する則は、是れを補するに心を下して腎に交ふ、是れを補といふ、既濟の道なり。公先に心火逆上して。此の重痾を發す、若し心を降下せずんば、縱ひ三界の秘密を行じ盡したりとも起つ事得じ。且つ又我が形模、道家者流に類するを以て、大に釋に異なる者とするか、是れ禪なり、他日打發せば。大に笑ひつべきの事有らむ。夫れ觀は無觀を以て正觀とす、多觀の者を邪觀とす。向に公、多觀を以て此の重症を見る、今是れを救ふに無觀を以てす、また可ならずや。公若し心炎意火を收めて、丹田及び足心の間におかば、胸膈自然に淸凉にして、一點の計較思想なく、一滴の識浪情波なけん、是れ眞觀淸淨觀なり、云ふ事なかれ、しばらく禪觀を抛下せんと。佛の言く、心を足心にをさめて、能く百一の病を治すと。阿含に酥を用ゆるの法あり、心の勞疲を救ふ事尤も妙なり。天台の摩訶止觀に、病因を論ずる事甚だ盡せり、治法を説く事も亦甚だ精密なり、十二種の息あり、よく衆病を治す、臍輪を縁して豆子を見るの法あり、其の大意、心火を降下して丹田及び足心に收むるを以て至要とす、但病を治するのみにあらず、大に禪觀を助く。蓋し繋縁諦眞の二止あり、諦眞は實相の圓觀、繋縁は心氣を臍輪氣海丹田の間に收め守るを以て第一とす、行者是れを用ゆるに大に利あり。古へ永平の開祖師、大宋に入つて如淨を天童に拜す。師一日密室に入つて益を請ふ、淨曰く、元子坐禪の時、心を左の掌の上におくべしと、是れ即ち顗師の謂ゆる繋縁止の大略なり。顗師始め此の繋縁内觀の秘訣を敎へて、其の家兄鎭愼が重痾を萬死の中に助け救ひたまふ事は、精しくは小止觀の中に説けり。また白雲和尚曰く、我常に心をして腔子の中に充たしむ、徒を匡し衆を領し賓を接し機に應じ及び小參普説七縱八横の間に於いて、是れを用ひて盡くる事なし、老來殊に利益多き事を覺ゆと。寔に貴ぶべし。是れ蓋し素問に謂ゆる恬澹虚無なれば、眞氣これにしたがふ、精神内に守らば病何れより來らんといふ語に本づき玉ふものならむか。且つ夫れ内に守るの要、元氣をして一身の中に充塞せしめ、三百六十の骨節、八萬四千の毛竅、一毫髮ばかりも欠缺の處なからしめん事を要す、是れ生を養ふ至要なる事を知るべし。彭祖が曰く、和神導氣の法、當に深く密室を鎖し、牀を安じ、席を煖め、枕の高さ二寸半、正身偃臥し、瞑目して、心氣を胸膈の中に閉し、鴻毛を鼻上につけて動かざる事三百息を經て、耳聞く處なく目見る所なく、斯の如くなる則は寒暑も侵す事能はず蜂蠆も毒する事能はず、壽三百六十歳、是れ眞人に近しと。又蘇内翰が曰く、已に飢ゑて方に食し、未だ飽かずして先づ止む、散歩逍遙して務めて腹をして空しからしめ、腹の空なる時に當つて即ち靜室に入り、端坐默然して出入の息を數へよ、一息より數へて十に到り、十より數へて百に到り、百より數へ放ち去つて千に到りて、此身兀然として此の心寂然たる事、虚空と等し、斯の如くなる事久ふして、一息おのづから止まり出でず入らざる時、此の息八萬四千の毛竅の中より雲蒸し霧起るが如く、無始劫來の諸病自ら除き、諸障自然に除滅する事を明悟せん、譬へば盲人の忽然として眼を開くが如けん。此の時人に尋ねて路頭を指す事を用ひず、只要す、尋常言語を省略して儞の元氣を長養せん事を、是の故に云ふ、目力を養ふ者は常に瞑し、耳根を養ふ者は常に飽き、心氣を養ふ者は常に默すと。予が曰く、酥を用ゆるの法得て聞いつべしや。幽が曰く、行者定中四大調和せず、身心ともに勞疲する事を覺せば、心を起して應に此の想をなすべし、譬へば色香淸淨の輭酥鴨卵の大さの如くなる者、頂上に頓在せんに、其の氣味微妙にして、遍く頭顱の間をうるほし、浸々として潤下し來つて、兩肩及び双臂兩乳胸膈の間、肺肝腸胃脊梁臀骨、次第に沾注し將ち去る。此時に當て、胸中の五積六聚疝癪塊痛、心に隨つて降下する事、水の下につくが如く歴々として聞あり、遍身を周流し、雙脚を温潤し、足心に至つて即ち止む。行者再び應に此の觀をなすべし、彼の浸々として潤下する所の餘流、積り湛へて暖め蘸す事、恰も世の良醫の種々妙香の藥物を集め、是れを煎湯して、浴盤の中に盛り湛へて、我が臍輪以下を漬け蘸すが如し。此の觀をなすとき、唯心の所現の故に、鼻根乍ち希有の香氣を聞き、身根俄かに妙好の輭觸を受く。身心調適なる事、二三十歳の時には遙かに勝れり。此の時に當つて、積聚を消融し、腸胃を調和し、覺えず肌膚光澤を生ず。若し夫れ勤めて怠らずんば、何の病か治せざらん、何の德か積まらざん、何の仙か成ぜざる、何の道か成ぜざる。其の功驗の遲速は、行人の進修の精麤に依るらくのみ。走始め丱歳の時、多病にして、公の患に十倍しき、衆醫總に顧みざるに到る。百端を窮むといへども、救ふべきの術なし。此に於て、上下の神祇に祈つて、天仙の冥助を請ひ願ふ。何の幸ぞや、計らずも此輭酥の妙術を傳受する事を。觀喜に堪へず、綿々として精修す。未だ期月ならざるに、衆病大半消除す。爾來身心輕安なる事を覺ゆるのみ。癡々兀々月の大小を記せず、年の閏餘を知らず、世念次第に輕微にして、人欲の舊習もいつしか忘れたるが如し、馬年今歳何十歳なる事もまた知らず。中頃端由有りて若州の山中に潜遁する者大凡三十歳、世人都て知る事なし。其の中間を顧るに、恰も黃粱半熟の一夢の如し。今此の山中無人の處に向つて、此の枯槁の一具骨を放つて、大布の單衣纔に二三片を掛け、嚴冬の寒威、綿を折くの夜といへども、枯腸を凍損するに到らず、山粒すでに斷えて穀氣を受けざる事、動もすれば數月に及ぶといへども、終に凍餧の覺もなき事は、皆此の觀の力ならずや。我今既に公に告ぐるに一生用ひ盡さざる底の秘訣を以てす、此外更に何をか云はんやと云つて、目を收めて默坐す。予も亦涙を含んで禮辭す。徐々として洞口を下れば、木末纔かに殘陽を掛く。時に屐聲の丁々として山谷に答ふるあり。且つ驚き且つ怪んで、畏づ畏づ回顧すれば、遙に幽が巖窟を離れて自ら送り來るを見る。即ち曰く、人迹不到の山路西東分ち難し、恐らくは歸客を惱せん、老父しばらく歸程を導かんと云つて、大駒屐を著け痩鳩杖をひき、巉巖を踏み嶮岨を陟る事、飄々として坦途を行くが如く、談笑して先驅す。山路遙かに里許を下りて、彼の溪水の所に到つて、即ち曰く、此の流水に隨ひ下らば、必ず白川の邑に到らんと云つて、慘然として別る。且らく柴立して、幽が回歩を目送するに、其の老歩の勇壯なる事、飄然として世を遁れて羽化して登仙する人の如し。且つ羨み且つ敬す。自ら恨む、世を終るまで此等の人に隨逐する事能はざる事を。徐々として歸り來つて、時々に彼の内觀を潜修するに、纔に三年に充たざるに、從前の衆病、藥餌を用ひず鍼灸を假らず、任運に除遣す。特り病を治するのみにあらず、從前手脚を挾む事を得ず、齒牙を下す事を得ざる底の難信難透難解難入底の一著子、根に透り底に徹して、透得過して大觀喜を得る者、大凡六七回、其の餘の小悟、怡悦踏舞を忘るゝ者、數を知らず。妙喜の謂ゆる大悟十八度小悟數を知らずと、初めて知る、寔に我を欺かざる事を。古へ二三緉の襪を著くといへども、足心常に氷雪の底に浸すが如くなる者、今既に三冬嚴寒の日といへども、襪せず爐せず、馬齒既に古稀を越えたりといへども、指すべき半點の小病も亦なき事は、彼の神術の餘勳ならんか。云ふ事なかれ、鵠林半死の殘喘、多小無義荒唐の妄談を記取して、以て佗の上流を誑惑すと。是れ宿に靈骨有つて、一槌に既に成ずる底の俊流の爲に設くるにあらず。癡鈍予が如く、勞病予に類する底、看讀して仔細に觀察せば、必ず少しき補ならんか。只恐る、別人の手を拍して大笑せん事を。何が故ぞ、馬枯萁を咬んで午枕に喧すし。