中国童話集 (佐藤春夫) 友だちどうし

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友だちどうし[編集]

陽城(ようじょう)の近所に鬼谷(きこく)という所がありました。ここに世からのがれて、その名も明さず、自分で鬼谷子(きこくし)といって、鬼谷(きこく)の賢者(けんじゃ)だとのみ名乗っている人がありました。この人はなに一つ知らないということがありませんので、教えを受けに訪(たず)ねて来る者がありますと、何事でも教えます代わりに、帰ってしまう弟子(でし)があってもべつだんたいして気にかけるふうもありませんでした。
孫臏(そんぴん)と龐涓(ろうけん)という二人の者がともにもう三年以上(いじょう)も鬼谷子(きこくし)のもとで兵学(へいがく)を学んで、たがいに兄弟のような仲(なか)のよい友だちでした。ところが魏(ぎ)の国で将軍(しょうぐん)を求(もと)めているということを、ふと耳にしました龐涓(ろうけん)はすぐに魏(ぎ)をさして行こうかと思いましたが、自分たちの先生である鬼谷子(きこくし)が世俗(せぞく)の栄華(えいが)などということをいやしく見ていられますので、思い切って先生に自分の心持ちをお話することを言いだせずにいました。しかし鬼谷子(きこくし)は龐涓(ろうけん)のおもわくをちゃんと見ぬいていましたので笑(わら)いながら、
「涓(けん)よ、おまえに運が向いて来たのだ。さあ山を下ったがよかろう」そう言ってからこの賢者(けんじゃ)は涓(けん)に言いつけてから山から一本の花を摘(つ)んで来させました。この花でもって彼(かれ)の弟子(でし)の未来(みらい)を予言(よげん)しようというのであります。そこで涓(けん)は八月の炎天(えんてん)の下で半日ほどもかかって、ようやく一本の花を探(さが)し当てましたが、それがいかにも貧弱(ひんじゃく)な小さな花で、その花から彼(かれ)の怡しい大きな未来(みらい)などが予言(よげん)されそうに思えませんでしたので、せっかく見つけた花でしたが捨(す)ててしまいました。そして彼(かれ)はまだほかにあるんだろうと思って山の中をかけめぐって探(さが)し回りましたが、とうとうさっき見つけた以外(いがい)はふしぎと一本もありませんでした。で、彼(かれ)はしかたなくまた、さっき一度は捨(す)てた花を拾い上げて、それをそでの下にかくして持って帰り、師(し)の鬼谷子(きこくし)の前に出ました。
「花はどうしても見つかりませんでした」
「おまえのそでの下にあるものはなんだね」
と先生にそう言われますと、彼(かれ)もだましきれなくなって、その花を師(し)にわたしました。
それを手に取って彼(かれ)の先生はこう言われました。
「この花はいつも十二枚(まい)の花びらをもって、さくものだ。それはおまえの繁栄(はんえい)する年数を意味している、おまえは志(こころざし)をとげるだろう。しかしここに二つのことばがある。『羊(ひつじ)に会えば栄(さか)える。馬に会えばほろびる』このことをよく覚(おぼ)えていてけっして忘(わす)れてはいけないよ」
涓(けん)は先生からの予言のことばを聞かされて、魏(ぎ)の国へと旅立ちました。孫臏(そんぴん)はそれを山のふともまで見送りましたがとちゅうで、涓(けん)は孫臏(そんぴん)に向かって言いますには、
「あなたにはいろいろとお世話になりました。二人の友情(ゆうじょう)は忘(わす)れられるものではありません。わたしがもし富貴(ふうき)の身分になることができたら、きっとあなたも同じような地位(ちい)にもり立てたいものです。二人でともどもにほまれを世に残(のこ)そうではありませんか」
「ほんとうにわたしのことを思ってそう言ってくださるのならば、ありがたいことですが」と孫臏(そんぴん)が申しますと、涓(けん)はまた、
「もしこのやくそくにたがうようなことをわたくしがしたらば、数万の矢(や)をうたれて殺(ころ)されてもよろしゅうございます」
「ありがとう。そうまでおっしゃってくださるなら、くどくどとおやくそくをしないでも確(たし)かなことにちがいありますまい」
二人はこう語り合って別(わか)れました。
孫臏(そんぴん)はふたたび山に帰りますと、鬼谷子(きこくし)は孫臏(そんぴん)に向かって龐涓(ろうけん)のうわさをしまして、「あの男は、まだほんとうの大将(たいしょう)にはなれない」と言われました。臏(ひん)は「どうしてですか」と先生にたずねましたが、お答えになりませんでした。ただほかの弟子(でし)たちがいなくなったときに一巻(かん)の書物を取り出して、新しくその本の講義(こうぎ)を始めようと言われました。それから、その書物のことを孫臏(そんぴん)に説明(せつめい)しまして、
「この書物こそは孫(そん)家の賢者(けんじゃ)と呼(よ)ばれたおまえの祖父(そふ)の世に残(のこ)したものなのである。世が乱(みだ)れて、おしいことに絶(た)えてしまいそうになったのを、わしがやっと一巻(かん)だけ伝(つた)えることができたのだ」
そう先生に言われますと、臏(ひん)は少年のころに早く父母を亡(な)くしたこととて、祖父(そふ)のことを聞かされるのがなつかしく、うれしいのでした。そしてその祖父(そふ)の書物をありがたくも自分に伝(つた)えてやろうと言われる先生をあおいでおたずねしました。
「なぜ、この書物をわたくしだけに教えてくださって涓(けん)にはお伝(つた)えなさらなかったのでございますか」
「この尊(たっと)い書物を読んで正しく用うる者は世の中のためになるが、もしそうでなければ、世を害(がい)することになる。涓(けん)はその用い方を知っているような男ではないのだ」
と鬼谷子(きこくし)はお答えになりました。
そのうちに涓(けん)は魏(ぎ)の国に着きました。王の前に出ましたとき、ちょうど王は食事の半ばでして、羊(ひつじ)のあぶり肉がその前にありました。涓(けん)は心ひそかに喜(よろこ)んで「羊(ひつじ)に会えば栄(さか)える。まず安心してもよかろう」と思いました。
王は涓(けん)といっしょに、隣邦(りんぽう)の六国の形勢(けいせい)を語り合いました。涓(けん)が述(の)べることが、なかなかしっかりしえちますので、たいへん王は喜(よろこ)ばれて、やがて、涓(けん)を将軍(しょうぐん)に取り立てました。涓(けん)は一族のうちからこれはと思う仕事のできそうな青年を用いて隣国(りんごく)を打(う)ち破(やぶ)りました。いちばん強い斉(せい)の軍兵(ぐんぴょう)が、すきをねらったときなどは涓(けん)自身でこれを打ちはらいまして、世にもまれな手がらをしたと思うにつけても、涓(けん)は自分をよほどえらい者のように自信(じしん)しました。
ちょうどそのころに墨翟(ぼくてき)という人がありましたが、この人は天下の名山をあちらこちらと気の向いたまま、訪(たず)ね歩いているうちに、ぐうぜんに鬼谷(きこく)で孫臏(そんぴん)と知り合いになりました。そうして孫臏(そんぴん)のようなえらい人物が、なぜ世の中に出て来ようとしないのかとたずねましたときに、孫臏(そんぴん)は魏(ぎ)に行っている彼(かれ)の親友の龐涓(ろうけん)が、いまに彼(かれ)をむかえに来てくれるのを心だのみにしていることを知りましたが、それにしても、おかしいのは龐涓(ろうけん)の心持ちだと思って、一度孫臏(そんぴん)のために確かめてやりたいものだと考えつきました。墨翟(ぼくてき)は魏(ぎ)の国へ出たついでに龐涓(ろうけん)に会おうと思いましたが、自分でえらくてたまらない者のようになってしまった涓(けん)は墨翟などに会おうとはしませんでした。墨翟(ぼくてき)はそこで、親しく王に拝謁(はいえつ)しようとしました。王は墨子(ぼくし)の名を聞かれて「そういうかくれた士(し)のあるのをあぢぶまえから聞いていた」と言われてていねいにご自分で階段(かいだん)を下りられてむかえに出られました。いろいろとお話をなすったのち、墨翟(ぼくてき)がうわさにも勝(まさ)るすぐれた人であることを王はご存知(ぞんじ)になって、彼(かれ)を官位(かんい)につけようとお思いになりましたけれども、墨(ぼく)は、
「わたくしはわがままな男で、とてもきゅうくつなお役人の服装(ふくそう)なぞ着てはいられません」
と言って、自分の代わりには、かの孫子(そんし)の孫(まご)で鬼谷子(きこくし)の高弟である孫臏(そんぴん)がえらい人物でありますとすいせんいたしました。
こうして孫臏(そんぴん)の名を知られました恵(けい)王は、将軍(しょうぐん)である龐涓(ろうけん)に、同門の友の孫臏(そんぴん)をむかえるように手紙を書かせようとご相談(そうだん)になりました。涓(けん)はそれを聞きますと王にこう申し上げました。
「孫臏(そんぴん)はわが国の強敵(きょうてき)に当たる斉(せい)の国の生まれでありますから、もし彼(かれ)がわが国の役人になればきっと斉(せい)のために計って、魏(ぎ)に不利(ふり)な行動をするでございましょう。それでございますから、わたくしは孫臏(そんぴん)の才能(さいのう)を知らないではありませんが、彼(かれ)をお勧(すす)めしたくはないのでございます」
王は涓(けん)がそう申し上げても、それには耳をお貸(か)しにはありませんでした。
「士(し)は信(しん)ずる者のために死すると言うではないか。見こまれた人のためにつくすのがまことの男子だ。彼(かれ)とてもかならずしも自分の生まれた国のためばかりを計るものではあるまい」
涓(けん)は心の中では、自分は魏(ぎ)の国の兵権(へいけん)を一手に収(おさ)めていたいのに、ちえも天分も自分よりはるかにすぐれている孫臏(そんぴん)が来れば、いままでの権力(けんりょく)はきっと彼(かれ)にうばわれてしまうだろうという、不安(ふあん)がありました。けれどもこれ以上(いじょう)に王の命令(めいれい)にそむくわけにもゆかなくなると、自分がかえって王さまに彼を推挙(すいきょ)したようなことを孫臏(そんぴん)に書き送っておいて、臏(ひん)が来たならだんだんに友だちをおとしいれるはかりごとをするのが一番だと思案(しあん)を決めました。
孫臏(そんぴん)をむかえる涓(けん)の手紙と、四頭立ての馬に黄金(こがね)と白玉でかざった馬車をもって王の死者は鬼谷(きこく)へ急ぎました。孫臏(そんぴん)は旧友(きゅうゆう)の便(たよ)りを手に取って見てその友情(ゆうじょう)の厚(あつ)いのに心から喜(よろこ)びました。さっそく先生の鬼谷子(きこくし)に涓(けん)の手紙を見せました。手紙の中には、その立身出世の源(みなもと)である恩師(おんし)の安否(あんぴ)をたずねる文句(もんく)が一字さえありませんでしたので、師(し)の心の中には涓(けん)という男の人がらが、いまさらはっきり見すかされました。それにつけてもすなおで、心の正しい臏(ひん)と、ねたみ深く、権謀(けんぼう)の多い涓(けん)とが、けっして両立しないであろうといまから案(あん)ぜられて、鬼谷子(きこくし)は孫臏(そんぴん)を魏(ぎ)へやりたくはありませんでした。けれども王のめいよを傷(きず)つけることをおそれて、強(し)いて臏(ひん)に行くなとも言いませんでした。師(し)は涓(けん)のときのように臏(ひん)に花を摘(つ)んで来ることをお命じになりました。初冬(しょとう)のころでしたから、卓上(たくじょう)の花びんにきくの花が投げ入れてありました。孫濱(そんぴん)はその花をぬいて先生の前に出しますと、師(し)の鬼谷子(きこくし)はそれをまた、花びんに投げこみながら言いました。
「これは根から切られたもう満足(まんぞく)ではない花だ。しかしこれは寒さにたえてしもにかれないでいる。それゆえ、こうして花びんにさされて愛(あい)と尊敬(そんけい)とを受けている。それがこの花には切られたことのつぐないになっている」
それから、ことばをつぎながら、一つの黄色い絹(きぬ)のふくろをあたえて言われました。
「命の危(あやう)い場合にはこれを開けてごらん」
そして、鬼谷子(きこくし)とその弟子(でし)たちは孫臏(そんぴん)を見送りました。弟子(でし)たちはみな、王にめされて行く幸福な同門の兄弟子(あにでし)を乗せて黄金(こがね)のかざりを光らせながら、冬の入り日の中に消えて行く車から、いつまでも目を放そうとはしませんでした。鬼谷子(きこくし)は、
「おまえがたも孫臏(そんぴん)がうらやましいか。王にめされて行く日が待ち遠しいかな」
すると若(わか)い弟子(でし)の一人は目をかがやかせて申しました。
「先生わたくしたちも早く世に出とうございます」
弟子(でし)たちがみな世俗(せぞく)の栄達(えいたつ)にあこがれて、彼(かれ)らがなにかを学ぼうというのも、ただ立身と功名(こうみょう)との一念(いちねん)からに過(す)ぎないので、老(お)いていく先生にかしづいて、真理(しんり)の道を静(しず)かに求(もと)めようとする者が、この乱(みだ)れた世の中に一人としていないかと思うと、半分はもう仙人(せんにん)になったこの賢者(けんじゃ)の心でさえさすがにたよりない気持ちがするのでした。
孫臏(そんぴん)が恵(けい)王の前に伺候(しこう)いたしましたときに、王は彼(かれ)と兵法(へいほう)を論(ろん)じ合って、彼(かれ)の深い学識(がくしき)にすっかりおどろかれました。そうして彼(かれ)を副将軍(ふくしょうぐん)に任命(にんめい)しようと思われて龐涓(ろうけん)にご相談(そうだん)になりました。すると涓(けん)は、
「同門の兄たる孫臏(そんぴん)を、どうしてわたくしの副将(ふくしょう)にすることができましょう。彼(かれ)を当分のうち客にしておいていただき、もし彼(かれ)が魏(ぎ)のために手がらを立てましたときには、わたくしは喜(よろこ)んで、いまの地位(ちい)を臏(ひん)にゆずって彼(かれ)の杯かになりましょう」
このことばはもっともなので、王はそのとおりになさいました。こうして涓(けん)はぞうさもなく友情(ゆうじょう)の厚(あつ)い男になりすましました。
いく月かたちました。墨翟(ぼくてき)と会ってお話になられた恵(けい)王のおことばで、孫臏(そんぴん)が世にも得(え)がたい孫武(そんぶ)の兵書(へいしょ)を学んでいることを聞き知りました涓(けん)は、いつもその書物の中にどんな秘密(ひみつ)が書かれてあるか知りたくてたまりませんでした。そうしておりにふれて、それとなく臏(ひん)の口からそれを聞き出そうと試(こころ)みました。魏(ぎ)に来た日から涓(けん)のやしきに寄寓(きぐう)していて毎日顔を合わして何事も包(つつ)まず話し合うあいだがらでありました臏(ひん)も、その兵書(へいしょ)のことについてはけっしてなにも申しませんでした。涓(けん)のほうでもまた、臏(ひん)にたのんで教えてもらうのはいい気持ちでなかったのでした。それに、いつぞや王の前でこの二人は兵法(へいほう)を話し合ったときに、涓(けん)は臏(ひん)に打ち負かされたので、その日から王の信用(しんよう)が臏(ひん)のほうに重くなってゆくような気がする涓(けん)は、とうとう、臏(ひん)にたいしての最初(さいしょ)のたくらみを実行しようと決心しました。
そこで臏(ひん)の故郷(こきょう)のなまりをうまく使う腹心(ふくしん)の者を伝使(でんし)に仕立てて、涓(けん)は臏(ひん)の所へ兄から手紙をよこしたようなふうにしてにせ手紙を持たしてやりました。それには臏(ひん)の一家が落ちぶれてしまったことや、弟にしばらく会わないから、ぜひ一度会いたいというようなことが書いてありました。その手紙を見てうそだとは知らなかった臏(ひん)は、長いあいだはなれている故郷(こきょう)のなつかしいことを細ごまと述(の)べて、それから魏の国のためになにか仕事をしたそのうえは、一日も早く故郷(こきょう)へ帰って落ちぶれた家を再興(さいこう)したいという返事を書いてにせ使者にあたえました。
龐涓(ろうけん)は孫臏(そんぴん)の手紙を持って、王の前にでましたが声音(こわね)を変(か)えて申し上げました。
「わたくしは何度も、臏(ひん)がいつも自分の故国(ここく)のことばかり考えていることを申し上げました。どうでgぞあいましょう。彼(かれ)は魏(ぎ)の国を裏切(うらぎ)って、斉(せい)の者にこのような手紙を書いているのでございます。ここにございます。どうぞご覧(らん)ください」
初(はじ)めのうちは、けっしてそのことを信(しん)じなかった王も、その手紙をご覧(らん)になりますと、たいへんおいかりになって、声さえふるわせながら、
「あいつに、どんな罪(つみ)をあたえてやろう」
とおっしゃいました。涓(けん)は王に小さな声で申し上げますには、
「殺(ころ)してしまっては世間の聞こえがよろしくありません。彼(かれ)の顔に烙(や)き印(いん)をして、それから斉(せい)に帰れないように、両足をひざから断(た)ち切っていざりにしてしまおうと思います」
「それはよい思いつきだ。よかろう」と王がお答えになりました。
涓(けん)はそれから臏(ひん)の所へ行きました。
「貴君(きくん)がひそかに斉(せい)の国と文通したことが王におわかりになり、王はたいへんのお腹立(はらだ)ちだ。貴君(きくん)を重い刑罰(けいばつ)にしようとおっしゃるのだ。わたしはいく度か、嘆願(たんがん)して、やっお貴君(きくん)の顔に烙(や)き印(いん)をおすことと、両足をひざから断(た)つことだけで命を助けていただいたが、それ以上(いじょう)はわたしにも法(ほう)を曲げるようなお願(ねが)いもできませんでした。ああ、まことにお気のどくです」
こう涓(けん)に言われますと、孫臏(そんぴん)はなげきながら「わたしたちの先生は、とうにわたしのからだが完全でいられないことを知っておられました。ああ、鬼谷(きこく)の先生はなにもかも知っていらっしゃるのだ。でもわたしの首がついていることはまだしものことだ。わたしはあなたの友情(ゆうじょう)に感謝(かんしゃ)する。けっして忘(わす)れるものじゃない」と言いました。
涓(けん)は臏(ひん)をしばらせました。重いおのがひざがしらに落ちて、孫臏(そんぴん)は大きな声を立て気を失(うしな)って地にたおれふしました。気がついたときには人びとは、さらに臏(ひん)の顔に「ひそかに外国と交通した者」という烙(や)き印(いん)をおしてから、その上をすみで色をぬりつけました。涓(けん)は空なみだを流し声を上げて臏(ひん)の不幸(ふこう)な運命を悲しみ、その傷(きず)を薬で洗(あら)ったり、絹(きぬ)で包(つつ)んだりしました。そして自分(じぶん)で臏(ひん)を彼(かれ)の部屋(へや)にかかえて行って、やさしげなことばでなぐさめ、ごちそうをして養生(ようじょう)させました。ひと月のあいだに傷(きず)は治(なお)りました。けれども臏(ひん)の両ひざにはもうなんの力もありませんでした。臏(ひん)は立つことも、歩くこともできませんで一日じゅうとこの上に横になっているばかりでした。
涓(けん)はその後、いまはもう廃人(はいじん)になってしまったその友のためとしては、ひじょうにたいせつに臏(ひん)をとりあつかいました。臏(ひん)は内心ひどく不安(ふあん)とはずかしさを感ずるのでした。臏(ひん)のそんな心持ちにつけこんで、涓(けん)はある日、おりを見てとうとう話を切りだしました。
「貴君(きくん)は毎日たいくつでしょう。どうです、ひまつぶしに、あなたが鬼谷(きこく)先生から伝(つた)えられた孫武(そんぶ)の兵書(へいしょ)を書き取って見てはくださいませんか」
そう涓(けん)に言われて、臏(ひん)はすなおに答えました。
「よろしい。そんなことでもしなければ、わたしには、あなたの恩(おん)に報(むく)いることもできそうにもありませんから」
それから孫臏(そんぴん)は、この仕事にとりかかりました。孫濱(そんぴん)の身の回りの世話をしている下男に誠見(せいけん)という年取った男がありました。臏(ひん)の罪(つみ)のないことを日ごろから気のどくに思っていましたが、ある日のこと涓(けん)はこの誠見(せいけん)を呼(よ)んでたずねました。
「孫臏(そんぴん)の書き物は一日にどれぐらいできるか」
「足のご不自由(ふじゆう)な孫(そん)先生は横になっておられることが多くて、おすわりになるのがごたいぎですから、せいぜい一日に二枚(まい)か三枚(まい)かよりお書きになりません」
誠見(せいけん)はそう答えました。ほんとうに臏(ひん)の書いている孫武(そんぶ)の兵書(へいしょ)は、まだ十分の一もできていなかったのでした。老僕(ろうぼく)の答えを聞いた涓(けん)は腹(はら)を立てました。
「そんなになまけていて、いったいいつになったらでき上がるのだ。よく気をつけていて急がせろ」
誠見(せいけん)は引きさがってから、そっと涓(けん)のお付(つ)きの者にたずねました。
「孫(そん)先生は罪(つみ)もないのに罰(ばつ)せられたお気のどくなかただ。なぜわたしたちの主人はあのかたを仕事に追い使おうというのだろう」
涓(けん)のお付(つ)きの者たちは口をそろえて言いました。
「それではおまえは知らないのか。わたしたちの主人はほかの人の前でこそ、孫(そん)先生に情(なさ)けをかけているように見せかけているが、心のうちではにくさがいっぱいなのだ。殺(ころ)さないのは本ができないからさ。本が書き終われば、それといっしょに孫(そん)先生の命もおしまいだ。でもこれはだれにもしゃべってはいけないぜ」
誠見(せいけん)は帰ってからそっとすべてのことを孫臏(そんぴん)に明かしました。臏(ひん)はおどろきました。
「涓(けん)がそんな不実な男なら、あの書物の内容(ないよう)を知らせられるものか。といって書かなければ腹(はら)を立てるに決まっている。そうすればわたしの命はきょうあすにもせまっているのだ」
そう考えてくやしくてたまらないので、臏(ひん)は、いろいろと思いめぐらしました。しかし自分を救(すく)うぃなんのすべもありませんでした。「鬼谷(きこく)先生はなにからなにまで知っていられたのだ」彼(かれ)は鬼谷(きこく)を出るとき、先生からいただいた、命の危(あや)ういときに開けと言われたあのふくろのことを思いだしました。「そうだ、いまこそその時だ」彼(かれ)はふくろを開けました。文字を書いた黄色い絹(きぬ)のきれがはいっていました。
ある朝目を覚(さ)ました臏(ひん)は、自分自身に言いました。
「そうだ。やはりそうするよりしかたがない」
その夕方、晩餐(ばんさん)の卓(たく)について、臏(ひん)がはしをとろうとしたときに、彼(かれ)はきゅうに気分が悪くなるのを感じて、おなかの中のものをみんなはき出してしまいました。彼(かれ)は目をつり上げて、たけりくるいながらどなりました。
「なんだってわたしを毒殺(どくさつ)しようというんだ」そう言って彼(かれ)は手当たりしだいに、さらやはちをそこらに投げつけ、孫武(そんぶ)の書きかけを焼(や)いてしまいました。そうして地にたおれて小やみなくわけのわからぬことばを口走りながら、しかったり、すすり泣(な)きをしたりしました。なぜだかわけのわからなかった老僕(ろうぼく)の誠見(せいけん)は、涓(けん)の所へかけつけてそのことを知らせました。
顔をどろまみれにした臏(ひん)が地上にふさって、声高く、笑(わら)ったり泣(な)いたりしているのを見て様子を見に来た涓(けん)はたずねました。
「兄弟よ、あなたはなぜ笑(わら)うのだ、なぜ泣(な)くのだ」
「わたしは魏(ぎ)の王がおろかなのを笑(わら)うのだ。王がわたしを殺(ころ)そうとしてもわたしには天の加護(かご)がある。わたしにたいしてなにができるものか。わたしはこの孫臏(そんぴん)を失(うしな)っては魏(ぎ)の国の兵(へい)を率(ひき)いる者がなく、国がほろびるのを泣(な)くのだ」そう言って臏(ひん)は涓(けん)の顔を見つめました。それから涓(けん)の前に額(ひたい)を地にすりつけてさけびました。
「鬼谷(きこく)先生よ。どうぞわたくしの命を助けてください」
「わたしは龐涓(ろうけん)だ。わたしがわからないのか」
と涓(けん)が答えましたが、臏(ひん)は涓(けん)の衣(ころも)のすそをしっかりとにぎって放しませんでした。そして、
「わたしの命を助けてください」
とさけび続(つづ)けました。涓(けん)は臏(ひん)の手をふり放してまた、誠見(せいけん)に聞いてみました。
「孫臏(そんぴん)の気がくるったのはいつからだ」
「昨夜(さくや)からでございます」と誠見(せいけん)が答えました。
涓(けん)はだまって立ち去りました。しかしきちがいのまねをわざとしているのではないかと、うたぐり深い彼(かれ)は、臏(ひん)を試(ため)してみようと思い、彼(かれ)は下僕(げぼく)たちに命じて、臏(ひん)をきたないぶた小屋に投げこみました。臏(ひん)は力なく、その中に転げこんで、きたない物の中にからだを横たえていました。乱(みだ)れた頭髪(とうはつ)は頭にかぶさって血走った目にぼんやりと空(くう)をみていました。下僕(げぼく)たちは食べ物と飲み物とをやって、涓(けん)から教えられたとおり、つぎのようなことを言いました。
「わたしたち召使(めしつか)いは、先生を気のどくに思って、これを差(さ)し上げるのです。わたしたちの主人はこの食べ物のことはちっとも知らないのです」
「おまえたちもおれを毒殺(どくさつ)しに来たのだな」孫臏(そんぴん)はまえと同じように目をいからせてさけびました。そうしてその食べ物と飲み物を地にたたきつけました。下僕(げぼく)たちはその代わりに犬の糞(ふん)と土の固(かた)まりを差し出しました。臏(ひん)はそれを受け取って食べました。涓(けん)はそれを聞きましたとき、「臏(ひん)はほんとうにきちがいになったので、もうあの男のために頭をなやます心配がなくなった」と思いました。こういうわけで、臏(ひん)はそれからというものは、思うがままにひざよりない足を引きずっては、どこへでも行くことができるようになりました。彼(かれ)は朝早く出て行って、夜おそく帰ってはぶた小屋にねました。遠くへ行って帰らずに道ばたや市場に夜を明かすこともありました。そんなときでも臏(ひん)は町の人びとに見破(みやぶ)られないように、わざと笑(わら)ったりしゃべったり、しかったり、わめいたりしてやめませんでした。人びとは彼(かれ)が孫(そん)先生であることを知っていますので、気のどくに思って食べ物をやりました。臏(ひん)はそれをもらって食べるときもあれば、また見向きもしないこともありました。けれども彼(かれ)のぶつぶつ言っている意味のわからないことばだけは、やむひまもなくそのくちびるからもれました。涓(けん)は町の者に命じて、そんな場合には朝と夕には、きっと臏(ひん)のいる場所を通知させました。
世間の栄華(えいが)をよそに、なすこともなく国じゅうをたとえば風のように、さまよい歩いていた墨翟(ぼくてき)は、そのころ、斉(せい)に遊んで田忌(でんき)という人の家のお客となっていました。田忌(でんき)の子弟に禽滑(きんかつ)という者がいました。ひょっこり魏(ぎ)の旅から帰って来たのに会いました。墨翟(ぼくてき)は禽滑(きんかつ)に自分が王にすいせんした孫臏(そんぴん)ははぶりがよいかと聞いてみました。禽滑(きんかつ)は魏(ぎ)の都で耳にした孫臏(そんぴん)のうわさを話しました。これを聞いた墨翟(ぼくてき)は自分が臏(ひん)をすいせんしたことが、かえって彼(かれ)の身のあだになったことをなげいて龐涓(ろうけん)のねたみ心をののしりました。熱情家(ねつじょうか)の田忌(でんき)は、すぐに斉(せい)の国王に拝謁(はいえつ)して、自国の賢臣(けんしん)が異国(いこく)でそんなはじに会っていることは打ち捨(す)てておけないことだと慷慨(こうがい)しました。孫濱(そんぴん)の人となりを聞きしとうていた威(い)王は、臏(ひん)のために軍(いくさ)を起こそうとまで考えました。けれどもそのために孫臏(そんぴん)がそれより早く命を断(た)たれることをおそれました。そうして田忌(でんき)の献策(けんさく)によって。淳于髠(じゅんうこん)という者を、恵(けい)王に茶を送るという名目で魏(ぎ)の国へ使いにやりました。魏(ぎ)の案内(あんない)にくわしい禽滑(きんかつ)を従者もふりをして一行に従(したが)わせました。
魏(ぎ)の国に着いて恵(けい)王に斉(せい)の国書をささげた夜、恵(けい)王は斉(せい)のお使いの者たちにさかんな酒もりを開きました。
禽滑(きんかつ)は宴会(えんかい)のさわぎの中を、そっとぬけ出て孫臏(そんぴん)を探(さが)しました。孫濱(そんぴん)は、とある井戸(いど)のそばの井(い)げたに背(せ)をもたせかけてすわっていました。臏(ひん)を見つけた禽滑(きんかつ)はなみだを流しながら小声でささやきました。
「孫(そん)先生。あなたはこの禽滑(きんかつ)をご存知(ぞんじ)ではございますまい。けれどもわたしの師(し)田忌(でんき)先生が斉(せい)の王にあなたのお身の上を申し上げました。孫(そん)先生の名をしたっておられる王は、淳于髠(じゅんうこん)とわたしとをおつかわしになりました。わたくしたちはじつは茶を持って来たのではないのです。あなたを斉(せい)にお連(つ)れ申す機会(きかい)を求(もと)めに来たのです。あなたの敵(かたき)を討(う)つためにでございます」
だまり続(つづ)けていた孫臏(そんぴん)はさめざめと泣(な)いて、やっと口をききました。
「わたしは、もうこの汚泥(おでい)の中で死ぬ身だと覚悟(かくご)をしていた。いまこんな機会(きかい)に会うことができようとはゆめにも思えようか。けども、あの疑(うたが)い深い龐涓(ろうけん)がいてはわたしを国外に連(つ)れ出してもらうようなことはとてもむずかしかろう」
禽滑(きんかつ)はそこで答えるのです。
「いや、すべての用意は整っています。なにもご心配にはおよびません。もう一度お連(つ)れ申しにまいりますから、どうぞこの場を立ち去らないでおいでください」
淳于髠(じゅんうこん)の帰国のとき、魏(ぎ)王は彼(かれ)にさまざまのおくり物をしました、けれども淳于髠(じゅんうこん)はなにも受けませんでした。涓(けん)もまた斉(せい)の使いたちのために送別会(そうべつかい)を開いて淳于髠(じゅんうこん)を招待(しょうたい)しました。
暖(あたた)かく用意を整えた車の中に孫臏(そんぴん)をかくした禽滑(きんかつ)は、その前日にはもうやすやすと魏(ぎ)の国境(こっきょう)をこえてしまっていようとは、だれが気がつきましょうか。
淳于髠(じゅんうこん)が斉(せい)に帰ったいく日かのちのある朝、魏(ぎ)の都の人びとはいつものように涓(けん)将軍(しょうぐん)に報告(ほうこく)をしようと孫濱(そんぴん)の居所(いどころ)を探(さが)しました。ほうぼう探(さが)し回ったのですが、どうしても臏(ひん)の姿(すがた)はどこにも見つかりませんでした。数日前からゆうべまで彼(かれ)がそこにいた井戸(いど)のそばには、ただきたないきたない着物がぬぎ捨(す)ててあるだけでした。あのお祭りさわぎの宴会(えんかい)のあった晩(ばん)に、禽滑(きんかつ)が町の人びとをだますためにどれいを一人、髪(かみ)をおどろにさせ、どろを顔にぬったその上から孫臏(そんぴん)が着ていた着物を着せたのでした。臏(ひん)の身代わりに残(のこ)されていたその男が、ゆうべやみにまぎれて、一行の後を追うてのがれたときにぬぎ捨(す)てて行った着物で、そんなこととは知らない人びとにはそれがなぞでした。孫濱(そんぴん)はその着物のほかにはかげもなくなったということがすぐに報告(ほうこく)されましたときは、龐涓(ろうけん)は臏(ひん)が井戸(いど)に落ちて死んだものと思いこみました。そうして臏(ひん)の死がいを探(さが)させましたけれども、どうしても見つかりませんので多少、不審(ふしん)に思いながらも、恵(けい)王のきげんをおこねることをおそれて、涓(けん)は、臏(ひん)が井戸に落ちておぼれて死んだと王に申し上げました。
孫臏(そんぴん)が斉(せい)に帰ってからいく年もたたないうちに、斉(せい)と魏(ぎ)とのあいだに戦(いくさ)が起こりました。いまは斉(せい)の将軍(しょうぐん)になっていた孫臏(そんぴん)と、魏(ぎ)の将軍(しょうぐん)である龐涓(ろうけん)とは、たがいに数万の兵(へい)を率(ひき)いて敵味方(てきみかた)として戦場(せんじょう)で双方(そうほう)が会うことになりました。馬陵(ばりょう)という所で、魏(ぎ)の軍(ぐん)は孫臏(そんぴん)の計略(けいりゃく)にかかってさんざんに負けました。友だちを裏切(うらぎ)った龐涓(ろうけん)は、いつぞや鬼谷(きこく)を出ますときに彼(かれ)自身が言いましたとおりに、身に数万の矢傷(やきず)を負って殺(ころ)されてしまいました。「馬に会えばほろびる」という鬼谷(きこく)先生のことばのとおり、龐涓(ろうけん)は馬陵(ばりょう)という地で死んだのです。それは、彼(かれ)が魏(ぎ)の国に着いてから、ちょうど十二年目でした。これも鬼谷(きこく)先生が涓(けん)をうらなったあの小さな花びらの数と同じでありました。