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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第9巻/ダマスコのヨハネ/正教信仰の正確な解説/第2巻/第4章

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正教信仰の正確な解説。

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第2巻

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第4章

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<< 悪魔と悪霊について >>


これらの天使の力の中から地上の領域をべる者[1]、そして神がその手に地上の守護を委ねた者は、その性質において悪ではなく善であり、善なる目的のために造られ、創造主からその内に悪の痕跡を全く受けなかった。しかし彼は、創造主が授けた輝きと名誉[2]を維持せず、自らの自由意志によって、自らの性質と調和するものから相反するものへと変化し、創造主である神に反抗し、反逆しようと決意した[3]。そして彼は、善から離れ、悪となった最初の者[4]となった。悪とは善の欠如に他ならない。闇もまた光の欠如である。善は心の光であり、同様に悪は心の闇である。それゆえ、光は創造主の作品であり、善なるものとして造られた(神は自らが造ったすべてのものをご覧になった。そしてそれらは極めてかった[5])。そして光は、自らの自由意志によって闇を生み出したのである。しかし、彼と共に、彼に従属していた無数の天使たちも引き離され、彼に従い、彼の堕落に加わった。こうして、天使たちと同じ性質[6]であった彼らは悪に染まり、自らの意志で善から悪へと転向した[7]


したがって、彼らは、神がその摂理において彼らに与えた力以外には、誰に対しても何の力も強さも持ちません。例えば、ヨブ[8]や福音書に記されている豚[9]に対してです。しかし、神が譲歩すると、彼らは勝利し、彼らが望むどんな姿にも変化し、変容します。


神の天使も悪魔も、未来については同様に無知です。それでも彼らは予言をします。神は天使たちに未来を啓示し、預言するように命じます。そして、彼らの言ったことは実現します。しかし、悪魔もまた予言をします。それは、時には遠くから何が起こるかを見ているからであり、時には単なる推測だからです。ですから、彼らの言うことの多くは偽りであり、たとえ私たちが述べたように、彼らがしばしば真実を語っていても、信じるべきではありません。しかも、彼らは聖書を知っています。


ですから、あらゆる悪とあらゆる不純な情熱は、彼らの心の働きなのです。しかし、天使には人間を攻撃する自由が与えられているものの、誰かを制圧する力はありません。なぜなら、攻撃を受けるか受けないかは、私たち自身の力で決まるからです[10]。それゆえ、悪魔とその悪霊たち、そしてそれに従う者たちのために、消えることのない永遠の刑罰の火が用意されているのです[11]


さらに、人間にとって死となるものが、天使にとっては堕落であることに注目してください。堕落の後には、人間に悔い改めの見込みがないのと同じように、天使にも悔い改めの見込みはありません[12]


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脚注

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  1. πρωτοστάτης. 開拓。クリソストモス、エペソ人への手紙、説教4などを参照。
  2. Text, ἐδωρήσατο. R. 1986, ἐχαρίσατο.
  3. エイレナイオス、第4巻48章などを見よ。
  4. Greg. Nyss., Orat. Catech., cp. 6.
  5. 創世記 1:31
  6. Greg. Naz., Orat. 19, 38; Chrysost., In S. Babyl. Or. 2; Basil, in Jesaiam, ch. 1, &c.を見よ。
  7. Quæst. ad Antioch. 10.
  8. ヨブ 1:12
  9. マルコ 5:13
  10. イアンブリコス、『神秘論』(De mysteriis)、第11章4節を参照。
  11. マルコ 25:41
  12. ネメシウス、『人間の本性について』(De Natura hominis)、第1章.
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原文:

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翻訳文:

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