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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第3巻/高名な人々について/ゲンナディウス/第19章 司祭セウェルス

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第19章

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アクイタニア地方の長老セウェルス[1](通称スルピティウス)は、生まれ、優れた文学作品、清貧への献身、謙遜さで名高い人物であり、トゥールの司教マルティヌスやノラのパウリヌスといった聖人たちにも愛された。彼は、決して軽蔑されることのない小冊子を著した。彼は妹に、神への愛と世俗への軽蔑を勧める手紙を多数書いた。これらはよく知られている。彼は前述のパウリヌス・ノラヌスに2通、その他に何人かに手紙を書いたが、中には家族の事柄が含まれているものもあるため、出版のためにまとめられていない。彼はまた年代記を著し、また多くの人々の利益のために、しるしと奇跡と徳で有名な修道士で司教の聖マルティヌスの生涯を著した[2]。彼はまた、ポストゥミアヌスとガルスの会談を著し、その中で彼自身が議論の仲介者および裁判官を務めた。主題は東方修道士と聖マルティヌスの生活様式であり、二部構成の対話形式になっている。第一部では、彼自身の時代のアレクサンドリア教会会議における司教たちの布告に言及している。その布告とは、オリゲネスは、その中に善なるものがあるゆえに、賢明な者によって注意深く読まれるべきであり、悪なるものがあるゆえに、能力の劣る者によって拒絶されるべきであるというものだった。晩年、彼はペラギウス派に惑わされ、多くを語ったことの罪を自覚し、悔い改めの沈黙によって、語ったことによって負った罪を償うために、死ぬまで沈黙を守った。


脚注

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  1. スルピキウス・セウェルスは353年以降に生まれ、410年頃に亡くなった。
  2. 美徳か奇跡か
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