中井商店の身上

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窓がぽうと白んで來た。此の邊、日本橋の問屋街では、かうして鷄の聲も雀の聲もなく、勿論あのかーおかーおと言ふ何となく樂しい朝を想はすやうな烏の啼き聲など聞かれる筈もなく、夜は漸く明けようとしてゐた。まだ寝呆け面をしてゐる街を、時時横濱や千葉やもつと遠い町町からの歸りの貨物自動車が、昨夜の續きのやうな疲れた音を立てて走つた。丁度さうした頃、問屋街では誰知らぬ者もない程有名な老舗、呉服問屋中井商店の奧の離れの二階から、おみと大奧樣は今日ももうちやんと朝の服装に整へて、いつものやうに靜に降りて來るのであつた。おみと大奧樣はもう七十に近かつたが、腰はしやんと伸びてゐた。さうして確りした足取をしてゐた。其の上、よなべの時にも眼鏡も要らない眼と、若い者の誰よりも近い耳とを持つてゐたが、流石に髪は染めてゐるのであらう。額の生え際には、白髪染めの粉がうす黑く滲み込んでゐた。このおみと大奧樣の足音が離れの梯子段にする頃、これも亦決つたやうに女中部屋の障子が開いて、年寄つた女中のおちよがまるで男のやうに手速く着物を着換へてゐた。さうしておちよはその間間に若いおきぬを起さなければならなかつた。が、おきぬは中中起きる樣子がなかつた。
「おきぬどん。おきぬどん、ほれほれ大奧さんやぞ」
おみと大奧樣はこのおちよの聲を聞くと、眉と眉との間に深い皺を寄せた。これは大奧樣が不機嫌な時とか、心配な時にきまつてする癖であつた。實際此の頃のおきぬの素振りは大奧樣にとつて腑に落ちないことばかりであつた。此の間の晩など、おきぬは白粉で顔中眞白けにして風呂から出て來た。さうしてそれはこの大奧樣を聲の震える程怒らせてしまつた。好きな男が出來たのだとすれば、それは店の風紀上勿論褒めたことではない。が、もつともつと否どうしても我慢の出來ないことは、その白粉を塗ると言ふ心懸であつた。愛する者のためにと言ふならば、何故そのお金を溜めようと言ふ心懸にならないものか。白粉のやうなものにお金を遣ふと言ふその不經濟、その浪費、それはもう許すことの出來ぬ罪惡でさへあつた。これはこのおみと大奧樣の動かすことの出來ぬ信念である。この老婦人にとつては、これは又、何十年の間、見、聞き、教へられ、さうして信じて來た、宗教に對するやうな强い信心でさへあつた。例へば、このおみと大奧樣が中井家に嫁いて來たのは十五の時であつた。この花嫁は今もさうであるやうに大へん色が黑かつた。姑はこの黑い花嫁を毎晩風呂に伴つては、手拭でごしごし顔を摩つてくれた。さして姑は言つた。
「はい一寸は白うなりましたよ」
かうしたことが、その一つ一つはまるでもう覺えて居ない程、何十年と言ふ永い間、この老婦人の周圍に霧のやうに振り續いた。さうしてそれは、丁度もう醬油色をした古手拭のやうに、この老婦人の中に染み込んでしまつてゐた。
おきぬはまた時時ぼんやり何か考へ込んでゐるやうなことがあつた。それはおみと大奧樣にとつて――商家の女は、例へば中風とか胃癌とか言ふ二度と起てない病氣に罹つてしまへば格別、さうでない限りは死ぬまで働き通さねばならない。それ故、當主五代目中井與兵衞氏の母親で四代目與兵衞氏の未亡人でありながら、誰にも「御隱居樣」と呼ばせない程の、この大奧樣にとつて、おきぬのさうした素振りは全く腹に据ゑかねることであつた。
それに此の頃は、朝は朝でこの始末であつた。が、おきぬにもこんな朝の起き難いと言ふやうなことは今迄に一度もないことで、此處半月程前からのことであつた。さうして、これは誰にも言へないことではあるが、大奧樣の氣にかかることは、一緒の部屋に寢てゐる與兵衞氏の床が、時時夜中に空になつてゐることがあつた。大方便所にでも行つたのであらう、が、不思議にも、與兵衞氏のかうしたことも今迄にないことで、此處半月程前からのことであつた。
が、おみと大奧樣には、假にそれがどんな重大なことであつても、それをいつ迄もくよくよ思ひ惱んでゐると言ふやうなことは、どうしても出來なかつた。だから今も一寸眉間に皺を寄せただけで、大急ぎで顔を洗ふと、もう臺所でおちよとおきぬを使いながら、せつせと朝食の用意を始めてゐた。臺所での大奧樣の一番のお氣に入りは、何と言つてもおが屑の竈である。さうしてその次が煉炭であつた。彼女達は、それ等を僅かの新聞紙で巧に燃しつけることが出來た。瓦斯も炭も使はずに御飯を煮、御湯を沸かした。味噲汁は郷里の習慣通り朝はなかつた。朝は漬物だけであつた。が、その漬物は非常に旨かつた。然しそれは旨い筈で、細かく算盤を取つたならば、大奧樣の志とは違つて、皮肉にもそれはあまり安いものにはならないであらう。何故かと言へば、糠は出入りの米屋がわざわざ千葉の田舎から取り寄せたものであつたし、蕪などは、どうしても關東のものではいけないと言ふので、故郷の江州から幸便で送つて來られたものであつた。また、手間卽ち工賃と言ふものを算盤に入れない不思議な「經濟」観念の持主であるこの大奧樣の漬物漬けの祕法は、それ唐辛子だ、それ大根の干葉だと言ふ風に随分と人手を喰ひもした。が、何より第一に、この日本橋の眞中で漬物部屋のある家がそもそも何軒あるであらうか。皮肉ではあるが、力のない店の若手の一人が言つた言葉は、
「あああ。こんな旨い漬物も、もうさうさう永くは食はれまいぜ」と、かうであつた。が、どんなかげ口があの近い耳に入らうと、おみと大奧樣の信心は微動もしなかつた。今も、大奧樣はまるで戦線に立つてゐる將校のやうにいきいきとした顔で、澤庵の切れつ端一つも無駄にならないやうに、氣を配つてゐるのであつた。
軈て、街には牛乳屋や、辯當屋の――此頃ではもう大抵の問屋は辯當屋の賄食になつてゐた。――車の音がし始め、電車の響もだんだん繁くなつて來た。もう日が出たのであらう。黑壁の土藏の屋根には、生れたての赤ん坊のやうな、秋の陽が柔く當つてゐた。この一刻でなければ、此の邊ではこんなに濁りのない美しい日光は見ることが出來なかつた。さうしてそれは、いつかも田舎から來たばかりの小僧さんがしたやうに、誰でもあの屋根の上に登つて行つて腹一杯に吸つてしまひたいやうな氣持ちになつた。今日はまだ店の人達は誰も起きてゐなかつた。ただ、小僧さん達の木綿縞の、もう幾度となく水を潜つて繼ぎ繼ぎになつてゐる蒲團が、あちらこちらでむくむくと動き始めてゐた。
其の頃、臺所ではもうすつかり朝食の準備は出來上つた。足りないものとては一つもなく、と言つて有餘ると言ふものも一つもないと言ふ風に。さうして丁度その準備の出來上つた頃、まるで工場の汽笛のやうな正確さで、大きな御飯の釜から白い湯氣がいかにも暖かさうにぷうと吹き出した。するとまたそれが何かの合圖ででもあるかのやうに、おみと大奧樣は決まつて離れの二階へ、當主與兵衞氏を起しに歸つて行くのであつた。さうして、あの一本氣で、お人善しで、狼狽て者のおちよが、大狼狽てに狼狽てながら、自分達の部屋の掃除を終つて、お手傳ひに離れの二階へ走つて來た頃は、大奧樣はもうちやんと掃除を終つて、佛壇の前に坐つて朝のお勤めのりんをチーンと鳴らし終つた頃であつた。
「まあ大奧さん、わしてて、どうしましよいな」
おちよはもう十何年の間、毎朝毎朝まるで口癖のやうにさう言ひながら、大奧樣の後に坐つて手を合はせるのであつた。
八時になると、この中井商店の戸は一齊に開かれ、塵一つない店には、主人與兵衞氏を始め、番頭手代小僧と言ふ順にずらりとまるで舞臺の役者のやうに列んでゐた。それは朝寢坊の町内での、否此の邊の問屋街での名物の一つになつてゐた。
戸は外してしまつてあるが、奧の間に、大きな金庫を横にして坐つてゐるのが、當主五代目中井與兵衞氏であつた。色の白い、將軍樣のやうに下脹れ顔の、でつぷりと太つた好男子で、それがためもう四十を二つ三つ越してゐるのであるが、どう見ても三十代により見えなかつた。鐵無地のつむぎの羽織に、流石に茶縞の澁い高貴織の着物を着、本博多の上品な帶を締めてゐた。が、六時に仕事を終つて例の離れへ歸つて來ると、おみと大奧樣はまるで小學校の子供に言ふやうにかう言つた。
「さあ與兵衞や。着物を換へておくれや」
おみと大奧樣は、與兵衞氏を何事によらず萬事かう言ふ風に取扱つた。だから、この與兵衞氏は、百萬圓を越える程の財産の持主でありながら、この人並外れて、まるで乾物のやうに頑固で、黐のやうに執拗な母親の力に押さへられて、丁度床の間の置物のやうにただもうちよこんと坐つてゐなければならなかつた。さうしてそれは、よく知らぬ人が見ると、一寸何處か足りない處があるのではないかと思はれる位であつた。が、決してさうではなく、むしろ與兵衞氏は常識のある溫厚な「よい旦那樣」であつた。ただ、女兄弟ばかりの中のたつた一人の男の子で、しかも百萬長者の跡取息子として育てられて來た與兵衞氏には、幸か不幸か、勇氣とか、押しとか言ふものが少しばかり足りなかつた。それで、商賣上に自分の力が振へないばかりか、趣味や道樂でさへ思ふやうに許されないこの與兵衞氏は、時時、まるで腹の減つた飼猫のやうに、旦那衆にあるまじきやうなことを、つい思はずすることがあつた。例へば與兵衞氏のたつた一つの娯しみは酒であつたが、その酒もおみと大奧樣は、店の締め括り上、主人と雖もさう毎晩は許さなかつた。だから、酒を出さなければならないやうな大切な得意先や、親密な取引先が來ると、もうこの百萬長者は商賣のことなど忘れてしまつて、他愛なく子供のやうに相好を崩して喜んだり、まだ客が盃を取つても居ないのに、つい思はず失禮して先に盃を空にしてしまつたりした。又、この中井商店では、一日と十五日には神棚に榊や御神酒を獻じ、晩には番頭達にも酒が出る習慣であつたが、その日の夕方頃になると、この御主人與兵衞氏は、もうじつとしてゐられないものか、そわそわと時計を覗いてみたり、何度ともなく神棚の下に來て見たりすることさへあつた。かうしたことを除けば、與兵衞氏は、いつも小僧さん達にまで、「御苦勞、御苦勞」と言つてゐるまことによい旦那樣であつた。
與兵衞氏の居る奧の間と、閾一つを隔てて、廣い店の間があつた。その眞正面に机を並べて、もう相當の年配の番頭さんが、二人坐つてゐた。そのうちで、年を取つてゐる方が、支配人の山本長藏さんであつた。山本さんは今年五十七になるので、この中井商店には凡そ四十年程、つまり指を折つて數へて見てももうはつきり判らない程、長い間勤めてゐた。その間に結婚もし、四人の子供の父ともなつた。その四人の子供も、田舎で商業學校に行つてゐる末子の外は、長男はやはり自分と同じやうに大阪の洋反物問屋に奉公に出てゐたし、二人の娘はそれぞれ嫁いでしまつて、もう孫さへ出來てゐた。が、それ等のことも、この山本長藏さんにとつては、別に變つたことでもなく、人として、父として、ただなすべきことをその通りにして來たまでに過ぎなかつた。さうしてそんなことは、夏になれば單物を着、冬になれば綿入れを着るやうなもので、山本さんには、四十年の間、ただお店大事、奉公大事の一念より他には、もう何事もなかつたのである。だから織物問屋の同業組合から、いつも表彰される度に、山本さんは、何故こんな冗な費え事をするのか、と不思議に思ふ位であつた。今日も山本さんは愛用のニッケル緣の小さな老眼鏡を懸け、さうして着物はまあなんと、今時東京中を探し廻つても見附からないやうな、東京ふたこの、見るからに丈夫さうなのを着、色の褪せた紺セルの羽織を着てゐた。
萬事にかう言つた風の山本さんは、今更言はずとも、おみと大奧樣の信任を一身に集めてゐた。言ひ換へれば、山本さんはおみと大奧樣の片棒を擔いで、與兵衞氏を、さうして卽ち中井商店を擔ひながら、えんやらほう、えんやらほうと、永い間歩いて來たやうなものであつた。それで、大奧樣はこの忠實な相棒のことを、今も山本さんとは呼ばずに、昔のまま「長さん」と呼んでゐた。が、この溫厚な山本さんは、どこまでも後棒でしかなかつた。又、實際、先代在世の時代には、この山本さんはただ忠實なと言ふだけで、一度は勇退説さへ傳へられた程、商賣上では冱えなかつた。何となくその遣り方は爺むさく、殊に進むべき場合などには、あの商人には一番大切な押しの鋭さと言ふものが見えなかつた。さうした自分の性質を知つてか知らずか、此頃ではもう大抵帳簿の他は――その帳簿も實に迂遠な昔風の遣り方ではあつたが、然し一錢一厘の間違もなかつた――人に委しきりで、賣についても買いについても意見らしい意見も言はず、まるで無能な人のやうに思はれた。が、一度、何か新しい改革をしようとか、有望な新規のものを取扱はうと言ふやうな話が出ると、山本さんはまるでむつくり起き上つたやうにして乗り出して來た。さうして皆に言ひたいだけ言はせておいて、最後にきまつてかう言つた。
「いいえ。ほら止めとくれや」
地方の出張に出る若手の店員達が、洋服を着たいと言つても、「いいえ」、人絹を取扱はうと言つても、「いいえ」であつた。モダンガールも「いいえ」なら、社會主義のやうなものは勿論もう頭から「いいえのいいえ」であつた。さうして一度この「いいえ」が、山本さんの口から出ようものなら、もうそれは金輪際牛のやうに梃子でも動かなかつた。が、この「いいえ」の一點張りで根强く押し通してしまふと、丁度今も机に肱を突いてやつてゐるやうに、さうしてそれは決していい癖とは言はれないのであるが、鼻の中に出來た大きな疣を、いつも出したり入れたりしてゐるのであつた。
その山本さんと並んで、今何か考へ事をしてゐるのか、眼を閉ぢ加減にして、額に深い皺を寄せてゐるのが、副支配人の岡崎新三郎さんであつた。岡崎さんは今この中井商店の商賣上の殆ど全権を自分一人の手に握つてゐた。が、かつて先代在世中、まるで盗人の懐にまでも手を入れかねないその商ひ振りに、「鬼の新三」とまで言はれた程の岡崎さんとしては、今はまことに、彼が内緒で時時漏らすやうに、「いやどうも。まことにいやはや」たる境遇であつた。
この岡崎さんが、入店した當時の中井商店には、「運・鈍・根」ならぬ「運・敏・根」の旗印を掲げて、遠く北海道の漁場から、生絲の貿易にまで手を延して、その大膽不敵な商法で中井家の身代を一代のうちに造り上げた三代目與兵衞氏の遺風がまだ漲つてゐ、而も此の江州商人の神樣のやうに言はれている父に對して、病的な嫉妬心と、負けじ魂とを持つてゐながら、生來の病弱のためにどうすることも出來なかつた四代目與兵衞氏の神經質な眼が輝いてゐて、もう其處には、希望と名誉心と、競争と猜疑心とか渦巻き返つてゐた。紺の匂ひの高いお四季施を着せられたこの「新三郎」はそれ等の一つ一つの光景を眼を團栗のやうに丸くして眺めてゐた。十八の時、新三郎君は一人の朋輩を自殺させたと言つてもよろしい。その朋輩はつまり新三郎君との競争に堪へかねて、今も在るあの土藏の二階で縊死を遂げたのであつた。その遺言にはかうあつた。
(僕は何と言ふあほうでせう。今日も新どんに負けてしまひました。ほんとに山田さん(註。當時の支配人)のおつしやる通り、新どん位に勝てんやうで、どうして立派な商人になれませう。御主人樣、くにの御兩親樣。お許し下さい。僕は今度はきつとかしこい人に生れ代つて、立派な商人になつて見せます。新三郎君よ。どうか立派な商人になつて、僕の分まで御主人のために働いて呉れ給へ。あほのあほの長吉)
「鬼の新三」と、岡崎さんが言はれたのは、彼の二十六七の時で、今はなくなつてゐる洋反物部の主任をしてゐた頃であつた。當時、先代與兵衞氏は、病氣のためままにならぬ自分のまるで分身のやうに、この岡崎さんを可愛がつてゐた。が、丁度大正五六年、歐州大戦の好景氣が漸く押し寄せようとする頃から、先代與兵衞氏の病氣はだんだん惡くなつて行つた。さうして、到頭唯葬式を江州の本宅から出さんがためにのみ、江州へ歸らなければならないやうな容態になつてしまつた。其の頃、支配人の坂東さん、副支配人だつた今の山本さんを先頭にして、おみと大奧樣その里方の大西長兵衞氏とを黑幕とした、簡單に言つてしまへば、所謂消極派の勢力が、次第に店中に廣まつて來てゐた。だから、さうした店の空氣を早くから感じてゐた岡崎さんは、丁度此の主人の歸江を機會に、悲痛な決意、或は又巧妙な思ひ付きのもとに、決然と辭表を出してしまつた。理由は、この不幸な御主人のお側にゐて、せめて御最期まで心残りなく御看病申上げたい、と言ふのであつた。その辭表は、先代の先先代に對する氣持から書き起し、御主人樣が御病氣だつたがために、いかに御不滿の御一生涯であつたかを書き、最後は「男子は己を知る人のために死すとか」と、言ふ風に結ばれてあつた。さして岡崎さんはそのまま御看病のために江州へ歸つて行つてしまつた。
が、「鬼の新三」とまで言はれた岡崎さんが、むだ玉などうつ譯がなかつた。番頭さん達は、皆この岡崎さんの美しい心中に感動してしまつたやうであつた。さうして到頭あの辭表の文章までが、「うん。流石に巧いもんやわい」などと讃めたたへられた。おみと大奧樣とて、自分の夫をそれ程までに思つてくれる岡崎さんに、惡い氣持など持てなかつた。殊に夫の死後は尚更なやうであつた。が、もつともつと決定的な一事があつた。それは、四代目與兵衞氏が臨終の際に岡崎さんの手を取つて言つた、その言葉であつた。
「岡崎。與一郎(五代目與兵衞氏の前名)を頼むぞ」
が、岡崎さんが呼び迎へられて、店へ歸つて來た時には、もう店の空氣はすつかり變つてゐた。まるで喪中のまま、いつまで經つても喪が開けないやうだつた。けれども、岡崎さんはそれについては何事も言はなかつた。却つて大奧樣に對しては、痒い處へ手の届くやうに仕へてゐた。だからおみと大奧樣はいつもかう言つてゐた。
「岡崎さんやらの儲けてお呉れた金や。一錢とて無駄に使うてはなりませんぞ」
ただ服裝だけは、まるでこれだけはどうにも我慢が出來ないと言ふ風に、今も昔のままであつた。今日も本結城の潚洒な着物で、黒無地の羽織がその白い顔によく似合つてゐた。
この二人の幹部とはずつと離れて、左側の壁を背にして、ずらつと店先の方へ、若い番頭や、小僧さん達が三十人近く列んでゐた。その一番始めに、机に向つて算盤を彈いてそれを傳票に書き入れてゐる三十位の番頭は、東北係りの靑山君、その次ぎにある一寸若いのは、奧羽係りの石田君であつた。この二人の上に、北海道係りの木下君がゐたが、今は丁度出張中でゐなかつた。木下君は店中の剽輕物で、いつもおちよの敵役であり、景氣のよい男であつた。が、この人の言ふことは一寸何處までが眞實で嘘か界目がなかつた。アメリカのジュネーブで日米野球が行はれたり、上野の驛長と親友であつたり、犬のサックを發明したりした。靑山君は次ぎの副支配人を想像してゐた。だから始終岡崎さんの鼻息を伺つてゐて、そのすることまで岡崎さんを眞似てゐるやうに思はれた。が、インプレーションとか、ダイピングなどと、時時間違つて英語を使つたりした。芝居や文學や日本音樂についても中中よく知つてゐたが、あまりそれを饒舌りすぎて、仲間に嫌はれることもあつた。石田君は大人しい眞面目な人であつたが、さあとなると一番論理的であつた。外国爲替については店中で一番よく知つてゐたし、統計などにも重きを置いてゐた。がそれに氣がついてゐるのは、岡崎さんだけであつた。此の人達は、大正六七年に入店したので、昔の中井商店の空氣を幾分とも吸つてゐた。だから今の中井商店の方針、卽ち何處にも腕を振ふ餘地がなく、このままでは丁度この紺の前掛のやうに、若い自分達まで時勢の外に取り残されてしまひさうな遣り方には、漢然とではあつたが相當の不滿を持つてゐた。が、肝腎の岡崎さんが知らん顔をしてゐるのでは、彼等はどうすることも出來なかつた。さうしてただ彼等は毎日毎日、おみと大奧樣の言葉を借りて言へば「有難いことに、今日も一日無事に暮さして頂いて」ゐた。それ故と言ふ譯ではなからうが、石田君は一人の娘との悲しむべき戀に夢中になつてゐたし、木下君と靑山君は申し合はせたやうに氣の毒にも人には言はれない病氣を患つてゐた。
その次ぎに坐つてゐるのが、デパート廻りや、近郊や市内廻りの、二十から二十五六頃迄の所謂若手であつた。その内には三十以上の喫茶店を知つてゐる喫茶店通や、「キネマ旬報」を取つてゐる映畫通や、走つてゐる自働車を一目見ただけで、何年型の何と言ふことをちやんと言ひ當てることの出來る自動車通もゐた。野球好きも居たし、何處で習つて來たのか麻雀の上手なのも居た。が、彼等に共通した、さうして最も重大な問題は、彼等が「商賣と言ふものは、一體儲かるものか、どうか」と言ふ疑問を持つてゐる事であつた。卽ち彼等は商賣それ自體に或る疑を持つてゐた。今迄彼等は、今日は昨日より安く、明日は又今日よりも安いものと信じてゐた。だから、此頃のやうに相場が騰つたりすると彼等はもう自分達の方から尻ごみをし初めた。「そんな値、通るかな」と言ひながら、需要者の懐工合までも勘定してやつたり、復暴落するのではないかと、思つたりした。意氣地ない彼等のかう言ふ考へを直さうと、岡崎さんは随分骨を折つた。が、彼等は中中その考へを捨てようとはしなかつた。さうして惡い事には、事實はいつも彼等若手の方に傾き勝であつた。岡崎さんは自分の彼等の年配だつた頃のことを考へてみた。其の頃も丁度大正二三年の不景氣の眞最中であつたが、自分達はあのやうに希望に燃えて、激しく競争し合つたではないか。するとこの二つの大きな相違は大體何處から生じて來たのであらう。岡崎さんはそれを思ふ度に、深く深く考へ込まねばならなかつた。が、おみと大奧樣には、ただもう彼等のむだ使ひが恐しかつた。だから大奧樣はいつも彼等の前で、百姓であつたり、左官屋であつたり、さうして役場の小使さんであつたりする、彼等の「親御さん」達が、いかに田舎でつつましやかな暮しをしながら、彼等の立身出世を待ち侘びてゐるかを繰返し繰返し話して聞かせた。が、彼等はさうした親達の話を聞かされると、ただもう恥しがるばかりだつた。
最後に、店先の方に列んでゐるのが、店中で最も無邪氣な連中、卽ち小僧さん達であつた。いつの時代にも、彼等小僧さん達の娯しみは、食ふことと眠ることの他にはなかつた。が、此の頃の小僧さん達の中には、昔の小僧さんのやうに、蓄音機の中に人が入つてゐるに違ひないと言つて、ラッパの中に首を突込んでみたり、電話の前でお辭儀をしたりするやうな人はもう一人も居なかつた。實際昔は、まるで落語の中に出て來るやうな小僧さんがゐたものだ。
「右之者は東京小傳馬町中井商店に行く者也」
こんな旛を立てて、出て來た小僧さんもゐた。又、名前さへ九郎兵衞どんと言ふ小僧さんは、或る時、足袋を買つて來いと言はれ、はいと言つて飛び出したものの黑足袋か白足袋かそれを聞いて來るのを忘れてゐた。其處で走つて歸つて來て、黑足袋だと言はれると、復そのまま驅け出してしまつた。さうして足袋屋に「何文のだい」と問はれ、「さうやな。一文でも安い方がよかろ」と言つた。と言ふ話である。山本さんは聲を出して笑ひながら、よくこんな思ひ出話をした。さうして其の度に流石にかう言つた。
「今の若手はきつう變つたもんぢや」
此のやうに、中井商店では、與兵衞以下もう整然と列んでゐたが、お客はまだ一人も來なかつた。それもその筈で、町内ではまだ表さへも開いてゐない店も、あちらこちらに相當あつた。だが、トラックや、オートバイの音はだんだん激しくなつて來た。軈て、市内廻りの出番の人達は皆見本の入つた大きな風呂敷包を提げたり、擔いだりして持場持場に出懸けて行つた。
其の頃、おみと大奧樣はまた臺所へ出て來て、大きな見るからに頑丈さうな澁塗りの「繼ぎ物入れ」の凾を前にして、せつせと四季施物の繼ぎ仕事の針を動かしてゐた。その凾には、大きく丸に與の屋號が書かれてあつた。電話のベルがだんだん頻繁に鳴り出し、店は漸く忙しくなつて來た樣子である。「ほう。濱は高い。材料は。ふん。二分の一安。ふんそれから」と、電話で相場を聴いてゐる岡崎さんの聲、「まあおあがり。まあおあがりん」と、通りかかつたお得意さんを呼んでゐる小僧さん達の黄色い聲、「廣どんは駿河町。午前中納品。呉服第一仕入。係は三崎さん。信どん。君は本郷の越後屋さんから、大野さん、それから池袋に出て小松屋さん」と、小僧さん達に言ひつけてゐる配達係の鈴木君の聲などが、流石に朝らしく活活と響いて來たり、時時二三人の小僧さんがばたばた廊下を走り抜けて倉庫の方へ驅け込んで行つたりした。おみと大奧樣は、店の騒めきを滿足そうに聞きながら、一寸も仕事を弛めなかつた。この大奧樣の繼ぎ仕事は、いつも午前中は晝食の用意で立たなければならなくなるまで續き、午後は午後で夕方まで續くのではあるが、何しろ一寸四方程の切れにまで繼ぎを當てようとするのであるから、この仕事は中中並大抵のことではなかつた。さうして、大奧樣は時時店の方を覗いては、丁度其處へふらりと出て來た小僧さんや若手を捉へては、
「ほれ。ほれ。あの紐。拾ろといてや」と、一一注意をした。又、店にお客のない時などは、自分で店先にのこのこと出て行くこともあつた。それは勿論、繩や紐や紙などが無駄に使はれたり、捨てられたりしてはゐないかと、見に行くのであつたが、大奧樣は別に口に出して注意めいたことなどを言ふ必要はなかつた。小僧さんや若手連中はこの大奧樣の姿を見ると、「そらお出でなすつた」とばかり、急に注意し合ふからであつた。この中井商店には、それはいかに中井家の先祖や二代目が、儉約を重ねて金を溜めて行つたか、と言ふことを物語るやうな「繩一尺絲一寸」と言ふ有名な言葉が今も残つてゐた。それは繩は一尺以上、絲は一寸以上は捨ててはならないと言ふ家憲であつた。今もおみと大奧樣の膝の處には、節節だらけの大きな木綿絲の毬と、小さな絹絲の毬とが轉つてゐた。
人人はこのおみと大奧樣のことを「中井さんの身上(しんしよ)」と、言つてゐた。それは、中井家の財産を一人で護り通して來た家寶のやうに大切なお婆さんと言ふ意味も、又商業上はあまり活動してゐない中井家の財産を、丁度このお婆さんのやうだと言ふ意味もあつた。實際の話、中井家の身上がすつかりこの大奧樣に魅入つてゐて、若し萬一大奧樣が死にでもしようものなら、この身上も一緒に何處へかすうと消えて亡くなりはしないかとさへ思はれる位であつた。が、今この「中井さんの身上」は非常に達者でぴんぴんとしてゐた。さうして、これはまあ何と言ふことであらう。今ぶんぶんと男のやうに音を立てて、鼻をかんだばかりの鼻紙を、一心に火鉢で炙つてゐるのであつた。この「中井さんの身上」はいつもこんなことを言つてゐた。
「濡れてるうちに離しとかんとな。くつついたら破れてしまふでな」
午後になると、此の邊の問屋街に射す日光は、もうすつかり濁つてゐた。さうして、日當りと影との區別さへつきかねるやうなどびんとした空間には藁ごみや綿ぼこりが飛び去るでもなく落ちてしまふでもなく無數の孑孑のやうにヒョイヒョイと踊つてゐた。太陽さへも、「何處にあるのかなあ」と首をぐるりと廻さなければ見つからなかつた。さうしてその太陽も、まるで熟み過ぎた橙のやうに、崩れかかつてゐた。だから、此の邊の街に住んでゐる人人は、雨でも降らなければ滅多に太陽のことなど思はなかつた。
今、中井商店の店先にもこの濁つた陽差しが一面に當つてゐた。その陽を横顔に受けながら、一人の老人が先刻からじつと坐つてゐた。髪はもう大分白く、まるで老耄れた雄鷄のやうに痩せて、肩が張つてゐた。勿論お客のやうではあるが、別に品物を見ると言ふでもなく、それに第一店の人達も誰一人相手にならうともしなかつた。
が、この老人はまるでそれがあたり前で何の不思議なことでもないと言ふ風に、じつと動かうともしなかつた。この老人が昔は相當有名だつた神田の近江屋呉服店の大將、西岡さんであつた。西岡さんはその屋號が示すやうに矢張り江州出身で、昔はその頑固と物識り――それも種油の善し惡しとか、御坊樣の御法要の次第とか言ふことについてではあつたが――と、もつと何より働き屋であつたこととで有名であつた。赤ん坊を背中に負つて仕入れに來たのはなんぼ昔でも、この西岡さんだけであつた。だから、この西岡さんはおみと大奧樣とは一番よい話相手であつたし、山本さんにとつては、永い間の一番大切なお得意先であつた。が、どうした譯か、こんなに手堅くやつてゐた西岡さんの店までが、近年急に見る見るいけなくなつて行つた。さうして到頭去年の暮に、岡崎さんは斷然中井商店の得意先名簿の中から、「神田近江屋呉服店」の名前を除いてしまつた。
「どないにしやはつたんやろ。どだいもう此頃は判らんな」
其の時、山本さんはさう言つた。西岡さんのやうにあんなに働いて働いて、さうして儉約儉約の一方でゐて、それで錢が減つて行くと言ふやうな此頃のことは、この山本さんやおみと大奧樣にはどうしても合點の出來ないことであつたが、岡崎さんはあの白い顔の口の邊を幾分歪めながらかう言つた。
「いや、山本さん。そりや判つてますが。此の人等はあんた丁度笊で水を汲んでるやうなもんや。なんぼ努力してゐると言つても、笊では水は汲めん。その理窟が判らんけりや、まあ、あかんな」
「さよか。笊でなあ」と、山本さんは言つてはみたが、矢張りどうしても判らなかつた。が、これは近江屋呉服店ばかりではなく、この山本さんの小僧時代からずつと永い間、一流の一流として通つてゐた有名な東京市の小賣屋はもう大抵皆その姿を何處かへ消してしまつた。例へば本所の阿波屋さん、日本橋の梅屋さん、本郷の鈴源さん、四谷の越後屋さん等等皆さうであつた。どれもこれも當時は堅いかんからかんの店で、大將か仕入方が毎日のやうにやつて來て、あの村田の銀煙管の音をぽんぽんと威勢よく言はせてゐたものだ。それが此頃では、其の後の噂さへもう聞かなくなつてしまつた。さうして今は丁度それに取つて代つたやうに、デパートの仕入方がよくやつて來た。が、山本さんやおみと大奧樣にはどうしても彼等が氣に入らなかつた。殊に若い人達の恰好はまあなんと言ふことであらう。派手な洋服に赤いネクタイなどをしたのがあるかと思ふと、まだ檢査が過ぎたか過ぎんかと言ふやうな若いのが、フェルトの草履などを履いて、我もの顔にやつて來た。
「まるで親泣かせみたいな恰好やな」
彼等の歸つた後、おみと大奧樣はよく山本さんにさう言つた。が、彼等はまるで年寄など眼中になかつた。
「さあ爺さんは退いた。退いた」などと言ひながら、若手の連中を相手に大聲で笑ひ合つたり、傍若無人に呶鳴り廻したりして、活發な然し情味のない取引を始めるのだつた。
「やつぱり居るな。小田原名物」
「小田原名物?」
「梅干。梅干」
時時こんな失禮なことを言つては、どつと笑つてゐるのが、おみと大奧樣の耳に入ることもあつた。
まだ、近江屋の大將、西岡さんはじつと坐つてゐた。さうしてもう自然にどうしてもさうなると言ふ風に、時時しみじみと瞼を閉ぢた。大體此の老人は何の爲にかうして何もしないで坐つてゐるのであらう。それは氣の毒にも此の中井商店に取引を拒絶されたと言ふことを世間に知られたくないためであつた。それでいかにも商賣上の用事があるかのやうに毎日やつて來ては、かうして店先に坐つてゐるのである。が、もうそれもこの老人にとつてはどうでもいいので、ただこの懐かしい店先にかうしてじつと坐つてゐると、遠い昔からの色色の思ひ出が、この老人の頭の中に丁度雲のやうに翳つて來て、それがまるで煙草のやうに快いのであるかも知れない。山本さんはぽんと帳簿を閉めると、せめてこの氣の毒な老人と、一服だけでも一緒にするために、竹の上を巻いてある紙まで脂で黑く光つてゐる煙管と、木の根彫りの丁度その持主と同樣もう何十年使はれたか判らないやうな煙草入れとを持つて店先に出かけて行つた。
「ほう。お邪魔致しとります」
「いや。なに、いいお天氣で」
さう言ひながら、二人の老人は二つの白髪混りの頭をかしげて、濁つた空の方をそつと仰いだ。丁度其處へバリバリと靴の音を威勢よくさせて、見るからに健康さうな一人の靑年が入つて來た。さうして、まるで何もかも面白くつて面白くつてどうしようも辛棒してゐられないと言ふ風に、顔中にこにこしながら、さつと帽子を取つてお辭儀をした。山本さんはその靑年を不思議さうに眺めながら、言つた。
「へえ。どちらさんで」
「は、須永モーターサイクル商會で御座います。こちら樣でオートバイが御入用のやうに伺ひましたんで」
「オートバイ?ほほ、とんでもない。ほら何處か店違ひやろ。氣の毒やが」
「お店違ひですつて。ハッハッハこちらこそとんでもない」
その靑年は嬉しさうに笑ひながら、もう鞄の中から二三枚の型錄を取り出して其處に擴げてゐた。型錄はどれも美しいオフセット刷で、上の方にはどれにも一臺の自動三輪車がまるで意識あるもののやうに他所行き顔で颯爽と寫つてゐた。
「山越さんの方に承つたんです。早いでせう。番頭さん、旦那樣が要るとおつしやんたんですから大丈夫でせう」
「いいえ。そそんな」
山本さんは半ば吃りながら、さう言つて、不圖奧の方を振り返ると、驚いたことには店の連中がいつの間にやらまるで魚が新しい水の落口へ集つて來たやうに集つて來て後から覗き込んでゐるのであつた。
「これがうちのミカドです。國産つて言ふんですけど、ボディだけが和製であとはモーターから全部舶來なんです」
「こつちのがケー・エム・エスや」
自動車通の中島君が自身あり氣にさう言つた。
「よく知つてますね。これは頑丈一方つて奴です。併しこいつはとてもガソリンを喰ひましてね。却つて損です。けどまあなんですね。實際此の邊でこれのないのはお店だけなんだから」
「ほんまにさうや」
「もうどだい店は時代遅れやん」
「時代もんや」
「まるで小紋の紋付や」
「そやそや。いや阿呆な。眞面目で行かう」
彼等はまるで秩序と統制とを取り亂したかのやうに、てんでにがやがやと喋り合つた。
「大將が買うてやると言はれるんだから、斷然買つて貰はうや」
靑山君がさう言つたのを聞くと、山本さんは急にむくむくと立ち上つて、片手を激しく振りながら言つた。
「いいーえ。そそんな危いもんに誰が乗るのや」
「僕等が乗りまあーす」
まるで餌をこはごは覗き込んでゐるひよつ子のやうに、今迄一かたまりになつてこそこそ小聲で話し合つてゐた小僧さん達が、急に羽ばたきをしたやうな朗らかな聲を一齊に擧げた。山本さんはすつかり狼狽して、一層激しく手を振り動かしながら、ぐるぐる同じ處を二囘までも廻つた。其の時急にワーッと言ふ聲がした。主人與兵衞氏が出て來たのである。
「山本。わしは一臺これ買はうかと思つとるのやが」
「いいーえ。なななあにを。大將」
山本さんは與兵衞氏の袖を持つて引き戻さうとした。が、與兵衞氏は訊かなかつた。
「や、旦那ですか。山越さんの方から承つたんですよ。實はオートバイ、そこの横町まで來てるんです。他所の奴が嗅ぎつけやがると大變ですからね。ぢや早速連れて來ますから」
オートバイ屋の靑年はさう言つて威勢よく驅け出して行つた。皆は全く緊張して外の方を見やつてゐた。中にはもうぽうと顔を赤らめて羞んでゐる人さへゐた。併し山本さんは不思議にももうすつかり落着いて、火鉢の前に坐つて靜に煙草を喫んでゐた。さうしてそれは無言のうちに皆の物に取り圍まれながら、「いいえのいいえぢや」と頑として言ひ張つてゐるやうであつた。心のせゐか山本さんの顔は急に活活として來たやうに思はれて、丁度舞臺へ上つた老優のやうに何だか身體までが急に大きくなつたやうに思はれた。
こんな騒ぎが店先で起つてゐるにもかかはらず、岡崎さんは此方の方など見向きもしなかつた。さうして唯默默と、内か算盤を彈いては一心に手帳に書き込んでゐた。
「何處やいね。何處やいね。大奧さんのお呼びどつせ。ほれほれ山本さんはいね。山本さんはいね」
突然、狼狽者のおちよがまるで雞のやうな聲をだしながら出て來た。店先の空氣は急にがらりと變つたやうである。先づ與兵衞氏が、眼をしよぼしよぼさせながら、併し流石に物靜かな態度だけは失はなかつたが、奧の間の方へ歸つて行つてしまつた。「チェッ」「チェッ」「つまんないの」などと言ふ聲が誰からともなく方方で湧き起つた。岡崎さんは手帳にじつと眼をやりながら、何故か口を歪めるやうにして苦苦しい笑を漏らした。
先の靑年を先頭にして、一臺、二臺、三臺もの眞新しい自動三輪車が、まるで若い王子のやうに爆音を立てながら中井商店の店先に列んだのと、「中井商店の身上」おみと大奧樣が、
「なあにを、なあにを言うてはるのや」と言ひながら、あの皺だらけの顔を振り振り店に現はれたのとは、殆ど同時であつた。が、これから起らうとする面白い場面は、次ぎの瞬間に一遍に消し飛んでしまつた。それは丁度其の時、一臺の自動車がすうつと店先に着いて、中から百貨店山越の、しかも仕入主任の加藤氏が悠然と出て來たからである。
「よう素晴しい景氣だね」
「いや、いや」
もうかうなると全く岡崎さんの獨り舞臺である。
「ああ、君達。折角御苦勞だつたが、又此の次ぎにして呉れ給へ」
おみと大奧樣は、まるで石に追はれた老猫のやうに振り振り振り返りしながらも、逃げるやうに臺所へ引込んでしまふし、皆は「いらつしやいまし」「いらつしやいまし」と頭をただもう下げるだけであつた。
三時四時と言ふと、此の問屋街の一番忙しい時である。ひどい不景氣とは言へ、流石に冬物の仕入季なので店には相當の客が入つてゐた。地方行の荷造りもそろそろ始まり出した。運送店の貨物自動車が集貨のため目立つて激しく往來し始めた。出荷傳票と商品とを照合する、鳴るやうな聲、積荷の頓狂な掛聲等が暫くの間賑はしく續いてゐた。
おみと大奧樣はもう臺所で夕食の支度に忙しかつた。流石に癇性な大奧樣も、齢のせゐか袖口を水でずくずく濡らしたり、釜の煤で着物を穢したりしながらも、やはり「わしが、わしが」を振り廻してゐた。今もまあなんと、この百萬長者の御隠居樣はお櫃の底を洗ひながら、洗ひ汁に僅かばかりの殘つた御飯粒を手に掬つては、びちよびちよ音を立てて啜つてゐるのであつた。この大奧樣にはこれと今一つ、糊のやうにべつとりとくつ着いた杓子のご飯を拇指で綺麗にこ削ぎ落して始末するのとは、どうしても誰にも委すことの出來ぬ大切なことであつた。
「それそれこつちが空いたぜ。瓦斯は消してや」
小さいことは瓦斯の注意から、米屋も、肴屋も、八百屋も、どれもこれも眼の離せるものとてはなかつた。身上(しんしよ)と言ふものは、常にどんな小さい處からでも、隙さへあれば逃げ出さうとしてゐるものであることを、大奧樣はよく知つてゐた。だから砂糖は勿論、炭や薪木に至るまで、一一その目方を量らなければならなかつた。軈てお惣菜が、矢張り一一大奧樣の指圖のもとに、澤山の皿に盛られ始めた。夕食の用意はほぼ出來たやうである。
其の時、不意に大奧樣は例の眉間に深い皺を寄せながら、齢にも似合はぬ大きな聲で言つた。
「誰や。早い電氣つけるの。若いのに鳥目やあるまいし」
街にはいつの間にか、何の先觸れも、何の風情もなく、まるで自然の掟そのままのやうな無表情な夕闇がだんだん押し寄せて來てゐた。此の邊の問屋街では、どうしてこの一刻のあの玄妙な光と陰の戯れや、さうしてそれから起る幻燈のやうな不思議な感情を味ふことが出來よう。高い建築物に截り斷たれた空は、もう晝とも夜とも感じない程灰色に疲れ切つてゐた。
「まあまあ、どうにか今日も一日暮れるか」
街路樹一本ない街街を、ただかうした生生しい吐息と焦慮とに追ひ立てられた人人が、小走りに歩いてばかりだつた。さうして、もう此の時分になると、どの店も早や仕舞ひ支度に忙しかつた。此の頃では、見本市の時ででもないかぎり、家號入りの提燈を振り廻しながら、荷造りの山を築くやうな景氣のいい問屋はもう一軒もなかつた。邊りは急に鎮まつて行つた。さうして街燈だけが、まるで蕾のやうに次第に活活と赤らんで行つた。其の頃になると、此の邊りではあまり見馴れぬ服装の人達が、三三五五往き來し始める。それは簡易保險の勸誘員であつた。若い番頭さんや小僧さん達の多い此の問屋街は勸誘員諸君の取つて置きの寶庫であつたが、此處では夜でなければ仕事が出來なかつた。だから、彼等は夕方になるとまるで小さな蟲を漁る蝙蝠のやうに此の邊に現はれ、海の底のやうな薄明りの街をぶらりぶらりと歩き廻るのであつた。
夜、僅かばかりの百貨店納めの値札張りが終ると中井商店ではオートバイの話で持ち切りだつた。時時、無駄話になつたり、冗談に変つたりはしたが、結局復落ち行く先は「何とかならんかなあ」と言ふ眞劍な嘆聲になつた。時間の經濟とか、色色の理窟も出るには出たが、いまの若い連中はかう言つた自動車とかオートバイとか言つたものに實際は一種感覺的な愛情を持つてゐるやうであるが、もう山本さんは知らぬ顔をして彼等の相手にはならなかつた。さうして相變らず鼻の疣を出したり入れたりしてゐた。岡崎さんは夕方山越の加藤氏と出た限りまだ歸つて來なかつた。おみと大奧樣は矢張り臺所に頑張つてゐて、小僧さん達の足袋を繼いでゐた。このお婆さんはいつもかうして夜まで、否夜こそ、まるで梟のやうに眼を光らせてゐなければならなかつた。が、さうしてゐても、若い連中の一人二人はいつも一寸した隙を巧みに捕へて、人形町や水天宮の賑かな處や、時にはもつともつと「恐い處」へ飛び出した。實際あまりよく飛び出すので、「飛行機」と言ふ仇名を持つた番頭さんさへゐる位であつた。次ぎが電燈である。小僧さん達は勿論、與兵衞氏までが、どうかすると電燈を點け放しにして、消すのを忘れてゐることがある。これが、若い頃には行燈の燈で夜業をしたこの大奧樣には、まるで骨の中まで感ずる程勿體ないことであつた。が、この發育盛りの小僧さん達の耳にはこんな話は殆ど入らないやうである。
「空襲でーす。どうか電氣を消して下さあい」
こんな事を言ふ、困つた小僧さんもゐた。最後に大奧樣の心配なのは火の要心であつた。
「ヒノヨウジン。ヒノヨウジン」
郷愁を帶た可愛いい聲の小僧さん達が、色色と抑揚をつけながら、柝を撃つて廻つた跡を、大奧樣はもう一度見改めなければどうしても氣がすまなかつた。
十時。おみと大奧樣は、やつと離れの二階へ歸つて來て、與兵衞氏と並んで床に就くのである。四十を越した中井與兵衞氏は、かうして毎晩不思議にも妻とではなく、小學校生徒のやうに母親と並んで寢なければならなかつた。それは、昔懐中佛を懐にして、あの天秤棒一本で東海道を上り下りした近江商人の祖先からの古い掟であつた。商人が商賣に行くのは、丁度武士が戦場に赴くやうなものである。妻子のやうに一團りになつて、ただもう一心に働いて、働いて、働いたればこそ、見知らぬ土地にも今日のやうな地盤を到る處に築き上たのであらう。が、どんな習慣でも、どんな制度でも、齢を取らないと言ふものは一つもない。さうしてその耄碌した制度なり習慣なりをどうしても守らなければならないと言ふことはもうまるで滑稽な程悲惨なものに相違ない。然し中井與兵衞氏は十數年の間正月とお盆とさうして年に二三囘、妻子の居る江州へ歸る所謂「お國歸り」の他は、毎晩かうして擽つたいやうな恥しさを忍びながら、「お母さん、おやすみ」と言はなければならなかつた。
おみと大奧樣は夜具に入つてからも、まだ自分の用事が全部すんでゐないと言ふことをよく知つてゐた。それは今朝、あの眉と眉との間に深い皺を寄せさせた事柄を決して忘れてはゐなかつたからである。
「うつかりとは寢てられませんぞ」
氣の毒なこの大奧樣は今夜は夜もおちおちと眠れないのであつた。
翌朝もおみと大奧樣は、窓がぽつと白む頃、あの離れの二階からいつものやうに靜かに降りて來た。さうして、何もかも昨日のやうに取り行はれた。店も平日と何の變りもなかつた。正午過ぎに、いつ來たのか、やつぱりあの西岡老人がぽつんと店先に坐つてゐたのも、昨日と變りがなかつた。ただ一つ驚いたことは、何處でどう聞いて來たのか、午前と午後に又別のオートバイ屋が二軒もやつて來たことであつた。さうして更に驚いたことにはオイル屋が三軒も來たことであつた。殊に夕方最期に來たのは若い婦人であつた。その婦人は山本さんを相手に滔滔と一時間程も立てつづけにA物産の油について宣傳をして行つた。さうして最後に艶やかな笑ひと共にかう言つた。
「エイ、ビー、シィーのマークをお忘れなくね」
「どえらいもんやなあ」
山本さんは呻るやうに言つた。さうしてすつかり考へ込んでしまつた。が結局山本さんにはその女が大體何を言つてゐたのか、まるで判らなかつた。山本さんはもう一遍「うん」と呻つて見たが、突然堪へかねてワッハッハッワッハッハと笑ひ出した。
「惠比壽さんの枕を忘れんとねて、ほほらいいつたいなんや」
其の場にゐた者は皆腹を抱へて、もう「死ぬ死ぬ」と言つて笑ひ轉げた。が、岡崎さんはにこりともせず苦苦しげに言つた。
「かうした時代や。皆ぼんやりしとれんぞ。實際」
その夜中におみと大奧樣は何か變なものが四方八方からこの中井商店に襲ひかかつて來るやうな夢を見てゐた。さうして、時時ボンボンと機關銃のやうな音さへ聞こえて來る氣がした。その變なものは次第に近く群がつて押し寄せて來た。何とそれは無數のオートバイではないか……その途端に大奧樣はハッと思つて眼を醒した。すると其處に與兵衞氏がじつと此方を向きながら立つてゐた。流石に氣丈な大奧樣はどきつとしながらも落ち着いた聲で言つた。
「與兵衞か」
「へえ……一寸便所に行こ思うて」
「ああ、さやうか。電氣を忘れんと消しといてや」
與兵衞氏は軈て便所から歸つて來ると、こつぽり蒲團を頭からかぶつて寢てしまつた。併し、おみと大奧樣は中中眠る譯には行かなかつた。殊更に眠つたやうな風を二度も三度もやつて見た。が、與兵衞氏の蒲團はもう動かなかつた。ただ柱時計の何か無氣味なものの數を讀んでゐるやうな音がいつまでもいつまもで續いてゐた。大奧樣はほつとしたのか、いつの間にか復うつうつと眠りに落ちてゐた。さうして其の次ぎに眼を醒ました頃には、もう明り窓の障子はぼうと白んでゐた。
其の日は丁度十五日であつた。小僧さん達は何故か皆にこにこ働いてゐた。さうして時時こんなことを言ひ合つてゐた。
「今日は牛鍋やろな」
「そらさうとも、こんどは三月目やもの」
中井商店には先代の時分から、此の十五日には上の人達にはお酒が出、小僧さん達には牛鍋の御馳走が出る習慣であつた。處が、おみと大奧樣はこの牛肉と言ふものを、その臭ひまで好かなかつた。それで先先月はあまり暑いからと言ふ理由で親子丼になつたし、先月は或る職方が美事な新芋を澤山呉れたので、到頭噴かし芋になつてしまつた。この噴かし芋は大奧樣には何よりの好物であつたが、だから今日は丁度三月目に牛鍋の御馳走が出る譯なのである。
此の十五日は、又機屋や染屋などの所謂職方の勘定日であつた。それで澤山の職方が山本さんの前に並んでゐた。中には臺所へ行つて、大奧樣の御機嫌伺ひをして來る人もゐた。古い出入りの辻村と言ふ文具屋の親爺は例によつて永い間大奧樣と昔話をしてゐた。永年の坐り仕事のためか、もう背中は半ば曲つてしまつてゐたが、「今の野郎は。今の野郎は」と、口中泡だらけにしながら力み返つてゐた。大奧樣はその親爺の言ふことがいかにも氣に入つたと言ふ風に始終頷いてゐた。その親爺は立ちがけに何か大きな新聞包を隅の方へ押しやりながら言つた。
「全くつまんねいものだが、小僧奴(やつこ)にでもやつておくんなさい」
夕方になると、小僧さん達はもうそろそろ氣が氣でなくなつて來た。第一の斥候が臺所へ送られた。その報告は皆を躍り上る程喜ばせた。それはおきぬどんが葱を切つてゐた、と言ふ報告であつた。
しらたきは」
「それは見えなかつた」
軈て復第二の斥候が出された。が、今度報告は皆を全くがつかりさせてしまつた。折角切つた葱をおきぬどんが鍋の中へ入れて煮る所を見たと言ふのである。中には如何にも不滿さうにもうやけに荷造りの繩を引張る小僧さんもゐた。其の内に一人の有志の斥候が歸つて來た。それは小便に行くやうな風をして覗いて來たのであるが、ただおちよどんが皿を並べてゐただけで、牛鍋らしい用意は何一つ出來てゐなかつた、と言ふのである。皆はもうはつきりと望の絶えたことを知つた。
「よし。婆さんかおきぬに聞いて來る」
一人の大柄な小僧さんが憤然とさう言つて、出懸けて行つた。が、間もなくその小僧さんはしよんぼりとして歸つて來た。皆はどかどかと彼の周圍に集つた。
「どうだつた。え?どうだつた」
「呶鳴られた」
「誰に」
「大奧さんにや。お前等は先刻から何をうろうろしてる、つて」
彼等は明かに腹を立て出した。さうして急にがやがやと喋り出した。
到頭食事の時が來た。カチカチカチとおちよの叩く聞き馴れたあの柝の音が響き渡つた。其の時、もう仕舞ひ仕事を終つた小僧さん達は店先きに一團りに集つて、まるで勢揃ひのやうに湧き上つて來る昂奮をじつと押へてゐた。が、その柝の音を聞くと、皆は一齊に立ち上つた。さうして靜かにではあるが皆一緒に打揃つてぞろぞろと臺所へ入つたが、其處で彼等は何を見たであらう。あの赤い艶艶した牛肉の代りに、大きなぼた餅が銘銘の皿一杯に盛り分けられていた。
「わしは喰はんぞ」
突然一人の小僧さんがさう言つた。
「さうや。さうや」
「誰がこんなもん喰ふものか」
「わしはぼた餅の方が好きや。けど今晩はどうしても喰はんぞ。意味が違う」
一人の小僧さんが思慮深くさう言つた。するとそれに答へるやうに、一番年長らしい小僧さんが叫んだ。
「さうだ。皆喰はんとしよう。よし。皆二階行こ」
「さうや。さうや」
皆が一齊にさう言つた。さうして、がやがやとてんでに喋りながら、まるで小學生の遠足のやうに行列を作つて一人殘らず二階に上つてしまつた。中には、面白半分でまるでかう言つたことは生れつき一番好きだ、と言はんばかりに、獨で噪ぎ廻つてゐるのがあるかと思ふと、又いかにも悲痛な面持でじつと默り込んでゐるのもあつた。
「まあお前等。ほれなんぢやいね」
一番最初にふうふう言つて飛込んで來たのは、例のおちよであつた。
「さあさあ降りてござい。ほらうまいぼた餅やぞな」
「馬鹿。婆など引込んどれ」
「これ義どん何を言ふのぢやいね」
「引込め。引込め」
「よしほんなら大奧さんに言ふぞな」
おちよはさう言つた途端に、ぷうと自分から吹き出してしまつた。さうして眞赤にした顔を兩手で押へた。見るとおちよは黑足袋と白足袋とを片ちんばに履いてゐるのだつた。
「まあわしてて。わしてて」
おちよはさう言ひながら、狼狽てて降りて行つてしまつた。其の後を小僧さん達は喚聲を擧げて囃し立てた。三四人の若手の連中が面白相にやつて來た。さうして「何やい。何やい」とか「やれやれ。もつとやれ」とか、口口に言ひ合つた。其處へ石田君が例の分別のある、かうした場合には一寸も面白くも何ともないと言つた顔つきで上つて來た。
「おい。皆阿呆なことやめとけ」
「石田さん。何が阿呆なことです」
「大奧さんが靑うなつて震へてやはるぞ」
流石に小僧さん達は、丁度人の足音に驚いて急に鳴聲を消した蟀蟋のやうに、一寸の間默つてしまつた。が、直ぐ一人がもうやけに呶鳴つた。
「大奧さんが何やい」
「そや。靑うなつと、赤うなつと勝手になつてて貰はうかい」
「それがこはかつたら、始めからこんなことせんはうがよい」
先刻、ぼた餅の方が好きだがと、思慮深いことを言つた小僧さんがさう言つた。
「チェッ。ストライキ見たいなことやつてけつかる。木下君がゐたら喜ぶだらうにな。こいつは惜しいことをした」
石田さんはさう言ひながら相變らずどうでもいいと言ふ顔付きで降りて行つてしまつた。到頭山本さんが來た。山本さんは驚いてゐると言ふより、むしろ呆れ返つてゐた。
「山本さん一寸聞いて下さい」
そう言つた風に、小僧さん達は却つて自分達の方から口口に言ひ立てて來た。山本さんは全く手に餘してしまつた。さうしてただぼんやりと、あの頭を毆られても、屁をかまされても一言の文句も言へなかつた自分達の小僧の時分のことを思ひ出してゐた。が、不意にある一つの恐しいことに氣がついた。
――こいつらは社會主義でもやりかねん。
「喰うな。ふん。もう喰はいでもよい。この鼻つたれ」
山本さんは突然吃驚箱から出たやうな聲で呶鳴つた。さうして荒荒しく降りて行つた。
「なーにを、なーにを言うてるのや」
もうまるで紙屑を捻つたやうに、顔中を皺だらけにして、おみと大奧樣が上つて來た。
「おまはん等は、主人から……」
おみと大奧樣はここまでは一氣に言ふことが出來たが、込み上げて來る怒の分量があまり大きいので、もうそれ以上に喉がつかへて出ない樣子であつた。さうして、ただもう呻るやうに、「ようも、ようも」と、低く言ひ續けてゐた。
「ふん。さうや。市太郎!お前はなんで御飯をたべんのや」
不意に大奧樣は一番近くに居た小僧さんの方に向き直つてさう言つた。流石に大奧樣は虱つぶしの戦法を試みようとした。
「腹が痛うおまんねん」
「ふん。熊吉!お前はどうや」
「へえ。私は今朝から頭が痛うて痛うて」
その次いに坐つてゐたのが、可哀相に一番年少で、まだ甘つたるい聲を出す、信一と言ふ小僧さんであつた。
「信一や。おまはんはどうや」
信一君は顔を赤くして、暫くの間もぢもぢしてゐたが到頭かう言つた。
「僕お尻が痛いでしゆ」
どつと笑ひ聲が入口に折重なつて覗き込んでゐる若手連中の間から起つた。するとおみと大奧樣の顔に見る見る恐しい痙攣が起つた。さうして女だてらに、ぽんと膝を叩いて言つた。
「與兵衞!誰か與兵衞を呼んどいで」
「へえ」とおちよの聲がして、狼狽てた足音が下の方へ消えて行つた。恐しい沈默が續いた。大奧樣は何か呻つてゐるやうであつたが、それは誰にも聞きとれなかつた。小僧さん達はこんな勇氣の出たことが、自分で不思議であつた。さうして面白半分にやつてゐた連中は、この大奧樣の醜いまでに引吊つた恐しい顔を見てゐると、そろそろ後悔されて來た。が、あの「思慮深い」小僧さんと、一番年長らしい小僧さんとは、腕を組んで毅然としてゐた。軈ておちよが息をはずませながら歸つて來た。
「旦那さんが見えまへんのどすがな」
「なにを。なーにを言うてるのや。お前さんは。よろし。わしが行つて來ます」
さう言ひながら、大奧樣はあのきかん氣な頭を振りたてて降りて行つた。若手の連中がどつと入つて來た。騒ぎがまた新に掻き立てられた。さうしてだんだん眞劍味を帶びて來るやうに思はれた。其處へ岡崎さんが思ひがけなく姿を現した。皆はぐるつと岡崎さんを取り圍んだ。一人が、昂奮と空腹とでもう半分泣き聲で言つた。
「岡崎さん。あんまりです」
岡崎さんはそれを制しながら、力ある聲で言つた。
「判つた。判つたから、わしに委して呉れ。今晩だけのことぢやない。總てを此の際考慮する。判つたか。さあ判つたら下へ降りるんだ」
皆は何も言はなかつた。が、明かに岡崎さんの此の一言に動かされた樣子であつた。誰からともなくもぞもぞと動き出した。
「ほう。お前も混つてゐたのか」
岡崎さんは信一君の頭を押へながらさう言つた。朗らかな笑ひが、皆の口許に歸つて來た。
が、この巧みな岡崎さんの仲裁も少し遅すぎたやうである。丁度其の時、階下から、山本さんと石田君の消魂しい喚び聲が聞こえて來た。
「早く來てくれ。來てくれ。岡崎さん。岡崎さん」
岡崎さんを先頭に皆が驅け降りて見ると、離れへ行く廊下の處に與兵衞氏とおきぬとが人事不省になつてゐるおみと大奧樣を抱へたまま、まるで放心した者のやうに立つてゐた。さうして不思議なことには、大奧樣の足袋が泥だらけになつてゐた。皆はただわいわいと騒ぐだけであつた。岡崎さんは不意に、大奧樣の足の方を抱へてゐたおきぬを押しのけると、「山本さん。山本さん」と言つて、山本さんと代らせた。
「さあ靑山。夜具だ。夜具だ。やつぱり離れの二階がよい。石田もかいて。かいて」
岡崎さんはさう言ふと、どう思つてか、おきぬの袖を取つて臺所へ連れ返した。さうして小聲で言つた。
「着物がよごれてる。早く換へてこい。そして髪にも藁がついてるぞ。足もよく拭くんだ。拭くんだ」
もう店中、牛肉騒ぎどころではなかつた。が、與兵衞氏も山本さんももうかうなると唯おろおろ狼狽てるばかりであつた。おちよはもう早や泣いてゐた。取敢えず醫者、さうしてもう一つ上の博士の醫者、そら迎への自動車、と、何から何まで、岡崎さんが指圖をしなければならなかつた。その傍で、靑山君が狐のやうに敏捷に眼をくるつかせてゐた。
「いや大將は大奧樣のお側にゐて頂きませんと」
何故か病室にゐることを嫌つて店に出て來る主人を見つけては、岡崎さんはさう言つた。さうしてこの忙しい中で、どうしたのか與兵衞氏の背中に澤山着いてゐる藁すべまで取らねばならなかつた。
病名は果して腦溢血であつた。然し幸にも輕かつたので、生命にどうかうと言ふ心配は今の處ない、と言ふ診斷であつた。中井商店の人達は皆ほつとした。小僧さん達も、もう牛肉のことなど一言も言はず、例のぼた餅や茶漬飯で空腹を滿した。廊下の方で不意にううんと言ふ聲と一緒に、ばたりと大きな音がしたので、驚いて走つて行つて見ると、この始末だつた――と、與兵衞氏は言つてゐた。が、岡崎さんは小さな懐中電燈を持つて、祕かに廊下の處から倉庫の横を通つて闇の中へ入つて行つた。すると、突當りの木造の物置小屋の前に、鼻緒の下駄が引つくり返つてゐた。さうして、其の物置小屋の戸が開いてゐた。岡崎さんはその中を懐中電燈で照した。ぼうと圓い光の中に、見馴れた主人與兵衞氏の下駄がちよこなんと並んでゐた。
翌日は雨降りで靜かな日であつた。が、中井商店の空氣は急に變つてしまつたやうに思はれた。臺所には、あの見馴れたおみと大奧樣の姿はもう見られなかつた。が、その代り何處でもあの潚洒で神經質な岡崎さんの姿が目に入つた。其の日の夕食は思ひがけなく牛鍋であつた。勿論山本さんはそれに反對した。が、岡崎さんはどうしても聞かなかつた。
「けどそいつは遠慮せな。殊に今更の御病氣ももとはと言へばこれからやで」と、山本さんは言つた。
「いや斷じて左にあらず」
岡崎さんはにこりともせず、さう言ひ切つた。
日が經つに随つて、おみと大奧樣の病氣はだんだん快くなつて行つた。が一方店の方では岡崎さんの手によつて、若し大奧樣が見たのなら復眼を廻はすかも知れないやうな改革がどんどん行はれて行つた。靑山君などは、何處で手に入れたのか伊達眼鏡をかけ出した。其の上、與兵衞氏がもうすつかり岡崎さんの味方なので、どうすることも出來なかつた。山本さんはぷりぷりしながら、よくおみと大奧樣の病室にあらはれた。が岡崎さんの手はもう醫者の口先にまで延びてゐた。
「此の御病人には大事な話は絶對に聞かせないやうに」
岡崎さんの、今度の大奧樣の病氣に對する處置は全く到れり盡せりであつた。何何博士や何博士が殆ど毎日のやうに自動車で乗りつけた。が、おみと大奧樣は快くなるにつれ、そろそろそれが心配になり出した。お金が、あの醫者達の自動車がぷうと鳴る度に、何處へ飛んで行くやうに思はれた。實際、ある晩など、此の店の屋根の上で何千枚とも何萬枚とも數知れぬお札がヒラヒラ舞ひ散つてゐる夢を見て、もう少しで悲鳴を擧げる處であつた。が、そのことを大奧樣が一寸言ひ出した時、岡崎さんはかう言つた。
「いやまあまあ。いやもう決して御心配なく」
山本さんはかう言つた。
「大奧さん。あんたが快うなつて下さるためやつたら、御當家の身上が半分になつても惜しいない。わしやさう思ふ」
大奧樣はこの山本さんの言葉を聞くと、さうや。どうしてももう一遍丈夫な身體になつて働かねばならないと、思つた。が、此の間醫者が、この大奧樣に一番苦手なことを言つた。その時の岡崎さんとの會話はかう言ふ風になされた。
「先生。どうしても田舎の御本宅の方で御靜養願はなければなりませんでせうか。手前どもと致しましては……」
「はあ。田舎での御靜養いいでせうな。いやそいつは絶對に必要でせう」
此の頃、中井商店で一番元氣なのは與兵衞氏であつた。それからその次ぎが小僧さん達であつた。山本さんはまるで猪のやうに、ぶうぶう腹を立ててゐた。が、醫者は相變らず、繰り返し繰り返しかう言つた。
「此の御病氣には、一番精神に激動を與へることがいけません」
それから、もう一月近くも經つた。おみと大奧樣は不自由ながらおちよに助けられて便所位は歩いて行かれる程になつてゐた。或る日、其の日は丁度秋晴れの、それはもう限りなく美しい日であつた。朝から、何處かで花火の音がポンポンとしてゐたり、飛行機が二度も三度も飛んで來たりするやうな日であつた。おみと大奧樣は、突然、一度でいいからあの臺所へ連れて行けと、おちよに無理を言ひ出した。さうしておちよが何と言つても、どうしても訊かなかつた。
おみと大奧樣がおちよに助けられてやつとあの懐かしい臺所へ坐つた時、丁度その時、一臺のオートバイが大きな爆音を立てながら勢ひよく店先へ入つて來た。さうしてそのオートバイには、あの牛肉騒ぎの時「思慮深い」ことを言つた小僧さんが乗つてゐ、その眞紅のボディーには、まあ何と丸に與の字の屋號が、白く浮き上つてゐた。
おみと大奧樣が二度目の卒倒をしたのは、その瞬間であつた。

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