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作者:今川貞世

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作者索引: い 今川貞世
(嘉暦元年(1326年)- 応永27年8月28日(1420年10月5日)?)
    今川 貞世(いまがわ さだよ)は、鎌倉時代後期から南北朝・室町時代の武将、守護大名。室町幕府の九州探題、遠江、駿河半国守護。九州探題赴任中は備後、安芸、筑前、筑後、豊前、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩の守護も兼ねた。歌人としても名高い。和歌は祖母の香雲院や京極為基、冷泉為秀らに学び、連歌では二条良基らに学び、二条良基主催の年中行事歌合に参加している。正徹とも交友。禅や儒学なども行う。『言塵集』という歌論書や、九州探題としての赴任途中の紀行文『道ゆきぶり』を残す。兼好法師の弟子である命松丸とも親交があり、命松丸が九州下向へ従っている事などから『徒然草』の編纂にも関わっているとも言われるが、否定的研究もある。晩年には学者として著作に専念し、『難太平記』は古典『太平記』を難ずる意味の歴史書で、応永の乱における自らの立場や、太平記に記されない一族の功績を記している。— ウィキペディア日本語版今川貞世」より。

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