吉岡順作による杉山なかへの弔辞
吊詞
嗚呼人の尊󠄁重して最も愛惜するものは何ぞ曰く
生命と名節󠄂との二者あるのみ玆に杉山なを子一
朝病魔の襲ふ所󠄁となり醫師の診療を求むる數名
に及ぶも之が正確なる病因を明言するものなし
故に各醫も亦百方苦慮其治療に盡瘁する所󠄁ある
も啻に寸効を奏せざるのみならず尙且つ其病因
を求むる能はず漸く將に必死の悲境に陷らんと
す玆に於てか子卒然决する所あり枕邊に醫師親
姻を會同し誓言して曰く妾今や此盛世に遭󠄁遇󠄁し
不幸にして此難患に罹り多數醫士諸君の仁術を
辱ふしたるも病勢彌々加はり終󠄁に起󠄁つ能はず露
命又旦夕に迫󠄁る然るに妾齡ひ已に五十を過󠄁ぐ死
尙ほ遺󠄁憾なしと雖ども未た此盛世に酬ふるの志
を致さず庶幾くは死後醫師各位に托して此斃体
を解剖し子細に其病因を探究し以て盛世の醫海󠄀
に於ける他日の資料に供せらる〻ことを得ば妾
死して瞑目す可しと〓氣激励言々皆肺腑より出
つ一座之を聞て潜然復た言を發するものなし衆
醫爲めに感泣其言を容れ本夫武七氏及び親戚諸
氏等也一齊之れを贊し遂󠄂に公󠄁許を得るの書を作
り之れを面前󠄁に讀吿せしに端座喜んて拇印し後
ち一日にして永眠せらる本月六日子が遺󠄁托に依
り予等數名の醫士は共に齋戒沐浴して肉冷かな
るも熱誠溢る〻が如き靈體に恭しく刀を剖開し
其原因を探知するの端緖を得たり矣是れ獨り我
醫學の上に至大の功益󠄁を與へたるの美事として
感謝に耐へざる所󠄁のみならず實に社󠄁會億萬の蒼
生の爲め偉大の恩波を流布したるものと謂つべ
し嗚呼世間堂々たる六尺の男子にして尙ほ此决
心あるもの蓋し稀有なりとす然るに子の如きは
纖弱󠄁なる一婦󠄁女子にして能く此决志を表發し遂󠄂
に其素望を貫徹して永逝󠄁するに至る眞に子の如
きは所󠄁謂身を殺して仁を爲すの一烈〓として其
芳志を不朽に傳へ其名節󠄂を永遠󠄁に傳ふ可きなり
子尙くは之れを以て瞑せよ予等今此の葬儀に會
し親しく子が〓位を拜し轉た悲哀の情󠄁に耐へず
玆に一言を布陳し以て弔詞に代ふ子が靈夫れ彷
彿として來り〓けよ
維時明治三十年六月初六日
東山梨東八代醫會々員總代吉岡順作