三国志 (吉川英治) 第一巻 桃園の巻/檻車

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檻車(かんしゃ)[編集]

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義はあっても、官爵(かんしゃく)はない。勇はあっても、官旗(かんき)を持たない。そのために玄徳(げんとく)の軍は、どこ迄(まで)も、私兵としてしか扱われなかった。
(よく戦ってくれた)と、恩賞の沙汰(さた)か、ねぎらいの言葉でもあるかと思いのほか、休む遑(いとま)もなく、(ここはもうよいから、広宗(こうそう)の地方へ転戦して、盧(ろ)将軍を援(たす)けに行け)
と言う朱儁(しゅしゅん)の命令には、玄徳は素直な質(たち)なので、承知して戻ったが、関羽(かんう)も、張飛(ちょうひ)も、それを聞くと、
「え。すぐに此処(ここ)を立てというんですか」
と、むっとした顔色だった。殊(こと)に張飛は、
「けしからん沙汰だ。いかに官軍の大将だからといってそんな命令を、おうけして来る法があるものか。昨夜から悪戦苦闘してくれた部下にだって、気の毒で、そんな事が言えるものか」と激昂(げきこう)し、
「長兄(ちょうけい)は、おとなしいもんだから、洛陽(らくよう)の都会人などの眼から見ると舐(な)めやすいのだ。拙者(せっしゃ)が懸(か)け合(あ)ってくる」
と、剣を摑(つか)んで、朱儁(しゅしゅん)の本営へ出かけそうにしたので、玄徳よりは、同じ不快を怺(こら)えている関羽が、
「まあ待て」と、極力抑(おさ)えた。
「ここで、腹を立てたら、せっかく、官軍へ協力した意義も成功も、みな水泡(すいほう)に帰してしまう。都会人て奴(やつ)は、元来、わがままで思い上がっているものだ。しかし、黙ってわれわれが国事に尽くしていれば、いつか誠意は天聴(てんちょう)にも達するだろう。眼前の利欲(りよく)に怒るのは小人(しょうじん)に業(わざ)だ。われわれは、もっと高い理想に向かって起(た)つはずじゃないか」
「でも癪(しゃく)にさわる」
「感情に負けるな」
「無礼な奴だ」
「わかった。わかった。もうそれでいいだろう」
漸(ようや)く宥(なだ)めて、
「劉兄(りゅうけい)。お腹も立ちましょうが、戦場も世の中の一部です。広い世の中としてみればこんな事はありがちでしょう。即刻、この地を引き揚げましょう」
ついでに関羽は、玄徳の憂鬱(ゆううつ)もそう言って慰(なぐさ)めた。
玄徳は元より、そう腹も立っていない。怺えるとか、堪忍(かんにん)とか、二人は言っているが、彼自身は、生来の性質が微温的(びおんてき)にできているのか、実際、朱儁の命令にしてもそう無礼とも無理とも思えないし怒る程に、気色を害されてもいなかったのである。
兵には、一睡させて、せめて食糧もゆっくり摂(と)らせて、夜半から玄徳は、そこの陣地を引き払った。
きのうは西に戦い。
今日は東へ。
毎日、五百の手勢と、行軍をつづけていても、私兵のあじけなさを、しみじみ思わずにはいられなかった。
部落を通れば、土民までが馬鹿にする。――その土民等を賊の虐圧(ぎゃくあつ)と、悪政の下から救って、安心楽土の幸福な民としてやろうという此軍(このぐん)の精神であるのに――その見すぼらしい雜軍的な装備を見て、
「なんじゃ。官軍でもなし、黄巾賊でもないのが、ぞろぞろ通りよる」
などと、陽(ひ)なたに手をあざし合って、嘲弄(ちょうろう)するような眼をあつめながら見物していた。
けれど、先頭の玄徳、張飛、関羽の三人だけは、人目をひいた。威風が道を払(はら)った。土民等の中には土下座して拝する者もあった。
拝されても、嘲弄(ちょうろう)されても、玄徳はいずれにせよ、気にかけなかった。自分が畑に働いていた頃の気持をもって、土民等の気持を理解しているからだった。


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駒(こま)を並べて来る関羽と張飛とはまだ朱儁の無礼を思い出して、時々、腹が立って来るものとみえ、官軍の風紀や、洛陽の都人士の軽薄を、頻(しき)りに声を大にして罵(ののし)っていた。
「およそ嫌なものは、官爵を誇って、朝廷の御威光(ごいこう)を、自分の偉さみたいに、思い上がっている奴だ。天下の紊(みだ)るるは、天下の紊れに非(あら)ず、官の廃頽(はいたい)に拠(よ)るというが、洛陽育ちの役人の将軍のうちには、あんなのが沢山いるだろうて」
と、関羽が言えば、
「そうさ。俺はよッぽど、朱儁の面(つら)へ、ヘドを吐きかけてやろうと思ったよ」と張飛も言う。
「はははは。貴公のヘドをかけられたら、朱儁も驚いただろうな。しかし彼一人が官僚臭の鼻もちならぬ人間というわけではない。漢室の廟堂(びょうどう)そのものが腐敗しているのだ。彼は、その中に棲息(せいそく)している時代人だから、その悪弊を持っているに過ぎない」
「それやあわかっているが、とにかく俺(おれ)は、目前の事実を憎むよ」
「いくら黄匪(こうひ)を討伐しても、中央の悪風を粛清(しゅくせい)しなければ、ほんとうのよい時代はやって来まいな」
「黄巾の賊はなお討つに易(やす)し。朝堂の鼠臣(そしん)はついに趁(お)うも難(かた)し――か」
「そのとおりだ」
「考えれば考えるほど、俺たちの理想は遠い――」
道をながめ、空を仰ぎ、両雄は嘆じ合っていた。
少し前へ立って、馬を進めていた玄徳は、二人の声高なはなしを先刻から後ろ耳で聞いていたが、その時、振顧(ふりかえ)って、
「いやいや両人、そう一概に言ってしまったものではない。洛陽の将軍のうちにも立派な人物は乏(とぼ)しくない」と、言った。
玄徳は、言葉をつづけて、
「たとえば先頃、野火(のび)の戦野で出会って挨拶(あいさつ)を交(か)わした――赤備(あかぞな)えの一軍の大将、孟徳(もうとく)曹操(そうそう)などという人物は、まだ若いが、人品(じんぴん)といい、言語態度といい、寔(まこと)に見あげたものだった。叡智(えいち)の才を、洛陽(らくよう)の文化と、武勇とに磨(みが)いて、一個の人格に飽和(ほうわ)させているところ、彼など真に官軍の将軍といって恥すかしからぬ者であろう。ああいう武将というものは、やはり郷軍や地方の草莽(そうもう)のなかには見当たらないと思うな」と賞(ほ)めたたえた。
それには、張飛も関羽も、同感であったが、浪人の通用性として官軍とか官僚とかいうと、まずその人物の真価を観(み)るより先に、その色や臭(にお)いを嫌悪してかかるので、玄徳にそう言われる迄(まで)は、殊に、曹操に対しても、感服する気にはなれなかったのである。
「ヤ。旗が見える」
そのうちに、彼等の部下は、こう言って指さし合った。玄徳は、馬を止めて、
「なにが来るのだろうか」と、関羽を顧(かえり)みた。
関羽は、手をかざして、道の前方数十町の先を、眺めていた。そこは山陰(やまかげ)になって、山と山の間へ道が蜿(うね)っているので、太陽の光も陰(かげ)り、何やら一団の人間と旗とが、此方(こっち)へさして来るのはわかるが官軍やら黄巾賊の兵やら――又、地方を浮浪している雜軍やら、見当がつかなかった。
だが、次第に近づくに従って、漸(ようや)く旗幟(きし)がはっきりわかった。関羽が、それと答えた時には、従う兵等も口々に言い交わしていた。
「朝旗(ちょうき)をたてている」
「アア。官軍だ」
「三百人ばかりの官軍の隊」
「だが、おかしいぞ、熊でも捕まえて入れて来るのか、檻車(かんしゃ)を曳(ひ)いて来るじゃないか」


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大きな鉄格子の檻(おり)である。車がついているので驢(ろ)に曳かせることができる。まわりには、槍(やり)や棒を持った官兵が、怖(こわ)い目をしながら警固(けいご)して来る。
その前に百名。
その後ろに約百名。
檻車を真ん中にして、七旈(しちりゅう)の朝旗(ちょうき)は山風に翻(ひるが)えっていた。そして、檻車の中に、揺られて来るのは、熊でも豹(ひょう)でもなかった。膝(ひざ)を抱いて、天日に面(おもて)を附(ふ)せている。あわれなる人間であった。
ばらばらっと、先頭から、一名の隊将と、一隊の兵が、駈(か)け抜(ぬ)けて来て、玄徳の一行を、頭から咎(とが)めた。
「こらっ、待てっ」と言うふにである。
張飛も、ぱっと、玄徳の前へ駒(こま)を躍(おど)らせて、万一を庇(かば)いながら、
「なんだっ、虫けら」と、言い返した。
言わずともよい言葉であったが、潁川(えいせん)以来、とかく官兵の空威(からい)ばりに、業腹(ごうはら)の煮えていたところなので、つい口を衝(つ)いて出てしまったのである。
石は石を打って、火を発した。
「なんだと、官旗に対して、虫けらと言ったな」
「礼を知るをもって人倫(じんりん)の始まりと言う。礼儀をわきまえん奴は、虫けらも同然だ」
「だまれ、われわれは、洛陽の勅使(ちょくし)、左豊(さほう)卿(きょう)の直属の軍だ。旗を見よ。朝旗が見えんか」
「王城の直軍とあれば、なおさらの事である。俺たちも、武勇奉公を任じる軍人だ。私軍といえど、この旗に対し、こらっ待てとはなんだ。礼をもって問えば、こちらも礼をもって答えてやる。出直して来い」
丈八(じょうはち)の蛇矛(じゃぼこ)を斜(しゃ)に構えて、刮(くわ)っとにらみつけた。
官兵は縮(ちぢ)み上がったものの、虚勢を張ったてまえ、退(ひ)きもならず、生唾(なまつば)をのんでいた。玄徳は、眼じらせで、関羽にこの場を扱うように促(うなが)した。
関羽は、心得て、
「あいや、これは潁川(えいせん)の朱儁(しゅしゅん)・皇甫嵩(こうほすう)の両軍に参加して、これより広宗(こうそう)へ引っ返して参る涿県(たくけん)の劉玄徳の手勢でござる。ことばの行きちがい、この漢(おとこ)の短慮はゆるし給(たま)え。――就(つ)いては、又、貴下の軍は、これより何処(いずこ)へ参らるるか。そして、あれなる檻車(かんしゃ)にある人間は、賊将の張角(ちょうかく)でも生擒(いけど)って来られたのであるか」
詫(わ)びるところは詫び、糺(ただ)すところは筋目(すじめ)を糺して質問した。
官兵の隊将は、それに、ほっとした顔つきを見せた。張飛の暴言も薬にはなったとみえ、今度は丁寧(ていねい)に、
「いやいや、あれなる檻車に押し込めて来た罪人は、先頃まで、広宗(こうそう)の征野(せいや)にあって官軍一方の将として、洛陽より派遣せられていた中郎将(ちゅうろうしょう)盧植(ろしょく)でござる」
「えっ、盧植将軍ですって」
玄徳は思わず、驚きの声を放(はな)った。
「されば。吾々(われわれ)には詳しいこともわからぬが、今度勅令にて下られた左豊卿が、各地の軍状を視察中、盧植の軍務ぶりに不届きありと奏(そう)された為(ため)、急に盧植の官職を褫奪(ちだつ)され、これよりその身がらを一囚人として、都へ差し立てて行く途中なので――」
と語った。
玄徳も、関羽も、張飛も、
「嘘のような……」と、茫然(ぼうぜん)たる面(おもて)を見あわせたまま、暫(しば)し言うことばを知らなかった。
玄徳はやがて、
「実は盧植将軍は、自分の旧師にあたるお人なので、ぜひとも一目、お別れをお告げ申したいが、なんとか許してもらえまいか」と切(せつ)に頼んだ。


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「ははあ。では、罪人盧植は、貴公の旧師にあたる者か。それは定めし、一目でも会いたかろうな」
守護の隊将は、玄徳の切な願いを、肯(き)くともなく、肯(き)かぬともなく、頗(すこぶ)るあいまいに口を濁(にご)して、「許してもよいが、公(おおやけ)の役目のてまえもあるしな」と、意味ありげに呟(つぶや)いた。
関羽は、玄徳の袖(そで)をひいて、彼は賄賂(わいろ)を求めているにちがいない。貧しい軍費ではあるが、幾分かを割(さ)いて、彼に与えるしかありますまいと言った。
張飛は、それを小耳に挾(はさ)むと、けしからぬことである。そんなことをしては癖(くせ)になる。もし肯(き)かなければ、武力に訴えて、盧将軍の檻車へ迫り、御対面なさるがよい。自分が引き受けて、警固の奴らは近寄らせぬからと言ったが、玄徳は、
「いやいや、かりそめにも、朝廷の旗を奉じている兵や役人へ向かって、左様(さよう)な暴行はなすべきでない。と言って、師弟の情、このまま盧将軍と相見(あいみ)ずに別れるにも忍びないから――」
と言って、若干(なにがし)かの銀を、軍費のうちから出させて、関羽の手からそっと、守護の隊将へ手渡し、
「ひとつ、貴郎(あなた)のお力で」
と折(お)り入(い)って言うと、賄賂(わいろ)の効目(ききめ)は、手のひらを返したようにきいて、隊将は立ち戻って、折車を停(とど)め、
「暫(しばら)く、休め」と、自分の率(ひき)いている官兵に号令した。
そしてわざと、彼等は見て見ぬふりをして、路傍に槍を組んで休憩していた。
玄徳は、騎(き)を下りて、その間に、檻車(かんしゃ)のそばへ馳(か)け寄(よ)り、頑丈(がんじょう)な鉄格子へすがりついて、
「先生っ。先生っ。玄徳でございます。いったい、このお姿は、どうなされた事でござりますぞ」
と、嘆(なげ)いた。
膝を曲げて、暗澹(あんたん)と、顔を埋(うず)めたまま、檻車の中に背をまろくしていた盧植(ろしょく)は、その声に、はっと眼を向けたが、
「おうっ」
と、それこそ、さながら野獣のように、鉄格子の側(そば)へ、跳(と)びついて来て、
「玄徳か……」と、舌をつらせて顫(わなな)いた。
「いい所で会った。玄徳、聞いてくれ」
盧植は無念な涙に、眼も顔もいっぱいに曇(くも)らせながら言う。
「実は、こうだ。――先頃、貴公(きこう)がわしの陣を去って、潁川(えいせん)のほうへ立ってから間もなく、勅使(ちょくし)左豊(さほう)という者が、軍監(ぐんかん)として戦況の検分に来たが、世事に疎(うと)いわしは、陣中でもあるし、天使の使いとして、彼を迎えるには、あまりに真面目(まじめ)すぎて、他の将軍連のように、左豊に献物(けんもつ)を贈らなかった。……すると厚顔(あつかま)しい左豊は、我(われ)に賄賂(まいない)をあたえよと、自分の口から求めて来たが、陣中にある金銀は、皆これ官の公金にして、兵器戦備の費(ついえ)にする物、他に私財とてはなし。殊(こと)に、軍中なれば、吏に贈る財物など、何であろうかと、わしは又、真っ正直に断わった」
「……なるほど」
「すると、左豊は、盧植はわれを恥ずかしめたりと、ひどく恨(うら)んで帰ったそうだが、間もなく、身に覚えのない罪名の下に、軍職を褫奪(ちだつ)されてこんな浅ましい姿を曝(さら)して、都に差し立てられる身とはなってしもうた。……今思えば、わしもあまり一徹(いってつ)であったが、洛陽の顕官(けんかん)共が、私利至福のみ肥やして、君も思わず、民を顧(かえり)みず、ただ一身の栄利に汲々(きゅうきゅう)としておる状(さま)は、想像のほかだ。実に嘆かわしい。こんな事では、後漢(ごかん)の霊帝(れいてい)の御世も、おそらく長くはあるまい。……ああどうなりゆく世の中やら」
と、盧植は、身の不幸を悲しむよりも、さすがに、より以上、上下乱脈の世相の果てを、痛哭(つうこく)するのであった。


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慰(なぐさ)めようにも慰める言葉もなく、鉄格子を隔(へだ)てた盧植と手を握りしめて、玄徳と共にただ悲嘆の涙にくれていたが、
「いや先生、御胸中はお察しいたしますが、いかに世が末になっても、罪なき者が罰せられて、悪人や奸吏(かんり)がほしいままに、栄耀(えいよう)を全(まっと)うする事はありません。日月も雲に蔽(おお)われ、山容も、烟霧(えんむ)に真の象(かたち)を現わさない時もあります。そのうちに、御冤罪(ごえんざい)は拭(ぬぐ)われて、又聖代(せいだい)に祝しあう日もありましょう。どうか、時節をお待ちください。お体を大切に、恥をしのんで、凝(じっ)とここは、御辛抱(ごしんぼう)ください」
と励ました。
「ありがとう」と、盧植も、われに回(かえ)って、「思わぬ所で、思わぬ人に会った為(ため)、つい心も弛(ゆる)み、不覚な涙を見せてしもうた。……わしなどはすでに老朽の身だが、頼むのは、貴公たち将来のある青年へだ。……どうか億生(おくしょう)の民草(たみぐさ)のために、頼むぞ劉備」
「やります。先生」
「ああしかし」
「何ですか」
「わしの如(ごと)き、老年になっても、まだ侫人(ねいじん)の策に墜(お)ち、檻車に生(い)き恥(はじ)を曝(さら)すような不覚をするのだ。汝等(おことら)は殊(こと)に年も、若いし、世の経験に浅い身だ。くれぐれも、平時の処世に細心でなければ危(あや)ういぞ。戦(いくさ)を覚悟の戦場よりも、心をゆるめがちの平時のほうが、どれほど危険が多いか知れない」
「御訓戒(ごくんかい)、胆(きも)に命じておきます」
「では、あまり長くなっても、又迷惑がかかるといけないから――」
と、盧植が、早く立ち去れかしと、玄徳を目で急(せ)き立(た)てていると、それ迄、檻車の横に佇(たたず)んでいた張飛が、突然、
「やあ長兄。罪もなき恩師が、獄府(ごくふ)へ引かれて行くのを、このまま見過ごすという法があろうか。今のはなしを聞くにつけ、又先頃からの鬱憤(うっぷん)も嵩(かさ)んでおる。もはや張飛の堪忍(かんにん)の緒(お)は断(き)れた。守護の官兵共を、みなごろしにして、檻車を奪い、盧植(ろしょく)様をお助けしようではないか」
と、大声でいい放ち、一方の関羽を顧(かえり)みて、
「兄貴、どうだ」と、相談した。
耳こすりや、眼まぜで諜(しめ)し合(あ)わすのではない。天地へ向かって呶鳴(どな)るのである。いくら背中を向けて見ぬ振りをしている官兵でも、それには総立ちになって、色めかざるを得ない。しかし、張飛の眼中には、蝿が舞い出した程にもなく、
「何を黙っておるのか。長兄等は、官兵らが怖(こわ)いのか。義を見て為(な)さざるは勇なきなり。よしっ、それでは、俺(おれ)ひとりである。なんの、こんな虫籠(むしかご)のような檻車一つ」
いきなり張飛は、その鉄格子に手をかけて、猛虎(もうこ)のように、揺すぶり出した。
いつもあまり大きな声も出さないし、滅多(めった)に顔色を変えない玄徳が、それを見ると、
「張飛!何をするかッ」と、大喝(だいかつ)して、「かりそめにも、朝命(ちょうめい)の科人(とがにん)へ、汝(なんじ)、一野夫(いちやふ)の身として、何を為(な)さんとするか。師弟の情は忍び難いが、なお、私情に過ぎない。いやしくも天子の命とあらば、血を嚙(か)んでも伏(ふく)すべきである。世々の道に反(そむ)かずという事は、抑々(そもそも)、われら軍律の第一則であった、強(た)って、乱暴を働くにおいて、天子の臣に代わり、又、わが軍律に照らして、劉玄徳が、まず汝の首(こうべ)を刎(は)ねん。――如何(いか)に張飛、なお躁(さわ)ぐや」
と、彼(か)の名剣の柄(つか)をにぎって、眦(まなじり)を紅(くれない)に裂(さ)き、この人にしてこの血相があるかと疑われるばかりな声で叱(しか)りつけた。


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――檻車は遠く去った。
叱られて、思(おも)い止(とど)まった張飛は、後ろの山のほうを向いて、見ていなかった。
玄徳は立っていた。
「…………」
黙然と、凝視(ぎょうし)して、遠くなり行く師の檻車を、暗涙(あんるい)の中に見送っていた。
「……さ。参りましょう」
関羽は、促(うなが)して、駒(こま)を寄せた。
玄徳は、黙々と、騎上の人になたが、盧植の運命の急変が、よほど精神にこたえたとみえ、
「……噫(ああ)」と、なお嘆息しては、振り向いていた。
張飛は、つまらない顔をしていた。彼にとっては、正しい義憤としてやった事が、計らずも玄徳の怒りを買い、義盟の血をすすり合ってから初めてのような叱られ方をした。
官兵共は、それを見て、いい気味だというような嘲笑(ちょうしょう)を浴びせた。張飛たるもの、腐(くさ)らずにいられなかった。
「いけねえや、どうも家(うち)の大将は、すこし安物(やすもの)の孔子(こうし)にかぶれている気味だて」
舌打ちしながら、彼も黙りこんだまま、悄気(しょげ)返った姿を、騎にまかせていた。
山峡(やまあい)の道を過ぎて、二州のわかれ道へ来た。
関羽は、駒を止めて、
「玄徳樣」と、呼びかけた。
「これから南へ行けば広宗(こうそう)。北へ指(さ)してゆけば、郷里涿県(たくけん)の方角へ近づきます。いずれを選びますか」
「元より、盧植先生が囚(とら)われの身となって、洛陽へ送られてしまったからには、義をもってそこへ援軍に赴(ゆ)く意味ももうなくなった。ひとまず、涿県へ帰ろうよ」
「そうしますか」
「うム」
「それがしも、先刻(さっき)からいろいろ考えていたのですが、どうも、残念ながら、一時郷里へ退(ひ)くしかないであろう――と思っていたので」
「転戦、又転戦。――何の功名も齎(もたら)さず、郷家に待つ母上にも、なんとなく、会わせる顔もないここちがするが……帰ろうよ、涿県へ」
「はっ。――では」
と、関羽は、騎首を旋(めぐ)らして、後からつづいて来る五百余の手兵へ、
「北へ、北へ!」
と、指さして歩行の号令をかけ、そして又黙々(もくもく)と、歩みつづけた。
「あア――、あ、あ」
張飛は、大欠伸(おおくび)して、
「いったい、なんの為に、俺たちは戦ったんだい。ちっともわけがわからない。――こうなると一刻もはやく、涿県の城内へ帰って、市(いち)の酒屋で久しぶりに、猪(いのこ)の股(もも)でも齧(かじ)りながら、うまい酒でも飲みたいものだ」と、言った。
関羽は、苦い顔をして、
「おいおい、兵隊のような事を言うな。一方の将として」
「だって、俺は、ほんとの事を言っているんだ。嘘ではない」
「貴様からして、そんな事を言ったら、軍紀が弛(ゆる)むじゃないか」
「軍紀の弛み出したのは、俺のせいじゃない。官軍官軍と、何でも、官軍とさえいえば、意気地(いくじ)なく恐がる人間のせいだろ」
不平満々なのである。
その不平な気もちは、玄徳にもわかっていた。玄徳もまた、不平であったからだ。そして一頃(ひところ)の張り切っていた壮志(そうし)の弛みをどうしようもなかった。彼は、女々(めめ)しく郷里の母を思い出し、又、思うともなく、鴻芙蓉(こうふよう)の麗(うるわ)しい眉(まゆ)や眼などを、人知れず胸の奥所(おくが)に描いたりして、何となく士気の沮喪(そそう)した軍旅の虚無(きょむ)と不平をなぐさめていた。
すると、突然、山崩(やまくず)れでもしたように、一方の山岳で、鬨(とき)の声(こえ)が聞こえた。


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「何事か」
玄徳は聞き耳たてていたが、四山に谺(こだま)する銅鑼(どら)、兵鼓(へいこ)の響きに、
「張飛、物見(ものみ)せよ」と、すぐ命じた。
「心得た」
と張飛は駒を飛ばして、山のほうへ向かって行ったが、暫(しばら)くすると戻って来て、
「広宗(こうそう)の方面から逃げくずれて来る官軍を、黄巾の総帥(そうすい)張角(ちょうかく)の軍が、大賢良師(だいけんりょうし)と書いた旗を進め、勢いに乗って、追撃して来るのでござる」と、報告した。
玄徳は、驚いて、
「では、広宗の官軍は、総敗北となったのか。――罪なき盧植将軍を、檻車に囚(とら)えて、洛陽に差し立てたりなどした為に、たちまち、官軍は、統制を失って、賊にその虚(きょ)をつかれたのであろう」
と、嘆じた。
張飛は、むしろ小気味よげに、
「いや、そればかりでなく、官軍の士風そのものが、長い平和に狎(な)れ、気弱(きよわ)にながれ、思い上がっているからだ」と、関羽へ言った。
関羽は、それに答えず、
「長兄。どうしますか」
と玄徳へ計った。
玄徳は、躊躇(ためらい)なく、
「皇室を重んじ、秩序を紊(みだ)す賊子を討(う)ち、民の安寧を護(まも)らんとは、われわれの初めからの鉄則である。官の士風や軍紀を司(つかさ)どる者に、おもしろからぬ人物があるからというて、官軍そのものが潰滅(かいめつ)するのを、拱手(きょうしゅ)傍観(ぼうかん)していてもよいものではない」
と、即座に、援軍に馳(は)せつけて、賊の追撃を、山路で中断した。そしてさんざんにこれを悩ましたり、又、奇策をめぐらして、張角大方師(だいほうし)の本軍まで攪乱(かくらん)した上、勢いを挽回(ばんかい)した官軍と合体して、五十里あまりも賊軍を追って引き揚げた。
広宗から敗走して来た官軍の大将は、董卓(とうたく)という将軍だった。
辛(から)くも、総敗北を盛り返して、ほっと一息つくと、将軍は、幕僚にたずねた。
「いったい、彼(か)の山嶮(さんけん)で、不意にわが軍へ加勢し、賊の後方を攪乱した軍隊は、いずれ味方には相違あるまいが、どこの部隊に属する将士か」
「さあ。どこの隊でしょう」
「汝等(なんじら)も知らんのか」
「誰も弁(わきまえ)ぬようです」
「然(しか)らば、その部将(ぶしょう)に会って、自身訊(たず)ねてみよう。これへ呼んで来い」
幕僚は、直ちに、玄徳たちへ董卓の意を伝えた。
玄徳は、左将(さしょう)関羽(かんう)、右将(うしょう)張飛(ちょうひ)を従えて、董卓の面前へ進んだ。
董卓は、椅子を与える前に、三名の姓名をたずねて、
「洛陽の王軍に、卿等(けいら)のごとき勇将がある事は、まだ寡聞(かぶん)にして聞かなかったが、いったい諸君(しょくん)は、何という官職に就(つ)かれておるのか」と、身分を糺(ただ)した。
玄徳は、無爵無官の身をむしろ誇るように、自分等は、正規の官軍ではなく、天下万民のために、大志を奮い起こして立った一地方の義軍であると答えた。
「……ふうむ。すると、涿県(たくけん)の楼桑村から出た私兵か。つまり雜軍というわけだな」
董卓の応対ぶりは、言葉つきからして違って来た。露骨な軽蔑(けいべつ)を鼻先に見せていうのだった。しかも、
「――ああそうか。じゃあ我が軍に従(つ)いて、大いに働くがよいさ。給料や手当は、いずれ沙汰(さた)させるからな」
と同席するさえ、自分の沽券(こけん)に関(かかわ)るように、董卓は言うとすぐ帷幕(いばく)のうちへ隠れてしまった。


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官軍にとっては、大功を建てたのだ。董卓(とうたく)にとっては、生命(いのち)の親だと言ってもよいのだ。
然(しか)るに!
何ぞ、遇(ぐう)するの、無礼。
士を遇する道を知らぬにも程がある。
「…………」
玄徳も、張飛と関羽も、董卓のうしろ姿を見送ったまま、茫然(ぼうぜん)としていた。
「うぬっ」
憤然(ふんぜん)と、張飛は、彼のかくれた幕(とばり)の奥へ、躍(おど)り入(い)ろうとした。
獅子(しし)のように、髪を立てて。
そして剣を手に。
「あっ、何処(どこ)へ行く」
玄徳は、驚いて、張飛のうしろから組み止めながら、
「こらっ、又、わるい短慮を出すか」と、叱った。
「でも、でも」
張飛は、怒(いか)り熄(や)まなかった。
「――ちッ、畜生っ。官位がなんだっ。官職がない者は、人間でないように思ってやがる。馬鹿野郎ッ。民力があっての官位だぞ。賊軍にさえ、蹴(け)ちらされて、逃げまわって来やがったくせに」
「これッ、鎮(しず)まらんか」
「離してくれ」
「離さん。関羽関羽。なぜ見ているか。一緒に、止めてくれい」
「いや関羽、止めてくれるな。おれはもう、堪忍(かんにん)の緒(お)を切った。――功を立てて恩賞もないのは、まだ我慢もするが、なんだ、あの軽蔑したあいさつは。――人を雜軍とかぬかしおった。私兵かと、鼻であしらいやがった。――離してくれ、董卓の素(そ)ッ首(くび)を、この蛇矛(じゃぼこ)で一太刀にかッ飛ばして見せるから」
「待て。……まあ待て。…・・腹が立つのは、貴様ばかりではない。だが、小人(しょうじん)の小人ぶりに、いちいち腹を立てていたひには、とても大事は為(な)せぬぞ。天下、小人に満ちいる時だ」
玄徳は、抱き止めたまま、声をしぼって諭(さと)した。
「しかし、なんであろうと、董卓は皇室の武臣である。朝臣を弑逆(しいぎゃく)すれば、理非にかかわらず、叛逆(はんぎゃく)の賊子といわれねばならぬ。それに、董卓には、この大軍があるのだ。われわれも共に、ここで斬死(きりじに)しなければならぬ。聞きわけてくれ張飛。われわれは、犬死する為に、起(た)ったのではあるまいが」
「……ち、ち、ちく生ッ」
張飛は、床(ゆか)を、大きく沓(くつ)で踏み鳴らして、男泣きに、声をあげて泣いた。
「口惜(くや)しい」
彼は、坐(すわ)りこんで、まだ泣いていた。この忍耐をしなければ、世の為に戦えないのか、義を唱(とな)えても、遂(つい)に為(な)す事はできないのかと考えると悲しくなってくるのだった。
「さ。外へ出よう」
赤ン坊をあやすように、玄徳と関羽の二人して、彼を左右から抱き起こした。
そして、その夜、「こんな所に長居していると、いつ又、張飛が虫を起こさないとも限らないから」と、董卓(とうたく)の陣を去って、手兵五百と共に、月下の曠野(こうや)を、蕭々(しょうしょう)と、風を負(お)って歩いた。
わびしき雜軍。
そして官職のない将僚(しょうりょう)。
一軍の漂泊(さすらい)は、こうして再び続いた。夜毎(よごと)に、月は白く小さく、曠野は果てなく又露(つゆ)が深かった。
渡り鳥が、大陸を趁(ゆ)く。
もう秋なのだ。
いちど郷里の涿県へ帰ろうとしたが、それも残念でならないし、あまりに無意義――という関羽の意見に、張飛も、将来は何事も我慢しようと同意したので、玄徳を先頭にしたこの渡り鳥にも似た一軍は、又、以前の潁川(えいせん)地方に在(あ)る黄匪討伐軍本部――朱儁(しゅしゅん)の陣地へ志(こころざ)して行ったのであった。