ロナルド・レーガンの第2回大統領就任演説
演説
[編集]マサイアス上院議員、バーガー最高裁長官、ブッシュ副大統領、オニール下院議長、ドール上院議員、聖職者諸賢、我が家族と友人達、及び我が同胞たる国民諸君よ。
しばらく不在であった1人の人物――ジョン・ステニス上院議員――が本日出席してくれたことは喜ばしい[1]。
貴方に神の御加護のあらんことを。そして、お帰りなさい。
しかし、本日この場にいない者が1人いる。昨夜、ルイジアナ州のギリス・ロング下院議員が我々の許を去った。皆で1分間の黙祷を捧げよう。アーメン。
諸君が授けてくれた大いなる栄誉に対しては、感謝の言葉もない。諸君の信頼に応えるよう、最善を尽くす所存である。
マサイアス上院議員が語ったように、我々国民が祝ってきたこの歴史的行事も今回で50回目を迎える。初代大統領ジョージ・ワシントンが聖書に手を置いたとき、彼は荒野から馬で1日足らずの旅を終えたばかりであった。(建国当時は)13州からなる連邦に400万人の米国人がいた。今日では、50州からなる連邦に(建国当時の)60倍の米国人がいる。我々は、己の発明の数々によって世界を照らし、助けを求める叫び声があれば世界中の人類を救いに向かい、月を旅して無事帰還した[2]。多くの変化があったが、我々は2世紀前と同様に結束している。
4年前にこの宣誓をした際、私は経済不況の時代にいた。偉大で輝かしい過去に目を向けねばならないとの声が上がっていた。だが現代の米国民は、振り返ってなどいられない。この祝福された地では、より良き明日が常にある。
4 年前、私は新たな門出について諸君に話したが、我々はそれを達成した。だがある意味において、我々の新たな門出は2世紀前に為された門出の続きである。米国民は2世紀前、政府は我々の主人でなく下僕であり、我々国民が認めた権力しか持ち得ないのだという、史上初の宣言をした。
その制度は我々の期待を決して裏切らなかったが、このところ、我々は制度を毀損してしまっている。我々は、政府には提供できないはずのことを政府に要求した。本来は州、地方政府、または国民自身にに属するはずの権限を、連邦政府に譲り渡した。所得と貯蓄を奪う税金とインフレーションを容認した上、我々を地球上で最も生産的な国民にした工業機械の開発速度を漸減させ、失業者数を増加させた。
我々は1980年までには、己の信念を新たにし、秩序ある社会に相応しい個人の自由という最終目標に向けて、全力で取り組むべき時であると承知していた。
我々は当時も今も、人々が自由に夢を追う時、成長と人間の進歩に限界はないと信じている。
そう信じることは正しかった。税率は低減され、インフレーションは劇的に治まり、かつてなく多くの者が雇用されている。
我々は、国家を再び活発で、強固で、健全なものにしつつある。だが、登るべき山はまだ多くある。あらゆる米国人が我々の生得権として自由、尊厳、機会を充分に享受するまで、我々は休まない。それはこの偉大な共和国の市民としての我々の生得権であり、我々はこの試練に立ち向かう。
米国民は自信と進歩の伝統を復活させるであろう。信仰、家族、勤労、近隣といったものの価値が、現代に甦るであろう。米国経済は政府の支配から解放されるであろう。有意義な軍縮に向けて真摯に取り組み、防衛と経済と再建し、新技術を開発し、乱れた世界の平和維持に貢献するであろう。米国民は自由、自治、自由企業を求める世界中の苦闘を果敢に支持し、歴史の流れを全体主義という暗闇から、人間の自由という暖かい陽光へと変えるであろう。
国民諸君よ、我が国には大国となる用意がある。我々は正しいと信じることを全力で為さねばならない。歴史をしてこう語らしめよう。「この頃は黄金期であった――米国革命が再生し、自由が新たな命を獲得し、米国は最良の状態に到達した」と。
我が国の二大政党制は長年に亙ってよく機能してきたが、この大きな試練の時代にあっては、民主党員として、あるいは共和党員としてでなく、共通の大義のために結束する米国民として協力することに勝るものはない。
独立記念館に名立たる面々が集い、世界を再建できると決意したが、その中に建国の父祖のうちの2人、即ちボストンの弁護士アダムズとヴァージニアの農園主ジェファソンがいた。彼らは、我々に重要な教訓を残した。彼らは、1800年の大統領選挙では敵対した。後に両名が引退した頃には、彼らの怒りは和らぎ、彼らは書簡で語り合うようになった。我が政府の創設に貢献した2人の絆が、再び結ばれたのである。
独立宣言50周年に当たる1826年、両名は死去した。彼らは同じ日に、僅か数時間差で死去した。しかもその日は(独立記念日と同じ)7月4日であった。
晩年に交わした書簡の中で、ジェファソンは次のように書いている。「困難と危険に悩まされる時に思い出すのは、我々が大義を同じくし、人類にとって最も価値あるものである自治権のために闘う同志であった頃のことである。大波が我々を飲み込もうとしても、我々は常に同じ櫂を漕いで無事に切り抜け……胆力と腕力によって嵐を乗り切った」と。
そう、今日の我々も、過去に恥じない将来が来ると信じつつ、胆力と腕力によって、神の下で一体となろう。その際我々は、過去に犯したような、善意に満ちた過ちを繰り返してはならない。労働者の支持を錦の御旗にして、肥大した連邦政府の急増する要求に追従するかのように、労働者の所得を浪費するような事態が2度とあってはならない[3]。諸君は災厄への処方を終えるべく、1980年に我々を選出した。諸君が路線を逆転させるために1984年に我々を再選したとは、私は思わない。
我々の努力の核心は、ここ25ヵ月の経済成長に示されている。自由と刺激が、人間の進歩の中核たる意欲と企業家の才能を解き放つのである。我々は、労働、貯蓄、投資の報酬を増やし始めている。政府の歳出と規模の拡大、及び国民生活への干渉を減らし始めている。
我々は税制を単純化し、より公平にし、全労働者の税率を低減せねばならない。改めて考え、果敢に行動せねばならない。休職中の全国民が仕事を見付け、恵まれない者も偉大なことを成し遂げる――病める者を癒やし、飢える者を養い、諸国間の平和を守り、この世界をより良い地にするような英雄となる――ための、平等な機会を持てるように。
新たな米国の解放――経済障壁を破壊し、我が国で最も苦境にある地の企業精神を解放するという、国家的大事業――をすべき時が来た。朋友諸君よ、我々は共に遂行できるし、せねばならないのである。だから神よ、私を助け給え。新たな自由からは、成長、より生産的で充実し結束した国民、より強い米国――技術革新を主導し、その知性と心と魂を文学や音楽や詩といった宝に対して、そして信仰や勇気や愛の価値に対して開放する米国――への、新たな機会が生じるであろう。
より多くの市民が勤労し納税する活発な経済は、財政赤字を削減する最強の手段である。だが、約50年に及ぶ財政赤字を清算すべき時が来た。我々は転換点、即ち困難な決断をすべき時を迎えた。私は内閣や閣僚に問うたことがあるが、同じ問いを今、諸君全員に発したい。「我々でなければ、誰なのか? 今でなければ、いつなのか?」と。我々全員が、均衡予算の実現を目的とする計画を進めねばならない。そうすれば、国の赤字を削減し始めることができる。
私は、来年の政府計画出費を凍結するための予算を、近く議会に提出する。加えて、政府の課税と支出に関する権限を恒久的に制御すべく、更なる措置を取らねばならない。支払い期日が来れば市民の資金を使いたがり、彼らに重税を課したがる政府の欲望から将来の世代を守るべく、今こそ行動せねばならない。連邦政府が歳入以上の支出をすることを、違憲としよう。
既に我々は国民に、そして州や地方政府に、各々の方がより良く果たせる責任を委譲し始めた。現在、連邦政府には社会福祉という問題がある。だが我々の基本目標は、依存を減らし、弱き者や恵まれない者の尊厳を向上させることであらねばならない。経済発展と、家庭や地域社会からの支援は、慈悲を旨とする社会、高齢者や弱者が世話を受け、若者や胎児が保護され、不幸な者が自給に向けた支援を受けられる社会に対する、最高の機会を提供する。
そして、連邦政府が役割を果たし得る分野がもう1つある。1人の年配者として、私はこの国における異なる人種や信条や民族の人々が、社会的慣習や法律に組み込まれた憎悪や偏見を発見した時のことを覚えている。米国史上、神が我々に求めた「同朋意識」を我々が進めてきたこと以上に心強い話はない。尊厳に満ちた米国、全国民に豊富な機会を与える米国への道を、引き返したり躊躇したりしないと決意しよう。
全国民――白人も黒人も、富者も貧者も、老いも若きも――が、機会に満ちた米国社会を建設すべく、腕を組んで共に進む決意をしよう。また、我が国の遺産が世界各地から来た血縁の1本であろうとも、我々は皆、地球上の人類における最後かつ最高の希望を持ち続けることを誓った米国民であるということを思い出そう。
ここまで、内政の目標と連邦政府に課すべき制限とについて述べてきた。今度は、連邦政府の主要義務たる国家安全保障の話に移ろう。
今日では、世界平和のための祈りを古代ほど熱心に捧げる者はいない。しかし、善意のみでは平和も訪れないし、自由も維持されないことを、歴史は示してきた。世界には、人間の尊厳と自由という我が国の展望を嘲笑う者もいる。例えばソヴィエト連邦は、人類史上最大の軍拡を実行し、恐るべき攻撃兵器の兵器庫を建設してきた。
我々は、防衛力再建を進めてきた。だが、為すべきことはまだ多くある。米国が自由で、安全で、平和であり続けるための責任を果たすことを我々が躊躇するようなことがあってはならないし、これを他国が疑うようなこともあってはならない。
国防費を確実かつ合法的に減ずるための道が、1つだけある。それは、国防費の必要性を減ずることである。そして我々は、ソヴィエト連邦との交渉によって、これを実現しようとしている。我々は、単に核兵器の更なる増加に対する制限のみを議論しているわけではない。そうではなくて、数を削減しようとしているのである。我々は、いつか核兵器が地球上から完全に消えることを求めているのである。
さて、我が国とソヴィエトは何十年間も、相互確証破壊の脅威の下で生きてきた。一方が核兵器の使用に訴えれば、他方はそれを始めた側に報復し、滅ぼし得る。一方が数千万国民を殺戮すると威嚇すれば、我々も数千万国民を殺戮すると威嚇するより他ないと信じることに、論理や道徳があるであろうか?
私は核ミサイルを目標到達前に破壊する防護盾が可能か否かを知るための研究計画[4]を承認した。それは人民を殺戮するのではなく、兵器を破壊するのである。それは宇宙空間を武装化するのではなく、地上の兵器を非武装化し、核兵器を時代遅れにするのである。我々は、世界から核破壊の脅威を除去する道について合意できるよう望みつつ、ソヴィエトと協議する。
我々は、周囲の様々な変化に励まされつつ、平和と安全のために努力する。世紀が変わって以来、世界の民主主義国家の数は、4倍に増大した。人類の自由は進展しつつあり、それは我々の半球において最も顕著である。自由は、人間の精神の内でも最も深く気高い希望の1つである。世界中の人民は、人間の尊厳や進歩に貢献する不可侵の権利や自決権を渇望している。
米国は、自由の最も忠実な友であり続けねばならない。何故なら、自由は我々にとって最高の味方だからである。
そして、貧困を克服し平和を維持することこそ、世界にとって唯一の希望である。貧困へのあらゆる打撃は、その悪しき仲間たる抑圧と戦争への打撃となる。人類の自由に向けたあらゆる勝利は、世界平和に向けた勝利となる。
故に我が国は、今でも若く強く、決意の固い国家として、今日から前進する。同盟を強化し、己の経済力によって世界を新たな経済発展の時代へと導き、可能性に満ちた世界を創る。全ては、我々が政党の一員としてでなく、米国民として協力したが故である。
朋友諸君よ。我々は稲妻に照らされた世界に住んでいる。多くのことが変わっているし、変わりゆくであろうが、変化に耐え、時を越えるものも多くあろう。
歴史とは常に広がりゆくリボンである。歴史とは旅であり、我々は旅を続けながら、かつての旅人らのことを思う。我々は、我が国の民主主義の象徴[5]の階段に再び共に立っている――これほど寒くならなかったならば、(屋外の)階段に立っていたであろう[6]。我々は今、我が国の民主主義の象徴の中に立っている。我々は今、過去の
それは米国の音色である。それは希望に満ち、寛容で、理想主義的で、大胆で、立派で、公平である。それは我々の遺産であり、我々の歌である。我々は、今も歌っている。どんな問題や相違があろうとも、我々は昔も今も、共にいる。この素晴らしい音楽を作り給うた神に、我々の歌声を聞かせる。だから主よ、我々が己の音色――連帯感と慈しみと愛に満ちた音色――で世界を満たすまで、我々に寄り添い給え。神を戴く民として、主が人類の心に宿し人類を呼び覚ましてきた、自由への夢に身を捧げ、夢を待ち望んでいる世界にその夢を伝えたい。
諸君と米国に神の御加護のあらんことを。
訳註
[編集]- ↑ ジョン・ステニスは1984年、癌により左脚の切断を余儀なくされ、一時的に公務を中断していた。
- ↑ アポロ計画を指す。
- ↑ 原文は「We must never again abuse the trust of working men and women, by sending their earnings on a futile chase after the spiraling demands of a bloated Federal Establishment」。逐語訳をするならば、「我々は、肥大した連邦政府の急増する要求を無駄に追う際に労働者の所得を送ることによって、労働者の信頼を2度と再び濫用してはならない」。
- ↑ 戦略防衛構想、通称「スター・ウォーズ計画」を指す。1983年に提唱。敵国の大陸間弾道弾が米国に到達する前に、衛星軌道上や地上に配備された迎撃システムによってこれを撃墜する計画。同計画のロゴには、宇宙空間に浮かぶ防護盾が描かれていた。
- ↑ 連邦議会議事堂を指す。
- ↑ この日のワシントンは大寒波に見舞われており、就任演説の会場は議事堂の中に変更された。
- ↑ ジョージ・ワシントンを指す。
- ↑ エイブラハム・リンカンを指す。
- ↑ 南北戦争を指す。
- ↑ テキサス州サン・アントニオのアラモ伝道所を指す。テキサス革命中の1836年、アラモの戦いが発生した。
- 底本
- 訳者
- 初版投稿者(利用者:Lombroso)
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