ニネベのイサアク神秘論文集/第76論文
- ニネベのイサアク神秘論文集
第76論文
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[p.350]
聖なるパウロはこう教えています。「古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着なさい。新しい人は、神に倣って義と聖性のうちに造られたのです[1]。」
パウロは「古い人の上に新しい人を着なさい」とは言いません。なぜなら、彼はそれが不可能であることを知っているからです。見よ、なんと賢明な命令を下していることでしょう。彼は「神の知識によって新たにされた新しい人を着なさい」とは言わず、「まずこれを脱ぎ捨て、それから新しい人を着なさい」と言います。また別の箇所では、「血肉は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものは朽ちないものを受け継ぐことはできない」と明確に言っています[2]。彼が言う「朽ちないもの」とは、あの世の知識のことです。朽ちるものと血肉とは、魂と体の朽ちやすい感情を指し、それらは肉の心の中で活動しています。彼は「清らかさ」を新しい人と呼び、「神の国」とは、聖なる魂が朽ちない感情を持ち上げ、朽ちるものと血肉を超えたときにのみ、その中に入ることが許される、本質的な光の祝福された活動の崇高で知覚可能な直覚のことです。
あなたの魂の目が清められていないなら[3]、太陽を見る勇気などあってはならない。さもないと通常の視力を失い、タルタロスや地獄の一種である知性の世界、すなわち神のいない暗闇に投げ込まれるであろう。そこは、精神の衝動によって自然を離れた人々が、自らの持つ認識力によってさまよう場所である。それゆえ、汚れた衣服を着て宴会に
清く汚れのない場所があれば、神のものはおのずから現れると言われている。おのずと現れるということは、私たちの探究や努力なしに、天の光がそこに輝くのは、純粋さに自然に属することを意味する。清らかな心には、新しい天国が刻まれている。その光景は光であり、空間は霊的なものである。また別の箇所にもこう記されている。「磁石が鉄の原子を引き寄せる自然な能力を持っているように、霊的知識にも純粋な心を引き寄せる能力がある。」
この世において、いかなる心も情愛の誘惑に絶対的に抵抗できることはないと、真実の者たちによって正しく伝えられてきたが、経験の真実を恐れることなく、私は自信を持ってこう言える。心に喪服を着ている者は、感情の誘惑に打ち勝つばかりか、それとの戦いにおける英雄であり、勝利者でもある。なぜなら、感情は争いを企てて姿を現そうとはせず、罪のために様々な嘆きを捧げて嘆き悲しむ魂がいるところに、遠くから姿を現そうともしないからだ。祝福されたヤコブが言ったように、「愛するヨセフに会うまで、それは墓に住み着く」。悲しみの苦しみがあるところに、前述した情愛の喜びは認められないと私は信じている。
しかし私は、心の注意力の中にこそ、恐れをはるかに超える奉仕と確信があると言う。自分の歩む道の終わりがどうなるか分からないため、恐れのゆえに絶えず嘆き悲しんでいる者は、奉仕の希望を認識しているために絶えず喜びの中にいる者よりも優れている。
[p.352]
内なる情念に打ちのめされた町の人よ、嘆きの鎧をまとい、彼らを迫害し、あなたの魂を彼らの手から救い出しなさい。この武器と確信の武器は、常に無敵であり、真実の者たちによって試されている。
脚注
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| 翻訳文: |
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