ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第9巻/ダマスコのヨハネ/正教信仰の正確な解説/第2巻/第1章
正教信仰の正確な解説。
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第2巻
[編集]第1章
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神は世々を創造した、神は世々より前から存在していた、神であるダビデは神にこう呼びかけている、「あなたは世々から世々へと存在しておられる」[1]。また、神の使徒はこうも言っている、「神は神を通して世々を創造した」[2]。
時代という言葉には様々な意味があることを理解しなければなりません。それは多くのものを表すからです。各人の人生は時代と呼ばれます。また、千年の期間も時代と呼ばれます[3]。また、現在の人生の全過程も時代と呼ばれます。また、来世、復活後の不滅の人生[4]も時代と呼ばれます。また、時代という言葉は、時間や、太陽の動きと進路によって測定される時間の一部、つまり昼と夜で構成される時間ではなく、永遠と同じ広がりを持つ一種の時間的な動きと間隔を表すために使用されています[5]。なぜなら、時代は永遠のものに対して、時間は一時的なものに対してであるのと同じだからです。
この世界の7つの時代[6]について語られています。それは、天地創造から人類の全般的な完成と復活までのことです。部分的な完成、つまり各人の死がありますが、全般的かつ完全な完成もあり、そのとき人類の全般的な復活が起こります。そして第8の時代は来たるべき時代です。
世界が形成される前、昼と夜を分ける太陽がまだなかった頃には、測定できるような時代は存在せず[7]、永遠と同一の広がりを持つ時間的な動きと間隔のようなものがありました。そしてこの意味では時代は一つしかなく、神は αἰώνιος [8]および προαιώνιος として語られます。なぜなら、時代や永遠そのものが神の創造物だからです。唯一始まりのない神こそが、時代であれ他の存在するものであれ、すべてのものの創造主なのです。そして私が神と言うとき、私が父と彼の独り子、私たちの主、イエス・キリスト、そして彼の全き聖なる聖霊、私たちの唯一の神を意味していることは明らかです。
しかし、私たちはまた、世々の時代についても語っています。なぜなら、現世の七つの時代は、人間の人生の意味で多くの時代を含み、一つの時代はすべての時代を包含し、現在と未来は世々の時代として語られているからです。さらに、永遠の(すなわち αἰώνιος)命と永遠の罰は、来たるべき時代または永遠が終わりがないことを証明しています[9]。なぜなら、時間は復活の後でさえ昼と夜で数えられるのではなく、むしろ夕方のない一日があり、その中で正義の太陽は正義の人々を明るく照らしますが、罪深い人々にとっては深く無限の夜があるからです。では、オリゲネス[10]によれば、完全な回復に必要な千年の期間は、どのように数えられるのでしょうか。したがって、すべての時代の唯一の創造主は、宇宙をも創造し、世々よりも前に存在した神です。
脚注
[編集]- ↑ 詩篇 90:2
- ↑ ヘブル 1:2
- ↑ アリストテレス『天体論』De Caelo、bk. 1. text 100.
- ↑ マタイ 12:32; ルカ 7:34.
- ↑ ナジアンゾスのグレゴリオス、 Orat. 35, 38, 42.
- ↑ Basil, De Struct., hom. 2; Greg. Naz., Orat. 44.
- ↑ Greg. Naz., Orat. 44.
- ↑ αἰώνιος、「永遠の」という意味であるが、同時に「世俗的な」、「永遠の」、「時代を超えた」という意味でもある。
- ↑ Variant, καὶ ἀπέραντον δηλοῖ. In Regg. αἰώνος is absent.
- ↑ 彼の『ケルソス反駁』Contr. Cels ., ivを参照。参照。Justin Martyr. Apol. 1; Basil,『ヘクサエメロン』 Hex., hom. 3; Greg. Nyss., Orat. Catech. 26など。
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