利用者:AntiquatedMan2025/森鷗外/妄想
河は迂回して海に
砂山の
いつやらの暴風に漁船が一艘跳ね上げられて、松林の松の梢に引つ懸つてゐたといふ話のある此砂山には、土地のものは恐れて住まない。
河は上總の
秋が近くなつて、薄靄の掛かつてゐる松林の中の、淸い砂を踏んで、主人はそこらを
あたりはひつそりしてゐて、人の物を言ふ聲も、犬の鳴く聲も聞えない。只朝凪の浦の靜かな、鈍い、重くろしい波の音が、天地の脈搏のやうに聞えてゐるばかりである。
丁度
それを見て、主人は時間といふことを考へる。生といふことを考へる。死といふ事を考へる。
「死は哲學の爲めに眞の、氣息を
これまで種々の人の書いたものを見れば、大抵
* * *
自分がまだ二十代で、全く處女のやうな官能を以て、外界のあらゆる出來事に反應して、內には嘗て挫折したことのない力を蓄へてゐた時の事であつた。自分は
晝は講堂や
さて自分の住む宿に歸り着く。宿と云つても、幾竈もあるおほ家の入口の戶を、邪魔になる大鍵で開けて、三階か四階へ、蠟マッチを擦り擦り登つて行つて、やうやう chambre garnie の前に來るのである。
高机一つに椅子二つ三つ。寢臺に箪笥に化粧棚。その外にはなんにもない。火を點して着物を脫いで、その火を消すと直ぐ、寢臺の上に橫になる。
心の寂しさを感ずるのはかういふ時である。それでも神經の平穩な時は故鄉の家の樣子が俤に立つて來るに過ぎない。その幻を見ながら寐入る。Nostalgia は人生の苦痛の餘り深いものではない。
それがどうかすると寐附かれない。又起きて火を點して、爲事をして見る。爲事に興が乘つて來れば、餘念もなく夜を徹してしまふこともある。明方近く、外に物音がし出してから一寸寐ても、若い時の疲勞は直ぐ恢復することが出來る。
時としてはその爲事が手に附かない。神經が異樣に興奮して、心が澄み切つてゐるのに、書物を開けて、他人の思想の跡を辿つて行くのがもどかしくなる。自分の思想が自由行動を取つて來る。自然科學のうちで最も自然科學らしい醫學をしてゐて、exact な學問といふことを性命にしてゐるのに、なんとなく心の飢を感じて來る。生といふものを考へる。自分のしてゐる事が、その生の內容を充たすに足るかどうだかと思ふ。
生れてから今日まで、自分は何をしてゐるか。始終何物かに策うたれ驅られてゐるやうに學問といふことに齷齪してゐる。これは自分に或る働きが出來るやうに、自分を爲上げるのだと思つてゐる。其目的は幾分か達せられるかも知れない。併し自分のしてゐる事は、役者が舞臺へ出て或る役を勤めてゐるに過ぎないやうに感ぜられる。その勤めてゐる役の背後に、別に何物かが存在してゐなくてはならないやうに感ぜられる。策うたれ驅られてばかりゐる爲めに、その何物かが醒覺する暇がないやうに感ぜられる。勉強する子供から、勉強する學校生徒、勉強する官吏、勉強する留學生といふのが、皆その役である。赤く黑く塗られてゐる顏をいつか洗つて、一寸舞臺から降りて、靜かに自分といふものを考へて見たい、背後の何物かの面目を覗いて見たいと思ひ思ひしながら、舞臺監督の鞭を背中に受けて、役から役を勤め續けてゐる。此役が即ち生だとは考へられない。背後にある或る物が眞の生ではあるまいかと思はれる。併しその或る物は目を醒まさう醒まさうと思ひながら、又してはうとうとして眠つてしまふ。此頃折々切實に感ずる故鄉の戀しさなんぞも、浮草が波に搖られて遠い處へ行つて浮いてゐるのに、どうかするとその搖れるのが根に響くやうな感じであるが、これは舞臺でしてゐる役の感じではない。併しそんな感じは、一寸頭を舉げるかと思ふと、直ぐに引つ込んでしまふ。
それとは違つて、夜寐られない時、こんな風に舞臺で勤めながら生涯を終るのかと思ふことがある。それからその生涯といふものも長いか短いか知れないと思ふ。丁度その頃留學生仲間が一人窒扶斯になつて入院して死んだ。講義のない時間に、Charité へ見舞に行くと、傳染病室の硝子越しに、寐てゐるところを見せて貰ふのであつた。熱が四十度を超過するので、每日冷水浴をさせるといふことであつた。そこで自分は醫學生だつたので、どうも日本人には冷水浴は危險だと思つて、外のものにも相談して見たが、病院に人れて置きながら、そこの治療方鍼に容喙するのは不都合であらうし、よしや言つたところで採用せられはすまいといふので、傍觀してゐることになつた。そのうち或る日見舞に行くと昨夜死んだといふことであつた。その男の死顏を見たとき、自分はひどく感動して、自分もいつどんな病に感じて、こんな風に死ぬるかも知れないと、ふと思つた。それからは折々此儘伯林で死んだらどうだらうと思ふことがある。
さういふ時は、先づ故鄉で待つてゐる二親がどんなに歎くだらうと思ふ。それから身近い種々の人の事を思ふ。中にも自分にひどく懷いてゐた、頭の毛のちぢれた弟の、故鄉を立つとき、まだやつと步いてゐたのが、每日每日兄いさんはいつ歸るかと問ふといふことを、手紙で言つてよこされてゐる。その弟が、若し兄いさんはもう歸らないと云はれたら、どんなにか嘆くだらうと思ふ。
それから留學生になつてゐて、學業が成らずに死んでは濟まないと思ふ。併し抽象的にかう云ふ事を考へてゐるうちは、冷かな義務の感じのみであるが、一人一人具體的に自分の値遇の跡を尋ねて見ると、矢張身近い親戚のやうに、自分に Neigung からの苦痛、情の上の感じをさせるやうにもなる。
かういふやうに廣狹種々の social な繫累的思想が、次第もなく簇がり起つて來るが、それがとうとう individuell な自我の上に歸着してしまふ。死といふものはあらゆる方角から引つ張つてゐる絲の湊合してゐる、この自我といふものが無くなつてしまふのだと思ふ。
自分は小さい時から小說が好きなので、外國語を學んでからも、暇があれば外國の小說を讀んでゐる。どれを讀んで見てもこの自我が無くなるといふことは最も大いなる最も深い苦痛だと云つてある。ところが自分には單に我が無くなるといふこと丈ならば、苦痛とは思はれない。只刃物で死んだら、其剎那に肉體の痛みを覺えるだらうと思ひ、病や藥で死んだら、それぞれの病症藥性に相應して、窒息するとか痙攣するとかいふ苦みを覺えるだらうと思ふのである。自我が無くなる爲めの苦痛は無い。
西洋人は死を恐れないのは野蠻人の性質だと云つてゐる。自分は西洋人の謂ふ野蠻人といふものかも知れないと思ふ。さう思ふと同時に、小さい時二親が、侍の家に生れたのだから、切腹といふことが出來なくてはならないと度々諭したことを思ひ出す。その時も肉體の痛みがあるだらうと思つて、其痛みを忍ばなくてはなるまいと思つたことを思ひ出す。そしていよいよ所謂野蠻人かも知れないと思ふ。併しその西洋人の見解が尤もだと承服することは出來ない。
そんなら自我が無くなるといふことに就いて、平氣でゐるかといふに、さうではない。その自我といふものが有る間に、それをどんな物だとはつきり考へても見ずに、知らずに、それを無くしてしまふのが口惜しい。殘念である。漢學者の謂ふ醉生夢死といふやうな生涯を送つてしまふのが殘念である。それを口惜しい、殘念だと思ふと同時に、痛切に心の空虛を感ずる。なんともかとも言はれない寂しさを覺える。
それが煩悶になる。それが苦痛になる。
自分は伯林の garçon logis の寐られない夜なかに、幾度も此苦痛を嘗めた。さういふ時は自分の生れてから今までした事が、上邊の徒ら事のやうに思はれる。舞臺の上の役を勤めてゐるに過ぎなかつたといふことが、切實に感ぜられる。さういふ時にこれまで人に聞いたり本で讀んだりした佛教や基督教の思想の斷片が、次第もなく心に浮んで來ては、直ぐに消えてしまふ。なんの慰藉をも與へずに消えてしまふ。さういふ時にこれまで學んだ自然科學のあらゆる事實やあらゆる推理を繰り返して見て、どこかに慰藉になるやうな物はないかと搜す。併しこれも徒勞であつた。
或るかういふ夜の事であつた。哲學の本を讀んで見ようと思ひ立つて、夜の明けるのを待ち兼ねて、Hartmann の無意識哲學を買ひに行つた。これが哲學といふものを覗いて見た初で、なぜハルトマンにしたかといふと、その頃十九世紀は鐵道とハルトマンの哲學とを齎したと云つた位、最新の大系統として贊否の聲が喧しかつたからである。
自分に哲學の難有みを感ぜさせたのは錯迷の三期であつた。ハルトマンは幸福を人生の目的だとすることの不可能なのを證する爲めに、錯迷の三期を立ててゐる。第一期では人間が現世で福を得ようと思ふ。少壯、健康、友誼、戀愛、名譽といふやうに數へて、一々その錯迷を破つてゐる。戀なんぞも主に苦である。福は性欲の根を斷つに在る。人間は此福を犧牲にして、纔かに世界の進化を翼成してゐる。第二期では福を死後に求める。それには個人としての不滅を前提にしなくてはならない。ところが個人の意識は死と共に滅する。神經の幹はここに絕たれてしまふ。第三期では福を世界過程の未來に求める。これは世界の發展進化を前提とする。ところが世界はどんなに進化しても、老病困厄は絕えない。神經が鋭敏になるから、それを一層切實に感ずる。苦は進化と共に長ずる。初中後の三期を閱し盡しても、幸福は永遠に得られないのである。
ハルトマンの形而上學では、此世界は出來る丈善く造られてゐる。併し有るが好いか無いが好いかと云へば、無いが好い。それを有らせる根元を無意識と名付ける。それだからと云つて、生を否定したつて、世界は依然としてゐるから駄目だ。現にある人類が首尾好く滅びても、又或る機會には次の人類が出來て、同じ事を繰り返すだらう。それよりか人間は生を肯定して、己を世界の過程に委ねて、甘んじて苦を受けて、世界の救拔を待つが好いと云ふのである。
自分は此結論を見て頭を掉つたが、錯迷打破には強く引き附けられた。Disillusion にはひどく同情した。そしてハルトマン自身が錯迷の三期を書いたのは、Max Stirner を讀んで考へた上の事であると自白してゐるのを見て、スチルネルを讀んだ。それから無意識哲學全體の淵源だといふので、遡つて Schopenhauer を讀んだ。
スチルネルを讀んで見ると、ハルトマンが紳士の態度で言つてゐる事を、無賴漢の態度で言つてゐるやうに感ずる。そしてあらゆる錯迷を破つた跡に自我を殘してゐる。世界に恃むに足るものは自我の外には無い。それを先きから先きへと考へると、無政府主義に歸着しなくては已まない。
自分はぞつとした。
ショオペンハウエルを讀んで見れば、ハルトマン・ミヌス・進化論であつた。世界は有るよりは無い方が好いばかりではない。出來る丈惡く造られてゐる。世界の出來たのは失錯である。無の安さが誤まつて攪亂せられたに過ざない。世界は認識によつて無の安さに歸るより外はない。一人一人の人は一箇一箇の失錯で、有るよりは無いが好いのである。個人の不滅を欲するのは失錯を無窮にしようとするのである。個人は滅びて人間といふ種類が殘る。この滅びないで殘るものを、滅びる寫象の反對に、廣義に、意志と名付ける。意志が有るから、無は絕待の無でなくて、相待の無である。意志が Kant の物その物である。個人が無に歸るには、自殺をすれば好いかといふに、自殺をしたつて種類が殘る。物その物が殘る。そこで死ぬるまで生きてゐなくてはならないといふのである。ハルトマンの無意識といふものは、この意志が一變して出來たのであつた。
自分はいよいよ頭を掉つた。
* * *
兎角する內に留學三年の期間が過ぎた。自分はまだ均勢を得ない物體の動搖を心の內に感じてゐながら、何の師匠を求めるにも便りの好い、文化の國を去らなくてはならないことになつた。生きた師匠ばかりではない。相談相手になる書物も、遠く足を運ばずに大學の圖書館に行けば大抵間に合ふ。又買つて見るにも注文してから何箇月目に來るなどといふ面倒は無い。さういふ便利な國を去らなくてはならないことになつた。
故鄉は戀しい。美しい、懷かしい夢の國として故鄉は戀しい。併し自分の研究しなくてはならないことになつてゐる學術を眞に研究するには、その學術の新しい田地を開墾して行くには、まだ種々の要約の闕けてゐる國に歸るのは殘惜しい。敢て「まだ」と云ふ。日本に長くゐて日本を底から知り拔いたと云はれてゐる獨逸人某は、此要約は今闕けてゐるばかりでなくて、永遠に東洋の天地には生じて來ないと宜告した。東洋には自然科學を育てて行く雰圍氣は無いのだと宣告した。果してさうなら、帝國大學も、傳染病研究所も、永遠に歐羅巴の學術の結論丈を取り續ぐ場所たるに過ぎない筈である。かう云ふ判斷は、ロシアとの戰爭の後に、歐羅巴の當り狂言になつてゐた Taifun なんぞに現れてゐる。併し自分は日本人を、さう絕望しなくてはならない程、無能な種族だとも思はないから、敢て「まだ」と云ふ。自分は日本で結んだ學術の果實を歐羅巴へ輸出する時もいつかは來るだらうと、其時から思つてゐたのである。
自分はこの自然科學を育てる雰圍氣のある、便利な國を跡に見て、夢の故鄉へ旅立つた。それは勿論立たなくてはならなかつたのではあるが、立たなくてはならないといふ義務の爲めに立つたのでは無い。自分の願望の秤も、一方の皿に便利な國を載せて、一方の皿に夢の故鄉を載せたとき、便利の皿を弔つた緖をそつと引く、白い、優しい手があつたにも拘らず、慥かに夢の方へ傾いたのである。
シベリア鐵道はまだ全通してゐなかつたので、印度洋を經て歸るのであつた。一日行程の道を往復しても、往きは長く、復りは短く思はれるものであるが、四五十日の旅行をしても、さういふ感じがある。未知の世界へ希望を懷いて旅立つた昔に比べて寂しく又早く思はれた航海中、籐の寢椅子に身を橫へながら、自分は行李にどんなお土產を持つて歸るかといふことを考へた。
自然科學の分科の上では、自分は結論丈を持つて歸るのではない。將來發展すべき萌芽をも持つてゐる積りである。併し歸つて行く故鄉には、その萌芽を育てる雰圍氣が無い。少くも「まだ」無い。その萌芽も徒らに枯れてしまひはすまいかと氣遣はれる。そして自分は fatalistisch な、鈍い、陰氣な感じに襲はれた。
そしてこの陰氣な闇を照破する光明のある哲學は、我行李の中には無かつた。その中に有るのは、ショオペンハウエル、ハルトマン系の厭世哲學である。現象世界を有るよりは無い方が好いとしてゐる哲學である。進化を認めないではない。併しそれは無に醒覺せんが爲めの進化である。
自分は錫蘭で、赤い格子縞の布を、頭と腰とに卷き附けた男に、美しい、青い翼の鳥を買はせられた。籠を提げて舟に歸ると、フランス舟の乘組員が妙な手附きをして、「Il ne vivra pas !」と云つた。美しい、青い鳥は、果して舟の橫濱に着くまでに死んでしまつた。それも果敢ない土產であつた。
* * *
自分は失望を以て故鄉の人に迎へられた。それは無埋もない。自分のやうな洋行歸りはこれまで例の無い事であつたからである。これまでの洋行歸りは、希望に輝く顏をして、行李の中から道具を出して、何か新しい手品を取り立てて御覽に入れることになつてゐた。自分は丁度その反對の事をしたのである。
東京では都會改造の議論が盛んになつてゐて、アメリカのAとかBとかの何號町かにある、獨逸人の謂ふ Wolkenkratzer のやうな家を建てたいと、ハイカラア連が云つてゐた。その時自分は「都會といふものは、狹い地面に多く人が住むだけ人死が多い、殊に子供が多く死ぬる、今まで橫に並んでゐた家を、竪に積み疊ねるよりは、上水や下水でも改良するが好からう」と云つた。又建築に制裁を加へようとする委員が出來てゐて、東京の家の軒の高さを一定して、整然たる外觀の美を成さうと云つてゐた。その時自分は「そんな兵隊の並んだやうな町は美しくは無い、強ひて西洋風にしたいなら、寧ろ反對に軒の高さどころか、あらゆる建築の樣式を一軒づつ別にさせて、ヱネチアの町のやうに參差錯落たる美觀を造るやうにでも心掛けたら好からう」と云つた。
食物改良の議論もあつた。米を食ふことを廢めて、澤山牛肉を食はせたいと云ふのであつた。その時自分は「米も魚もひどく消化の好いものだから、日本人の食物は昔の儘が好からう、尤も牧畜を盛んにして、牛肉も食べるやうにするのは勝手だ」と云つた。
假名遣改良の議論もあつて、コイスチヨーワガナワといふやうな事を書かせようとしてゐると、「いやいや、Orthographie はどこの國にもある、矢張コヒステフワガナハの方が宜しからう」と云つた。
そんな風に、人の改良しようとしてゐる、あらゆる方面に向つて、自分は本の杢阿彌說を唱へた。そして保守黨の仲間に逐ひ込まれた。洋行歸りの保守主義者は、後には別な動機で流行し出したが、元祖は自分であつたかも知れない。
そこで學んで來た自然科學はどうしたか。歸つた當座一年か二年は Laboratorium に這人つてゐて、ごつごつと馬鹿正直に働いて、本の杢阿彌說に根據を與へてゐた。正直に試驗して見れば、何千年といふ間滿足に發展して來た日本人が、そんなに反理性的生活をしてゐよう筈はない。初から知れ切つた事である。
さてそれから一步進んで、新しい地盤の上に新しい Forschung を企てようといふ段になると、地位と境遇とが自分を爲事場から撥ね出した。自然科學よ、さらばである。
勿論自然科學の方面では、自分なんぞより有力な友達が大勢あつて、跡に殘つて奮闘してゐてくれるから、自分の撥ね出されたのは、國家の爲めにも、人類の爲めにもなんの損失にもならない。
只奮闘してゐる友達には氣の毒である。依然として雰圍氣の無い處で、高壓の下に働く潛水夫のやうに喘ぎ苦んでゐる。雰圍氣の無い證據には、まだ Forschung といふ日本語も出來てゐない。そんな概念を明確に言ひ現す必要をば、社會が感じてゐないのである。自慢でもなんでもないが、「業績」とか「學問の推挽」とか云ふやうな造語を、自分が自然科學界に置土產にして來たが、まだ Forschung といふ意味の簡短で明確な日本語は無い。研究なんといふぼんやりした語は、實際役に立たない。載籍調べも研究ではないか。
* * *
かう云ふ閱歷をして來ても、未來の幻影を逐うて、現在の事實を蔑にする自分の心は、まだ元の儘である。人の生涯はもう下り坂になつて行くのに、逐うてゐるのはなんの影やら。
「奈何にして人は己を知ることを得べきか。省察を以てしては決して能はざらん。されど行爲を以てしては或は能くせむ。汝の義務を果さんと試みよ。やがて汝の價値を知らむ。汝の義務とは何ぞ。日の要求なり。」これは Goethe の詞である。
日の要求を義務として、それを果して行く。これは丁度現在の事實を蔑にする反對である。自分はどうしてさう云ふ境地に身を置くことが出來ないだらう。
日の要求に應じて能事畢るとするには足ることを知らなくてはならない。足ることを知るといふことが、自分には出來ない。自分は永遠なる不平家である。どうしても自分のゐない筈の所に自分がゐるやうである。どうしても灰色の鳥を青い鳥に見ることが出來ないのである。道に迷つてゐるのである。夢を見てゐるのである。夢を見てゐて、青い鳥を夢の中に尋ねてゐるのである。なぜだと問うたところで、それに答へることは出來ない。これは只單純なる事實である。自分の意識の上の事實である。
自分は此儘で人生の下り坂を下つて行く。そしてその下り果てた所が死だといふことを知つて居る。
併しその死はこはくはない。人の說に、老年になるに從つて增長するといふ「死の恐怖」が、自分には無い。
若い時には、この死といふ目的地に達するまでに、自分の眼前に橫はつてゐる謎を解きたいと、痛切に感じたことがある。その感じが次第に痛切でなくなつた。次第に薄らいだ。解けずに橫はつてゐる謎が見えないのではない。見えてゐる謎を解くべきものだと思はないのでもない。それを解かうとしてあせらなくなつたのである。
この頃自分は Philipp Mainlaender が事を聞いて、その男の書いた救拔の哲學を讀んで見た。
此男は Hartmann の迷の三期を承認してゐる。ところであらゆる錯迷を打ち破つて置いて、生を肯定しろと云ふのは無理だと云ふのである。これは皆迷だが、死んだつて駄目だから、迷を追つ掛けて行けとは云はれない筈だと云ふのである。人は最初に遠く死を望み見て、恐怖して面を背ける。次いで死の廻りに大きい圈を畫いて、震慄しながら步いてゐる。その圈が漸く小くなつて、とうとう疲れた腕を死の項に投げ掛けて、死と目と目を見合はす。そして死の目の中に平和を見出すのだと、マインレンデルは云つてゐる。
さう云つて置いて、マインレンデルは三十五歲で自殺したのである。
自分には死の恐怖が無いと同時にマインレンデルの「死の憧憬」も無い。
死を怖れもせず、死にあこがれもせずに、自分は人生の下り坂を下つて行く。
* * *
謎は解けないと知つて、解かうとしてあせらないやうにはなつたが、自分はそれを打ち棄てて顧みずにはゐられない。宴會嫌ひで世に謂ふ道樂といふものがなく、碁も打たず、象棋も差さず、球も撞かない自分は、自然科學の爲事場を出て、手に試驗管を持たなくなつてから、稀に畫や彫刻を見たり、音樂を聽いたりする外には、境遇の與へる日の要求を果した間々に、本を讀むことを餘儀なくせられた。
ハルトマンは人間のあらゆる福を錯迷として打破して行く間に、こんな意味の事を言つてゐた。大抵人の福と思つてゐる物に、酒の二日醉をさせるやうに跡腹の病めないものは無い。それの無いのは、只藝術と學問との二つ丈だと云ふのである。自分は丁度此二つの外にはする事がなくなつた。それは利害上に打算して、跡腹の病めない事をするのではない。跡腹の病める、あらゆる福を生得好かないのである。
本は隨分讀んだ。そしてその讀む本の種類は、爲事場を出てから、必然の結果でがらりと變つた。
西洋にゐた時から、Archive とか Jahresberichte とか云ふやうな、專門の學術雜誌を初卷から揃へて十五六種も取つてゐたところが、爲事場に出ないことになつて見れば、實驗の細かい記錄なんぞを調べる必要がなくなつた。元來かう云ふ雜誌は學校や圖書館で買ふもので、個人の買ふものではなかつたのを、政府がどれ丈雜誌に金を出してくれるやら分からないと思ふのと、自分がどこで爲事をするやうになるやら分からないと思ふのとで、數千卷買つて持つてゐたが、自分は其中で專門學科の沿革と進步とを見るに最も便利な年報二三種を殘して置いて、跡は悉く官の學校に寄附してしまつた。
そしてその代りに哲學や文學の書物を買ふことにした。それを時間の得られる限り讀んだのである。
只その讀み方が、初めハルトマンを讀んだ時のやうに、饑ゑて食を貪るやうな讀み方ではなくなつた。昔世にもてはやされてゐた人、今世にもてはやされてゐる人は、どんな事を言つてゐるかと、譬へば道を行く人の顏を辻に立つて冷澹に見るやうに見たのである。
冷澹には見てゐたが、自分は辻に立つてゐて、度々帽を脫いだ。昔の人にも今の人にも、敬意を表すべき人が大勢あつたのである。
帽は脫いだが、辻を離れてどの人かの跡に附いて行かうとは思はなかつた。多くの師には逢つたが、一人の主には逢はなかつたのである。
自分は度々此脫帽によつて誤解せられた。自然科學を修めて歸つた當座、食物の議論が出たので、當時の權威者たる Voit の標準で駁擊した時も、或る先輩が「そんならフォイトを信仰してゐるか」と云ふと、自分はそれに答へて、「必ずしもさうでは無い、姑くフォイトの壘に據つて敵に當るのだ」と云つて、ひどく先輩に冷かされた。自分は一時の權威者としてフォイトに脫帽したに過ぎないのである。それと丁度同じ事で、一頃藝術の批評に口を出して、ハルトマンの美學を根據にして論じてゐると、或る後進の英雄が云つた。「ハルトマンの美學はハルトマンの無意識哲學から出てゐる。あの美學を根據にして論ずるには、先づ無意識哲學を信仰してゐなくてはならない」と云つた。なる程ハルトマンは自家の美學を自家の世界觀に結び附けてはゐたが、姑くその連鎖を斷つてしまつたとして見ても、彼の美學は當時最も完備したものであつて、而も創見に富んでゐた。自分は美學の上で、矢張一時の權威者としてハルトマンに脫帽したに過ぎないのである。ずつと後になつてから、ハルトマンの世界觀を離れて、彼の美學の存立してゐられる、立派な證據が提供せられた。ハルトマン以後に出た美學者の本をどれでも開けて見るが好い。きつと美の Modification と云ふものを說いてゐる。あれはハルトマンが剏めたのでハルトマンの前には無かつた。それを誰も彼も說いてゐて、ハルトマンのハの字も言はずにゐる。默殺してゐるのである。
それは兎に角、辻に立つ人は多くの師に逢つて、一人の主にも逢はなかつた。そしてどんなに巧みに組み立てた形而上學でも、一篇の抒情詩に等しいものだと云ふことを知つた。
* * *
形而上學と云ふ、和蘭寺院樂の諧律のやうな組立てに倦んだ自分の耳に、或時ちぎれちぎれの Aphorismen の旋律が聞えて來た。
生の意志を挫いて無に入らせようとする、ショオペンハウエルの Quietive に服從し兼ねてゐた自分の意識は、或時懶眠の中から鞭うち起された。
それは Nietzsche の超人哲學であつた。
併しこれも自分を養つてくれる食餌ではなくて、自分を醉はせる酒であつた。
過去の消極的な、利他的な道德を家畜の群の道德としたのは痛快である。同時に社會主義者の四海同胞觀を、あらゆる特權を排斥する、愚な、とんまな群の道德としたのも、無政府主義者の跋扈を、歐羅巴の街に犬が吠えてゐると罵つたのも面白い。併し理性の約束を棄てて、權威に向ふ意志を文化の根本に置いて、門閥の爲め、自我の爲めに、毒藥と匕首とを用ゐることを憚らない Cesare Borgia を、君主の道德の典型としたのなんぞを、眞面目に受け取るわけには行かない。その上ハルトマンの細かい倫理說を見た目には、所謂評價の革新さへ幾分の新しみを殺がれてしまつたのである。
そこで死はどうであるか。「永遠なる再來」は慰藉にはならない。Zarathustra の末期に筆を下し兼ねた作者の情を、自分は憐んだ。
それから後にも Paulsen の流行などと云ふことも閱して來たが、自分は一切の折衷主義に同情を有せないので、そんな思潮には觸れずにしまつた。
* * *
昔別莊の眞似事に立てた、膝を容れるばかりの小家には、佛者の百一物のやうになんの道具も只一つしか無い。
それに主人の翁は壁といふ壁を皆棚にして、棚といふ棚を皆書物にしてゐる。
そして世間と一切の交通を絕つてゐるらしい主人の許に、西洋から書物の小包が來る。彼が生きてゐる間は、小さいながら財產の全部を保菅してゐる Notar の手で、利足の大部分が西洋の某書肆へ送られるのである。
主人は老いても黑人種のやうな視力を持つてゐて、世間の人が懷かしくなつた故人を訪ふやうに、古い本を讀む。世間の人が市に出て、新しい人を見るやうに新しい本を讀む。
倦めば砂の山を步いて松の木立を見る。砂の濱に下りて海の波瀾を見る。
僕八十八の薦める野菜の膳に向つて、飢を凌ぐ。
書物の外で、主人の翁の翫んでゐるのは、小さい Loupe である。砂の山から摘んで來た小さい草の花などを見る。その外 Zeiss の顯微鏡がある。海の雫の中にゐる小さい動物などを見る Merz の望遠鏡がある。晴れた夜の空の星を見る。これは翁が自然科學の記憶を呼び返す、折々のすさびである。
主人の翁はこの小家に來てからも幻影を追ふやうな昔の心持を無くしてしまふことは出來ない。そして既往を回顧してこんな事を思ふ。日の要求に安んぜない權利を持つてゐるものは、恐らくは只天才ばかりであらう。自然科學で大發明をするとか、哲學や藝術で大きい思想、大きい作品を生み出すとか云ふ境地に立つたら、自分も現在に滿足したのではあるまいか。自分にはそれが出來なかつた。それでかう云ふ心持が附き纏つてゐるのだらうと思ふのである。
少壯時代に心の田地に卸された種子は、容易に根を斷つことの出來ないものである。冷眼に哲學や文學の上の動搖を見てゐる主人の翁は、同時に重い石を一つ一つ積み疊ねて行くやうな科學者の勞作にも、餘所ながら目を附けてゐるのである。
Revue des Deux Mondes の主筆をしてゐた舊教徒 Brunetiére が、科學の破產を說いてから、幾多の歲月を閱しても、科學はなかなか破產しない。凡ての人爲のものの無常の中で、最も大きい未來を有してゐるものの一つは、矢張科學であらう。
主人の翁はそこで又こんな事を思ふ。人間の大厄難になつてゐる病は、科學の力で予防もし治療もすることが出來る樣になつて來た。種痘で疱瘡を防ぐ。人工で培養した細菌やそれを種ゑた動物の血淸で、窒扶斯を防ぎ實扶的里を直すことが出來る。Pest のやうな猛烈な病も、病原菌が發見せられたばかりで、予防の見當は附いてゐる。癩病も病原菌だけは知られてゐる。結核も Tuberculin が予期せられた功を奏せないでも、防ぐ手掛りが無いこともない。癌のやうな惡性腫瘍も、もう動物に移し植ゑることが出來て見れば、早晚予防の手掛りを見出すかも知れない。近くは梅毒が Salvarsan で直るやうになつた。Elias Metschnikaff の樂天哲學が、未來に屬してゐる希望のやうに、人間の命をずつと延べることも、或は出來ないには限らないと思ふ。
かくして最早幾何もなくなつてゐる生涯の殘餘を、見果てぬ夢の心持で、死を怖れず、死にあこがれずに、主人の翁は送つてゐる。
その翁の過去の記憶が、稀に長い鎖のやうに、剎那の間に何十年かの跡を見渡させることがある。さう云ふ時は翁の炯々たる目が大きく睜られて、遠い遠い海と空とに注がれてゐる。
これはそんな時ふと書き捨てた反古である。