剣について/01-01

提供: Wikisource
ナビゲーションに移動 検索に移動


1. 早くから神はノアに言われた、「あなたがたの生命の血のために本当に求める清算をする。どの野獣にでも人の血の復讐を求める;人の血は生命の為にわたしは求めるであろう。誰でも人の血を流す者には、人によって彼の血の復讐が為されるであろう。神は人間を彼の形に造られたからである」。(Gen 9:5 f; Mt 26:52; Rev、13:10)なぜなら、神は血の犠牲を欲せられない、血は理由なしに野獣の血でも貴重だからである。人の血はなおさらである!

2. ダビデ王は彼の神の名の誉れのために家(:神殿)を建てる計画を立てた。しかし主の言葉は彼に来てこう言う、『あなたがわたしの名のために家を建てることは無いであろう、何故ならあなたはいくさたたかいで多くの血を流したからである。見よ、息子があなたのために生れ平和の人となるであろう。わたしは彼の上に平和を彼の周囲の敵から与えるであろう。彼の名はソロモンと呼ばれる;わたしは彼のために平和と休息をイスラエルに彼の人生の間中与えるであろう』(1Chr、28:3,23:24-32,29:1-30)これはキリストの家の前兆であって、凡て全世界に人々が平和に血の罪の汚点が無い様にしたのであった。

3. そしてソロモンが家を建てた時、--神殿(:原注、そして新約のキリストの教会のシンボルであり形である)--その建てるむき出しの石は採石場からハンマー、斧、その他の少しの鉄の道具も神殿の建てている時、聞こえなかった(1 Kings、6:7)これはキリストの教会は建てる時武力の騒音の信仰を持って来てはならない事を前影する、それは全く教会教皇主義者たちが、まま兄弟と一緒にすること、百を超える信仰の贈り物を王や君たちに、彼らが人々の中に走り剣と一緒の信仰を支配することのままにさせて置くことではない[1]

4. 民衆がサムエルに『私たちを支配する王を指名して下さい、他の国々と同じように、わたしたちの戦いの前に指揮して行って下さるようにするのです』これはサムエルにとって喜ばしいことではなかった、そして主が言うには『彼等がエジプトから携え出して来たときから何時の日も彼らがしてきたことと同じである;彼らはわたしと異教の神々奉仕の両方を求めているのである』(1Sam、8:5-8)もし神が彼らの地的なイスラエルをこのように喜ばなかったのであれば、わたしたちにも彼は同じことをしないであろうか、彼は天から彼の最愛の息子を遣わして、彼は地上でわたしたちの王なる冠をしたのである。それはもしわたしたちが彼を求めるならばであり、わたしたちの上に彼が支配することを拒むなら(Lk、19:14)そして彼の教会で王で、そして主の御言葉がただ一つのクリスチャンの裁きと剣なのであればだれでも多くはそのような霊的裁きを欲することを断る、しかしもしそうでなければ、キリストと彼を遣わされた父を断らないのであれば、それは丁度サムエルが断らなかった、そしてここには父なる神からの(:御子が)そして預言者たちや、サムエルよりも偉大な方がおいでになるのである。

5. 士師記にはわたしたちが例えや類似のギデオンと言う家がある。彼はイスラエルに『わたしたちはあなたがたを支配しない、そしてわたしの子もあなたがたを支配しない』(Judg、8:23)しかしアビメレクは妾の子だったのに、彼自身を王とするために進み。そしてギデオンの子ヨタムも言う、『わたしに聞け、シェケムの人々よ、そして神もあなたがたにお聴きになるように;一度或時に木々に王とするために油注ぎを行おうとしたが、オリーブの木に彼らが言ったが「わたしたちの王に成って下さい!」と然しオリーブの木が答えるには;「何と、神と人から光栄を受ける芳醇な油を捨てて、来て木々の上をそよがなければならないのか?」それから木々はイチジクの木に言った;「それではあなたが来てわたしたちを支配する王になって下さいませんか?」しかしイチジクの木は答えた;「何と良き果実と甘いものを捨てて、来て木々の上をそよがなければならないのか?」と。それで木々は葡萄の木に言った;「それではわたしたちの王にあなたが来て下さいませんか?」しかし葡萄の木は答えた;「何と、神々と人を喜ばせるあたらしい葡萄酒を捨てて木々の上をそよがなければならないのか?」それですべての木々には茨のおどろに言った;「あなたがわたしたちの王と成って下さい」と。そうしたら茨のおどろは木々に言った;もし本当にあなたがたがわたしに油を注いで王とするのであれば、その時来てわたしの蔭に保護を求めると善い、もしそうで無いと、火が茨のおどろから出てレバノンの残りも焼き尽くすであろう』(Judg、9:7-15)

 これからクリスチャンは見て学ぶ、彼は聖書で終わりまでオリーブのような木や、イチジクの木や葡萄や他の良い木が今日も支配者になりたがってはいない。もし彼らが主に成ったり支配者になったり求めるなら、彼のクリスチャンの実も産み出すはずの行って木の上をそよぐこと、クリスチャンの霊的な存在の個人はこの世の共同の力で、めかけの子(:原注、彼は合法の息子と共には何の相続の部分をも持たない)は世俗統治者(Gal、4:30)である。あの誰が茨のおどろと同じ自然的な者に似ているでしょうか、自然でのその役割は?それは任命された、野生の木は、涙や引っかき、或いは刺したりする。それらのトゲの勘定はそれらの支配者はトゲの引っかき他の者の上にそよぐために任命された、しかしわたしたちは、親愛な兄弟たちにそうしないのが当然である。そして、預言者イザヤは;「トゲのあるそのかわりに糸杉が出て来て茨の覆われたおどろの所にミルトスが生える」(Isa、55:13)と言う。

6. わたしたちの父祖ヤコブは、またもや同じ出て来ることを言って、「王権の笏はユダからヒーロー(:原注、キリスト)が出て来るまでは彼から離れているであろう」(Gen、49:10.)。何故ならばユダヤ人の支配の権は(:原注、彼はその時神の民にであった)来て終わりにキリストに来る。彼等から(:王権が)取られ途絶えている間中、全く本当に明らかにユダヤ人の支配がキリストがお生まれになることによって、彼のただ一つの支配がクリスチャンの間で霊的な剣に成る事に成ったのである。現世の剣は事実、今後はユダヤ人から取られ、その使い方に関して、それの支配と一緒に、神の民に長く権力を振るったのである。そしてその事実は、キリストの霊的なものを通して剣の権威は異教徒に渡ったのである。それはすべての異教徒と信じない者たちが剣の負い目と支配の下に在るということを、それが書かれてある、「神は指定され任命した、凡ての支配の国民を。しかし、イスラエルに於いては主が支配者になるであろう」と(Sir、17:17)。

7. イスラエル、そのユダヤ人は比喩的な民である、--剣の権力を振るった、対抗するそれら敵の邪悪な者たちは、そして対立するそれらにもかかわらず、彼等は主の命令と指示なしには戦おうとしなかった。(Num、21:32-35;20:14-29)、しかし彼の預言者たちと僕が質問し相談する、彼の言葉に意を留め、それから彼等は戦いに出て行った。その時彼らはこのやり落としたことが彼ら自身の自由意志で、進軍の出て行ったことが、(:原注、それとまったく同じことが今日起きている)彼等が成功し無かった、しかし偉大な謙遜者と必要なものがない時、それゆえに従って、何故ならば新約の主の民の命令は時間給として戦い、反対に禁じられていることをする時、誰も彼の勘定を自由に於いて取ら無い。

8. 神を恐れるヨブは言った、「つるぎを恐れよ、怒りによって、剣で罰せられることが来るからである。その裁きはあなたがたも知っているはずである。」(Job、19:29)そこから現世の剣はそれらが神を恐れないために最終的な裁きをするために割り当てられたものである。そうそれはそこからも彼らが剣を恐れることを学ばなくてはならず、剣と一緒に罰することを人々が。すべてともっと多くが、神の罰の彼の裁きを知るためである。それに就いてパウロは言った、「つるぎ(この世の政府警察実力権威)の力は、良き事を愛さない者たちにとって、邪悪な事をする者たちにとって、恐れを与えた」(Rom、13:3)。

9. ダビデは忠信な預言者たちと、キリストの教会をキリストの王国を説明して、こう言った。「来て見なさい、主の言葉を、彼は書いた、地上の寂しさを。彼は地上の終わりの戦争の途絶えを造った(:原注、名義的には、即ち、福音を通して至る所に、其処には使徒たちを持ち運んですべての部分の世界の状況を、戦争と一緒に向こうへ遣って、凡ての信者との間で)彼は戦争の弓を折り、槍り投げを断ち、戦争の二輪馬車を火で焼かれる」(Ps、46:8-9)。

10. 彼はシェケムに住む確立かくりつされた人々に、「彼のシオンに居住して生きる人たちに、そこで彼はひらめく矢を折り、剣の保護と、戦争の武器とを彼は破壊はかいした」(Ps、76:2-3)今もし人が前もってつくり、それをかみこわされるならば、彼は直接ちょくせつかみ反対はんたいしていないだろうか。

11. イザヤとミカの二人ふたり預言者よげんしゃたちは、このようにキリストの教会きょうかいいえいて預言よげんし:「それでは律法がシオンから出て、主の言葉がヱルサレムから出るであろう、彼は正義せいぎ国民こくみんあいだ施行せこうし、多くの人々を調停ちょうていし、そう彼らは彼らの剣を打ってすきの刃に打替え、投げやりを刈り込みバサミに変え、かまノコギリに変え:もはや国民がもう一つの国民に軍隊で対立せず、戦争のことをもはや学ばないであろう」(Isa、2:3-4;Mic、4:2-3)見よ、キリストの民は明らかになんとそのような人々に平和であろう!

12. 「その時、おおかみは羊と共に住み、ひょうは子供と一緒に横たえ、子牛は若いライオンとともになって育ち、小さな子供は彼らを導く;牝牛は熊と友になり、彼らの若いものは一緒に横たわる。ライオンは畜牛ちくぎゅうの如く、わらを食べるであろう、わたしの全体の聖なる山の何処どこにおいても破壊はかいがいを行なわないであろう」(Isa、11:6-9;65:25)。それはキリストによって現実になり、エッサイの木の枝で。そしてそう彼が言うにはおおかみたちでさえ、羊の動物のように友になるであろう。

13. それらの言葉が主なる神から。イスラエルの神聖な一人である、「かえってきて平和へいわを保て、そしてあなたがたは安全に安心あんしん安堵あんどして救いを得よ、しかしあなたがたその一人でもそうする者は一人もいない;あなたがたは言った、『いいや、わたしたちはうまんでげよう;それゆえにあなたがたは飛行ひこうすることにかれるであろう;わたしたちはすみやかにろう;それゆえにあなたがたの追跡者ついせきしゃ追求者ついきゅうしゃ)も早速さっそく歩幅ほはばで追いかける』」(Isa、30:15-16)そのようにおろかなクリスチャンは今日こんにちでさえ不服従ふふくじゅうつづきをそして、おなじことを言うのである。そこからおなじことが彼らにきているのである。

14. 「そこから以前はりゅうが住むと言うあしがそして急に育ち、……ライオンがそこには来ない、獰猛どうもう野獣やじゅうがそこにのぼらず、しかしそして一人は自由に無事ぶじに歩くであろう」(Isa、35:7,9)。祈りの龍と野獣はむき出しの彼らの歯と一つ一つのそして有毒ゆうどくな代表をもう一つえて食べる、専制君主せんせいくんしゅの人々は彼に剣を使い剣を歯の代わりに(Prov、30:14);彼らはキリストの王国の中に長らくは存在(:できもし)無いであろう。

15. 「全てのあなたがた子供たちは神により教えられ、彼にわたしは終わりなき平和を与えるであろう。正しき者たちの中にはあなたがたが確立されるであろう。暴力から遠く向こうに離れて住んでいるであろう」(Isa、54:13-14)。

16. 「わたしは平和へいわ指名しめいし、おなじくあなたがたの監視者かんししゃまた正義せいぎものたちにあなたがたにきびしく仕事しごとする、監督者かんとくしゃにするであろう。暴力ぼうりょくおと最早もはやあなたがたのくにで聞こえないであろう、大規模だいきぼ荒廃こうはい破滅状態はめつじょうたいがあなたがたの境界線きょうかいせんではかれないであろう」(Isa、60:17-18);あなたがたすべての人々ひとびとかみおそれるようになる。

17. 「おおかみこひつじは一緒にえさを食べるようになり、そしてそのライオンは畜牛ちくぎゅうのようにわらを食べる、しかしへびはちりを食べるであろう。最早聖もはやせいなる山で他のもう一人を害したり殺したりしないであろう。主は言われる」(Isa、65:25)。そうそこではっていて、鞭打むちうつ、していて、れ、有害ゆうがいし、一人ひとりびとりを、破滅はめつよこたえ、口喧嘩くちげんかたたかい、ころし、そして流血りゅうけつつみ、それは悪魔あくまかみいそしてきたなやまそして、ルシファーの場所ばしょ。そして正しく解明みきわめることをするものは、キリストの王国おうこくでそしてかれ使徒しとたちのかれらのあいによる、平和へいわ、そして統一体ユニティー、そう、まるでそう、悪魔あくま王国おうこくによって、論争ろんそうき、口論こうろんき、そしてカインのあとうようなかれらの殺人さつじん闘争とうそうきている。

18. 預言者ヱレミヤは言う:「それで主は言われる……王とその権勢けんせいとに:『あなたの力を断念だんねんせよ、そして共同きょうどうの民も、あなたの誇りの冠はあなたの頭から落ちて仕舞うから』」(Jere、13:18)全てのそしてもっと多くのこの取る場所は今日ではキリスト教世界でなければならない、もし彼らが痛悔つうかいしてクリスチャンに成りたいのであれば。

19. エゼキエルは預言して言うのであった、「それに来てじっくりよくよく見よ、それは主なる神が言うには、わたしが言うことがある日が来る。イスラエルの町々に住む人々が彼らの光明るい火の武器と一緒に出て来て、小楯こだての防御物で防御物のたてで、弓と矢を、棒を投げてそしてやりを、そして彼らはそれらを火で燃やされ一緒に彼らの七年間も。彼らは木を少しの原野や森からの切り落とし取って来る必要はない。彼らは武器を明るい火で燃やして十分だからである。」(Ezek、39:8-10)。それではキリストの民は復讐の武器の用い方について何ができどのような支配の下に在るだろうか、その時キリストの民は復讐の怒りの武器を用いるのに根拠ある阻止そしが用いられるであろう。長い人生に就いて?(:原注、それは七年間しちねんかんによってあらわ意味いみされる)。もし武器が流血りゅうけつつみによって根絶こんぜつされ燃焼ねんしょうされたのであれば、それらを十分に作る彼らは何をしているのであろう。

20. ダニエルは終わりの時に就いて預言した時、反キリストの時に就いてそれらの彼らは彼の神に付いての知識が普及され導かれる道にされるように成ったのである。そしてそのような知恵ある神の民の中に教会に理解したことを与える者が居て、長い時の間火によりもがき、隔離を通して、強盗を通して(Dan、11:32-33)。注意書きをして置くと、支配者になる者が居て;またも注意すると、知恵あるものも犠牲ぎせいに転落し、剣と火に--それは彼らが誰をも殺人しないからである。また剣を用いて、または復讐を取る事に就いて。

21. ホセアは主が言われたことを記録して言う:「わたしはユダの家にあわれみを掛けるであろう、そしてわたしは彼らに主なる彼らの神によって申し渡すであろう;わたしはかれらにゆみによってもうわたさない、またつるぎによってをも、また戦争せんそうによってをも、またうまによってをも、また馬人ばじんによってをも」(Hos、1:7)。「わたしはそのくにからゆみ廃止はいしし、つるぎをも、そして戦争せんそうをも;そしてわたしはかれらを安全あんぜんまわせるであろう」(Hos、2:18)。

22. 「おお、イスラエルよ、汝は汝自身でほろぼされた;しかしわたしの中には汝の助けがある。何処どこにあなたがたの王、あなたがたをあなたがたの市井しせいに於ける助ける者がいるか?どこにあなたがたを救う支配者と保護者がいるか。あなたがたは言った、『「王と君侯とをわたしたちに与えてください」。と。わたしの怒りによって王を与えて、激しい怒りによってわたしは彼らを取り除く』(Hos、13:9-11)。このように神は人々を与えて支配者をただ単に怒りによってこのイスラエルの場合のように取り除く。『主は言われる:「それは彼らがわたしを持つことを断り、彼らはわたしが彼らの王たることを受諾じゅだくしないからである」』(1 Sam、8:7)。この故に彼らはその時が経て神にあきらめ、歴史が経て、すべての国々のように王を持つこともあきらめた。彼は彼らに一つの彼らの欲望よくぼうを与えた、彼らが自らをがいし、そうそれは彼の霊が何時も人々と一緒いっしょむためである。かれらもにくなのである(Gen、6:3)。かみはなんと命令めいれいあたえたのか激怒げきど各々おのおのにキリストに充当じゅうとうせられなかった、そこキリストに祝福しゅくふくめぐみはある、そして復讐ふくしゅう激怒げきどしもべ祝福しゅくふく御子みこように一緒に可能かのうでなかった。かみ御意志ごいしはわたしたちに激怒げきど相続そうぞくようにし、しかし彼らが相続そうぞくするのはイエス・キリストによる祝福しゅくふくであるようにされたのである(1 Thess、5:9)。

23. 預言者よげんしゃヨナはニネベの行く先の旅の日々を、ニネベに行って宣言した:「四十日後にニネベはくつがえされるであろう!」と。そしてニネベの人々も神の言葉を信じた。彼らは公けに速く布告されそして彼らの最も大いなる者から子細しさいな者まで、痛悔つうかいを置いた。その時、知らせがニネベの王に届き、彼は彼の王座から起き上がって、国の長い外衣を脱ぎ捨て、灰の中に座った。その時彼はすべてのニネベに対する布告で結果を出し、:「王によって制令せいれいを出しそして彼の貴族と、人や獣まで、群衆や羊の群れまで、何も食べてはならない;彼らは食物を食べず、また家畜もはまず、また水も飲まず、しかし人から獣まで覆いと一緒に悔い改めて痛悔つうかいし、神に呼ばわり、続いていることを無しにして、誰もが彼の邪悪な行いから引き返し、横柄な暴力的な行動習慣からも、そして神が再び優しくなり、彼の日の様な怒りから引き返しわたしたちが滅びないと誰が知って居ようか」と(Jon、3:4-9)。そしてその事が起こった。その一つの徴が邪悪な不倫の世代にこれが与えられた。キリストが言う、ヨナのしるしである(Mt、12:39);もし彼らが悔やみを欲し彼らが王座から降りそして世界中の華美や華やかさを見捨てることを欲したのであれば、それではクリスチャンは彼らの最初の場所に登ることは如何どうなのか?

24. ゼカリヤが言うには:「シオンの娘よ大いに喜べ、喜べ、ヱルサレムの娘よ;見よ、あなたがたの王が、今一人が、救いがあなたがたに来るであろう。彼は謙遜で腰が低く、ロバのラバに乗り、若い彼女のロバに乗り。彼は戦いの二輪馬車をエフライムから追放し、戦いの馬をヱルサレムから追放される;弓の武人を追放し、彼は平和の法律を国民に布告し、そして彼の支配は海から海へと広がる、川から地上の果てまで」(Zech、9:9-10)。

25. 預言者エズラは、終わりの時の秘められた知識の啓示を神から受け、(:原注、キリストと彼の追随者のためにそうであったように)、言うには;『わたしは一人の人が天の群衆と一緒にロウで強く;どこへでも彼の目は回り、すべての事柄が彼らは身震いに落ちるであろう。そして彼が口から続ける声はどんな時でも、すべてそれは彼に聞かれ彼が燃やすことには火が付けられ乾き火が付けられ燃やされるであろう。それからわたしは多くの人々が一ヶ所に集まり、そう多くの人が彼らを誰一人も数えられない。彼らは海から登って来た人が戦争を造り天の四方の風から来ていた。その時彼は高い山を斧で断ちきりそれらは逃げ失せた。それからわたしは見るに戦争のために集めたすべてにわたしはぞっとした、そして彼らはまだなおも戦いに敢えてしようとする。しかし彼は見て攻撃し群衆の暴力をした、しかしどんなにしても、彼はどちらも腕を以て穂を(:原注、注意(ノート)、もう一つの腕は穂ではない)全くしない、武器を持ってすべてに;しかし彼は彼の口から火の炎の突風の風が出て、彼の唇から炎が、そして彼の舌からは火花の嵐が。すべてのそれらの事から共同して、彼ら自身彼の攻撃の腕を持つ者に人々の上に荒れ狂いと一緒に落ち、そして彼らに火を完全に燃焼させ、そうそれは塵か灰か煙かに何も無しに見える。その時わたしは同じ人が山から下りて来て、彼自身平和な他の人々に呼ぶには」(:原注、注意書き、キリストが呼ぼうとするそして彼自身の人々に平和を用意する--最初のようなイスラエル人に、しかし少なくとも彼のような一人に、どちらの剣も武器も少しも腕を上げず)「そして多くの国民に彼は来て;幾らかは喜びに、幾らかは恐れに、幾らかは虜に、そして彼らは彼によって持って来られるであろう」(2 Esd 13:3-12)。

 この説明はエズラがこのように言うには、「この人はあなたがたが長い時に最も高い神を保った一人に見えた;神の御子が本当に啓示し、彼らの邪悪な集まった国民を罰するため、彼の意志は努力すること無く、ただ単に彼らを破壊し、彼らを火のような言葉に通すためである」(Heb、4:12)、それはパウロが霊の剣と呼び、(Eph、6:17)、そしてヨハネの啓示で彼の口から剣がと呼び(Rev、1:16; 19:15)平和を好む人々は、どんなにしようとも、十部族のサロモナゼル、アッシリアの王は彼らの母国の地から流刑から戻して導きこちらに、これによって寓話で秘められた道によって、彼は終わりの時のキリストの民を指示し示し、彼はバビロニアやアッシリアに流刑に陥れ、キリストにより解放せられる、そしてこれからは平和を造る者たち、平和を好む人々は彼らは決して戦闘状態に没頭しない、流血の罪は世俗の法廷で、かまたは剣の暴力を使うところで扱われるであろう。

脚注[編集]

  1. Reference to the Peace of Augsburg,1555.「アウグスブルクの和議」を参照の事。