伊勢紀行

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伊勢紀行

權大僧都堯孝


永享五の年彌生中の七日。大神宮御參詣の事侍り。明らけき日のおほむ神。御たびのよそほひに光をそへ。のどかなる風のみや。御道すがらのちりひぢをはらはせおはしますにや。御進發の日より淸くうらゝか也。

 長閑なる御代にも高き神風は君か光りに立やそふらん

河原過侍りて。

 みそきして朝立袖にかけてけりかつ白河の浪のゆふして

逢坂こえ侍るに。去年の秋富士御覽の御ともに侍し事も思ひ出られて。

 此春も又こそむすへあふ坂や去年みし秋の關の淸水を

 惠ある代にあふ坂はみにこえて嬉き關のゆきゝ也けり

うち出のはまを。

 朝ほらけ日も打出の濱風に霞をこゆる春のさゝ波

松もとのあたりにて。

 名に立る千世の松もと待かひもありふる影に靡くとそみる

勢田のはし渡り侍るとて。

 あふみ路や勢田長橋日もなかしいそかてわたれ春の旅人

そこはかとなく霞わたれる朝氣の程。畔を過侍るに。うねのなどはいづくなるらんと覺えて。

 春の田のうねのやいつこほのと霞にこめて明ぬ此よは

野路と申所にて。

 いつれにも春行旅の袖ふれん霞もふかき野路の朝露

草津を過侍るとて。

 分きつる春の草津の草若みかるまてもなく駒もすさめし

みな口の御とまりにて。

 水無口やけふの御影をやとすより行末遠き名に流つゝ

十八日。夜をこめての立侍りしに。殘月朧々たるに川音さやかに聞ゆ。

 行水の音はさやけき川せにも霞てよとむ有明の月

いはむろと申所あり。

 君もみよ千代をこめたる岩室の岩に生そふ松の齡を

土山といへる所あり。

 うこきなき名に顯るゝあらかねの土山こゆる御代の畏こさ

かどや坂とかやにて。

 心せよ關路の岩のかとや坂こえはかぬへき旅ならすとも

坂の下にて。

 神も又幾萬度むかふらん君か八千世のさかの下みち

鈴か山こえ侍るに。春深く明ていたれる中に。殘花一樹盛にて雪のやうにみえ侍りしを。

 鈴か山春もやすらふ關路とやふりはへ花の雪そ殘れる

とよく野はるとわけ侍るとて。

 君か代を先こそあふけ廣きのへ末遙なる道に出ても

あのゝつ近く成て。そこともわかぬ遠山。霞の隙々よりみゆ。

 いせの海の浦にはしほや滿ぬらん霞引たるあのゝ遠山

十九日。此御とまり夜ふかく立て。海の邊過侍るにうら風はげしくて。

 春なからいせをのあまのぬれ衣猶ひやゝかに浦風そ吹

雲津の里と申侍りし所にて。

 明やらぬ雲津の里の夕霞よそさへ深き春の色かな

星合の里とかやにて。

 里の名に絕ぬ星合あひかたのたなはたつめの契ともかな

かさ松と云あたり過侍りしに。

 おのつからゆきゝの宿やかさ松のかけに立よる旅の諸人

見わたりの程。朝和のうら氣色いとみ所多かり。餘て撥掉綣去浪疊朝霞繡飜といへるふる事も。めのまへにぞうかび侍るや。

 こく船も霞わたりて朝和の浦半のみるめあかすも有哉

たてり繩手と申所に賤の女などのひなびたるおほくぞ立ならびて行客をみる。

 都人みるそとみえて賤の女もたてる繩手に立ならひつゝ

あやひがさと云所をかくして。

 飛鳥のおりし色よりくれは鳥あやひかさまに春をしたはん

くし田川わたり侍るとて。

 しめはへるくしたの川の水淸みわたる心のあかものこらす

齋宮と申あたり過侍るに。昔覺ゆることも侍りし中にも。天曆の御時かとよ。齋宫下り給ふけるに。朝忠中納言長奉送使に侍りて。萬代のはじめと今日を祈り置て今行末は神そしるらんと詠ぜし事おもひ出られ侍りて。

 萬代といのる心はけふそへんいつきの宫の跡をたすねて

あけ野とかやにて。

 分ゆかん花にあけのゝ俤も霞に殘るしのゝめの空

さむ風といへるは富士の根みゆる所なめりと聞侍りて。

 ふしのねの雪をほのみてたかせより寒風としも爱をいふ覽

土大佛と申は。俊乘上人とかやきこえしひじりの。東大寺再興の事を祈請のため大神宮にまうで侍りしに。夢の吿ありて。あやしき牧童の現じてつくりなせる毗盧遮那の御かたちなるベし。是又應化利生の御ちかひは靈山淨土の生身。よもへだてあらじかし。

 此山はわしの高ねか更に又遮那の姿を仰きみるかな

みや川御祓など嚴重におぼえて。

 我君の高きみそきを宮川や波の白ゆふ千世もかけこせ

山田に御着のほど。

 契りある千木高知て神もさそ君待えたるけふの嬉さ

廿日。御參宮の日也。夜もすがら雨ふり風さはがしかりしが。辰の刻計空こゝちよく晴て。御出の儀ことにありがたくぞみえさせおはしましける。公卿殿上人馬くらをかざり。衞府御隨身あざやかなる袖をつらねて供奉し侍るよそほひ。きらしくぞ侍りし。抑御神五十鈴の川上に宫所をしめ。高天の原に千木高知。下つ磐根に大宮柱廣敷たてゝしづまりまします事は。世を守り。國をたもち。人をはごくむ御ちかひ成るべし。今我君豐蘆原千五百秋瑞穗國をつかさどりおはしまして。神をあがめ。政をたすけ。民をなで給ふ御めぐみも。神慮に隔なくおはしますは。太田命の八萬歲をたもちましまして。御子孫萬世ならん事のいともかしこく覺侍るまゝに。詠進三首。

 今朝は又天の八重雲晴にけりよのまの雨や道淸むらん

 およふへし君か齡も萬とし八度重し神のむかしに

 君も猶幾世々かけて仰かまし高天の原の神のしめ繩

同じ夜法樂になぞらへて。心ひとつによみ侍りし六首。

   春

 言の葉の花に殘れと祈る哉高き神代の春の匂ひを

   夏

 あふきみる心も凉し神風やなひく千枝の松の村たち

   秋

 名に高き神路の山の秋の月嘸よゝ越て君照すらん

   冬

 年つもるかけをもみよと朝熊やかゝみの宮にふれる白ゆき

   戀

 さのみやはつれなかるへき絕て猶思ふ御祓の數を重ん

   雜

 たのむそよ內外の森のゆふたすきかけてを惠め此世後の世

廿一日。つとめて山田を御立の時。

 五十鈴川名に流けり我君のいのるてふことなるにまかせて

宮川渡り恃るに。明方の月さやかにいと神さびけり。

 わすれめや殘る廿日の月かほをほのみや川の春の曙

うへ川の橋と申所にて。

 旅人のかけさへみゆるわたり哉春行水の上川のはし

よひのもりを。

 此比の月見る宵の森ならは猶旅人の立やよらまし

うらと過侍るに。あまどものしはざさまざま也。汐干にまてと云ものさしとるを見て。

 いせの海のあまのまてかきまてはし[マヽ]都のつとに我も拾ん

あこぎがうらにて。

 あひきするあこきか浦の沖つ浪かへりみるめや旅も重つ

あふのうらはいづくなるらん。

 春深みあふのうらなし時きぬとかたえの外も花や咲らん

みぎはにつのぐみたる蘆なども見え侍り。

 かりねにも春やは人のおりしかんまたうら若きいせの濱荻

けふの御とまりはあのゝつ也。日高く着て。三條の宰相中將家歌よませられ侍りしに。

   春月

 有明の比にも成ぬさらてたに春は霞をいてかての月

   待戀

 たか爲に催すかねそたのめしも我は忘ぬ夕暮の空

   旅行

 敷嶋の道廣き世の旅なれは言の葉草や枕にもせん

廿二日。しらつかの松を見やりて。

 霞立綠の末とひとつにて明行空のしらつかのまつ

とよく野にて。

 なひくてふ民の草葉の末なれや年もとよくののへの道芝

野澤邊のあたりに。野飼の牛あまたみえ侍る。

 澤邊なる野飼の牛もおのつからつのくむ□

くるまやといふ所あり。

 日そ永き道は遙々めくれともまた車やのめくるとはなし

關川とかやを。

 君か代に流れ久しき關川の千年にこゆる浪のまに

野せの町やと申わたり。すみれ咲たるをみて。

 春深き野せの町屋つほ菫色に染てふ人やつむらん

坂の下過てすゞか山こえ侍るに。つゝじ咲。籐匂ひて。暮春の興をつどへたるに。鶯さへしきりになく。

 咲きにけり坂の下てる姬つゝし遠き神代の春を殘して

 是も又袂にかけつ鈴か川八十瀨の外の春の藤なみ

 鶯も音をこそ盡せ鈴か山ふり捨て行春を恨て

山中の宿と申所にて。

 蘆引の山の山中行道も猶あふ人のしけき旅かな

野を分侍るに。すみれわらびなど生まじりていと興あり。

 紫のちりにましはる菫草つむ手もふるゝ程とこそみれ

雲雀ある聲聞ゆ。

 分くるゝ春の野もせのかり枕こよひ雲雀に床やならへん

水口に御着の時。

 春は猶かへすあら田にせき入て水のみな口かすも有かな

廿三日。かしは木の里と申所過侍るとて。

 今よりは葉守の神も宿しめん春の綠の柏木の里

うへ田川原にて。

 今幾日あらは早苗もうへ田川せきいるゝ水の春深き比

かなやまとかやを。

 神代より岩ねこりしくかな山を□君か爲かと

大津の濱にも歸り至り侍ぬ。天智の昔皇都をひらかれ。中興の祖にて萬の道を越さ[越ゆ]せ玉ひしことなど思ひ出奉りて。

 ふりにける大津の宫とをきてみれはあめの帝の昔おもほゆ

なきた水海のかぎりなくかすめり。みぎはに氣色ばかり立くる浪のかへるも。千代をかぞふるにやと聞なされて。

 長閑なるしまのうらはの小波もかへるゝ千世の音そ聞ゆる

御道中一日も雨のさはりと申事さへ侍らで。□なりぬ。まことに天道にも神鑒にもかなはせおはしましける事。有がたく目出度覺侍りて。

堯 孝


 我君の心の儘に照すより天津日の神光のとけし

十月十三日。今度御道中詠進の和歌。勒一卷進覽之由被仰下仍馳筆。翌日令持參者也。

 右普廣院殿御參宮之時記云々

  右伊勢紀行平山等山藏本書寫挍合了

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。