ニネベのイサアク神秘論文集/第61論文
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第61論文
[編集]<< 神は何のために神を愛する人たちへの誘惑を許すのか >>
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聖徒たちが神の名のために負うもの、すなわち神の愛するすぐれた徳を捨てることなく試練に耐えることによって、神に示す愛によって、彼らの心はベールなしで神を仰ぎ見、確信をもって神に求める自由を得ます。
祈りは、言葉の自由において偉大な力を発揮します。それゆえ、神は聖徒たちが神へと向かう途上で、あらゆる苦難によって試されることを許されます。それは、彼らが言葉の自由を得、危険の中で神が救い主と認められることによって、神の助けと配慮を経験するためです。また、神の友たちが試練を通して知恵を得て、鈍く訓練を欠くことのないようにするためです。こうして、彼らは試練を通してあらゆることに関する知識を得、悪霊に軽んじられることがなくなります。
もし神が彼らを良いことだけで訓練するなら、彼らは他のことにおいて訓練が不足し、試練における盲人のようになるでしょう。そしてもし誰かが、「神は訓練も自己認識もなしに彼らを導いている」と言うなら、その結論は、神が彼らを全く自由を持たない牛やロバのようになることを望んでいるということになります。人が最初に悪の誘惑によって試され、その後それを発見し、知識と自由においてそれを自分のものとして用いないとき、善には味もありません。訓練と労働の経験を通して獲得された知識がどれほど甘美であるか、そして多くの個人的な経験の後にそれを発見した人にそれがどれほどの力を与えるかは、それによって与えられる助けを知る人々に知られています。
彼らは、誘惑に陥った時に神が最初に力を奪うとき、自然の弱さと神の力による助けを知る。そして自然の弱さと誘惑の強さ、そして悪魔の邪悪さを悟り、彼らの悪魔がどのような性質から成り、自分たちがどのような性質をまとっているか、そしていかに神の力によって守られているかを知る。そして、たとえ走り回り、高揚しても、神の力が彼らから奪い去られると、あらゆる情熱の前に弱くなるのである。
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これらすべてを通して彼らは謙虚さを獲得し、神に近づき、神の助けを待ち望み、祈りに励みます。もし彼らが数え切れないほどの苦難を経験し、それらに囲まれながらも神が彼らを気遣ってくださらなかったなら、どうしてこれらすべてを獲得できたでしょうか。「そして、わたしが多くの啓示によって高ぶらないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それはサタンの使いである。」[1]
人はまた、神の助けを何度も経験することによって、誘惑によって確固たる信仰を獲得します。さらに、人は受けた訓練のおかげで、誘惑によって恐れを失い、勇気を獲得します。
誘惑はすべての人にとって有益です。徳の高い人は富を増すために誘惑されます。怠惰な人は危害から守られるために誘惑されます。眠い人は警戒心で武装するために誘惑されます。遠くにいる人は神に近づくために誘惑されます。同居人は自由に語って近づくために誘惑されます。
訓練を受けていない息子は、父の家から与えられた富によって利益を得ることはできません。それゆえ、神はまず誘惑し、苦しめ、それからその賜物を示されるのです。強い薬によって私たちに健康の喜びを与えてくださる主に栄光あれ。訓練の時がつらいと思わない人はいません。誘惑の薬を飲まなければならない時に
脚注
[編集]- ↑ 2コリント 12:7
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