ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第9巻/ダマスコのヨハネ/正教信仰の正確な解説/第2巻/第27章
正教信仰の正確な解説。
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第2巻
[編集]第27章
[編集]<< 私たちに自由意志が与えられている理由について >>
したがって、我々は、自由意志[1]は理性と同時に現れ、変化と改変は生産されるすべてのものに内在すると考える。なぜなら、生産されるすべてのものは変化を受けるからである[2]。なぜなら、その生産が変化に由来するものは、必ず変化を受けるからである。そして、変化とは、無から生じること、つまり物質の基質を異なるものへと変化させることである。したがって、無生物や理性を持たないものは、前述のような物質的変化を受けるが、理性を備えたものの変化は選択に依存する。なぜなら、理性は思弁的な部分と実践的な部分から構成されるからである。思弁的な部分は事物の性質を熟考することであり、実践的な部分は熟考から成り、何をなすべきかの真の理由を定義する。思弁的な側面は精神あるいは知恵と呼ばれ、実践的な側面は理性あるいは思慮分別と呼ばれる。したがって、熟考する者は皆、何をなすべきかの選択は自分の手の中にあり、熟考の結果として最善と思われるものを選択し、選択した上でそれに基づいて行動することができると信じて熟考する。そしてもしそうであるならば、自由意志は必然的に理性と密接に結びついているに違いない。なぜなら、人間は非理性的な存在であるか、あるいは理性的な存在であれば、自らの行為の主人であり、自由意志を備えているからである。したがって、理性を持たない被造物も自由意志を享受しない。なぜなら、被造物は自然ではなく、自然に導かれるからである。したがって、被造物は自然の欲求に逆らうことなく、欲求が何かを欲しがると、すぐにそれに突き進む。しかし、理性を持つ人間は、自然ではなく、自然に導かれるからである。したがって、何かを欲するとき、欲求を抑制したり、望むように満たしたりする力を持っている。したがって、理性を持たない被造物は賞賛の対象にも非難の対象にもならないが、人間は賞賛と非難の両方の対象となる[3]。
天使は理性を持つがゆえに自由意志を授けられており、創造されたがゆえに変化する可能性があることにも留意すべきである。これは実際、創造主によって善なるものとされたにもかかわらず、自らの自由意志によって悪の創造者となった悪魔、そして悪魔と共に反逆した力[4]、すなわち悪霊たち、そして善なるものの中に宿る他の天使の軍勢によって明らかにされている。
脚注
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