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ニネベのイサアク神秘論文集/第48論文

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ニネベのイサアク神秘論文集

第48論文

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[p.227]

<< 魂が常に受ける光と闇のさまざまな状態と、右傾と左傾において魂が得る訓練について。>>


礼拝と祈りの時に、自分自身を見つめてみましょう。詩篇と祈りの言葉について深く考えることができれば、それは真の孤独に根ざしていると言えるでしょう。


暗闇の中にいる時、特に自分自身が原因でない場合はなおさらです。なぜなら、それは神の配慮によってもたらされ、魂だけが知る原因によってもたらされるからです。その時、私たちの魂は窒息し、まるで嵐の真っ只中にいるかのようです。人が礼拝の書に近づこうとも、何に近づこうとも、そこには暗闇の上に暗闇が重なり、あらゆる努力を諦めてしまいます。どれほど何度も近づくことさえ許されないことか。人は、いつか別の状態が訪れて再び平安が得られるなどとは全く信じることができずにいます。この時は絶望と恐怖に満ちています。神への希望と信仰の慰めは、疑いと恐怖に完全に満たされた魂から完全に消え去っています。


この時の嵐に試練を受けている人々は、その後に続く変化に富んだ状態を身をもって知っています。神は、魂を一日中この状態に放置することは決してありません。さもなければ、魂は命を失い、キリスト教的な希望をすべて失ってしまうでしょう。しかし、この暗闇がどれほど強くても、徐々に命への転換がそこから現れます。人よ、私はあなたに忠告します。もしあなたに、自分の魂を支配し、ひれ伏して祈る力がないなら、頭をマントで覆い、暗闇の時間が過ぎ去るまで横たわりなさい。しかし、自分の小屋を離れてはいけません。この試練によって試されるのは、特に、精神的に鍛錬して歩もうとし、信仰から来る慰めに向かって走っている人々です。


[p.228]

それゆえ、この暗黒の時は、何よりも彼らを霊的な疑念によって苦しめます。また、激しい非難も伴い、時には復活への疑念や、言及する必要のないその他の点さえも伴います。


これらすべてのことは、私たちが何度も経験し、多くの人々の慰めのために記録してきました。肉体労働のみに携わっている人々は、この闘いから完全に切り離されています。彼らは、誰もが経験する失望感に襲われます。それは、前述の状態や類似の状態とは異なります。後者の癒し、すなわちその慰めは、孤独の中から得られます。交流によっては決して慰めの光を得ることはできませんが、時が経つにつれて緩和されるでしょう。しかし、その後、それは激しく襲いかかるでしょう。彼には、これらのことに精通した、啓発された人が必要です。その人から、常にではないにしても、時折、啓示と励ましを受けることができるのです。このような状況下で屋内に留まることを耐え忍ぶ人、そして教父たちが言うように、これらのことを経て広く強固な住まいに到達する人は幸いです。しかし、この闘いはすぐに終わることはありません。恵みもまた、一度に魂に完全に宿るのではなく、一つ、また一つと、徐々に訪れるのです。時には試練、時には慰め。その一部は、この世を去るまで残るでしょう。私たちはここで、そこから完全に解放されることも、完全な慰めを得ることも期待していません。


このように、神は私たちに現世の命を与えることをお望みになりました。そして、これらは道を歩む者たちのためのものです。


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