佐久間軍記/信玄遠州出張

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叡山合戰 ↑佐久間軍記 →信玄病死付槇島合戰事


信玄遠州出張

元龜三年壬申十月廿二日。遠州味方原合戰。義昭公。信長ノ救ヲ以。武將ニ備給フトイヘトモ。信長公。自己ノ繁榮ヲ先トシ。守禦ノ忠。日ヲ逐テ衰シカハ。義昭公。信長ヲ誅セント。濳ニ武田信玄ヲ招給フ。信玄喜之。今年十月。軍勢三萬ヲ帥ヒ。遠州ヘ出二俣ノ城ヲ攻。家康公ヨリ信長公ヘ加勢ヲ請給フ間。佐久間右衞門尉ヲ爲大將。七頭ヲサシコサル。其内信玄。二俣ヲ攻落。十二月廿二日。味方原ヘ出張。家康公濱松ヲ出城有リ。御備ハサイカカケニツキテ右ニアリ。佐久間信盛七頭ヲ隨其左之備。信玄以大勢。信盛備ヲ手アツク押ヘ。御勢ニ向テ合戰。御家勢終ニ敗北ス。家康公サイカカケヲ帥入。東ノ御門ヨリ入セ給フ。甲兵。御跡ヲシタ 掛リ。大勢サイカカケヘ落。人馬カサナリ死。家康公。濱松ノ本城ニ入。御旗ヲ立サセ給フ。公軍士等馳入。城ヲカタム。佐久間信盛。同久六安政手廻ハカリニテ城中ニ籠。信玄城ノ堅固ヲ見テ不攻入。廿四日。兵ヲ引取ト云々。



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