三国志 (吉川英治) 第一巻 桃園の巻/義盟

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義盟(ぎめい)[編集]

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桃園(とうえん)へ行ってみると、関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)のふたりは、近所の男を雇って来て、園内の中央に、もう祭壇を作っていた。
壇の四方には、笹竹(ささだけ)を建て、清縄(せいじょう)を繞(めぐ)らして金紙(きんし)銀箋(ぎんせん)の華(はな)をつらね、土製の白馬を贄(いけにえ)にして天を祭り、烏牛(うぎゅう)を屠(ほふ)った事にして、地神を祠(まつ)った。
「やあ、おはよう」
劉備(りゅうび)が声をかけると、
「おお、お目ざめか」
張飛、関羽は振り向いた。
「見事に祭壇ができましたなあ。寝る間はなかったでしょう」
「いや、張飛が、興奮して、寝てから話しかけるので、ちっとも寝る間はありませんでしたよ」
と、関羽は笑った。
張飛は劉備のそばへ来て、
「祭壇だけは立派にできたが、酒はあるだろうか」
心配して訊(たず)ねた。
「いや、母が何とかしてくれるそうです。今日は、一生一度の祝いだとか言っていますから」
「そうか、それで安心した。しかし劉兄(りゅうけい)、いいおっ母(か)さんだな。ゆうべから側(そば)で見ていても、羨(うらや)ましくてならない」
「そうです。自分で自分の母を褒(ほ)めるのも変ですが、子に優しく世に強い母です」
「気品がある、どこか」
「失礼だが、劉兄には、まだ夫人(おくさん)はないようだな」
「ありません」
「はやくひとり娶(めと)らないと、母上がなんでもやっている様子だが、あのお年で、お気の毒ではないか」
「…………」
劉備は、そんな事を訊(き)かれたので、又ふと、忘れていた鴻芙蓉(こうふようの佳麗(かれい)な姿を思い出してしまった。
で、つい答えを忘れて、何となく眼をあげると、眼の前へ、白桃の花びらが、霏々(ひひ)と情有(あ)つもののように散って来た。
「劉備や。皆さんも、もうお支度はよろしいのですか」
厨(くりや)に見えなかった母が、いつの間にか、三名の後ろに来て告げた。
三名が、いつでもと答えると、母は又、いそいそと厨房(ちゅうぼう)の方へ去った。
近隣の人手を借りて来たのであろう。きのう張飛の姿をみて、きゃっと魂消(たまげ)て逃げた娘も、その娘の恋人の隣家(となり)の息子も、ほかの家族も、大勢して手伝いに来た。
やがてまず、一人では持てないような酒瓶(さかがめ)が祭壇の筵(むしろ)へ運ばれて来た。
それから豚の仔(こ)を丸ごと油で煮たのや、山羊(やぎ)の吸い物の鍋や、干菜(かんさい)を牛酪(ぎゅうらく)で煮つけた物だの、年数のかかつた漬物(つけもの)だの――運ばれて来る毎(ごと)に、三名は、その豪華な珍味の鉢(はち)や大皿に目を奪われた。
劉備でさえ、心のうちで、
「これはいったい、どうした事だろう」と、母の算段(さんだん)を心配していた。
そのうちに又、村長の家から、花梨(かりん)の立派な卓(たく)と椅子(いす)が担(かつ)がれて来た。
「大饗宴(だいきょうえん)だな」
張飛は、子供のように、歓喜した。
準備ができると、手伝いの者は皆、母屋(おもや)へ退(さ)がったてしまった。
三名は、
「では」
と、眼を見合わせて、祭壇の前に蓆(むしろ)へ坐(すわ)った。そして天地の神へ、
「われらの大望を成就(じょうじゅ)させ給(たま)え」
と、祈念(きねん)しかけると、関羽が、
「御両所(ごりょうしょ)。少し待ってくれ」
と、何か改まって言った。


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「ここの祭壇の前に坐ると同時に、自分はふと、こんな考えを呼び起こされたが、両公の所存はどんなものだろうか」
関羽は、そう言い出して、劉備と張飛へ、こう相談した。
すべて物事は、体(たい)を基(もと)とする。体形を整(ととの)えていない事に成功はあり得ない。
偶然、自分たち三人は、その精神において、合致(がっち)を見、きょうを出発として大事を為(な)そうとするものであるが、三つの者が寄り合っただけでは、体を為していない。
今は、小なる三人ではあるが、理想は遠大である。三体一心の体を整え置くべきではあるまいか。
事の途中で、仲間割れなど、よく有る例である。そういう結果へ到達させてはならない。神のみ禱(いの)り、神のみ祠(まつ)っても、人事を尽(つ)くさうずして、大望の成就はあり得べくもあるまい。
関羽の説くところは、道理であったが、さてどういう体を備えるかとなると、張飛にも劉備にもさし当ってなんの考えもなかった。
関羽は、語をつづけて、
「まだ兵はおろか、兵器も金も一頭の馬も持たないが、三名でも、ここで義盟(ぎめい)を結べば、即座に一つの軍である。軍には将がなければならず、武士には主君がなければならぬ。行動の中心に正義と報国を奉(ほう)じ、個々の中心に、主君を持たないでは、それは徒党の乱に終わり、烏合(うごう)の衆(しゅう)と化してしまう。――張飛もこの関羽も、今日まで、草田(そうでん)に隠れて時を待っていたのは、実に、その中心たるお人が容易にない為(ため)だった。折ふし劉備玄徳(げんとく)という、しかも血統の正しいお方に会ったのが、急速に、今日の義盟の会となったのであるから、今日只今(ただいま)、ここで劉備玄徳どのを、自分等の主君と仰(あお)ぎたいと思うが、張飛、おまえの考えはどうだ」
訊(き)くと、張飛も、手を打って、
「いや、それは拙者(せっしゃ)も考えていたところだ。いかにも、兄(けい)の言うとおり、きめるならば、今ここで、神に禱(いの)るまえに、神へ誓ったほうがよい」
「玄徳樣、ふたりの熱望です。御承知くださるまいか」
左右から詰(つ)めよられて、劉備玄徳は、黙然と考えていたが、
「待って下さい」
と、二人の意気ごみを抑(おさ)え、なおやや暫(しばら)く沈思(ちんし)してから、身を正(ただ)して言った。
「なるほど、自分は漢(かん)の宗室(そうしつ)のゆかりの者で、そうした系図からいえば、主たる位置に坐るべきでしょうが、生来(せいらい)鈍愚(どんぐ)、久しく田舎(でんしゃ)の裡(うち)にひそみ、まだなにも各々(おのおの)の上に立って主君たるの修養も徳も積んでおりませぬ。どうか今暫く待って下さい」
「待ってくれと仰(お)っしゃるのは」
「実際に当たって、徳を積み、身を修(おさ)め、果たして主君となるの資才がありや否や、それを自身も貴方(あなた)達も見届けてから約束しても、遅くないと思われますから」
「いや。それはもう、われわれが見届けてあるところです」
「左(さ)は言え、私はなお、憚(はばか)られます。――ではこうしましょう。君臣の誓いは、われわれが一国一城を持った上として、ここでは、三人義兄弟の約束を結んでおく事にして下さい。君臣となって後も、なお三人は、末長く義兄弟であるという約束をむしろ私はしておきたいのですが」
「うむ」
関羽は長い髯(ひげ)を持って、自分の顔を引っ張るように大きく頷(うなず)いた。
「結構だ。張飛、おぬしは」
「異論はない」
改めて三人は、祭壇へ向って牛血(ぎゅうけつ)と酒をそそぎ、額(ぬかず)いて、天地の神祇(しんぎ)に黙禱(もくとう)をささげた。


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年齢からいえば、関羽がいちばん年上であり、次が劉備、その次が張飛といふ順になるのであるが、義約のうえの義兄弟だから年順(としzyん)を践(ふ)む必要はないとあって、
「長兄(ちょうけい)には、どうか、貴郎(あなた)がなって下さい。それでないと、張飛のわがままにも、圧(おさ)えが利(き)きませんから」と、関羽が言った。
張飛も、ともども、
「それは是非(ぜひ)、そうありたい。いやだと言っても、二人して、長兄長兄と崇(あが)めてしまうからいい」
劉備は強(し)いて拒(いな)まなかった。そこで三名は、鼎座(ていざ)して、将来の理想をのべ、刎頸(ふんけい)の誓(ちか)いをかため、やがて壇をさがって桃下(とうか)の卓を囲んだ。
「では、永く」
「変わるまいぞ」
「変わらじ」
と、兄弟の杯(さかずき)を交(か)わし、そして、三人一体、協力して国家に報じ、天下万民の塗炭(とたん)の苦(く)を救うをもって、大丈夫(だいじょうぶ)の生涯とせんと申し合った。
張飛は、すこし酔うて来たとみえて、声を大にし、杯を高く挙(あ)げて、
「ああ、こんな吉日はない。実に愉快だ。再び天に言う。われらここに在(あ)つの三名。同年同月同日に生まるるを希(ねが)わず、願わくば同年同月同日に死なん」
と、呶鳴(どな)った。そして、
「飲もう。大いに、きょうは飲もう――ではありませんか」
などと、劉備の杯へも、やたらに酒を注(つ)いだ。そうかと思うと、自分の頭を、独(ひと)りで叩(たた)きながら、
「愉快だ。実に愉快だ」と、子供みたいに叫んだ。
あまり彼の酒が、上機嫌に発しすぎる傾きが見えたので、関羽は、
「おいおい、張飛。今日の事を、そんなに歓喜してしまっては、先の歓(よろこ)びは、どうするのだ。今日は、われら三名の義盟ができただけで、大事な成功不成功は、これから後のことじゃないか。少し有頂天(うちょうてん)になるのが早すぎるぞ」と、たしなめた。
だが、一たん上機嫌に昇ってしまうと、張飛の機嫌は、なかなか水をかけても醒(さ)めない。関羽の生真面目(きまじめ)を、手を打って笑いながら、
「わははははは、今日かぎり、もう村夫子(そんぷうし)は廃業したはずじゃないか。お互いに軍人だ。これからは天空海闊(てんくうかいかつ)に、豪放磊落(ごうほうらいらく)に、武人らしく交際(つきあ)おうぜ。なあ長兄(ちょうけい)」
と、劉備へも、すぐ馴々(じゅんじゅん)と言って、肩を抱いたりした。
「そうだ。そうだ」と、劉備玄徳は、にこにこ笑って、張飛のなすがままになっていた。
張飛は、牛の如(ごと)く飲み、馬の如く喰(くら)ってから、
「そうそう。ここの席に、劉母公(りゅうぼこう)がいないという法はない。われわれ三人、兄弟の杯(さかずき)をしたからには、俺にとっても尊敬すべきおっ母(か)さんだ。――ひとつおっ母さんをこれへ連れて来て、乾杯し直そう」
急に、そんな事をいい出すと、張飛はふらふら母屋(おもや)のほうへ馳(か)けて行った。そしてやがて、劉母公を、無理に、自分の背中に負(お)って、ひょろひょろと戻って来た。
「さあ、おっ母さんを、連れて来たぞ。どうだ、俺は親孝行だろう――さあおっ母さん、大いに祝って下さい。われわれ孝行息子が三人んも揃(そろ)いましたからね――いやこれは、独りおっ母さんにとって祝すべき孝行息子であるのみではない。中国の――国家にとってもだ、われわれこう三名は得難い忠良(ちゅうりょう)息子(むすこ)ではあるまいか――そうだ、おっ母さんの孝行息子万歳、国家の忠良息子万歳っ」
そしてやがて、こう三人の中では、酒に対しても一番の誠実息子たる張飛が、まっ先に酔いつぶれて、桃花の下で大鼾声(おおいびき)で寝てしまい、夜露の降(おり)るころまで、眼を醒(さ)まさなかった。


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大丈夫の誓いは結ばれた。しかし徒手空拳(としゅくうけん)とはまったくこの三人のことだった。しかも志(こころざし)は天下に在(あ)る。
「さて、どうしたものか」
翌日はもう酒を飲んでただ快哉(かいさい)を言っている日ではない。理想から実行へ、第一歩を踏み出す日である。
朝飯を喰(た)べると、すぐその卓の上で、いかに実行へかかるかの問題が出た。
「どうかなるよ。男児が、しかも三人一体で、やろうとすれば」
張飛は、理論家ではない。又計画家でもない。遮二無二(しゃにむに)、実行力に燃える猪突(ちょとつ)邁進家(まいしんか)なのである。
「どうかなるって、ただ貴公のように、力(りき)んでばかりいたってどうもならん。まず、一郡の土を持たんとするには、一旗(いっき)の兵が要(い)る。一旗の兵を持つには、すくなくとも相当の軍費と、兵器と、馬とが必要だな」
が、関羽は常識家であった。二人のことばを飽和(ほうわ)すると、そこにちょうどよい情熱と常理との推進力が醸(かも)されてくる。
劉備は、そのいずれへも、頷(うなず)きを与えて、
「そうです。こう三人の一念をもってすれば、必ず大事を成し得る事は目に見えていますが、さし当たって、兵隊です。――これをひとつ募(つの)りましょう」
「馬も、兵器も、金もなく、募りに応じて来る者がありましょうか」
関羽の憂(うれ)いを、劉備はかろく微笑を持って打ちけし、
「いささか、自信があります。――と言うのは、実はこの楼桑村の内にも、平常からそれとなく、私が目をかけて、同憂(どうゆう)の志(こころざし)を持っている青年たちが少々あります。――又近郷に亙(わた)って、檄(げき)を飛ばせば、恐らく今の時勢に、鬱念(うつねん)を感じている者も尠(すくな)くはありませんから、きっと、三十人や四十人の兵はすぐできるかと思います」
「なるほど」
「ですから、恐れ入るが、関羽どのの筆で、一つの檄文(げきぶん)を起草して下さい。それを配るのは、私の知っている村の青年にやらせますから」
「いや、手前は、生来悪文(あくぶん)の質(たち)ですから、ひとつそれは、劉長兄に起草していただこう」
「いいや、貴方(あなた)は多年塾(じゅく)を持って、子弟を教育していたから、そういう子弟の気持を打つことは、よくお心得の筈(はず)だ。どうか書いて下さい」
すると張飛が側(そば)から言った。
「こら関羽。けしからんぞ」
「なにがけしからん」
「長兄劉玄徳のことば、主命の如(ごと)く反(そむ)くまいぞ、昨日、約束したばかりじゃないか」
「やあ、これは一本、張飛にやられたな、よし早速書こう」
飛激(ひげき)はでき上がった。
なかなか名文である。荘重なる慷慨(こうがい)の気と、憂国(ゆうこく)の文字は、読む者を打たずに措(お)かなかった。
それが近郷へ飛ばされると、やがての事、劉玄徳の破(やぶ)れ家(や)の門前には、毎日、七名十名ずつとわれこそ天下の豪傑(ごうけつ)たらんとする熱血の壮士が集まって来た。
張飛は、門前へ出て、
「お前達は、われわれの檄を見て、兵隊になろうと望んで来たのか」
と、採用係の試験官になって、いちいち姓名や生国や、又、その志を質問した。
「そうです。大人(たいじん)がたのお名前と、義挙(ぎきょ)の趣旨に賛同して、旗下(きか)に馳(は)せ参(さん)じて来た者共です」
壮士等は、異口同音(いくどうおん)に言った。
「そうか、どれを見ても、頼(たの)もしい面魂(つらだましい)、早速、われわれの旗挙げに、加盟をゆするが、しかしわれわれ等(ら)の志は、黄巾賊の輩(やから)の如く、野盗(やとう)掠奪(りゃくだつ)を旨(むね)とするのとは違うぞ。天下の塗炭(とたん)を救い、害賊を討(う)ち、国土に即した公権を確立し、やがては永遠の平和と民福を計(はか)るにある。わかっておるかそこのところは!」
張飛は、一場の訓示を垂(た)れて、それから又、次のように誓わせた。


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「われわれの旗下(きか)に加盟するからには、即ち、われわれの奉じる軍律に伏(ふく)さねばならん。今、それを読み聞かす故(ゆえ)、謹(つつし)んで承(うけたまわ)れ」
張飛は、志願して来た壮士たちへ行って、恭(うやうや)しく、懐中(ふところ)から一通を取り出して、声高く読んだ。
一 卒(そつ)たる者は、将(しょう)たる者に、絶大の服従と礼節を守る。
一 目前の利に惑(まど)わず。大志を遠大に備(そな)う。
一 一身を浅く思い、一世を深く思う。
一 掠奪(りゃくだつ)断首(だんしゅ)。
一 虐民(ぎゃくみん)極刑(きょっけい)。
一 軍紀(ぐんき)を紊(みだ)る行為一切(いっさい)死罪。
「わかったかっ」
あまり厳粛なので、壮士たちも、暫(しばら)く黙っていたが、やがて、
「わかりました」と、異口同音(いくどうおん)に言った。
「よし、然(しか)らば、今よりそれがしの部下として用いてやる。ただし、当分の間は給料もつかわさんぞ。又、食物その他も、お互いに有る物を分けて喰(く)い、一切不平を申すことならん」
それでも、募りに応じて来た若者輩(わかものばら)は、元気に兵隊となって、劉備、関羽等の命に服した。
四、五日のうちには、約七、八十人も集まった。望外な成功だと、関羽は言った。
けれど、すぐ困り出したのは食糧だった。故(ゆえ)に、一刻もはやく、戦争をしなければならない。
黄匪(こうひ)の害に泣いている地方はたくさんある。まずその地方へ行って、黄巾賊を追っぱらう事だ。その後には、正しい税と食糧とが収穫される。それは掠奪(りゃくだつ)ではない。天禄(てんろく)だ。
すると一日(あるひ)。
「張将軍。張将軍。馬がたくさん通りますぞ。馬が」
と、一人の部下が、ここの本陣へ馳(は)せて来て注進(ちゅうしん)した。
何者か知らないが、何十頭という馬を数珠(じゅず)つなぎに曳(ひ)いて、この先の峠(とうげ)を越えて来る者があるという報告なのだ。
馬と聞くと、張飛は、「そいつは何とか欲しいものだなあ」と正直に唸(うな)った。
実際今、喉(のど)から手の出るほど欲しい物は馬と金と兵器だった。だが、義挙の軍律というものを立てて部下にも示してあるので、「掠奪して来い」とは、命じられなかった。
張飛は奥へ行って、
「関羽、こういう報告があるが、なんとか、手に入れる工夫はあるまいか。実に天の与えだと思うのだが」と、相談した。
関羽は聞くと、
「よし、それでは、自分が行って、掛け合ってみよう」と、部下数名をつれて、峠へ急いで行った。麓(ふもと)の近くで、その一行とぶつかった。物見(ものみ)の兵の注進は過(あやま)りなく、なるほど、四、五十頭の馬匹(ばひつ)を曳(ひ)いて、一隊の者が此方(こちら)へ下って来る。近づいて見ると、皆、商人ていの男なので、これならなんとか、談合(はなしあい)がつくと、関羽は得意の雄弁をふるうつもりで待ち構えていた。
ここへ来た馬商人(うまあきんど)の一隊の頭(かしら)は、中山(ちゅうざん)の豪商でひとりは蘇双(そそう)、ひとりは張世平(ちょうせいへい)という者だった。
関羽は、それに着くと、自分等三人が義軍を興(おこ)すに至った、愛国の衷情(ちゅうじょう)をもって、切々(せつせつ)訴えた。今にして、誰か、この覇業(はぎょう)を建(た)て、人天の正明をたださなければ、この世は永遠の闇黒(あんこく)であろうと言った。中国大陸は、ついに、胡北(こほく)の武民(ぶみん)に征服され終わるであろうと嘆(なげ)いた。
張世平と蘇双の両人は、なにか小声で相談していたが、やがて、
「よくわかりました。この五十頭の馬が、そういう事でお役に立てば満足です。差し上げますからどうぞ曳いて行って下さい」と、意外にも、潔(いさぎよ)く言った。


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いずれ易々(いい)と承知しまい。最悪な場合までを関羽は考えていたのである。それが案外な返辞に、
「ほ。……いや忝(かたじ)けない。早速の快諾(かいだく)に、申しては失礼だが、利に敏(さと)い商人たるお身等(みら)が、どうしてそう一言の下に、多くの馬匹を無料でそれがしへ引き渡すと言われたか」
掛け合いに来た目的は達しているのに、こう先方へ要(い)らざる念を押すのも妙(みょう)なはなしだと思ったが、あまり不審なので、関羽はこう訊(たず)ねてみた。
すると、張世平は言った。
「はははは。あまりさっぱりお渡しすると言ったので、かえってお疑いとみえますな。いやごもっともです。けれど手前は、第一に大人(たいじん)が悪人でない事を認めました。第二に、御計画の義兵を挙げることは、頗(すこぶ)る時宜(じぎ)を得ておると存じます。第三は、貴郎(あなた)方のお力をもって、自分等の恨(うら)みをはらしていただきたいと思ったからです」
「恨みとは」
「黄巾賊の大将張角(ちょうかく)一門の暴政に対する恨みでございます。手前も以前は中山(ちゅうざん)で一といって二と下らない豪商といわれた者ですが、彼(か)の地方も御承知のとおり黄匪の蹂躙(じゅうりん)に会って秩序は破壊され、財産は掠奪(りゃくだつ)され、町に少女の影を見ず、家苑(かえん)の小禽(ことり)すら啼(な)かなくなってしまいました。――手前の店なども一物もなく没収され、あげくの果てに、妻も娘も、暴兵に攫(さら)われてしまったのです」
「むむ。なるほど」
「で、甥(おい)の蘇双(そそう)と二人して、馬商人(うまあきんど)に身を落とし、市(いち)から馬匹(ばひつ)を購入して、北国へ売りに行こうとしたのですが、途中まで参ると、北辺の山岳にも、黄賊が道を塞(ふさ)いで、旅人の持ち物を奪い、虐殺(ぎゃくさつ)をほしいままにしておるとのことに、空(むな)しく又、この群馬を曳いて立ち帰って来たわけです。南へ行くも賊国、北へ赴(おもむ)くも賊国、こうして馬と共に漂泊(ひょうはく)しているうちには、遂(つい)に賊に生命まで奪われてしまうのは知れきっています。恨みのある賊の手に武力となる馬匹を与えるよりも、貴下の如きお志を抱く人に、進上申したほうが、遥(はる)かに意味のあることなんです。欣(よろこ)んで手前がお渡しする気持というのは、そんなわけでございます」
「やあ、そうか」
関羽の疑問も氷解して、
「では、楼桑村(ろうそうそん)まで、馬を曳いて一緒に来てくれないか。われわれの盟主と仰(あお)ぐ劉玄徳と仰(お)っしゃる人に紹介(ひきあわ)せよう」
「おねがい致します。手前も根からの商人ですから、以上申し上げたような理由でもって、無料で馬匹を進上しましても、やはりそこはまだ正直、利益の事も考えておりますからな」
「いや、玄徳様へお目にかかっても、唯今(ただいま)のところ、代金はお下(さ)げになるわけにはゆかぬぞ」
「そんな目先の事ではありません。遠い将来でよろしいので。……はい。もし貴郎(あなた)がたが大事を成(な)し遂(と)げて、一国を取り、十州二十州を平(たい)らげ、あわよくば天下に号令なさろうという筋書のとおりに行ったらば、私へも充分に、利をつけて、今日の馬代金を払って戴(いただ)きたいのでございます。私は、貴郎の計画を聞いて、これが貴郎がたの夢ではなく、わたくし共民衆が待っていたものであるという点から、きっと成功するものと信じております。ですから、今日この処分に困っている馬を使って戴くのは、商人して、手前にも遠大な利殖の方法を見つけたわけで、まったくこんな欣ばしい事はありません」
張世平(ちょうせいへい)はそう言って、甥(おい)の蘇双(そそう)と共に、関羽に案内されて従(つ)いて行ったが、その途中でも、関羽へ対して、こう意見を述べた。
「事を計(はか)るうえは、人物はお揃(そろ)いでございましょうし、馬もこれで整いました。これでいったい、あなた方の御計画の内輪(うちわ)には、よく経済を切りまわして糧食兵費の内助の役目をする算数の達識(たっしき)が控えているのでございますか。算盤(そろばん)というものも、充分にお考えのうえでこのお仕事にかかっておいででございますかな?」


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張世平に、そう指摘されてみると、関羽は、自分等の仲間に、大きな欠陥のあるのを見いだした。
経営という事であった。
自分は元(もと)より、張飛にも、劉玄徳にも、経済的な観念は至ってない。武人銭(ぜに)を愛さずともいったような思想が甚(はなは)だ古くから頭の隅に有(あ)る。経済といえばむしろ卑しみ、銭といえば横を向くをもって清廉の士とする風が高い。一個の人格にはそれも高風と仰ぎ得るが、国家の大計となればそれでは不具(ふく)を意味する。
一軍を持てばすでに経営を思わねばならぬ。武力ばかりで膨(ふく)らもうとすると軍は暴軍に化しやすい。古来、理想はあっても、その為(ため)、暴軍と堕(だ)し、乱族と終わった者、史上決して尠(すくな)くない。
「いや、いい事を聞かしてくれた。劉玄徳樣にも、大いにその辺の事をはなして貰(もら)いたいものだ」
関羽は、正直、教えられた気がしたのである。一商人のことばといえども、これは将来の大切な問題だと考えついた。
やがて、楼桑村に着く。
関羽はすぐ張世平と蘇双のふたりを、劉玄徳の前へつれて来た。勿論(もちろん)、玄徳も張飛も、張の好意を聞いて非常によろこんだ。
張は五十頭の馬匹を、無償で提供するばかりでなく、玄徳に会ってから玄徳の人物を更に見込んで、それに加うるに、駿馬(しゅんめ)に積んでいた鉄一千斤(きん)と、百反(たん)の獣皮織物と、金銀五百両を挙(あ)げて皆、「どうか、軍用の費(ついえ)に」と、献上した。
その際も、張(ちょう)は言った。
「最前も、途々(みちみち)、申しましたとおり、手前どもはどこ迄(まで)も、利を道とする商人です。武人に武道あり、聖賢に文道あるごとく、商人にも利道があります。御献納申しても、手前はこれをもって、義心とは誇りません。その代わり、今日さし上げた馬匹金銀が、十年後、三十年後には、莫大(ばくだい)な利を生むことを望みます。――ただその利は、自分一個が飽慾(ほうよく)しようとは致しません。困苦の底にいる万民にお頒(わ)かちください。それが私の希望であり、又私の商魂と申すものでございます」
玄徳や関羽は、彼の言を聞いて大いに感じ、どうかしてこの人物を自分等の仲間へ留め置きたいと考えたが、張は、
「いやどうも私は臆病者(おくびょうもの)で、とても戦争なさる貴方(あなた)がたの中にいる勇気はございません。なにか又、お役に立つ時には出て来ますから」と言って、倉皇(そうこう)、何処(どこ)へともなく立ち去ってしまった。
千斤(きん)の鉄、百反の織皮(しょくひ)、五百両の金銀、思いがけない軍費を獲(え)て、玄徳以下三人は、
「これぞ天の御援助」と、いやが上にも、心は奮(ふる)い立(た)った。
早速、近郷の鍛冶工(かじこう)をよんで来て、張飛は、一丈何尺という蛇矛(じゃぼこ)を鍛(う)ってくれと注文し、関羽は重さ何十斤という偃月刀(えんげつとう)を鍛(きた)えさせた。
雑兵(ぞうひょう)の鉄甲、盔(かぶと)、槍(やり)、刀なども併(あわ)せて、誂(あつら)え、それも日ならずしてできてきた。
日月(じっげつ)の旗幟(きし)。
飛龍(ひりゅう)の幡(はん)
鞍(くら)、鏃(やじり)。
軍装はまず整った。
その頃漸(ようや)く人数も二百人ばかりになった。
もとより天下に臨(のぞ)むには足りない急仕立ての一小軍でしかなかったが、張飛の教練と、関羽の軍律と、劉玄徳の徳望とは、一卒にまでよく行(ゆ)き亙(わた)って、あたかも一箇(いっこ)の体(てい)のように、二百の兵は挙手踏足(きょしゅとうそく)、一音に動いた。
「では。――おっ母さん。行って参ります」
劉玄徳は、一日(あるひ)、武装して母にこう暇(いとま)を告げた。
兵馬は、粛々(しゅくしゅく)、彼の郷土から立って行った。劉玄徳の母は、それを桑(くわ)の木の下からいつまでも見送っていた。泣くまいとしている眼が湯の泉のようになっていた。