作者:藤原定家
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←作者索引: ふ | 藤原定家 (応保2(1162) - 仁治2(1241)) |
藤原 定家(ふじわら の さだいえ)は、鎌倉時代初期の公家・歌人。藤原北家御子左流で藤原俊成の二男。最終官位は正二位権中納言。歌人の寂蓮は従兄、太政大臣の西園寺公経は義弟にあたる。2つの勅撰集、『新古今和歌集』、『新勅撰和歌集』を撰進。ほかにも秀歌撰に『定家八代抄』がある。歌論書に『毎月抄』『近代秀歌』『詠歌大概』があり、本歌取りなどの技法や心と詞との関わりを論じている。家集に『拾遺愚草』がある。拾遺愚草は六家集のひとつに数えられる。宇都宮頼綱に依頼され『小倉百人一首』を撰じた。『源氏物語』『土佐日記』などの古典の書写・注釈にも携わった。また、『松浦宮物語』の作者は定家とする説が有力である。18歳から74歳までの56年にわたる克明な日記『明月記』を残した。— ウィキペディア日本語版「藤原定家」より。 |
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