利用者:Hideokun/下書き

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本文[編集]

第一の声[編集]

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 水の底かと思われる程、京の秋の夜は静かに更くるほど、ただ銀河の大空を斜(ななめ)に白い。

『叱(しっ)!叱(しっ)!』

 銀杏(いちょう)散る小路(こうじ)の闇に何に怖(お)じたのか一疋(ぴき)の白馬が、戛々(かつかつ)と蹄を鳴らして跳狂(はねくる)った。馬上の主(ぬし)は馬腹に鞭を焦(あせ)って、

『叱!どうッ』と二度三度こう叫んだが、馬は一歩も進もうともしない。

『次郎、次郎』武士は口取(こうとり)の小者を呼んで『怪しいこともあるものじゃ、この朝月に平常(いつも)にも見ぬ癖じゃ』

『おのれ、何とし居った』

 口取の者も額(ひたい)に汗さえ見せて、口輪の金具を打ち鳴らしたが、馬は畏怖(いふ)したように後ずさって一声寒く嘶(いなな)く。

『まて、あの光りを見て怖(お)じ居ったのではあるまいか』

『おお、彼(あ)の光り物の致しますわ、こりゃ不思議!』

『はて、何であろう?……』

 主従の者はこう呟き乍ら、前方のとある屋敷の棟から洩れる淡明(ほのあか)り……、それも灯火(ともしび)や篝(かがり)でもない、また秋の夜霧とも見えぬ、紫の雲の棚引(たなび)くような中から燦然(さんぜん)と金色の光り耀(かがや)くのを打ち見やって佇(たたず)んで居た。

『彼(あ)の館は誰殿(だれどの)のお館(やかた)であったの』

『あの角……大きな銀杏(いちょう)は正親町殿(おうぎまちどの)のお館でござります故、一(ひ)い二(ふ)う三つ目は……おお皇后大進範(こうごうのだいしんゆうはん)様のお館と覚えまする』

『如何にも、藤原有範(ふじわらゆうはん)殿のお館に有ろう。さても彼(あ)の光りは解(げ)せぬの、何事か異変(いへん)のお在(わ)そう知れぬ程に次郎一寸(ちょっと)訪(おとず)れて見やらぬか』

『畏まりました』

 口取の者は其儘(そのまま)飛んで行って、藤原有範の門の扉(とびら)を慌(あわ)ただしく叩いた。


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 世の春も秋も、平家一門の盛(さか)る栄華のみを祝福して、流石(さすが)廟堂(びょうどう)に権勢(けんせい)を極めた藤原氏さえ、年毎(ごと)に肩狭き時代となって、ましてや源氏(げんじ)の家の軒には、侘しい秋の月のみがせめての友に過ぎなかった。

 皇后大進有範(こうごうだいしんゆうはん)は遠祖(えんそ)鎌足公(かまたりこう)の玄孫(げんそん)宰相(さいしょう)有国卿(ありくにきょう)五代の孫とある。彼もまた名門の家柄という末路(まつろ)の面影を淋しく止(とど)めている一人であった。

 今の吉光御前(きっこうごぜん)は十五歳の時、有範(ありのり)朝臣(あそん)が三十五歳で迎えた後室である。琴瑟(きんしつ)相和して館の花橘(たちばな)の香も長閑(のどか)に暮していた。

『御前様(おんまえさま)へ……御前様へ申し上げまする』

 今宵(こよい)吉光(きっこう)御前は、常に居馴れた渡殿(わたどの)に只独(ひと)り、白絹の掻(か)い巻(まき)をうち被(かつ)で静に熟睡(うまい)して居た。と、侍女(じじょ)の一人が慌ただしく何か事あり気にお下(しも)から、

『御前様(おんまえさま)に申し上げまする』

 怖る怖る二度ばかり申上げたが、吉光御前は微(かす)かに薫(かお)るような寝息を一寸(ちょっと)漏(も)らした切り、醒(さ)めよう気配もない。

『小松殿(こまつどの)御身内(ごみうち)の式部少輔様(しきぶしょうゆうさま)御家来(ごけらい)のお方が、不思議な事只今知らせて厶(ござ)ります、お目醒(ざめ)させられませ』

 恁(こ)う云う言葉の下から、吉光御前はその美しい鈴の目を夢のように見開いて、

『何とありますか喃(のう)』と静に侍女を見やった。

『そのご家来が慌ただしゅう門を叩いて申しまする、只今お館(やかた)の手前(てまえ)まで御主人共々お馬に召されて参りますると、当お館のお棟(むね)から金色(こんじき)の光りが稲妻(いなずま)のように輝いて見え居りまする、何ぞお館内(やかたうち)にお変りはないかと、恁(こ)うわざわざのお尋ねで厶(ござ)ります』

『ほほう……』と吉光御前(きっこうごぜん)は、白煉の絹もろ共に身を起して、

『和御寮(わごりょう)、また館(やかた)の者たちの目にも見えてあってか……』

『いえ、只今その御家来の御注進で一同目を睜(みは)ったので厶(ござ)りました』

『はて喃(のう)』と吉光御前(きっこうごぜん)は、何事か身の夢か現(うつつ)かを得判(えはん)じぬもののような面持(おももち)で、四辺(あたり)を見廻して居るのであった。

 渡殿(わたどの)を下(すべ)る侍女の足音が遠退(とおの)くと、吉光御前はあまりの奇蹟に、我ながら身のしまる心地がした。

 良人(つま)の有範は今宵大内(おおうち)の歌会(うたげ)に帰館の晩(おそ)くなるままに、吉光御前はとろとろと熟睡(うまい)する内(うち)、誰とも知れぬ清(すず)しい声で、

『吉光、吉光』と呼ぶ者があった。ふと目を開くと、室の西口から吹き入るような光明(こうみょう)が自分の枕元(まくらもと)へ流れ込んで居た。四辺(あたり)は天華(てんか)の散り敷くかとばかり匂やかに……


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 今思い合すと、それが何となく日頃から信仰している、如意輪観世音(にょいりんかんぜおん)が夢枕(ゆめまくら)に立ったのではあるまいかと思われた。そう思うと、夢の中にも慈悲の眦(まなじり)、花の如き御姿(おんすがた)さえ仰ぎ見たようにも考えられる。

 軈(やが)て、歌会(うたげ)から戻った有範は、吉光御前のこの話を聞くと、

『おお、それこそ御夢(おゆめ)に立たれたのじゃ。日頃夫婦の信心を嘉(よみ)し給うたに相違ない』

 こう云って機嫌がよかった。

 翌る日は有範朝臣(あそん)、吉光御前は家の子打連れて如意輪(にょいりん)の観世音に参詣した。此(この)奇蹟のあった翌る年、加茂(かも)の川瀬(かわせ)に若鮎(わかあゆ)の脊が光る頃、有範の館から、ある朝目出度い産湯(うぶゆ)の煙りが立ち上(のぼ)った。

 有範は云う迄もなく、家臣も侍女(こしもと)も下僕(おはした)まで、みな何となく喜悦の色が満ちあふれて居た。春筑土(つくど)の桜に麗(うらら)かな旭(あさひ)がさした朝、ほがらかな産声(うぶごえ)は、力ある男子(おとこ)であった。それは承安(しょうあん)三年四月一日、親鸞聖人(しんらんしょうにん)が此の世界の光りに始めて面識した第一の声であった。


月に睜(みひら)く[編集]

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 子の名は松麿(まつまろ)と選ばれた。

 永いこと寂寞(せきばく)を続けてきた藤原有範の家庭は、この一羽の鳳凰(ほうおう)の雛(ひな)を得てから、どれ程今日を甲斐(かい)あるものに覚え初(そ)めたろう。

 ましてや母吉光御前は、夢の仏光(ぶっこう)を正しく信じて居た。有範にしても白玉(はくぎょく)の頰、黒水晶(くろずいしょう)の眼(まなこ)、吾子(わがこ)ながら常人(つねびと)を離れた松麿(まつまろ)の気高さには、妻が霊夢(りょうむ)の申子(もうしご)と信ずる事も、噫勝(あながち)ならず思われて居た。

 恁(こ)うして一年余りの月日は、松麿の身を中心に短く過ぎて行った。この間にも世間では、やれ南都(なんと)興福寺(こうふくじ)の僧徒等(そうとら)があ、多武(とう)の峰(みね)を焼討したとか、やれ盛遠(もりとお)が成れの果、文覚(もんがく)が疏(そ)を捧(ささ)げて宮を犯したとか、都も却々(なかなか)事多かったのである。

『此方(こなた)で御座(ござ)で在(おわ)しましたか』

 今がた、吉光御前は夕(ゆうべ)の湯浴(ゆあ)みを終えた、下髪(おすべらかし)を清(すず)しく肩に流して、まだ母とは見えぬ薄化粧の、侍女に預けた松麿の身に心急(せ)かれて、吾室(わがしつ)に戻ると开処(そこ)には有範が寛(くつ)ろいだ姿で、侍女に抱(いだ)かれた松麿の顔をしげしげ見まもって居るのであった。

『おお書(ふみ)の間(ま)に灯(ひとも)るまで、松麿の顔見て居てじゃ。喃(のう)、あの面(おも)の清らかさ気高さ、誠の無心、誠、仏の儘の心であろうと、吾身の醜(みにく)さ浅ましさが、歴々(ありあり)と覚(し)らるるわよ……』

『乳(ち)をやる毎(ごと)、寝顔を見る毎、妾(わらわ)もまた开 (そ)のように思うので厶(ござ)ります』

『どれ、稀(まれ)には父も抱いて見ようか』

『お馴れ遊ばさぬお手に、どうお座りましょうか……」

『何の、折には泣いても欲しいこの和郎(わろ)の、ついぞ泣声一つ上げた事もない、生れ乍(なが)ら小さい口きっと結んで、余り温和も案じられてじゃ』

『眼(まな)ざし腕の力も、世の人並の子に勝(すぐ)れて思えまするに、ついぞ声らしい声音いたした事厶(ござ)りませぬには気懸(きがか)りで止み難(がと)う覚(おぼえ)まする』

『藤原の父、源氏の母の中に生まれても、啞(おし)では詮(せん)ない。家へ唯一粒の和郎(わろ)じゃ、何としても早う一度歌口(うたくち)を開(あ)かせたい喃(のう)』

『此頃は下僕(はした)の者まで、和子(わこ)様は啞じゃげなと申しまする故、思いの余り四、五日まえ典薬頭(てんやくのかみ)の隠岐(おき)さまを召して伺いました』

『や、気づかれた喃、典薬(てんやく)は何といわれてか』

『医薬(いやく)の効(かい)には待たれる事と……』

『では、啞とか……』

『否(いな)、その程は暫らく、御典薬(ごてんやく)にもお判(はん)じはなりませいで、只自(おのずか)ら、又もの云わるる時も来ようかとばかり……』

『左様(さよう)か喃(のう)』と有範も吉光御前も、外に何の苦とてもない今の境遇に、この事一つ憂(うれ)いとなって居た。


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『一叢(むら)の雲とて無く、時折の雁(かり)の往来(ゆきかい)のみが掠(かす)めるばかり、明月とは今宵の月じゃ喃(のう)』

 有範の長兄、松麿の伯父(おじ)、若狭守(わかさのかみ)範綱(のりつな)は、今宵中秋(ちゅうしゅう)の十五夜に、有範の館(やかた)に月見ようとて招かれて、先程からの盃(さかずき)にやや酔(えい)を催し乍ら、

『慾には此の明月を頂いて、吾等下界もこのように澄みたいものじゃ』と語(ことば)を次(つい)で、末弟の従(じゅ)四位(い)宗遠(むねとお)と同席の有範とを顧みた。席には、松麿を抱いた吉光御前、その他二、三の家臣、酌の侍女たちも幾人か綺羅(きら)に侍(かしず)いて居た。

『太政(だじょう)の大臣(おとど)、清盛を月と仰ぐうちは、下界に此(この)ような光明は見られませぬ』

範綱(のりつな)の謎(なぞ)を解いて、弟(おとうと)の宗遠は、優しい眉をあげて見せた。

『うかとは平氏(へいし)の事ども仰せられな、詮(せん)ずるに吾等兄弟は、宮(みや)に参候(まか)るも唯朝廷(かみに)御奉公の念より外はない。聞けば義朝(よしとも)の遺子(わすれがたみ)牛若(うしわか)は、奥州(おうしゅう)へ下向(げこう)したともある、孰(いず)れ永(なが)かろう平家ではあるまいに……』と有範は軽く笑っていた。

『その様な噂も厶(ござ)ります、又平氏の圧迫、専横(せんおう)さを見るに得堪(えた)えぬ人々は、駈け寄る源氏の場所も厶(ござ)りませいで、比叡(ひえい)の延暦寺(えんりゃくじ)、奈良(なら)の興福寺(こうふくじ)など、仏徒(ぶっと)の中に身を投ずる者も頻(しき)りで厶りますぞ』

『そうもあろう。今、世の人の心は恰(あたか)も、瀬の鳴門(なると)ほど揺れ迷うて居る時じゃ、大きな救いの手が何処ぞにありそうなもの喃(のう)』と範綱(のりつな)は盃(さかずき)を取る。

『救いと云えば折も折、源空(げんくう)(法然上人(ほうねんしょうにん))と云う僧が洛東吉水(らくとうよしみず)に現われて、此頃盛(さかん)に専修念仏(せんしゅうねんぶつ)の功徳(くどく)を弘(ひろ)めて居りますとか、それが又迷うて居る人の心に炎日に雨水のように喜び慕われて居るげに厶(ござ)りまする』と宗遠の語るうち、母の手から這い出た松麿(まつまろ)が、父の有範の膝へ乗って来た。

 話は、それに外(そ)れて、

『おお、松麿も目に立って、逞(たくま)しゅうなった喃(のう)』

伯父(おじ)の範綱(のりつな)も酒を口へ忘れて見惚(みと)れるのであった。

『松麿にも見せてお上げ遊ばしませ。今一際(きわ)のあの月の煌々(こうこう)しさ……』と吉光御前はやや離れた席から、膝(ひざ)を抜け出た松麿を、先程から微笑(ほほえ)みながら見送ってる。

『和郎(わろ)にも見えてか、あの月が見えてか喃(のう)』と有範は膝に立たせて、

『まこと真如(しんにょ)の月、あの気高い月に浮ぶ邪心(まがごころ)はない……』と一座は飽まで冴(さえ)た月に粛(しゅく)とした、折から、

『南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)』と有範は思わず月光即仏心と感じて呟(つぶや)いた。

『南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏』

 吉光御前も日常の信心を思わず呼び出されて、誰云うとなく唱名の声が静かに起るとき、一際(きわ)清い澄んだ声で、

『南無阿弥陀仏』と誰か唱えた。誰も不思議に思わなんだ。

『南無阿弥陀仏……』続いて同じ声。

『あれ、和子(わこ)様が!』と、この時一人の侍女頓狂(とんきょう)に叫ぶと同時に、

『おお、松麿がものを云うたぞ』と有範も、劣らぬ弾(はず)み声で、

『吉光、兄上、松麿がもの云いました』と驚喜するのであった。


斯土(しど)の父[編集]

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 そも無心か、そも生れ乍らの仏心であろうか、まだ二歳(ふたつ)たらずの松麿が八月十五夜の名月に向って、明かに南無阿弥陀仏の六音(おん)を唱えた。承安(しょうあん)の四年は、念仏道にとって千古に忘れ難い年であった。

 同じ年、世間には黒谷(くろたに)を出た法然上人(ほうねんしょうにん)が、洛東(らくとう)の吉水(よしみず)に現われて初めて念仏宗を唱導し出した。ゆくりなくも稚(おさな)い親鸞(しんらん)と法然との第一の声は、時を同じく発足したと云ってもよい。六条(じょう)上皇(じょうこう)が崩(ほう)ぜられて翌(あ)けの年は安元(あんげん)の元年、吉光御前は松麿の弟(おとと)朝麿(あさまろ)を生み落した。

 恁(こ)うして二年(ふたとせ)三年(みとせ)、藤原有範の家庭は、よし平家人(へいけびと)の驕(おご)る栄華はない迄も、とまれ其日(そのひ)其日は団(まど)かに楽しかった。

 松麿がとって四歳、朝麿が二歳になってきた。この日頃はもう松麿は弟の朝麿(あさまろ)が微笑(ほほえ)んだり、手を振ったりする様(さま)が心から嬉しくて、折さえあれば、そのふくよかな頰を撫(な)でたり、髪をさすったり、稚(おさな)い兄振りに、

『あさ殿、あさ殿お目け……』などと、乳人(めのと)に抱かれた朝麿を慈(いつく)しむに余念ない。さもない時は一人で母の一間(ま)へ行って居た。その部屋には、吉光御前が居ても又居なくとも、松麿におっては一番好きな部屋なのであった。

『あれ、御覧(ごろう)じませ、松麿さまのお賢(かしこ)いこと、あのように為(し)て……あの御容子(ごようす)を御覧(ごろう)じませ……』

 侍女(こしもと)の一人は、開け放れた襖(ふすま)の間(あい)に立って、恁(こ)うお廊下を通りすがり朋輩を呼び止めた。

 『おお、お珍らしい和子(わこ)様、ほんにあの澄ましなされた御容子は、誠の聖人(ひじり)のようで厶(ござ)りますな……』

 と二人の侍女は、そこに立った儘でほほ笑み乍ら、一間(ま)の中(うち)に在る松麿の様子を見惚(みと)れていた。

 开所(そこ)は、母吉光御前の御居間(おいま)ではあるが、何の綺麗もなく、ただ尊やかな弥陀(みだ)如来の仏画(ぶつが)の軸がいつも掛けられてあって、その前には此の館の園(その)に多い白玉椿(しろたまつばき)の一枝が折って供えてある。

 侘しい乍ら、皇后の大進の家である。美しい部屋、咲く花の匂う亭(ちん)、楽器の置かれた間もあるのに、何故かこの屋にのみ松麿はいつも来ておった。朝麿の前に、掌(たなごころ)を打ち合せてあやして居ない暇には必ずここに姿を見出すことが出来た。

 今も、松麿は襖(ふすま)の間(ま)に二人の侍女(こしもと)が見て居ることも、何の顧みぬように、仏画の前なる楠(くす)の壇(だん)に乗って在る古い弥陀経(みだきょう)の一巻と、水晶の念珠(ねんず)とを、母の吉光御前が朝夕に持つたままな形に押し戴(いただ)いたり揉んだりして、軈(やが)て小さな両手を弥陀の像に向って合せて居るのであった。


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『まあ雪路(ゆきじ)さま、未(ま)だお四歳(よっつ)の松麿さまが、お教えもせぬに、彼(あ)のようにお珠数をお持ち遊ばして阿弥陀様を拝んで居られます』

『去年の十五夜で厶(ござ)りましたか、お館にお月観(つきみ)を遊ばされた夜に、啞(おし)ではないか、余りものを云うことが遅い遅いと、御一同様がお案じして居る所へ、あの煌々(こうこう)と出たお月を見遊ばしてこの方、平常(つねごころ)の御容子がただ人の和子(わこ)様とは全(まる)でお違いなされてでござりますな』

『あの十五夜の夜ばかりは妾(わたくし)たちばかりでは厶(ござ)りませぬ。並居る範綱(のりつな)様も宗業(むねなり)様も、どんなにお驚きで厶りましたか、それやこれや思い合すと、今もああしてお仏画の前にお坐りの松麿樣のお姿に、丸い後光(ごこう)のさひて在るように思われるでは厶りませぬか』と二人の侍女(こしもと)が囁き合うて居ると、廊下の曲りから絹のすべるように、吉光御前が朝麿を抱かせた乳人(めのと)を連れて、此方(こなた)へ来る姿が見えた。

 侍女(こしもと)は、慌ててそこのお下(しも)へ手を支(つ)いた。

『和御(わご)たち、何見て居てじゃ」

 吉光御前は咎めるでもなく、優しく二人を見やった。

『御覧(ごろう)じませ、あのように松麿様の、お歳(とし)もお越え遊ばさぬに、御仏(みほとけ)にお掌合(てあわ)せて居らせます。優(しお)らしいこと遊ばすものと、雪路様とつい暫らく、見惚(みと)れて居る折でございました』

『ほほう、松麿のまたそこへお居やってか……』と吉光御前は、其まま部屋に這入ると、朝麿を措(お)いた乳人(めのと)も、侍女(こしもと)も付き従って居ならぶ。


『和子(わこ)は好(よ)う大人(おとな)でしたの……』と母の声に、松麿はくるりと此方(こなた)へ向いて、慈愛の笑(えみ)をいっぱいに含んだ、吉光御前の面(おもて)を見返った。

『母(か)ア様(さま)、朝殿(あさどの)は?……』


『おお和子様(わこさま)、朝さまはお目醒(めざ)めてで厶(ござ)ります、和子さまのお声にほれ、このように、お目をつぶらにしてお探しで厶りますぞ』と乳人(めのと)は、朝麿を抱き直して、松麿の方へ向けると、遉(さすが)は稚(おさな)い直ぐ走り寄って、

『おお、あさ殿、母ア様、あさ殿が笑いまする、あさ殿が目々うごかしてで厶りまする……』と、手に持った珠数の緋房(ひぶさ)を、朝麿の瞳の前に振っては見せる。

『あさ殿も、早う大きゅう成られたら、ともどもにお手習い致しましょうぞ、一緒に仏様拝みましょうの、喃(のう)母ア様……』と母を見上げた。何故か、誰考うるともなく、こうした言葉の端にも、仏の御名(みな)が添うことの不思議さと思い乍らも、吉光御前は莞爾(にこ)やかに肯(うなず)いて見せた。


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『あれ、和子様はここにもお見え遊ばさぬ……』

『まあ何処(どこ)へお越し遊ばしたのであろう。いつもお姿の見えぬ時は必ず此のお仏画のあるお居間とばかり余り妾(わたし)たちの思い緩(ゆる)んだ油断の罰(ばつ)でござりましょう』と二人の侍女(こしもと)は、例の仏像のお居間を開けると等しく、中に居ると思うた松麿の姿の見えぬので、途方(とほう)に暮れた様子であった。

土佐絵(とさえ)のままな棟(むね)の松を越して、庭には梅のほの薫(かお)る、安元(あんげん)二年の春も半ばの昼のこと、

『和子様よ――』

 一人の侍女(こしもと)は、女らしい声音を張って、お廊下の右と左へ、二声ほど呼びさがした。

『和子(わこ)様――』と、もう一度叢笹(むらざさ)の園の奥まで届けよと、恁(こ)う呼び乍らも一方に、奥の殿に在(おわ)す方のお耳にも届こうがという、気遣(きづか)いが見えた。

 奥の殿にはこの春先から、主(あるじ)の有範が病(やまい)の床に伏しているので、吉光御前は枕元(まくらもと)に、明け暮れ看護(みとり)に過ごして居た、で、二人の子達も乳人(めのと)の侍女(こしもと)にうち任せたまま、滅多(めった)に庭の梅の香にも触れには出ぬのであった。

 そうした折に、先刻(さっき)から松麿の姿が、ふいと何処にも見えなくなったので、奥の殿のお耳に入らぬうちにと、侍女(こしもと)たちの恁(こ)う慌てて居るのも無理ではなかった。

『和御寮(わごりょう)たち、松麿がどうかしてかの……』

 侍女ははッと背に水を浴(あ)びて、其の声の主(ぬし)を見返る勇気もなく、そのままお廊下へ、

『はい、申訳ござりませぬ、ほんの一時の間にどちらへお越し遊ばしてか、お姿が見えませいで……』

『妾(わたし)たちの心緩(ゆる)みでお座りました、お赦(ゆる)し遊ばされて……』と、声も一つに詫(わび)るのであった。云う迄もなく、其処に立たれたのは、奥の殿から侍女の呼声を聞いて、案じられるまま看護(みとり)の手を暫らく抜けて来られた、吉光御前の暫らく日の目も見ぬ窶(やつ)れた姿であった。

『まあ、开(そ)のように驚くことはあるまいわ喃(のう)、よも、築地(ついじ)を越えて館(やかた)の外へ走り出す和子(わこ)では無い、渡殿(わたどの)を見てか、あの築山(つきやま)の亭(てい)もお見か。慌ただしゅうのみせいで、念よう見て廻ったが好(よ)かろうに喃(のう)』

『では、雪路(ゆきじ)さまは築地(ついじ)から、お庭へ、妾(わたし)は渡殿(わたどの)を、もう一巡(めぐ)り尋ねて参りましょう』

 侍女は、やや顔を赤めて立ちかけた。

『吉光どの、其所(そこ)にか』と、お庭先からその時不意に橡色(つるばみいろ)の直衣(のうし)に烏帽子(えぼし)した、四十路(よそじ)がらみの大宮武士(おおみやぶし)が、笑(え)みをたたえて欄(おぼしま)の人をうち見上げた。

『これは三位様、好うお越し……』

『あれ六条(じょう)のお館さま、お庭先でござりますか』と吉光御前も侍女(こしもと)も、庭先からの不意のお客にお迎えようにやや慌てるのであった。


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 直衣その人は、弟有範の病を案じて、三日にあげず繁々(しげしげ)と見舞に来る松麿の伯父、前(さき)の若狭守(わかさのかみ)範綱(のりつな)であった。

 太刀も佩(は)き、歌の才にも人優(すぐ)れて、彼は上後(かみご)白河(しらかわ)の帝(みかど)に仕えている。それで気軽で、また何処(どこ)か威のあるところから、六条のお館、三位さまと、誰にも慕い呼ばれて居た。

『案内ものう、ちか頃不躾(ぶしつけ)じゃが今日はまた此の間近(まぢか)の、日野民部(ひのみんぶ)どのと弥生歌会(やよいうたげ)を喋(ちょう)じ合せに、朝疾(と)うから来ての帰りじゃ、有範どの御容子はの?……』

『お喜(よろこ)びなされませ……お蔭ときつい快(こころよ)い気(け)にお座りまする……したが、何とお粗相(そそう)のう、これ誰ぞお玄関に案内の者は居やらいでかい喃……』

『あ、否々(おやおや)、身が応(いら)え申さず通ったのじゃ、御門(ごもん)の小侍(こざむらい)が見えなんだを幸いに、我が館のように柴折(しおり)から巡(めぐ)って来た、宥(ゆる)されいの……あははははは』

『おお、之は妾(わたくし)とした事も……三位さま、まこと今日はこの麗かさで厶(ござ)りました故、殿のお病(いたつき)に何かと骨折らせました小者等に、恰度涅槃(ねはん)の日ぞと思うと、朝ほどから暇遣(いとまつかわ)して、長谷(はせ)清水(きよみず)、思い思いの御寺(みてら)へ詣でさせたので厶りました』

『小者にまで、涅槃詣(ねはんもう)でせられてか、遉(さす)が御夫婦の信心、上(かみ)を真似るのじゃ、奇特なことの……じゃが、都も大路と違うて、此所ら日野の里は遉暢(さすがのび)やかのう、御門も無う盗人が窺わぬことじゃ、これが去(い)ぬる保元(ほうげん)の戦(いくさ)ごろでもあれ、盗人(もと)の目は逃(のが)れまいぞ、あはははは』

『お、三位さまお言葉で思い当った、和御寮(わごりょう)』と、吉光御前は、侍女(こしもと)へ向き直って、

『なるほど、自らが暇(いとま)とらして、門衛(かどえ)の者居らぬは道理(ことわり)であった、松麿よの、ひょっとして園づたい、門外(そと)へ出たではあるいかの』

『何?松麿が去(い)んだ……』と範綱(のりつな)も目を睜(みは)る。

『はい、和子(わこ)の姿が見えませい、さき程から侍女たちが、血相かえて尋ねてで厶(ござ)りまする』

『あの賢い和子、庭へも好(よ)う下り立たぬ性(たち)じゃが、矢張り子供じゃの……そう云えば、柴折戸(しおりど)も細う開いてあった、中御門(なかごもん)も、表門も誰見る者も無いとあれば蝶のように自由(まま)に、抜け出やったかも、こりゃ知れぬわい」

 範綱はそう云い乍ら、踵(くびす)を巡らして広い園の中を、一渡(わた)り見廻した。

『そりゃ事厶ります、和御寮(わごりょう)たち、宿直(とのい)へ走って兵部を呼んでたも、三郎も在りつろう、早う……』と、吉光御前は、何日(いつ)になくやや母の胸を轟(とどろ)かせたらしく、折も遠寺に鳴る涅槃(ねはん)の鐘が、気がかりな細い韻(いん)をひいて、その美しい、黛(まゆずみ)のあたりを痛ましく曇らせた。


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 温(ぬる)いささ流れ、まるい小山。

 すべては春の光に満(みち)た、日野(ひの)の里の道芝(みちしば)を、日永(ひなが)の牛に物見車を曳(ひ)かせ、蝶の眠りを追い立てて来る一群(むれ)があった。


『七郎よ、七郎よ』と、車の上からは、未(ま)だ少年らしい声の主(ぬし)が『七郎よ、皆よ、車を止めてい喃(のう』と如何にも駄々(だだ)らしく、云いせがんで居た。

『あれ見よう、あれ見たい』と裾絹(すそぎぬ)の簾(れん)を上げて、顔を伸び出したのは、未だ声の通り十一、二の綺羅(きら)な若君である。

『何またお目止まりで厶(ござ)りまするな』

 牛飼(うしかい)の舎人(となり)、青侍(あおざむらい)など四、五人扈従(こじゅう)した中から、七郎と呼ばれた年配の股立(ももだち)どりの近侍(きんじ)が一人、車の側近く寄って伺うのを、

『彼(あ)れ、目に止まらぬか、呆痴(うつけ)のう……見やい彼(あ)の小山の裾(すそ)に、あのような小童(こわっぱ)が、何為(なにし)おるのじゃ』

 車の上から指さして、賢(さか)しゅう云われるまま、七郎も扈従(こじゅう)の者も一様にその小さい指先を、特に驚異らしく目を向けると、成程、やや車の通り過ぎて来た所に土饅頭(どまんじゅう)ほど、青く丸い丘が見えて、その蔭に一人の童(わらべ)――と云っても、未だようよう四つか五つ位のが一樹(じゅ)の梅の下に、小さく蹲居(うずくま)っていた。

『見えたかやい』

『見えました』

 みんな云った。

『小賢(こざか)しい奴(やつ)の、七郎もそっと近寄って、いったい何為(なにし)おるのか好(よ)う見ておじゃ、見ておじゃい』

 七郎奴(め)は恐れ入って、

『若様(わかさま)、あのような事、見て参るまでは厶(ござ)りませぬ、さ、日暮れぬうち……』

『嫌、嫌、あれ見いでは屋敷へは戻らぬぞ……』

 恁(こ)んな風に、暫らく押問答の末、あわれ多田庄司(ただのしょうじ)七郎ともある武士が、大小厳(いか)めしい容姿(すがた)で、そのお差図(さしず)に向わなければならなくなった。

 庄司七郎は、仕方なく道を戻って其所へ近寄って見ると、衣(きぬ)の物や容形(なりかたち)も決して賤(いや)し家の童(わらべ)ではなかった。

『お……』

 七郎は思わず呟いた。

 やっと四、五歳とも見えるその童(わらべ)は、丘の裾に咲いた白梅(しらうめ)の樹(き)の下に、四辺(あたり)の土をかき集めて、一心に何か作っている……それは唯の童の土いじりと見過せば、それ迄ではあるが、その作られてある三箇(みっつ)の物は、彼の目に正(まさ)しく立派な弥陀仏(みだぶつ)の像に成っていた。

『ありゃ仏の像じゃ、仏の像を作っておるのじゃ……』と呆気(あっけ)にとられた。

 そんな事には気づかぬように、童は今作りあげた三体の土の像を、梅の樹(き)の下へ並べ据えて、泥にまみれた小さな手を恭(うやうや)しく合掌(がっしょう)して拝んだ――、それは恰(まる)で子供とは思えぬ作法(さほう)をもって居た。

 七郎は驚いた。そして急いで走って戻った。


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『戻りました、とくと見てお座りました』

 車の傍(かたわら)へ喘(あえ)ぎ寄った七郎の顔に汗(あせ)がんじんで見えた。

『やや、七郎の足早(あしばや)よの、どうあった、小童(こわっぱ)はどう在(あ)ったかや』

『七郎奴(め)、怖ろしいこと見てお座りましたわい』

『何?怖ろしい、何かや、何かや』と興に乗って、

『見やれ、あのような面白いことお主等(ぬしら)止(とど)め居ったでないか』

『否(いえ)、面白いことではござりませぬが、そっと足音を忍(しの)ばして、後背(うしろ)から見まするに、彼(あ)の稚子(おさなご)が土塊(つちくれ)あつめて、三体の阿弥陀如来(あみだひょらい)を作って居りますのじゃ』

『ほう、小賢(こざか)しい奴(やつ)の……』

『それがでござりまする、唯の童(わらべ)の土細工(つちざいく)ではござりませぬ、而(しか)も鮮(あざや)かに誠の御仏(みほとけ)の像(かたち)のままを、好(よ)う似せて出来居るのでござります』

『ふむ……』

『ふむ……』

 七郎の賞(ほ)めそやしが、やや過ぎた加減(かげん)でもあるか、若君(わかぎみ)は妬(ねた)ましいお顔色にある。

『小童(こわっぱ)の癖(くせ)に、そのような物作りちらして、憎(にく)い子や……』

『それのみかは、その仏像(ぶつぞう)を此処からも見えまする、あの白い花咲いた梅の根元へ据(すえ)まして、何か口に念じ乍ら拝んで居りまする……七郎奴(め)こう見届けまいたからは早やお車を遣りましょうぞ、お父上お案じでござりましょうず』

『待て待て、そのような小賢(こざか)しい小童(こわっぱ)この寿童丸(じゅどうまる)は嫌いじゃ、和郎等(わろら)行んでその土仏を奪(と)って来や、奪り損(そこ)のうたら土に打ちつけて蹴潰(けつぶ)して来や』と寿童丸は、簾(すだれ)の裾越(すそごし)から半身を乗出して、恁(こ)う噪気(いき)まく。

『お止し遊ばせ、お止し遊ばせ』と七郎は余りの暴君振(ぶり)に慌てて、

『まだ四つか五つの童(わらべ)、それで彼(あ)の所作を致しまする、必定(ひつじょう)常人(ただびと)の子ではござりませぬ、大方は仏の変化(へんげ)か尊いものの生れ変りでがなござりましょず、仏罰が怖ろしゅうござりまする、殊に今日は涅槃詣(ねはんもう)での帰るさでもあれ、旁々(かたがた)そのような儀は思い止まらせ給わるよう願いまする』

『罰?』と寿童(じゅどう)は、強くその罰と云う語に、反感を起して、

『罰が何じゃ。右大将(うだいしょう)小松殿(こまつどの)の中にも成田兵衛為成(なりたひょうえためなり)と、弓矢に知られた父を持つ寿童丸(じゅどうまる)ぞ……お主等(ぬしら)臆病もの、戻ったら父上にも告げて呉りょう、あの小童(こわっぱ)が土で作った泥仏(どろぼとけ)が怖(こわ)いかや』と舌にまかせて、侮辱を尽(つく)される。

『でも、あまり哀れでは……』

『よい、自分(わし)が行く』

『ままお待なされませ』

『何じゃ、下(おろ)せ下せ』と、小さい暴君は、もう車から片足……


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『若君(わかぎみ)、まま待たせられい、待たせられい』と七郎は、駄々(だだ)な寿童の足を無理矢理に、下から押し上げた。

『では、行くとか。泥仏(どろぼとけ)砕いて来やるのか』

   愚昧(ぐまい)な若君にして、こんな所へは大人(おとな)の掛引を遊ばすと、七郎の当惑顔(とうわくがお)で、

『参りまする、承知致しまいた』

『あはははは』と寿童呆痴(うつけ)笑いを高々と、

『行かや、面白のう』と手を叩いた。

 面膨(つらふく)らせて七郎はまた行った、あわれ腹では武家奉公こそすまじきものに思ったろう。

『みんなも見物せい、七郎が為損(しそこの)うたら、お主等(ぬしら)代って駈け行くのじゃぞ』と寿童は一同を顧みたが、牛曳(うしひき)雑色(ぞうしき)たちの輩(やから)は、飛んだ道草に立(たち)しびれをきらして、とんと興にもならぬ七郎の後姿を見送っていた。

 彼の童(わらべ)はと見れば、今もまだ、土から生えたように梅樹(うめ)の下(もと)に寂然と合掌(がっしょう)して、額(ぬか)ずいているままに、

『南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)南無阿弥陀仏』

 虻(あぶ)の羽音も鼓膜(こまく)に響(ひび)くような昼だ、彼(か)の童(わらべ)の唇を洩れてくる微(かすか)な低唱が、七郎の耳に入ると彼は何となく、身の悸(すく)む心地がshたが、その時もう童(わらべ)のすぐ背後(うしろ)に自分は立って了(しま)って居た。

 無論、その足音も聞えたろうが、童はその房々(ふさふさ)とした髫髪(うないがみ)の一筋だもゆるがせず、円(まど)かな春の日を浴(あ)びて散りかかる梅の香(か)が高かった。

『ああ気高い子ぞや……』

 七郎は心からそう思った。が同時に寿童(じゅどう)の依古質(えこじ)な目で背後(うしろ)から射られる心地がして、その太腕を目をねむって、童の肩越しに、むずと前なる土の仏像へ伸ばした。と、不意に、実に不意だ。

『已れッ下司(げす)!』と一喝(かつ)の叱咤(しった)と殆ど同時に、七郎の耳朶(みみたぶ)へ、強い平掌(ひらて)が発矢(はっし)と来た。

『あッ』

 もんどり打って、倒れも為(し)そうな弾みを喰い乍ら、それでも武士、誰とも知れぬ不意の敵に、武者振りついた。

『大人気(おとなげ)ない奴め!』

 現われた者の方は至極(しごく)落着いて、気狂(きちが)いじみた七郎の手を巧(たくみ)に挘(も)いで、

『慮外な奴(やつ)、若様へ何為(なにし)ようとぞ!』

 云ううちにはもう、七郎の体は二間(けん)ほども離れた草叢(くさむら)の中へ飛んで行って、重い図体(ずうたい)が勢い強く雑草の花を、折り敷いた。

『若様若様、まあ何でこのような所へ来てお伏(ふし)なされて在(いら)せますぞ、お母君も一同も、松麿よ松麿よと、先程からお案じ暮れてで厶(ござ)ります。ああ未(ま)だ嬰(あか)様じゃ、御無理ない御無理ない』

恁(こ)う云い乍ら手を支(つ)いたのは、館(やかた)から尋ね出た家従(かじゅう)の箭(や)三郎(ろう)であった。

 松麿は、その時初めて振り返って唯うなずいた。怖ろしかった様子も別にない。

 その時、彼方(かなた)から俄(にわか)に、

『わーッ』と云う人の叫びが、砂煙を捲いて来た。


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『彼奴等(あやつら)逃すまいて、七郎の仇じゃ打(ぶ)ちのめせ!』と寿童丸(じゅどうまる)の喚(わめ)く声にけし懸(か)けられて、鞭を喰った牛車は、六、七人の青侍と一つになって、襲(よ)せ蒐(か)けて来た。

 その様(さま)を見やった箭(や)三郎(ろう)は、何より若君松麿の身に怪我(けが)あってはと案じられた。で逃げるより外はないと、

『和子様(わこさま)、和子様、彼(あ)の狼藉者(ろうぜきもの)等が寄り集(たか)って参りまする、さ箭(や)三郎(ろう)の肩へ……背へお寄り遊ばせ……』と逸早く、身構えた。

『よい、好い、麿(まろ)あ歩む……』

『ま、滅相(めっそう)な……』と余り落ち着いた松麿の、物怖(ものおじ)をせぬ頑是(がんぜ)なさを、もどかしく思い乍ら、

『あれ、もう开(そ)れへ見えまする鬼共を御覧(ごろう)じませ、さ、さ』と云ううち、彼から投げた小石が一つ、ぴゅうッと後(うしろ)の梅の樹(き)に、勢強く弾(はじ)き返った。

『あ、危(あぶ)ない!』

 思わず、直垂(ひたたれ)の袖で犇(ひし)と松麿の身を蔽(おお)うた箭(や)三郎(ろう)は、もう直ぐ目の前へ乱れ蒐(かか)った、雑色輩(ぞうしきばら)に逃げても間に合ぬことを覚って、屹(きっ)と睨(ね)め据えて声高(こわだか)に、

『何を狼藉、これは皇后大進藤原有範様の若君で在(おわ)しまずぞ、戯れも程にこそ依れ、無礼(ぶれい)あると宥(ゆる)されぬぞ』と、特に車の寿童(じゅどう)へ云い放った。

『何じゃ、平氏に養われて育った藤原の子じゃないか、廃(すた)れ者の藤原の子の大口(おおぐち)を懲(こら)しめて呉るるのじゃい、好(よ)う麿の家臣を打ち居った喃(のう)』と、寿童丸(じゅどうまる)は気勢を揚げて、

『平家の者指一本でも、傷(きずつ)けたら相国(しょうこく)のお咎(とが)めを知らぬかやい、それ、打て打って蒐(かか)れ』

『応!』と云う声と同時に、一人箭(や)三郎(ろう)を中心に、右から左から、忽(たちま)ち凄い争闘(そうとう)の渦を巻き起した。

『和子様は、彼方(あなた)へ……』

 こう叫び乍ら、二、三の者を突き飛ばして投げ倒して、箭(や)三郎(ろう)は阿修羅(あしゅら)に立ち働いた。

 のめる者、倒れる者、肉の相搏(あいう)つ音。その内には何時(いつ)か互の間に、白刃(しらは)の光りが真昼の陽を戴(いただ)いて煌(きらめ)きはじめた。

×           ×          ×          ×

『はての……吉光殿、あの人声をお聴きか?……』と以前の有範の館では、庭先から客間へ上った三位(み)範綱(のりつな)が、吉光御前と差し対(むこ)うに坐って、館から出した尋ね人の戻(もど)りを待つうちに、ふとわッと云う人声が、此館(ここ)を余り遠く離れぬあたりから聞えて来たので、思わずはっと耳聳(みみそば)だてた。

『おお、又もあのような叫び声が……』と二人は顔を見合せた。


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『御前様(おんまえさま)へ、御前様へ……』

 その時、一人の侍女(こしもと)が顔色をかえてお廊下を慌(あわただ)しく走って来たが、二人を見るより、

『御前様(おんまえさま)へ、一大事で厶(ござ)りまする、一大事で厶りまする』と恟恟(わくわく)息(いき)を弾(はず)ませて告げるのであった。

 今の人声、折も折、二人ははッと度胸(どむね)を衝(つ)かれて、

『何じゃ、事でも起ってか』

『松麿でも、什(ど)うかお為(し)やったか……』と鸚鵡(おうむ)返しに、訊きだした。


『されば、和子(わこ)様のお身に拘(かか)わってで厶りまする、急いで一刻(とき)も早う誰(た)ぞお遣わし下さりませ……おうーまだ彼(あ)のように、人叫びのしてお座りまする』

『偖(さて)は、やはり彼(あ)の声か』と範綱(のりつな)は屹(きっ)として、

『して、如何(いかが)してじゃ、何れの辺(あた)りでじゃ』

『お館から半丁も距(へだ)たって居りませぬ所に、先程和子(わこ)様を見に参られた箭(や)三郎(ろう)殿と、武者館(むしゃやかた)の郎党(ろうどう)らしい七、八名とが、何か争いを起しまして、入り乱れての打ち合いと、恁(こ)うただ今御門へ告げる者厶(ござ)りまして……』

『何?武者屋敷の者七、八名と、争闘(あらそい)をして居るとか……こりゃ猶予ならぬ儀じゃ、吉光どの、御免せられい』と、直ぐ立ち上ると、早や廊下へ走り出そうな気色(けしき)に、

『お待ち遊ばしませ』と吉光御前は、袖を控えて、

『三位(み)さま、先ずお待遊ばしませ、そのような武者の郎党、ましてや大切なお身様(みさま)に万一の事厶(ござ)りましては、上様にも御詫(おわび)厶りませぬ、家の者等も厶りますれば呼び立てて遣わしまする、まずお身様はお待遊ばしませ……』

『否々(いやいや)、お案じばし候われな、高(たか)が小者等の争闘(あらそい)、自身に走って鎮(しず)め来るに、大事はお座らぬじゃ』と、太刀の緒をとって、もう行きかかった廊下に、

『や、兄君』

『おお宗業(むねなり)殿じゃないか』と出合がしら。

『御血色(ごけっしょく)をかえさせて、何方(いずれ)へ?……松麿の事、お座りますのか』

『そうじゃ、その松麿の身に、唯今事起って来るのじゃ、よい折じゃ御身(おんみ)も参られい、火急なのじゃ』


『その松麿の儀でお立(たち)なれば、宗業(むねなり)が伴うて来りまいた』

『何、連れ戻った?お身(み)がか……』と範綱は、張合(はりあい)が抜けたように、

『そりゃ僥倖(しあわせ)じゃ……』

『宗業様、あの松麿をお召連れ下されましたと……そりゃ誠で厶りますか』と、吉光御前は甦(よみがえ)ったような声で云った。


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『今にも是へ、侍従介(じじゅうのすけ)と縫殿介(ぬいのすけ)が松麿どのを牛車(くるま)に、連れ戻りましょうず』

『何じゃ、侍従(じじゅう)と縫殿(ぬい)も来るか、どうして彼等に出会うたのじゃ』

範綱は解せなかった。

   縫殿介(ぬいのすけ)も侍従介(じじゅうのすけ)も、二人とも無二の範綱(のりつな)が家の子――寵臣(ちょうしん)であるのだ。それが今日は自身も気軽な忍(しの)び姿で館を出たので、特に大仰(おおぎょう)な共連れや車を避けて家に残して来た者が、何で宗業(むねなり)と共に松麿を伴うて来るのかと怪しまれた。

『さればで厶(ござ)りまする』

 宗業(むねなり)は口静かに、

『今日ほど、紫野に涅槃会(ねはんえ)が厶(ござ)りまいて、大兄君(おおあにぎみ)(有範(ありのり))御病気(おいたつき)の祈願もがなと、朝より立ち出でまして此の館の方へ参るさ、侍従介(じじゅうのすけ)と縫殿(ぬい)が、牛車(くるま)曳(ひ)かせて参るのでお座(ざ)った』

『偖(さて)は、身を迎えに来たのであろう』

『御意(ぎょい)で厶ります、車の裡(うち)には兄君の在(おわ)そうものと訊ねまするに、兄君は日野民部様(ひのみんぶさま)を訪(おと)なわれ、夫(それ)より此の館に寄られたを、迎えに参る折でお座りました故、打ち連れて来まする途次(みち)に、思いがけのう松麿どのの危急を救いましたが、之もまこと御仏の加護かと存じまする』

『して、开(そ)の争闘(あらそい)とは、什(ど)うあるのじゃ』

『何さま、少人数でお座りまっしたが、箭(や)三郎(ろう)一人、あわれ取囲まれてだいぶに手傷らしゅう見受けまいたが、之も縫殿介(ぬいのすけ)か侍従介(じじゅうのすけ)が手当致して戻りまする』

『やれ惨(むご)い事のう、松麿はまた如何お座りましょう喃(のう)』

   吉光御前は、おぞ眉(まゆ)を寄せて片唾(かたず)をのむ。

『不思議や、その激しい白刃(しらは)の搏(う)ち合いが中に松麿どのは何の気(け)もお座ない、かすり傷一つ身に受けられいで、莞爾(にこ)やかに在(おわ)すのじゃ……怖(おそ)ろしいとも思わぬ気に喃(のう)――いや誠稚子(おさなご)ほど罪ない者は厶りませぬ』

「そりゃ重畳(ちょうじょう)じゃ、したが、抑(そも)何の争闘(あらそい)じゃ、あのような嬰児(あかご)に等しいもの、よも争いを起そう筈(はず)はあり得まいが喃(のう)』

『それが対手(あいて)と申す者も、まだ漸々(ようよう)十二、三の冠者で、車に従うた郎党輩(ろうどうばら)の所為で厶りますが、事の起りは未だ好(よ)う、箭(や)三郎(ろう)にも訊ねにお座りまいた』

『冠者?そりゃまた、何方(いずかた)の者の子じゃ』

『右大将小松殿が乳人(めのと)の良人、成田兵衛(ひょうえ)と申す、之も虎の威を借る奴(やつ)が子息、寿童とか申してお座りまする』

『寿童?……おお好く民部殿へも草紙(そうし)を習いに見ゆる、親子揃うての都での忌(い)まれ者じゃ』

 兎に角、この物語のうちに、一先ず胸なで下(おろ)した一座の人の耳に逸早(いちはや)く門(かど)の方から、

『松麿さまお戻りじゃ、和子(わこ)さまお帰りじゃ』と俄に侍女等(こしもとら)の、賑(にぎ)わい立つ声が伝わってきた。


十一[編集]

『松麿、其許(そのもと)はまあ、好う戻られました喃(のう)』

 来るより早く松麿は、そう云った儘、涙ぐんだ吉光御前の愛の懐(ふところ)の奥所(おくが)に、犇(ひし)と抱き締(しめ)られた。

『この母はそのように、案じていたか知れませぬぞ。また、日頃のお身に似合わいで、如何な魔魅(まがうみ)が、御門の外へは誘い出たのじゃ、またあのような路傍(みちばた)で、そも何を為(し)て居やったのじゃ……』と諄(くど)い言葉も道理(ことわり)だと、範綱(のりつな)も宗業(むねなり)も思った。

『和子(わこ)様お叱り遊ばれな、お叱り遊ばれな』と、欄(おばしま)を隔てた、お庭の下に恁(こ)う云う者があった。

 見やれば、それはお庭口から廻った、侍従介(じじゅうのすけ)と縫殿介(ぬいのすけ)が、庭石に軽く指先を支(つ)て蹲居(つくば)って居た。また、その背後(うしろ)には箭(や)三郎(ろう)が腕と額に白布(はくふ)で傷所を包み、悄然とこれも地に手を支8つ)いて控えて居る。

『和子様は唯お遊び狂うてで厶(ござ)りませぬ、奥様お宥(ゆる)し遊ばされませ』

 その声は、箭(や)三郎(ろう)だ。

『皆の者、大義であった、御苦労じゃった』

 範綱(のりつな)も宗業(むねなり)も、皆縁近く出てねぎらった。そして殊に、箭(や)三郎(ろう)の姿を見て、『好(よ)うした』と云う憐愍(あわれ)が二人の目に溢れて居た。

『奥様皆様、お聴き遊ばしませ、何時(いつ)も乍(なが)ら和子(わこ)様の優(しお)らしいお行動(ふるまい)、箭(や)三郎(ろう)の命をも捨てよう心になされました』

 箭三郎の次(つい)で云う言葉に、一同は何となく粛とさせられた。

『実は、和子様お姿を彼方(あちら)此方(こちら)とお探しするうち、お聞き遊ばせ、小さな御手(おて)で三体の御仏像を作られて一心に拝んで在(おわ)しました』

『おお、又和子(わこ)が御仏(みほとけ)の像(かたち)を、土で作って居やったとか……』

『よくよくの仏性(ぶっしょう)と見ゆるの』と、顔見合せた。

『初めのほどは私も、何遊ばしてぞと興にも思いまして、そッと木蔭から御様子を見て在りますると、南無阿弥陀仏と、微(かすか)にお唱え遊ばされて、その上……』と箭(や)三郎(ろう)は感激の涙をはふり落して、

『お父上様お病気(いたつき)を御平癒ああせ給え、お父上を癒(い)やし給えと、あの小さな口で、幾度とのう仰せられては、御唱名を遊ばして厶(ござ)りまする……』

『何?松麿がそのように……』

 吉光ごぜんは、聞くよりももう目を曇らせて、

『お父上様お病気(いたつき)を、念じあったかの……そうか、そうか……』と、感謝の涙が、思わずお廊下にまで点じてあった。

 と、奥から一人の侍女(こしもと)が、

『お上様(かみさま)、俄(にわか)のお召で厶りまする、御典薬頭(ごてんやくがしら)に早う皆様参られますよう、お口添(くちぞえ)でありました』と告げて来た。

『や、大兄君、御容態の御変(ごへん)でもあるか……』と宗業(むねなり)も、皆も、悸(ぎょっ)とした様(さま)。

『は……』

 侍女(こしもと)は、唯口籠(くちごも)って俯向(うつむ)いた。


十二[編集]

 日も暮れ近くなった。  銀泥(ぎんでい)の襖冷く閉(た)て籠(こ)めた、奥(おく)の殿(との)の有範の病室には、如月(きさらぎ)のうすら寒さが迫ってきた。

 白い練絹(ねりぎぬ)につつまれて、病(や)み窶(やつ)れた有範の枕元(まくらもと)を中心に、妾の吉光御前と、範綱(のりつな)宗業(むねなり)の二人の弟をはじめ、松麿と朝麿といとけなく、乳人(めのと)に介添われて寂と居ならんだ。

『…………』


 暫らくの中は、誰一人する咳声(しわぶき)もなく、典薬(てんやく)の隠岐守(おきのかみ)が小さな銀の匙(さじ)に薬を調じ合せる音が鳴った。

『お上様(かみさま)、お上様(かみさま)……』

 隠岐は、こう二、三度繰返し乍ら渇いた唇へ、露ほどずつの煎薬(せんやく)を、匙でもって行った。と突然

『松麿、松麿』と、うつつの中から有範の声が洩れた、そして光りの鈍(にぶ)い、うす目をあいて見廻した。

『お上様、お気づかれましたか、やれ、お気づかれた』と隠岐は、やや安んじたらしい面(おも)もちで、

『先程からも、頻(しき)りと皆様の名をお呼びでござりました』と、半(なか)ば目で、皆へ云った。

『奥は?……居やるの、おお六条どのも宗業(むねなり)も、見えられるの』

 こう微(かす)かに云った。有範は案外はっきりした、識別(しきべつ)があるようだ。

『居りまする、皆残りのう控えて居りまする』

 吉光御前は、何がなしの或予覚に襲われて、うるむ涙をどうしようもなく、

『お心静かに亙(わた)らせませ、皆夜を徹しても、侍(かし)ずいて居りまする……』

『案ぜられな、心は静かじゃ、今もとうとう現(うつつ)か夢の中に、蓮華(れんげ)を浴(あ)びて極楽(ごくらく)を見て居った……。さながら寂光土(じゃっこうど)に今もある心地じゃよ――殊に歴々(ありあり)と三尊の菩薩(ぼさつ)が身をとりまいて、霊(れい)の地に導かれたと見るうちに喃(のう)……不思議じゃのう、矢張り夢じゃ喃(のう)、三尊(ぞん)の御仏(みほとけ)のま中に立たせられた、如意観世音の御袖(みそで)に近う、侍(かしず)いて居る小さい墨染(すみぞめ)の御弟子(みでし)をふと見ると、それが什(ど)うじゃ――松麿なのじゃ……はははは松麿なのじゃ……」と力なく、顔ばかりを皺(しわ)めて笑った。その笑(えみ)は此室(ここ)に居た皆の者の目に、永劫(えいごう)消ゆることのない、深い印象を残した。

『まア、そのような御夢(おゆめ)を……』

 吉光御前は、ふと先程の松麿のことを思い合せて皆を見た、範綱も宗業(むねなり)も同じような、霊の融合を感じて、心の裡に自(おのずか)ら仏の名が湧いて出た。

『平家(へいけ)は春……源氏(げんじ)の家は秋じゃ……上皇後白河(ごしらかわ)にも御軫念(ごしんえん)の折からじゃが、有範は最(も)う御奉公はなり難(がた)い、せめて松麿とも思うのじゃが、弓矢の要る世にはふさわぬ松麿の生れ性じゃ、六条どのにも宗業にも頼む松麿が身を松麿が先を頼み申すぞ頼み申す……』

 これこそ、御遺言か……と、聞く一同の胸の底から滂沱(ぼうだ)とこみ上(あげ)る涙のつたわらぬ顔はなかった――。


北面(ほくめん)の人々[編集]

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『北のお星は暗――いナ、六波羅星(はらぼし)は――明るいナ――、出ろ出ろ箒星(ほうきぼし)』

 朱雀(しゅじゃく)、京極(きょうごく)、都の大路(おおじ)小路には京童(きょうわらべ)が笹(ささ)振り持って日さえ暮れればこんな歌を彼方(あっち)此方(こっち)で唄っていた。

『叱ッ!退(の)かぬか退(の)かぬか』

 車を曳(ひ)く牛飼の舎人(とねり)は、群雀(むらすずめ)のような童(わらべ)たちを追い退(の)け追い退け手綱を振って来た。

 その車の帳(とばり)の中には、三位(み)範綱が乗っていた。彼は今、一つの院の御所(ごしょ)から下がって来たのだ。

『北のお星とは、畏れ多いが上皇のひきいる北面(ほくめん)の御(おん)なぞらえ……京童(わらべ)の目には世相は映るものと見ゆる……』

 そう呟いて、車の中に夕闇(ゆうやみ)を垂(た)れ籠(こ)めた、範綱は深い沈思(ちんし)に耽(ふけ)ったまま、轍(わだち)の揺れも忘れて居た。

『早いものじゃ、去年(こぞ)(承安(しょうあん)二年)の五月十八日に、有範が逝かれて早一年近経った。松麿も五歳になった、吉光(きっこう)どのと二人の遺子(わすれがたみ)も引取って、亡き有範どのの志を身にひき代えて育(はぐく)んでは居るが…・・世間は何となく事多くなり、上皇の平家に対する御不満は愈々つのるばかりじゃ、ああ心懸(こころが)かりな……』

 と種々(しゅじゅ)な追憶(おもいで)や又亡き有範の臨終(いまわ)に二人の幼子(おさなご)を託されたことや、上皇(かみ)の御胸(おんむね)――惹いては此の先の世の乱れも目に浮んで、松麿(まつまろ)朝麿(あさまろ)の将来(ゆくすえ)も、そうした中に、什(ど)うこの責任を完全に、果し遂げらりょうと云うような事が、次々に繰返された。

 深く深く考えれば、都(みやこ)は今平和である。然しそれは咲満(さきみ)ちた平家一門の盛りの絶頂で、目には見えぬが此の世の中の何処(どこ)かで、胆(きも)を甜(ねぶ)って源氏の残党が、木の根草の根にその力を隠して、やがて盛返して来る予覚(よかく)がする――今にも雨もつ冷(つめた)い風を、そよそよと都へ吹き送って来るような――・

『箒(ほうき)星――箒星――』

 謎のような童謡がまだ聞える。と、ばらばらとこぼれ雨。

『お帰り――』

 車は、其時もう六条に着いていた。門の口から式台(しきだい)までは縫殿介(ぬいのすけ)が傘さしかけた。

『お帰り遊ばしませ』

  式台には、妻の葵(あおい)の前(まえ)を初め、当館(ここ)に有範の亡(な)い後(あと)ひき取られた吉光御前も松麿も朝麿も、見る目も美しく睦(むつま)じく並んで迎えた。

『お父様、お帰り遊ばせ』

   松麿も朝麿も、範綱の猶子(ゆうし)となってからは、お父様と呼び馴れていた。

 範綱はうなずいて、二人の稚(おさな)へ優しい笑(えみ)を見せて奥へ行った。一同も、思い思いの殿々へ戻った。吉光御前は、特にお館の奥まった、全くかけ離れた釣殿(つりどの)に、尼(あま)にも等しい生活をして居た。

『吉光どの、又御誦経(ごずきょう)かの』

 夜に入ってから、不意と範綱がこの釣殿(つりどの)へ見えた。

『御殊勝じゃ、仏(ほとけ)もさぞ欣(よろ)こばれてあろうず……おお松麿も精(せい)がお出やるのう』

 そう云い乍ら、簀子縁(すのこえん)を早や歩み入って来た。

『これは好うぞ……』

『お父様お越しなされましたか」

 吉光御前は珠数(じゅず)を、松麿は草紙(そうし)の筆を置いて、養父の席を設けて控えた。


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『朝麿はもう寝やってか、お見やれ、寝顔の裡(うら)に何処やらに、亡(な)き兄君の面影(おもかげ)に似かよわせつるわ』

 範綱は席へつくと、心から吾子のように見やって、松麿にも、

『其許(そもじ)はまた、あい変らず草紙習うてか、どれどれお見せやれ、や、大分(だいぶ)に上達せられたの、この文字は誰(た)が手本致したのじゃ』と文机(ふづくえ)の方へ手を伸した。松麿は神妙に、

『これは、叔父様(おじさま)の手本で厶(ござ)りまする』

『む、宗業(むねなり)が致されたか、道理、見事じゃ、弓矢太刀にはおさおさ退(の)かぬ範綱じゃが、書にかけては何せい宗業(むねなり)は、十七歳の時に早や君の御内勅(ごないちょく)を受けて、万葉集の数巻を十日のうちに書き上げた、誉れの腕じゃ、父などは遠く及ばぬ』

『もう日毎(ごと)に、お見え遊ばされては、あれこれと松麿にお学問下さります』

『そりゃ重畳じゃ、然し此頃はまた世騒がしゅうて、御所(ごしょ)の御用もめっきり殖えて来た、何時(なんどき)暇(いとま)欠(か)こうも知れぬに依って、今日ほど懇意(こころやす)い日野民部殿(ひのみんぶどの)にも、松麿修業のこと篤(とく)と頼んで置いた、明日よりは草紙(そうし)を抱えて、民部どの方へ通わせられい、雨風にうたするも一つは玉を磨く勤めじゃ』

『種々(いろいろ)とお心配り、忝(かたじけ)のうお座りまする』

『では、お父様、松麿はあのお学問に通うので厶(ござ)りまするか』

『そうじゃ、南家(なんけ)の儒生(じゅせい)、日(ひ)の民部(みんぶ)経忠(つねただ)殿(どの)なら、松麿、お身が師として耻かしゅうない、明日からは先ず孝経、進んで論語(ろんご)孟子(もうし)五経(きょう)と、勉強するのじゃ』

『お父様有難う御座いまする』

 松麿は心から、欣ばしそうな瞳(ひとみ)を輝かした。吉光御前も、無論同じ思いに違いなかった。


 宵からの雨足は、ようよう繁(しげ)くなって、庭面(にわも)に蕭条(しょうじょう)と降りそそいできた。

『此方(こなた)にお渡(わた)りで厶(ござ)りますか、只今お文(ふみ)で厶りまする』と近侍(きんじ)の侍従介(じじゅうのすけ)が文箱(みばこ)を持って御縁(ごえん)からこう告げた。

『文じゃ?』範綱(のりつな)は顧みて、『何方(いずこ)からじゃ』

『篠(しの)つく雨の中とも知れず、唯お上(かみ)の手許(てもと)へと許(ばか)り、逸(いつ)し去ってお座りました』

『どれ』手にとった。

 文箱を渡すと、侍従介は吉光御前と松麿へ、

『この雨に、さぞお物憂(ものう)い事で在(わ)しましょうと、唯今奥で御台(みだい)様が侍女(こしもと)対手(あいて)に歌合せ開きまする、奥様若君にもお出会せのよう、お言(こと)伝えがお座りました』

『参り合せまする、宜しゅうお伝え下さりませ』

吉光御前の返事を聞くと侍従介は下って行った。その間(ひま)に、文箱を開いた範綱は、送り主(ぬし)の知れぬ文に何やら驚いた目を走らして居た。

『偖(さて)、珍らしや喃(のう)』と読終った顔を上げて、『三年前、奥州へ下向(げこう)したと許(ばか)り絶えて噂のなかりつる、あの遮那王(しゃなおう)が文寄越(よこ)した』

『遮那王さま?……』

吉光御前には、ふとは思い出せなかった。

『それ、京の北山(きたやま)鞍馬寺(くらまでら)に在(あ)りつる、常盤(ときわ)が子牛若(うしわか)と呼んだ曹子(そうし)じゃ』

『おお牛若どのお文(ふみ)で厶(ござ)りましたか、珍らしともお懐(なつ)かしや』と吉光御前も、絶えて久しい従弟(いとこ)お文を手にとった。牛若の父義朝(よしとも)と、吉光御前の父義親(よしちか)とは、同じ将軍義家(よしいえ)を父とした兄弟である。

 我が子の松麿が、後に天地の一人の親鸞(しんらん)となる事も、その再従兄(またいとこ)たちが源九郎義経(げんくろうよしつね)、大将軍(たいしょうぐん)頼朝(よりとも)となる事も、この時まだ夢にも思わぬ事であったろう。

 と、再(また)も侍従介が見えた。

『お使者お越しで厶りまする、新大納言(しんだいなごん)成親(なりちか)様から……』

『お通し申し置かれい』

 侍従介は、足早に去った。


『昼は昼、夜は夜で忙(せわ)しい事じゃ、したが此の雨の夜に、新大納言様より何のお使じゃ……成親卿(なりちかきょう)、はての?』

 範綱は何か考え込んだ。


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 特に密(ひそか)のお使者とあって、烏帽子(えぼし)垂直(ひたたれ)に、太刀金具(たちかなぐ)も綺麗やかな二人の侍は、東の対(たい)の屋(や)なる塗籠(ぬりごめ)の一室に通された。

『折りから雨ふる中、御大儀(ごたいぎ)に存じ申す』

 範綱も、服改めて円座(えんざ)に着く。

『これは北面の兵衛所(ひょうえどころ)に詰めまする者、多田蔵人(ただのくらんど)と申しまする』

『近藤(こんどう)右衛門尉(うえもんのじょう)師高(もろたか)で、厶(ござ)ります』と先ず、会釈があった。

 蔵人はあらためて、

『新大納言殿直々(じきじき)にも伺わる可きはずでお座ったが、此の鬱気(うつき)に御不快のため、両名に篤(とく) 仰せ聞けお座りまする』

『左こそ、この日頃は、御所(ごしょ)に御姿(おんすがた)も拝さであッた』と範綱の語(ことば)に乗って右衛門尉(うえもんのじょう)も、

『その御不快も、一は当今時勢を御歎きの余り……』

『時勢のお歎きの余りと?……偖(さ)て喃(のう)、範綱にもその程(ほど)は、御推(ごす)もじも致されるが、この大きなる世の力は人、一人二人の力では愚か、今宵の雨をさえ、一瞬(とき)だに止めさせる事は得まいせいで喃(のう)

 範綱の言葉は、冷静で高く現世(げんせ)を大観して、人の力より時を深く信じて、徒(いたず)らには動かぬ風が見えて居た。

『御尤(ごもっと)もにお座ります』とやや座が白けたので範綱は、

『時に、お使いの御口上(ごこうじょう)は喃(のう)?』

『さればで厶(ござ)ります』と蔵人(くらんど)は、その機(き)をすかさず『新大納言(しんだいなごん)お申入れの儀は、それ等御欝懐(ごうつかい)を散じ、旁々(かたがた)北面(ほくめん)に仕え上皇(かみ)御奉公一意の方々と、久し振り十三日を喋じ合せて、鹿(しし)ヶ谷の俊寛(しゅんかん)僧都が庵(いおり)に、一日衆会(しゅうえ)いたして、何かと共々興(きょう)じ度き旨(むね)にお座りまする、就きまいては六条殿にも、是非お出合(いであわ)され下さるよう、篤(とく)申聞けられてお座りまいた』

『はて、此頃に珍らしい思い着かれじゃ、三井寺の裏山つづき、鹿ヶ谷の僧都が庵(いおり)に、一日の遊楽はさこそと偲ばれるが……御所の御用多(ごようた)で喃(のう)』

『その儀(ぎ)、必ずお気遣い遊ばされるな、既に当日は後白河(ごしらかわ)の上皇にも、竊(ひそ)かに御輦(みくるま)を忍(しの)ばせられまする』

『上皇(おかみ)にも、行幸(おしのび)遊ばせられると?』

『御意(ぎょい)にお座ります、されば、ただ徒然(つれづれ)の猿楽(さるがく)遊びとは事変り、そこに何か意味深いものあるを、御推察(ごすいさつ)あられませ』

『意味深いもの?』

 範綱は凝(じっ)と暫く腕を組んだ。高燈台(たかとうだい)の灯は煌々(あかあか)と、沈思(ちんし)の夜を喰い入って行く。

『そも、此の頃の世の態(さま)を、六条殿には何と思さるる、上皇(かみ)御身(おんみ)の上将来(うえゆくすえ)は、什(ど)うお考え遊ばしあるか、近くは雲上(うんじょう)の諸卿(しょけい)を超(こ)えて、宗盛(むねもり)が如き若輩(じゃくはい)が、右大臣(うだいじん)の権職(けんしょく)を犯すさえ、何とばし御覧ぜらるるか……』と蔵人(くらんど)は、或暗示を掲げて、範綱の胸へ火を投げた。

 その、静寂(しじま)の夜気の中に突然、何処(どこ)かでバリバリと云う、篠(しの)でも折るような音がした。続いて、

『おのれ、曲者(くせもの)お座(ざ)る、出合いなされ、出合なされ』と前栽(せんざい)の暗(やみ)で、おめき声。


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 さッと、降り飛沫(しぶ)く雨のくらさ。

『曲者(くせもの)、曲者』

 声は彼方(あなた)此方(こなた)から、母屋(おもや)宿直(とのい)の扉(と)を押っ開いて、思い思いの獲物(えもの)をとった。侍(さむらい)小者(こもの)は、ばらばらと前栽(せんざい)の闇(やみ)へ駈け降りて、漆(うるし)の暗を右往左往するのだった。

『それ、其方(そなた)へ、逃げた!』

『筑地(ついじ)を越えさすな!』

 駈け乱れ合う、熊笹(くまざさ)の音が凄(すさま)じい。と、

『己れッ』

応ッと、館(やかた)の裏手に当る大藪(おおやぶ)の中に、激しく格闘(かくとう)し合う吼(おめ)きと共に、闇(やみ)をつん裂く篠(しの)の折れる音が又もつづいた。

『曲者(くせもの)は捕え申した、静まられい静まられい』と縫殿介(ぬいのすけ)の高声で、藪(やぶ)の中から館(やかた)のうち中へ響き渡った。

『おお、胸騒ぎがした、皆様、曲者は捕われました、捕われました』と奧では、歌合せに興(きょう)じて居た奥方、吉光御前や侍女(じじょ)童(わらべ)たちが、ほっと胸なでおろした。

 その時、範綱(のりつな)が縁(えん)に立って、暗を透(すか)して見て居た、蔵人(くらんど)、右衛門尉(えもんのじょう)の三人も席を立った。

『紙燭(ししょく)!紙燭(ししょく)を』

 範綱(のりつな)は、高く恁(こ)う呼んだ。

 忽(たちま)ち、二点、三点、紙燭(ししょく)がお廊下を走り伝わって来て、雨うつ階(きざはし)の四辺(あたり)を明るう濡れ輝かした。

『縫殿介(ぬいのすけ)、手荒うすまい、その男开所(そこ)へ控えさせえ』と主客三人は、濡(ぬ)れ縁(えん)に床几(しょうぎ)をとった。

 階(きざはし)の下をと見れば、捕われた曲者(くせもの)は格闘した為め大童(おおわらわ)に髪も乱して、固く縛(くく)られた縄尻を縫殿介(ぬいのすけ)に持たれて、獣(けもの)のように面伏(おもふ)せて居る。

 紙燭(ししょく)の燈火(あかり)は、ともすれば雨と風とに滅しそうになった。

『縫殿介(ぬいのすけ)、してこの者は何方(いずかた)から忍び入ったのじゃ』

『何方(いずれ)からとも思えませで、ふと御使者との御対話を、彼(か)の御縁(おえん)の下から盗(ぬす)み聞いて居りましたるを見咎(みとが)めるうち逃げ去ったのでお座りまする』

『うむ、御使者の御間(おま)近う盗み聞き為(し)居ったか、して此の者は一名か喃(のう)』

『いま一人の影は、惜しゅう遁(のが)しましてお座りました』

『そうか、見れば牛飼の雜色姿じゃが、お使者の跡(あと)を尾(つ)ける奴(やつ)、世の常の盗人(ぬすびと)などではあるまい、誰ぞ、この男の面貌(めんぼう)に、心当りは無(な)いか喃(のう)』

 範綱はそう云い乍ら、自身も凝(じっ)とその男の姿を見た。

『面(おもて)を!面を上げい』

 一人の侍(さむらい)は、強く縄尻(なわじり)を引いて、腮(あご)へ手をかけた。

『おお、开奴(そやつ)は身の供人(ともびと)で御座る、尚お館(やかた)へ供して召連れ参った奴で御座りまする!』

 範綱の傍(かたわら)から、吃驚(びっくり)して云ったのは、多田蔵人(ただのくらんど)であった。


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 皆、目を睜(みは)った。

 蔵人行綱は、特に激怒の声を絞(しぼ)って、焦燥(あせ)り気味に、

『下司(げす)!仕丁姿(しちょうすがた)に窶(やつ)して、身が雑色の群(むれ)に入り込んだ奴、よも深い仔細(しさい)無いと云われまじ、誰人指図で忍(しの)び込んだ、そも、なに目的(めあて)に盗み聞き致した、云え吠(ほ)ざけ!うむ、云わずば弓で膚(はだ)ぷッ斬ろうぞ!』と烏帽子(えぼし)の顙に、北面武士(ほくめんぶし)の青筋を立てて、太刀(たち)の鍔(つば)さえ鳴らしたが、縛につた曲者(くせもの)耳が無いものにして一語(ご)も吐(は)かない。

 それから一時(とき)のあまりの後、使者の返答も不徹底(ふてってい)に、あぐねた曲者(くせもの)の吟味(ぎんみ)に業を煮やしただけで、二人の使者は、夜も更けるまま、六条の館から詮(せん)なく帰った。

『深い仔細のある奴』と睨(にら)まれた疑問の囚(とら)われ人は、範綱が一時預かって、館の一隅に監禁して置くことになった。

 無論、密使の影を追(つ)ける程の不敵な男、口脅(くちおど)しの吟味ぐらいで、泥(どろ)を吐こう筈はない。

 翌(あく)る、雨上りの露光る朝。

『何じゃ、怖(おそ)ろしいお早立ちじゃないか』

『昨夜(ゆうべ)の騒ぎと云い今朝(けさ)の御容子(ごようす)、又何か騒動の起る前兆(まえじら)せか、お召(めし)の御車(みくるま)かお馬かどうあるのじゃい』

 六条の館(やかた)の前はいつになく朝早くから舎人(とねり)雑色(ぞうしき)が口々に慌(あわ)て騒いだ。

 きっと唇かたく結んだ範綱は間も無く用意の出来た牛車を捨てて、白毛(しろげ)の馬に乗って御所(ごしょ)一の院(いん)へ走った。後から侍従介(じじゅうのすけ)と縫殿介(ぬのすけ)三、四の者が共に追った。

『六条殿、三位(み)殿(どの)には渡(わた)せられぬか』

 今し一の院に伺候(しこう)して上皇に謁し、半時ほどの御簾(みす)うちの内奏(ないそう)を遂げた範綱は、何がなし、深い憂(うれい)を眉(まゆ)の根に秘めて下って来た廻廊で、後からこう呼び止められた。

『おおこれは……」

 振り返って見るとその人は、故少納言入道信西(しんぜい)の息子(むすこ)、浄憲(じょうけん)法印(ほういん)と云う、院中のきれ者であった。

『これは、何日(つ)に無うお早いお姿を見るものじゃ』

『ちと、火急御内奏(ごないそう)の儀が厶(ござ)りまいて』

『六条殿もその辺り御配慮か……左こそ左こそ、人の憂いは一つじゃ、誠(まこと)法印もちと憂慮(ゆうりょ)が厶(ござ)って伺候(しこう)しまいた。何と喋じ合せも致し度い、人見えぬ泉殿へは参られぬか……』と法印の誘われる儘、人気のない奥の殿に二人は差し向った。

 法印は能弁(のうべん)だ、範綱は自らは深く語らず、ただ浄憲の言葉をのみ多く聞こうとした。

『新大納言(しんだいなごん)成親(なりちか)卿(きょう)から、何と、御辺(ごへん)に耳うちは厶らなんだか……妙音院殿左大将を辞せられたを機会(しお)に、驕(おご)り勝手な相国(しょうこく)入道(にゅうどう)、自身が身びいき小松重盛(こまつしげもり)を左大将(さだいしょう)へ、次男宗盛(むねもり)を中納言の低きより一躍徳大寺(とくだいじ)、花山院(かざんいん)の諸卿(しょきょう)を飛超えて右大将(うだいしょう)に任ぜられた、喃(のう)……さ开所(そこ)じゃ、新大納言成親卿は、前々から右大将のあとこそと思い込んでじゃ、夜々加茂の上社(かみやしろ)へさえ祈禱立願したとも聞くほどの執心じゃ……平家(へいけ)一門の吾れ身勝手が是(ぜ)か、新大納言その余の者が密(ひそか)にする所が非か……上皇(きみ)の御身(おんみ)、北面(ほくめん)の盛衰もかかって、此処にあるのじゃ……』と法印は、銀杏扇(いちょうおうぎ)を掌へ打って握った。