北條民雄日記 (1935年)

提供:Wikisource


一九三五年 (昭和十年)

北條民雄


 一月二十一日。

 今年になつてから楽しい日が続く。傷ついた自分の神経もおもむろに癒え、少しづつ高まつて来る文学への熱情が、今日になつて激しく自分の〔しん〕に食ひ込み、遂に随筆四枚にそのことを書いて、本年度の覚悟、いやこれからの自分の生活を定めた。今日こそ生涯記念すべき一日だ。


 一月三十一日。

 二日間の予定で東京に出かける。


 二月一日。

 帰つて来た。大して刺戟も受けなかつたのに、夜になつて、唸 (魘) されてゐたと、佐藤君が言つた。


 二月十五日。 どうしてこのやうに日記が書けぬのか? 今年になつてからどれだけ書かねばならぬことの多かつたか? それだのに何一つとして書いてはゐない。自分の過去を振り返つて見ると、激しい変化や事件のあつた時は、定つて日記を書いてゐない。自分の神経の弱さが、変化や事件に圧倒されてしまふためであらうか? それなら最近の書けぬ理由は? 口実を探せば幾らでもあらう、けれど理由を発見したとて何にならうか。――とは言へ、自分のこの周囲の雑然さ、たつた一つ、それも二畳か三畳の小さなものでよい、部屋が欲しい。部屋が。思索し、執筆し、読書をする部屋が――。部屋がないといふこと、それがどんなに自分にとつて苦しいことか。朝も夜も昼も自分の神経は、もまれ、さいなまれ、ささらのやうに砕けてしまひさうな毎日。


 三月三十日。

 妹よ、私のために美しい人形を贈つてくれ。友よ、私のために美しい音楽を奏してくれ。私は人形を抱き、音楽を聞きつつ、深い眠りに落ちよう。深い眠りに。看護婦のK君が死んだ。昨夜はその追悼会があつた。死ね、死ね。死ぬものは幸ひなり。


 三月三十一日。

 曇つた険悪な空模様。かういふ日の私の気分は暗い。作品したい慾求も起らず、読書する気もなく、ただ、陰鬱なものが、ぐんぐん頭にもち上つて来てならぬ。碁を打つに限る。何もかも忘れ、ぼうつと碁を打つに限る。一石々々全神経を緊張させて、その張り切つた感覚の線上に身を置かう。その時こそ私が一番美しく光つてゐる時だ。作品する時の苦しみや喜び、それとは異種ではあらうが同位以上であらう。でなかつたらドブの中の真珠の一粒――そんなものだらう。最上か最下か、それは別だ。ただ絶対なのだ。


 夜。夕方から雪が降り出した。白い雪が。六時から於泉信夫の作品合評会がある。自分が組織した文学サークル第三回目の催しだ。雪の中をぽつりぽつりと出かけて行く。一般社会から切り離されたこの内部で、よし、たつた五人の会にしろ、そしてそれがどんなに幼ない未熟な集まりであつたにしても、この真剣さを軽蔑する奴は、馬に食はれろ!

 朝四時まで激論が絶えず、その熱心さは病院開院以来初めてのことだらう。


 四月二日。

 雪もすつかり溶けて、湿つた大地が黒々と続いてゐる。何となく、頭の重いしかし静かな気持だ。久しく這入らなかつた応接室に、今日はこの日記帳と、ドストエフスキー全集中の『作家の日記』を持ち込んで勉強を始める。

 今日から煙草を止めることにしたのでどうも調子が悪い。が、是非止さねばならぬ。こんなにのぼせ性なのも、一に煙草の害にあるのだ。又それだけでなく、自分の心臓は最近とみに弱まつたやうだ。どんな時でも、脈搏が九十以下といふことはないのみか、ちよつと激しい動作や興奮をすると、百四十を突破する。夜など、作品のことを考へてゐる間にだんだん興奮して来ると、もうどきんどきんと全身に響くくらゐだ。どうしても煙草は止さねばならぬ。わがなつかしく親しき唯一人の友 Golden bat よ、さやうなら。

 しかしながら、考へ及んでみると、もはや自分は酒をも飲んではならないのだ。その上又煙草も止めねばならぬ。凡ての享楽は自分から飛び去つて行く。酒、酒、あの甘く、辛い酒の味はひは、自分にはもう得られないのだ。あのへべれけに酔つぱらつて、ふらりふらりと街を歩く楽しさも得られまい。どうして今日はこんな意気地のないことばかり書くんだらう。傲然と反り返つて四辺を睨みつけろ!


 四月四日。

 ドストエフスキー全集中の、夫人アンナへの書簡集を読む。それを読んでゐる間、私は彼と一緒に、苦しみ、もがき、興奮し、どうにもならない絶望にすつかり押しつけられてしまつたり、すぐその後からぐんぐんと熱情が突き上つて来たり、長い間私は彼と語り、ルレエトカに負けたりした。と、かう書いたら不自然だらうか? 私はちつとも不自然ではないと思ふ。彼は決して我々に何かを教へようとしたり、心を打たうとしたりしない。そんな客観的な、向う側の人ではないのだ。彼はすぐ我々の横、いや、我々の内部へ飛び込んで来て我々の全身を摑んでしまふ。一度摑まれてしまつたが最後、もう我々は彼と共に行動し破産 (財産の) しなければならない。そして我々は、一刻も早く彼がアンナの許へ帰ることを希望し、ロシヤへ帰つて作品生活に入ることを痛切に希望する。さうでないと一時も安心出来ないのだ。唯もう心配でならないのだ。

 それからこれを読みながら、一口も、その手紙の一章も書かれてゐないアンナ夫人の姿が、髣髴と心に浮ぶのは、私だけの経験だらうか?


 この書簡集こそ、私は生涯愛読しよう。彼は偉大だ。比類のない芸術家だ。けれど、トルストイのやうに、ゲーテのやうに、我々を引き上げようとしたり、我々の前に立ちはだかつたりはしない。我々が、トルストイやゲーテに接する時、その時ほど我々自身の弱小を感ずることはない。もしドストエフスキーの前で我々がさうした感じを味はつたとすれば、彼は決して、冷淡な薄笑ひをしてはゐないだらう。いや、それどころか、彼は、我々と共に苦しみ、悲しみ、そして愛して呉れるだらう。


 四月十九日。

 もうはや四月十九日だ。自分だけがのろのろと一ケ所をさまよつてゐる中に、自然は、移り進み、変化してゐる。東條君のゐる柏舎の裏にある竹藪には、もう太い筍が黒土を割いて突き出てゐる。花を散らせた桜樹には若芽が葉を拡げ、やがて来る初夏に具へて春を謳つてゐる。それだのに、今の自分の気持はどうだ。暗く、陰鬱で、冬のやうに閉ざされてゐる。悦びの片影すらもない。「間木老人」五十二枚が完成したけれど、残つたものは、自嘲と、情無さと、自らを信じ得ざる悲しみだけだ。自分は永い間かかつて、あんなに苦しみ、努力して書いたのに、出来上つたもののあの貧弱さは、ああ、なんとしたらよいのか! 文学など、消えてなくなれ! と叫んでみたい切なさだ。

 こんな時、静かな、美しい随筆でも書きたい。


 四月二十二日。

 胸に悲しみある時、望郷台に上りて四辺を睥睨せよ。この醜悪なる現実を足下に蹂躪して独り自ら中天に飛翔する美しさを感得せよ。


 五月十一日。

 東條君、僕は今君の所で、君の日記の幾章かを聴かせて貰つた。そしてそのために、ひどく淋しく、悲しくなつてならないのだ。だつて、余りにも君の苦しみが僕のそれと似通つてゐるのだから。君は、僕と同じやうに苦しみ、藻搔いてゐる。その姿が、僕には、僕自身のやうに思はれてならないのだ。君の苦しみを見てゐると、僕は、その中に僕の姿が、まざまざと映し出されて来るのを、明瞭に感ずるのだ。

 けれど、君のレプラ患者の結婚論には、何か不満な気がした。君の意見が不賛成なためでは決してない。ただ、もう少し深く考へて貰ひたい気がしたのだ。深く、といふ言葉を僕は今使つたが、決して自分の考へが、傑れてゐるといふために使つたのではない。僕は、ただ、君の言つてゐる、いや、言い切つてゐるやうに、病者の結婚が、非道徳的であり、罪悪であり、ただ享楽以外にないといふ言葉のその次に、ここから病者の一つの苦しみが出発すること、そしてその故に病者にとつて結婚が如何に重大な問題 (良い意味にも悪い意味にも) であるかといふことを、突込んで欲しかつたのだ。といふのは、真剣に本能と戦ふことが如何に至難な事業であるかといふことを考へたからだ。お互にもつと深くこの問題を考へよう。この内部にこそ、真に人間性の奥底に触れ得る、霊と肉の争闘も、更に進めては巨大な個と全の問題も横はつてゐると思ふのだ。


 東條君、右のことはそれだけとして、君は僕のやうな心理家を持つたといふことを、よろこばなければならないのだよ。何故つて、君があの日記中に記した看護婦の夢は、たつたあれだけ聴いただけで、僕にはもうちやんとあの夢の意味が理解されるのだ。◎

 ああ、ところが、君、なんといふ恐しいことだ。このやうに恐しい心理の糸の構成に気づいたことはない。それは余りにも恐しいことだ。僕は、なんだか気が狂ひさうだ。急に頭が重くなつて来た。

 右まで書いて、この錯綜した僕の今の気持や、この夢の持つ意義や、更に、この夢を分析しようとした刹那に起つた僕の心理の動きを、書かうか書くまいかちよつとの間思案した。が、何もかも書いてしまふ。そのためには冷静な頭にならなければならない、僕は、暫く、じつと瞑想しよう。


 先づ最初に、夢を分析してしまはう。勿論、たつたあれだけ聴いただけでは、微細に考察することは不可能だが大体のことは考へることが出来る。

 夢は、欲望の表現である。これはフロイドママの言葉であり、僕はこの言葉を信ずることが出来る。僕はもう幾人もの夢を分析して成功した経験をつてゐる。

だが、ああ、僕はこの夢をどんなに書いて分析の跡を君に示したらよいだらう。何故つて、僕はもうすつかりあの夢の内容を忘れてしまつたのだもの。が、この忘れたといふことに重大な意義があるのだ。だが、安心して呉れ、忘れたのはもう既に心の中で分析してしまつてから後のことだつたから、あの夢の意義だけは書ける。ひとつびとつ、夢と対照して書くことは出来ぬが。

 兎に角あの夢は、君がひどく不幸になつてゐた筈だ。死んだか、ひどく病気が重くなつてゐた筈だ。が、看護婦が、どうしてこんな夢を見たのだらう。それは、彼女が、君に対して好意を感じてゐるが故なんだ。これはもうはつきりしてゐる。が君は僕に向つて言ふだらう。

「君はさつき、夢は欲望の表現であると言つたではないか。若し好意を感じてゐるならば、病気が良くなつた夢か、或は少くとも軽くなつた夢を見なければならない。それだのに、この夢は不幸になつてゐる。好意を持つてゐる男が不幸になることを誰が欲望するだらう。」と。が、僕はこの言葉に少しも驚かない。まあ急がないで僕の次の言葉を聞き給へ。

 彼女は君に好意を感じてゐる。だが君は癞だ。これがこの夢を歪めた原因だ。これはいふまでもなく彼女の心の中に深い葛藤を沈めてゐる証明だ。この葛藤とは、好意の反面に、思ひ切つてしまはなければならぬといふ (病気のことや彼女の家庭の事情やその他種々の理由はあらう) 無意識の欲望があつたのだ。そのために君を不幸にした。君がもつと不幸な者になつてしまへば、恐らくは彼女は思ひ切ることが出来るだらうと思ふ無意識があつたのだ。君には好意を有つてゐる。が思ひ切らねばならぬ。これがこの夢の有つ意義だ。


 次に僕の心理の分析だ。初めに◎の印しを附してある所まで書いて来て、僕はもう何時の間にか夢の内容を忘れてしまつたことに気がついたのだ。何故忘れたのだらう。それは無意識の中に書くことを嫌悪してゐたのだ。何故嫌悪したか? 彼女が君に好意を感じてゐる故だ。それだけの理由で何故嫌悪したか。僕は無意識の中に嫉妬心があつたのだ。それなら彼女に僕が好意を有つてゐるのか。否、理由は、◎印の次の項であんなにもこの心理に恐れてゐるからだ。何故それが好意を有たぬ証明となるか。もし好意を有つてゐるとすれば、あんなに恐しさを感じないで、怒りを覚える筈だ。あの恐怖の理由が、感情的なもののためではなく、寧ろ理性的に、心理の糸の精密さと、無意識の間に自分は何を考へてゐるか解らないといふ不安定な恐怖だ。


 五月十三日。

 東條の作品が廻つて来た。「準子」九十ニ枚の力作である。何時もながら彼の精力に驚かされる。この作は準子といふ看護婦が人公であり、副主人公が以前にマルキストであつた赤木といふ男で、癞者である。要点は準子がマルキストの赤木に恋するが、赤木が癩であるといふことの準子の苦悶と、赤木が既に輸精管を切断してゐることによつて、赤木に対して肉慾的な欲望を満足しようとする、要するに準子の性的苦悶の小説である。作者としてはもつとより以上のものを書きたかつたのかも知れぬが、それだけしか書かれてゐないやうな気がする。これといつて高い世界観や人生観なども示されてゐない。全体に言つて未だ技未熟で文学意識が低いやうに思はれるのは僕だけだらうか。そのために全体に凝結された芸術的美がない。これが作全体を低調にしてゐるのではあるまいか。秩序がない。具体性がないといふことだ。もつと一つ一つのエピソードやカットに意を用ひて欲しい。例へば堂本の描写にしても、あのやうに書かないで、一つのエピソードを持ち出して、その中で堂本の動作の一つ一つをしつかり描いた方が、より効果的なのではあるまいか。なほ堂本の描写に、「たいていテンゴーばかり言つてゐるのである。」といふやうな一節があつたが、このテンゴーなどいふ言葉をこのやうな場合に使ふことは、非常に効果的に見えて、その実非常に危険な、反対の結果を生み出すものである。何故ならかうした言葉は、一見非常に具体的に見えながら、その実、実に曖昧な抽象的な言葉なのである。読者はこの言葉から堂本に於ける何ものも受取ることが出来ないのである。

 準子はかなり描かれてゐてうれしかつたが、しかしまだ僕には不満がある。赤木がマルクママシズムを信奉してをり、この赤木の思想が準子を惹きつけるに役立つてゐることは疑へないし、この思想が準子の心の中に大きな波紋を投げ与へてゐることは解るとしても、準子自身のマルクシズムに対する態度は何処にも書かれてゐなかつた。三十三頁参照。これは必然的に準子の内部に、クリスチャンとしての彼女と、マルクシズムを考へる彼女との心の対立がなければなるまい。準子の欲情の苦悶を描くに汲々とした作者の、大きな失敗と言はねばならぬ。もしこの点がしつかり描かれてゐたなら、ここに我々は近代女性の思想的な苦しみと、本来の人間の肉慾の苦しみを有つ、真にリアリティを有つた人生性を見得るであらう。「散文に於ては、行為の発展は思想の発展であるべきだ」とは哲人アランの説であるが、この言葉をよく小説家は味はなければならないのではあるまいか?!

 なほ、赤木が二人称的に描かれてゐるため、その苦悶を直接描けないことは仕方がないとして (此の場合赤木は最早人生の凡てに徹した平然たる人間にされてゐるが、その影に苦悩の潜んでゐることは疑へない) その苦悩がもつと深く準子に反映しなければなるまい。準子が赤木に恋してゐる限り、赤木からの反映は準子にとつて大きな心の役割を演じるであらう。


 それから自分としては、内田君の作品と共に、看護婦を描いてあるといふことによつて非常な興味があつた。それは自分も看護婦を描きたいと思つて、しかもそれを摑みあぐんでゐるからである。一つの職業を有つものは、その職業者以外には絶対に持ち得ない特殊な何かがあるのではあるまいか。僕が摑みあぐんでゐるといふのは、この特殊な「何か」なのだ。この点東條君も内田君も摑まれてゐないやうな気がした。

 この特殊な「何か」といふのは僕の錯覚かも知れぬが――。


 五月二十五日。

 こんな、ちつぽけな義理や人情に拘泥してゐて自分の大成が望まれるものか! 踏み躪れ! 野球も、印刷所の仕事も止めてしまへ。そして作品生活に這入るんだ。自己の生命の問題に関することのみに頭を使へ。癞者の生命は短いんだ。彼等は腹を立てるだらう。義理も何も考へぬ男と自分を蔑むだらう。だが、それが何だ。それが何だ。自分の仕事はもつと別な所にあるんだ。彼等凡俗がなんと言はうと知つた事か‼

 だが、なんて自分はこんな小さなことにくよくよ考へ込むんだらう。もう二日も考へ込んで憂鬱でたまらぬ。もつと強くなれ! 強く。周囲と戦ふことだけでも、もつともつと強い自己を持たねば駄目だ。生きること、それは戦ひなのだ。


 五月二十九日。

 本月十五日、川端先生より拙作「間木老人」に就いてお手紙を戴き、それ以来、どうやら自分の文学にも明るみがさして来た。自分としては丸切り自信もなにもなかつたのに、先生は立派なものだと賞めて下さつた。そして発表のことまで考へて下さつた。二十二の現在まで、暗く、陰気な、じめじめした世界以外になかつた自分に、初めて太陽の光りがさし、温かい喜びの火が燃え始めた。自分は書かう。断じて書かう。「文学と斬死する」と何時か光岡君に語つたことがある。その時彼は、皮肉な冷憫の眼で僕を見てゐた。だが、自分はその気持から絶対に離れることは出来ない。そのために印刷所はやめてしまつた。だが野球の方はやめられさうにもない。渡辺君のあの顔を見ると、どうしても済まぬ気が先に立つ。


 K・Fは明日実家へ帰る。新しい文学の道を求めて――。彼の眼は片方は義眼だ。病気は重い。それだのに、今まで自分のやつて来た文学 (大衆文学的なもの) の凡てを清算して、新しい出発をするといふ。もう年も二十九にはなるのだらう。つい昨年まで療養所作家と自ら任じ、又人も認めてゐた彼。けれど文学サークルが出来て以来、我々の本格的な歩みは彼を激しい苦悩に陥れ、彼自身の文学が真実のものでなかつたことを悟らしめた。勿論彼をして生活から浮き上つた、大衆小説的興味本意の小説を作らしめたのはこの病院の責任である。彼に正しい一人の指導者をも与へず、指導的な書籍の一冊も与へなかつた病院の責任である。けれど彼は翻然と自らの道を発見し過去の一切を清算して突進しようとしてゐる。彼の前途には苦悩と不安が待つてゐるであらう。だが、それらの凡てが彼を生かしめる素材であるやうに、僕は祈る。


 五月三十日。

 朝印刷所へ行き、M君に会つて仕事をよす由話す。それからS君の所へ行つて、となりのベッドで暫く体を休める。彼も今日は元気がいいやうだ。

 昼からドストエフスキーの「悪霊」を読み始める。これで二度目だ。疲れると藤蔭寮の前のブランコに乗つて頭を休め、又読む。夜になるとぶらりと散歩に出、於泉信夫の所へよる。夕立雨が沛然と降つて来て、鋭い稲妻が光り、轟音が響いた。Y君と於泉と三人で歌のことや散文に就いて語る。勿論常識的な域を出ないもので書くまでもないが、Y君は熱情家である。牧田西男の Penname で短歌を作つてゐる。『武蔵野短歌』では重要な人の一人である。 八時頃に於泉と散歩に出る。東條君の所へ行き、彼を引張り出して三人で歩く。夕立雨は止み、空には星が輝いてゐる。清澄な空気はさつきの雨でいよいよ透明になり、何とも言へぬ清々しい夜であつた。暫く歩くともう自分は疲れてしまつた。

「どこかへ腰をおろしたいなあ。」

 と言ふと、

「どこかへしけ込まうか。」

 と東條が言う。勿論女舎だ。

 三人は榛名舎へ行く。みんな寝てゐたのには参つた。けれど彼女等は珍客来とあつて起きた。

 期せずしてK・Fの追憶会といふやうなものになつてしまつた。彼は毎晚ここへ遊びに来たものだつたのだ。

 そのうち九時が鳴つたので帰つた。


 六月四日。

 起床五時半。昨夜ぐつしより寝汗をかいた自分の体は、鉛のやうに重い。けれど起き出して洗顔し、掃除を済ました頃には、どうにか朝らしい清々しい気分を取り戻した。K君が家の前の雑草を取つてゐる。けれど自分は手伝ふ気にはならない。自分としてはあれ等の雑草を、そのままもつと密生させたいのだ。家の周囲が深々とした雑草に埋められたらいいのにと自分は思ふ。さういふことを考へながら、散歩に出る。今日は何時もと方向を更へて汽缶場の方を巡つて来る。垣根の間からちらちら見える官舎を見てゐるうちに、東京のことが心に浮び、もうこの病院にはあきあきしてしまつた自分を見出す。帰らうと思つてきびすをかへすと、急に胸にぐつと嫌悪がさして来た。自分にはこの部屋、共同生活の部屋に帰ることが、嫌でならない。このまま東京へ行つてしまひたい衝動を覚え、たまらなく淋しくなる。酒が飲みたくなつて来る。さういへば昨夜は激しい性慾の夢と、酒の夢とを見たことを思ひ出す。

 部屋が欲しい。自分一人の部屋が。何者にもかき乱されることのない部屋で、静かな、静かな気分になり、小説のことなどを考へたい。(午前六時、散歩から帰つてすぐつける。)


 六月六日。

 ながい間待つてゐた机が、昨日出来た。友人のT・N君が作つて呉れたものだ。出来たばかりの、新しい白木も香ぐはしい。中央からちよつと右によつた所に、黒い節が一つある。小さな、けだものの眼のやうだ。抽斗はまだ出来てゐないけれど、部屋の片隅に据ゑる。勉強しなければならぬと深く心に誓ふ。

 朝掃除を済ませると、先づ机に坐つてみる。亀戸にゐた頃のことを思ひ出す。あの時は足の高い卓子であつた。

 食後島木健作氏の『獄』を取り出し、そのうち「」一篇を読む。よくこなれた立派な筆使ひ、自分など到底及びさうにもない。暗い監獄の中の癩病人と、今の自分の生活を比較してみたり、三・一五で市ヶ谷に這入つてゐた朝鮮人の金さんのことなど想ひ出す。今ああして宗教に摑まれた金さんの、今までの過程に於ける苦悩は深かつたであらう。先日この村に芝居があつたをり、彼と自分は話合つたことがある。

「『個人』これから僕は抜け切ることが出来ません。個人の性格や苦悩や更に個性的な凡てが否定されるやうな思想に、今の僕は満足出来ません。勿論社会そとに居れば、今も尚あの運動に参加してゐるでせう。けれど癩を背負はされた現在の自分には、もう出来ないことです。」

 といふやうな意味のことを言はれた。この言葉も素直な言葉として自分には受け取れた。インテリゲンチャーが、個人と全体とが調和し切れない現実に真にぶつかり、戦ふ時の苦しみ程深いものがあらうか。しかしながら、今の自分には立派な作品を残したいばかりだ。

 八時になるとみんなは仕事に出かけて行き、自分は唯一人で机の前に坐つて物思ひに耽つた。そこへK老人が帰つて来る。もはや自分の神経はかき乱されてしまつた。老人は種々と愚にもつかぬことを話しかけて来る。癪に触つて終ひには返事をしない。すると何かぶつぶつ言ひながら出て行つた。痛切に部屋を持たぬ自分の生活がつらい。部屋、部屋、部屋――。

 昼頃ミシン部に行き、サージの布を買つて来て、机を覆つた。真黒いその上に本を並べ、原稿紙を載せる。黒い布から来る感じが、神経を暗く、だが静かな雰囲気に自分を置く。

 島木氏の『獄』を展げ、「盲目」「苦悶」を読む。

 三時から野球に出かけ所沢の「ことぶき」チームと戦ふ。スコアは3A—1で全生チームの勝。


 六月七日。

 朝、食前に『獄』の中「転落」を読み、食後「医者」を読む。これでこの書は全部読んだのである。妙義の光岡さんが読みたいと言つたので、直ぐ彼の所へ持つて行く。そこでココアを御馳走になり十分ばかり話す。帰つてから『獄』について種々のことを考へる。今までのプロレタリヤママ作家の誰もが満足な成績を納め得なかつた、マルキストに於ける個人的苦悶と、社会的な「組織」に於ける苦悶とを立派に描きあげてゐることには敬服する。抽象に堕さず、よく具体的に描きこなされたことに心を打たれる。しかしながら、あの作がどうして生々しい現実の一断片として迫つて来ないのだらうか? 何か横の方から眺めてゐるやうな、芝居中の悲劇を見るやうな、白々しい空虚さを感ずるのは僕だけだらうか? だが、これは僕だけのことだらう。今の自分がこのやうな一種特別な境遇におかれてゐるため、無意識の中に自分の神経が、かうした苦悩や惨めさに対して鈍感になつたのかも知れぬ。とりわけ「癩」なぞは、あの作中のレプラ患者のさまなぞ、もう自分には日常的な出来事に過ぎぬ。が、僕の鈍感にのみ、この迫真性の欠如が帰されないとしたならば、それはこの作者の失敗であらう。思想上の苦悩を描くに苦しみ抜いた作者が、それに捉はれ過ぎたため、現実的な肉づけが出来なかつたのだらう。兎も角、かうしたことは誰でも言はれよう。批評的な気持で今の自分は読んではならぬ。味はふこと、より多く感じ取ること、それが大切なのだ。さういふ気持で自分は読んだ。

 昼食後、押入れの中で三時まで眠る。どうしたのか、このごろ、一時頃になると、堪へがたいまでの睡気が襲つて来る。

 夜、ドストエフスキーの『作家の日記』を読む。

 机が出来たため、心が安定を得、そはそはしない。終日机の前に静かに坐つてゐるだけで、自分の胸は脹らんで来る。光岡さんに、勃然として勉強する気分が湧いて来たよ、と言つたら笑つてゐた。又始まつたぞ、と思つてゐるのかも知れぬ。


 六月八日。

 夕方になつて於泉が来る。彼の話によると、『山桜』の創作随筆などの散文を、凡て文学サークルに任せて呉れるやうになりさうだとのことである。

 七時頃になつて二人で散歩に出ると、途中で東條に会ひ、十時近くまで歩く。ひどく体が疲れてゐて、憂鬱でたまらなかつた。(もつと書きたいことがあるが、疲れがひどくて書けぬ)


 六月十日。

 終日部屋に引き籠つてゐたが、『作家の日記』を少し読んだだけである。絶え間なく書きたい欲求に襲はれながら、机に向ふと、どう書いていいのか判らなくなつてしまふ。そして今まで書いた三枚も、この文章で、この方法で、かういう風に書き進めていいのか? と疑ひ始める。するともう一行も次が書けない。さうなると憂鬱でたまらない。それで夕食後S君がモルモット小屋へ食餌を持つて行くので、それと一緒に出かけて行つて気晴しをする。その帰りに風呂に這入つて、つくづく考える。(自分は何も書けないんだ。その癖自分の力以上のものを書かうと気張つてゐる。それがいけないんだ。自分に書ける程度に、こつこつ書けばいいんだ。今は習作だ。何よりも、もつと量を多く書くべきだ。気張るな気張るな) この考へは自分を救つた。帰つて見ると光岡さんが来てゐた。先日持つて行つてゐた『獄』を返しに来てゐたのだ。それから『獄』に就いて九時頃まで語る。そこへ東條君が来たので三人で散歩に出かける。話は自然『獄』のことからマルキシズムの問題となり、更に現在この療養所内に於て我々は如何に生きなければならぬかといふこととなり、我々の敵は、ブルジョワだけではなく、もつともつと別な、更に深い敵があるのだ。といふことや、個人と階級といふことなど語る。その間自分の心を打つた光岡さんの言葉に、かういふのがある。どんなに苦しくなつて、どんな大きな、現在とは全然別なやうになつても、そこにはきつと抜路があると思ふ、そして自分が変つて行くたびにきつとそこには新しい世界があるのだ、といふ風なことであつた。(ここまで書くと、U君が眠れぬのだらう枕の向きを更へた。自分はローソクの光りが洩れては済まぬと思ひ、わざわざ本を高く積んで光りをふせいでゐるのに、ことさらに向きを更へるとは! なんて共同生活は嫌なものなんだらう。どうしてあの野郎はあんなに意地悪なんだらう。貴様なんか一日も早く、くたばつちまへ‼)


 六月十一日。

 朝『作品』六月号の「田園通信」(上林暁) を読む。移り変つて行く農村の姿を描いてゐるのだが、手紙の形になつてゐるためか、時代的な動きといふやうな客観的な真実さよりも、そこにゐる作中の「僕」の「君」に対する告白記のやうである。

 九時頃東條の家へ行く。あの舎では畳の表替へをやつてゐた。孟宗竹の藪を後にして、二人は話す。前の庭でN君が懸命に針を動かせて、畳を縫つてゐる。大きな桜の木がその向うにあり、水々しい緑葉が垂れて涼しさうである。はるか彼方に煙穴が見え、黒煙がもくもくと湧き出してゐた。空が湿気を含んで青白く見える。

 東條は彼の日記を読んで聞かせた。絶望にまで及ぶ深い苦悶と、その苦悶を理解し得ない周囲に対する反抗が彼らしい情熱で語られてゐた。彼の孤独が痛々しく思はれる。その中で、この気持の判つて呉れるのは北條であり、北條の中に多くの共通点を見出すと書かれてあつた。が、一体自分はどれだけ彼の気持が判るのだらうか?

 自分に彼が判るのは、彼の中に自分を見るからであり、彼の中の北條らしき部分だけしか理解されないのではあるまいか。だがこれ以上は望むことに罪があるのだらう。が自分は思ふ。今までを振り返つて見ても、ほんとに苦しんでゐる人と交はる時にだけ自分は信頼された。例へばF子 (従兄の妻) である。彼女等と同居してゐる時、初めの間彼女は、ルーズな、手に負へないひねくれ者でそのくせ人一倍図々しい――と言つて自分を猿のやうに嫌つた。けれど日が経ち、語り合ふことが多くなり、お互の苦痛を話し合ふやうになるにつれて、彼女は自分を信じ始めた。彼女にとつて、心の悲しみを語り得る者が、その夫にはなく、実に僕だつたといふことが理解されて来た。(これは決して自惚ではない。) 彼女は、僕が自殺に出発した遺書を見ると、唯、わけもなく泣き出してしまつた。そして彼女は、僕が癩であることを識らず、僕の病的な苦悩が理解出来なかつたらしいが、唯真に苦しんでゐる者として、僕の中に共通点を見出したのだらう。

 このことは幸か不幸か判らぬけれども、自分はうれしい。苦しむ人の友となることが出来る自分は、それは一つの幸福であらう。それから、先日僕が分析した看護婦の夢に就いても書かれてゐた。それによると、僕の分析は完全な図星だ。


 六月十五日。

 午前中机の前に坐つて今度書き出したもの (題はまだついてゐない) を八枚まで書く。昼飯後東條の家へ行く。先日依頼してあつたドストエフスキーのデスマスクの画が完成したといふので貰ふためである。彼は、

「これだけは死んでも残るやうに書くよ。」

 と、この前言つただけあつて、なかなか良く出来てゐると自分は思つた。写真を見て画いたものであるが、写真と比較すると、幾分感じが強く、陰影が深い。が、ドストエフスキーだから強い方がぴつたりするやうに思へた。僕が行くと、彼は黙々として、(実際彼はひどく黙々とする男だが) 懸命に手を入れてゐる。暫くして、彼は木炭を置き、

「今君の家へ行かうと思つてゐたんだ。」

 と言ふ。

「さうか、俺はドストエフスキー貰ひに来たんだ。」

 と僕は答へて、二人で僕の家へ来た。カンバス代りにしてゐる水瓶の蓋につけたまま、僕はドストを左手にぶら提げて来た。少々快々である。途中で売店に入り、ドストを入れるべき額縁を一枚註文する。五六日の中には来るだらう。勿論額縁は黒色のものである。黒い机の上に黒縁の額に納まつたドストがゐる、あの深刻な面が僕を上に引き上げようとするだらう、その前で僕は小説を書き、本を読み、思索する――ちよつと胸が脹らんで来るではないか。

 家には誰もゐない。二人で長々と寝そべり、語り合ふ。東條と親しくなつて幾ケ月になるだらうと考へる。この頃になつて彼は僕の心内の苦悩を理解し始めたし、僕もまた彼の苦しみを理解し始めた。

「君、苦しくなつたら僕の所へ来て語らう。」

 と、この前彼に言つたことがある。僕もたいてい苦しくなつたら彼の所へ行くことにしてゐる。やがて僕は立ち上つて、片栗粉に砂糖を入れ、湯をかけて、名前はなんと呼ぶか知らぬが、大変うまさうなものを作つて彼にすすめる。

「ところてんみたいだな。」

 と彼が言ふ。

「さうか、ところてんみたいか。俺は食つたこともないなあ。」

「ふん、これによく似てゐるんだよ。」

 こんな風な話をして三時半まで遊ぶ。

 夕食後風呂に行き、机の前に坐る。先日川端先生に、「間木老人」発表して下さいと手紙を送つたことが気にかかり出す。Uさんに先日入院料の催促を受け、せめてあの作でも幾何かになればと思ひ、お願ひしたのであるが、先生にお任せすると前の手紙に書いて置きながら、今になつてあのやうな手紙を書いた自分が情なく、同時にUさんが憎らしくなり、更に患者対事務員といふやうなことを考へ出して、腹立たしくなる。先生に書いた手紙もう取消しにしようかと思ひ始めるが、又そんなことを書いたら、ますます自分のやり方が悪くなつて行くばかりのやうに思はれ出して困つてしまふ。ドストの書簡集をちよつと読み、風呂に出かける。帰つてこれを記す。


 六月十六日。

 こんど書き出した小説、なんといふ小題をつけたらよいか考へるが、なかなか適切なのが泛ばない。十三枚まで書けたが、まだこれからだ。

 夜、東條が来る。散歩に出かけ榛名で遊ぶ。スミさん今日は特別綺麗に見えたが、僕だけかしら? ちよつと恋をしてみたいやうに思はれる。


 六月十九日。

 川端先生よりお手紙あり、病気にて入院された由、大変驚き、ひどく憂鬱になる。もうずつと以前も、時々、何かの拍子に、先生は亡くなられるのではないか、などいふ不吉な予感があり、今度入院ときき、仰天する。先生の随筆など見ると、余りにも死のことが多くかかれてゐる。最近の文芸批評など、余りに鋭ど過ぎる。


 六月二十三日。

 部屋を失ひ、打ちひしがれたやうになつてゐた東條も、やうやく十号病室に行かれるやうになり、今日は晴々としてゐる。

 実際ここ二三日の彼の苦しみは、見るも痛ましいものだつた。十号では遠藤さんの附添ださうだ。自分の「間木老人」の中に出て来る鬚男のモデルはこの遠藤さんだ。その遠藤さんの附添を東條がやるのだと思ふと、何かひどくユーモラスな気持になつて来る。

 夕方東條と二人で散歩。十号でお茶を御馳走になり九時頃音楽会に出かけて行く。入口にまで人が溢れてゐて到底這入れさうにもない。伸び上つて窓から覗くと、百合舎の女の子の舞踊である。久振りに見る可憐な少女達の踊りが、自分を惹きつける。けれど中へ這入ることが出来ない。帰らうと思つて歩き出すと、可愛い歌声が流れて来て、自分をぐんぐん引きずつて行く。再び窓に鎚りつくやうにして中を覗く。又帰らうと思ひ出す。が、どうしても帰ることが出来ない。遂に中へ割り込む。中は案外すいてゐて都合が良かつた。オッフェンバッハの「天国と地獄」には打たれる。


 六月二十九日。

 久しぶりで今日は静かな気持だ。何かしら書きたい欲求が、心の中に湧き上つて来る。

 ここ数日来の気持を振りかへつて見る。そこには打ちひしがれ、傷つき呻く獣のやうな自らを見出す。その間時々、東條と会ひ語り合ふことにせめてものよろこびを見出してゐる、みじめな自分の姿が浮んで来る。

 かういふことがあつた。

 二十五日の午後のこと、礼拝堂では寄席大会があつた。みんな出かけて行つたので、僕もちよつと覗いて見る。下劣な掛合漫才に、侮辱されたやうな腹立たしさを感じ、傲然と肩をそびやかして部屋に帰つた。けれど何をする気も起らぬ。仰向けに寝転んで天井の節穴を捜す。焦々しくなつて来る。立ち上つて拳固をかため、硝子を叩き割つてやらうとボクサーのやうに身構へする。かうして身構へしてゐる自分の体は、蟷螂かまきりのやうに痩せこけてゐると思ふと、滑稽になつて来て、そのくせ滑稽になることがひどく胸糞が悪い。再びごろりと寝転ぶ。大の字型にふんぞり返つて大きな呼吸をする。咽を鳴らして、うううう――と唸るつてみる。大変愉快だ。ううう――ううう――、ううう――。頭がだんだん晴れ晴れして来たので、座蒲団を持つて芝生に出かける。蒲団を枕に寝転ぶ。 ふと自分は、二十間ばかり離れた地点に、紅の一輪を見つける。その美しさが激しく心を打つ。獣のやうに猛然と起き上つてその花をむしり取る。花を持つたまま、再び寝転び、匂を嗅いでみたり、柔かい花弁に触つてみたりする。急に死んでみたくなる。自分の全身が、一物質に還り、凡ての精神的機能を失つてみたい。息をつめ身動きをしないでゐる。ほんとに死んだやうだ。やがて自分は土になるだらう。さうすると自分のこの身からも、草が生えたり、花が咲いたりするだらう。さう思つて草を毮り、腹の上に乗せてみたりする。花をボタンの穴にさし込んでみるが、うまく立つてゐない。花は毮り抜いたのだから、根がついて居り、土がついてゐる。ボタンの穴では駄目だと見てとると、口へくはへてみる。口の中で土がぢやりぢやりする。けれど花は本当に自分の口から生え出し、根を張つて生々してゐるやうだ。すつかり安心する。

「自分は死んだ、死んだ、死んだ。」

 もう僕は、自然物なんだ。精神を持たぬ一個の物質、物それ自体なんだ。僕は、今まで反抗し続けて来た自然との争闘を止め、自然の中に静かに融解して行つたんだ。もはや、僕は、自然その物なんだ!こんなたわいもない模擬死 (?) をやつてみたことすらある。まるで狂人だ。佐藤君の説では、だんだん僕は幽霊じみて来るさうだ。


 七月二日。

 夜、東條君が遊びに来た。揃つて散歩に出かける。今日何時もとコースを更へて、汽缶場の方から医局の裏に抜け、更に監房の横を通つて見る。あたりの風物が何時もと違ふため、それと共に看護婦達のゐる官舎がちらちら垣根の間からのぞかれるので、気分が緊張し、風物を一つだに見逃すまいとする。

 監房から向うは何時もの散歩道だ。

 東條の話によると、「北條さんて、とても朗かな、今にも笑ひ出しさうな方に見える。」とあやめの女達が言つてゐたさうだ。苦笑せざるを得ない。

 ぐるりと一巡して内田君の所へよる。彼は留守。仕方なく久しぶりで、はるな舎へ行つてみようかと思つてゐると、東條が先を越して、

「はるなへ行かう。」

 と言ふ。よからうといふことになつて行く。遠藤さんが来てゐた。S、平凡な女。勿論武装してゐるから内部は判らぬが、時々彼女の噂や、東條の語る印象など綜合して考へると、 まづ平凡な女、と言ふ以外になからう。はつきり自己を認識して、人生や社会、更にこの院内の諸事象などに確固とした態度などありさうにも思へぬ。かういふ女には批判精神といふのがないのだ。

 彼女は僕と東條とを如何に見てゐるか? 好意を持つとか持たぬとかは、この場合言はぬ。東條の中から何を摑み、僕の中から何を摑んでゐるのだらうか? といふのだ。が女なんて浅はかなものだらう。皮相の観察、といふよりは時々の反射による感じの上だけが彼女の心を動かす力となるのだらう。東條や僕の良い所を摑み得ないが如く悪い部分も判らぬだらう。と言へば少々無礼になりさうだ。よさう。

 八時頃於泉が来る。彼氏Sに参つてゐるらしい。彼の姿を見た刹那、僕はひどく悪いことをしてゐるやうな気がした。東條はどうだらう?

 やつ、暫く庭に立つたまま我々を眺める。上つて来ようともしないのだ。心の底が波立つてゐるやうに見える。

「うおお。」

 と、言ひながら僕はにやにやと笑つて、ちよつと傲然として見せる。悪い癖だ。

「お上りなさい。」

 と女が言つた。

「上れよ。」

 と我々も言ふ。

 すると、彼、どうしたのか帰ると言ひ出した。心の中を見られることを嫌つて無意識的にさう言つたのだらう。が結局上つて来る。寸時の間話し、東條と僕は引き上げる。

 帰り真際に踊りの話が出たが踊ると言ふと、

「於泉さんに怒られるわよ。」

 と別の女が言つた。するとSは反抗的こ、

「於泉さん (なんか) に怒られても踊りたい時には踊るわ。」

 と自己の独立性を主張した。その間髪に僕は彼女の心を読みとつた。

 暗い道に出ると、二人は期せずして笑ひ出した。

 幸福なる於泉信夫よ、御身の眼は余りにも小さく潤んでゐる。さういふ言葉が不意に浮んで来る。意地悪の快感だ。が可哀想にも思ふ。(さうだ、彼の苦悩はここに忍んでゐるのだ。) と自分は気づく。

 二人で畠を荒し、きうり四本 (太いやつ) を稼ぐ。真暗の中を、洗衣着の二人の姿は仄白く見えたらう。なんと痛快極ることだ。これで二度目だ。前の時には於泉と三人だつた。その時は僕が一番不猟だつたが、今日はなかなか大猟だ。暗いので手さぐりに捜す。ぶよぶよして、毛ば立つた葉が毛虫の無気味さを感ぜしめる。時々、蔓の「手」に立てられた竹竿を摑んだり、下駄が柔かい地面にささつてよろけたり、がさがさと音が立つたりする。が、ちつともびくつかない。心は平然としてゐた。

 懐にずつしりと重みを感じながら、どやどやと十号の東條の部屋に帰つて来ると、東條のシスともう一人Fちやんといふ女が二人で東條の帰りを待つてゐた。僕と東條とがごろごろと懐中から太いキウリを机に転がせると、あきれてゐた。

 四本だが、切つて見ると、皿に山盛りあつた。以てこれが如何に巨きなものであつたか想像されよう。そいつに食塩を振りかけ、そのままごりごりと食ふ。大変うまい。彼女らも食つた。愉快だ。だが、なんと切ない享楽であることよ。


 七月三曰。 どうしてかう近頃忘れつぽくなつたんだらうか。日記を書かうとして一日の出来ごとを振りかへつて見てもなかなか覚え出せない。文学などもなるだけ多く覚えようとしてゐるのだが、すぐ忘れてしまふ。今日の記事も (実はこれは四日の今記してゐるのだが) 午前中のことはすつかり失念といふ訳だ。で、午後の分だけ書いて置く。頭が悪くなつたんだらう。

 四時半頃飯を食ひ、終るとすぐ東條の所へ行く。風呂を貰ふためだ。そこで早速二人で風呂に這入る。するとつい先日気が狂つて、(東條の話によると、夜中に荷車を曳き出したり、デバを振り廻したりしたのださうだ) 附添達にこつぴどく撲られ、監禁室に入れられてゐたといふ若い男が、這入つて来た。東條は平気らしいが、僕はひどく薄気味悪く背筋がむづむづする。よく太つた男で、年はまだ十九だといふが、大柄な体で二十二三に見える。肉はぶよぶよとしてゐて、女のやうに白い。勿論病気のための白さであらうが、皮膚など大変なめらかで美しい。扁平足といふか、三和土〔たたき〕の上をべたべたと歩く。眉毛は両方共薄くなつてゐる。監禁される前に見た時には、物凄く太いのを、墨で書いてゐた。お湯から上り、東條の部屋で南の窓から這入る風を受けて体の汗を引かせてゐると、T君がやつて来た。

 帰つてから雑誌をペラペラとめくつて見たり、煙草を吸つたりしたが、読む気も書く気にもならぬ。仕方なくぶらりと外に出る。「今夜は御馳走をするぜ。」と東條が言つてゐたのでぶらぶら十号の方へ向つて行く。七号病室の前まで来ると、彼がのつそり十号から出て来る。細長い体を、ひよろひよろとやつて来る姿は、力といふものを皆目失つて風に流れて来るやうだ。柏舎の横で帯を干してゐるT君と三人で散歩をする。

 ナツメ舎の所でT君に別れ、東條と二人ぶらぶら僕の舎の方へ向つて来る。僕は自分の部屋のことを考へ、丸切り精神的なものを持たぬ実際家達がうようよ集まつてゐると思ふと、嫌気がさして来てならない。それで藤蔭寮の横の芝生にながながと寝そべり、僕が、十七の時に作つた小説の梗概を語ると、彼も小さい時の作のことを話した。

 暗くなり、あたりが静まつて来ると、二人は立ち上り、十号の方へ歩き出す。すると、共同便所の横で妙義舎の光岡君と、於泉信夫とにばつたり出会でくわす。しまつた、と自分は心の中で思ふ。東條と二人で語つてゐる時の静かな、そして何の武装もしない情熱で語り合ふことが、今破られようとしてゐる! この二人によつて‼ さういふ風な不安に似た気持が突き上つて来る。光岡君にしろ於泉にしろ、自分とは親しい間柄の人達である筈だ。それにこの嫌悪はどういふ訳だ。理由は性格的なものだらう。この種の人達とは、交はれば交はる程、親しさが薄らいで行き、離れて行く。僕の所へ行かう、と光岡君が言ふ。四人は歩き出す。一番後からのそのそといて来た東條は、途中で突然帰ると言ひ出した。そして帰つてしまつた。

 三人は光岡君の部屋で Coffee を飲み雑談。僕は激しい憂鬱と苛立たしさが心の中に湧き上つて来て、物を言ふのさへ腹が立つ。於泉はよく喋る。下らんことをべらべらと喋る。光岡君がそれに相槌を打つ。その実、心の中では於泉を軽蔑してゐるのだ。於泉の馬鹿はそれに気づかないんだ。いい気になつてよけい喋る。そのくせ彼も光岡君を軽蔑してゐるんだ。お互に肚の中では侮蔑し嘲笑し合ひながら、口先だけで愉快さうに笑つたり、楽しさうに語つたりする。それでゐてお互に肚の中を探り合ひ、見てゐても胸くそが悪い。大きな油虫が一匹ぶうんと飛んで来て僕の肩に止まる。僕はそいつを摑んで、むかつく心のはけ口にもと廊下に力いつぱい叩きつける。なんて人間は浅ましいんだらう。お互に嘘のつきつこをして楽しがるために生れて来たのか、と言ひたくなる。僕もよく噓をつく。しかし僕の嘘はこんなに浅ましくはない。僕のはやむにやまれぬ情熱で嘘をつくのだ。僕のはよりよく表現しよう、より正確に自分を認識して貰ふために、つくのだ。決して自らを欺くためではない。ところが彼等はどうだ、自らを欺き、そのうへ人を欺かうとしてゐるのだ。何時だつたか光岡君が言つた言葉を自分は覚えてゐる。「北條君はちよつとおだてるとすぐ乗る男だ」と! 畜生、おだてられたりしてたまるものか。於泉よ、愚にもつかんことを語るのは止せ! 東條よ! 君と僕が語り合ふ時だけは褌までも外づして語らう。僕は決して君に対して武装しはしない。どうか君も武装しないでくれ。裸にならう、裸に。

 僕は幾度於泉の口辺をひつぱたいてやらうと思つたか知れぬ。これは僕が於泉を幾分でも愛してゐるためだ。自分達の世界の人間、仲間、さうした気持があるためだ。それが全然別個の世界の人間と調子を合せ、合せることによつて楽しさを得ようとしてゐる浅ましさが憎らしいのだ。

 九時半頃やうやく帰途につく。「たまに語るのもいいねえ」と光岡君が言ふ。僕は仏頂面をして帰つた。帰つたが、頭の中が混乱し切つてゐて、たうてい寝られさうにもない。もう十時に近いが、家の中にじつとしてゐられない。東條の所へ行くに限る。さうださうだ。夢中になつて駈けるやうにして彼の所へ行く。彼のシスと文ちやんが又来てゐたが、晚いのですぐ帰つた。田ロ君も来てゐたがこれも帰つた。十一時頃までそこで語る。五号病室の竹内といふ人が死に、闇の中を鐘の音が流れるのを聞きつつ帰る。


 七月四日。

 今日は終日部屋に閉ぢこもつて暮す。どうしても英語をやらねばならぬと思ひ始める。語学一つ満足に出来ぬ作家なんてをかしい。さう思ふと居ても立つてもゐられない。幸ひ研究社の講義録があるから始める。これから毎朝一時間づつやること、何にしてもがん張るんだ。死ぬまでがん張り通すことが出来れば、成功してもしなくともそれで満足ではないか。死んだ兄を思ひ出してみろ! 兄は英語は常識語だから必ずやれと幾度自分に教へたことか。そして兄は死の刹那まで知識欲にもえてゐたではないか。がん張れ、がん張れ。

 今日は〔ひる〕一時から映画が来る。日活 all star cast の超特作ださうだ。題は「母の愛」といふ。が、自分は行かなかつた。行けば必ず情なくなつたり腹が立つたり、その果はきつとあの生温い空気に窒息しさうになつてガンガン頭が鳴り出し、〔めまい〕がし始めることは判り切つてゐる。映画は必ず箸にも棒にもかからぬ通俗的なものに定つてゐるのだ。それよか家で寝転んで本でも読んだ方がなんぼましか判らぬ。舎の者みんなが行つてしまふと、自分はふとんを出し、その中で『改造』や『文藝』や『中央公論』などを数冊引き出して拾ひ読みする。武田麟太郎氏の小説「浄穢の観念」を読み、その他大衆小説二三楽しむ。四時頃、腹が減つて来てならぬので一人で飯を食ふ。傲然とあぐらをかいて食ふ。楽しい。あたりには自分の思考を乱すものは誰もゐない。一号室にもゐない。この舎全部我がものだ。といふ風な気になる。こんな時東條が来たらいいのになあ。誰になんの気がねをすることもなく自由に、大声で語り合つたり、飯を食つたり、お茶を飲んだりするのに! 東條よ、今度から来る時には、朝来い。朝の八時から十時までは、たいてい俺一人ぽつちなんだ。みんな仕事に出かけてしまふからね。君はどう思ふか知らぬが、君と二人で語り合ふ時、他に (どんな者でも) 誰かがゐると、もう面白くないのだ。弱い癖に気の敏感な僕は、絶え間なくその誰かが気にかかり、思ふ存分ものが言へないのだ。そしてその誰かが何か一つことでも言ひ出すと、もう自分達の世界をかき乱されてしまふやうな腹立たしさを感ずるのだ。それは極端なエゴーかも知れないね。けれど、どうにもならないのだ。僕は僕達の世界の中に閉ぢこもり、そこを荒されることが腹立たしく、同時に、いや、それ故に絶えず荒されはしないかとびくびくしてゐるのだ。これはあまり良い傾向では決してない。けれど、自分の力の微力さがさうさせるのだ。さうしなければ自分の神経を、文学を、守つて行けないのだ。それ程僕等の周囲は雑駁を極めてゐるんだ。それは、実際僕等の必死の戦ひなんだ。君は判つて呉れるだらう。それから僕は今から僕の苦悩が如何なるものであるか、その一端を書かう。けれど何からどう書きまとめたらよいか、自分でも持てあましてゐるのだ。まあ兎に角思ひ出すまま二三書いてみる。(これは後で君にみせることを予想して書いてゐるのだ。けれど決して嘘は書かぬ。)

 先づ第一に僕達の生活に社会性がないといふこと。従つてそこから生れ出る作品に社会性がない。社会は僕達の作品を必要とするだらうか? よし必要とするにしても、どういふ意味に於てであらうか。僕は考へる。先づ、第一に「癩」といふことの特異さが彼等の興味を惹くだらう。それからそこの人間達の苦悶する状態の中に何か人間性の奥底を見ようとするだらう。けれど次にはもう投げ出してしまふだらう。要するに、一口に言へば亡び行く民族 (?) の悲鳴に過ぎないのだ。このダイナミックな進行を続ける社会の中に、こんなちつぽけな、古ぼけた人間性など、何のかかはりがあるのだ。

 次に、僕の現在たより得る思想はマルクシズムをおいて他にない。けれど、この癩病患者の北條がそれを信奉したとてどうなる。いや、この言葉はうそだ。マルクシズムにたより切れない僕を発見するからだ。僕は最早階級線上から落伍した一廃兵に過ぎないのだ。しかも、この若さで、この情熱を有つて、廃兵たらざるを得ないのだ。僕は一体、何に鎚りついたらいいのだ。しかもなほ僕は、この俺が、この北條が可愛いのだ。歴史の進展は個人を抹殺する。その歴史の進展に正しく参加したもののみが価値を有つ。唯物史観はさう教へるのだ。そしてこの俺は、抹殺さるべき人間なのだ。歴史の進展に参加し得ない (積極的に) 一個人なのだ。そんな人間は、死んでしまふべきなんだ。しかも僕は死に切れなかつたんだ。生きてゐるんだ。そして自らを愛してゐるのだ。どうしたらいいのだ。どうしたらいいのだ。僕は時々マルクシズムを信じ切れなくなるのだ。しかしそのたびにあの正しい社会観を思ひ出して、僕はもう身動きも出来なくなるのだ。君は僕の近頃の生活の中になん等マルキストらしいものを見ないだらう。それは当然だ。僕は僕個人と、社会との間に造られた、深い洞窟に墜落してもがいてゐる最中なのだ。君に見えるのはその苦悶の姿だけなんだ。

 それから病気そのものの苦悩。隔離の不自由。部屋のないこと。

 性的なもの。

 文学的才能の不足。

 これ等が全部一丸となつて僕の頭を混乱に突き落すのだ。東條よ、君だけは僕のこの苦悩を判つて呉れるだらう。


 とんでもない方向に筆が走つた。兎に角かうしたことを考へ考へ、飯を食ひ終ると、このことを日記につけて置かうと机に向ふ。すると昨日のことを思ひだし、是非記して置かねばならぬと思ひ始め、それを書く。それを書き終る頃部屋の連中がどやどやと帰つて来て、もう書けない。時計を見ると六時ちよつと前だ。風呂に入れて貰ふべく十号に行く。東條はローレンスの肖像画を書いてゐた。なかなか良く出来てゐる。於泉がさぞ欲しがるだらう。風呂から出て一服やつてゐると、A・Gの結婚祝ひの饅頭が来る。結婚祝賀に饅頭とはふるつてゐる。この病院では誰もさうするさうだ。僕が結婚したらそんなことはやらぬ。親しい者と酒の密輸入をやつて一晚中飲んで騷ぐと考へたりしたが、結婚なんて夢 (それも悪夢) のやうなここの結婚なんてまつ平だ。

 どうして今夜はかう書きたいのだらう。なんでもいいから思ひ浮ぶことを片つぱしから書きつけて行きたく思ふ。

 ここは応接室だ。頭の上を虫が一匹ぶんぶん飛んでゐる。静かだ。だがもう消灯も間もないだらう。休まう。


 七月五日。

 朝英語を少し始めてみたが、病気のことを考へ出すと、もうどうしたらいいのか判らなくなつてしまふ。今からぼつぼつ始めて、どうにか一人前になる頃には完全に盲目になつてゐた。などといふことになつたとしたら?

 そしてこれが馬鹿げた杞憂では決してなく、確実に自分が病気である以上、確実に盲目になることは否応なく信じねばならぬのである。さう思ふとはや自分は深い洞穴に墜落して行く絶望と不安に堪へられなくなる。東條の所へ行く。十一時頃東條と二人でピクニックに行く。二人きりでは淋しく、遠藤老人を探して歩く。人もあらうに遠藤さんを探して歩くとは、と考へると可笑しくなつて来る。長い東條と、短い僕が、汗を流しながら駈けずり廻つてゐる恰好は、ひどく滑稽に違ひない。はるな、百合、あやめ、と各女舎を巡つて訊ねて見るが、遠藤さんはゐない。がつかりして引き上げようと歩き出した時、神宮の方から例の禿頭が幾分腰を曲げてひよつこり現はれた。ほつと二人は安心した。「遠藤さん」と呼んでニ人は駈け出す。

 二時近くまで三人でお菓子を食つたりお茶を飲んだりする。僕は女のゐないことが物足らなかつた。東條もさういう風であつた。

 夕方東條が訪ねて来る。二人で散歩に出る。途中十号によりお茶を飲んで、東條の日記を聴かせて貰ふ。お互に日記を読み合ふやうになつたのは何時からか、僕は十分覚えてゐない。が、何時の間にかさうなつてしまつたのだ。Sのことなど書かれてゐる。恋をしてみてもいいといふ風であつた。僕は一昨日の日記でSをやつつけたが、こいつは東條に見せるんぢやなかつたと後悔する。学園のグラウンドからは、踊りの練習の太鼓の音が、唄声とともに流れて来る。はるなへでも行つてみようかといふことになり再び外に出る。すると途中でひよつこりK・Fに出会す。今まで文学のことなど語り合ひながら歩いてゐた二人は、急に啞のやうに黙つてしまふ。K・Fは病室に帰るであらうと考へてゐると、なんのことはない廻れ右をして僕達と一緒に歩き出したので、畜生! と思つた。この頃K・Fの顔を見ると何時も不愉快になつてしまふ。骨の髄まで全生病院に帰化してしまつた癩的根性が見え、それが不快になり、思はず胸がムカムカとしてしまふ。その癖出会すママと、俺程苦しんでゐるものはゐない、といふ風な貌つきで、まるで何もかも識り尽してしまつたニヒリストのやうにニヤニヤと笑ひ、幸福さうにしてゐるぢやないかと僕を軽蔑する。そして動作、言葉、思想その他凡てがぬらりくらりとしてゐて、まるで鰻のやうだ。がそれでゐて、あの鰻の持つ強靭さも、鋭さも、精焊さもない。丸切りなまづの鈍感さだ。この男を見てゐると不愉快になると同時に、可哀想にもなつて来る。何時か東條と語り合つたが、実際、僕等は、彼を買ひ被つたのだ。この前に彼がここを出て文学修業すると言つた時、僕はすつかり有頂天になつてしまつた。今考へると恥しくなり、情なくなる。こんな男にとつて何が文学だ。あの時だつて、唯ちよつとそんな風に思つて見ただけなんだらう。その証拠に一週間も院外の空気を吸つて来ると、もうぬらりくらりと帰つて来てゐるぢやないか。ああ、それにしてもこの院内の文学、それはなんといふ情ないものだらう。猫も杓子も、といふが、全く字義通り猫も杓子も文芸だ。春秋には短歌会だ俳句会だと、外の一流 (?) の先生が来る。そしてその秀作には郵便はがき一枚也だ。彼等はその郵便はがきを取ることを最高の光栄と考へ、出汁滓のやうな頭を搾つてゐる。そして天晴れ俳人歌人気取りで院内を横行する。なんといふ浅ましさだ。情なさだ! 恐らくここの事務長はこの病院へ来て驚いたらう。余りにも禦し易い輩ばかりであることに。

「諸君は癩なるが故にかかる高尚なる趣味を得ることが出来たのです。そして諸君は、この恐るべき病苦をものともせず、尚孜々ししとしてより高き情操生活を持たんと努力し、苦悶されてゐるのです。我々は、そのみなさん (ここでは特別にみなさんと優しさうに言ふに定つてゐるのだ) の苦悶 (力を入れて) の前に衷心より頭を下げます。」

 そして家に帰ると、先づめでたしめでたしと盃を干すだらう。そして人に会へば、「患者はおだてて置くに限るのだ。まあ一種の豚だね」と! 事務長はここへ来るまで内務省にゐたといふから、社会といふものが何に支配され、何によつて動き、それに対して自分の態度はどう定めるべきであるか、といふことを、この資本主義の律法下に於ける処世哲学を、誰よりも明瞭に認識してゐるであらう。東條よ、色々の行事の時などに、あの一番高い上座 (?) に坐る連中の貌を見ると、どんな感じがするか。僕は痛切に狸面だと思ふのだ。僕は何時でも激しい屈辱を感ずるのだ。

 おお屈辱の歴史その日閉づる

 と唄つた過去。

 三・一五恨みの日 我等は君に誓ふ 党のため仆れたる君渡政に誓ふ 武装には武装もて 血潮には血潮もて

 大胆に復警せん

 と唄つた時のこと、あの大衆のどよめき、唄声、メーデー、騎馬巡査、さういつたものが切々と心に蘇つて来るのだ。けれどどうしやうもない。僕達はブルジョワといふ敵と更に病気といふ敵があるのだ。

 さうだ、僕達はせめて文学を、正しい文学を守らう。ああ、だが、僕達は彼等に捕はれてゐる。どうしたらいいか? 僕は考へよう。生涯かかつても考へよう。


 ここまで書いて、ふと気づくと、日記を書いてゐるのである。こいつはいけない。先を急がう。

 さてK・Fと三人でははるなへ行く気がしない。踊りでも見ようかと歩き出すと、

「近頃君達も粋な所へ遊びに行けるやうになつたぢやないか。」

 僕と東條が二度ばかりはるなへ二人で行つた、そのことの皮肉なのだ。生意気な! と僕はぐつと胸に癪が突き上つて来る。なめやがるな‼ と思ふ。それ程彼のその時の言葉や態度には、二人を嘲笑するものが見えるのだ。眉毛が丸切りなく、おまけに片方義眼の彼が、ぐにやりぐにやりと肩を揺らせて笑ふのだ。東條も腹が立つたのか、押し黙つてゐる。僕は胸くそが悪くなつて来た。僕はにやにや笑ひながら、

昨夜〔ゆふべ〕はるなで於泉と文章論をやつたつてぢやないか。」

 と逆襲してやる。今日の昼間Eさんにそのことを聞いてゐたのだ。俺は文士だといつたやうな面で得意になつて言つたことだらう。定めし怪しげな文章論で女達を驚かせたことだらう。僕は例のやうににやにやと笑ひながら彼の様子を窺つてゐると、彼は、え? つママと訊きかへし、急にぎごちない笑ひを強ひて笑ひながら、「於泉が……ちよつと。」と可哀想な程に懸命に弁解する。インチキニヒリスト (彼にあつてはニヒルとは無気力、怠惰と訳すのか) の化の皮がはがれる。しかし、ふと僕はなんだつてこんな奴に向つて逆襲したりしたんだらうと、自分の愚さが情なくなる。問題にならんぢやないか。つまらん、つまらん。

 踊りもつまらない。帰らうと歩き出すと東條も来る。K・Fは来ない。腹を立てたかも知れぬ。もう九時を過ぎたであらう。二人は藤蔭寮の横の芝生の上で寝転び、星を眺める。夜露にしつとり沈んだ芝生はつめたい。疲れた足をながながと伸し、「つかれたよ」と僕が言ふ。彼も相槌を打つ。言葉がない。黙つて二人は空を眺めてゐる。「あゝ流星」と低い声で不意に彼が言ふ。僕は急いでその方を見る。流れ星はもう消え去つて、ただ深い空の底で無数の星が瞬いてゐる。またしても無言。暫くして彼が、

「この間ここで君と語つたらう。今僕はあの時と同じ気持になつてゐるのだ。」

 と言ふ。僕は相槌を打ち、

「僕は今、かういふことを頭の中で考へてゐたのだ。それは、君とこんなに親しくなつていいのか、といふことだつた。」

 それから長い間、友情に関する話をする。彼はTとのことも言つた。僕は思つた。単なる情熱で結ばれた愛は、その情熱の高まつてゐる間だけのものだ。そして情熱的な瞬間には、全体的なものが判らず或る一面だけの共鳴である場合が多い。そしてさういふ瞬間には、その一面だけが大きく見え、相手の凡てが、そして自分の凡てが、その一面だけで構成されてゐるやうに思へるのだ。随つて熱が冷めると、今まで気づかなかつた他の一面が首を出し、ギャップを生ずる。彼とTの場合は正しくさうだ。それは殆ど友情の頂点を示す程の熱であつたらう。けれどそれは、彼の持つ常識的なものが、Tの常識的な道徳の上で、或は正義観 (感) で結合したのだ。随つて日が経つに連れて、東條は自分の中にある、文学的な欲望や、それと共に現はれる常識 (義理とか人情とかいふ) 的なものを軽蔑する反抗精神や文学的な苦悩が頭をもたげることを発見せざるを得なかつたのだ。

 そのうち話は自然に文学の上に行き、そして眼のことに至る。彼の眼はやがて見えなくなるだらう。もう片方は殆ど駄目だといふ。そしてもう一方はホシが飛び始めたといふ。本を読んでも考へてゐる時でも、一度眼のことを考へ出すと、最早居ても立つてもゐられないと言ふ。その癖どうしても自殺することが出来ない。もう二度も失敗してゐる。それが強い先入観となつて、どんなにしても死に切れないやうに出来てゐる自分を感ずるといふ。それなら盲目になつたらどうしたらよいか。宗教家が羨しい。けれど彼に宗教はない。文学、それとはどうしても離れることは出来ない。詩をやつてもそれでは満足されない。散文、散文、これ以外には何もない。けれど盲目になつてどうして書けよう。自分は恐らくは、尻尾をつながれたねずみのやうに、狂つて狂つて狂ひ死ぬだらう。さういふことを考へると、ほんとに気が狂つてしまふやうに思ふのだ。そして狂ひ死ぬ姿を考へ、絶望につき込まれるのだと彼は語る。そのうへ現在書いたものはろくなものが出来ない、と言ふ。

 一体この言葉に僕はどう返事をしたらいいのか。慰めの言葉ほど愛情の薄いものはないのだ。僕はただ息がつまつてしまふ。

 ああ、そして、この彼の苦しみが、やがては、僕にもやつて来るのだ。疑ひもなくやつて来るのだ。ただ時間の問題だけだ。早いか遅いか。僕は芝の上でごろごろと転がり、坐つては頭髪をかきむしつた。どうにもならない、どうにもならない!

 いつの間にか着物までしつとりと濡れて、つめたい。

 家へ帰り、床の中へ這入つてからも、彼のことが頭に泛ぶ。頭が冴え渡つて眠れない。僕は長い間考へる。

 どうしても草津に家を一軒建て、東條と二人で暮さう。Sを彼の妻として、僕が彼の妹を貰つたらどうだらう。けれど彼のシスはもう婚約してゐるかも知れぬ。それなら仕方がない。こういふことを懸命に考へてゐると、もう二時を過ぎたことに気づく。(六日記)


 七月六日。

 夜。東條の所へ行き、泊る。彼と二人でソーメンをうでて食ふ。


 七月七日。

 今日はたなばた様である。終日面白くなし。東條の所へも二度くらゐ行つたらう。夜二人で散歩する。何時もの所を何時ものやうに歩く。変化も刺戟もない。酒が飲みたい。酒々々。


 七月八日。

 何もかもたたきこはしたい激情の一日。


 七月九日。

 東條よ、今、僕は君に対して何とも言ふべき言葉がない。何故なら、どう考へて見ても、僕には、君の苦しみを解決する方法を死以外には見出せないからだ。僕は、唯一人の友、君に向つて、「死ね」といふ以外にない。これは何といふ悲しい言葉だらう。けれど、君を理解すればする程、さう言はざるを得ないのだ。この僕の気持は、あまりに理性的であり、リアリスティックであるかも知れない。けれど、あり来たりの、常識的な言葉で君を慰め得ないのは、僕の宿命だ。また、常識的な言葉で何等よろこびを発見し得ないのは君の宿命だ。たつた一人の、さうだ、この宇宙内のたつた一人の友、その友に向つて「死ね」と言はねばならぬ僕も、死以外に行き場のない君も、共に等しく「運命」なのだ。


 小説を書く、それが何だ。君を前に於て、僕にどうして書けるのだ。


 真夜中、ふと眼を覚すと、またしても全身ぐつしより寝汗だ。手も足も貌も胸部も、浴びたやうな汗だ。頭は重く沈んで、全身抜けるやうに気だるい。気色が悪いこと。仕方なく蒲団の上に起き上り拭ふ。夜衣をぬぎ、裸になると、青い蚊帳を通して流れ込む夜気が、冷々と快い。胸をまさぐり、しみじみ痩せたと思ふ。あばらの骨が一本々々指にかかる。


 七月十日。

 平凡な一日。十一時頃U、S、K、M、僕の五人でピクニック。野球場の横に並んでゐる杉林の中。御馳走はうどん、麦飯、その他、貧弱であるが、青い葉と葉の間を流れて来る風は涼しい。五時頃東條の所で風呂を貰ふ。

 夜、睡るにはまだ早く、さうかといつて行き場もないので、困らされる。踊りでも見ようかと八時頃出かけると、東條とTに会ふ。三人でぶらぶら歩く。十号へ川端先生の随筆評論集を忘れて来てゐたので持つて帰る。Tは途中で帰る。踊り見物。つまらない。看護婦のMとSが来てゐる。


 七月十一日。

 昨年の盆のやうに、秋のやうな涼しさだ。そのためもあらうけれど、今日は一日、静かな、落着いた気分だ。だが、何かしらやる瀬なく切ない。仕事にとりかかる気もなく、遊ぶには何か時間が惜しいやうで、ただぼんやり机の前で暮す。十時頃病室に出かけ、渡辺君や鈴木君、中林君等を見舞ふ。

 午後図書室に出かけ、以前から借りて見たいと思つてゐた、『文藝春秋』の古いのを借りて来る。大正十四年の十一月号に十五年の新年号の二冊、他にストリンドべ リの『痴人の告白』も借りる。『文藝春秋』のべた組の編輯を珍しく思ふ。紙は黄色く褪せて、紙魚しみに荒されてさへゐる。私等がまだ子供だつた頃、この雑誌も華やかだつたんだらうと思ひ、今の『文藝春秋』と併せ考へたりする。横光利一氏や川端先生等の名前が見える。『文藝春秋』の一頁広告がある。今は亡くなられた人々の貌が見える。芥川龍之介の「侏儒の言葉」が巻頭にある。横瀬夜雨、小山内薫、田山花袋、直木三十三 (新年号には三十五とある)、広津柳浪、高畠素之、かういふ故人が顔を並べてゐる。自分の父が若かつた頃の手紙や、書いたものなどをいつか読んだことがあつたが、何かそのやうな気分がする。何もかも昔話のやうである。今の女流作家の中本たか子氏が懸賞小説の予選に合格して、小さく名前が出てゐる。若い頃の父を見るやうな、なつかしい面白さである。

 夕食後U君と棋を囲み、勝つ。

 夕方になつてぶらぶらと東條の所へ行くが彼はゐない。

 帰つてもすることがない。変に淋しくなつて来た。だんだん暮れて行つて、あたりが暗くなると、ますます淋しくなつて来る。再び東條の所へ行く。やつぱりゐない。 窓から部屋の中を覗いて見ると、机の上に額が傷つくのを防ぐために釘の間に挟むものが出来て来てゐる。真赤な絹か何かでそれが鋭く光つてゐる。帰りかけると、急に東條のことが色々考へられ、ふいと自殺するのではないかといふ不安が突き上つて来る。さつき覗いた彼の部屋の変に沈んだ静けさの中に真紅に光つてゐる布が、自分には何か無気味な、死を思はせるやうな美しさが激しく自分の心を打つてゐたのだ。そのためだらう。

 帰つてから踊りを見に行く。踊りを見ながらも東條の姿を捜す。ゐない。軽い不安が心の中に残る。スミさんが文ちやんと二人で来る。冗談を二三交へて自分は帰る。


 七月十四日。

 お盆が来た。降るのかと思はれる程空は曇つてゐる。昨年の盆と同じやうに、やはり今年も涼しい。学園前のグラウンドには、大きなやぐらが建てられ、夜が来ると、みなめいめいに仮装などして踊りだ。八時頃出かけて行く。けれど踊りたいといふ心は湧いては来ない。望郷台に上ると、ほの暗い中に東條が佇んでゐる。大きな花の輪を鳥瞰するやうに、踊りはすぐ真下に見える。初めて自分がこの踊りを見た時は、土人の部落の踊りでも見るやうな感じがしたが、今年もやはりそのやうな気がする。

 東條と二人で降り、ぶらぶらと散歩をする。月は満月で碧い硝子玉のやうに中空に浮んでゐる。東條は突然僕に、自殺の決意を告白する。遂にここまで来てしまつたのか。僕は心の中に突き上つて来る激しいあるものと戦ひながら、それでも言ふべき言葉がない。彼が死を思ふことは既に久しい。そしてここに至ることは最早以前から予想されてゐることではないか。この彼に向つて自分は何と言つたらいいのだ。自殺をやめろと言ふか。ああ、だが今の僕にどうして彼の死を思ひとどまらせることが出来るのだ。それどころか、真に彼の苦しみを思ふなら、むしろ死を奨めるべきではあるまいか。人は何と言ふか 僕は知らぬ。けれど僕にはさうより以外言ふ言葉がない。けれど、ああ、東條に向つて、この親友といふべきたつた一人の友に向つて、どうして死ねと言へるのだ。どうしても、どうしても僕には言へない。

「僕には何とも言ふべき言葉がない。」僕はただそれだけを言つて置いた。これ程無慈悲な言葉はあるまい。死ね、と言ふよりも尚数倍冷たい言葉であらう。けれど、この冷たさが、この無慈悲さが、どんなに彼を思ふ僕の心か、誰か察して呉れ。

 僕自身何かの折に幾度も言つたではないか。盲目になつたら、いや、盲目になる前にきつと自殺する、と。この僕だ。この僕の考へを彼は今行はうとしてゐる。それは誰の姿でもない、僕自身の姿なのだ。

 彼は又言ふ。或る女性に結婚の申込みをしたと。その女は幾分かは文学に対して理解を持つてゐるらしい。言ふ迄もなく盲になつてから代筆して貰ふ為だ。その返事が今日は恐らくあるだらうと思ふ。その女の返事によつて死ななくてもよいかも知れぬと彼は言ふ。けれど90%駄目だらうと言ふ。つまり彼の生死はその女の返事一筋にかかつてゐるのだ。僕は言つた。もしその返事がNoであつた場合はどうかその女と僕と会はせてくれと。僕は下手な口でその女を必死になつて口説いてみよう。しかし僕が女を口説くなんてなんだか変な感じがする。僕は生れて初めてだ。


 七月十五日。

 今日一日心が浮かない。何かもの悲しく、憂愁につつまれた日であつた。東條のことを考へると、原稿紙に向ふ気もしない。今度の「晚秋」だけは力を入れて書きたい。以前「間木老人」を先生は賞めて下さつたけれど、自分には丸切り自信がない。あの作のことを考へてゐると、思はず顔があかくなるやうな拙劣な所が目立つて思ひ浮んで来る。これではいけない。「晚秋」だけは自信のある作にしたい。が、東條の件が解決してしまはない限りたうてい筆をおろせない。この作は実を言ふと、もう二十四枚 (題はついてゐない) 書き進めて来て急に想が変り、破き捨て、更に三度書き始めてみたが思ふやうに行かず、困つてゐるのだ。けれど書けるだらう。きつと書く。昼頃先生よりお手紙があつた。あせらずに体に気をつけなさい、と。何時ものやうに優しくいたはつて下さるお手紙に頭が下る。夕方東條の所へ行く。彼は部屋の中に長々と伸びたまま、何かもの思ひに耽つてゐる。自分も寝転び考へ込む。時々咳が出る。東條が、

「又咳いてゐるな。」

 と言ふ。

「うん。」

 と答へると、

「その咳は怪しい。」

 と言ふ。僕は黙つた。咽に痰が詰り、咳くまいとしても、咳くまいとしても咳いてしまふ。喀血でもして死んでしまへばどんなに幸福か知れぬと思ふ。

 二人で風呂に這入る。帰る時に東條に言ふ。

「僕は今夜踊るぞ。」

「踊れ。……僕も踊らう。」

 さうだ今夜は気が狂ふまで踊り抜きたい。踊りによつて凡てを忘れることが出来るなら、よろこばしい。

 夜。笠を持つて踊りに出かける。K君とM君と、三人で踊り出したが、やつぱり気が浮かぬ。二度ばかり廻り、M君が引き止めたが、疲れたと言つて外に出る。松舎の横で蹲つてゐると、向うから東條が来る。薄暗の中で顔を見合せ、お互に淋しい微笑をする。踊らないか、とすすめてみたが、もう彼は踊る気をなくしてゐる。無理もない。けれど僕は踊らう。

「東條、今夜は踊らせて呉れ。」

 と言ふと、踊つて呉れと彼は言つた。自分は再び明るい輪の中に流れ込む。やつぱり心が曇つてゐる。東條の事が気にかかり、どんなにしても満足に踊れない。調子が外れたり間違へたりする。心は益々沈んで行く一方だ。再度輪を離れ松舎の横の暗い所で蹲つてゐたが、つまらなくなつてきてぶらぶら歩く。見物人の間に混り込んでゐるうちに、ぐんぐん作品のことが頭に浮んで来る。「踊りの夜」といふやうな通俗趣味の題名が頭に浮んで離れない。するとばつたり五十嵐先生に会ふ。

「まあ珍しい。」

 と驚いたやうな声で僕をまじまじと見る。先生は数人の若い女と、二三人の若い男と共に来てゐたが「白十字サナトリウム」の人々ではないかと思ふ。白十字の人々はもう僕の名前を知つてゐるらしい。先日東條が散歩してゐると、垣根の所でその人々に会ひ、北條さんはこの病院にゐるのですか、などと訊ねたといふ。もつとも僕は白十字に療養中 (肺) の森良三といふ未知の人から手紙を貰ひ、二三度文通したことがあり、その人達は森君の所へ行く僕の手紙をみんなして読むのださうだ。このことを東條が垣越しに聞き、僕にさう言つた時、僕は何か不快な感情が起つて来た。今夜もその人々に違ひないと思はれたが、僕には話したい慾望もない。会ひたくもない。いや今の僕の気持は、彼等に会つたり話したりする余裕も落着きもない。早々僕は又ぞろ踊りの中にまぎれ込んだ。あれが北條ですと五十嵐先生が教へてゐるらしく、僕の方を指し、みんな一斉に僕の方を見てゐた。面白くもない。僕はだんだん不機嫌になる。踊りを止めて東條を捜す。けれどゐない。何か淋しくなつてきてならない。ことりことりと下駄を曳きずつて東條の所へ行く。十時を過ぎてゐる。入口のドアはもうしめられて這入れまいと思つたので、高い窓に鎚りつき、伸び上つて東條と呼ぶ。彼は日記を書いてゐた。十一時頃まで沈黙に近い時を過し、帰る。女からは、もう二三日考へさせて呉れといふ返事があつたさうだ。


 七月十六日。

 やつぱり今日も心は晴れない。一人の友を失ふのではあるまいかと思ふと、淋しく悲しい。原稿紙に向ふ気などさらさら起らぬ。せめて美しい随筆でもと思ふけれども、それも出来ない。唯ぼんやりと机の前に坐つたまま空を眺めて暮す。

 夕方東條の所を訪ねる。二人で散歩に出て、十時近くまで歩きまはる。

 今夜こそは気狂ひのやうになつて踊らう、さう思つて踊り出す。けれどやつぱり浮き浮きした気分は露程も出ない。けれど二時近くまでがん張る。看護婦のS――が来てゐる。僕を見つけるとすぐ後に這入り、並んで踊る。時々視線が合ふと、お互にふくみ笑ふ。淋しい楽しさだ。小柄なSの体が新鮮な魚のやうに動く。時々ぎゆつと抱きしめたい衝動がする。不意に空間で二人の手がもつれる。彼女はあらッと思はず声を出して幾分頰を染め、じつと僕を見る。僕は静かに、だが深い熱情を籠めて彼女の眼を見る。

 彼女は踊りがこの上なく好きなのか、なかなかよさない。僕は疲れると列を離れて休む。ぐるぐると大きな輪は巡り、向う側に廻つた時のSの体は、小さな、まだ十二三の女の子のやうだ。帯も三尺を結び、頭髪はお下げである。遠くにゐる時も近くにゐる時も、お互に視線を追ひ合ふ。時々彼女は微笑を送る。

 けれど東條のことを考へ、病気のことを考へると、悲しい。自分の体が健康だつたら、ああ、僕は野猪のやうに突進して彼女の胸を破れる程抱きしめてやるのだが――。

 列を離れ、暗い道を東條の家に向ふ。Sに対する僕の心が、恋としての姿をとることを、自分は無意識のうちに恐れてゐる。恋してはならぬと強く自らの心を抑圧しなければならないとは!

 作品だ作品だ、自分にはもう作品を生むこと、芸術家としての生活以外に何も与へられてゐないのだ。さういふ激情が湧き立つて来る。

 もう一時近くである。東條は眠つてゐる。窓から這入り、彼を起す。Sのことが頭を離れない。ぐつたりと横になる。すると又咳が出る。

「このまま喀血でもして死ねたらなあ。」

 と僕は言ふ。病気のことを考へ、Sのことを考へて僕は淋しいのだ。

「さううまい工合に行けば言ふことはない。」

 と彼は言ふ。

 突然彼が踊ると言ふ。二人は再び踊場に出かける。

 東條が踊つてゐる恰好も余り立派ではない。

「北條さん、また来たのね。」

 不意にSが横からさう言ふ。

「うん踊らう。」

 と僕は言ふ。彼女は列に加はる。気が滅入つて来てならない。

 止さう、と言つて東條と二人で帰る。東條の部屋で泊る。


 七月十七日。

 何もかもがはかなく、うら悲しい。終日Sの姿が目先にちらつく。


 七月十八日。

 夕刻まで部屋に引き籠つてゐて、随筆五枚書く。『山桜』にでも発表しようと思つて書き始めたのだが、書き終ると嫌になつた。

 五時頃東條の所へ風呂を貰ひに出かける。女からはまだ返事がないと言ふ。けれど今夜は間違ひなくある筈だと言ふ。勿論YesかNoか判らぬが、僕はなんだかYesのやうに思へてならない。Yesであつて呉れればいいが――。

 家に帰つてY君とM君との棋を見てゐると、東條がのつそり来る。もう八時過ぎであつた。彼の姿を見た刹那、返事があつたなと思ふ。二人で散歩。

 返事は、僕の予想が的中してYesであつた。ほつと安心する。彼はしみじみ君に心配かけて済まなかつたと言ふ。そんなことより僕には、無事に解決したことが嬉しいのだ。けれどこのままうまく彼が起き上つて呉れればいいが、又再び新しい苦難が彼の前に立ちはだかつて来るのではあるまいか、さういふ不安が僕の心を離れない。

「今後もどんな苦しみが君の前にやつて来るか判らない。けれどかうなつた以上は、もし君が絶望すれば、君だけでなく、新しくその人も苦しまねばならないのだ。もはや苦しみは君個人のものでは決してなく、君の苦しみは彼女の苦しみであると思ふ。だから戦つて呉れ。『盲目』はどうしても書き上げろ。」

 と彼に自分は言つた。彼は力強くうんと言つた。僕はこの時程彼を頼母しく思つたことは嘗てなかつた。九時頃彼の所へよると、T・N君とT・K君が来てゐた。T・N君やT・K君が帰つた後で二人でお茶を飲み、心から彼の婚約を祝つた。淋しいしかし力の満ち寄せるよろこびが心にある。そこで泊る。


 七月十九日。

 Sのことなんか忘れてしまへ! 書け、猛然と筆を執れ‼ 傑作「晚秋」を書きあげろ‼


 七月二十二日。

 糞喰へだ! 何もかも糞喰へだ‼ Sがなんだ、i〔アイ〕がなんだ。何もかも、片つぱしからぶち潰してしまへ。女も要らぬ! 恋も要らぬ! 酒だ、酒だ、酒が飲みたいのだ。


 七月二十三日。

 「晚秋」を書き始めてからもう十日近くになる。が、まだ十一枚しか書けない。けれど決して焦らない。毎日ぼつぼつ書く。今日も二枚ばかり書いた。これでいいのだ。これでいいのだ。十一時から東條、K、S、E、K、僕の六人でピクニック。一時頃帰る。「晚秋」が頭を離れない。宇津が頭にちらつく。それから、どうしたのかまたSのことが頻りに頭に浮んでならない。けれど浮ぶ度に、女も恋もあるものか、「晚秋」だ「晚秋」だと心が激しく波立つて来る。悲しくはないのだ。淋しくはないのだ。いいか、強く生きてみろ強く。決して自分を疑つてはならないのだ。


 八月三日。

 暫く書かなかつたが、今日は作品が (「晩秋」、三十一枚になつた。) 書けさうにもないので、久しぶりでこの日記を書く。静かな気分だ。ここ数日毎日机にかじりついた切りで滅多に外出しなかつた。勿論女のことなど忘れた。自分はひそかに思つてゐる。口には出さないが、生涯独身で暮したいと。


 八月三十一日。

 ながく日記を怠つてゐたが、今日は書く。書かなかつたのはこの一ヶ月「晩秋」七十枚と「少女」二十枚を書いたためである。「少女」の方はふと思ひついて楽しみながら書けた。力の這入つてゐないのは仕方がない。何しろ一日で書き上げたのだから。「晚秋」はこれこそと力を入れたのであつたが、書き上るともう見るのもいやになつて押入れの中に投げ込んで置いた。欠点ばかりが目立つて来てならない。実に考へて見るだけで不快な気持になる程の駄作だ。けれどあの作で自分は自分の今後 (生き抜くか死ぬか) を定めなければならないのだ。主人公の宇津は言ふまでもなく自分だ。肉体的に、根本的に、性格的に、副主人公の藤原さんはやはり自分の一部だが、彼は自分の知識、理性、後天的な能力。前者が余の裸の姿とすれば、後者は、知性といふ衣だけの自分だ。更に前者は感情的な、肉体的な、詩人的な自分で、後者はその反対の自分の姿、具体的な人間なのだ。この二人の闘争こそ自分、余自身の内部的苦闘なのだ。この二人を調和させること、統一すること、それこそあの作品を書く目的なのだ。ところが七十枚に書き上つたのでは何等その解決がついてゐない。押入れに投げこんだままどうして済まされよう。どうしてももう一度書き改めて、解決をつけなければならない。さうでなければ余は行き場がない。

 今日作品社から原稿紙が五百枚来た。高い原稿紙だ。送料共五百枚で二円十五銭かかつた。だが余は買つた。「晚秋」を書くためだ。この作によつて余は死ぬか生きるか決定しなければならないのだ。文学を止めよう、あの作が失敗すれば――さう余は決心してゐる。感じのよい原稿紙で傲然と書かう。もう最後になるかもしれぬ作の原稿紙だ、せめて百枚四十銭、一流作家のものと同じもので書かせて呉れ。


 九月十七日。

 此の間シャルル・ルイ・フイリップの『ビュビュ・ド・モンパルナス』を読んだ。そして、昨日『若き日の手紙』を売店から持つて来て呉れた。以前に頼んであつたものだ。この二つ以外フイリップのものは、春陽堂文庫の短篇集 (堀ロ大學訳) を一つしか僕はまだ読んでゐない。これ等の美しい、宝玉のやうな書物は、僕に、この書と同様の美しい色々のことを考へさせて呉れる。僕は幾度もそれ等のことに就いて書きたく思つた。けれど未だ一字も書いてゐない。そして今になつて思ふのは、一字も書いてはならないといふことだ。何故なら、表現するといふことは、投げ出すことであるからだ。僕は投げ出したくない。何時までも頭の中に蔵つて置き、まさぐつてゐたい。そしてそれに感動し感情を波立たせたい。これは生涯の愛読書、そして愛読書に就いては、何事も語るべきではない。


 九月×日。(日附不明)

 お盆の頃の、あの激情的な気持も、徐々に冷え、今ゐるこの部屋、机、積み重なつた書籍の陰を、静かに秋がくまどつて行く中で、シャルル・ルイ・フィリップの『若き日の手紙』など拾ひ読みする。何かもの悲しいしかし落着いた気持である。『若き日の手紙』――これはまたなんといふ温かくも美しい書物であらう。フィリップが死んだ時、アンドレ・ジイドは言つた。「此の度逝きしところのもの、そは一つの真実であつた。」と。又曰ふ、「彼は小さくて気が弱くて、万事へまである。彼は物質を以て成功するに代るべき肉体的に勝れた何ものをも持たず、生れつきやさしく慈悲深く出来てゐるから、彼は本質的に苦しむ為に生れて来たやうなものである。」と。彼の祖母は乞食で、木靴師の父親も小さな時には物乞ひをしてパンを得なければならなかつたといふ。たとへば、『ビュビュ・ド・モンパルナス』を読んで見るがいい。夜毎アーク灯に照らし出される巴里の街頭にうごめいてゐる売春婦の群と、その売春婦を操縦して生活する男達、そしてジフィリス。売春婦のベルトメテニスは父が死んだその喪服を得るために一晚稼がねばならなかつた。主人公ピエールに乗り移つたフイリップがどんなに深い愛情をもつて、これ等を語つてゐることか! フイリップは、小さな、だが力のこもつた声で言ふ。「芸術家とは、つねに自らに耳を傾け、自分の聴くことを自分の隅つこで率直な心で書きつける熱心な労働者なのだ。」


 九月×日。(日附不明)

 故坂井新一氏の遺稿詩集『残照』を一部贈られた。素朴な、そしてそれ故に私達の心を温めてくれる本。よく出来てゐるねえ、と折よく来合せた岸根光雄君に言ふと、いいねえ、と感じのこもつた声で彼も言つた。二人は暫く黙りこみ、彼は、この病院で働いてゐた当時の坂井氏を想ひ浮べてゐるのであらうか、私は一度も面接したことのないこの詩人を色々に描いて見る。私達の最も憎むべきもの、それは人生のデイレッタントである。さういふ感じの露ほどもない坂井氏の詩集は、きりきりと私の心にもみこんでくる。「秋冷の譜」「寂寥の譜」と読み進み、更に「男と過去」に至ると、何か息のつまるやうな鋭い苦しさに打たれ、目の前を横ぎる黒いものをはつと感ずる。死、死の色である。最後の一瞬の生への強烈な燃焼力、と藤本氏はその序文で言つていられる。ひたひたと寄せてくる死と、一見醜悪にすら見える生命力との激しい、激しい戦ひ、私は言ふべき言葉がない。だが最後の「島のサナトリウム」に来ると、戦ひ疲れて腰を落し、淡く心をつつんでくる切ないあきらめがあり、「途上」では最早一つの解脱を見る。静かに、先途を、歩み来つた過去を眺め、たぢろがず内省してゐる。私ははからずも思ひ出す。フィリップに言つたジイドの言葉を――「此の度逝きしところのもの、そは一つの真実であつた。」


 九月×日。(日附不明)

 朝、昨日から読み続けたストリンドベリの『死の舞踏』を読み終る。主人公エドガールを作者はバンピールだと言つてゐるけれど、読後自分の心に残つた彼は、反つて弱々しい人間であつた。人間の誰もが有つてゐる弱さは、我々には及びもつかぬこの意力家の心の中にも流れてやまず、その弱さに触れた時どうしてエドガールを憎み得よう。ああ世にも不幸な男と私は吐息をし、なんといふ強い男の弱さであらうと胸の締まる思ひがした。暗い、実に暗い墓場の中で行はれてゐるやうな悲劇であり、お互に結婚した瞬間から憎悪し合ひながら遂に別れることの出来ない老夫妻の結婚物語であるにもかかはらず、醜悪なもの以上に、敬虔な人性の閃きを感じたのは、作者の気魄と傑れた人格のゆゑであらう。四五日前『カルメン』を読んだが、そのときも彼女の淫蕩を憎悪するよりも、かへつて素朴な美しさを感じた。「ミンチョーロ (恋人) お前はわたしのミンチョーロ」と叫ぶやうに言つてドン・ホセを抱擁するカルメンシタ、そして占ひによつて自らの運命を定めてゆくこのボへミアンは可愛らしい、無邪気な女である。作者メリメの良さが浮き出てゐる。傑れた人格からのみ傑れた芸術は生れる。この単純な真理は永遠のものである。『死の舞踏』の最後のアリスの言葉を書きつけておかう。

「一生の間にはまあどれ程の苦労、どれ程の屈辱でしたらう! 然しそれをあの人――エドガールは――悉く抹殺し、抹殺して押進んで行つたのですわ――どしどし先へ突進する為に!」


 九月×日。(日附不明)

 夜、ふと眼をさますと、全身ぬるぬると気色の悪い寝汗である。後頭部がづきんづきんと痛み、自分を取り巻いてゐる空間が鉛にでもなつたやうに重苦しい。心臓の鼓動は不規則で手を置いてゐると、ことこととうつてゐるのが、急に早く乱れうつと、今度はちよつとの間全く止つてしまふ。瞬間死ぬのではないかといふ恐怖がさつと心に来る。だが次には、今死ねば幸ひではないかと思ひかへす。するとまた不規則ながらこつこつとうち始める。仄明るい中に自分は起きあがり、裸になつて全身の汗を拭ふ。寝衣を更へると幾らか気分はさつぱりしたが、やはり頭は鈍く沈んで、再び横になつても眠られさうにもない。部屋を出て冷い外気の中を歩く。快く頭がすんでくる。空を見上げると深い闇に、ひとつひとつ美しく光る霰をぶちまけたやうに星で一ぱいだ。地上は黝々くろぐろと闇がくまどり、一切のものが深い眠りの底にゐる。人影とてもないあたりの事物は、息をひそめて跼まつてゐる。

 驚いたことに、銀河が東西に流れてゐる。この夏以来南から北に流れてゐる銀河のみを見つけてゐる自分は、錯覚してゐるのではあるまいかと注意して見るが、やはり間違ひではない。だがこれになんの不思議があらう。天体は不断の運行を続けてゐるのだから。――天頂に位する琴座のヴェガがことさらに白く輝き、更に白鳥座がゆるやかに翼を広げてゐる辺り、仏蘭西人が牛乳色の道と呼んだ銀河は我々の心に限りない神秘をよびさます。銀河を泳いで西南に眼を移すと、無気味な三本の尻尾を振つて、何かに躍りかからうとする蠍座、それを狙つて徐々に進行を続ける射手座がある。少しづつ眼を北に移して行くと、真先に冠座が眼に映り、牛飼、ヘルクレス、乙女、それから誰もが知つてゐる大熊座と小熊座、小熊を今にも一呑みにしようとしてぐるりと巻きついた竜座、ちよつと東に眼をそらすと正しいW字型のカシオペア座が私を楽しませる。私達を全き純真なあこがれに満たす、あのギリシャ神話を私は想ひ起した。


 カントは人間の能力を限定し、科学が如何に進歩しようとも、山ほどの法則が築かれようとも、所詮は人間の能力、諸知覚の法則に他ならぬと私に思はせた。そしてそれは正しい。だがこのために私は悲しむまい。人間が自己の能力、諸知覚の袋の中から一歩も外部へ出られないとしても! 「私達はなんにも知らない。だが知らないといふことだけは知つてゐる。」この謙譲そして傲然たる自意識こそは人間のものである。見るがいい、私達の感覚はこんなにも美しい星や、木々や、快い微風や、花々の芳香や、その他のすべてを生み出すではないか! どうしてクリスト者は人間を罪人だなぞ言ふのであらう。一体どこに罪があらうか。私は思ふ、罪とは自意識から起る錯覚ではあるまいかと。どうだらう? 私は神を、いや神については考へまい。従つて又死後をも考へまい。何故なら、私達の能力は限られてゐるのだから――。もし罪といふものがあるなら、神について考へたり、救はれようと藻掻いたりすること、それではあるまいか? これは詭弁であらうか。私は決してさうでないと思ふ。唯生きぬくこと、与へられた自己の能力を信じ、精いつぱいの努力を傾けて戦ふこと、死後如何やうであらうとも、さう出来れば自分は安心である。死後については生者の考ふべきことではあるまい。

 部屋に帰り、床についたが、このやうな考へが後から後から湧き出て来て眠られず、起き上つて以上したためた。


 九月×日。(日附不明)

 朝、病室に友人を見舞ふ。一時ひどく衰弱してゐた彼も、近頃は大分良い方に向つてゐる。十分ばかり按摩をとつてやる。帰りに桜舎の横まで来ると、轟然ごうぜんたる驀音と共に航空機が数機連なつて飛び来る。汽缶場の大煙突にひつかかるかと思はれるほどの低空飛行である。真先の一つは最近完成したという単葉爆撃機で、複葉機を従へた姿はさすがに見事だ。さうだ見事だ、それでよい。何事も今の自分は考へてはならぬ。とりわけその経済的機構については。廃兵だ! だが泣いてはならぬ。自嘲してはならぬ。よいか! 何時かの日記に書いたではないか、「心に悲しみあれば傲然と胸を張つて四辺を睥睨すべし。この醜悪なる現実を足下に蹂躪して独り自ら中天に飛翔する喜びを体得せよ。」と。


 十二月二十日。

 憂愁につつまれた一日。どんよりと曇つた今日の空模様のやうに、艷のない灰白色の一日であつた。昨夜は三時近くまで例の骸骨に悩まされて睡られず、その故か今日は朝からづきんづきんと頭が痛む。こんな日はせめて明るい随筆でもと机に向つたが、もとより書けやう筈もない。今の自分の世界になんで明るいものなどあらう。明るいものを求めるだけでもきまりの悪い思ひである。文学も哲学も宗教も糞喰へだ。僕の体は腐つて行く。ただ一つ、俺は癩病が癒りたいのだ。それが許されぬなら、神よ、俺を殺せ。

 昼頃川端先生に葉書を書く。あのやうに親切な言葉を戴き、父親のやうな (失礼な、とは思ひながら) 深い慈愛の眼で自分を見て下さるのに、どうして今の自分の気分のままを書けよう。先生だけには明るい言葉をお伝へしたい。それだのに、ああ、自分のこの絶望をどうしよう。「間木老人」が発表された喜びも、その他先生から戴いたお手紙の数々の中に記されてあつた喜びも、束の間の喜びに過ぎぬ。時間が経つて平常な気持に還れば、またしても病気の重苦しさがどつと我が身を包んでしまふ。小説を書く、有名になる、生き抜く、苦悶の生涯。――美しいことである、立派なことである。だがしかしふふんと嘲笑したいのが今の自分の本心である。見るがよい、重病室の重症者達を! あの人達が自分の先輩なのだ。やがて自分もああなり果てて行くのは定り切つてゐる事実なのだ。軽症、ふん、生が死を約束するやうに、軽症は重症を約束する。葉書をポストに入れてから新聞を見に行き、例のやうに文芸欄を展げて見るが、文壇なんて、なんといふ幸福な連中ばかりなんだらう。何しろあの人達の体は腐つて行かないのだからなあ。今の俺にとつては、それは確かに一つの驚異だ。俺の体が少しづつ腐つて行くのに、あの人達はちつとも腐らないのだ。これが不思議でなくて何であらう。今日はどうしたことだらう、そんなことばかり考へる。

 三時 (午後) 頃になるとますます頭が痛んで来る。無論後頭部だ。じつとしてゐると気が狂ふに相違ない。夢中になつて家を飛び出し、十号病室へ出かけて行く。相変らず東條は黙々と詩作を続けてゐる。

「詩なんか止してしまへ!」

 と呶鳴りつけたい衝動が起つて来る。俺は文学をもう止すぞ、と実は言ひたいのだ。

「どうしたんだ。」

 と東條が筆を休めて言ふ。

「気が狂ひさうなんだ。小説を書くなど、もう止めようと思ふ。」

「ふん、又か。それもよからう。それで一体どうするんだ。首をくくる自信があるのか。」

 私はもう黙つてしまふより致方がない。文学を止めて一体どう生きる態度を、いや、その日その日の生活を決定して行つたらいいだらう。十月頃目白や頰白を飼ひ、それによつて生活を定めようと試みてみたが失敗した。次には植物学を始めてみたが失敗した。

「俺達には文学だけしかない。これはもう解り切つたことではないのか。それに君は今になつてそんなこと考へる必要はないだらう。小説だつて世に出始めたんではないか。川端先生にも申訳ないぞ。」

「それはさうだ。ほんとに申訳ない。しかし考へてみろ、俺の体は腐つて行く、さう考へ出したら最後、どうしやうもないんだ。」

 東條は黙つて溜息をついてゐたが、

「俺にはもう何とも言へない。しかし、兎に角、君、結婚しろ。そして草津の療養所で自由舎でも建てるのだなあ。それより他、ほんとにどうしやうもないんだから。」

「ううむ。それ以外は首を吊るすだけだ。それは、俺も解つてゐるんだ。解つてゐるんだが――困つたなあ。」

 結婚すれば盲目になつても代筆して貰へば小説は書けるのである。しかしそれにはどうしても避妊法を考へねばならない。金がかかればなんにもならない。もし誤つて子供が出来ればどうなるか、今の自分の苦悩が子供にまで延長するのだ。癩者は子供を生んではならぬのだ。未感染児童保育所の設備もある。しかしそれ等の児童が果して幾年後に発病しないと決定し得ようか。確実な避妊法と言へば、最早断種以外にないのである。断種とは輪精管の切断なのだ。それもよい。しかし若しそれが頭脳に影響したらどうなるか。頭に影響しないとは医者も言つてゐる。それならそれを信じよう。しかし、その後二年にして夜の御用が務まらぬ、とは先日聞いた言葉ではないか。嘘か真実かそれは知らぬ。しかし性慾が減退するといふことだけは確実であるのだ。体力が減退するのだ。そんならどうして頭に影響しないと断定出来よう。

「東條、切実な問題なのだぞ。」

「さうだ切実な問題だ。」

 沈黙。なんといふ悲惨な青春だらう。二十四の東條も、二十二の私も。私は昨夜睡れぬままに考へたのである。力一ぱいの小説を十も書いて、東京へ出て何処かのビルディングから飛び降りてあの都会をこの毒血で真赤に染めたらどんなに気持がすつとするだらうと。だがしかし、これは甘い感傷に過ぎぬ。空想に過ぎぬ。

「そんな先のことまで考へてもしやうがない。兎に角今眼前に横はつてゐる問題を片つぱしから解決するんだ。一番被害の少い方法を選んで。」

 と東條は言ふ。

「それが出来ねば首をくくるだけか。」

 私は笑ひながら答えた。東條も笑つた。奇妙な笑ひだつた。「間木老人」の中に出て来る鬚の老人が横でにやにや笑つてゐる。あの小説にもあるやうに絶え間なく何かどなり続けてゐたこの老人は、どうしたのか一ケ月ばかり前から頭が痛いと言つて意気消沈して寝てばかりゐる。丸で元気がなく、狂つてゐたのが癒つたらしい。だが癒つた瞬間から、はや癩に苦しめられるのである。むしろ狂つてゐた方がよかつたのである。ああ、私もいつそ一思ひに狂つてしまつた方が幸ひであるかも知れぬ。

 日記のつもりが実話のやうになつてしまつた。なんでもいい、思ひ切り今日は吐き出してやれ、頭がすつとするだらうから。発表されようがどうされようが知つたことか。誰でもよい、俺の気持を解つて呉れ。

 夜、婦人療舎へ遊びに行く。こんな日はじつとしてゐることが一番良くない。S子がゐる。君は俺を愛してゐるのか? さうならさうとはつきり言つてくれ。言葉のアヤ取りはもう御免だ。

 帰つて来ると八時半。消灯して床に這入ると、またしても骸骨の幻想だ。真先に先日死んだZ君の屍が浮んで来ると、次には、いやにひよろひよろと背の高い骸骨が浮んで来て、そいつが四つん這ひになつてもそもそと這ひ廻る。ふとS子が浮んで来ると、彼女の体が水晶のやうに透明になり、白々と骨格が見える。背の高い骸骨とからみ合つて。すると無数のそれが眼先にちらついて来て、どんなに消さうと藻搔いても及ばない。頭がづきづきと痛む。くそ、負けるものかと当方〔こつち〕から意識的に思ひ浮べてゐると、どきんと激しく全身が痙攣する。每夜のことだ。驚くには及ばない。しかしもう二時頃までは睡れないに定つてゐる。いつそのこと起き上つて原稿でもやれと、再び床を押入れに叩き込む。そしてまた着物を更へて原稿紙とペンを持つて十号病室にやつて来る。東條は遊びに行つてゐない。彼の机でこれを書き出した。今、かつきり午前一時。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. 光岡良ニ『いのちの火影』新潮社、1970年、57頁。
  2. 光岡『火影』p.79.

この著作物は、1937年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。