了凡四訓

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第一篇 立命の學說[編集]

  立命とは何か,即ち自分自身が運命を創り出すのであつて運命に束縛されないことです。本篇「立命の學說」は立命を學問として討論し其の道理を解釋したものです。袁了凡先生は自己の經驗,目にした凡ゆる運命改造の試煉を彼の息子袁天啓に告げそして息子に運命に束縛されることなく,如何に些細な善事でも真心込ゆて全力を盡くして行い更に如何なる小さな惡とも斷絕する樣心掛ければ必ず自己の運命を變えられるものであると言うて有ります。所謂「惡を斷ち善を修め」ば「災去り福來る」此れが運命改造の原理です。   了凡居士曰く『私は幼年に父を亡くしたので母が私に學業を捨て國家試驗(仕官の途)を諦めて醫學を修める事を望みましたそして母が言うには「醫學はお金を稼ぎ生活の糧になる上人を救う事が出來,更に醫術を深く學べば名醫となります,これが亡父の生前の念願でした」。然し其の後私は慈雲寺で一人の長い髭を蓄え一見飄然として仙人を思はせる非凡な容貌をした老人に會いました。私はこの老人に敬意を表したらこの老人は私に「お前は役人に成れる運命だ來年試驗に參加し學校に進學出來るのに何故學問をしないか」と問はれた,私は母親が私に仕官の途を諦め醫學に進む事を望んだ所以を話したそして老人にお名前,出身地等を尋ねた,老人は私の問いに答えて曰く「私は姓を孔と言い雲南の出身である,宋朝時代邵康節先生が精通しておられた氣數運命を專問に論ずる皇極數の傳承人であるこの皇極數の命理の定めに依れば私はお前に此の皇極數を傳えることに成る筈だ」,そで、私は老人を家に招き母に此の事情を話した母は私に老人を好く款待する樣言い付けそして言うには「老人が命數の道理に精通して居られるなら試しにお前の運命を見て貰らうたら」と。その結果孔先生の推算は極めて小さな事迠良く當った。私は孔先生の話を聞き遂いに勉強する氣になって母方の從兄の沈稱に相談した從兄は彼の親しい友人郁海谷が私塾を開いて學生を收容して居るから寄宿生として其處で勉強したら好いと言い私を郁先生に紹介して下れたので郁先生の門生として師事することに成りました。孔先生は或る時,私の運命を推算して言うには「お前が未だ秀才(國家試驗の初級合格)の資格を取得しない少年期に縣級試驗で十四位の成績を取り府級試驗では七十一番,省級試驗は九番の成績で「合格する筈だ」と予言した翌年私は此の三つの試驗を受けたが成績は正に予言と全く同じだつた。孔先生は又私の一生の吉凶禍福を推算して言うには「某年に何位かで秀才に合格し某年には秀才より一級上の廩生に補充され,某年に更に一級昇んだ貢生になる貢生の資格を取つた後或る年に四川省の某縣知事に任命され在任三年半で辭職して故鄉に戾りそして五十三歲の年の八月十四日早朝に他界するであらう惜しい事にお前には子息が無い」。これらの話を私は總べて記錄し深く腦裡に刻みこんだ。其の後私の凡ゆる國家試驗の合格順位は孔先生の推算した數字を離れることが無かつた然し私が廩生になり俸祿九十一石五斗に成つてからようやく貢生に昇級出來る推算は意外にも祿七十一石の時に學台(教育廳長)の屠宗師(宗師とは學台に對する敬稱)が私を貢生に補充することを許可した,私は內心孔先生の推算にも幾許かの錯誤があると疑がい始めたが豈計らんや,其の後別の代理學台楊宗師に依つて取り消された。時が過ぎ丁夘年(西紀一五六七年)に殷秋溟宗師が私の不合格とされた試驗答案を見て「此の答案に書かれた,五篇策は皇帝に上奏する價值のある文章に匹敵するものだ此の樣な博學の士が老いるま、に埋沒するとは」と慨嘆したそして縣知事に私を貢生に補充する公文書の提出を命じ,貢生補充の許可を與えた。其の上又幾らかの俸祿を加給されたので以前の七十一石を併せて丁度祿高九十一石五斗となつた,私は此の變化に遭遇したので更に一層人間の功名の浮沈は總べて運命に定めらてあるものと信ずる樣い成つた。好運に向う時間の早晚も矢張り宿命に定めらてあるから功利に一切執着せず成るが僅に任せた。   私は貢生に任命された後規定に從い北京の國家大學に入學勉強する事となつて北京に一年滯在した,其の間每日朝から晚迠靜坐の上一切話をせず且っ思いを巡らすことなく凡ゆる文字(書籍)を見なかった。己巳年(西紀一五六九年)に南京の國家大學に戾り勉強することに成つた,然し私は國家大學に入る前に先立って棲霞山の雲谷禪師に拜見した禪師は悟りを開いた高德を僧である。私は禪室で禪師と三日三晚目を閉じることなく對坐した。禪師が私に問うた「凡ゆる人が聖人と成り得ないのは妄念が常時心中に絡らんで去來するからである然しお前は三日間の靜坐中曾つて不正な考えが湧き出たのを遂いに見る事が無かつたこれは如何なる理由か」私はこれに答えて言つた「私の運命は孔先生に推算して頂きました,何時生れ,何時死に,何時功利の得失があるか總べて宿命として定められて變えることが出來ないから彼れ此れ考えた所で無意義に過ぎませんそれで一切の空想妄想をしません」,私の話に禪師は笑い乍ら「私はお前を立派な英傑と見たが本來は唯の平々凡々な俗物であつたのか」と話した私は禪師の言葉の意味を了解することが出來ず其の真意を確めた。   雲谷禪師曰く「普通の人はあれこれ妄想する心が無いとは言えない,若し常に妄念があれば必ずや陰陽の宿命の束縛を受けることになります,但しこれは普通の人が制約を受けそのであつて極ゆて善良な人を拘束することは出來ません,即ち極善な人に譬え苦しい宿命があつたとしても此の人が至大な善事を行えば此の善事から出た德の力に依つて苦を樂に換え更に貧賤短命を富有長壽に變える事か出來ます。而し極惡な人も又宿命の約束を得られません,極惡な人は本來福を享受出來る宿命があつたとしても大きな惡事なしたが為に其の惡事から出た力に煩わされ福が禍となり,富貴長壽が貧賤短命と成ります,お前のこの二十年來の運命は總べで孔先生の推算に拘束され些かも轉換してないばかりでなく逆に宿命に固く縛ばられている,人が宿命の拘束を受けば此れ即ち凡夫であり此の見地から言えばお前は凡夫でなければ何か」,それで私は又禪師に問うた「貴方のお言葉に依れば人は宿命から逃げることか出來ると言うのですか」禪師答えて曰く「運命は自分自身が創るものであり福は己が求めるものである,惡をなせば福は自然に減り善を行えば自然と福が得られます,昔から各種の詩書に言はれているのが明らかな教訓です。佛教の經典にも善事を盡す人は富貴を求めば富貴を得,子女を求めば子女を得,長壽を求めば長壽を得られると申してます。一途に善行を積めば運命は其の人を拘束出來ません,この道理は確實です,なぜなら噓偽はお釋迦樣に取つては禁忌ですからまさか作り言で人を騙すことがありませうか」然し私は十分に理解出來ないので更に一步進んで問うた「孟子が曾つて全ては求めば得られるものである」と言うたこれは自己の意志で成し遂げられる事を指しますか若し私の心の中に無いものをどうして得るのでせうか,例えば道德仁義が完全に私の心の內にあるとせば私が一人の道德仁義を具備した者にならうと心掛けば自然に道德仁義の持主に成ることか出來ます,これは自己が力を盡くして求め得るものであるが故で然し功名富貴は內在的な物ではなく身外物で他人が與えて下れることに依り始めて得られる物である若し他人が與えて下れければどうして得ることが出來ませう,では私は如何なる方法を以つて求めば好いでせうか」。禪師曰く「孟子の言は間違つてないが然しお前の解釋は間違つているお前は六祖慧能大師の言はれた事を見ていない,各種の凡ゆる福運は人の心に依つて決定される,福は心から離れない。心の外で福を探し求めることは不可能です福の種を蒔くか或は災の種を蒔くかは單えに心の中にあるのです,只一途に心から福を求めば思いが通じない事がありませうか,自分の心中に對して求められるものは內心の道德仁義のみならず身外の功名富貴も又求め得ることが出來,これを內外兩得と言います,言葉を換えて云えば福の種を蒔いてあれば仁を求め義を求め福を求め祿を求める事は必ず叶えられるものです,人に若し功名富貴の運命があれば求めずとも得ることが出來若し其の運命が無ければ如何なる方法を用いて努力しても得られません。   因つて人間は自己檢討と反省をせずに只盲目的に外に向つて名利福壽を追求して結果は天命にか,つて居り自分で把握出來ません。これは孟子の「道德を以つて求めば之れを得る運命あり」の言に一致します。譬え得たとしてもろれは未來の宿命的なもので自分の求めに依る效果ではありません因つて求め得るものは求め、求め得ないものは妄りに求める必要はなく若し強要すれば身外の功名富貴を得ることが出來ないばかりか手段を選ばない貪慾な亂行の為に本來ある道德仁義を失い內外兩失の憂目を見るので無闇に求めるのは少しも益に成らない事を知るべきです」   [唯ひたすらに心の中から善行を積むことに依つて富貴を求めば富貴を得子女を求めば子女を得長壽を求めば長壽を得られます,即ち心は福を培う田園であるので福は心の中にある事を銘記し妄りに求めない事です]   雲谷禪師が更に問うた「孔先生はお前の生涯の運命をどの樣に占つたのか」を,それで私は孔先生が私の試驗成績がどうで何時官職に就き何歲で死亡する等を詳細に互つて話した,禪師又曰く「自分でよく考えて見よお前は國家試驗を受けて功名を得るべきか,子息があるべきかを」。私は過去の自分の一切の行為を振り返り長考の上ようやく答えて言つた「私は試驗を受けるべきでない又子息もないと思う何故なれば功名を得られる者は大概福相がある私は面相が薄いので福も薄い其の上福を得る功德善行の基礎に欠けて居り又繁雜,零細な事を處理する忍耐力なく他人の些かな過失をも寬容出來ません,且つ性急にして胸量狹く其の上自尊自大で自分の才幹,智力は他人より上にあると自負し氣儘に思つて居る事なやり話したいことを遠慮なく話します,斯樣な舉動は福の薄い相ですから國家試驗に受かる筈がありません。   清潔を好むのは本來良い事ですが然し度を越してはいけません,過度は惡癖です。不潔な地こそ多くの物を生み出し非常に清潔な水では魚は養えないと言はれて居ります(中國の俗言)私の過度な潔癖は私を人情味の無い者にしてしまいましたこれが私に子息が無い第一の原因に成つたのでせう。   天地は溫和な日光、風、雨の滋養の潤いに賴つて始めて萬物が生長します私はよく癎癪を起し和氣を育くもうとしないのでこれが子息の無い第二の原因に成つていませう。   仁愛は生物の根本です若し心が殘忍で慈悲に欠けて居つなら丁度種の無い果實に等しく種がないので果樹が芽ばえません,又私は自己の名譽を大切にすること丈を知り自分を犧牲にして他人の成功を助成する德行を些も積んでないのでこれが子息の無い第三の原因でせう。   饒舌は元氣を損ね易いと言います私は話が多過ぎるので元氣を失し體調が惡いので子息が無い第四の原因に成つてます。   人は精(精力)氣(生氣)神(精神)に賴つて活きてます,私は酒を好む為精神の消耗が激しく精力不足になります,これでは譬え息子を生んだとて長壽の可能がありません,これが息子の無い第五の原因です。   人は日中眠らず夜就寢すべきですが私は常に夜通し坐して眠らず精神の生氣を養うことを知らないのでこれ又子息の無い第六の原因に成つてます,其の外又又話し終えない多くの過失があります」。禪師曰く「國家試驗に合格出來ないばかりでなく恐らく他にも得られない事が多くありませう。福の有無は全く心によつて造られることを知る可きです智慧のあるものは明らかに總べては自業自得と知つて居りますが愚者は總べてを運命のせいにします。譬えば此の世で千萬の財產を所有する人は必ず千萬に值する果報を享受出來る人です百萬の財產を擁する人は百萬の福報を受ける人です,餓死する人は必然餓死しなくてはならない因果を持つた人です,善人が德を積めば天は其の人が受けるべき福を增加して下れます,惡人が惡事をなせば天は彼が當然受けるべき禍を更に重くします,天は彼等が本來受けるべき賞罰に更に幾許が加重するのみで別な意味はありません」。   以下述べる事は雲谷禪師が俗人の見解を借りて了凡先生に德を積み善を行う努力をする樣勸告したものです「例えば子息を得ることは蒔いた種がどうであるかに依ります蒔いた種が厚ければ實りも多いが蒔いた種が薄ければ結果も薄いものになります若し或る人が百代に互る德を積んであれば必ず百代の子子孫孫が福を保持し十代の德を積めば必定十代の子孫が福を有し,二代三代の德を積んだ者は二、三代の子孫が福を享受することになります,只一代だけの福を享受する人或は次の代に成れば子孫が絕える人は彼の德が薄い為です,恐らく罪過をも多く積んで居りませう。お前は既に自己の短所即ち國家試驗に受からず且つ息子が無い樣々な福の薄い原因を知つたからには全力を盡くして其の欠點を正し改めるべきです,必ず德を積み他人に對しては慈悲心を以つて其の一切を許容すると共に和氣靄々と接しるして自己の精神を大切にすることです。今迠の一切合切は過ぎ去た昨日の死の如く以後の一切合切は今日の初誕生に似ていると言う樣にすることが出來ればお前は恰かも義理道德の生命を再生した事に成ります。私達のこの血と肉でできた体さえ一定の運命があるのに義理道德の生命は何んで天を感動し得ないでせうか。書經太甲篇で言は「天が汝に降した災は或は避けられるが然し自己が造つた罪惡には報いがあり心安らかに愉快に此の世で活きることが出來ない」詩經でも言うてますが人は常に自己の行為は天道に適つてるかを反省すべきです若し天の道に適つているなら多くの福は求めずとも自然に得られるものです,因つて福を求めるか禍を招くかは自己の行為にかかつてます。   [書經に天か作つた惡は反對すべきであり。自己か作つた惡は死あるのみと説いてます。又詩經でも常に自己の行為は天道に合致しているかとうかを反省し禍を招くか福を得るかは一切自分自身にかかつて居ると書いてあります]孔先生が占つたお前の運命の國家試驗に合格出來ず子息が無いと言うことは天が定めたものですが然し此れを變える事も可能です。お前が本來先天的に持つている德性を擴大し出來る限り多くの善行をして陰德を積み福を造る事です。此れはお前自身が造り上げた福です他人に奪はれませんので自分で享受出來ない筈はありません。易經は仁義の心に厚い有德の士に吉祥の地に赴く方向及兇惡なや人危險のある仕事或は危險のある地を避ける方法を教えてます,若し運命は絕對不變であるとせば吉祥は一體何處に向けばあり。兇惡又如何にして避けられませうか。   易經の書き出し第一章で常日頃善舉を行つている家庭には必ず豐富な福があつて子孫に傳えることか出來ると言えてます,この道理をお前は本當に信ずること出來ますか」   私は禪師の言を信じたそして彼の教えを受け入れ,お禮申し上げると同時に今迠の誤つた行為或は犯した罪惡の大小輕重を問はず總べてを佛前に告白した且つ國家試驗合格の祈願をすると共に天地及先祖が私を此の世に送つて下れた大恩大德に報いるべく三千件の善行をすること誓つた。禪師は私が三千件の善行をする誓いを立てたのを聞いて私に善惡の準則を示し其の定めに則とつて行動し善行は善の項目に惡行は惡の欗に每日記錄する樣求めた。但し惡行は惡の大小に鑑みて既に記入した功から扣除し又更に準提咒文を唱えて佛の力を加えば希望し求める事がもつと效果的に叶えられるであらえと教えて下れまた。禪師又曰く「咒文を書く某專問家が曾つて言うには「咒文を書けない人は鬼神の嘲笑を受けます、咒文はある種の祕法で傳達して來たものです,咒文を書く時は念頭に不正な考えがあつてはいけないばかりか正當な思考であつても總べてを放棄して心に些かも雜念が無い樣清淨に掃き清める心要があります,何故なれば些細な雜念があつても心は清淨でなくなります。心が動搖しない段階に到れば筆を用いて紙上に點を書きます,これを混沌の狀の打開と稱します。完全な一枚の咒文はこの一點から書き始めるので此の一點が咒文の根本です,この點に始まり完成する迠一意專心に書けば此の咒文は非常に靈驗顯たかです。咒文を書く時には雜念を挾まないばかりか妄念せずに心から運命の革新を天に祈禱すれば必ずや天を感動させ得ませう」孟子が立命の道理に就いて曰く「短命と長壽には何の違いも無い」と聞いた途端奇怪に思う筈だ何故なれば短命と長壽は相反し完全に異なる事でありどうして同じと言えませう,然し人に妄念が無い時は恰かも胎兒が又胎胞の中にあるのと等しく短命,長壽の分別を理解出來ません,母胎から出た後,徐々に知識がつき物事を分別出來る樣に成つてから前世に行つた各種の善行,惡行の報い受けて初めて短命と長壽の違いが現はれます。因つて運命は自分が造るものです。若し立命の二字を分けて講ずれば富と貧には違いが無いと見るべきです,富有な人は其の財勢に賴つて亂行をすべきでないし,貧者は勿論自暴自棄に成つて惡行をすべきでない,どんなに貧しくても分に應じた善良な人であれば必ず本來の貧相を富有な運命に改めることが出來ます。   富有な人はもつと富有となりそして持久出來ます。運命の行き詰り或は通ずる事は別に大異ないと見るべきです,志を得てない人は自分が志を得てないから一切を顧みず荒唐な振舞いをしてはいけません,志を得た人は權勢を盾に他人を欺いて罪行を造つてはいけないばかりか。志を得れば得る程善をなし惡を去つて福運を廣める樣努力すべきです。此の樣にして初めて本來の行き詰つた運命を志を得られる運命に改め事が出來ます,既に志を得た人は一層順調に發達するのです。短命と長壽は差異があると思つてはいけない,短命だからと言つて活きている內に隨意に惡事を働いて自己を污し墮落してはいけない既に短命であることを知ればもつと善行を積み來世は再び短命でない樣希望すべきです或は善行を積んだ德に今生の壽命の延長が叶えられませう。長壽の運命ある者は自分は長く活きられるから憚らずに盜み、邪淫、其の他の惡事を犯すべきでない、長壽は容易に得られないことを理解しもつと善行をしてこそ長壽が保てるのですこの道理を明確に知つて初めて本來の短命を長壽に變え或は本來長壽である人はもつと健康と長壽が得られるのです。人が此の世に於ける最も重大なことは生と死です短命と長壽は人に取つて同意義であると言う最も嚴肅な事に言及しましたが其の外一切の順境,富有,出世或は逆境貧困不出世等總べて其の內に包括されてます。孟子が説く立命の學問は唯生命の長短に言及したのみで富有,貧困,出世,不出世を論じて無い道理はこ、にあるのです。   禪師續いて又曰く「孟子が説いた「待つを以つて修身とする」言は人に時時刻刻修養し德を積んで些かな過失や罪惡をも犯してはいけないことを言うたものです,運命は變えられるかどうかに至つては其の人の積德の如何にか、つてあり天に求める事です。「修」の字に就いて説明すると譬えば身に微かなりとも過失や罪惡があれば恰かも病氣の完全治療をする樣に悉く消し去る必要があります「待つ」は修養の年期が深まれば自然に運命が好轉するから急がず慌でず身分不相應な考えを持たないと同時に心中の雜念を斷絕することです。この樣な狀態に到ることか出來れば既に先天不動の境界に入つたものでこの實力これ本當に世間に通用する學問です。   雲谷禪師又曰く「平常一般の人の行為は心中の考えに基づいて動くもので凡て心の支配によつて為した事は自然とは言えず痕跡を殘します,お前は未だ不動心の境地に至つてないから準提咒文を念ずるが好い,勿論記憶するとか何回唱えたかを數える必要はない只ひたすらに間斷なく一心に唱えるが好い非常に習熟すれば自然に口から唱え出て自分で自覺することが無いこれを「持ち乍ら持たず」と言い其の反面唱えて無いが然し心の中では唱えて居ると感ずることを「持たざる中に持つ」と言う,念咒をこの境地に成る迠唱えることが可能であれば。自己と咒文と唱えが一體となり自然に雜念が入り込まないでせうこの樣に成れば唱えた咒文は必ず靈驗が有る筈です但し此の實力を培うには常に實踐を伴う必要があります」   私の最初の號は「學海」でしたがこの日から號を「了凡」に改めました,既に立命の道理を知つたから私は凡夫と同列したくないので凡夫の持つ見解を一掃して「了凡」と呼ぶことにしました,其の後每日愼しみ深く氣を配るので自分でも以前と大い異つたと感じました。以前の拘束を受けない無思慮な性格は現在自然に一種の用心と愼しみと戰々兢々々とした謙虛な態度に變り,暗室の樣な人のいない所に居つても常に天地鬼神の怒りを恐れたものです。私に嫌氣を持つて居る人或は私を誹謗する人に平然と接することが出來,論爭しない樣になつた。雲谷禪師に會つてから二年私は禮部(文部省に相當)の國家試驗を受けに行つた,孔先生の占つた運命に依れば第三位に合格する筈だ誰が知らう意外にも一位を取つた。孔先生の占いが外れ始めた。彼は私が舉人(官職名)に合格するとは占つてなかつたが秋には予想してなかつた舉人に合格出來た。これは私の運命には定めらてない事なので雲谷禪師の「運命は改造が可能だ」の言を一層信じる樣に成つた。   私は過去の過失を多く改めたが尚當然行はなければいけない事情に會つての一心不亂に處理することが出來ない,譬え處理したとしても強いられた樣な不自然な感覺があるので更に自己點檢と反省を要し又又多く過失がある樣に感じた。例えば善事を見れば行うとするが但し大膽に前向きに全力を盡して行えない或は人の救助を要する狀況に遭遇した時心中常に疑惑があつて堅い決心の下に人助けが出來ません私は無理なしてでも善事を行うが然し常に失言して罪過を犯してます。私は頭が冴えてる時は自己の行動を抑制出來るが酒に醉えば亂行となるので善事を行つて積んだ德は多くの過失による罪を補ふに足りない狀態で常に時間の浪費をして居ります。己巳年(西紀一五六九年)に雲谷禪師の教訓を聞いて三千件の善事をすると發願してから十年經つた己邜年(西紀一五七九年)に初めて三千件の善行を完成する事が出來ました,丁度其の時に私は李漸庵先生と共に關外(東北三省昔日の滿洲)から關內(中國の華北)に歸えつて來たばかりで自分のやり遂げた三千件の善事を即刻迴向(自己の德行を天地、父母に報告し以前の犯した過失の贖罪をすると共に一般民眾に替つて懺悔すると言う意味)する時間が無く庚辰年(西紀一五八○年)に北京から南方に歸えつて來てやつと高德な性空、慧空兩大和尚により東塔禪堂(禪堂とは和尚が修業する所)を借りて迴向の心願を叶えました。此の時に至つて私は子息を求める願望が起きたので又三千件の善行をする大願を發し,辛己年(西紀一五八一年)にお前が生れ天啓と名付けた。   私は善事を一つ行う每に筆を以つて記錄したがお前の母は字が書けないので善行を一件する度に鵝鳥の羽管で曆の上に赤い丸印を押して記した。貧乏な人に食物を與えたとか或は食用に供される生きた動物を買つて來て自然界に戾してやる每に一つの赤い丸印をしたので一日に十幾つぁの丸印が曆の上に殘る事があり此れは一日に十數件の善事を行つた證しです。   此の樣にして癸未年(西紀一五八三年)の八月に至つて三千件の善行を達成することが出來たので再び性空和尚等に請うて自宅で迴向(前述の說明と同)の儀を行つた,其の年の九月十三日又進士(國家最高試驗)に受かる樣願をかけそして一萬件の善事をする誓をてた,丙戍年(西紀一五八六年)に希望通り進士に合格し吏部(國家公務員の管理官廳)によつて寶坻縣々長に任命された,私は縣長在職中,空白の手帳を常に攜帶していた,そして此の手帳を治心篇と稱した,この意味は心に不正な邪念が起きるのを防ぐ為「治心」の二字を取つたのです。   每日役所で案件の審理なする時この手帳を事務桌の上に置き其の日為した善事惡事の大小を問はず總べて治心篇に記入し夜官服を換えて庭に机を設け,宋朝の鐵面御史(鐵面とは公正無私に職務を執行する官吏に對する一種の敬稱、御史とは朝庭の官名)趙閲道に倣つて香を焚き天の神に祈ると共に報告をなした。勿論每日欠かさずに。然しお前の母は私の為した善事が多く無いのを見て常に眉をひろめて言うには「以前私は家に居つて貴方が善行を為すのを一緒に成つて助けて來たから發願した三千件の善事の完成を遂げることが出來たが現在貴方は一萬件の善行をする誓願をした,然し役所ではするべき善事が少い何時迠待てば完成出來ませうか」お前の母がこの話をした後の夜寢た時に私は夢の中で遇然天神を見た,私は一萬件の善行の容易でない理由を報告申し上げた所天神は「お前が縣長をして單に租税を減らした丈で一萬件の善行に匹敵する,既に圓滿に完了した」と言はれた。もともと寶坻縣は田一畝(一○○平方m)當り二分三厘七毛の高い地租を徵收して居たが私は百姓の負擔が重過ぎると考え全縣の田畑を整理し一畝の租税を一分四厘六毛に減らした,この一事は確かにあつたが何うして天神の知ること,成つたのか且つ只此の一件丈で何故一萬件の善事に相當するかに大きな疑惑を抱いた。丁度この時に五台山(中國の有名な佛教の聖地)の幻余禪師が寶坻に來たのでこの夢を話して「夢を信じても好いか」と問うた。幻余禪師が言はれるには「善行は誠心誠意を以つてするものであり決して空言噓偽でなしたり報酬を得ることを望んではいけない。此の樣であれば只一件の善事を行つても一萬件の善行に相當します,まして貴方は全縣の地租を輕減し全縣の農民が減税の恩惠に浴して居り千萬を數える百姓が重税の苦しみから脱することが出來これによつて得た福は少くありません」私は禪師の話を聞いて直ちに私の得た全ての俸祿(俸給)を捐出し五台山に居る一萬人の僧侶に齋食の供養をお願いしました且つ又僧侶供養の德行をも迴向(前の説明參照)致しました。   孔先生の占つた私の運命に依れば五十三歲の年に災厄があると定めれて有りました然し此の年,別に天に延壽の祈りをしてないのに意外にも何の病苦もなく息災でした其の上六十九歲の現在に至つて居ります。書經上に説 かれてる「天命を容易く信じてはいけない人には一定した運命が無い只自分に依つて創造するものである」と。この樣な説は些かも噓偽でない私は初めて人の禍福は總べて自分で求めるものであることを知つた。此の説は聖人賢士の言でありまして若し禍福は天命であると言う人は凡傭俗人であります。[天命を安易に信ずるなかれ,人の運命は定められたものではなく且つ固定したものでもない自己の努力によつて創造されるものであり若し人の禍福は天が定めるものであると言う者は凡人であり聖賢士の言うことでは無い]   人の運命は畢竟どうであるかは計り知れないものがあるので例え榮達富貴が當然運命の中に有つたとしての常に志を未だ得て無いものと思え例え何事も心の思う儘に順調であつても常に意の儘にならず不順であると思う必要がある。例え目前衣、食、住に困ることがなくとも尚貧困であると思え例え他人に好かれ尊敬されて居るとしても矢張り愼しみ深く謙虛な心を持つこと例え家世は代々名聲があつて人々の重視を受けて居るとしても矢張り身份の低いものであると思え例え博學であつても學問尚淺はかであると思う心要があります。   此の六種の考え方は問題を反面から見たものですこの樣に謙遜であれば自然に道德が進み同時に福も自然に增加するものです。   遠くに(昔)話を及ばすなら當然祖先の德行を宣揚し傳承することです。近來の話なれば,父母に若し過失があれば父母に代つて遮ることですこれ即ち孟子が言うた「父は子を庇い,子は父を庇う」の大義を説明します話が上の國家社會に及べば勿論國家社會の恩惠に報いる考えがなくてはいけません下の自己の家に及べば一家の幸福を造ることを考える必要があります,外に對する時は先づ他人の急難を救助することを考え,內に對しては自己が邪惡な思考に墜ちない樣予防すべきです。   此の六種は問題を凡べて正面から肯定したものです,常にこの樣な心構えがあれば必ず人格のある君子に成れます。   人は每日自己に過失が有るかどうか知るべきです過失を知つて初めて改める事か出來ます,過失を察知することが出來ずに安逸に日々を送れば進步を得られません,天下には多くの聰明な俊才が居るが然し彼等は道德を修めず且つ事業の努力を肯じないのは只因循(保守的)の二字の為に現情に甘じ前進し樣としないから一生を誤る事に成るのです。   雲谷禪師が話した「立命」の教えは最も精彩で深く且つ真實であり最も正しい道理ですお前が詳細に研究することを望むと共に全心全力を盡くして實踐し貴重な光陰を空しく無馱に過してはいけません。


第二篇 改悛の方法[編集]

  人は生れ乍らにして聖人に非ずなればどうして過失を犯さないでせう孔子は「過ちあれば改めることを恐れるな」と言はれました。過ちがあれば改めることを恐れてはならない因つて袁了凡先生は運命改造の道理と方法を説いた後續いて過失を改める方法を詳細に互つて息子袁天啓に訓示を與えた,小さな過失をも改める樣に成れば自然に大きな罪過を犯さない樣に成ります。   春秋時代(中國の二千余年前)當時各國の高級官吏は常に人の言論行為を以つて其の人が如何なる吉凶禍福に遭遇するかを判斷したが常に當つて居りましたこれは左傳と國語の書に於いて見られます(註左傳とは春秋時代に亂臣逆賊のした無法な行為を記錄した書。國語とは春秋時代魯、晉、吳、越、齊、楚等六國で起きた事件記錄した書)凡ての吉祥と凶險の予兆は全く心中から發する根と苗の反應によるものです根と苗は心中から發するとは雖も然し全身四肢によつて表現されて來ます,例えば心の寬容な人は全身四肢が穩やかであり,苛酷な人は全身四肢が輕薄であります,寬容な人は必ず常に福を得,苛酷な人は常に禍が身近かにあります,一般の人は見識が無く目を何かに塞がれた樣に見えないので一定した禍福がない上に又予測が不可能です。   人は誠實に虛偽のない行動をすることが出來れば其の人の心は天の心と相合うことが叶えられます且つ眞心を以つて人に接し事を處す福が自然に降臨します。ある人を觀察するに當つて其の人の行為總べてが善であれば彼の福の來臨を予知することが可能です,反面行為が全く惡である人に禍が來ることをも予知出來ます,人が若し福を得たければ災禍から遠く離れなければいけないばかりか更に善行をなす前に先づ自己の過失を改める必要があります。   過失を改める方法は第一に「恥」を知ることです。古の聖人賢士は私達と同じ人間であるが彼等は百世に其の美名を殘し後生の師として敬はれて居るのに何故私は此の一生に地位名譽を得られないのかこれ全く過度に享樂を貪り且つ各種の惡い環境の污染を受けて密かに色々な為してはならない事を為し眼中に國法を無いがしろにして些かも慚愧する心がないから日一日と禽獸の樣に零落して行くのを自分でも知らずに居るからです。   此の世でこの樣な狀態に勝る恥辱がありませうか,孟子曰く「一個人の最大且つ最も重要な事は恥を知ることです,何故なればこの恥の字を知れば自己の過失は心を盡くして改めることが出來,聖人賢士に成れるのです若しこの恥の字を知らなければ放逸亂行となつて人格を落とし禽獸に等して成るからです,これ等の話は總べてが過失を改める眞正な秘訣です。過失な改める第二の方法は愼しみ深い心を持つことです,天地の鬼神は常に私達の頭上にあることを知るべきです。   鬼神は人間と異つてどんなことでも總べてを見通すことが出來るので容易く欺くことが出來ません,譬え私が人の見えない所で過失を犯したとしても天地の鬼神は恰かも鏡で照らして居る樣に其の犯行を全部明らかに照らし出してます,過失が重ければ種々の災禍が身に降りかかつて來ます過失が輕くとも私の現在持つている福運を損れるから怖くない筈がありません。前面で述べた事のみならず自分の家でくつろいで居る時でも神の監察は明確にあるのです,譬え私は過失を密かに隱し巧妙にごまかしたとしても神は私の內心を見透かして居り馬腳が全部露出してしまうから最後は矢張り自己を欺くことが不可能となります,若し他人に見破られたら一文の値打ちも無い人物となるので常に小心翼々愼しみ深い心を持つ必要が有ります,これは前に述べた事丈でなく人に息がある間譬え以前に重大な罪過を犯したとしても懺悔し改めることが可能です。昔ある人が一生を惡事に費したが往生際に突然過ちを悟り心の中に大きな善意が起きたので好い臨終を迎える事が出來ました,これは即ち人が緊急な事態に遭つた際痛切に勇敢に善意を起こすことが出來れば過去の累積した罪惡を洗い清めることが出來ると言うことです,譬えて言えば恰かも千年暗黑であつた山谷に一筋の燈火を照らし込めば光の到る所直ちに千年の暗黑を完全に除去することが出來るのに等しいものです,因つて過失は古いもの或は新しく犯したものを問はず改めることが出來るので誠に素晴しいことです然し過失は改めることが出來ると言う認識の下で常に犯すのは絕對許されません,若しこの樣な心情で意識的に過失を犯すことがあれば其の罪は更に加重されます。又此の不淨な世間は變化が常にあり我々のこの肉身は容易く滅び,息が止まればこの肉身は既に我物ではないのです,其の時に成つて改め樣と思つても,もう改めることが出來ないし且つ人の死後は何も攜帶して行けませんが只犯した罪責は必ずついて行きます,これが為表面,日に見える天罰は此の世に百千年に互る惡名を殘すことに成り譬え孝行な子女或いは可愛い孫があつたとしても代りに惡名を洗い淨めることは不能です目に見えない天罰は死後地獄で長期間無數の大きな苦難を受けることになります。譬え聖人賢士或は佛菩薩に巡り會つたとて救けて貰らえないし,極樂世界にも導えて貰えないのです此の樣な狀態を恐れない人か居りませうか。第三は必ず勇敢に前向きになることです人が過ちを犯しても改め樣としないのは因循な質で勇氣を出して發奮することか出來ず墮落するが為です,若し過ちを改めるならば必ず勇敢に直ちに改めるべきです,決して疑問を持つたり或は今日を明日に明日を明後日にと言う樣に先に延ばしたりしない事です。小さな過ちは丁度針に刺された時の樣に直ぐ拔きます,大きな過失は手指を毒蛇に咬まれた樣に危險があるから直ちに指を切り捨てる必要があり一刻なりとも猶予を許されません,さもなくば蛇毒が全身に迴り死の恐れがあります。易經(書名)の中の益卦(占いに關する文章)に記載されている「雷動鳴りて風雨起き萬物皆生長す」の形容するが如く大きな利益があります(人が過ちを改め善に遷ることが出來れば其の益する所最も大であると言う譬えです)「人が過ちを改めるには大きな心念が必要です。第一に恥を知る心第二に敬い畏れる心第三に果敢な心。此の三つの心があれば過ちを直ぐ改めることか可能です」。   過ちを改めるには以上述べた三つの心が即刻改めることが出來ます,恰も薄冰が太陽の光に當つたが如く溶けない事がありませうか,但し過ちを改めるには三種の方法があります一つは事實の上から改めると一つは理論的に改めること一つは心の持ち方によつて改めること。此の異つた三種の方法を用いるなら其の效果は自然と違がつて來ます。先づ事實の上から改める方法に就いて説明しませう譬えば昨日活き物を殺したが今日からは二度と殺さない。前日怒つて人を罵しつたが今日からは二度と怒りを發しないこの樣にはるのが事實上の改めで再度の過ちを禁止する方法です然し無理して過失を犯さない樣に壓えることは自然に改めるより困難百倍です且つ過ちの病根を除去して無く尚心の中に殘つて居るので一時壓えたと雖も畢竟又露出するものです丁度東の方で滅したが西の方から又出て來るかの樣に徹底的な除去をした方法とは言えません,更に理論的に過ちを改める方法を説明しませう。過ちを改め樣と努力する人は自分のしていることを止める前に先づ何故してはいけないかの道理を明らかにします,例えば或る人の犯した過失を殺生とします,彼は先づ天は生命を尊ぶ德があり凡ゆる動物は自己の生命を大切にして死を恐れるものであることを知り,動物を殺して其の生命を奪いそして自分の肉體を養うと言うのに心の安すらぎを得られません,特に魚と蟹類の如く殺されても完全に死んでいないことがあつて半死半生の狀態の下に鍋に入れられて燒かれる苦痛は骨髓に徹する筈ですこれを見て罪過と思はないでせうか,自分を養う為に各種の貴重な山海珍味を桌上一杯並べて食べたとて一旦腹の中に入れば滓となつて排泄され何も殘りません,人は蔬菜、素食でも飽腹出來るものですどうして必ず生命を傷づき殺生の罪過を造つて自己の福報を減少する必要がありませうか,又想うに血と生命のあるものには知覺と靈性があります,既に靈性と知覺があれば私達と同じものです,私の修養が德の高い水準に達していなくて彼等の尊敬を集め親たしまれることが出來ないとて每日生命を傷づいて彼等の仇敵となり恨みを永久に買う必要がありませうか(昔の聖人大舜が水田の耕作に象が代つて田を鋤いたし鳥が除草の手傳いをしたと傳えられてます)此の樣に思いが及べば桌上の血肉あり生命ある肴は自然心が痛んで喉を通らない樣に成ります。譬えば前日腹を立てたが人には長所があると同時に又短所もあることを知り他人の短所に會つた時は情理に照らして彼の苦惱を憐み其の欠點を許すべきです若しある人が道理に合はないことをして私を犯したとしてもこの過ちは彼にあつて私とは何等の關係もないと思えば怒ることもありません又想うに天下には絕對過ちを犯さないと言う自負心を持つ英雄豪傑はいない筈です,若し自分は最も優れた者であると自負するならば其の人は最も愚かな者です。この世には他人を恨む樣に教える學問は決してありません,本當に學問があればもつと謙虛となつて己を嚴しく制限し他人には寬容に接するから他人を恨む筈がありません,他人を恨む樣な人は必ず學問の無い者です。   或る人の事業が意の儘にならないのは自己の道德修養の不足に相俟つて功德を滿たすことが出來ない為他人を感動させ得ないからです,當然我身を振り返えつて自己反省をする必要があり特に他人に對して不當な行為かあつたかどうかを檢討すべきです。   斯くの如く意識的に心を用いるならば他人からの誹謗は卻えつて自己を磨くこと、なり成功の反面教育となりますから喜んで他人の教訓批評を受けるべきで寧ろ何んの怨恨も有りません,更に他人からの惡口を聞いても怒らないことか出來れば恰かも空中で火を燃やすが如く空中に燃えるものが無いので最後は矢張り自然に火は消滅するものです,若しも他人の惡口を氣にし怒る樣でしたら幾ら心を費やし力を盡して辯護に當つても結果は春に蚕が糸を吐くかの樣に自己を束縛してしまいます。これを「作繭自縛」(まゆを作つて自己を縛る)と言うて自分を苦しむことになり無益であるばかりか甚だ有害です。上述したのは立腹は有害無益であることを説明したものです其他各種の過失や罪惡に就いては道理に基づいて熟考すべきです,上記に説いた各種の道理が解かれば自然に過失を犯さない樣に成ります。   心から改悛するとは何んなものであるかと言いますと,人の犯す過失は千々萬々と多種多樣あるが然し皆等しく心の中で造り出したものです,心が不動であれば何事をも造り出すことがないから過失は何處から生れ出て來るでせうか。凡ゆる知識人は或は女色を好み或は名聲を好み或は財物を好んだり將又癎癪持ちで怒り易いと言う樣に色々な過失がありますが一つ一つ過失を消滅する方法を探求する必要はありません,只一心一意,善心を以つて善事を行い正しい念願があれば自然邪惡な感えに染まる事がありません。   譬えば明るく且つ熱い太陽が頭上に照らしてあれば總べての妖怪は自然逃避消失するが如くこれが,最も純粹な唯一の修心並に過失を補う秘訣です。凡ゆる過失は心が造り出すので當然心に依つて改めるべきです,丁度毒のある樹を斫るが樣にきれいに根をも剷除して初めて再び芽生えてこないのです一枝づ、切るとか一葉づ、摘み取る必要かありませうか。   過失を改める最上至高の方法は矢張り修心です,心を修めることか出來れば心は直ちに清淨となります,何故なれば過失を犯すのは心に邪まな思考が出て來るに依るからです,若し心を修めることが出來れば萬一邪惡な考えが出たとしても直ぐ自分で發覺することが出來て,心の動搖を止めることが可能です心が不動であれば邪惡な考えも又消失し再犯することが有りません若しこの樣に處置することが出來なければ,過失を犯した理由を明白に探究しこの過失を犯した考えを除去すべきです。尚この樣に處理することが出來なければ過失の犯意が出た時に無理強いして壓える方法を用い犯行を禁止すべきです若しも修心と言う優逸最高な方法,並に過ちを犯しては成らない道理を知つて犯行を止める中等な方法,と自分で強制的に禁止する最低な方法を併用すれば失敗することは無い筈です。唯最低な方法を堅持して用い優逸な最高の方法を無視するならばこれに越した愚劣な行為はありません。   然し改悛の發願をしても他人からの助力が必要です,表面から明白に見えるものには常に真摯な益友が居つて過失を犯さない樣忠告して貰うことです,目に見えないものでは天地の鬼神に依つて證明して戴くことです(私が自分の犯した過失を疏文に認たためて天地の鬼神に報告して居る樣に「疏文とは自分の過失を記して天地鬼神に報告する文書を謂う」)且つ誠心誠意朝から晚まで謙虛に懺悔し絕對疏かにしてはいけません,私の樣に一週間二週間更に一ケ月二ケ月三ケ月……と言う樣に每日懺悔すれば必ず效果があります。   [改悛は須らく發願を要すると共に他人からの助力をも要します,それは表面に見えるものは益友からの忠告に依つて目覺め,見えないものは鬼神に依る證明です更に一心一意謙虛に懺悔をすることです]   上述した罪惡の懺悔をすれば如何なる有益な效果がありませうか,それは譬えば心に安らぎを感じ精神爽快と成るとか或は自分は以前愚かであつたと思つてたのが突然智惠が高まつた樣に覺えるとか或は多忙混亂に際しても心穩やかに處理することが出來將又仇敵に出會つても全く恨みを覺えず愉快を心情を以つて接する事か出來ます。或は夢の中で黑いものを吐き出したと感じます,此れは多種多樣な邪念が累積した一種の瘴氣で夢の中で吐き出すと心が清淨となります或いは夢の中で昔の聖人賢士に會い彼等の推舉を得ることが出來たとか或は自分が空中で悠々自適に飛ぶことが出來たとか或は多彩な色をした旗及珍珠寶石で裝飾した傘等を夢の中で見ると言う樣な稀有な現象は即ち過失が除かれ罪惡が輕減した好い徵候です但しこの樣な好い兆候に會つて自己滿足し更に上進の努力を怠る事が有つてはなりません。   昔春秋時代衛國の有能な役人蘧伯玉が二十歲の時既に時々刻々自己の過去の過失を檢討反省し完全に改めることが出來ましたが二十一歲の時に以前改め過失は徹底的で無かつたと思つた更に二十二歲の時に二十一歲を顧り見て改悛の不足を又感じたこの樣に一年一年と反省をくりかえし過失を改めて行き五十歲に到つても尚過去の四十九年間には多くの過失かあつたと感じた。古人は斯くの如く改悛の方法を講究したものでした。   私達の多くは平凡な人ですから過失や罪惡は丁度針鼠の身にある針が如く身上に滿ちて居ります。過去を顧り見て,自己の過失を見出すことが出來ないのは心が疏かで自己反省することを知らない為です。又恰かも目が白內障を患つたかの樣に每日自分が何處で過失を犯して居るの見えないのです然し一個人の罪過が或る程度まで進行すれば證據が見えて來る筈です,即ち思考が亂れて精神が萎縮し,何氣なく頭をふつた丈で總べての事を忘れることがあり或は心を煩はす必要の無いことを常に心配するとか或は光明正大な理論を聞いた時反えつて怒り覺えるとか或は他人に恩惠を與えたが反えつて恨みを買う結果に成つたとか或は夜每氣の滅入る樣な惡夢ばかり見るとか甚しい事に至つては道理秩序の無い話をして失態したりします。以上述べた樣な各種の異常な現象は罪業の表現です,若し此の樣な情況があれば直ちに精神を奮い立てて古い樣々な罪過を一切改めて新い人生大道を切り開くべきです,絕對自己の前途を誤らない樣希望します。


第三篇 積善の方法[編集]

  前篇で述べた「改悛の方法」で今生の過ちを改めることが出來れば自然好い運命は惡く成ら無いが然し此れ丈では惡い運命を好く變える事は不能です何故なれば今生に於いて過失を犯して罪業を造つてなくとむ前世に罪過を造つているかは知ることが出來ません。若し前世で既に犯して有れば。此の一生で犯してなくとも前世の罪責を避けられず矢張り報復を受けるものです,では何うすれば惡い運命を好い方向に轉換させ得られるかと言うと單に過失を改める丈でなく更に善と德を積んで初めて前世の罪責を消卻することが可能です,善行を多く積めば自然に惡い運命が好轉し且つ其の效果を證明することが出來ます。   [中國の積德第一人者は孔聖人です彼の子孫は代代衰えること無く七十三代孔德成に至つてます]   易經の中で説く「善を積んだ家には必ず多くの福と慶びがある」と例えば昔嚴氏が自分の娘を孔子の父の妻にやる時,孔家の今迠したことを一件一件調べた結果,孔家の祖先が積んだ德は多く且つ持久であつたのを知つて孔家の子孫は將來必ず大成すると預知して居つた,果然後に孔子が誕生しました。   又孔子は舜の孝行を平凡でない孝行だと稱讚しました,孔子曰く「舜のこの樣な大孝は祖先が彼の祭祀を享受出來るのみならず,子子孫孫又この福德を保持して落ちぶれることが無い」,春秋時代の陳國が舜の傳つた子孫ですこれは舜の子孫が永い間發展,興隆し續けたことを證明します,因つて孔子の言は非常に適切であると言はざるを得ません。   過去發生した史實に基づいて善を積めば功德を得られることを例を舉げて證明しませう。(例一)昔楊榮と言う少師が居つた(少師とは皇帝に學問を教える崇高な官職)彼の祖先は代代渡し舟の舟頭でしたが或る年豪雨による水災で家屋や人がおし流されて多くの人が死亡しました,其の時外の舟は漂流して來る財物を拾うのみでしたが只楊氏の曾祖父と祖父は全力を盡くして水中の災民を救助し多數の人命を助けて財物には一瞥もしなかつたので他人に愚かな奴だと嘲笑されたが然し少師の父が生れた後から家計が漸次豐かとなつて來た,ある時仙人が道士に變裝して少師の父に「お前の祖父と父は多くの陰德を積んだから生れる子孫は當然成功して高官に成れる」と言うて彼の祖父及父の遺骨を仙人の指定した場所に埋葬する樣勸めた,少師の父は仙人の指示に從い祖父及父の遺骨を埋めて造つた墳墓が現在人人の知る白兔墳である後少師が生れ二十歲の若冠で進士(國家最高試驗)に合格し一生官職に就いて三公の一つである少師に至つたのです,それのみならず少師の曾祖父祖父,父に少師と同等の爵位を皇帝から追封する榮光に浴したのです,其の上少師の子孫代代非常に繁榮して現在尚あまたの高官賢士が出て居ります(三公とは昔中國の朝庭に於いての最高位である官職太師、太傅、太保を指しますが少師、少傅、小保をむ包括してます)。 (例二)浙江省寧波人の楊自懲は初め縣廳の書記です彼は心が寬大で仁慈深く且つ法を公平公正に執行する人でした,當時の縣知事は囚犯を非常に嚴正に裁く人なので或る時遇然一人の犯人を血を流して地上に倒れる迠毆打したが尚怒りが收まらなかつた楊氏はこの狀況を見て縣知事に跪まづき囚犯に代つて許しを懇請したが知事曰く「お前が代つて許しを乞うて居るから本來は寬容に取り扱つても好いが然しこの犯人は道理に違反して法律を守らないから私が立腹するのも無理はない」,楊自懲は頭を地にすりつけて知事に言うには「朝庭に於いては既に是非を辨えることか出來なくなつて居り(政治の腐敗污職等々)人心の散失又久しいものです案件の審問に當つて若し實情を問い出すことが出來れば彼等の代りに心の痛みを感じ彼等が道理を知らずに誤つて法を犯したことを憐むと共に罪情を明らかにすることが出來たからと喜ぶ必要はないと思います,既に喜んでいけないなら何んで怒つて好いでせうか」(若し喜びを覺えば案件の審理を誤る恐れかあります,若し怒りを發せば犯人が毆打に耐えられずに不本意乍ら犯してない罪を認めることかあつて冤罪を造る結果に成ります)知事は彼の言を聞き非常に感動して直ぐ面容が和らぎ二度と怒りを發しなかつた。楊自懲の人と為りを言いますと彼の家は貧困でしたが但し貧しくとも他人からの送り物は一切取らないばかり囚人が食糧に困つている時に遭えば常に凡ゆる方法を講じて糧食を探し囚人を救濟したのです或る日何人かの新しい犯人が來た彼等は食べ物がなく餓死寸前の狀態にあるのを見たが楊氏の家も丁度米が缺乏して居り若し殘り少い米を囚人にやれば家族の食べる米がなくなるが然し自己のみを顧りみて飢餓困憊にある囚人はどうなるかと思うと意を決して妻に相談した妻が「犯人は何處から來たか」と尋ねた彼は妻に「囚犯は杭州から來た沿途飢えつづけて來たので顏に少しの血色もなく青野菜の色に似て手で持ち上げられる程瘦せて居る」と答えた,因つて兩夫婦は家に有つた殘り少い米を全部出してお粥を炊いて囚犯に供給した其の後兩夫婦に二人の息子が誕生し大を守陳と小を守址と名づけた息子二人共明朝の官職に就き吏部侍郎(副大臣に相當)の高官まで成つた且つ孫は刑部の侍郎に第二の孫は四川省按察使(檢察長に相當)に就き息子二人孫二人共に名臣として名を後世に殘した現在の楚亭と德政二人の有名な役人も皆楊自懲の子孫です。(例三)明朝の英宗正統(英宗皇帝の年號)年間福建一帶で鄧茂七を首領とする匪賊が朝庭に反逆を起した且つ知識份子或は一般庶民に彼に追從する者が多數居つたので皇帝は曾つて都御史(檢察總長に相當)を擔任した鄞縣人張楷を起用して其の討伐に當らせた張楷は計略を用いて鄧茂七を捉らえた後更に福建布政司(中國の省政府に相當)の役人謝都事に殘り匪賊の搜查及び捕え次第所刑する樣命じたが謝都事は誤殺を恐れて亂りに所刑しなかつたそして賊黨に參加した名簿を探し出して賊黨に附和してない人には密かに白色の小旗を與えて彼等に賊黨の搜查に當る官兵が來たら此の旗を自分の門前に插して潔白であることを表示する樣前以つて指示して置いた上尚官兵の亂殺を嚴しく禁止したこの措施によつて亂殺を兔かれた人が約一萬人の多きに達してます,其の後謝都事の息子謝遷が狀元(國家最高公務員試驗の第一番に合格した名稱)に合格し宰相(總理大臣)の高位まで昇進しました其の孫謝丕も探花(國家最高公務員試驗の第三番)に合格して居ります。(例四)福建省浦田縣に住んでる林家は祖先の或る老婦人が善行を好み常に米で糰子を作つて貧しい人に與えて居りました。只彼女に糰子が欲しいと言えば厭な顏一つせず直ぐ與えたものです或る仙人が道士に變裝して每朝老婦人に六、七個の糰子を求めた彼女も道士の求めに應じて每朝與え連續三年の長い間この樣に布施を繼續して煩はしい顏を無かつたのです仙人は彼女の誠意ある善行を知つて老婦人に「私は既に三年間貴女の糰子を食べて來たがどの樣にして御恩に報いたら好いでせうか,こうしませう貴女が御他界されたらお宅の後方にある空地に埋葬して貰らいなさい將來貴女の子孫から高官爵位を授かる者が一升の胡麻の樣に澤山出ます」其の後老婦人が死去した時息子は仙人の指示した通りに安葬した。林家の子孫第一代に國家最高官吏試驗に合格した者が九人居り以後代代高官に就いた人が多數居つたので福建省では「若し林姓の人が試驗に參加しなかつたら合格發表が不可能」とまで言傳えられる樣になりましたこの意味は林家から試驗に赴く人が多く且つ必ず合格するので合格者の發表揭示板に林の姓が必ず有つたからです,此れ又林家の人が非常に多く榮達して居ることを現はすものです。(例五)馮琢菴太史(太史とは朝庭で歷史を編纂する高官の名稱)の父が縣立學校で秀才(昔讀書人が秀才の試驗に合格した後一度縣立學校に入つて教育を受ける)をして居る時或る寒い冬の朝學校に行く路上で雪の中に倒れてる人に會つた手で觸つて見ると既に凍死の寸前にあつたので直ちに自分の着ている毛皮の外套を脱いて其の人に着せてやると共に彼を支えて家につれ歸えり救助した馮先生が人を助けた後の夜夢の中で天神に會い天神から「お前が人の命を助けたのは完全に一片の至誠によつて行はれたものである故私は韓琦をお前の息子として生れ替はらせる」と告げられた,其の後琢菴が誕生したので名を馮琦とつけた,この兒は宋朝時代文武兩道に秀でた賢宰相韓琦の生れ替り故「琦」の字を取つて馮琦と名付けたのです(其の後琢菴と號した)。(例六)浙江、台州人の應大猷尚書(現在の部長に相當)は壯年時代山の中で勉強した時,夜每鬼が集つて來て叫び聲を上げて人を驚かすが應公(公は敬稱)丈は恐れることが無かつた或る晚鬼が話る「某夫人の夫が遠出して既に久しく歸えつて來てないので死んだものと判斷され彼女は姑舅から再婚する樣迫まつたが貞節を守る為再婚を拒み明晚此處に來て首を吊る筈だ俺は身替りを一個探し出した」と言う話を聞いた,(首吊りで死んだり或は溺死した鬼は須らく身替りが無いと生れ替ることが出來ないのです)應公が鬼の話を聞いた後人を助けなくてはいけないと思い自分の田地を賣り銀四兩を得た後直ちに彼女(自殺を計つた女)の夫の名を使つて書いた手紙を併せて彼女の夫家に送つた,父母はこの手紙を見て筆跡が違うので或る程度の疑いがあつたが然し銀四兩は偽物でないから息子の平安な信じ以後嫁の再婚を迫ることが無かつた其の後彼等の息子が本當に歸えつて來たので此の一對の若夫婦は以前の樣な幸福な結婚生活を送ることが出來ました。翌日の夜應公は又鬼共の話を聞いた「俺は本來身替りを見つけたがあの秀才によつて一切を破壞された」傍にあつた別の鬼が「お前はなぜそ奴を殺さないのか」と問うた所,彼の鬼は「天帝はこの心の善良であり陰德を積んだ人を既に陰德尚書に任じてるから俺はもう手の出し樣がない」と答えた,應公は二個の鬼の會話を聞いた以後更に努力を重ね身を入れて日日善事を行うので日一日と功德が增加した,又兇作の年に遭えば榖物を捐出して人を救助し親戚の急難に際しては必ず凡ゆる方法を講じて彼等の難關突破を助け或は道理の解らない人に會つたとか意の儘にならない事に遭つた時等には先づ反省し自己に過失があるかどうかを檢討して心穩やかに事實を受け入れました,應公がこの樣にして人格を培つて來たので彼の子孫で成功し官爵を得ることが出來た者が數多く居ります。(例七)江蘇省常熟縣の徐鳳竹先生の父は本來既に富有な人です或る年兇作に遭つたので卒先して小作人から當然取るべき小作米を捐出(小作人から取らない)して全縣の地主に範を垂らすと共に自分の蓄えてある米を出して貧しい人を救濟した或る晚彼は一群の鬼が門前で「噓を言はない決して噓を言はない徐家の秀才はもう直ぐ舉人になる」と歌うのを聞いた。鬼達は間斷なく每夜歌つた。此の年に徐鳳竹は鄉試(地方級の試驗)を受け思い通り舉人に合格した。彼の父は喜び更に一層努力して善事を行い功德を積み同時に道を造つたり橋を修築したり或は出家した人に齋食を供養したり或は食糧や衣服に欠ける人を救濟したりして他人の為に成る事なら心を盡くして成したものです。其の後鬼共が又門前で「決して噓を言はない絕對噓を言はない徐家の舉人は都堂に成れる」(都堂とは全國官吏の風紀を監督し污職を彈劾する官廳の首長)と唄うのを聞いた,結果徐鳳竹は後に浙江省の巡撫(省長)迠昇進した。(例八)浙江省嘉興縣に屠康僖と言う人が居つた初め刑部(司法省)で主事(司法省の中級官吏)をして居り夜は監獄に住んで居つたので暇があれば犯人に詳しい事情を問う機會があつた其の結果冤罪者が澤山居る事を發見することが出來た。屠公(公は敬稱)は自分に功勞があるとは思はず,秘密裡にこの樣な情況を刑部の堂官(大臣又は次官)に上告した,其の後再審に當つて堂官は屠公の提供した資料を基に尋問し犯人も正直に供述して心服しない者は一人もなかつた此れに因つて刑に耐えられず無實の罪を認めさせられた冤罪者を十數名釋放する事が出來た當時首都の住民は皆刑部尚書(司法大臣)の英明を讚えた,屠公は更に堂官に文書で「天子の腳下でさえ尚此の樣に多くの冤罪があるなら廣大な全國の一般庶民に全然冤罪が無いとは言えません須らく五年每に減刑官を各省に派遣し囚人の犯罪事實を再調查して確かに罪を犯した者には公平な處罰をすると共に若し冤罪の疑惑があれば再審し減刑或は釋放すべきである」と建議した,尚書(大臣)はこの建議を彼に代つて皇帝に上奏皇帝の認可を得ることが出來たので減刑官を各省に派遣することに成つた屠公も減刑官の一人として派遣されることに成つた或る夜屠公は夢の中で天神を見た,天神彼に曰く「お前は本來子息のない運命であつたが然しお前のした減刑の建議は天意と相い合うので上帝(天上の皇帝)の嘉賞する所となり三個の息子を賜り將來皆高官に成つて紫色の官服を著て金緣の帶を締めることとならう」この夜夫人は身孕つた,後に應塤、應坤、應竣の三人の息子を生み果して皆高官に成ることが出來た。(例九)浙江省嘉興縣に名を包憑號信之と言う人が居りました彼の父は安徽省池州府の大守を勤めた事があつて七人の息子を生んだ、包憑は未つ子である,彼は浙江省平湖縣に住む袁家の娘に婿入りして來て私の父と深交があつた,彼は博學で才氣溢れて居るが然し惜しい事に國家試驗に合格することが出來なかつたそれで佛教道教に就いて特に注意し研究する樣に成りました或る日彼は泖湖へ遊びに行つて田舍の壞れた寺の中にある觀世音菩薩の聖像が露天に立つて風雨に晒され濡れているのを見た,包憑は即時銀十兩を寺の住持和尚に與え修繕を賴んだが和尚が寺の修繕費は此れだけの銀では完成の見込みが無いと言うたので又松江產の布四疋と七着の衣服を和尚に與えた,此の衣服は麻で織つた新品でした,彼の使用人はこれ以上送る必要がないと注意したが然し包憑曰く「只觀世音菩薩の聖像を風雨に晒すことが無ければ譬え私は裸にならうとも別に構はない」和尚はこの話を聞いて「衣服や布帛或は金錢の布施はさして難しいことでは無いが然し其の誠意ある赤心は得難いものです」と淚を流して感謝した。其の後佛寺の修復が成つたで包憑は父と共にこの佛寺に參り,寺に宿つた夜,夢の中で寺の護法神が禮に來て「貴方がこの樣な功德を積んでいるので子息達が代代官祿を得るでせう」と話した,果して彼の息子包汴孫包檉芳共に進士に受かり高官に成つて居ります。   (例十)浙江省嘉善縣の人支立は父が縣廳の刑房(檢察署)に書記をして居つた時或る囚犯が濡衣を著せられて死刑の判決を受けました,支書記は彼を憐み代つて上官に執行免除を請願しようと思つた,この囚犯は支書記の好意を知つた後,妻に「支公の好意に私は報いる術がないから支公に村迠來て頂いてお前は彼に嫁ぎなさい或はこの情に感じて私は又活きる機會があるかも分らん」と言うた,妻も別に好い方法がないので泣き乍ら仕方なく同意した,翌日支書記が村に來た,囚犯の妻は彼を家に招いて夫の意志を告げた,然し支書記はこの求めに同意しなかつたが矢張り全力を盡くして再審理し無罪を勝ち得て冤罪を洗い清めることが出來出獄した,後日夫婦揃つて感謝に伺い「貴方の樣な德の厚い人は近頃滅多にありません,貴方は今子息がないから丁度私に娘が一人居るのでこの娘を貴方の側室に上げ度いと思ります,これは情理に適つて居るものと思います」と申し上げた支書記もこの申し入れを受諾し贈り物を準備して彼の娘を側室に迎えました,其の後息子が生れ支立と名付け支立は二十歲の若冠で舉人の最上位に合格し翰林院(中央圖書館)の孔目(書記)に成りました,更に支立の子支高,孫支祿は共に州立學校縣立學校の教官に推舉されました,又支祿の子支大綸は進士(國家最高試驗)に合格して居ります。   以上十個の例を舉げて述べました,各各行つた事は異なつているとは雖も,ひとえに「善」の字に過ぎません。尚善行を精密に分類して言うならば,眞實あり虛偽あり,眞直ぐなもの曲がつたものあり,更に裏表あり,肯定的なものあり否定的なものあり,又片寄つたものあり公平なものあり或は不完全なものあり,完全なものあり大あり小あり,難易あるとあつて各自其の道理を持つて居ります總べてを良く見分けるべきです,若し善行をするに當つて善行の道理を考究しなければ如何に自分で多くの善事をしたと自己推稱してもした事は善に非ずして罪業を造つて居ることもあつて功德を得ることが出來ず,これでは苦心の無駄となり何らの益にもなりません。私は上述の分類に就いて説明しませう何を真偽と言いますか,昔元朝の頃何人かの知識份子が天目山の高僧中峰和尚を訪れて問うた「佛教では善惡の報いは恰かも影が體に隨いて來るが樣に永遠に分離しないと言うています,これは即ち善を行えば必ず好い報いがあり惡を造れば苦しい報いがあつて決して報いのないことはないと言う意味ですか,何故某氏は善行をして居るにも關はらず彼の子孫は余り榮えていないのに某氏は惡事を憚ることなくするのに彼の家は反えつて繁榮して居る,これは佛教で教える因果報應に根據がないことに成りませんか」中峰和尚答えて曰く「平常の人は世俗的な見解に欺かれてこの靈明な心を洗淨してない為法眼が開いておらず本當の善を惡と見做し眞の惡を反えつて善と誤認することが常にあるのに見誤つた自己の無知を恨らまずにどうして天の報いが間違つていると怨むのか」,皆又問うた「善は善であり,惡は惡であるのにどうして善惡を逆にすることかありませうか」中峰和尚はこれを聞いて彼等に自分の善と惡と思う事柄を話し出して見る樣指示した其の中の一人が「人を駡り人を打つことは惡であり人を敬い禮儀正しく人に接するは善である」と言うた,和尚曰く「お前の言うたことは必ずした當つてない」。別の一人が「財物に貪慾で妄りに金錢を求めることは惡であり,財物に淡泊で正道を守り潔白であることは善です」と言うた,和尚又曰く「お前の話したことも必ず當つて居るとは言い難い」和尚を訪れた一行は日常見た各種の善惡行為を全部言うたが然し中峰和尚は彼等の言うた善も惡も悉く否定的だつた,因つて彼等は和尚に「では如何なる事を善とし何を惡としますか」と教えを乞うた中峰和尚曰く「他人の益になることをすれば善であり自己の益になることのみを感えてすれば惡である,若し他人の益になる樣な事であれば例え人を駡り人を打つことであつても善であるが然し自分の利益の為に人を敬い禮儀正しく接しても惡である,自分のした事が他人の利益に成れば「公」であり,公であれば真實である自己の利益を得ることのみを感えてした事は「私」である,「私」であるば虛偽である且つ自己の良心から發した善行は真實であり只慣例に從つておざなりにしたら虛偽である,又善を行つても故意に痕跡を殘さず報酬を求めないことを真實とし或る目的の為に意圖的にすれば虛りであるこの樣な分別は凡て自分で詳しく考慮する必要があります。何を曲直と申しますか現在の人は謹愼並に倔強でない人を見れば善人と見做し其の人を重視しますが昔の聖賢は卻えつて志氣高く,前向きな人或は紀律正しく濫行をしない人を賞讚します,何故なれば此の樣な人こそ向上心と責任感があつて教え導いて上進させるに値いします尚前に述べた一見小心謹愼であるが卻えつて無用な人は家鄉では皆から喜ばれ歡迎されるが然しこの樣な人は個性軟弱にして波に漂うが如く志氣の無い者なので聖賢は斯樣な人をきつと道德を傷づける賊であると言いませうそれ故世俗の人が言う善惡の觀念は明らかに聖人と相反します。俗人が善と言うことに對して聖人は逆に惡と言い,俗人が惡と見る事に對して聖人は反えつて善と見ることがありこの觀念から各種不同な事柄に推し廣めて言うならば俗人の喜ぶこと或は喜ばない事は完全に聖人と違うことになりますが然し兩方のどの一方を取捨しても誤ちに成らないことがあります。天地鬼神は善人を庇護し惡人に報復します,彼等は聖賢の見解と一致しますから聖賢が善と見れば鬼神も又善と見ます。聖賢が惡と見るものは鬼神も矢張り惡と見,俗人と同樣な見解を採取しないのです。凡て德を積む善意があれば決して耳に入る悦ばしい音聲に又眼に映る好い景象に利用されて感覺丈に從つてはいけません,必ず心が動いた微細な所から默々と自己の心を清淨し邪惡な感えに依つて自己の心を污染する樣なことがあつてはもの,總べて世の人を救濟する心は「直」(眞直ぐなもの)であり些かなりとも世俗的な好感を得ることを願う心があれば「曲」(曲がたもの)です凡て人を愛する心は「直」であり一寸でも世の人に不平を抱き怨恨を持てば「曲」です全く他人を尊敬する心は「直」であり少しでも世の人を弄ぶ心があれば「曲」です,此等は當然よく見分ける必要があります。何を陰(裏)陽(表)と言いませうか,行つた總べての善事が皆の知る所となればこれを陽善(表)と言い,他人の知らない善行をなせば陰德(裏)と稱します,陰德の有る人は自然天神の知る所となり彼に報酬を與えます,陽善のある人は皆が知つて居るので世の人の稱讚を受け美名を享受します,美名を享受することは勿論福ですが但し名聲は天地の忌むものであるので名聲を欲する人は天地の神の歡迎を受けません,よく世界で至大な名聲を博して居る人が其の名聲に相當する功德を實際は積んでないので不慮の災禍に遭遇するのを見る事があります,其の反面別に惡事や過失を犯してないのに他人から理不盡に惡名を押しつけられて冤罪を蒙むる樣な人の子孫は忽然と成功するのを見ることがあります,この樣に陰德と陽善の分別は眞に微妙なものですから明らかに辨えなければなりません。何を以つて「肯定的」或は「否定的」の區別に成るか,昔春秋時代魯國には鄰國に奴隸として虜こになつた自國の人を買い戾した者に對して官府から賞金が與えられる一種の法律がありました,但し孔子の學生子貢は富有なので補虜になつた人を買い戾しても官府からの賞金を拒みました,彼が賞金を拒んだのは純粹な人助けであるので本意は最善ですが然し孔子はこれを聞いて喜ばず「子貢は間違つたことをした聖賢は如何なることをするに當つても必ず以後の風俗を好い方向に變えることを感えなくてはなりません,即ち一般庶民を善人に引導することが出來なくてはなりません,只自分の一時的な快樂と滿足を得る為に行うのではありません,現在魯國人は金持ちが少く貧困が多いので官府からの賞金を貰らうことを貪慾と見做すならばこの惡名を負い度くない人或は家財の少ない人はこの樣な義舉をしなくなるでせう,必ず富裕な人でないとやらないことになり以後再び他國に擒はれた人を助ける者が無くなります」,又同じく孔子の學生子路は水に溺れた者を救いました,助けられた人はお禮として子路に牛一頭差上げた所子路は心よく受取つたのです,孔子はこの事を知つて「今後魯國には自發的に大河に入つて溺れている者を救う人が多く出て來るであらう」と非常に悦びました,この兩件を世俗的な見解で言うならば子貢が賞金を拒んだのは好い事であり子路が牛を貰らつたのは宜しくない事となりますが意外にも孔子は反えつて子路を稱讚し子貢を責めて居ります,この例に照らして言えば善事を行う時,目前の效果のみを感える丈では尚不足であり弊害を產出して傳はつて行く可能があるか否かを講究する必要があります,只一時的な影響を論ずるのみならず長遠に互る好し惡しを考慮し且つ個人の得失を意にすることなく天下大眾に對する影響を考慮しなくてはなりません。目下なした行為は善と雖もこれが大眾に傳つた後,人に害があれば,善の樣に見えても實は善ではありません,現在行つていることは善に見えなくとも然し大眾に傳つた場合人を助けることが出來れば善に見えなく共實際は善であります。これは一例を舉げたに過ぎません其他又々多くあります,譬えば人が當然しなくてはならない行為を「義」と言いますが然し事情に依つては反えつて誤りであり惡いことをした事になる時があります,例え舉げるならば惡人は許す必要が無いのに若し或る人が惡人を許せば「義」とも言えますが然し惡人を恕したが為惡人の度胸を更に強め惡事をもつと多くする結果になつて多くの人が害を受け自分も罪を犯したことになれば反えつて許さずに適當な懲戒を受けさせて將來再び罪を犯さない樣にするのが好いのです。許さなかつたのは「義」に悖るが惡人が再犯しない樣にしたのは「義」ですこれを「義に非ずして義なり」と言います,人は當然禮儀正しく他人を遇しなくてはいけないが但し過份になつては不可です禮儀を以つて人を遇するは「禮」であるが過份になれば反えつて人を傲慢にさせる可能があることになりましてこれを「禮に非らざる禮」と言います,信用を守ることは人に取つて重要であるが然し狀況斟酌を要します譬えば小さな信用を守る為に大事を誤り反えつて大きな信用を顧みることが出來なければ信用を守つた事に成りません,これを「信に非らざる信」と言います。   人を愛することは本來は慈悲でありますが然し過份な慈愛は膽量を大きくさせて災禍を招く不慈悲な結果になります,これを「愛に非らざる愛」と言います,上述の各問題は勿論詳細に判斷して見分けるべきです。何を偏よつた正かと言いますと明朝の宰相呂文懿が官位を辭し故鄉に歸えつて來た時,在官中清廉潔白公正であつたので全國の人の恰かも「群山が泰山を守るが如く又星群が北斗星を巡るが樣」に尊敬を一身に集めて居りましたが或る一人の醉漢に理由も無く駡倒されたが呂公は腹を立てることなく使用人に此の人は酒に醉うているから爭つてはならないと言いつけて門を締めて相手にしなかつた然し呂公は一年後にこの醉漢が死罪を犯したのを知つて初めて後悔して言うには「若し當時彼を官府に送つて小さな處罰を受けさせて居れば彼に大なる警戒の效果を與え或は死罪を犯す樣なことをしなかつたと思う私は當時憐憫の情を以つて寬容してやつたのが反えつて彼に天地をも恐れない亡命の惡性を養成し惡徒となつた彼は宰相を駡しつても大事ないから何をしても咎めを受けないと誤りまつしぐらに死罪を犯すまでになつて生命を落としてしまつた」これは善心を以つて人を待したのが反えつて惡事に成つてしまつた一例です,上述と反對に惡事が結果的に善事であつたと言う例があります,或る大富豪が,飢饉で多くの貧乏人が白日市場で米を奪い取つて居るのを見て縣府に訴えつたが縣官はこれを受理しなかつたので暴徒はもつと大膽になつて橫行した,富豪は暴徒を私的に捕えて牢に入れ恥をかかした,暴徒はこの富豪に囚はれそのを恐れて米を奪うことを止めたので秩序が良くなつたさもなくば市面はもつと亂れたであらう因つて善とは正であり惡は偏向であることは皆の知る所ですが但し善心を以つてした事が反えつて惡事に成つた例もあります,これは「正しい心を以つて行つた事が結果的に偏よつた事になつた」この樣なことを「正の中の偏より」と稱します,然し惡い心を以つてした事が反えつて善事に成つた例もあります,これは「心に偏よりがあつたが結果的に正であつた」斯樣な事を「偏よりの中の正」と言いませう皆此の道理を知るべきです。何を半滿の善と言いますか,易經で説くが如く「人は善を積まなけれが名譽の成就が無い,惡を積まなければ身を亡す大禍もない」,書經が説く「商朝の罪過は容器に滿々と物を押し入れた狀態を彷彿させる樣に多くあつた。若し貴方が日日精を出して儲蓄に勵めば何時かは必ず充滿するが如く商朝は開國以後紂王に到る間に過失罪過を一杯積み滿たしたのでこれが為迅速に亡國したのです,もう少し蓄積を怠れば滿つる事も速くないのに。上述の善を積み惡を積むことは丁度物の貯藏に似て居ります,これが半善半滿と言うのです。   昔或る女性がお寺に參りお寺に寄附しようと思つたが惜しいかな身に多くの錢を持つていなかたので,たつた二文の錢を和尚に布施しました,お寺の主持和尚は喜んで自から彼女に代り佛前で迴向(前述の註釋參照)を行い懺悔と滅罪を求めました,其の後彼女は皇宮に入り貴妃となりました(貴妃とは皇帝の側室)富貴に成つた後幾千兩の銀を攜えて再び寺に來て布施したが但し主持和尚は弟子に迴向を行はせた,彼女は前後二度の布施にどうしてこんな大きい差別待遇があつたのか其の理由を主持和尚に尋めた「私は以前僅か二文の錢しか布施しなかつたがお和尚樣は親しく自から私に代つて懺悔をして頂きました現在私は幾千兩の銀を布施しましたが反えつてお和尚樣自からの迴向をして貰らえませんのは如何なるわけでせうか」,主持和尚答えて曰く「以前の布施は薄かつたが然し貴女の布施する心は非常に敬虔且つ赤誠でしたのでこの老和尚自から貴女に代つて懺悔しなければ布施の功德に報いることが出來ませんが現在した布施は以前の樣に眞實でないから弟子が代つて懺悔をすれば充分です」これ即ち銀幾千兩の布施は半善のみであり,二文錢の布施は卻えつて滿善となつた道理はここにあります,又漢朝の人鐘離は丹藥を煉る方法を呂洞賓に傳えました,此の丹藥を鐵の上に塗りつける丈で鐵が黃金に變けるのでこの黃金を用いて世の中の貧しい人を救濟することが出來ます然し呂洞賓は鐘離に問うた「黃金に變はつた後再び鐵に戾ることかあるか」と,鐘離が答えるには「五百年以後又本來の鐵に成る」これを聞いた呂洞賓は「これでは五百年後の人を害することになるから私は厭です」と同意しなかつた鐘離が呂洞賓に鐵を黃金に變える煉金術を教えるのは彼の心を試す為でした。既に呂洞賓に善良な心があるのを知つた鐘離は彼に「仙人になる修業をするには三千件の功德を積む必要があるがお前のこの一言は三千件の功德に匹敵しもう圓滿に完成した事になります」上述のことも半善半滿の一説です。善事をするに當つて心に煩はしさを覺えてはいけません,大小を問はず如何なる善行をしても自分が偉大な善行をしたと思はなくてはなりますん斯樣に思うことが出來れば隨時行つた善事は必ず圓滿に成功します,若し善事を行つた後,心の中にこの善行を頑くなに記してあれば一生涯勤勉に善行をしたといえども矢張り半善のみです。   譬えば金錢を出して人を救濟する時,內に於いては布施した自己が見えず外からは布施を受けた人を見ることがなく,中では布施した金錢を見る事が出來ない,これ初めて三輪體空(註、三輪とは布施した人,布施を受けた人,布施した物を指し,體とは實質的な物の意,これを皆空と見ること)と言い又一心清淨とも言います,若しこの樣に布施することが叶えばたと僅か一斗の米の布施であつても果しのない「福」の種を蒔いた事になります,例え只一文錢を布施したとしても永年造り出した罪を消し去ることが可能です,若し自己のした善事を忘れることが出來なければ二十萬兩の黄金を以つて他人を救濟したといえども圓滿な福を得ることは不可能です,これは又別な一種の言い方です。   何を大善,小善と言いますか,昔衛仲達と言う人が翰林院の役人をして居りました,或る日鬼が彼の魂をあの世(地獄)につれて行きました,地獄の王主審判官(閻魔大王)は手下の書記に彼の人間界(この世)に於いて行つた善事,惡事兩種の記錄簿を持つて來させた,彼の惡事の記錄は庭一杯に廣げられる程あつたが但し善事は恰かも箸一本が如く小さかつた,主審官は更に秤を持つて來させ善惡兩方の記錄を計つて見たら庭一杯に廣げられる程の惡事記錄簿は輕く卻つて箸一本の樣に小記錄簿が重かつた。衛仲達が不思議に思い問うた「私の年は未だ四十歲に滿ちてません,どうしてこんなに多くの罪惡と過失を犯すことがありませうか」,主審官答えて曰く「一つの不正な思いがあれば一つの罪惡になるから,犯すを待つ迠もない」譬えば女性を見て淫らな想いが出たら既に過失を犯した事になります,因つて衛仲達は又善事は何を記錄したかと問うた,主審官は「皇帝が福州三山地方の石橋を修築する大工事を計畫した時,お前は皇帝に人民の勞苦と財產の消耗を避ける樣計畫の中止を上奏したこれが其の上奏文稿だ」と言うた,彼は又問うた「私は中止の上奏をしたが然し皇帝の受け入れるところと成らず矢張り修築しました此の一件に對しては何んらの作用も發してませんのに何故上奏文にこの樣な大きな力がありましたか」主審官曰く「皇帝はお前の建議を受けつけなかつたが但しお前の心願は千,萬え數える百姓の勞役の免除が目的であるから若し皇帝がお前の建議を聞いていれば善の力はもつと大であつた」,此の樣に志を立てて行つた善事の目的が國家人民の利益の為であれば善事は小さくとも功德は卻つて大であり若し自己一身の利益の為であれば善事を多くしたとて功德は小であります,何を以つて困難な或いは容易に行える善と言いますか,以前學問のある人が言うには「自己の私欲を克服する場合,除去の難しい所を先づ除去する必要がある」と。孔子の學生樊遲が孔子に問うた「何を仁と言いますか」孔子曰く「先づ最も困難なことをすることが出來る心」(孔子が言うた困難とは私心を除去することで,當然最も行い難い最も除去し難い所からするものの意)です。江西省に住む舒先生の樣に二年間の生徒の授業料を全部或る貧しい人に代つて官廳にあつた負債を還えしてやつたので夫婦離散の悲劇を見ることなしにすむことが出來ました。又河北省邯鄲縣に住む張某は或る貧しい人が妻を抵當にした金を使い果たしたので買い戾す金がなく彼の妻が悲嘆にくれているのを見て。自己の十年間に互る蓄積を全部投げ出して貧しい人に代り彼の妻を買い戾して上げたのです,舒先生張先生の樣に他人の最も行い難くそして容易に捨てられないことを彼等は毅然と捨てることが出來ました,更に江蘇省鎮江の靳先生は老いて息子がないので鄰の貧しい人が自分の娘を側室として差上げ彼の為に息子を產むことを申し入れたが然し靳某は彼女の青春を誤るに忍びず拒絕し鄰家に送りかえしたのですこれ又忍び難い所を忍んだことに成ります因つて蒼天は彼等老翁に特別優渥な福を賜つて居ります,凡ての財勢ある人が功德を立てることは普通の人より容易です但し容易ではあるが反えつて行はないならばこれを「自暴自棄」と言います,而し金も勢力もない貧しい人が善を行うことは困難を伴い勝ですが其の困難を克服してするこそ貴いものです,私達の為人或は事の處理は當然機緣に巡り會えば即時眾人の救濟をするのですが然し眾人の救濟は容易い事ではありません,大眾の救濟には幾多の種類がありますが簡單に分けて言えば重要項目は約十種あります。第一人と共に善を為すこと,他人の些細な善心を見た時其の人がもつと善心を增長出來る樣手傳うこと。第二敬愛の心を持つこと,自分より學問が好く,先輩であり年も多い人に對して必ず尊敬の念を以つて接し自分より後輩であり年下であつて且つ家況の窮迫している人に對しては愛護の念を以つて接すること。第三他人の成功を手傳うこと譬えば或る人が善行をしやうと思つて居るのを知れば彼に全心全力を盡くしてする樣勸めます,他人が善事を行うに當つて障礙に遇い成功出來ない時は方法を講じて指導し成功する樣助け決して嫉妒することなく且つ破壞しないこと。第四人に善を勸めること,惡事をする人に會つた時彼に惡には必ず惡い報いがあるから決してするものではないと説き善事をする氣の無い人或は小さな善事しかしない人に會えば、善行には必ず好い報いがあるから善事をする丈ではなく多く大きくする樣勸めること。第五他人の危急を救うこと,一般の人は喜んで「錦の上に花を添える」が「雪中に炭を送る」精神に欠けて居ります,若し他人の最も危險最も困難,最も緊急な關頭に遭えば即ちに手を差し伸べ金錢或は力を出して彼が急難を解除出來る樣援助するのです,斯樣にすることが出來ましたら其の功德計り知れないものです,但し驕つては成りません。第六、大なる利を興すこと,大きな利益のあることは自然大なる力を持つた人であつて初めて出來ます,既に大きな力があれば當然大なる利益のあることをして大眾に利益をもたらすべきです,例えば水利系統の修築或は大災害の救濟が如くです,然し大きな力を持たない人も出來ることが多多あります,例えば河の堤防に穴かあつて水が噴出しているのを發見した時只少しの土や小石を以つて塞ぐ丈で堤防の決潰を未然に防ぎ水災の發生を防止することが出來ます,小さい事とは雖も但し功能又輕視出來ません。第七、財を捨て福を作ること,俗語曰く「人は財の為に死す」とある樣に世の中の人は總べて財を愛し財を求めるのに汲汲として居るのに何んで財を捨てて他人に施すことを好みませうか,財を捨てて他人の災難を除き危急を解決して上げることは一般の人に取つてはさう簡單に出來ませんまして貧しい人はもつと偉大です,若し因果關係から言えば「捨得る、捨て得る捨てること有れば得ることも有る」「捨て得ない捨て得ない、捨てないと得られない」善行を一件すれば必ず福報も一つあるから財を捨てて人を助けたが為に自己の生活が絕境に陷ち入ることを決して憂うことはありません。第八、正法を護持すること,この法とは各種の宗教の法を指します,宗教には正邪があるので法にも正邪があります。邪教の邪法は最も人心を害しますから當然禁止しなくてはいけません然し正しい知見を具えている佛法は最も人の心を指導し易く風俗を挽回出來ます若し破壞する者があれば必ず全力を以つて保護維持し惡人の破壞に任せてはなりません。第九、尊長を敬うこと學問が深く見識があつて職位高く又先輩であり年を取つた人を總べて尊長と言い必ず尊敬して決して輕視する樣なことがあつてはなりません。第十、生命を愛し惜しむこと,凡て生命あるものはたとえ蟻の如く小さくても知覺があつて痛み苦しむことを感じ且つ死を恐れるものですから憐憫の情を以つて生命の存在を見,濫りに殺したり食べたりしてはいけません,常に人が「これらは本來人の食に供する物」と言うていますが斯樣な話は最も道理の通じないことであり貪食な人の造り出した言葉です。上述の十種は概略に説明したのみですが更に例を舉げて述べませう。   昔虞國の舜が未だ帝位に就く前雷澤湖(山東省)の湖畔で壯健な青年漁夫は皆湖水深く魚の多い所を佔有して魚を捕つておつたが而し老弱な人は大概水流が急で魚の少い淺瀨で魚を捕つて居るのを見て心が痛み且つ老人違を憐んだので或る方法を感え出し自分も捕獲に參加しました,彼は奪い合う漁夫を見ても其の過失を隱して對外的に發表しなかつたが然し愼しみ深く讓り合う漁夫を見た時は到る處で稱讚し彼等を模範とする樣宣揚しました,この樣に舜は一年魚を捕つた結果皆水の深い魚の多い所をお互讓り合う樣に成りました(舜の昔話は單に人心の淨化を計るのが目的であつて人が魚を捕ることを獎勵して居るのではありません,魚の捕獲は殺生の罪過を犯すことに成るから良くありません)舜の樣な道理に明い聰明な人が正義に則とつた話をして大眾を教化することが出來る筈なのに何故自から參與するのでせうか,其れは舜は言語を用いて大眾の教化を計るよりも自分が範を示し,これを見た人が慚愧して利己的な行為を改める事が出來る樣にさせる為です,誠に思慮深い人の苦心とも言うべきです。   我々は人心風俗の腐敗した末世の時代に生を受けて居るので為人が容易くありません,若し他人が自分に比べて劣ることがあつても自己の長處を以つて他人を見下してはなりません。他人に不善なことが有つても自己の善を他人と比較してはいけません。他人の能力が自己に及ばない時は自分の能力で他人を壓倒してはなりません。自分が如何に聰明才幹があつたとしても愼しみ深く外に露出することなく聰明才幹が無い樣裝そい聰明才幹は虛偽である樣見做すべきです。他人が過失を犯したのを見た時,彼の為に包み隱してやれば一方面彼に改悛の機會を與えられると共に別面彼は其の後遠慮して放縱せぬ樣に成ります。他人の長處や善心と善事を見たらこれを學び又心に記して,直ちに自己の主見を棄てて彼の長處を習い且つ稱讚し彼に代つて宣揚します。一個人の日常生活に於ける談話或は仕事は全く自己の為にせず私利私慾を感えず總べて社會大眾の為に想い至し皆が遵守して實行出來る一種の規則を立てることが出來て初めて偉大な人物であり又天下の一切を公と見做し私でないと見る度量があるべきです。何を「敬愛の心を持つ」と言いますと,君子と小人は其の外貌からは見分けることが不能です(小人は仁義を裝うて君子の真似をするから)然し君子は善であり小人は惡であると心掛けるべきです,君子の善と小人の惡は相互に大きな隔りがあつて恰も黑、白二つの色の樣に絕對相反するものです,因つて孟子曰く「君子と凡人の異なる所は彼等の心掛けです」と,所謂君子の心掛けとは人を愛し人を敬う心です,因なみに人には親近あり疏遠あり尊い人あり,卑しい人あり聰明な人あり愚かな人あり,道德の高い人あり,下流低級な人ありと千々萬々同じくない種類がありますが但しこれ皆我が同胞です全て私同樣生命あり血肉あり感情ありで誰が敬愛を受けなくて好いでせうか,眾人を敬愛すること即ち聖賢に對する敬愛です,大眾の意思が解れば聖賢の意思が解ります,何故なれば聖賢は本より世界中の總べての人が安らかに樂しく幸福な生活が出來る樣願つて居るので我々も到る處で人を愛し人を敬い世上の人皆が平安幸福である樣にすることは聖賢に代つて世の中の人を皆平安快樂にさせることに成ります。何を以つて「人を成功させる美」と言いますか,例を舉げて言えば,若し玉の入つてある石を隨意に棄ててあればこの石の中にある玉は一個の瓦礫と等しく一文の價値もありませんが然し好く琢磨雕刻すればこの玉の入つた石は極めて珍貴な圭璋(昔皇帝の朝議に參加する時下臣が手に持つた玉の板)となります,人亦かくが如く他人の指導,勸告或は拔擢を要します,因つて善行をする人或は向上の志があつて素質培うに足る者を見れば當然好く指導し拔擢し彼を社會に於ける有用な材にします或いは彼を稱讚し激勵し支持します,若し人の誤解を受けて居れば代つて辯解し,謂れのない他人から惡意ある誹謗に對しては方法を講じて彼の誹謗を分擔し負擔を輕減してやります(この樣に彼の誹謗の一端を擔うことを分謗と言います)加之彼が此の社會に於いて身を立てることが出來る樣に支持して初めて自分の心意を盡したことに成ります。普通の人は大概自分と類型の違う他人に對して厭惡感を持つものです,例えば小人が君子を恨み惡人が善人を怨むが如しです,同一村の住民は概ね善人が少く不善な人が多いので善人はこの俗世に於いて往々惡人にいぢめられ立腳するのが難しくなります且つ豪邁な人は剛正不屈な性格を持つ者が多く表面の飾りを注意しないので見識の高くない只表面のみを重視する俗人はあれこれと隨意に批評するので善事を行うと思つても失敗し勝ちで善人丈が常に誹謗を受けますこの樣な狀況に會えば全く仁人長者に賴よつて初めて邪惡不正な人を邪から正に導き善人の保護と支持が成り立ちます,斯樣に邪を覆い正を顯明にする功德は何よりも大きいものです。何を以つて「人に善を勸める」と言いますか,此の世に人として生れ來て良心を持たない者がありませうか,然し余り汲汲として名利を追うが為世間の煩はしさに耐えられず名利さえあれば良心に背いて手段を選ばない狀態にしてしまいます,この樣に成れば容易に墮落します,因つて他人と相交る時は其の人に心を留めて觀察し若し彼に墮落する傾向が有れば隨時目覺める樣警告し糊塗昏亂した心を喚起してやるべきです,譬えば彼が夜中惡夢で唸つて居るのを見た時直ぐ叫び起し醒さしてやるべきです,又彼が長期間心配事で煩つて居るのを見れば必ず一臂の助力を與え彼の思惑を苦惱から清涼に換えられる樣にしてやります,この樣にして恩を以つて人に接すれば其の功德は最も普遍且つ廣大です。以前韓文公が言うた「口を以つて人を勸めるのは一時のみで事が過ぎれば忘れてしまいます,其の上余所に居つた人は聞こえません然し書籍を以つて人を勸めば百世の後にも傳えられます,且つ全世界に傳えることも出來るので善書を作ることは立言の大功德です」ここで言う口又は書籍で人に善を為す樣に勸めることは前面で述べた「人と共に善を為す」と比較すれば形式張つたことを重視する痕跡がありますが但しこの樣に「病狀に應じて適當に投藥する」方法は屢々特殊な效果があるので放棄してはなりません且つ人を勸めることは適宜でなくてはなりません,例えば對象となる人が非常に頑固であれば説得は無用です,話を以つて勸めても無駄になる丈で何の役にも立ちません,これを失言と申します,若し對象となる人の性格が溫和從順であれば説得が效くのに反えつて勸めなければ人に善行を勸める機會を失することに成ります,これを失人と言います,失言失人共に自己の智惠の不足で分別を辨えることが出來ない為です當然詳細に反省と檢討をして初めて失言失人をしなくなります。   何を以つて「人の危急を救う」と言いますか家財の破產或は一家の離散に會うことは人生路上に於いて常にあることです,若しこの樣な困難や危急のある人に偶然會えば彼の苦痛を我が身の上に發生したものと同じく見做し直ちに方法を講じて解決救助します,例えば彼が他人から濡れ衣を着せられた冤罪の壓迫下にあれば言語を以つて辯明してやるか或は各種の方法を用いて困苦を救濟してやります。明朝の崔先生(明朝、弘治十八年進士合格、副大臣の官職に就いた)が曾つて言うには「恩惠は大小を問はない只他人が危急に面した時直ちに助けてやることが出來れば良い」これ眞に仁者の言です。何を「大なる利益を興す」と言いますか,小さく言えば一村の中、大きく言えば一縣內の總べての公眾の利益になることは當然建設を發起します,例えば水田灌溉用水路の建設或は水災予防の堤防の建設或は橋樑を修築して交通の便を計るとか又は飢餓口渴で苦しんで居る人に茶飯を提供する等です,隨時この樣な機會に遭えば大眾を勸導し金錢と力を出し合い一致協力して建設を興します,譬え他人が陰で貴方を誹謗中傷しようとも嫌疑を避ける為行はない事のない樣すべきです同時に苦勞や他人の嫉妒怨恨を恐れてこれにかこつて行はないと言うことがあつても良くありせん。何を「財を捨てて福を作る」と言いますか,佛門の凡ゆる善行は布施を以つて最も重要とします,布施とは只一個の「捨」の字です何んでも捨て得ることが出來れば佛の意志に合います,眞に道理に明るい人は何んで捨て得ます,例えば自己の身上にある,目、耳、鼻、舌、體、意志何一つ捨て得ない物はありません,佛陀が曾つて修業中に子虎を抱えた母虎が餓死しかかつたのを見て自分の身を與えて救助したかの如く。一個人が身外の色、聲、香、味、觸、法等所有している凡ゆるものを捨て得れば身心清淨となり惱みなく佛陀と等しくなります,但し何もかも捨てることが出來なければ先づ金錢の布施から着手します,世の中の人は衣食を生命と同樣に重視します,從つて金錢上の布施が最も重要です,若し私が氣前よく金錢の布施が出來れば對內的には自己の吝嗇な質を除去し對外的には他人の急難を救うことが出來ます,然し金錢を手輕に離すことは難しいので行い初める時には些かの無理を要しますが習慣に成れば心の中は自然安逸となり捨て得ない物が無い樣に成ります,この樣にすることが出來れば最も容易く自己の貪慾な私心を除き更に金錢に對する執着と吝嗇な質を改める事になります。何を以つて「正法の支持と保護」と言いますか法とは千萬年來靈性あり感情生命のある眼です,亦眞理の指標です(但し法には正邪の別があります)若し正法が無ければ天地による造化の欠陷を補助することが出來ませうか,如何にして各々違う人及樣々な物を布を裁いて衣服を作るが樣に成功させ得ませうかどうして各種の迷いから脱出し束縛から離れることが出來ませうか,どの樣にして世上にある一切の事情を整理しこの穢れた生死輪回の苦界から逃げられませうか,これ須らく正法に賴よつて初めて光明ある大道が步けるのです,其れ故凡ゆる聖賢の寺廟、畫像、經典、遺訓を見れば敬い尊び若し破壞されて不全なものがあれば當然修理すべきです,而して佛門の正法を尊重すると共に廣く宣揚し大眾の重視を集めてこそ初めて佛の恩德に報いることが出來るのです,斯樣なことは勿論全力を以つて實踐に當らなければ成りません。何を「長輩を尊敬する」と言いますか。   家に父母兄姊國家に君王(國家元首)長官がありまして凡ゆる年上道德職位見識の高い人に對しては特に尊敬します,家に於いて父母に侍べる時は深く父母を愛する心を以つて優しく穩やかな態度で接し且つ聲は柔らかく平然とした氣持ちで仕えます,この樣な習慣を間斷なく養育すれば自然に好い性情と變りましてこれ即ち和氣天地を感動させ得る根本的な方法です,外に出て君王に仕える時は何事も國法に依つて行い君王が知らないからと自分勝手に妄りにしてはなりません,犯人を裁くに當つては其の罪の輕重に關はらず詳細に審問し公平に法を執行するものです,君王が知らないからと言うて權勢を笠に着て冤罪を作ることがあつては成りません,君王に仕える時は恰かも天に對するが如く尊敬します,これは古人が定めた規範で最も陰德に關係します,皆よく見たまえ總べての忠孝な人の家族子孫は一人として成功しない者はありません,且つ永久であり前途旺盛です必ず謹愼翼々として行うべきです。何を以つて「物命の愛惜」と言いますか(ここで言う物命とは動物の命)人が人としての資格を持つ所以は彼に惻隱の心があるからです,孟子曰く「惻隱の情の無いものは人に非ず」と,仁を求めることは即ちこの一片の惻隱の心です德を積むことも矢張りこの惻隱の情を積むことです,惻隱の心があれば「仁」あり「德」ありです,惻隱の心が無ければ仁心も道德も無いことに成ります周禮(周朝の周公が定めた一切の祭典の制度)の中で説いて居りますが,每年一月は丁度各種畜生の懷姙しやすい時である故家畜の腹に子を宿している可能があるから祭品には雌の家畜を用いない樣にしますと,孟子曰く「君子は廚房(台所)の附近に住まない」とこれは自己の惻隱の心を保全するが為です,而して先輩には四種の肉を食べない禁忌があります,例えば殺されている動物の鳴き聲を聞いた時,殺されている場面を見た時或は自分で養つたもの又は專問に私を招待する為に殺したものは食べないのです,後輩が若し先輩の慈悲心を學ぶならば一時生臭物(肉類)を斷つことが出來なくとも先輩の方法を見習い禁忌物を食べないことです。   佛法に依りますと生命のある一切のものは前世に於いて罪業を造つたが為畜生として生れて來たが然し其の償いを果せば又人に生れ變り若し修業を積めば佛になることが出來るので今食べている肉は將來の佛の肉を食べて居ることが無いと言う保障は難しいことに成ります,且つ現在の畜生は過去の前世中に人であつたとすれば今食べている肉は或は私の前世の父母、妻子、親族、朋友の肉である可能があります,而し今日私は人で彼は畜生であるので私が彼の肉を食べて殺生の罪過を犯し彼と仇敵の間になつてしまつた事に成ります,若し私が食べた畜生が罪業を償い終えて來世人に生れた時私は今生に於いて殺生の罪業を造つているので來世畜生に生れ變れば恐らく彼は前世私が彼を殺して食べた復仇の為に私を殺して食べることに成ります,この樣に言えば殺生が出來ませうか肉を食べて嚥下することが出來ますか,肉の味が好いと雖も只口の中から喉を通る間の段階に感ずるのみで嚥下すれば何も感じなくなり菜食と同樣なものです,何んで必ず殺生をして罪業を造る必要がありませうか,一時に肉食を斷つ事が出來なくても漸進的に肉食を減少し完全に食べない迠にしますこの樣に行えば慈悲心は益々增加することに成り殺生をしないばかりか極く小さい智性の無い動物,凡ての生命を有するものの傷害をしなくなります,例えば絹糸で衣服を作るのは先づ蠶の繭を水の中に入れて煮なければいけないから幾許の蠶の命を害することに成るか解りません,土地を耕して作物を植える時又地下の蟲類の生命をどれ程奪うことに成るか解りません,我々の着る衣服、食べる飯は何處から來たのでせうか皆彼等の命を取つて私を養つて生きて來たのです,因つて糧食を粗末にして物を浪費する罪業は實に殺生の罪過に等しいのです,又誤つて傷つけ命を取つたとか腳下に踏みつけて誤殺した生命は數え切れない程ある筈です,これは當然方法を講じて防止します,昔蘇東坡の詩に「鼠を愛すれば常に飯を殘し蛾を憐れば燈を點もさない」とあります其の意義は鼠の餓死を恐れ鼠に飯を殘すことであり,蛾が火に飛び込んで燒死するのを憐れんで燈を點さないのです,この話は何と言う仁に厚く慈悲心の深いものでせうか,善事は無盡無窮にあつて話し切れませんが然し只上述の十件を推し廣め發揚することが叶えられたら無數な功德を全部備えた事に成ります。   [大眾を救濟する方法は多々あるが簡單に申しますと大概十種あります,一人と共に善を為す二敬愛の心を持つ三他人の成功を手傳う,四人に善を勸める,五他人の危急を救う,六大なる利を興す,七財を捨て福を作る,八正法を護持する九尊長を敬う十生命を愛し惜しむ等です]


第四篇 謙虛の效果[編集]

  第三篇で説いたのは善を積む方法でした善を積むことが出來ればこれに越した事はありません。但し人が社會で生活する以上他人との往來は避けられませんから為人の方法を須らく講究する必要があります,而し最も好い方法は謙虛であることです,人が謙虛であれば必ず社會に於いて大眾の廣大な支持と信任を得ることが出來ます,謙虛を理解すれば更に「日新月步」の重要を知り單に學問の進步を要求するのみならず,為人や仕事,又は交友等總べての進步を要求します,凡ゆる好い事は謙虛であることに依つて得られます故にこれを謙德と稱します,本篇は專問に謙虛の好い點謙虛の效果に就いて述べます,皆詳細に研究し鵜吞みにしなければ必ず大きな利益が得られます。易經謙卦(書名)で説く「天の道理は凡べて傲慢,自己滿足する者に對しては彼に損失を與えるが而し謙虛である者には利益を與えます地の道理は凡べて傲慢と自己滿足する者には彼を永遠に滿足出來ない樣に變えます,謙虛であれば彼に枯れない樣潤いを與え恰かも水の流れが如く低い地方は必ず充滿するものです。鬼神の道理は凡べて傲慢自己滿足する者には禍を與え謙虛である者には福を賜けるのです,人の道理は皆傲慢且つ,自己滿足する人を忌み嫌い謙虛な人を歡迎します,この樣に天、地、鬼、神、人共に謙虛な者を重視するのです,易經の六十四卦で述べていることは總べて天地陰陽の變化の道理で人に對して為人の方法を教えてます,各卦文の中に兇あり吉あり兇の卦は人に惡から去り善に從う樣警告し,吉卦は人に日進月步である樣勉勵したものです只謙卦文は何れの爻(爻とは易經象の區別で六個の爻で一卦を成立してます)も吉祥です,易經の中でも説いてます「自己滿足は損失を招來し謙虛は益を得る」。私は多くの人と一緒に何回か國家試驗を受けに行つて來たが貧困な讀書人が正に合格する時必ず顏に一片の謙虛と穩やかなそして安らかな光彩を發して居り恰かも手に持つてるかの樣です。辛末年(西紀一五七一年)北京の國家合同試驗を私と同鄉の人十名が一緒に受驗に行つたが其の中で丁敬宇の年が一番少いが然し非常に謙虛な人でした。私は同行の費錦坡に「丁君は今年必ず受かる」と話した費氏が「どうして解かるか」と問うた,私は答えて言うた「只謙虛な人であつてこそ福報を受けられる:我々十名の中で誠實にして人情に厚く一切他人と爭はない者が敬宇の外にあるか。常に人に恭々しく敬意を表し小心且つ謙虛な者が敬宇の外にあるか,他人からの侮辱或は誹謗を受けても爭つて辯明しない者が敬宇の外にあるか,この樣に出來れば天地鬼神は必ず彼を保佑するであらう豈成功しない道理がありませうか」發表後果然合格して居りした。   丁丑年(西紀一五七七年)北京で馮開之(浙江省秀水人翰林院編修)と一緒に住んで居つた時彼の常に謙虛で穩やかな面容をして少し驕り高ぶらない態度を見て大いに私自身の幼時からの惡い習慣を改めることが出來ました,彼には正直で誠實な友人李霽巖が居りました,李某はよく面と向かつて彼の誤りを非難するが彼は常に心靜かに友人の咎めを受け一句たりとも反駁しないのです,私は彼に「人が福を有するのは必ずそれなりの理由があり禍が有るのも必ず兆ざしがある只謙虛な心があれば必ず天の助けがあらう貴方は今年必ず國家試驗に受かる」其の後予測通り合格しました。趙裕峰は山東省冠縣の人で二十歲未滿で既に舉人に受かつたが其の後の國家合同試驗を何度も失敗した彼の父が嘉善縣廳の主任秘書に就任したので父に隨いて赴任した,裕峰は嘉善縣の名士錢明吾の學問を非常に羨らやみ慕い自己の文章を彼に見せた所驚いた事にこの錢先生は筆を取り上げて文章を塗りつぶしたのです;然し裕峰は怒りを發することなく心服して直ちに自己の文章の欠點を改めました,この樣に虛心で勤勉な青年は稀有なものです,其の翌年に國家試驗に受がつてました。壬辰年(西紀一六五三年)私は入京して皇帝に謁見した時夏建所と言う讀書人(書生の意)に會い其の青年の氣質に大きな包容力があつて少しも傲慢な所がない上に謙虛な光彩が人に迫つて來る樣に感じられました,私は歸えつて來て友人に言うた「上天がある人を成功させる時は彼の福を發展させる前に必ず先に彼の智惠を發展させます,この樣に智惠が進めば輕薄な人は自然誠實となり放縱な人も自動的に收まるものです建所が溫和且つ善良の極至に達して居るのは既に智惠の發展が成つて居るから天は必ず福を授けます」國家試驗の發表を待つて見れば果然合格して居りました。江陰(地名)に張畏巖と言う讀書人が居ります,彼は學問深く好い文章を書くので數多ある讀書人の中で名聲が高かつた,甲午年(西紀一六五四年)南京の鄉試(地方試驗)で一所の寺院を借りて住んだ發表を待つたが彼は合格して無かつた,彼は心服せず試驗官を「目の無い奴で好い文章を見分けることが出來ない」と大いに駡しつた,この時一人の道士が彼の傍で微笑えんで居るの見て張畏巖は直ちに怒りの鋒先を道士に向かつて發した道士曰く「お前の文章は必ず好くない」。張某はこれを聞きもつと怒り「お前は俺の文章を見てないのにどうして好くないと解るか」と詰問した道士又曰く「私は常に人から文章を書く時最も重要なのは心安らかで溫和な氣持でなければいけないと聞いてます,今お前の氣持ちは平靜でなく非常に荒れているから好い文章が書ける筈が無い」,張某は道士の話に屈服せず更に道士に教えを乞うた。道士曰く「功名に受かる(合格するの意)のは運命に賴らなければいけない,運命の中に合格出來ないと有れば文章が如何に好くとも益する所がないから矢張り合格の可能がないのです必ずお前自身を改め變えなければならない」張某又問う「運命である以上如何にして改め變えるのか」道士が答えるには「造命の權利は天にあると雖も立命の權は自分にあるお前が一途に善行をして陰德を多く積む樣に努力すればどんな福をも得られませう」張某曰く「私は一個の貧乏書生です如何なる善事を行うことが出來ますか」道士答えて曰く「善事を行つて陰德を積むことは總べてこの心からするのです,只常に善事をして陰德を積む樣心掛ければ功德は果しなく限りあません,例えば謙虛は金錢を費やす必要がないのにお前はとうして自己反省して謙虛せずに反えつて試驗官の不公平を詰るのか」,張某は道士の言を聞いてからは以後既往の傲慢な志向を低め壓え常に誤りのない樣に注意して自己を保全し每日善を修め德を積みました,丁酉年(西紀一六五七年)に到つて某日彼は夢である高い建築物の中で一册の試驗合格名簿を見たが名簿には未だ名前を書いて無い幾許かの空欗があつた,理解出來ないので傍の人に「これは何ですか」と問うた其の人は「これは今年の試驗合格者の名簿です」と答えた,張某が「どうして名簿の中に空欗が澤山あるのか」と問うたら彼の人答えて曰く「陰間(冥土)では試驗に參加する人を三年每に一度調查して居り必ず德を積み過失の無い者がこの名簿の中に名前を連ねることが出來るのです,前面の名簿の空欗は本來合格しているが最近罪過を犯しているので其の名前を削除されたのです」。後で其の人はある空欗を指して「貴方は三年來心を用いて自己保全に務め罪過を犯してないから或はこの空欗に名前が入りませう貴方の重視と自愛を望みます」果して張畏巖は此の年の合同試驗に第一○五名の成績で合格しました。上述に依つて見れば頭上三尺には必ず神が人の行為を監察して居ります,因つて人の利になる良き事は當然直ぐ實行すべきです,人を損ねる兇惡な事は當然避けて行つてはなりません,これ等は自分で決定することが出來ます,只良い心を持ち一切の不善な行為を制約して天地鬼神から責められる樣なことをせず且つ虛心に傲慢にならず天地鬼神から同情される樣に成つて初めて福を受ける基礎があるのです,傲慢な人は必ず遠大な器量が無いから成功出來たとて長久に互つて福報を享受することが不能です少し見識のある人であれば定,自己の度量を狹くして本來取り得る福を拒絕する愚かなことをしないでせう。且つ謙虛な人であれば他人から自己の不足を教え導いて貰らうことが出來ます,若し謙虛でなくば誰が教えてやりませうか。更に謙虛な人は他人の好い處を喜んで學びます。他人が善行をすればこれを學びますから得た善行は無數にあることに成ります,これは德を修める人に取つては缺かすことが出來ません。古の人が「功名を要求する心があれば必ず功名を得富貴を要求する心があれば必ず富貴を得る」とよく言はれています,人に遠大な理想が有れば恰かも樹木に根がある樣です,木に根があれば芽、葉、枝、花が出て來ます,人が偉大な理想を立てるなら須らく謙虛な感えを持つべきです,譬え塵埃の樣に小さい事でも傍にいる人の便利を計らなけばいけません,斯くが如く行えられたら自然天地を感動させ得ます,而し福を造るのは全く自分自身によるのです,自分が本當に造る氣が有れば造ることが出來ます,現在功名を求めて居る人は當初真心があつたか疑はしく一時の衝動に驅けられたのではないでせうか興味が來れば行つて求め興味が醒めたら止めると言う樣なものです。孟子が齊國の宣王に對して曰く「大王は音樂を好むが若し極點に到れば齊國の國運は興隆の可能があります。然し大王が音樂を好むのは唯個人の快樂の追求のみです若し個人の快樂を追求する心を以つて民と共に樂しむ迠に推し廣め庶民をも快樂にすることが出來れば齊國が興隆しないわけがありません」。國家試驗合格の名譽を求める心を以つて着實に德を積み善を行う事を推し廣めそして心と力を盡くして行えば運命と福報は總べて自分自身で決定することが可能です。