ニネベのイサアク神秘論文集/第52論文
- ニネベのイサアク神秘論文集
第52論文
[編集]<< 知識の衝動の区別に関する別の主題に関する短いセクション。>>
知識が目に見えるものを追い求め、それについて感覚を通して教えを得るとき、それは自然的と呼ばれます。目に見えるものの背後にある、非物質的な種における知性的な力を追い求めるとき、それは霊的と呼ばれます。なぜなら、知覚は感覚ではなく、霊によって受け取られるからです。そして、これら両方の種類において、魂は認識可能な材料を外部から受け取ります。しかし、知識が本質を追い求めるとき、それは超自然的、あるいはむしろ不可知論的と呼ばれます。なぜなら、それは知識よりも高く上げられているからです。後者の種類に関しては、魂は前者の種類の場合のように、外部にある材料の中でそれについて観想を得ることはありません。しかし、材料なしに、内なる恵みの突然の働きによって、予期せず、魂の中に啓示されます。神の国は私たちの内にあるからです[1]。そして、それは主の言葉によれば、期待される場所から来るわけでも、観察によって来るわけでもありません[2]。しかし、知性の隠された形の中で、それは理由もなく、瞑想なしに啓示されます。なぜなら、知性にはそれを瞑想するための材料がないからです。
第一の知識は、不断の朗誦と教えへの熱意から生まれます。第二の知識は、知性の揺るぎない行動と信仰から生まれます。第三の知識は、信仰のみによって生まれます。なぜなら、そこでは知識は止まり、行為は終わりを迎え、感覚は不要になるからです。
知識はこの線より下にある限り、知識と呼ばれます。そして、より低いほど、より尊ばれるようになります。そのため、知識が地上の事柄にまで達すると、知識はすべてを支配するようになり、知識がなければ、すべては不完全で無益なものになります。しかし、魂が視線を高め、その衝動の空間と時間を天上の事柄に向け、肉眼では見ることができず、肉が制御できないものを求めるようになると、すべてのものは信仰の範疇に入ります。
脚注
[編集]関連項目
[編集]この文書は翻訳文であり、原文から独立した著作物としての地位を有します。翻訳文のためのライセンスは、この版のみに適用されます。 | |
原文: |
![]() この著作物は、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。 この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。 |
---|---|
翻訳文: |
![]() 原文の著作権・ライセンスは別添タグの通りですが、訳文はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。追加の条件が適用される場合があります。詳細については利用規約を参照してください。 |