三国志 (吉川英治) 第一巻 桃園の巻/桑の家

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桑(くわ)の家(いえ)[編集]

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涿県(たくけん)楼桑村(ろうそうそん)は、戸数二、三百戸の小駅であったが、春秋は北から南へ、南から北へと流れる旅人の多くが、この宿場で驢(ろ)を繫(つな)ぐので、酒を売る旗亭(きてい)もあれば、胡弓(こきゅう)を弾(ひ)く鄙(ひな)びた妓(おんな)などもいて相当に賑(にぎ)わっていた。
この地は又、太守(たいしゅ)劉焉(りゅうえん)の領内で、校尉(こうい)鄒靖(すうせい)という代官が役所をおいて支配していたが、なにぶん、近年の物情騒然たる黄匪(こうひ)の跳梁(ちょうりょう)に脅(おびや)かされているので、楼桑村も例に洩(も)れず、夕方になると明るいうちから村端(むらはず)れの城門をかたく閉(し)めて、旅人も居住者も、一切(いっさい)の往来は止めてしまった。
城門の鉄扉(てつび)が閉まる時刻は、大陸の西厓(さいがい)にまっ赤な太陽が沈みかける頃で、望楼の役人が、六つの鼓(こ)を叩(たた)くのが合図だった。
だから此辺(このへん)の住民は、そこの門の事を、六鼓門(ろっこもん)と呼んでいたが、羌もまた、赤い夕陽が鉄の扉(と)に映(さ)しかける頃、望楼の鼓が、もう二つ三つ四つ・・・・・・と鳴りかけていた。
「待って下さい。待って下さいっ」
彼方(かなた)から驢を飛ばして来たひとりの旅人は、危(あや)うく一足ちがいで、一夜を城門の外に明かさなければならない間際(まぎわ)だったので、手をあげながら馳(か)けて来た。
最後の鼓の一つが鳴ろうとした時、からくも旅人は、城門へ着いて、
「おねがい致します。通行をおゆるし下さいまし」
と、驢をそこで降りて、型の如(ごと)く関門(かんもん)調べを受けた。
役人は、旅人の顔を見ると、「やあ、お前は劉備(りゅうび)じゃないか」と、言った。
劉備は、ここ楼桑村の住民なので、誰(だれ)とも顔見知りだった。
「そうです。今、旅先から帰って参ったところです」
「お前なら、顔が手形(てがた)だ。何も調べはいらないが、いったい何処(どこ)へ行ったのだ。今度の旅は又、ばかに長かったじゃないか」
「はい、いつもの商用ですが、なにぶん、何処(どこ)へ行っても近頃は、黄匪(こうひ)の横行で、思うように商(あきない)もできなかったものですから」
「そうだろう。関門も通る旅人も、毎日減(へ)るばかりだ。さあ、早く通れ」
「ありがとう存じます」
再び驢に騎(の)りかけると、
「そうそう、お前の母親だろう、よく関門まで来ては、きょうもまだ息子は帰りませぬか、今日も劉備は通りませぬかと、夕方になると訊(たず)ねに来たのが、此頃(このごろ)姿が見えぬと思ったら煩病(わずら)って寝ているのだぞ。はやく帰って顔を見せてやるがよい」
「えっ。では母は、留守中に、病気で寝ておりますか」
劉備はにわかに胸(むな)さわぎを覚え、驢を急がせて、関門から城内へ馳けた。
久しく見ない町の暮色にも、眼もくれないで彼は驢を家路へ向けた。道幅の狭い、そして短い宿場町はすぐにとぎれて、道はふたたび悠長(ゆうちょう)な田園へかかる。
ゆるい小川がある。水田がある。秋なのでもう村の人々は刈り入れにかかっていた。そして所々に見える農家の方へと、田の人影も水牛(すいぎゅう)の影も戻って行く。
「ああ、わが家が見える」
劉備は驢の上から手をかざした。舂(うすづ)く陽のなかに黒くぽつんと見える一つの屋根と、そして遠方から見ると、まるで大きな車蓋(しゃがい)のように見える桑(くわ)の木。劉備の生まれた家なのである。
「どんなに自分をお待ちなされていることやら。・・・・・・思えば、わしは孝養を励(はげ)むつもりで、実は不孝ばかり重ねているようなもの。母上、済(す)みません」
彼の心を知るか、驢(ろ)も足を早めて、やがて懐(なつ)かしい桑(くわ)の大樹の下まで辿(たど)りついた。

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この桑の大木は何百年を経(へ)たものか、村の古老でも知る者はない。
沓(くつ)や蓆(むしろ)を製(つく)る劉備の家――と訊(き)けば、あああの桑の樹の家さと指さすほど、それは村の何処(どこ)からでも見えた。
古老が言うには、
「楼桑村という地名も、この桑の木が茂る時は、まるで緑の楼台(ろうだい)のように見えるから、この樹から起こった村の名かもしれない」との事であった。
それはともかく、劉備は今、漸(ようや)く帰り着いたわが家の裏に驢を繫(つな)ぐとすぐ、
「おっ母(か)さん、今帰りました。玄徳(げんとく)です。玄徳ですよ」
と、広い家の中へ駈(か)け込(こ)むように這(は)入(い)って行った。
旧家なので、家は大きいが、何一つあるではなく、中庭は、沓を編んだり蓆を織る仕事場になっており、そこも劉備の留守中は職人も通(かよ)っていないので、荒れたままになっていた。
「オヤ、どうしたのだろう。燈火(あかり)もついていないじゃないか」
彼は召使いの老婆(としより)と、下僕(しもべ)の名を呼びたてた。
ふたり共、返辞もない。
劉備は、舌打ちしながら、
「おっ母(か)さん」
母の部屋をたたいた。
阿備(あび)か――と飛びつくように迎えてくれるであろうと思っていた母の姿も見えなかった。いや母の部屋だけにたった一つあった箪笥(たんす)も寝台も見えなかった。
「や?・・・・・・どうしたのだろう」
茫然(ぼうぜん)、胸さわぎを抱いて、佇(たたず)んでいると、暗い中庭のほうで、かたん、かたん――と蓆を織る音がするのであった。
「おや」
廊(ろう)に出てみると、そこの仕事場だけ、淡暗(うすぐら)い灯影(ほかげ)がたった一つ提(かか)げてあった。その灯の下に、白髪の母の影が後ろ向きに腰かけていた。ただ一人で、星の下に、蓆を織っているのだった。
母は、彼が帰って来たのも気がついていないらしかった。劉備は縋(すが)りつかんばかり馳(か)け寄(よ)って、
「今、帰りました」
と顔を見せると、母は、びっくりしたように起(た)って蹌(よろ)めきながら、
「オオ、阿備(あび)か、阿備か」
乳呑(ちの)み児(ご)を抱きしめるようにして、何を問うよりも先に、欣(うれ)し涙を眼にいっぱい溜(た)めたまま、暫(しば)しは、母は子の肌(はだ)を、子は母親のふところを、相擁(あいよう)して温(ぬく)め合(あ)うのみであった。
「城門の番人に、おまえの母親は病気らしいぞといわれて、気もそぞろに帰って来たのですが、おっ母(か)さん、どうしてこんな夜露の冷える外で、今頃、蓆など織っていらっしゃるのですか」
「病気?・・・・・・ああ城門の番人さんは、そう言ったかもしれないね。毎日のように関門までおまえの帰りを見に行っていたわたしが、この十日ばかりは行かないでいたから」
「では、御病気ではないんですか」
「病気などはしていられないよ、おまえ」と、母は言った。
「寝台も箪笥(たんす)もありませんが・・・・・・」
劉備が問うと、
「税吏が来て、持って行ってしまった。黄匪(こうひ)を討伐(とうばつ)するために、年々軍費が嵩(かさ)むというので、ことしは途方もなく税が上がり、おまえが用意しておいただけでは間に合わない程になったんだよ」
「婆(ばあ)やが見えませんが、婆やはどうしましたか」
「息子が、黄匪の仲間にはいっているという疑いで、縛(しば)られて行った」
「若い下僕(しもべ)は」
「兵隊にとられて行ったよ」
「――噫(ああ)!すみませんでしたおっ母さん」
劉備は、母の足もとに、ひれ伏して詫(わ)びた。

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詫びても詫びても詫び足らないほど、劉備は母に対して済まない心地であった。けれども母は、久しぶりに旅から帰って来た我が子が、そんな自責に泣(な)き愁(かな)しむことは、かえって不愍(ふびん)やら気の毒やらで、自分の胸も傷(いた)むらしく、
「阿備(あび)や、泣いておくれでない。何を詫びることがあるものかね。お前のせいでありはしない。世の中が悪いのだよ。・・・・・・どれ粟(あわ)でも煮て、久しぶりに、ふたりして晩のお膳(ぜん)を囲もうね。さだめし疲れているだろうに、今、湯を沸(わ)かしてあげるから、汗でも拭(ふ)いたがよい」
と蓆機(むしろばた)の前から立ちかけた。
子の機嫌をとって、子の罪を責めない母のあまりなやさしさに、劉備はなおさら大愛の姿に額(ぬかず)いて、
「もったいない。私が戻りましたからには、そんな事は、玄徳がいたします。もう御不自由はさせません」
「いいえお前は又、あしたから働いておくれ。稼(かせ)ぎ人(にん)だからね、婆やも下僕も居なくなったのだから、台所の事ぐらいはわたしがしましょうよ」
「留守中、そんな事があろうとは、少しも知らず、つい旅先で長くなって、思わぬ御苦労をかけました。さあ、こんな大きな息子が居るんですから、おっ母さんは部屋に這(は)入(い)って、安楽に寝台で寝ていて下さい」と、言って劉備はむりに母の手を誘(いざな)ったが、考えてみると、その寝台も税吏に税の代わりに持って行かれてしまったので、母の部屋には、身を横たえる物もなかった。
いや、寝台や箪笥(たんす)だけではない。それから彼が灯(あか)りを持って、台所へ行ってみると、鍋(なべ)もなかった。四、五羽の鶏(にわとり)と一匹の牛もいたのであるが、そうした家畜まで、すべて領主の軍需(ぐんじゅ)と税に挑発(ちょうはつ)されて、目ぼしい物は何も残っていなかった。
「こんなに迄(まで)、領主の軍費も詰(つ)まって来たのか」
劉備は、身の生活を考えるよりも、もっと大きな意味で、暗澹(あんたん)となった。
そしてすぐ、
「これも、黄匪(こうひ)の害の一つのあらわれだ。ああどうなるのだろう?」
世の行末(ゆくすえ)を思いやると、彼はいよいよ暗い心に閉(と)ざされた。
物置をあけて、彼は夕餉(ゆうげ)にする粟(あわ)や豆の俵(たわら)を見まわした。驚いたことには、多少その中に蓄(たくわ)えておいた穀物も干肉(ほしにく)も、天井に吊(つる)しておいた乾菜(かんさい)まできれいに失(な)くなっているのだった。――もう母に訊(き)くまでもないことと、彼は又、そこで茫失(ぼうしつ)していた。
すると、むりに部屋へ入れて休ませておいた母が部屋の中で、何か小さい物音をさせていた。行って見ると、床板を上げて、土中の瓶(かめ)の中から、わずかな粟と食物を取り出している。
「・・・・・・ア。そんな所に」
劉備の声に、彼女はふり向いて、浅(あさ)ましい自分を笑うように、
「すこし隠しておいたのだよ。生きてゆくだけの物はないと困るからね」
「・・・・・・・・・・・・」
世の中は急転しているのだ。これはもう凡事(ただごと)ではない。何億もの人間が、生きながら餓鬼(がき)となりかけているのだ。反対に、一部の黄巾賊が、その血をすすり肉をくらって、不当な富貴(ふっき)と悪辣(あくらつ)な栄華(えいが)をほしいままにしているのだ。
「阿備や・・・・・・。灯りを持っておいで、粟が煮えたよ。何もないけれど、二人して喰(た)べれば、美味(おいし)かろう」
やがて、老いたる母は、貧しい卓から子を呼んでいた。

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貧しいながら、母子は久しぶりで共にする晩の食事を楽しんだ。
「おっ母(か)さん、あしたの朝は、きっと歓(よろこ)んでいただけると思います。こんどの旅から、私はすばらしいお土産(みやげ)を持って帰って来ましたから」
「お土産を」
「ええ。おっ母さんの、大好きな物です」
「ま。何だろうね?」
「生きているうちに、もいちど味わってみたいと、いつか仰(お)っしゃった事がありましたろう。それですよ」
母を楽しませる為(ため)に、劉備も、それが洛陽(らくよう)の銘茶(めいちゃ)であるということを、暫(しばら)く明さなかった。
母は、わが子のその気持だけでも、もう眼を細くして歓んでいるのである。焦(じ)らされていると知りながら、
「織物かえ」と訊(き)いた。
「いいえ。今も言ったとおり、味わう物ですよ」
「じゃあ、食(た)べ物(もの)?」
「――に、近いものです」
「何(なん)じゃろ。わからないよ、阿備(あび)や。わたしにそんな好物(こうぶつ)があるかしら」
「望んでも、望めない物と、諦(あきら)めの中に忘れておしまいになったんでしょう。一生に一度は、とおっ母さんが何年か前に言ったことがあるので、私も、一生に一度はと、おっ母さんにその望みをかなえて上げたいと、今日まで願望に抱いておりました」
「まあ、そんなに長年、心にかけてかえ?・・・・・・なおさら、わからなくなってしもうたよ阿備。・・・・・・いったいなんだねそれは」
「おっ母さん、実は、これですよ」
錫(すず)の小さな茶壺(ちゃつぼ)を取り出して、劉備は、卓の上に置いた。
「洛陽の銘茶です。・・・・・・おっ母さんの大好きなお茶です。・・・・・・あしたの朝は、うんと早起きしましょう。そしておっ母さんは、裏の桃園(とうえん)に莚(むしろ)をお敷きなさい。私は驢(ろ)に乗って、ここから四里ほど先の鶏村(けいそん)まで行くと、とてもいい清水(しみず)の湧(わ)いている所がありますから、番人に頼んで一桶(ひとおけ)清水を汲(く)んで来ます」
「・・・・・・・・・・・・」
母は眼をまろくしたまま錫の小壺を見つめて、物も言えなかった。やや暫くしてから怖(こわ)い物でも触(さわ)るように、そっと掌(て)に乗せて、壺の横に貼(は)ってある詩箋(しせん)のような文字などを見ていた。そして大きな溜息(ためいき)をつきながら、眼を息子の顔をあげて、
「阿備や。・・・・・・お前、いったいこれは、どうしたのだえ」
声まで密(ひそ)めて訊(たず)ねるのだった。
劉備は、母が疑いの余り案じてはならないと考えて、自分の気持や、それを手に入れた事など、嚙(か)んでふくめるようにして話して聞かせた。民間では殆(ほとん)ど手に入(い)れ難(がた)い品には違いないが、自分が求めたのは、正当な手続きで購(あがな)ったのだから少しも懸念(けねん)をする必要はありません――と附け加えて言った。
「ああ、お前は!・・・・・・なんてやさしい子だろう」
母は、茶壺を置いて、わが子の劉備に掌(て)をあわせた。
劉備は、あわてて、
「おっ母さん、滅相(めっそう)もない。そんなもったいない真似はよして下さい。ただ歓んでさえ戴(いただ)ければ」
と、手を取った。そうして相擁(あいよう)したまま、劉備は自分の気もちの酬(むく)いられた欣(うれ)しさに泣き、母は子の孝心に感動の余り涙にくれていた。
翌(あく)る朝――
まだ夜も白(しら)まぬうちに起きて、劉備は驢の背に水桶を結(ゆ)いつけ、自分も騎(の)って、鶏村(けいそん)まで水を汲(く)みに行った。

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もちろん劉備が出かけた頃、彼の母も夙(はや)く起きていた。
母はその間に、竃(かまど)の下に豆莢(まめ)がらを焚(た)いて、朝の炊(かし)ぎをしておき、やがて家の裏のほうへ出て行った。
桑(くわ)の大木の下を通って、裏へ出ると、牛のいない牛小屋があり、鶏(にわとり)のいない鶏小屋(とりごや)があり、何もかも荒れ果てて、いちめんに秋草がのびている。
だが、そこから百歩ほど歩くと這(は)うような姿をした果樹が、背を並べて、何千坪かいちめんに揃(そろ)っていた。それはみんな桃の樹(き)であった。秋の葉も落ちて淋(さび)しいが、春の花のさかりには、この先の蟠桃河(ばんとうが)が落花で紅(あか)くなるほどだったし、桃の実は市(まち)に売り出して、村の家何軒かで分け合って、それが一年の生計の重要なものになった。
「・・・・・・オオ」
彼女は、ひとりでに出たような声を洩(も)らした。桃園(とうえん)の彼方(かなた)から陽(ひ)が昇りかけたのだ。金色の日輪は、密雲を嚙(か)み破(やぶ)るように、端(はし)だけ見えていた。今や何か尊いものがこの世に生まれかけているような感銘を彼女もうけた。
「・・・・・・・・・・・・」
彼女は、跪(ひざま)ずいて、三礼を施(ほどこ)した。子どものことを禱(いの)っているらしかった。
それから、箒(ほうき)を持った。
たくさんの落葉がちらかっている。桃園は村の共有なので、日頃誰(だれ)も掃除などはしない。彼女も一部を掃(は)いただけであった。
新しい莚(むしろ)をそこへ敷(し)いた。そして一箇の土炉(どろ)と茶碗(ちゃわん)など運んだ。彼女は元々氏素性(うじすじょう)の賤(いや)しくない人の娘であったし、劉家(りゅうけ)も元来正しい家柄なので、そういう品も何処(どこ)かに何十年も使用せずに蔵(しま)ってあった。
清掃した桃園に坐(すわ)って、彼女は水を汲(く)みに行った息子が、やがて鶏村(けいそん)から帰るのを、心静かに待っていた。
桃園の梢(こずえ)の湖(うみ)を、秋の小禽(ことり)が来てさまざまな音(ね)いろを転(まろ)ばした。陽はうらうらと雲を越えて、朝霧はまだ紫(むらさき)ばんだまま大陸に澱(よど)んでいた。
「私は倖(しあわ)せ者よ」
彼女は、この一朝の満足をもって、死んでもいいような気がした。いやいや、そうでないとも思う。独(ひと)り強くそう思う。
「あの子の将来(ゆくすえ)を見とどけねば・・・・・・」
ふと彼方(かなた)を見ると、その劉備の姿が近づいて来た。水を汲んで帰って来たのである。驢(ろ)に騎(の)って、驢の鞍(くら)に小さい桶(おけ)を結(ゆ)いつけて。
「おお。おっ母(か)さん」
桃園の小道を縫(ぬ)って、劉備は間もなくそこへ来た。そして水桶を降(お)ろした。
「鶏村の水は、とてもいい水ですね。さだめし、これで茶を煮たら美味(おい)しいでしょう」
「ま。御苦労だったね。鶏村の水のことはよく聞いているけれど、彼処(あそこ)はとても恐(こわ)い谷間だというじゃないか。後で私はそれを心配していたよ」
「なあに、道なんかいくら嶮(けわ)しくても何でもありませんがね、清水には水番が居(い)まして、なかなかただはくれません。少しばかり金をやってもらって来ました」
「黄金(おうごん)の水、洛陽(らくよう)のお茶、それにお前の孝心。王侯(おうこう)の母に生まれてもこんないい思いには巡り会えないだろうよ」
「おっ母さん、お茶はどこへ置きましたか」
「そうそう、私だけが戴(いただ)いてはすまないと思い、御先祖のお仏壇へ上げておいたが」
「そうですか、盗まれたらたいへんです。すぐ取って参りましょう」
劉備は、家のほうへ馳けて、宝珠(ほうしゅ)を抱くように、茶壺を捧(ささ)げて来た。
母は、土炉(どろ)へ、火をおこしていた。その前に跪(ひざま)ずいて劉備が茶壺を差し出すと、その時、何が母の眼に映(うつ)ったのであろうか、母は手を出そうともしないで、劉備の身のまわりを改まった眸(ひとみ)でじっと見つめた。

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劉備は、母がにわかに改まって自分の身装(みなり)を見ているので、
「どうしたのですかおっ母(か)さん」
不審(いぶか)しげに訊(き)いた。
母は、いつになく厳粛な容子(ようす)を作って、
「阿備(あび)」と、声まで、常とはちがって呼んだ。
「はい。何ですか」
「お前の佩(は)いている剣は、それは誰の剣ですか」
「わたくしのですが」
「嘘(うそ)をお言い。旅に出る前の物とはちがっている。お前の剣は、お父さんから遺物(かたみ)に戴(いただ)いた――御先祖から伝わっている剣の筈です。それを、何処(どこ)へやってしまったのです?」
「・・・・・・はい」
「はいではありません。片時(かたとき)でも肌身(はだみ)から離してはなりませぬぞと、わしからもくれぐれ言ってある筈(はず)です。どうしたのだえ、あの大事な剣は」
「実は、その・・・・・・」
劉備はさし俯(うつ)向(む)いてしまった。
母の顔は、いよいよ峻厳(しゅんげん)に変わっていた。劉備が口ごもっていると、なお追求して、
「まさか手放してしまったのではあるまいね」と念を押した。
劉備は、両手をつかえて、
「申しわけありません。実は旅から帰る途中、或者(あるもの)に礼として与えてしまいましたので」
言うと、母は、「えっ、人に与えてしまったッて。――ま!あの剣を」と、顔いろを変えた。
劉備はそこで、黄巾賊(こうきんぞく)の一群につかまって、人質になったことや、茶壺や剣も奪(と)り上(あ)げられてしまったことや、それからようやく救われて、賊の群(むれ)から脱出して来たが、再び追いつかれて黄匪(こうひ)の重囲に陥(お)ち、すでに斬死(きりじに)しようとした時、卒(そつ)の張飛(ちょうひ)という者が、一命を助けてくれたので、欣(うれ)しさの余り、何か礼を与えようと思ったが、身に持っている物は、剣と茶壺しかなかったので、やむなく剣を彼に与えたのです――と審(つぶさ)に話して、
「賊に捕(つか)まった時も、張卒(ちょうそつ)に助けられた時も、その折はもう何も要(い)らないという気持になっていたんです。・・・・・・けれど、この銘茶だけは、生命(いのち)がけでも持って帰って、おっ母さんに上げたいと思っていました。剣を手放したのは申しわけありませんが、そんなわけで、この銘茶を、生命から二番目の物として、持ち帰ったのでございます」
「・・・・・・・・・・・・」
「剣は、先祖伝来の物で、大事な物には違いありませんが、沓(くつ)や蓆(むしろ)を製(つく)って生活(くら)しているあいだは、張卒(ちょうそつ)から貰(もら)ってこれでも決して間にあわない事もありませんから・・・・・・」
母の惜(お)しがる気持を宥(なだ)めるつもりで彼がそう言うと、何思ったか劉備の母は、
「ああ――わしは、お前のお父様(とうさま)に申しわけがない。亡(な)き良人(おっ)に顔向けがなりません。――わたしは、子の育て方を過(あやま)った!」と、慟哭(どうこく)して叫んだ。
「何を仰(お)っしゃるんです。おっ母さん!どうしてそんな事を」
母の心を酌(く)みかねて、劉備がおろおろと言うと、母はやにわに、眼の前にあった錫(すず)の小さい茶壺を取り上げ、
「阿備、おいで!」と、きつい顔して、彼の腕を片手で引っ張った。
「何処(どこ)へです。おっ母さん。・・・・・・ど、どこへいらっしゃろうと言うんですか」
「・・・・・・・・・・・・」
彼の母は、答えもせず、劉備の腕(うで)くびを固くつかんだまま、桃園の果てへ馳け出して行った。そしてそこの蟠桃河(ばんとうが)の岸まで来ると、持っていた錫(すず)の茶壺を、河の中ほど目がけて抛(ほう)り捨(す)ててしまった。

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「あッ。何で?」
びっくりした劉備は、われを忘れて、母の手頸(てくび)を捉(とら)えたが、母の手から投げられた茶の壺は小さい飛沫(しぶき)を見せて、もう河の底に沈んでいた。
「おっ母(か)さん!・・・・・・おっ母さん!・・・・・・いったい、何がお気に障(さわ)ったのですか。なんでせっかくの茶を、河へ捨てておしまいになったんですか」
劉備の声は、顫(ふる)えていた。母に欣(よろこ)ばれたいばかりに、百難の中を生命(いのち)がけで持って来た茶であった。
母は歓(よろこ)びの余りに、気が狂(ふ)れたのではあるまいか?
「・・・・・・何を言うのです。譟(さわ)がしい!」
母は、劉備の手を払(はら)った。
そして亡父(ちち)のような顔をした。
「・・・・・・・・・・・・」
劉備は、きびしい母の眉(まゆ)に、思わず後ろへ退(さ)がった。生まれてから初めて、母にも怖(こわ)い姿があることを知った。
「阿備(あび)。お坐(すわ)りなさい」
「・・・・・・はい」
お前が、わしを歓ばせるつもりで、はるばる苦労して持っておいでた茶を、河へ捨ててしもうた母の心がわかりますか」
「・・・・・・わかりません。おっ母さん、玄徳(げんとく)は愚鈍(ぐどん)です。どこが悪い、何が気にいらぬと、叱(しか)って下さい。仰(お)っしゃって下さい」
「いいえ!」
母は、つよく頭(こうべ)を振り、
「勘違いをおしでない。母は自分の気儘(きまま)から叱るのではありません。――大事な剣を人手に渡すようなお前を育てて来たことを、わたしは母として、御先祖にも、死んだお父さんにも、済まなく思うたからです」
「私が悪うございました」
「お黙りっ!・・・・・・そんな簡単に聞かれては、母の叱言(こごと)がおまえにわかっているとはいえません。――私が怒っているのは、お前の心根(こころね)がいつのまにやら萎(な)えしぼんで、楼桑村(ろうそうそん)の水呑(みずのみ)百姓(びゃくしょう)になりきってしもうたかと――それが口惜(くや)しいのです。残念でならないのです」
母は、子を叱るために励(はげ)ましているわれとわが声に泣いてしまって、袍(ほう)の袖(そで)を、老(おい)の眼に当てた。
「・・・・・・お忘れかえ、阿備。おまえのお父様も、お祖父(じい)様も、おまえのように沓(くつ)を作り蓆(むしろ)を織り、土民の中に埋(う)もれたままお果てなされているけれども、もっともっと先の御先祖をたずねれば、漢の中山靖王(ちゅうざんせいおう)劉勝(りゅうしょう)の正しい血筋なのですよ。おまえはまぎれもなく景帝(けいてい)の玄孫(げんそん)なのです。この中国をひと度(たび)は統一した帝王の血がおまえの体にも流れているのです。あの剣は、その印綬(いんじゅ)と言うてもよい物です」
「・・・・・・・・・・・・」
「だが、こんな事は、めったに口に出す事ではない。なぜならば、今の後漢(ごかん)の帝室は、わたし達の御先祖を亡(ほろ)ぼして立った帝王だからです。景帝の玄孫とわかれば、とうに私たちの家すじは断(た)ち絶(き)られているでしょう。・・・・・・だからというて、お前までが、土民になりきってしまってよいものか」
「・・・・・・・・・・・・」
「わたしは、そんな教育を、お前にした覚えはない。揺籃(ゆりかご)に入れて、子守唄(こもりうた)をうとうて聞かせた頃から――又、この母が膝(ひざ)に抱いて眠らせた頃から――おまえの耳へ母は御先祖のお心を血の中へ訓(おし)えこんだつもりです。――時の来ぬうちはぜひもないが、時節が来たら、世のために、又、漢の正統を再興するために、剣を把(と)って、草盧(そうろ)から起(た)たねばならぬぞと」
「・・・・・・はい」
「阿備。――その剣を人手に渡して、そなたは、生涯、蓆を織っている気か。剣よりも茶を大事とお思いか。・・・・・・そんな性根(しょうね)の子が求めて来た茶などを、歓んで飲む母とお思いか。・・・・・・わたしは腹が立つ。わたしはそれが悲しい」
と、母は慟哭(どうこく)しながら、劉備の襟(えり)をつかまえて、嬰児(えいじ)を懲(こ)らすように折檻(せっかん)した。

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母に打ちすえられたまま、劉備は身うごきもしなかった。
打々(ちょうちょう)と、母が打つたびに、母の大きな愛が、骨身(ほねみ)に沁(し)み、さんさんと涙がとまらなかった。
「すみません」
母の手を宥(いたわ)るように、劉備はやがて、打つ手を抑(おさ)えて、自分の額(ひたい)に、押しいただいた。
「わたくしの考え違いでございました。まったく玄徳の愚(ぐ)がいたした落ち度でございます。仰(お)っしゃるとおり、玄徳もいつか、土民の中に貧窮(ひんきゅう)している為(ため)、心まで土民になりかけておりました」
「わかりましたか。阿備、そこへ気がつきましたか」
「御打擲(ごちょうちゃく)をうけて、幼少の御訓言(ごくんげん)が、骨身から喚(よ)び起(お)こされて参りました。――大事な剣を失いました事は、御先祖へも、申しわけありませんが・・・・・・御安心下さいおっ母さん・・・・・・玄徳の魂はまだ此身(ここ)にございます」
――するとそれ迄(まで)、老(おい)の手が痺(しび)れるほど子を打っていた母の手は、やにわに阿備のからだを犇(ひし)と抱きしめて、
「おお!阿備や!・・・・・・ではお前にも、一生度民で朽(く)ち果(は)てまいと思う気もちはおありかえ。まだ忘れないで、わたしの言葉を、魂のなかにお持ちかえ」
「なんで忘れましょう。わたしが忘れても景帝の玄孫であるこの血液が忘れるわけはありません」
「よう言いなすった。・・・・・・阿備よ。それを聞いて母は安心しました。ゆるしておくれ、・・・・・・ゆるしておくれよ」
「何をなさるんです。わが子へ手をついたりして、もったいない」
「いいえ。心まで落魄(おちぶ)れ果てたかと、悲しみと怒りの余り、お前を打擲(ちょうちゃく)したりして」
「御恩です。大愛です。今の御打擲は、わたくしにとって、真の勇気を奮(ふる)いたたせる神軍(しんぐん)の鼓(つづみ)でございました。仏陀(ぶっだ)の杖(つえ)でございました。――もしきょうのお怒りを見せて下さらなければ、玄徳は何を胸に考えていても、おっ母さんが世にあるうちはと、卑怯(ひきょう)な土民を装(よそお)っていたかもしれません。いいえそのうちについ年月を過ごして、ほんとの土民になって朽(く)ちてしまったかもしれません」
「――ではお前は、何を思っても、この母が心配するのを怖(おそ)れて、母が生きているうちはただ無事に暮らしている事ばかり願っていたのだね。・・・・・ああ、そう聞けば、なおさらわたしの方が済まない気がします」
「もう私も、肚(はら)がきまりました。――でなくても、今度の旅で、諸州の乱れやら、黄匪(こうひ)の惨害(さんがい)やら、地上の民の苦しみを、眼の痛むほど見て来たのです。おっ母さん、玄徳が今の世に生まれ出たのは、天上の諸帝から、何か使命を享(う)けて世に出たような気がされます」
彼が、真実の心を吐(は)くと彼の母は、天地に黙禱(もくとう)をささげて、いつ迄も、両の腕(かいな)の中に額を埋めていた。
しかし、この日の朝の事は、どこ迄も、母子(おやこ)ふたりだけの秘(ひそ)かごとだった。
劉備の家には、相変わらず蓆機(むしろばた)を織る音が、何事もなげに、毎日、外へ洩(も)れていた。
土民の手あきの者が、職人として雇われて来て、日毎(ひごと)に中庭の作業場で、沓(くつ)を編み、蓆(むしろ)を荷造りして、それが溜(たま)ると、城内の市(いち)へ持って行って、穀物や布や、母の持薬などと交易(こうえき)して来た。
変わった事といえば、それくらいなもので、家の東南(たつみ)にある高さ五丈余の桑(くわ)の大樹に、春は禽(とり)が歌い、秋は落葉して、いつかここに三、四年の星霜(せいそう)は過ぎた。
すると浅香の一日(あるひ)。
白い山羊(やぎ)の背に、二箇の酒瓶(さけがめ)を乗せて、それを曳(ひ)いて来た旅の老人が、桑の下に立って、独(ひと)りで何やら感嘆していた。

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誰か、のっそりと、無断で家の横から中庭に這入(はい)って来た。
劉備は、母と二人で、蓆(むしろ)を織っていた。無断といっても、土塀(どべい)は崩(くず)れたままだし、門はないし、通り抜けられても、咎(とが)めるわけにもゆかない程な家ではあったが――
「・・・・・・おや?」
振り向いた母子(おやこ)は目をみはった。そこに立った旅の老人よりも、酒瓶を背にのせている山羊の毛の雪白な美しさに、すぐ気を奪(と)られたのである。
「御精(ごせい)が出るのう」
老人は、馴々(なれなれ)しい。
蓆機(むしろばた)のそばに腰をおろし、何か話しかけたい顔だった。
「お爺(じい)さん、何国(どこ)から来なすったね。たいそう毛のいい山羊だな」
いつ迄(まで)も黙っているので、かえって劉備から口を切ってやると、老人はさもさも何か感じたように、独りで頸を振りながら言った。
「息子さんかの。このお方は」
「はい」と、母が答えると、
「よい子を生みなすったな、わしの山羊も自慢だが、この息子には敵(かな)わない」
「お爺さんは、この山羊を曳いて、城内の市(いち)へ売りに来なすったのかね」
「なあに、この山羊は、売れない。誰にだって、売れないさ。わしの息子だものな。わしの売り物は酒じゃよ。だが道中で悪漢(わるもの)に脅(おど)されて、酒は呑(の)まれてしもうたから、瓶(かめ)は二つとも空(から)っぽじゃ。何もない。はははは」
「では、せっかく遠くから来て、おかねにも換(か)えられずに帰るんですか」
「帰ろうと思って、ここまで来たら、偉(えら)い物を見たよわしは」
「なんですか」
「お宅の桑(くわ)の樹(き)さ」
「ああ、あれですか」
「今まで、何千人、いや何万人となく、村を通る人々が、あの樹を見たろうが、誰もなんとも言った者はいないかね」
「べつに・・・・・・」
「そうかなあ」
「珍しい樹だ、桑でこんな大木はないとは、誰もみな言いますが」
「じゃあ、わしが告げよう。あの樹は霊木(れいぼく)じゃ。この家から必ず貴人が生まれる。重々(ちょうちょう)、車蓋(しゃがい)のような枝が皆、そう言ってわしへ囁(ささや)いた。・・・・・・遠くない、この春。桑の葉が青々とつく頃になると、いい友達が訪ねて来るよ。蛟龍(こうりゅう)が雲を獲(え)たように、それから此家(ここ)の主はおそらく身上(みのうえ)が変わって来る」
「お爺さんは、易者(えきしゃ)かね」
「わしは、魯(ろ)の李定(りてい)という者さ。というて年中飄飄(ひょうひょう)としておるから、故郷(くに)にいたためしはない。羊を曳(ひ)っぱって、酒に酔うて、時々、市へ行くので、皆が羊仙(ようせん)と言ったりする」
「羊仙さま。じゃあ世間の人は、あなたを仙人と思っているので?」
「はははは。迷惑なはなしさ。何しろきょうは欣(うれ)しい人とはなし、珍しい霊木を見た。この子のおっ母(か)さん」
「はい」
「この山羊を、お祝いに献上しよう」
「えっ?」
「おそらく、この子は、自分の誕生日も、祝われた事はあるまい。だが、今度は祝ってやんなさい。この瓶(かめ)に酒を買い、この山羊を屠(ほふ)って、血は神壇に捧(ささ)げ、肉は羹(あつもの)に煮て」
初めは、戯(たわむ)れであろうと、半ば笑いながら聞いていたところ、羊仙(ようせん)はほんとに山羊を置いて、立ち去ってしまった。
驚いて、桑の下まで馳(か)け出(だ)し、往来を見まわしたが、もう姿は見えなかった。