中国童話集 (佐藤春夫) 言い伝えにそむいた人

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言(い)い伝(つた)えにそむいた人[編集]

犍為郡(けんいぐん)という所から十里ばかり東の山峡(やまかい)に、天然のどうくつをそのまま一つの道観(どうかん)があって、そこに顔道士(がんどうし)という一人の道士(どうし)が住んでおりました。道観(どうかん)とうのは道士(どうし)といって仙人(せんにん)の道を行う人たちが住んで修業(しゅぎょう)する、日本で言えばお寺のようなところであります。
この道観(どうかん)に古くから一つの石のはこが宝(たから)として伝(つた)わっていました。はこは長さ三尺(しゃく)ばかりのたいして大きなものではありませんでしたけれども、周囲(しゅうい)には、いろいろのめずらしい鳥だのけものだの、また美しい草花の模様(もよう)だのが、一面にほりつけられてあって、この世のどんな名工が腕をふるっても、このように美しくじょうずにはほれないだろうと言われていました。ところでふしぎなことには、このはこがこの道観(どうかん)に何百年も古くから伝(つた)わっていながら、だれもこのはこを開いて見た者がないのです。いったいこのはこには、なにがはいっているのでしょう。それについてこの犍為郡(けんいぐん)の里人(さとびと)のあいだに、つぎのような伝説(でんせつ)が言い伝(つた)えられていました。
むかし、尹真人(いんしんじん)という有名な仙人(せんにん)が、やはりこの道観(どうかん)で修業(しゅぎょう)しておりましたが、いよいよ業成(な)り功(こう)積(つ)んで、天にのぼることができるようになりました。そこで、別(わか)れに臨(のぞ)んで弟子(でし)たち一同を集めて言いますには、
「自分もいよいよ昇天(しょうてん)することができるようになった。でおまえたちとも別(わか)れなければならない。ついては、この石のはこを残(のこ)しておくが、けっしてこのはこは開いてはいけない。もし開く者があれば、その人はきっとたいへんな目に会うであろう」
尹真人(いんしんじん)は、こう言ったまま天にのぼって行ってしまいました。
それからのち、長いあいだ、だれ一人としてこの石ばこのふたを開けて見る者がありませんでした。みんなこの尹真人(いんしんじん)が残(のこ)して行ったことばがおそろしいからであります。
ところが顔道士(がんどうし)がこの道観(どうかん)に住んで修業(しゅぎょう)するようになってから、崔君(さいくん)という人がこの道観(どうかん)のある犍為郡(けんいぐん)の郡長(ぐんちょう)さんになって赴任(ふにん)してまいりました。この人はたいへんむとんちゃくな人でありましたので、この石ばこの話を聞いてそんなばからしいことがあるものもかと言って、さっそく部下の役人を連(つ)れてこの道観(どうかん)へやって来ました。一つはおもしろ半分、一つは宝物(たからもの)でも出ればもうかりものだという欲心(よくしん)からでもあったのでしょう。崔君(さいくん)は顔道士(がんどうし)にすぐさま石ばこのふたを開けよと命じました。おどろいたのは顔道士(がんどうし)です。
「この石ばこは、尹真人(いんしんじん)が残(のこ)して行かれた石ばこです。ご承知(しょうち)のこととは思いますが、このはこを開いた者には、ひどい天罰(てんばつ)がふりかかって来ると伝(つた)えられています。わたしはともかくもあなたのお身の上に、もしものことがあってはなりませんから、このことばかりはおやめになってはいかがですか」
おろそろしながら止めましたが、崔君(さいくん)はなんと言っても聞きません。
「尹真人(いんしんじん)がいたころから、もうかれこれ千年近くなろうというのに、まだそんなつまらないことを信(しん)じているのか。だいたい、開けて悪いはこなんぞ、残(のこ)して行く尹真人(いんしんじん)が悪いのじゃないか。そればかりではない、仙人(せんにん)というものが、この世の中にいるなぞということがまちがいだ。尹真人(いんしんじん)の言ったことがたしかかおれの言うことがまちがいか、ひとつここで試(ため)してみようではないか」
崔君(さいくん)はこう言って、顔道士(がんどうし)の止めるのには耳も貸(か)さず、すぐさま連(つ)れて来た部下に言いつけて、石ばこの錠(じょう)をはずさせようとしましたが、何百年も以前(いぜん)からさびついていますので、もちろん、なかなか開くはずのものではありません。しかたがないので、錠(じょう)をとうとう大きな石でたたきこわしてはずしましたが、今度はふたがわずか三尺(じゃく)足らずの小さいものですが、おしても、引(ひ)っ張(ぱ)っても、てこでこねても、びくともしません。
崔君(さいくん)はむしむししだしました。そこで今度は、じょうぶそうな雄牛(おうし)を、四、五十頭引(ひ)っ張(ぱ)って来させて、大きなつなをつけてこのふたを引かせ、やっとのことで開けました。ところがどうでしょう。崔君(さいくん)が心待ちしていたような、金銀も出なければ、珠玉(しゅぎょく)も出ませんで、古っぽけた巻(ま)き物(もの)が二、三十巻(かん)転(ころ)がり出たばかりです。開いて読もうとしても、読める字なぞは一字もありません。で、なにがなにやらさっぱりわかりません。崔君(さいくん)は失望しました。そして当てがはずれたのでぷんぷんおこりながら出て行きました。
ところがふしぎなことには、あれほど勢(いきお)いのよかった崔君(さいくん)が役所に帰るか帰らぬうちに、どうしたものかばったりたおれて死んでしまいました。さあ大さわぎです。べつだん病気であったというわけでもなし、とつぜんに死んだのですから、里人(さとびと)どもは、これはきっと、尹真人(いんしんじん)のいかりにふれたのにちがいないと、言い合っていまさらのように身ぶるいしておそれました。
さて、崔君(さいくん)の死がいはそのままていねいに、寝台(しんだい)の上に置(お)かれてありましたが、その翌日(よくじつ)のことです。いままだ寝台(しんだい)の上に横たわっていた崔君(さいくん)が、あの死んだ崔君(さいくん)が、とつぜんにむくむくと起き出したではありませんか。崔君(さいくん)の家族の者はもとより、おくやみに来ていた親戚(しんせき)の人や友人たちも、びっくりしてにげ出す者もあるという始末(しまつ)でした。
「いったいこれはどうしたことなのです」
と、そのうちの一人が、崔君(さいくん)にこわごわ問いました。崔君(さいくん)は集まっている人びとを、不審(ふしん)そうにしばらく見つめておりましたが、やがて、自分がどうしていたかを語りだしました。
「みなさん、わたしがこんなことになったのも、尹真人(いんしんじん)の石ばこを開いたからです。わたしは生れつき仙人(せんにん)だとか、神様だとかいうもののあることを信(しん)ずることはできなかったのです。そこで尹真人(いんしんじん)の石ばこを聞いて、ばからしく感じました。それからのことはみなさんもご承知(しょうち)のとおりです。あの日役所に帰り着きますと、きゅうに頭の中がぼうっとして、なにがなにやらわからなくなってきました。わたしがぐったりと横たわっていると、ずうっと向こうのほうから小さい小さい人が、自分のほうへやって来ます。だんだんそばへ来ると、だんだん大きな人になります。よくよく見るとその人はむらさきの衣(ころも)を着ていまして、『自分は閻魔王(えんまおう)のお使いであるが、いま呼(よ)び出(だ)し状(じょう)を持っておまえをむかえに来た。来なければおまえの罪(つみ)は重くなるばかりだから、おとなしくついて来たがよかろう』と言って首をつかまえて引き立てます。自分んはこのとき初(はじ)めて、死んだのだなと思いました。で、もちろんこばむ力もありませんし、ただたまってついて行きました。まつ暗な道を四、五十里も歩いたかと思うと、やっと閻魔(えんま)の庁(ちょう)に着いて、そこでわたしは調べられることになったのです。取り調べの役人は、おごそかな態度(たいど)で、わたしに申しますには、『おまえはどうして尹真人(いんしんじん)の石ばこを開いたのか。自分はいま閻魔王(えんまおう)の命令(めいれい)を受けたのでおまえを調べなければならない』とこう言われるのです。自分は尹真人(いんしんじん)の石ばこを開くことが、それほどの罪(つみ)になるとは知らなかったということを、ていねいに申し開きしたのです。役人は、しばらく考えていましたが、やがて、『おまえは神仙(しんせん)というものが尊(たっと)いものであるということを知らないらしい。知ってやったとなれば、許(ゆる)すことはできないが、知らぬとあれば少しは罪(つみ)を軽くしてやってもよいかもしれぬ』と言ってなにか帳簿(ちょうぼ)のような物を調べていたが、『おまえの罪(つみ)は本来死に相当(そうとう)すべきものであるがまだ十七年の寿命(じゅみょう)と五度(いつたび)官爵(かんしゃく)を進められる機会があるから、後二年の寿命(じゅみょう)をあたえるほかはいっさい官爵(かんしゃく)をうばい上げる』と言いわたされるとぽっと明るくなって目が開いたのです」
崔君(さいくん)はこう言ってまたもみんなの者を情(なさ)けなさそうな顔をしながら見わたしました。
聞いていた人たちもただ不思議なことがあればあるものだと、おどろくほかなぐさめることばもありませんでした。崔君(さいくん)はこれから二年目に、とうとう死んだと申します。
世人がいけないということを軽々しく犯(おか)してはならないのです。それをくわだてる者は命がけでなければならないのです。