三国志 (吉川英治) 第一巻 桃園の巻/流行る童歌

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流行(はや)る童歌(どうか)[編集]

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驢(ろ)は、北へ向いて歩いた。
鞍上(あんじょう)の馬元義(ばげんぎ)は、時々、南を振り向いて、
「奴等(やつら)はまだ追いついて来ないがどうしたのだろう」と、つぶやいた。
彼の半月槍(はんげつそう)を担(かつ)いで、驢の後ろから尾(つ)いてゆく手下の甘洪(かんこう)は、
「どこかで道を取(と)っ違(ちが)えたのかもしれませんぜ。いずれ冀州(きしゅう)(河北省(かほくしょう)保定(ほてい)の南方)へ行けば落ち会いましょうが」と、言った。
いずれ賊の仲間のことを言っているのであろう――と劉備(りゅうび)は察した。とすれば、自分が遁(のが)れて来た黄河(こうが)の水村(すいそん)を襲ったあの連中を待っているのかもしれない、と思った。
(なにしろ、従順を装(よそお)っているに如(し)くはない。そのうちには、逃げる機会があるだろう)
劉備は、賊の荷物を負(お)って、黙々と、驢と半月槍のあいだに挾(はさ)まれながら歩いた。丘陵(きゅうりょう)と河と平原ばかりの道を、四日も歩きつづけた。
幸い雨のない日が続いた。十方(じっぽう)碧落(へきらく)、一朶(いちだ)の雲もない秋だった。黍(きび)のひょろ長い穂に、時折、驢も人の背丈(せたけ)もつつまれる。
「ああ――」
旅に倦(う)んで、馬元義は大きな欠伸(あくび)を見せたりした。甘(かん)も気懶(けだる)そうに居眠り半分、足だけを動かしていた。
そんな時。劉備はふと、
――今だっ。
という衝動(しょうどう)に駆(か)られて、幾度か剣に手をやろうとしたが、もし仕損(しそん)じたら、母を想い、身の大望を考えてじっと、辛抱(しんぼう)していた。
「おう、甘洪(かんこう)」
「へえ」
「飯が食えるぞ。冷たい水にありつけるぞ――見ろ、彼方(むこう)に寺があら」
「寺が」
黍(きび)の間から伸び上がって、
「ありがてえ。大方(だいほう)、きっと酒もありますぜ。坊主は酒が好きですからね」
夜は冷えわたるが、昼間、焦(や)けつくばかりな炎熱(えんねつ)であった。――水と聞くと、劉備(りゅうび)も思わず伸び上がった。
低い丘陵が彼方に見える。
丘陵に抱かれている一叢(ひとむら)の木立と沼があった。沼には紅白の蓮花(はちす)が一ぱいに咲いていた。
そこの石橋を渡って、荒れはてた寺門の前で、馬元義(ばげんぎ)は驢(ろ)を降りた。門の扉は、一枚は壊(こわ)れ、一枚は形だけ残っていた。それに黄色の紙が貼(は)ってあって、次のような文が書いてあった。
蒼天巳死(そうてんすでにしす)
黄夫当立(こうふまさにたつべし)
歳在甲子(としこうしにありて)
天下大吉(てんかだいきち)
大賢良師(だいけんりょうし)張角(ちょうかく)
「大方(だいほう)御覧なさい。ここにも我が党の盟符(めいふ)が貼ってありまさ。この寺も黄巾の仲間に入っている奴(やつ)ですぜ」
「誰(だれ)か居(い)るか」
「ところが、いくら呼んでも誰も出て来ませんが」
「もう一度、呶鳴(どな)ってみろ」
「おうい、誰かいねえのか」
――薄暗い堂の中を、呶鳴りながら覗(のぞ)いてみた。何もない堂の真ん中に、曲彔(きょくろく)に腰かけている骨と皮ばかりな老僧がいた。しかし老僧は眠っているのか、死んでいるのか、木乃伊(ミイラ)のように、空虚(うつろ)な眼を梁(うつばり)へ向けたまま、寂然(じゃくねん)と――答えもしない。

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「やい、老(おい)ぼれ」
甘洪(かんこう)は、半月槍(はんげつそう)で、老僧の脛(すね)をなぐった。
老僧は、やっと鈍(にぶ)い眼をあいて、眼の前にいる甘(かん)と、馬(ば)と、劉(りゅう)青年を見まわした。
「食物(くいもの)があるだろう。おれたちはここで腹仕度(はらじたく)をするのだ。はやく支度をしろ」
「……無(な)い」
老僧は、蠟(ろう)のような青白い顔を、力なく振った。
「無い?――これだけの寺に食物がない筈(はず)はねえ。俺たちをなんだと思う。頭髪(あたま)の黄巾(きれ)を見ろ。大賢良師張角様の方将(ほうしょう)、馬元義というものだ。家探しして、もし食物があったら、素(そ)ッ首(くび)を刎(は)ね落(お)とすがいいか」
「……どうぞ」
老僧は、うなずいた。
馬は甘をかえりみて、
「ほんとに無いのかもしれねえな。あまり落ち着いていやがる」
すると老僧は曲彔に懸(か)けていた枯木のような肘(ひじ)を上げて、後ろの祭壇や、壁や四方をいちいち指して、
「無い!無い!無い!……仏陀(ぶっだ)の像さえ無い!一物(いちもつ)もここには無いっ」と、言った。
泣くがような声である。
そして鈍(にぶ)い眸(ひとみ)に、怨(うら)みの光をこめて又言った。
「みんな、お前方の仲間が持って行ってしまったのだ。蝗(いなご)の群(むれ)が通った後の田みたいだよここは……」
「でも、何かあるだろう。何か喰(く)える物が」
「無い」
「じゃあ、冷たい水でも汲(く)んで来い」
「井戸には、毒(どく)が投げこんである。飲めば死ぬ」
「誰がそんなことをした」
「それも、黄巾(こうきん)をつけたお前方の仲間だ。前の地頭(じとう)と戦った時、残党が隠れぬようにと、みな毒を投げ込んで行った」
「然(しか)らば、泉(いずみ)があるだろう。あんな美麗(びれい)な蓮花(はちす)が咲いている池があるのだから、どこぞに、冷水が湧(わ)いているにちがいない」
「――あの蓮花(はちす)が、何で美しかろう。わしの眼には、紅蓮(ぐれん)も白蓮(びゃくれんも、無数の民の幽魂(ゆうこん)に見えてならない。一花、一花呪(のろ)い、恨(うら)み、哭(な)き戦(おのの)き慄(ふる)えているような」
「こいつめが、妙(みょう)な世囈(よま)い言(ごと)を……」
「嘘(うそ)と思うなら池をのぞいてみるがよい。紅蓮の下にも、白蓮の根元にも、腐爛(ふらん)した人間の死骸(しがい)がいっぱいだよ。お前方の仲間に殺された善良な農民や女子供の死骸だの、又、黄巾の党に入らないので、縊(くび)り殺(ころ)された地頭やら、その夫人(おくさん)やら、戦って死んだ役人衆やら――何百という死骸がのう」
「あたり前だ。大賢良師(だいけんりょうし)張角様に反(そむ)くやつらは、みな天罰でそうなるのだ」
「……………」
「いや、よけいな事は、どうでもいい。食物もなく水もなく、いったいそれでは、汝(てめえ)は何を喰って生きているのか」
「わしの喰ってる物なら」と、老僧は、自分の沓(くつ)のまわりを指さした。
「……そこらにある」
馬元義は何気なく、床を見まわした。根を嚙(か)んだ生草(なまぐさ)だの、虫の足だの、鼠(ねずみ)の骨などが散らかっていた。
「こいつは参(まい)った。御饗応(ごきょうおう)はおあずけとしておこう。おい劉(りゅう)、甘洪(かんこう)、行こうぜ」
と出て行きかけた。
すると、その時初めて、賊(ぞく)の供をしている劉備(りゅうび)の存在に気づいた老僧は、穴のあくほど、劉青年の顔を見つめていたが、突然、
「あっ?」と、打たれたような愕(おどろ)きを声に放って、曲彔(きょくろく)から突っ立った。

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老僧の落ちくぼんでいる眼は大きく驚異に瞠(みは)ったまま劉備の面をじいと見すえたきり、眼(ま)ばたきもしなかった。
やがて、独(ひと)りで、うーむと唸(うな)っていたが、何を思ったか、
「あ、あ!貴郎(あなた)だっ」
膝(ひざ)を折って、床に坐(すわ)り、恰(あたか)も現世(げんせ)の文殊(もんじゅ)弥勒(みろく)でも見たように、何度も礼拝(らいはい)して止(や)まなかった。
劉備(りゅうび)は迷惑がって、
「老僧、何をなさいます」と、手を取った。
老僧は、彼の手に触れると、なおさら、随喜(ずいき)の涙を流さぬばかりに慄(ふる)えて、額(ひたい)に押(お)し戴(いただ)きながら、
「青年。――わしは長いこと待っていたよ。正(まさ)しく、わしの待っていたのは貴郎(あなた)だ。――貴郎こそ魔魅(まみ)跳梁(ちょうりょう)を退(しりぞ)けて、暗黒の国に楽土(らくど)を創(た)て、乱麻(らんま)の世に道を示し、塗炭(とたん)の底から大民を救ってくれるお方にちがいない」と、言った。
「とんでもない。私は涿県(たくけん)から迷って来た貧しい蓆(むしろ)売(う)りです。老僧離して下さい」
「いいや、貴郎(あなた)の人相骨(にんそうこつ)がらに現われておるよ。青年。聞かしておくれ。貴郎の祖先は、帝系(ていけい)の流れか、王侯の血をひいていたろう」
「ちがう」
劉備は首を振って、「父も、祖父も、楼桑村(ろうそうそん)の百姓でした」
「もっと先は……」
「わかりません」
「わからなければ、わしの言を信じたがよい。貴郎(あなた)が佩(は)いている剣は誰にもらったのか」
「亡父(ちち)の遺物(かたみ)」
「もっと前から、家にお在(あ)りじゃったろう。古びて見る面影もないがそれは凡人(ただびと)の佩く剣ではない。琅玕(ろうかん)の珠(たま)がついていたはず、戞玉(かつぎょく)とよぶ珠だよ。剣帯に革か錦(にしき)の腰帛(ようはく)もついていたのだよ。王者の佩(はい)とそれを呼ぶ。なにしろ、刀身(なかみ)の無双(むそう)な名剣にまちがいない。試してみたことがおありかの」
「……?」
堂の外へ先に出たが、後から劉備(りゅうび)が出て来ないので、足を止めていた賊の馬元義(ばげんぎ)と甘洪(かんこう)は、老僧のぶつぶつ言っていることばを、聞(き)き澄(す)ましながら振り向いていた。が、――痺(しび)れをきらして、
「やいっ劉(りゅう)。いつまで何をしているんだ、荷物を持って早く来いっ」と、どなった。
老僧は、まだ何か、言いつづけていたが、馬の大声に(すく)んで、急に口を緘(つぐ)んだ。劉備はその機(しお)に、堂の外へ出て来た。
驢(ろ)を繋(つな)いである以前の門を踏み出すと、馬元義は、驢の手綱(たづな)を解(と)きかける手下(てした)の甘(かん)を止めて、
「劉、そこへ掛けろ」と、木の根を指さし、自分も石段に腰かけて、大きく構えた。
「今、聞いていると、汝(てめえ)は行末(ゆくすえ)、偉(えら)い者になる人相を備(そな)えているそうだな。まさか、王侯や将軍になれっこはあるめえが、俺(おれ)も実は、汝は見込みのある野郎だと見ているんだ――どうだ、俺の部下になって、黄巾党(こうきんとう)の仲間へ加盟しないか」
「はい。有難(ありがと)うございますが」と、劉備はあくまで、素直(すなお)をよそおって、
「私には、故郷(くに)に一人の母がありますので、せっかくですが、お仲間には入れません」
「おふくろなぞは、あってもいいじゃねえか、喰(く)い扶持(ぶち)さえ送ってやれば」
「けれど、こうして、私が旅に出ている間も、痩(や)せるほど子の心配ばかりしている、いたって子煩悩(こぼんのう)な母ですから」
「それやそうだろう。貧乏ばかりさせておくからだ。黄巾党に入って、腹さえ膨(ふく)らせておけば、なに、嬰児(あかご)じゃあるめえし、子の心配などしているものか」

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馬元義は、功名に燃えやすい青年の心を唆(そそ)るように、それから黄巾党の勢力やら、世の中の将来やらを、談義しはじめた。
「狭い目で見ている奴は、俺たちが良民虐(いじ)めばかりしていると思っているが、俺たちの総大将張角(ちょうかく)さまを、神の如(ごと)く崇(あが)めている地方だってかなりある――」
と前提(まえおき)して、まず、黄巾党の起こりから説き出すのだった。
今から十年ほど前。
鉅鹿郡(きょろくぐん)(今の河北省(かほくしょう)順徳(じゅんとく)の東)の人で、張角という無名の士があった。
張角はしかし希世(きせい)の秀才と、郷土でいわれていた。その張角が、あるとき、山中へ薬を採(と)りに入って、道で異相(いそう)の道士(どうし)に出会った。道士は手に藜(あかざ)の杖(つえ)をもち、
(お前を待っていること久しかった)と、さしまねくので、従(つ)いて行ってみると、白雲の裡(うち)の洞窟(どうくつ)へ誘(いざな)い、張角に三巻の書物を授(さず)けて、(これは、太平要術(たいへいようじゅつ)という書物である。この書をよく体(てい)して、天下の塗炭(とたん)を救い、道を興(おこ)し、善を施(ほどこ)すがよい。もし自身の我意(がい)栄耀(えいよう)に酔うて、悪心を起こす時は、天罰たちどころに身を亡(ほろ)ぼすであろう)と、言った。
張角は、再拝して、翁(おきな)の名を問うと、
(我(われ)は南華老仙(なんかろうせん)なり)と答え、姿は、一颯(いっさつ)の白雲となって飛び去ってしまったというのである。
張角は、そこ事を、山を降(お)りてから、里の人々へ自分から話した。
正直な、里の人々は、(わし等(ら)の郷土の秀才に、神仙(しんせん)が宿(やど)った)と真(ま)にうけて、たちまち張角を、救世の方師(ほうし)と崇(あが)めて、触れまわった。
張角は、門を閉(と)ざし、道衣(どうい)を着て、潔斎(けっさい)をし、常に南華老仙の書を帯(お)びて、昼夜行いすましていたが、或年(あるとし)悪疫(あくえき)が流行して、村にも毎日おびただしい死人が出たので、
(今は、神が我をして、出でよと命じ給(たま)うに地である)
と、厳(おごそか)に、草門(そうもん)を開いて、病人を救いに出たが、その時もう、彼の門前には、五百人の者が、弟子にしてくれと言って、蝟集(いしゅう)して額(ぬかず)いていたということである。
五百人の弟子は、彼の命に依(よ)って、金仙丹(きんせんたん)、銀仙丹(ぎんせんたん)、赤神丹(せきしんたん)の秘薬を携(たずさ)え、おのおの、悪疫(あくえき)の地を視(み)て廻(まわ)った。そして、張角方師の功徳(くどく)を語り聞かせ、男子には金仙丹を、女子には銀仙丹を、幼児には赤神丹を与えると、神薬のききめは著(いちじる)しく、皆、数日を出(い)でずして癒(なお)った。
それでも、癒らぬ者は、張角自身が行って、大喝(だいかつ)の呪(じゅ)を唱(とな)え、病魔を家から追うと称して、符水(ふすい)の法(ほう)を施(ほどこ)した。それでも起きない病人はほとんどなかった。
体の病人ばかりでなく、次には心に病(やまい)のある者も集まって来て、張角の前に懺悔(ざんげ)した。貧者も来た。富者も来た。美人も来た。力士や武術者も来た。それらの人々は皆、張角の帷幕(いばく)に参じたり、厨房(ちゅうぼう)で働いたり、彼の側(そば)近(ちか)く侍(じ)したり、又多くの弟子の中に交(ま)じって、弟子となった事を誇(ほこ)ったりした。
たちまち、諸州にわたって、彼の勢力は拡(ひろ)まった。
張角は、その弟子たちを、三十六の方(ほう)に立たせ、階級を作り、大小に分かち、頭立(かしらだ)つ者には軍帥(ぐんすい)の称を許し、又方帥(ほうすい)の称呼(しょうこ)を授(さず)けた。
大方(だほう)を行なう者、一万余人。小方(しょうほう)を行う者、六、七千人。その部の内に、部将(ぶしょう)あり方兵(ほうへい)あり、そして張角の兄弟、張梁(ちょうりょう)、張宝(ちょうほう)のふありを、天公将軍(てんこうしょうぐん)、地公将軍(ちこうしょうぐん)とよばせて、最大の権威を握(にぎ)らせ、自身はその上に君臨して、大賢良師(だいけんりょうし)張角と、称(とな)えていた。
これがそもそもの、黄巾党(こうきんとう)の起こりだとある。初め張角が、常に、結髪(けっぱつ)を黄色い巾(きれ)でつつんでいたので、その風(ふう)が全軍にひろまって、いつか党員の徽章(きしょう)となったものである。

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又、黄巾軍の徒党は、全軍の旗もすべて黄色を用い、その大旆(おおはた)には、
蒼(そう) 天(てん) 巳(すでに) 死(しす)
黄(こう) 夫(ふ) 当(まさに) 立(たつべし)
歳(とし) 在(こうし) 甲(に) 子(ありて)
天(てん) 下(か) 大(だい) 吉(きち)
という宣文(せんもん)を書き、党の楽謡部(がくようぶ)は、その宣文に、童歌(どうか)風(ふう)のやさしい作曲をつけて、党兵に唄(うた)わせ、部落や村々の地方から郡、県、市、都へと熱病のように唄い流行(はや)らせた。
大賢良師(だいけんりょうし)張角(ちょうかく)!
大賢良師張角!
今は、三歳の児童も、その名を知らぬはなく、
(――蒼天(そうてん)スデニ死ス。黄夫(こうふ)マサニ立ツべし)
と唄(うた)った後では、張角の名を囃(はや)して、今にも、天上の楽園が地上に実現するような感を民衆に抱かせた。
けれども、黄巾党が跋扈(ばっこ)すればする程(ほど)、楽土(らくど)はおろか、一日の安穏(あんのん)も土民の中にはなかった。
張角は自己の勢力に服従して来る愚民共へは、(太平を楽しめ)と、逸楽(いつらく)を許し、
(わが世を謳歌(おうか)せよ)と暗(あん)に掠奪(りゃくだつ)を奨励(しょうれい)した。
その代わりに、逆(さか)らう者は、仮借(かしゃく)なく罰し、人間を殺し、財宝を掠(かす)め奪(と)る事が、党の日課だった。
地頭(じとう)や地方の官吏も、防(ふせ)ぎようはなく、中央の洛陽(らくよう)の王城へ、急を告げることも頻々(ひんぴん)であったが、現下(げんか)、漢帝(かんてい)の宮中は、頽廃(たいはい)と内争で乱脈を極(きわ)めていて、地方へ兵を遣(や)るどころではなかった。
天下一統の大業を完成して、後漢(ごかん)の代を興(おこ)した光武帝(こうぶてい)から、今は二百余年を経(へ)、宮府の内外には又、ようやく腐爛(ふらん)と崩壊(ほうかい)の兆(ちょう)があらわれて来た。
十一代の帝、桓帝(かんてい)が逝(ゆ)いて、十二代の帝位に即(つ)いた霊帝(れいてい)はまだ十二、三歳の幼少であるし、輔佐(ほさ)の重臣は、幼帝を偽(あざむ)き合い、朝綱(ちょうこう)を猥(みだ)りにし、佞智(ねいち)の者が勢いを得て、真実のある人材は、みな野(や)に追われてしまうという状態であった。
心ある者は、密(ひそ)かに、
(どうなり行く世か?)と、憂(うれ)えているところへ、地方に蜂起(ほうき)した黄巾賊の口々から
――蒼天巳死(そうてんすでにしす)
の童歌が流行(はや)って来て、後漢の末世(まっせ)を暗示する声は、洛陽の城下にまで、満ちていた。
そうした折に又、こんな事もひどく人心を不安にさせた。
或年(あるとし)。
幼帝が、温徳殿(うんとくでん)に出御(しゅつぎょ)されると、にわかに、狂風(きょうふう)がふいて、長二丈(たけにじょう)余の青蛇(せいじゃ)が、梁(はり)から帝の椅子(いす)の側(そば)に落ちて来た。帝はきゃッと、床に仆(たお)れて気を失われてしまった。殿中の騒動はいうまでもなく、弓箭(きゅうせん)や鳳尾槍(ほうびそう)をもった禁門の武士が馳(か)けつけて、青蛇を刺止(しと)めんとしたところが、突如(とつじょ)、雹(ひょう)まじりの大風が王城をゆるがして、青蛇は雲となって飛び、その日から三日三夜、大雨は底をぬけるほど降りつづいて、洛陽の民家の浸水(みずつ)くもの二万戸、崩壊したもの千何百戸、溺死(できし)怪我人(けがにん)算なし――というような大災害を生じた。
又、つい近年には、
赤色の彗星(すいせい)が現われたり、風もない真昼、黒旋風(こくせんぷう)が突然ふいて、王城の屋根望楼(ぼうろう)を飛ばしたり、五原山(ごげんざん)の山つなみに、部落数十が、一夜に地底へ埋没してしまったり――凶兆(きょうちょう)ばかり年毎(としごと)に起こった。

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そんな凶兆のある度(たび)に、黄巾賊(こうきんぞく)の「蒼天スデニ死ス――」の歌は、盲目的に唄われて行き、賊党に加盟して、掠奪、横行、殺戮(さつりく)――の自由にできる「我が党の太平を楽しめ」とする者が、殖(ふ)えるばかりだった。
思想の悪化、組織の混乱、道徳の頽廃(たいはい)。――これをどうしようもない後漢の末期だった。
燎原(りょうげん)の火とばかり、魔の手を拡げて行った黄巾賊の勢力は、今では、青州(せいしゅう)、幽州(ゆうしゅう)、徐州(じょしゅう)、冀州(きしゅう)、荊州(けいしゅう)、楊州(ようしゅう)、兗州(えんしゅう)、豫州(よしゅう)(黄河口(こうがこう)の南北地帯)等の諸地方に及んでいた。
州の諸侯を始め、郡県市部の長(おさ)や官吏は、逃げ散るもあり、降(くだ)って賊となるもあり、屍(かばね)を積んで、焚殺(やきころ)された者も数知れなかった。
富豪は皆、財を捧(ささ)げて、生命(いのち)を乞(こ)い、寺院や民家は戸毎(ごと)に、大賢良師(だいけんりょうし)張角(ちょうかく)――と書いた例の黄府(こうふ)を門(かど)に貼(は)って、絶対服従を誓い、まるで鬼神を祀(まつ)るように、崇(あが)め恐れた。そうした現状にあった。
さて。・・・・・・
長々と、そうした現状や、黄巾党の勃興(ぼっこう)などを、自慢そうに語(かた)り来(きた)って、
「劉(りゅう)――」と、大方(だいほう)馬元義(ばげんぎ)は、腰かけている石段から、寺の門を、顎(あご)で指(さ)した。
「そこでも黄色い貼紙を見たろう。書いてある文句も読んだだろう。この地方もずっと、俺たち黄巾党の勢力範囲なのだ」
「・・・・・・・・・・・・」
劉備は、終始黙然(もくねん)と聞いているのみだった。
「――いや、この地方や、十州や二十州はおろかな事、今に天下は黄巾党のものになる。後漢の代(よ)は亡(ほろ)び、次の新しい代になる」
劉備は、そこで初めて、こう訊(たず)ねた。
「では、張角良師は、後漢を亡ぼした後で、自分が帝位に即(つ)く肚(はら)なんですか」
「いやいや。張角良師には、そんなお考えはない」
「では、誰が、次の帝王になるのでしょう」
「それは言えない。・・・・・・だが劉備、てめえが俺の部下になると約束するなら聞かせてやるが」
「なりましょう」
「きっとか」
「母が許せばです」
「――では打ち明けてやるが、帝王の問題は、今の漢帝を亡ぼしてから後の重大な評議になるんだ。匈奴(きょうど)(蒙古族(もうこぞく))の方とも相談しなければならないから」
「へえ?・・・・・・なぜです。どうして中国の帝王を決めるのに、昔から秦(しん)や趙(ちょう)や燕(えん)などの国境(さかい)を侵(おか)して、われわれ漢民族を脅(おび)やかして来た異国の匈奴などと相談する必要があるのですか」
「それは大いにあるさ」と馬は当然のように――
「いくら俺たちが暴(あば)れ廻(まわ)ろうたって、俺たちの背後(うしろ)から軍費や兵器をどしどし廻してくれる黒幕が無くっちゃ、こんな短い年月に、後漢の天下を攪乱(かくらん)する事はできまいじゃねえか」
「えっ。では黄巾族のうしろには、異国の匈奴がついているわけですか」
「だから絶対に、俺たちは敗(ま)けるはずはないさ。どうだ劉(りゅう)、俺がすすめるのは、貴様(きさま)の出世の為(ため)だ。部下となれ、すぐここで、黄巾賊に加盟せぬか」
「結構なお話です。母も聞いたら歓(よろこ)びましょう。・・・・・・けれど、親子の中にも礼儀ですから、一応、母にも告げた上で御返辞を・・・・・・」
言いかけているのに、馬元義(ばげんぎ)は不意に起(た)ち上(あ)がって、
「やっ、来たな」と、彼方(かなた)の平原へ向かって、眉(まゆ)に手をかざした。